故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

4人の愛人

2019-10-31 05:33:14 | よもやま話

絵のタイトルは、「To be or not to be」です。
いやいや、元気です。


夢をみた。
愛人4人と共に会社をやっている。
なんの業種か定かではない。
愛人4人は、どれも個性派ぞろい。
どの人とも、身体の関係はない。
それぞれの悩みを聞き、その人の良いところを一緒に引き出していくのが、私の役目。

今日のタイトルは、「4人の愛人」です。
荒唐無稽な夢は、よくみます。
しかし、こんな疲れる夢はみたことがない。
時には、肩を揉み。
4人とも違う悦ぶところを押してみる。
愚痴を聞く。
一緒に遊び、うまいねと褒める。
仕事を一緒に分析し対策を練る。私は、一応上司である。
困りごとを一緒に考え、私は身体を張って解決をする。

待てよ。
これって、妻にしていることじゃないかと気づく。
私は、「4人の愛人」を囲っているようなもの。
疲れるわけだ。

愛人の年齢は、大きく開いている。
幼子のような少女もいれば、私より少し年下の女性もいる。
総じて美しい。私の慾目であろう。
愛人が私に尽くしてくれることはない。
すべてにおいて、我がままである。
それが、「4人の愛人」の共通事項である。

ああ、私は逃れたい。
夢から覚める。
そっと、寝床から抜け出した。
「4人の愛人」の可愛らしさを置き去りにした。
後悔はない。続きもみたくない。

梅をみて 桜を愛でて ああしんど

2019年10月31日
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それぞれの桃源郷

2019-10-28 11:16:50 | よもやま話

タイトルは、「海女城」です。
妻と訪ねた沖縄のぐすく(城)です。
広がる空間と、ゆっくり流れる時間の思い出です。


今日のテーマは、「それぞれの桃源郷」です。

桃源郷とは、
陶淵明の作品『桃花源記』が出処になっている。
桃源郷への再訪は不可能であり、また、庶民や役所の世俗的な目的にせよ、賢者の高尚な目的にせよ、
目的を持って追求したのでは到達できない場所とされる
(日常生活を重視する観点故、理想郷に行けるという迷信を否定している)。
創作されてから約1600年経った現在でも『桃花源記』が鑑賞されているのは、
既に人々の心の内にある存在を、詩的に具象化したものが桃源郷であるためとされる。
既に知っているものであるため地上の何処かではなく、魂の奥底に存在している。
桃源郷に漁師が再訪出来ず、劉子驥が訪問出来なかったのは、心の外に求めたからであり、
探すとかえって見出せなくなるという。
(Wikipediaより)

やはり、桃源郷はなかったか。

それでも挑戦しよう。
人々の心の内にある存在を、詩的に具象化したもの。
今日は、久しぶりの秋晴れです。妻は、畑でできた花豆を干しています。
場所はと言うと、軽トラックの荷台です。
よく実った花豆も合わせて、彼女にとって桃源郷だったのです。

心が安らぐ場所は、人それぞれです。
鼻を広げて、空気をいっぱい吸い込みたくなる場所、それはいつもは行けない日本の原風景かもしれない。
楽しい思いがいっぱい詰まったところ、ハッと眼を見張るような一瞬の感動。
ある人は、騒音けたたましいパチンコ屋さんかもしれない。
またある人は、愛する人の膝枕かもしれない。

果たせぬまでも、心のよりどころにしている場所やふれあいが桃源郷ではないかと思う。
理想郷なんてないのです。
低賃金を嘆く。
低賃金で働かざるを得ないと嘆く。
低賃金ではない会社に転職し、自己努力でもっと稼ぐ。
人それぞれです。
低賃金で働く人がいるから、社会は成り立っている。
例えば農業や漁業です。
機械や船を使います。化石燃料で動きます。
もうかる売価で売りたい。社会の仕組みは違います。
稼げないけど、家族が離れ離れにならずに生活できます。
毎日、日本の原風景の中に溶け込んで暮らしています。
職住接近で、都会の人より自由時間は多いかもしれない。

妻が嘆きます。
200時間働いても、儲けはありません。今月も赤字でした。
値段をあげると、息巻いています。
低賃金にも問題がある。買いたいものやサービスが受けられないのです。
国によって、低賃金に格差がある。
日本の低賃金者は買えぬが、ヨーロッパやアメリカの低所得者は買える。
社会保障が、日本より格段に良い国がある。
スマホやインターネット料金は、どこの国でもほとんど同じ国際価格です。

私は、高給取りでした。
努力すれば、金は入ってくる。
金をたくさん使えました。
価値と判断する金に追い回されていました。
少ない年金ですけど、今の方が貯金ができる。
野菜中心のメニューを開発し、我が家の畑でできた新鮮な野菜で、
カフェに来られるお客さんをもてなしている。
会社と家の往復の高給取りではありません。
毎日来られるお客さんと、話し笑い過ごす時間があります。

さて、桃源郷のこと。
焦ることはない。パニックに陥ることもない。
あなたが温める桃源郷を、時には詩的に、またある時は具象化しましょう。
売価を自分で決める。美味しくて新鮮ならば、客はつきます。
素敵な場所を世界中の人に案内し、生業とする。
あなたが好きな空間や時間は、他の人もきっと好きになるでしょう。

桃源郷などなかったのです。
探すとかえって見えなくなるのです。
一足飛びは、どうやらなさそうです。
じっくりと自らの心に問いかけましょう。
あなたにとっての桃源郷とは。

池の傍 揺れる光が 軒遊ぶ

2019年10月28日 

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料理はエンディングストーリー

2019-10-27 10:23:25 | よもやま話

絵のタイトルは、「またね、お元気で」
こうして、多くの友人たちと出会い別れて来た。
一期一会の連続である。


今日のタイトルは、「料理はエンディングストーリー」です。
食材を見て、食べたいものを想像する。

妻が畑に出かけた。
朝の料理は自分がやることになった。
冷蔵庫の中身のチェックから始まる。
はやと瓜が大量にあった。
他の野菜も多い。
ゴーヤ、かぼちゃ、玉ねぎ、人参と青菜(広島菜ほどに大きくなった小松菜)があった。
スープとチャーハンを作ることにした。

はやと瓜を半分に切り種の部分を外す。
スープはコンソメ味にした。
玉ねぎを外した野菜全部を入れる。酒と塩を足して味を整える。味見は三回。
ゴーヤの苦みを緩和したいと、酒と生姜を入れる。

かぼちゃと小松菜を外した野菜を炒め始める。
玉ねぎに色がついたころ、辛子味噌を酒で溶きながら、蒸しあげる。
小松菜の茎と葉を順に入れさらに炒める。
電子レンジで温めたご飯を入れ、混ぜ合わせる。
混ざったころ、卵を入れる。卵に火が通ると火を止める。卵をふんわりと仕上げるつもりである。
味身は二回。塩を足し醤油をひと回しする。

料理をするとき、材料は何があって、何を作るかとイメージする。
最終的な味付けをどうするか決める。きっと、こんな味になるだろう。
二人で食べる量はこのくらい。いつ頃食べると予想し、火を入れる。
朝は、温かい料理が食べたい。
出来上がると、畑まで妻を呼びに行く。
忙しいらしいので、チャーハンが出来上がったフライパンに蓋をし、スープを弱火で保温する。
その間に、洗濯である。

カフェのおまかせ料理は、メニュー作りから始める。
来る人の人数や持って来られる酒を予想する。
ビール、日本酒、焼酎と色々である。
飲まない人の割合を予想する。
酒の付け出し(サラダなど)から、お腹を膨らませるものを早めに出す。
嗜好を変えてメイン料理に進む。
お腹が落ち着いたころの酒の追加の付け出しを出す。
食べられるかなと、少し濃い味のもの(ピザとか)を出す。
仕上げは、コーヒーとデザート(パンもある)を出す。
料理の減り具合を見はからって、次の皿を出していく。
シンクは狭いので、手が空く数分で洗い物をする。余った食材を冷蔵庫に返す。
手狭にならぬよう、洗い物を拭き元の場所に保管する。

わずか二時間の饗宴である。
料理をしながら、出しながら少しの合間、話をする。

お客さんの満足を思い描いて料理を作る。
プロジェクトでも同じこと。
営業の時から、エンディングストーリーを描いてお客さんに見せる。
仕上がりをチェックして、お客さんが使い始める頃には、次のプロジェクトが始まっている。
こうして生きてきた。仕事は変わっても段取りはいつも一緒のような気がする。

街灯 飲んで笑って 送り出す

2019年10月27日
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また、友が逝った

2019-10-26 17:01:23 | よもやま話

絵のタイトルは、「名物男」である。
盆祭りの時は、決まって飲んでいた。
飲むと少しくどいけど、気のいい男であった。
似顔絵を描いて欲しいと言っていた。
描かなければと思いながら数週間が経ち、残念。


今日のタイトルは、「また、友が逝った」です。
私達の年齢になると、これは仕方がないことです。
親を送り、兄弟を看取り、自分の番となる。
その頃には、きっと呆けているから死の実感はないだろう。

また一緒に飲みたいな。と奥さんに伝えていただいた矢先のことであった。
同じくらいの年齢となると、気を使わない。
高度成長期に学生時代を迎え、学生運動も終わっていた。
親のすねをかじり、やりたいことをして遊んだ。
生きた道を大いに自慢するでもなく、互いにおおよその人生が透けて見えた。
立派に生きたとは言えない。分かり合えるのである。

定年を迎える前に、「好きなことをやって過ごしたい」と言っていた。
好きなことは何だったのか、聞かずに終わった。
定年を待てずに闘病生活に入った。
好きなことをやれなくて残念かどうかは、本人だけが知っていること。
定年後だって、決して楽ではない。
毎日が日曜日の生活もすぐに飽きる。
期待されない生活の中に、灯を見つけるような毎日である。

酒田にいる友人が、「話せる場」を作ったという。
その場を維持するためにアルバイトをしていた。
驚いた。
話を聞いた皆さんのやりたいことが、バラバラなんだよと彼は言う。

やりたいことはできることとは違う。
できないことをやりたいことにしたらよい。
できることは、やりたいことの何かの足しになる程度でよい。
できることの延長にやりたいことがあると、それぞれの生きてきた仕事の分だけある。
こんなことなんて、到底無理だ。みんなが無理なら、なお面白い。

友と酒が飲みたかった。
好きなことを聞きたかった。

似顔絵を 渡す日には いなかった

2019年10月26日
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仕事で精いっぱい

2019-10-25 01:43:41 | プロジェクトエンジニアー

沖縄の真玉橋です。
橋の向こうには、産みの母がいる。
年老いた母を時々訪ね、戻る。
こうだったら、人生が変わったんではないかと誰しも思う。
試練が自分を育ててくれたと、気づくのはいつのことだろう。


今日のタイトルは、「仕事で精いっぱい」です。
故郷、江田島市に海軍兵学校があった。
当時、東大や京大よりも入学するのが難しいと言われた学校である。
稀代の海軍軍人の功績より、彼らが残した書や絵画の素晴らしさに驚いた。
天才が秀才になる。秀才を続け天才になるのか分からない。
天は二物を与えたのである。

そうだろうか。
「プロフェッショナル」という番組をよく見る。
私が好きな職人ワールドである。
仕事で一流と言う方は、多くいる。
この頃、それだけでよいのかと思うようになった。
子供が転機になると、迷い悩み、私に相談を持ち掛ける。
仕事人間で、家ではくそ親父だった。

得意ではない似顔絵を描く。
やったことがない料理を作る。
苦手な接客をやる。
話したくない人とは、距離をおいてきた。
カフェをやるからには、逃げられない事柄です。
カフェの周りの草刈や剪定は、いわば息抜きです。
今日も剪定した枝を置く場所を確保するために、山の下草と無駄に伸びた木を伐採しました。
チェーンソーの刃研ぎをする。篠竹の林に巣くっているスズメバチの巣を落とす。
目的があるからできることです。

仕事だけをやっていたかったという方は多い。
結婚しなければよかったと思われる方も多い。
そうだろうか。
仕事人である前に、人間である。
人として生きていかなければならない。
人として、葛藤からは逃れられないのである。
葛藤こそが、自らの道であり、結果として仕事にも生きる。

総料理長樋口宏江さんが言う
プロフェッショナルとは、
覚悟をもって、その道を進み
挑戦を続ける。
具体的に表現できる人のことである。

地球温暖化で海藻が育たなくなり、アワビが採れなくなった。
ホテルは、他にない高級食材を使った料理を看板メニューにしたい。
世の中の変化(アワビが採れない)は、ホテルの経営に響くのである。
近くで採れるもので、時には地元の人しか知らない、あるいは捨てる食材を使う。
臨機応変さが求められる。
樋口さんの言われる「具体的に表現できる」ことである。

仕事人は、孤高の人であってはならない。
口だけで仕事をする文化人であってもならない。
人として生きられる人が、仕事を残せる。
仕事ができる人は、悩み葛藤をする。

私のように、「仕事で精いっぱい」では、情けない。

鶯も 切羽詰まって ホーホケキョ

2019年10月25日
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