故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/bf/865c001b9aeaa65f8111a61464c06042.jpg)
絵のタイトルは、「素」です。
素と言う言葉の意味は、唯一無二の飾らない神々しさを著す。
そんなことを、描きながら思いました。
例年春先(4月から5月)になると、キャベツの値段が上がります。
今年は、長雨がさらに拍車をかけた。
産地でも普通150円/個以下が400円/個となった。
毎年、苗を植える時期を調整して対応したが、早くても遅く植えても収穫時期は5月末であった。
春キャベツは出ているが、高価で使える葉が少ない。
キャベツを多く使う「お好み焼き」では、コスト高となる。
そこで、温室を作ることにした。
玉ねぎとにんにくを最初の年(4年前)に作ったが、霜柱で根が浮き枯れてしまった。
黒色ビニールを地面に敷いたマルチにした。
霜柱はできにくく、仮にできても太陽熱を吸収する黒色によって昼前には融けた。
内部で歩けるような温室は、高価で作れない。
安価な「温室づくり」(今日のタイトル)に挑戦することにした。
温室の高さは、キャベツが成長しても届かない50cmは必要である。
併せて断熱仕様でなければならない。(妻の強い要望に応えることにした)
使うのは、竹材と透明ビニールのみである。
友人のために夏に8割した竹はかびて黒くなった。見栄えを重視する生け垣には不向きとなった。
自主的に回収した。温室の材料として使うためである。
直径が5cm程度の竹(長さ4m)を挿むように、8割した竹材を両側に固定した。
ビニールをサランラップのように両側に巻き付け、固定する。
主材の竹の直径分だけ空気層ができる。空気を断熱材とする構想である。
これを4面作り、壁とする。下側は地中に埋め込み高さ調整する。
上部の屋根(幅1mx長さ2mx4枚)は、3cm程度の青竹を曲げて作ろうと考えている。
曲がり部分は、切り込み(3か所)を入れて火であぶりながら4か所を曲げ、ループ状にする。
桟(ピッチ10cm)となる八割竹材を、主材の直径1/3程度切り込みを入れて固定する。
壁同様にビニールを巻き付け、竹の直径分(3cm)の断熱層を確保する。
屋根が風で飛ばないように、竹を重しにする予定である。
気温の高い日や世話をするために、上部の屋根は簡便に外せるようにしたい。
空き家で遊んでいる障子を使うことも考えたが、寸法が決まっており扱いにくいと予想した。
ビニールは、雨や雪の重みでへこみやすい。
桟のピッチを狭く(10cm)することで対応したい。
屋根勾配は、1/10程度とする。
トマト用のビニール屋根で経験した。
雨水がたまりビニールがへこんだ所に、追加の桟を足すことで対応した。
壁の上部はビニール材がむき出しとなり破れやすい。
2分割の竹の節を取ったものを、ビニールの上から竹串で固定する予定である。
温室の中に植えるキャベツは、マルチにしようと考えている。
さて、うまく行くかどうかわからない。
ビニールトンネルを2重にすることも考えたが、世話をするごとにビニールを2回剥がさなければならない。
案外、面倒ではないかと予想した。
(大昔の寒い冬の夕方、ビニールトンネルにこもをかけるのが子どもの仕事であった)
しっかりした温室を一つ作っておけば、
将来的には苗床や有機肥料の発酵などいろんなものに応用できるのではないかと考えた。
失敗しても、経済的にたいした被害にはならない。
うまく行くかどうかもわからない。
弱いところがあれば補強したり、作り直せ(改善)ばよいと考えている。
私もGafa(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)なのである。
こんなもの(考えを具体化)があったらよいなと始めます。
なんも心配しない。駄目ならやめる。行けそうならもう一工夫する。
壁に当たるごとに、やり直せばよいのである。
こうならな 妻独り言 やれなのよ
2020年11月25日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/2f/fd72113e468ed1be09fb075ae87abf0f.jpg)
ベランダで作ったトマトです。
タイトルは、「ちゃんとできたがな」です。
半信半疑でした。
できたなら、誰かと一緒に喜ぼう。
私達は、二人だけでカフェをやっています。
妻が不満を漏らす。
こんなに疲れるほどやっているのに、報われない。
誰も来ないかもしれないのに、パンを焼き待っている。
私は、その声に気づいていました。
カフェの前に置いている枯れた菊の鉢を片づけ、産直で買ってきた葉ボタンを鉢に定植して並べた。
霜でやられたアジサイの茎を剪定した。下から2つか3つ目を残して剪定すると、妻に教えてもらった。
駐車場の端に植えてあるつつじがもさもさとしていた。根元や茎のまわりの産毛のような小枝を取り除いた。
向かいの空き家の梅の木を剪定した。軽トラいっぱいの枝が積まれた。
これで、一日が終わった。
妻の不満は、解消されない。
カフェを続けることが苦しい。
妻に代わって、りんごを20個ほど剥くことにした。
アップルパイの原料だったり、ジャムにするためである。
お客さんが来られた。お好み焼きとピザを出す。
25分待っていただいて、アップルパイを焼く。一緒にコーヒーを淹れる。
サービスで、広島ミカンと地元産のりんごを付ける。
11時開店から、15時まで私達は立ちっぱなしで仕事をした。
妻は、パイシートを型にはめるのに悪戦苦闘した。
出来立てのアップルパイ8個を持ち、リンゴ農家に行き5箱買う。
りんごジャムが15本(180g/瓶)できた。友人たちにプレゼントするためである。
売上は、4000円。プレゼント用のアップルパイ8個と15瓶のジャムができた。
今日のタイトルは、「休もうかな、休みたいな」です。
どうして、そう思うか。
放っておくと、「辞めたいな」になります。
妻の不満は、疲れにある。
りんご20個を剥き細かく切り、ジャムにするまで煮たり、パイ用にバターで炒める。
接客をしながら、料理を作り、さらにプレゼント用のものを作る。
お歳暮にかかる費用を抑えるためのプレゼント用の品々である。
妻の不満を解消するために、いや実感するためにカフェの台所に立った。
分かった。立ちっぱなしで気が抜けない作業の連続で心底疲れた。
おまけに、飲み物も食べ物も口にできなかった。
会社に行くのが億劫になる。
会社では、辛いことも、楽しいこともある。
仮病を使って休む。
億劫な気持ちの解消にはならない。
不満に向き合うことができない企業は、沈滞ムードでやがて消失する。
その企業で働くことが楽しくないからである。
プール資金を持ち逃げしたり、製品を横流しする者も出てくるかもしれない。
「休みたいな、休もうかな」は、黄色信号です。
自分だけが、好きな仕事(剪定など)を続けるのは、企業(カフェ)に対する背徳行為です。
不満に向き合うことで、やがて働く人たちが楽しくなる。
企業が存続するのは、まさしく働く人の満足の他になにもない。
人が育たない企業は、続かない。
雇ってやっていると思う社長がいたら、きっと裏切られる。
不満受け 互いにダメを 上と下
2020年11月21日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/90/4d519253545e35393524135df11a961f.jpg)
似顔絵のタイトルは、「あんたが大将」です。
頑張りなはれ。
やっても、やっても不満が残る。
愚痴のうちは、救われる。不満解消に走ると潰される。
私の記事に癒された。沁みましたと言われる人に会った。
ブログを書いたとて、読んでくれた記事数に応じて課金されるわけではない。
すべての努力が報われると信じて疑わぬ人は、お人よしである。
今日のタイトルは、「爪に火を灯す」です。
意味は、
けちでろうそくを買わない、あるいはろうそくも買えないほど貧乏なため、
ろうそくの代わりに爪に火をつけて灯りをともすことから。
「爪に火を灯す」とも書く。
『尾張(大阪)いろはかるた』の一つ。
(古語辞典より)
対価を求めると、不満が残る。
無償のサービスなんてありえない。
「ありがとうございました」と客に頭を下げる。
頭を下げたからと言って、収入が増えはしない。
では、頭を下げるのは何故?
小さいころから、そう教えられてきたからでは、理由にならない。
対価を求めない、心底助かった、これでまた生きられる。
大げさに言うと、そんなことです。
少ない努力で、大きな収入を得る。
自分の査定が80点(100点満点)としたら、半分の40点が客の評価です。
頭を下げて、5点くらいあがるかもしれない。
客は、一瞬気持ちが良かった。
正しく評価されないからと言って、「爪に火を灯す」ような冒険はしないほうがよい。
自ら「けち」になる必要がない。
例え、貧乏でもやってはいけない。
他に、灯を得る手段はあるはずです。蛍の光だって、月明かりだってよい。
頭を下げて、客の心に火を灯す。
客の笑顔で、自分の心にも火が灯る。
商売は、そんなきれいごとではありません。
手を揉む動作は、客の横柄な態度を揉み殺すためと聞きました。
商いは、飽きないから続けられるとも聞きました。
カフェは赤字続きです。
コロナのせいにしたくなります。
こんな「無駄」なこと、やめた方がよい。
自分の金をつぎ込んで、いつ来るか分からぬ客を待つ。
そんなに待つのが嫌なら、入り口に「電話番号」の書置きを吊るしたらよい。
「お客さん、待たせてごめんね。すぐに参ります」と好きな畑仕事をしたらいかがでしょう。
「去る者は追わず来る者は拒まず」です。
辛抱強く、チャンスが巡ってくるのを待つのです。
少しずつ、相手の息が上がる、ここが勝機と全身の力を注ぐ。
相撲取りの話でした。
視点を変えることです。
商売(仕事)をやってるからには、なんらかのメリットはあります。
メリットは、目に見えるものではありません。
深呼吸をして、心穏やかに「今日も生きられた」と寝床に着いたとき思うことです。
逆に、無償の努力ほど高いものはない。
気分が良かったから、同じものを買うなら、あのコンビニのあの人(女性が多い)から買いたい。
少し余計に歩いても、客は足を運びます。
捨てたものではありません。
悩むより すぐにかかれと Gafa言う
2020年11月20日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/e6/d99146e87f1476e614e47514f9622df1.jpg)
絵のタイトルは、「想いの丈」です。
高ぶるこの感情はなんなのか。
初めてのことに戸惑いながらも、どきどきと熱くなります。
分かるころには、しわくちゃばばあです。
僕の話を聞いてくれていたらな。
大人が、もう少していねいに説明してくれていたらな。
小さな子供は、嫌な感情を説明できないゆえにもどかしくなり、戸惑います。
大人の顔色をうかがいながら口を紡ぎ、いつしか忘れてしまいます。
数々のプレゼンテーションをこなしてきました。
プロジェクト受注のため顧客の前で、講師として聴衆を前にして、社内の若手社員の教育のためなど。
的確な質問に助けられたことが何度かありました。
主張をさらに展開できた。
視点を変え、考えることができた。
今日のタイトルは、「学ぶ」です。
小学校の先生に、50年ぶりにお会いしました。
喉の奥に刺さった魚の小骨のような思い出を、同窓会の席で話すことができました。
もういいんだよと、笑い話として皆に披露しました。
同級生は、当時を思い出し、あれこれと話がはずみました。
私達は、学ぶことを恐れます。
学ぶことで、昨日からは確実に違う今日になる。
それが成長の過程なのに、いつまでも昨日の自分でいたい。
昨日とは、ぬくぬくとした自分によかれの思い出ばかりです。
何度も殻を脱ぎ破らなければならない。誰もが怖いし、躊躇します。
嫌だな。仕方がないか。
そうして、学んできました。
今でも知らないことばかりです。
どんどん新しいことが現れてきます。
学ぶしかありません。
「学ぶ」ことは、身体を使い頭を使います。
これが、億劫なのです。
幼い子供も、学ぶことが既成事実となると知っています。
よく分からなかったのに、進化の過程は待ってはくれなかった。
勇気を持たずとも、「学ぶ」ことができないものか。
「学ぶ」は、長い間一方通行だと感じていました。
双方向のやり取りのなかに、神髄はあった。
「学ぶ」と質問のやりとりです。
質問こそ、学ぼうとする努力の表れなのです。
これを摘んできたのじゃないかと反省しています。
大人だって、子どもの質問にたじたじとなる。
「学ぶ」ことは、自分のなかにある。
質問に答えることは他人の考えや感情を「学ぶ」ことであり、
できない自分をどう変化させたらよいのか、質問を発することである。
「学ぶ」のは、他人だけとは限らない。自分にも学ぶことがある。
浮かんでくるこの感情は、気になる言葉はなんだろうとブログを書いている。
「学ぶ」ことが楽しい。
小さな成功を繰り返すことで達成感がある。私の場合は、ルーチンワークかもしれない。
挑戦を楽しいと思う。失敗があるから、「学ぶ」ことができる。
挑戦が無ければ、「学ぶ」こともなかった。
学ぶ姿勢こそ、自分らしい生き方じゃないかと考える。
できなくて当たり前と思い。あら、できるようになったわねと褒められる。
幼子に 共に学ぼう 教えてね
2020年11月18日
<<あとがき>>
「学ぶ」ことは、なんなのか。
できないことがたくさんあります。できたこともたくさんあります。
それでも学びたいと思うのは、どういうことなのか。
生きて来た線路が正しいとも、間違っていたとも思いません。
それしかなかった。と思いたい。
本当に?
これから何度もそう思うことでしょう。
未来は、誰にもわからない。覚悟して迎えたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/76/37ca5d985644f3459d497d8647219590.jpg)
墓地の小堂です。
タイトルは、「やることがいっぱい」
また、帰されちゃいました。
日々の生活に変化がない。
良いことを(例えば、草取りやゴミ拾い)をしても、誰もほめてくれない。
悪いことを(パワハラ、モラハラ、戦争)をしても、誰もとがめてくれない。
誰かの反応を求めてやまない。
気分を変えるために、髪を切りました。冒険は出来ないので、3cmだけ短くしました。
夫も職場の誰も気づいてくれません。
用務員のお爺さんが「きれいになったね」と言ってくれました。
それじゃあ、つまんない。
今日のタイトルは、「変化はつくるもの」です。
ルーチンワーク(炊事、洗濯、掃除、お使い)や畑仕事をしても、さしたる変化は発見できません。
考えてみてください。もしやらなかったら、どうなりますか。
ご飯は食べられない。どこか(コンビニ、朝喫茶でモーニングサービス)でお金を払って求める。
洗濯物は、山となる。週末は、洗濯機を三回まわし、一日の半分が終わる。
ゴミ箱から溢れて、こぼれています。そのまま誰もしてくれません。ゴミ箱をもう一つ買ってくる。
畑は草だらけになります。何かを植えようにも草刈から始めるのが億劫になる。耕作放棄地の仲間入り。
日々の生活こそ、変化を作っています。
こうして、毎日のようにブログを書く。読者数に変化はありません。
書かなかった場合を考える。キーワード(タイトル)は、眠ったままで昇華(消化とも)できません。
友人と飲み会をする。妻と話をする。地域の若者の会議に参加する。
普段考え、書き留めたことが、頭の整理箱から出てきます。
あっちに振ったり、こっちに戻ったり、視点を変化させて話を進めます。
私がしゃべりだしたら、止まらない。整理箱からばね仕掛けのように溢れ出してくる。
「じゃあ、帰ろうか」
飲み会終了の合図となります。ええっ、帰っちゃうの。
変化を求めて移住しました。
残念ながら、誰も私に期待してくれません。
よそ者は旅のもの。この地じゃ、毒にも薬にもならない。
会社で、家庭で重きをおいてくれたのに、なーんも起こりません。
変化は、誰かがお膳立てをしてくれるもの。これに慣れちゃった。
気づきました。「変化はつくるもの」でした。
私の中では、コペルニクス的大発見だったのですが、誰も感動はしてくれません。
大いに結構。「何をやってもよいんだ」と気づくまで一年かかりました。
悩むことはありません。
変化(行動)を起こすのです。
嫌なことは嫌。
自ら、発信することです。
恋の扉は、閉じることはできません。
自ら閉じる迄、「こうだったら、よいな」と悩みましょう。
りんごちゃん 誰かがかじる 赤ほっぺ
2020年11月13日