今日のタイトルは、「急がば回れ」です。
例によって、
危険な近道よりも、安全な本道を回った方が結局早く目的地に着く意、
成果を急ぐなら、一見迂遠でも着実な方法をとった方が良い。(広辞苑より)
このもっとも過ぎる解説にどう答えを出して良いものやら悩みます。
若い時は、この本道が見えませんでした。
今の道(先輩が教えてくれる)が本道とも感じませんでした。
教えてもらうものの、あっちへぶつかり、こっちでごつんの繰り返しでした。
あきらめて、先輩が言う通りの道に入ったような気もします。
ぶれながら収束したのは、これしかないと諦めのような気持ちからでした。
もう40歳の直前でした。
なんと遠回りをしたことでしょう。
確かに急いでいました。
もっと近道(幸せになる道)はないものかと右往左往していたように思います。
やればできるじゃない。といい気にもなっていたのでしょう。
それは、たまたま上手くいったのでした。
私は、プロジェクトエンジニアーです。
迂遠の権化のような仕事です。
設計、積算、現場、監督、営業、サービスとなんでもやらなければなりません。
言ってみれば、大工の棟梁のような仕事です。
先輩は、決して近道を教えてくれませんでした。
分業が進む中、愚直なまで王道の回り道を教えてくれました。
回り道が、本道でした。
気付くのに、20年近くを要しました。
大きな会社は、分業制でした。
特化した専業の仕事に長けていました。
抜群の成長ぶりでした。
鵜呑みのような言い回しを何とも思っておられませんでした。
成長に継ぐ成長を成し遂げていました。
会社が回らなくなりました。
皆が、営業をしなければならない時に、ほんのわずかな営業マンが
日夜飛び回っていました。技術屋はひたすら受注するのを待っていました。
毎日、毎日暇でしょうがない。まさに宝の持ち腐れ状態です。
近道をしたつけが何十年後に来たのです。
倒産か合併かの選択肢しかありませんでした。
会社全体ではいっぱいあるが、個人の引き出しが少ない。
あれが駄目でも、これがある。
こんな訳にはいかない。手遅れでした。
近道は、前に進み過ぎて後戻りの分岐点さえ分からなくなっていました。
子どもの手を取り足を取り、促成栽培をしようとします。
誰が主役なのか忘れてしまうほどのモンスターの親が溢れています。
目的だとか効果だとか日常的に使ったりして、
自分の業務をこなすことに慣れ過ぎた大人像を見ることがあります。
黙って視ていれば良いものを。
転んだ子供は、自ら立ち上がります。
笑顔で見ていることが、子どもの安心につながると言うのに、
すぐに手を差し伸べてしまう。成長の芽を摘んでいるのがわからない。
急いだところで、何にも良いことはなかった。
傷を深くしただけでした。
その傷が癒えるまでなんと長かったことか。
本道は 草原抜けて まだ見えぬ
2016年9月14日