故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
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朝焼けの絵です。
タイトルは、「去る者は追わず、来るものは拒まず」です。
冷たいようだが、温かい考え方です。
毎日が日曜日であったら、どんなに喜ばしいことか。
飯屋(カフェ)に休みはありません。
いや、暮らしには休みがない。
そして、暮らしこそ休みかもしれない。
次動くために、ご飯を食べてきました。
長い間、ご飯を食べるために働くのだと考えていました。
今日のタイトルは、「次のことを考える」です。
明日のことは予想がつかない。
試験前日には、明日が来なければよいと思ったものです。
試験当日には、早く終わればよいと一生懸命になりました。
こんな繰り返しです。
今になって、「次のことを考える」ことができるようになりました。
何をしてもよい。楽しいことも苦しいことも全部自分が決められる。
背中の張りは、ゴルフだったり草刈だったりします。
次のことは置いといて、今を一生懸命生きてきた。
過去を後悔することで、慰めてきた。
「次のことを考える」ことは、すべてが未来のことであり、できるだろうかと挑戦です。
今も過去も「次のことを考える」ための参考資料です。
反省はするも、後悔はない。失敗があるから成功する。
失敗を引きずる必要がない。すべてが真実で足跡です。
私自身は、こんな者なのです。
それを踏まえて、明日に挑戦する。
「次のことを考える」ことが、自由を産む。
未来こそ、自由です。
未来を考えることは、誰にも止められない。
何があるかわからない。
何が起こっても、生き抜く自信がある。
病とて、未来がある。克服できるか知恵と体力勝負である。
多くの先輩が病を語る。今、直面していることなのです。
語る今こそ、治るであろうと未来を信じている。
例え、治らなくたって病と上手に付き合う術を会得するであろう。
未来には、自由がある。
信じて飯を作り食べる。
一歩こそ 未来に通ず 歩きなはれ
2019年9月30日
<<投稿後>>
借金取りが、毎日5000円を徴収する。
終わりがあるから、今を生きる。
生きることが、貯金です。
生れた時と同じ姿でいられれば、それで元です。
後は、儲けです。
(筆者)
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タイトルは、「石垣」です。
どこにどれだけの高さのものを造るか。
どこで石を調達し、どのようにして運ぶか。
台風でも崩れない石垣をどのように積むのか。
試される。
(2019年10月7日に追加)
今日のタイトルは、「総合力」です。
昨日のラグビーワールドカップで日本が世界二位のアイルランドに勝利しました。
歴史的快挙と言われています。
試合を見ていて、当然の結果のように見えました。
15人のプレーヤーがいつでも立っている。
タックルしてもすぐに立ち上がって次のプレーの準備をする。
巨漢の外国人プレーヤーには、二人でタックルする。
しかしながら、すぐに起き上がって常に数的有利の体制を作る。
誰かが、「ワンチーム」と言っていました。
誰もさぼるものがいない、自分の役割を全うする。
日本のチームは、そんなチームに見えました。
昨日は、墓じまいと新たな墓の始まりをしてきました。
墓守のいなくなった家の墓を仕舞い、私の息子の建立名目で墓石の変更をすることにしました。
亡き妻の骨をやっと墓に入れることができました。
つまり、墓の承継をしました。
誰もお参りしない墓がこれから増えるでしょう。
交通が不便な田舎だけとは限りません。
都会の真ん中だって起きうることです。
田舎へ行くのは、先祖の墓参りが一つの目的でした。
病で墓まで行けない、またこれまでのように親せきをもてなすことができない。
高齢者が増えると、縁も薄くなり親せきと言えど関係が途絶えてきます。
息子の了解を得て、これまでの家とこれからの家の墓守を続けることにしたのです。
2020年のオリンピックが終わると、人財が余ることになる。
外国人を受け入れても、不足の業種に適切に送り込むことができない。
あるエンジニアリング会社の方から相談を受けました。
専門職は、求められるときに供給すれば事足りる。
問題は、需要と供給のバランスを保つことにある。
外国人を本人が望まぬ職場に供給する。
安価な給料が産み出す結果です。
新たな需要を生み出す「総合力」が試されています。
誰もが仕事を通して研鑽を積み、力をつける。
その結果、技能に見合う給料を得ることになる。
2000年の小泉改革は、企業のニーズに応えて労働力の自由化をしました。
女性も深夜働ける。社員ではなくパート従業員を抱えられる。
この結果、新たな貧困層(パートの掛け持ち、結婚できない若者)が創出されました。
社員とて、サービス残業を強いられ一家だんらんを奪われてきました。
新たなキーワードが求められています。
数々の一度だけの部分最適(補助金、災害対策)のような施策ではなく、
転ばぬ前の杖のような知恵(全体最適を見通せる)です。
東京電力の復旧が遅れた。政治家の初動指示が遅れたからではありません。
起こるべくして起きたのです。
電力会社の方々は、送電線に倒れ切断する木々の危うさに気づいていました。
今がよければよい。面倒は後回しにしたい。
成績重視の株主総会を切り抜けることが優先だったのです。
現在、社長をし重要なポストを任されていても、
先の見通しができない賢人たちは、歴史に糾弾されることになるのです。
自分さえよければよいという、エリートは必要とされない。
みんなが常に準備ができている「ワンチーム」が求められています。
これ以上やっても誰も褒めてくれない共産主義ではありません。
富が集中する個人のパーフォーマンスでは、到底乗り切れない。
全体力をアップさせる「総合力」です。
我が家も二人だけのワンチームです。
時によっては、二人が三人になり、家族となります。
要が必要です。要の人のリーダーシップがワンチームを作ります。
誰もが理解できるキーワードを発信できる人のことです。
小さな成功を実証し続ける人のことです。
次の世代に渡せる人のことです。
わずかな時間を割いてでも書いておきたかった。
ひとしずく やがてせせらぎ 大河なり
2019年9月29日
<<投稿後>>
街頭録画という番組を観た。
誰もが主人公のストーリーを話されます。
これが沁みる話なのです。
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絵のタイトルは、「清楚」です。
描かせていただいてありがとう。
産毛まで表現したかった。
今日のタイトルは、「感謝」です。
空き家を語るのに、空き家の実態を知らなければと空き家に住むことにした。
なぜ過疎になるのか知りたかった。草刈をする毎日である。
「暮らす」ということを身をもって知ることになった。
暮らしの中で汗を流すことが、これほど気持ちがよいことと知ることができた。
いつしか仕事ではなく、普通のことになった。
地域おこし協力隊として、この地に赴任した。
選んだ空き家は、凄まじいほど荒れていた。
どこが傷んでいるのか分からないほど、煤けてゴミが散乱していた。
普通に住めるようにするのに半年かかった。
ごみを出し、修繕をした。
どうして、家賃を払う側が片づけ治すのか理解できなかった。
庭も畑も伸び放題の木々と草であった。
来た翌日に、近所の方から道に出ている木をすぐに切れと言われた。
その通りだが、釈然としなかった。
仕事でなければ、当然のごとくこんなことはしなかった。
まさに、開墾の日々であった。
私が働いていた市役所の方も近所の方も、私を採用した方も手伝ってはくれなかった。
生きる。
そのために働く。
ただただ、夢中だった。
周りの空き家の草ぼうぼうが気になり始めた。
かつては栄えた道も伸び放題の植木や草でトンネル状態であった。
まともに通れるまでするのに半年かかった。
陽を遮る無駄に高い木も伐った。
湿気が多いので、森に生える下草も掃った。
近所の方が、「私も気にかかっていた。通れる道になった。」と感謝された。
その後、草を刈る範囲はさらに広がり、5軒の空き家の草刈をしている。
都会に住む空き家の持ち主は、草を刈らなくてはと気を揉まなくてもよい。
仕事で精いっぱいの人も、草を刈らなくてもよい。
なんかなあ。
なんとなく嬉しいのです。
損得勘定がない。
この方がよいと、身体を動かす。
空き家の持ち主は、私がすることに誰も苦情を言いません。
過疎だから、地域おこしをする。
人を呼ぶためにイベントをする。
それも、地域外の人が訪問する機会を増やす効果がある。
県道から入った辻が桃源郷だったら素晴らしい。
ほんの小さな通りです。
でも、訪れた人が気持ちがよい。
近所の人がさんぽ道として、選んでくれる。
たまに都会から来た人が、緑に癒されると空気を吸い込んでくれる。
私のささやかなイベントです。
森の中にある小さな茶屋(カフェ)で、美味しいコーヒーが飲めて美味しいパンが食べられる。
月給2万円の妻が、料金をあげないで頑張っています。
私達は年金生活者です。
好き勝手な人生を生きています。
森のなか 孤高でない 歓びに
2019年9月26日
<<投稿後>>
妻が、「はよせよ」とせかします。
やることが、あるのです。
貯金が少しだけできるとよいのです。
健康と幸せの貯金です。
筆者
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絵のタイトルは、「乙女」です。
美人だとは分かっていました。
口元の笑顔ともはにかみともとれる表情を抜きたかった。
今日のタイトルは、「挑戦」です。
乙女の肌は、皺ひとつない。
カメラを見る目が初々しい。
ドキドキはしません。
描けるかなと挑戦の時間です。
口元がなんとも可愛いので、唇から描き始めました。
眼を入れるのがやっとの構図となりました。
夜中に起きだして、似顔絵を描く。
私に許された時間です。
今日も、挑戦ができてよかった。
それだけです。
似顔絵を 渡すその日は 彼岸花
2019年9月24日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/d3/0e573c8cefe58e274e7b436305a90003.jpg)
今日は、この絵です。タイトルは、「金目鯛」です。
いただきましょう。
約10日振りの投稿となりました。
早朝に起きることができない。
書くことができない大きな要因でした。
どこかで時間を作ってと思うものの、気づいたら夜になり飲んでいました。
今日のタイトルは、「進化」です。
女の子とデートする。
過去の武勇伝ばかりを話す男は、飽きられる。
60歳を過ぎて、外国の企業にスカウトされる。
大きな会社の中枢で働いていたのを見込まれて、肩書を与えられて仕事をする。
持っていたスキルを伝えきったところで、解雇される。
一年ももたないのである。パートナー(共同経営者)には、なれない。
職人は、人生の最期まで終わりなき挑戦をする。
仕事を離れた(退職など)者も同じです。
仕事でないこと(妻の手伝いなど)に挑戦する。
過去の武勇伝など、仕事場以外ではなんの価値もない。
価値がないはずであるが、困ったときのポータブルスキル(なんとかする力、コミュニケーション力)
だけは生きるのです。
「進化」は、種を残せる若者の特権ではない。
老人だって、「進化」なしでは生きていけない。
近づく病気や死だって、初めての経験です。
大病を乗り越えてこそ、強くなる。
私は、年齢を理由に挑戦するのを躊躇しています。
子供に米を送った。身の回りの自家栽培野菜も一緒に送った。
自家製ジャムやパンも加えると20品目以上になった。
子供も小さな家族である。少しずつにした。
挑戦の爪痕を見る想いがした。
爺婆が、新たな苗木を植える。桃栗三年、柿八年。
自ら収穫することが無くても、苗木を植える。
ましてや、子どもが収穫することもない。
それでも植える。なぜなら、植えたいから。
私達は、日々「進化」している。
時計の秒針と同じくらい時を刻んでいる。
時には、秒針にぶら下がりたい時もある。
秒、分と時間が一年と同じくらいと混同してしまうこともある。
それでもよい。生きているんだから。
武勇伝を語るほどの時間がない。
次から次に新たなことが始まる。
カフェの来週も予約で埋まった。
寸暇を惜しんで草刈をし、季節の変化にやっとこさ追いついている。
秋が来たら、冬の準備である。
その前に、ちょっぴり楽しい芋煮会もある。
この挑戦こそが、「進化」である。
同級会に出ることがある。
50年の刻は、残酷でさえある。
生きたものと生かされたものは、格段の差がある。
それも過去。
今日そのものが、試される。
そんな風に生きていきたい。
進化とは 親下と書くも 真価かも
2019年9月23日