故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

楽しいこと

2019-05-31 02:52:31 | よもやま話

のほほんと惰眠をむさぼる犬です。
正午と夕方5時に、地域のチャイムが有線から流れます。
やおら立ち上がり、空を向き遠吠えを始める犬です。
終わると誇らしげにまた横になります。
昔はオオカミだったのよ。


生きている。
何かやれと、背中を押されているんでしょう。
今日のタイトルは、「楽しいこと」です。

皆さんも、何かの心配事や辛いことを抱えておられます。
ある人は、ピアノを弾いたりして自らを慰めたり、傍にいる人を励ましたりするでしょう。
ちょっぴりうまくいくことと、少しだけ楽しいことがある。
私はピアノを聴くのは楽しいが弾けません。
音楽は神様からの贈り物です。
言葉の違いを超越するものかもしれませんね。

私は、文章を綴ったり似顔絵を描いたりします。
広く深く、人々の心は打てません。
一人だけでも良いでしょう。
妻は、安心しきって寝ているように見えます。
それで十分。

兄のこと、義兄の家のこと、子どもたちのことと心配事はつきません。
草のこと、野菜のこと、カフェの経営、生きることと
怒涛のごとく静かな波のごとく迫ってきます。
動けば、解決することばかりです。
動けるように、楽しいことをしたり考えるようにしています。

あなたの気持ちを落ち着けたり、向上させたりするものは何ですか。
きっとありますね。
簡単なことです。
楽しいことを思い出し、少しだけ浸ることです。
不思議に、また頑張ろうかなと思えるようになります。
その扉だけは、開けておきましょう。
いつでもどこでも扉は開きます。
だいじょうぶ。と言い聞かせています。

鐘の音に 遠吠えしては 血が騒ぐ 

2019年5月31日
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一緒に食べる

2019-05-30 03:46:35 | よもやま話

笑顔も素敵とタイトルをつけました。
この方の笑顔を見たことがありません。
どうしたら、笑わすことができるのでしょう。


昨日は、いじめについて書きました。
今日は、「一緒に食べる」というタイトルにしました。
腹いいっぱいになったら、悪さはしない。
この言葉は、多くの真実を含んでいると思います。

若い時、外人と一緒に食事をするのが苦痛でした。
理解できないまま、笑顔で答えるのが自分をゆがめるように感じました。
今は、平気です。三語英語で話しかけます。すると三語英語で返してくれます。
分からない単語は、なに?と聞きます。優しい言葉に変えてくれます。
何度もそのやり取りをします。生きた語彙力がつきました。

ここでも一緒です。方言と思われてない言葉が会話に出てきます。
すぐに、なに?と聞きます。少し赤くなって応えてくれます。
ドイツ語の発音が、完璧にできていると褒めたたえます。
すしとすすの違いがよくわかりません。これがドイツ語的なのです。

さて、「一緒に食べる」でした。
食べる前に、食材を一緒に収穫します。
収穫する食材を一緒に栽培するともっと良いでしょう。
栽培し収穫したもので、料理を一緒にします。
そして、一緒に食べる。
気の長い話です。
これで、悪さをする子が減ったと聞きました。
ものに対する感謝が芽生えたり、作ることの困難さを学ぶ機会になるのです。
一緒に作るときは、友達どうしが協力しなければならない。
大人のアドバイスを聞くと美味しくできたりする。
そして、腹がくちる。満足です。

食事の時に、会話をします。
一連の作業の中で、分からないことを素直に聞けます。
知っている子もいれば、知らない子もいる。
だれも較べたりしません。威張ったりも卑下もない。
誰(子供も大人も)にも完璧にはできないからです。
知っている子も最初は知らなかっただけです。

勉強のできない子ができる子に教わる。
勉強のできる子は、かけっこを勉強ができない子に教わる。
誰でも得意分野がある。それを認める。そして助け合う。
きっと、そんなことでぎすぎすが解消され、悪さも減っていくのでしょう。
自由に話せる場があり、誰もが自由に話す。
野菜を育て、収穫し一緒に料理をし食べるうちに、会話が楽しくなるのでしょう。
こんなプログラムを荒廃する学校に取り入れた、アメリカの話を聞きました。

私達は、良かれと信じアドバイスをし矯正しようとします。
自分の考えとやり方に巻き込む行為です。
一緒に学ぶ。ベターではなくグレートを目指す。
誰もが到達できないから、一生懸命になる。
一人のベターを分かつことで、グレートに近づけるのです。
怒ることはどこにもありません。
だって、教える人も教わる人も到達できないのだから怒る必要がない。

今日からテレビを消して、妻の話に聞き耳を立てます。

仏法僧 今年も森で 風抜ける

2019年5月30日
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孤独

2019-05-29 08:31:42 | よもやま話

本文とはまったく関係ない。
絵のタイトルは、「堂々と」です。
そう、堂々と生きておられます。


今日のタイトルは、「孤独」です。
孤独とは、
みなし子と老いて子なき者。
仲間のないこと。ひとりぼっち。
(広辞苑より)

いじめの問題がよく報道される。
加害者の孤独について考えた。

それより前に被害者のことを書こう。
ある時期、突然無視される。話しかけても無視される。
無視され弱っているものにいたずらをする。
反応が薄いとエスカレートする。
被害者は堪らず、誰かに相談する。あるいは、SOSを発信する。
相談した人から我慢しなさいと諭される。
我慢を通り越しているから相談した。
なかったことにする。傷は、一生涯癒えない。
助けてくれなかった人のことも忘れない。

犯罪者の再犯率は高い。
刑務所から出てきてまともになろうと職に就く。
なまった身体はいうことをきいてくれない。
過去について語れない。
刑務所の中の話に、入っていない人は誰も興味を持たない。
話す相手がいないと、人は孤独になる。
共感してくれるのは、昔の仲間である。
刑務所の中の苦労を共に話せる人は少ない。
また元に戻ってしまう。

いじめの加害者には、仲間がいた。
自分が被害者になることを恐れて、仲間となっている。
徒党を組んで、思い通りにふるまう。
徒党もいつしか離れ、一人になる。
誰も被害者になりたくないから、知らぬふりをして近づかない。

誰にも間違いはある。
間違いを、ことさら公にすることも必要ない。
人は、加害者だったことを忘れてしまう。
しかし、被害を受けたものは一生涯忘れない。
誤解であっても、その時受けた心の傷は忘れない。

小さな間違いのうちに、正すことができたら救われる。
自分でも気づかない加害について、正すことはできないものか。
ひょっとしたら、加害者は病気(精神疾患など)かもしれない。
もつれた糸(過去のダメージ)をほぐすことかもしれない。
腹がいっぱいになったら、「悪さをせんのんじゃけえ」と
不良にご飯を食べさせるおばさんがいた。
幾人かの不良は、また悪さをしたかもしれない。
おばさんは、ご飯を食べている時に話を聞いていた。
それはこうじゃないん。と一つずつ答えていた。
あのおばさんに助けてもらったと、一緒になった妻と訪ねて礼を言った。
これも一生涯忘れぬことだろう。

孤独は、なにも解決にはならない。
かと言って、相談したのちの裏切りも怖い。
悪いことも良いことも聞いてくれる人がいるとよい。
会社の愚痴は妻に話す。
私はそうして生き延びてきた。
親身かどうかは、別のこと。
まずは、話してみよう。
自ら解決の糸口とさらに戦う意欲が湧いてくるかもしれない。
そして、私たちはおばさんのようにご飯を食べさせてあげよう。
腹がいっぱいになったら悪さをせんのんじゃけえ。

ありさんに 大変じゃねえと 幼子が

2019年5月29日
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再検査要の夢

2019-05-27 15:10:24 | よもやま話

絵のタイトルは、「宴も半ば」です。
夢中でむさぼって食べました。
美味しいものが、こんなにもまだ残っています。
もう食べ飽きた。
仲間と一緒に、少しずついただきませんか。


今日のタイトルは、「再検査要の夢」です。
急に暑くなり、脳が沸騰しそうです。
今日は、年一回の健康診断の日でした。
初めて、会社が用意しない健康診断を受診しました。
変な言い方ですが、まともな検査内容でした。
国民健康保険もなかなかです。

検便を採集し、採尿までの間に、再検診オンパレードの夢をみました。
これから受診する前の夢ですから傷つきました。
健康保険センターで、7時半から受け付け開始なのに、7時に行ったらすでに50人ほどが並んでる。
50人は座れる椅子が準備されていた。
一人受付するごとに、椅子を順繰りに前の方に移動します。
よっこらしょと立ち上がり、また座る。
繰り返すうちに、汗がでて来そうでした。

わしは大丈夫、すぐに出るからと下剤を飲まなかった人がいた。
2日経ってもバリュームが出てこない。
その方は、病院に行き、固まったバリュームを壊してもらったそうです。
会社勤めの頃は、下剤を飲むタイミングが重要でした。
検診の病院から会社までの間に、もようしたら悲劇です。

「再検査要」の診断結果が出ても、無視し続けてきました。
そろそろ、そうはいかないでしょう。
家族からの「再検査」の奨めも強くなることでしょう。
早期なら助かったのにという噂をよく聞きます。
若い時は、死の苦しみなんて無縁でした。
近くで身内や友人の戦いを見るうちに、怖くなってもきました。

保険センターは、デイサービスもしていました。
遠目に、知ってるおばさんもデイサービスに参加していた。
デイサービスの職員が話すことには、耳を傾けていた。
しかし、たまたま隣り合わせた人との会話は進まないようだった。

健康でいるための努力をしようと思った。
要検査にも対応しよう。
家族と一緒にこれからも過ごせるように。

オトシブミ 詠み人知らず 葉に隠れ 

2019年5月27日
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償い

2019-05-26 04:01:08 | よもやま話

あんたが好きよ。
絵のタイトルです。
私に何を書かれるか戦々恐々の方でした。
あんたも私も同じむじなです。


今日のテーマは、「償い」です。
なにしろ、殺人者になった夢をみた。
心当たりがないわけでもない。
塀の向こうに行くのを覚悟したところで、目が覚めた。

償いとは、
つぐなうこと。また、そのための財物。埋め合わせ。
(広辞苑より)
荒木とよひさ作詞、三木たかし作曲、テレサテンの歌「つぐない」が思い出されました。
さだまさしの「つぐない」とは少しちがいます。

愛をつぐなえば重荷になるから
この町を離れて暮らしてみるわ
お酒飲むのもひとり
夢を見るのもひとり
あすは他人同志になるけれど
(歌詞より抜粋)

この詞は、一緒に暮らした男と女の別れを謳ったものです。
重荷がなんなのか考えてみました。
一緒に暮らし、別れを切り出された男への心の負担でしょう。
何をするにもひとり。
私には、このほうが重荷ではないかと考えます。
一人だけで背負おうとしているように感じます。
それだけ、愛が深かったのでしょう。

仮に、夢のように罪(殺人)を犯したなら償うのは当然でしょう。
塀の向こうは、怖いけど、行くしかありません。
それより、どんなことで埋め合わせができるかを考えました。
さだまさしの「つぐない」では、7年間被害者の奥さんへ送金し続ける。
7年後に、奥さんから「亡くなった夫を思い出すからやめて欲しい」と便りが来る。
自分のために使って欲しいと優しい言葉も添えられている。
埋め合わせが先に来たなら、罪など犯さないでしょう。

罪にはならなかったけど、罰と感じたことは数限りなくあります。
正しく生きては来られなかったという想いです。
何をしても償いにならないとわかっています。
良くなかったな。と孤独になるのは当たり前のことです。
誰にも過ちはあると理解できます。

さらに罪を重ねて生き抜くのか。
埋め合わせを少しでもしたいと、生きていくのか。
死んだとしても、犯した罪は消えない。
制限速度で走る人はいない。
邪なことを考えぬ人もいない。
残念だけど、それが自分です。

斜に構えることだけはやめよう。
生きている限り、正面から風を受け続けようと決意をあらたにした次第です。

飲み助の 寿司おり一つ 埋め合わせ

2019年5月26日
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