
絵のタイトルは、「平和」です。
昭和記念公園で見たように記憶しています。
今日のタイトルは、「ブログを書く」です。
私は生きている。
恩返しがしたくても、返す人はもういません。
福島原子力発電所が爆発して、放射能がばらまかれました。
放射能被害を受けた地からの援助は、残留放射能を懸念して受け取ってもらえませんでした。
世界的に優先事項である炭素排出量を削減のため、当面は原子力発電所に頼らざるを得ません。
この二つの命題に真剣に向き合い、日本政府は当面の結論としました。
今日は、8月6日です。
80年前、広島に世界で初めて原子爆弾が戦争で使用された日です。
未だに核抑止力という牽制で、均衡を保つ選択をする国も多くあります。
一方、落とされた広島の人たちは、語るには余りにも恐ろしいから沈黙を続けてきました。
今語らなければと、恐怖に打ち勝ち話をされる老人がいます。
戦争に行った半分の戦士たちは、病気と飢餓で命が絶たれました。
今を生きる人たちも分かっていながら、国益優先を唱え世界各地で戦争は続いています。
飢えをしのぎ、経済発展のため、仕事を求め人々は都市に移住しました。
地方は、存続さえ危うい過疎に喘いでいます。
都市に住み夢を追った人たちは、コロナで扉を閉ざし、語り合うことを避けました。
都市の周りで開発された住宅団地も、今や過疎で交通機関もインフラも途切れがちです。
どうしてなのでしょう。
いじめっ子だった者も、杖をつき、押せば倒れる老人になりました。
長い年月が流れ、どうだったかの答えが少しずつ明らかになっています。
林芙美子が小説(日記のような)にあらわした生きざまが劇や映画にされます。
夢を持つことが限られる世の中です。
それでも生かされていると、人々は懸命に生きています。
私は、少しだけ笑えることを日々探しています。
笑うことができる人は、希望を少しだけ紡げるからです。
ある人の正義は、相手にとっては悪になる。(朝ドラ「あんぱん」でたかしが言いました)
双方にとっての正義は何なのか皆が探し、知恵を絞っています。
原爆が投下された8時15分に黙とうしました。
あきらめないで語り継ごうと松井市長が世界に向かい宣言されました。
手話の通訳士が、ろうあの方々にも伝えていました。
私は生かされています。
ブログを書くことで、一緒に感じましょうと伝えています。
年齢を重ね、絶え絶えになっています。
生きるごとに、後悔の山が高くなり、平らになることはありません。
そんな自分でも、出来ることを続けたい。
2025年8月6日