故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
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タイトル通りです。
今日のタイトルは、「長州と会津」です。
やられた方は忘れることが出来ない。
会津百万石は、今でも官軍憎しでしょうか。
山口県からお客様がありました。
地元の応援団とセッションをしました。
「分校が本校を吸収」した話を熱心に聞かれていました。
話す方にも聞く方にも、明日は我が身の切実感がありました。
せっかく始めた「温泉」も今は休業状態とのことでした。
昨日は、会津で開かれた「広島県人会」に出席しました。
カープ応援歌を高らかに歌いました。
広島色を出し過ぎては店に迷惑がかかると、休店日に行われました。
山口も広島も、今は出た故郷です。
都会に住み、故郷のことを忘れたくないと言う気持ちの表れだと思います。
共通点は、それぞれの故郷の言葉を時として封印されて生きて来られていました。
広島弁を面白がられることに反発を感じた。
広島県人会では、大いに広島弁で話されていました。
家では、広島弁は親父さんが怒った時に使われると、
会津弁の子供達は感じられるようでした。
広島を出て数十年。
会津弁の子供達の故郷は福島です。
親の故郷は広島。
時々混乱されるようです。
ルーツのことです。
世界に出張した時、中国人や韓国人とよく間違われました。
少しむっとして、日本人だと言い返しました。
無理もありません。
東北からは、広島も山口も一緒です。
アウェーの会津で皆さん根を下ろされていました。
頑張ったんだと思います。
長州と会津のセッションはやめとけと、広島県人会の方から忠告されました。
私は勧めるつもりです。今更官軍でもあるまいに。
故郷は、日本であり世界であり地球です。
原爆2世の私達は、原発のアレルギーは少ないと言えます。
福島に到着した時言いました。
それもそうだなと、地元の方は納得顔でした。
長州と会津の混乱の三日間でした。
投下後の 咲かぬ焼土に 夾竹桃
2017年6月30日
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すぐ前が海。
毎日のように海で遊びました。
満潮になれば釣りをし、
干潮になれば貝を掘り飽きることがない海遊び。
親がやるように子供は真似をしました。
今日のタイトルは、「草刈りとゴルフ」です。
ここに来てとってもよかったことがあります。
ゴルフ場まで10分で行けます。
3時間かけて、プレーをして帰ったら暗かった。
今までのゴルフは何だったの。
練習場で打つお金で、プレーができる。
草刈りもしないで、芝刈りばかりしています。
定年退職したらゴルフ三昧です。
家の前の草刈りは二の次になっています。
少子高齢化で負の遺産が子どもに引き継がれています。
すまん。と言いながら今日もゴルフです。
この辺りの人は、草が伸びていると恥ずかしい。
柿の実がついているとやはり恥ずかしい。
それでももう放ったらかしにするしかないと開き直っています。
空き家が見えない位、草が伸びています。
心がなんとなく痛みます。
経済が立ち行かない。
銀行は支店を畳み、スーパーは閉店です。
手押し車にすがりながら、ばあちゃんがコンビニまで通います。
一日、3便のバスは頼りにならない。
少ない人口の中から、毎年百人単位で減少する。
子供を通わせる小学校から中学まで統合が始まる。
15の旅立ちと言って、高校生は隣町に下宿する。
うーん。
ゴルフをやめて、草刈りをした方が良い。
卒業した高校が廃校になる。
どこそこ高校の卒業生じゃなければ、相手にしない。
と馬鹿なことを言っておられるのも今のうちです。
子供が住める環境を維持しようと、婆ちゃんや爺ちゃんが子どもを迎えに行きます。
何とかしなければならない。
労働力が不足するなら外国人労働者を雇えばよい。
安い米と冷凍野菜を輸入すればよい。
草刈りよりゴルフだ。
とはいきません。
そんなことを話す今晩の飲み会です。
はるばる山口県から来られます。
分校が本校を吸収した実績を引っ提げて来られます。
会津と長州。危険な匂いがします。
草を刈れ 先の空き家を 開けてやれ
2017年6月27日
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障子に映ったベランダの野菜の陰です。
開ければすっきりするのに、いつまでもぐずぐずしていました。
夜中に川崎にいる義兄から電話がありました。
気づいたのは早朝でした。伝言に「腹が痛い」とありました。
以前、緊急入院して一命が助かったこともあり、訪問看護の方に電話しました。
早朝にも関わらず電話に出てくれました。
朝一番に訪ねてくれると言ってくれました。
一か月前から、時々腹が痛いと言っている。
医者に何度か診てもらっているが、悪いところはないとも教えてくださいました。
ありがとうございます。
今日のテーマは「記憶を辿る」です。
昨夜食べたものではなくて、今朝のものを忘れてしまいます。
毎日の感情の変化なんてとても無理と、ブログを始めました。
仕事の関係上、一週間分の活動報告をしなければなりません。
週初めのことを週末にするわけです。
これは、なかなか大変なことです。
売上伝票や買い物のレシートなどをヒントに記憶を辿ります。
まだまだ覚えているもので、安心です。
年寄りになり記憶能力が落ちてくると、突然若い頃にフラッシュバックするらしい。
どの年代の記憶も乏しいと言えます。
特に、仕事の記憶があいまいです。
刺激が少なかったんでしょうか。
苦労話ばかりが、記憶として残っています。
記憶を残そうと思い出の品やメモを取っていました。
かみさんが亡くなった時、新しい妻と出会ったとき多くのものを整理しました。
子供達に残すものを念入りに整理しました。
なんのことはない。ダンボール一個にもなりませんでした。
記憶にしがみつくことも止めました。
一年以上使わぬ物、音信不通の者。
全部捨てました。
新たな出会いはあるもので、心配は必要なかった。
それでも、「記憶を辿る」ことをしなければならないことがある。
あの人は誰だっけと、話す前に大いに心配をします。
問題ありません。
面と向かったら、その人の名を呼んでいるのです。
いつからか、自分で覚えるのをやめました。
このことは、誰に聞いたら良いかだけを覚えるようにしました。
聞く相手が、少なくなってくるんでしょうね。
記憶の壺は、常に満タンです。
溢れるものを心配しても始まらないと開き直っています。
次に捨てるものは何かと楽しんでいる次第です。
捨てる神 拾う神あり 雨に晴れ
2017年6月26日
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広島市内の的場から猿猴川を渡って広島駅に向かう。
猿猴川にこのボート小屋があります。
ドーム行きと看板がかかっています。
原爆ドームのことでしょう。ドームまでの渡船があると言うことでしょう。
20歳まで広島で暮らしました。
学校と家の往復をしただけでした。
広島のことをよく知っているかと問われれば、
甚だ心もとないのが実情です。
今日のテーマは、「田舎育ちの田舎知らず」です。
日本人が、日本語を理解できる。
広島弁を理解できるから広島出身と言っても良いかもしれない。
都会に住んでいても、近所の人と話す機会は稀でした。
会社と家の往復の生活でした。
海外出張しても、ホテルと会社の往復でした。
国内出張も、同様でした。
高知県と和歌山県以外の日本中を仕事で歩きました。
この地に来てわずか一年です。
地域との関わりは、経験のないほど濃密です。
関わらないと生きていけないからです。
今まで何をしてきたんだろうと言う思いです。
浮草人生でした。
何度か書きましたが、この地へ来てよかった。
都会で暮らしていた頃は、休日は一日中家でごろごろしていても良かった。
ここでは、それは出来ません。
休みの日は、畑や家のこと、また地域のことを手伝います。
何が良かったのか。
何が悪かったのか。
お金に使われていたように思います。
お金(自分のため)にならないことはしない。
これは極端な言い方です。
田舎育ちが田舎を知らないこともある。
都会暮らしが、都会の良さを実感できないでいる。
お金が介在しなくても、楽しいことがある。
お金が無くては何事も始まらない。
このさじ加減でしょうか。
何か気づいたような、するりと逃げたような感覚です。
無理するな 一日一歩 ゴーヤのび
2017年6月25日
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母の法事で久しぶりに会った従兄です。
上手に皆さんの話を聞かれていました。
何が上手なのか。
今日のテーマは、「一人と話し込む」です。
若い頃は、多くの人と話しの輪の中心にいるようにしていました。
やらかすことも半端ではなく、犯罪に近いことも幾度となくやらかしていました。
公安警察に、「今晩泊まっていくか」と脅かされたり、
起きたら、バス停で大勢の会社員が私の顔を覗き込んでいました。
昨夜動かしたバス停のコンクリートを枕に寝てしまいました。
飲み会の幹事を任されて、飲み会のお金と同じくらい店の破壊料を払ってきました。
面白い奴だと皆からはやされて大いに羽目を外していました。
亡きかみさんが、総務課長に私との結婚報告に行くと、
あいつだけはやめとけ。と諭されたそうです。
いつしか大人になり、一人と話し込むようになりました。
大人と言っても最近のことです。
知らない人と友達になる。
胸襟を開き、とことん話を聞く。
そんな訳で、初めての会ではあいつは何者となってしまいます。
昨日がそんな夜でした。
お前のやっているカフェに行こうとなりました。
総勢11人が妻の運転する軽自動車のピストン輸送で乗り込んできました。
今日はレンタル料だけで後は店のサービスと、
酒と肴(お好み焼きとつまみ)を出しました。
飲むこと騒ぐこと、階段から落ちる者。
皆さん、どこかで何かの会社の社長さんばかりです。
とことん話したゴルフの先生が、集めてきたよとレンタル料を渡してくれました。
会も終わりの頃、みんなからさらに集めておいたよ。
と飲み代を置かれて行きました。さすがです。
小さな田舎の魑魅魍魎(山の怪物や川の怪物。さまざまのばけもの。広辞苑より)の
世界です。酔っぱらっていない時に、似顔絵にしてお礼をしましょう。
「一人と話し込む」でした。
月夜寺 狸と狐 ぽんぽこぽん
2017年6月24日