故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

曖昧(あいまい)

2018-06-30 08:01:04 | よもやま話

絵のタイトルは、「楽しかった」です。
落ち葉のようなものを描いています。
どう楽しかったのか思い出すことができません。


今日のテーマ「曖昧(あいまい)」に挑戦です。
曖昧とは、
はっきりしないこと、まぎらわしく、確かでないこと。
(広辞苑より)

「あとでね」と飲み屋の女将に言われたことがある。
密かに思いを寄せる女性の言葉である。
女将からの連絡を待ちながら、携帯電話を握りしめたまま、朝になっていた。
後に判ったことだが、「あと」とはこれから未来永劫のことらしい。
もっと言えば、「またね」ということらしい。
「あとでね」と耳元でささやかれて舞い上がるのが悪い。

積極的な意味として、「曖昧」を考えてみよう。
私は、感動を写真ではなくて絵にします。
絵にすることで、自分自身が感動は何処にあったのか確認します。
目なのか、口元なのか、全体的なバランスなのか自分なりに掴めるものです。
気になる部分から描きはじめ、広げていきます。
おのずと、全体像は画面からはみ出ています。
写真は、見たくないものまで写ってしまう。
人間の目は、見たいものを自然と抽出させるものです。
遠くに見える富士山が、やけにくっきり見えたように感じるのもその一つだと思います。

次に文章です。
私は、固有名詞や地域を特定する表現をあえて避けています。
最初は、迷惑をかけてはいけないという思いからでした。
歌の文句じゃないけれどと、歌詞を引き合いに出すことがあります。
これは自分の気持ちを例えとして表現するために使います。
歌詞に抱くイメージは人それぞれです。
歌の文句を引き合いに出すのは、逆効果のようですが、曖昧な気持ちを伝えるには良い試みです。
その人が感じる答えとなって、符に落ちることになります。
阿久悠の詩は、五感で感じさせるから浸透するのだとも言われます。
たぶん、具体的に事象を把握させようとしたのではないと考えます。
より情景を思い浮かべさせるために、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚に訴えて広げたのだと思います。
感じることを詩にしたらそうなったのかもしれません。

最後に人生です。
若い頃、岐路に立った。
迷わず道を選んだと言われる方は少ないと思います。
先のことなど判らない。つまりとても「曖昧」です。
転職を繰り返し、思ったことは次の言葉に集約されることに気づいたのは、10年くらい前のことです。
農業に科学技術を取り入れて、1000万円稼げる仕事にしたいと、大学の工学部の機械科を選択しました。
生涯を通して、「食」に関わる仕事をしたように思います。
農業の機械化、食品の加工技術、食品工場の全体最適、先を見据えた幅広い提案営業、
工場を作る側から運用する側でのエンジニアリング、そして今は「食」で地域を活性化しようとしています。
スタートは、とても曖昧なものでした。
幼い頃、信号もない瀬戸内の島で見たものは、世界に通じる海でした。
広々とした大地を感じるここでは、空が世界に通じている。宇宙にさえと感じます。
とても曖昧な人生です。

40歳を前にして転職したときは、「自分にはこれしかない」と覚悟しました。
60歳で出席した同窓会で見たものは、経年変化した同級生の多くの顔の中に、
一人だけ若くなっている女性の顔を見ました。
こんなに魅力的な人だったのかと思ったものです。
つまり、見ていなかった。
知らなかった。
気づこうとしなかった。
といろんな思いが錯綜しました。
長く生きていると、若い頃見えなかったものが見えてくるようになることがあります。
表面しか見ていなかった。
内面も見えるようになった。
だから人生は面白いとも言えます。

「曖昧」は、ネガティブな字面であり言葉です。
本人さえ気づかない脳の奥底に潜んでいる感覚なのかもしれない。
言葉では説明しきれない感覚です。
こうして見極めようと書いています。
少し違うんだけどな、と思いながら記録として残しています。
句読点にさえ、気を付けながら書いています。
私は、曖昧さこそ大切な感覚だと認識しています。

娘の花婿に、「娘のどこがよくて結婚したの」と尋ねました。
密かにこんな娘をよく選んだものだと思ったからです。
酔っぱらっていたので、「私なら選ばないな」と付け加えてしまいました。
大いに、娘に怒られました。
彼は、一生懸命娘の良いところを説明してくれました。
私は、これが気に入って結婚に賛成しました。

今日のテーマは、「曖昧」でした。

好きになり あばたもえくぼ お墓まで

2018年6月30日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

価値

2018-06-29 07:22:30 | プロジェクトエンジニアー

沖縄に行くと、屋根や門の上によく見るシーサーです。
家々の守り神です。


今日のタイトルは、「価値」です。
価値とは、物事の役に立つ性質・程度。
経済学では商品は使用価値と交換価値とを持つとされる。ねうち。効用。
(哲)「よい」といわれる性質。「わるい」といわれる性質は反価値。
広義では価値と反価値を含めて価値という。
・人間の好悪の対象になる性質。
・個人の好悪とは無関係に、誰もが「よい」として承認すべき普遍的な性質。真・善・美など。
(広辞苑より)

価値について考えています。

2018年4月29日投稿記事「草を抜いたら、気持ちが晴れた」を参照してください。、
私の地域おこしの原点は、「価値を高める」です。
誰もが、「おらが村」の自慢をしたくなる。
これが、とっても大事なことだと考えています。
(抜粋)
「価値を高める」ということは、自分のなかでは、
「個人の好悪とは無関係に、誰もが「よい」として承認すべき普遍的な性質。真・善・美など。」
(上記広辞苑説明より抜粋)が近いと言える。
夏祭りの準備で、多くの人から「次は何を手伝おうか」、「俺にもやらせろ」と自然に言葉が出た。
説明しがたい「おらが村」の夏祭りへの想いを表しているように思いました。
他のイベントでは、このような言葉は聞かなかったように思う。

実は、こんなに素晴らしい誇れることなんですと再発見する。
そうなのか、我々には普通で当たり前のことだけど。
先輩は、道路に落ちているゴミを見て見ぬふりをしたらしい。
先輩のお父さんは、それを見て怒ったそうです。
落ちているゴミは、きりがないほどある。
一個でも拾う。
この一個を拾うことができない。

この一個を拾おうと呼びかける。
ある町で、昔の屋号を家の前に掲げたそうです。
街がきれいになっていくように思いました。
屋号を掲げた家々が競って我が家の前をきれいにするからです。
そこを通りたいと、旅人は思うようになりました。
屋号は、その家にとって価値だった。

誰もが、「おらが村」の自慢をしたくなる。(抜粋)
かつて、若い消防団員に、毎日の仕事があるのに大変だねと聞くと、
「今度は俺たちの番だ。親父たちがやってきたことだから」と言われた。
注目したいのは、「誰もが」です。
誰とは、村人すべての人のようでもあるし、通りがかった旅人も含むかもしれない。
つまりは、多くの人のこと。

昔のようには、回らなくなった地域です。
地域に住んでいる限り、回さなければならない。
どうして回すかは、人それぞれの「価値」判断に頼るしかない。
見て見ぬふりでは済まされない。
ゴミ一個を拾うか。草の一本を抜くか。
村人の気概(誇り)を小説にしてさらに高めるか。
人それぞれの出来ることになりそうです。

価値についての一考でした。

奥山の 小さき泉 守りつぐ

2018年6月29日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひぐらし

2018-06-28 05:20:05 | よもやま話

絵のタイトルは。鳴門海峡夕景です。


今日のタイトルは、「ひぐらし」です。
今年初めて、ひぐらしの声を聞いた。
松尾芭蕉が聞いた「閑さや岩にしみ入る蝉の声(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)」は
ひぐらしだったんではないだろうか。
この辺りでは、朝早くからなく。

西にいくほど、ひぐらしがなく季節が遅くなる。
広島では、9月になってから夕方に聞いたように記憶している。
馴染みのないひぐらしの声は、もの悲しく聞こえた。
あの透き通ったカナカナという旋律のことである。
夏休みの宿題が終わらない記憶が、かぶるせいだろうか。

夏には、多くの出会いがあった。
そして、秋には終わっていた。
理由はいろいろあった。
忙しくなり会えなくなった。
夏は少し浮かれてもよかった。

ひぐらしの声を聞いて、どきっとした。
甘酸っぱい記憶を思い出させてくれた。
これからの日々の静かさを考えると、少し切なくもなる。
染みついたひぐらしの記憶は、一日の終わりであって、ここのように始まりではない。

ひぐらしが始まりの声となるとは、切なすぎる。
日々の暮らしの静かさを、じっと聞き取るまで生きなきゃならない。
いずれは、「岩にしみ入る蝉の声」を聴くことができるだろう。

ひぐらしに 越し方かぶせ 前を向く 

2018年6月28日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ならぬものは、ならぬ

2018-06-27 17:18:58 | プロジェクトエンジニアー

無花果ロールケーキの絵を描いてみました。
美味しかった。


無花果入りのロールケーキを、カフェに来られるお客さんからいただいた。
それも、わざわざ自宅まで届けてくださった。
発想も豊かなら、赤色が映え見事だった。
つぶつぶが活かされた食感もよく、酸味が効いて大変美味しかった。
早朝だけど、待てずにお礼の電話をした。

今日のテーマは、「ならぬものは、ならぬ」です。
無理を重ねてきました。
草刈りに、畑仕事とカフェの営業と頑張ってきました。
それでも笑顔を絶やさぬ毎日でした。
とうとう、足がクラッシュしました。
歩けない。
溜め込んだ資源ごみを出すために、妻が一生懸命整理をしています。
本来は私の仕事です。
でも出来ない。任せるしかありません。

クラッシュは、疲れから来る蓄積疲労が原因です。
ここまであそこまでと、休日が来るのを楽しみに働きました。
やっと休める定休日の早朝に、約束していたゴルフに出かけました。
満足に歩けませんでした。
踏ん張る足が、へたりました。
付き合ってくださった友人達が、手助けしてくれて最終ホールまでできました。
ありがとう。

「ならぬものは、ならぬ」
自分の体調管理は、自分しか分からないしできない。
まずは疲れをとり、栄養を補給します。

無理を押して書く物語は、どこかでネガティブです。
読者の反応が、数字になって顕われます。
皆さん、私は元気になりつつあります。
また、フレッシュな気持ちで世相を切り取っていきます。
正直にポジティブに書くようつとめます。

唐柿を くるんで届け また今度 

2018年6月27日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

潔い

2018-06-24 08:38:30 | プロジェクトエンジニアー

タイトルは、命の水。
多くは望まぬ、水さえあれば。


この一週間、疲れとひざの痛みで毎日絶え絶えでした。
やっと、今朝になって疲れが引いてきました。
ひざの痛みがやわらいだからでしょう。

今日のテーマは、「潔い」です。
潔いとは、
たいそう清い。汚れがない。また、すがすがしい。
潔白である。汚れた行いがない。
未練がない。悪びれない。平気である。
小気味よい。
(広辞苑より)

自省してみるに、私の生き方とはかけ離れた言葉です。
清くもないし、汚れています。
未練たらたらで、おどおどして生きてきました。

人は、財産では生きていけないことが判りつつあります。
無いよりは有った方が良い。その程度です。
しかし、財産は食いつぶすのではなく生かさなければならない。
立って半畳、寝て一畳と言われます。
大きな家があっても、わずか二間で暮らす毎日です。
リビングと寝室があればよい。
大きな家を掃除することさえままならない。
二階にあがることさえ久しくない生活です。
子供たちが巣立った後は、空き部屋だらけです。

一反歩の畑を作物でいっぱいにする。
草だけでもとりたい。
植えたとて、家族だけでは食べきれぬ量の作物が獲れます。
もったいないから、新鮮なうちに都会の友人に送る。
カフェで、料理にする。
少々出来が悪くても、刻んでしまえば新鮮さが取りえとなる。

たくさんのことは望まない。
出来ぬことばかりが気にかかる毎日です。
出来ぬものは出来ぬ。
散漫になりがちな思考回路です。
しかたがない。
いつも良いことばかりは思いつかない。
あるがままとなります。

未練がない。悪びれない。平気である。
こう考えることにした。
「小気味よい。」には程遠くても、近づければ良い。

梅雨の晴れ 洗いざらしの 木綿干す

2018年6月24日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする