故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

笑顔

2015-08-31 03:48:53 | よもやま話
     榛名に向かって、やっと前橋を通過です

      
あなたは、笑顔をどれだけ数えられますか。

あの人の笑顔がキュートだった。
あの方のは、艶があった。

あの人の笑顔は、皺だらけだった。
歯が欠けていた。
目が線になっていた。

えくぼをさらに押してみたかった。
お多福だった。

こうして思い出そうとすると
自分も笑顔になってくる。

幸せな気分になってくるから
不思議です。

もう怒っている顔を思い出せない。
哀しい表情も。

笑顔を思い出そうとするだけでも
アドレナリンが出てくる感がある。

今日も可愛い笑顔に会いたいな。
渋いしわしわ笑顔に会いたいな。

はにかむような笑顔に会ったのは
遠い昔のような気がします。

クローズアップ 笑顔

アッカンベー ずっと待ってた 泣き笑い

2015年8月31日

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したたかさ

2015-08-30 05:04:42 | よもやま話
   空港から広島市内に向かう西の空

    
転んでもただでは起きぬ。
欲が深いのか、どんな時でも利益を得ようとするのである。
それが普通かもしれません。

昨夜飲みました。
皆さんの交友関係を垣間見ました。
普段は不満ばかり言っています。
でも我慢するところは、しっかり自分を抑えているのです。
生きていくうえで、大事なことなのです。
皆さんに密やかにエールを送る次第です。

もっと自分を出しても良いのではと時々思います。
そうもいかないのです。
時には長いものに巻かれなければならないのです。
時として、それが無関心で冷たいように見えるのです。
心の中で、申し訳ないと思いながらも動けないのです。
自分の立場はわきまえているのです。
その場所で生きていかなければならないからです。

ここは草が無くなったから、他の場所に行こう。
移動しても他の場所に草があるとは限らないのです。
最低限の草が保証されているなら、
一生懸命食べて、時に笑えば良いと思います。
黙っているから従うということでもありません。

いくつになっても性格は変わりません。
がしがしやっているのは、自分のスタイルです。
誰かが何かを感じてくれればよいのです。
聞こえぬ声に耳を傾けることはしなくて良いのです。

この英語訳が解らないと悩む帰国子女より、
がむしゃらにジェスチャーで聴こうとするコメディアンに、
人々は親しみを感じるのです。
結果、コメディアンは大筋コミュニケーションを成立させるのです。

朝顔の つる伸びた先 つかまった

2015年8月30日

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逡巡

2015-08-29 04:23:45 | よもやま話
    鹿島灘の夕暮れ

    
壮大な夕暮れでした。
入道雲が小さく見えたのですが、表現できませんでした。

ためらいがちにかけた言葉に
驚いたように振り向く君に

シクラメンの香り(小椋佳)の一節です。
この恋は、うまくいきそうな感じです。
真摯な気持ちが伝わるような気がします。

私は、鹿島灘の夕暮れを描くのに苦労しました。
雲にこだわると空が描けず、夕焼けらしくない空になりました。
逡巡するうちに、多くの印象を殺してしまいました。
一枚目は破りました。
仕方がありません。これが実力と描き直したものを載せる次第です。

誰しも間違いはあります。

言ってしまおう。
やってみよう。
止めておこう。

決めることです。

ためらっているうちに、機会を逃がしてしまいます。

言わなきゃよかった。
やらなければ後悔しなかった。
止めないで実行すればよかった。

こうなるのです。

どちらも自分の一部です。
本当の姿です。包み隠せないのです。

今回の絵で、初めに何が描きたいのか決めないで入りました。
私は、これが印象に残ったのでと、いつもはその部分から描きはじめます。
今回は一番伝えたい事を決めないで描きはじめました。
だから、いろんなことで迷ってしまったのです。

当って砕けろ。と言う言葉があります。
私の恋は、轟沈ばかりでした。
でも、次の恋に行けました。
それまた上手くは行きませんでした。
仕方がありません。アピール度が足りなかったのです。

絵は、最初にのせた色が正解だと感じます。
迷いなくえいっと描けば良いのです。
多少違っていても、その色は生きるのです。
バランスが取れるからです。

ためらうと雑念が次から次に湧いてきます。
選択肢が増えていき収拾がつかなくなります。

いつも夢中になって描いています。
決して上手ではない絵です。
こんな風に感じた。描いてみたかったが大事だと思います。
その瞬間しか思い当たらないからです。
明日描こうとしても、気持ちは変わっていて、もう描けないのです。

桜草 咲いてみなはれ 道端に

2015年8月29日
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無錫無情

2015-08-28 03:28:21 | 思い出話
    中国、無錫(ウシ)の夕暮れです

    
あれは、Fog(霧)かCloud(雲)かと聞きました。

No,It's smog.との返事でした。
中国人ではなく、働いているスイス人が自嘲気味に答えてくれました。

無残です。

中山大三郎作詞・作曲の無錫旅情があります。

上海蘇州と汽車に乗り
太湖のほとり 無錫の街へ
(抜粋)

この湖の水はきれいだったはずです。
いつしか、シャワーの水としても使えなくなったそうです。
ほとりのいくつかの化学工場は、強制移転させられたそうです。
数年後、やっと今の状態に戻ったのです。

俺達は、大丈夫と思われたのでしょうか。
まさかこんなことになるなんて。
自浄作用がないのです。

日本は、今はきれいに見えます。
江戸時代の方がもっときれいだったでしょう。
汚水を川に、運河に流していたとしてもです。
自浄作用の域を逸脱していなかったからです。

自浄作用のない会社もいつしかそうなります。
変だと思わない。まさかこんなことになるなんて。
従業員は聞きたくないでしょう。
皆で渡ればこわくない赤信号です。

夕暮れは、果てしなく碧く、また茜色が良い。
一日の疲れが癒される夕暮れであって欲しいのです。

ゴミ集め いつか役立つ 薬代

2015年8月28日

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今日もはてさて

2015-08-27 04:53:52 | よもやま話
    ある日曜日の夕暮れです

  
不信に過信の繰り返しです。

この色ではないような。
いやこんなものだ。

冒頭の絵は、本牧あたりで見た夕暮れです。
雲一つない快晴の夕暮れでした。
抜けるような青空に、夕闇が迫ってきた時刻でした。
遠くに富士山が見えました。
ああきれいだと撮った富士山は、案外小さかったのです。

絵でも文章でも伝えきれません。
これが不信です。
どこまでもきりがありません。
自分を疑い始めると、怖いくらい落ち込みます。

仕方がないじゃない。
これが実力だからと開き直るのも、何か不自然です。
うそがあるように思います。

狭間を行き来する毎日です。

どちらでもない自分を取り戻したい。
名案があるわけでもありません。

こんな時は、諦めて身体を動かします。
ご飯を研いで、氷を数片入れて炊きます。

不信は、きっと欲張りだからです。
過信は、盲目だからでしょう。

片っぽ1400gの靴で、試しに30分歩きました。
これはずしりときます。腿に負担がかかります。
山歩きのための訓練には良いと思いました。
少しずつ、距離を伸ばします。

満ち足りず 不足憂えず まま食べよ

2015年8月27日
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