故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

検討します

2020-07-28 01:03:44 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「唐柿」です。広島ではこう呼びました。
よく熟れた唐柿の乳を唇につけると、唇が切れました。美味しいけど用心して食べました。
この地域では、青いうちに収穫し、砂糖茹ででいただきます。


今日のタイトルは、「検討します」です。

これからだけど、カフェを開けられないか。

今日も、渋る雨でした。お客さんの足は遠のくばかりです。
妻にカフェを任せ、空き家の草刈をする予定でした。
風を引いたらと自重し、風呂を沸かし、カレーを作りました。

電話のお客さんに、30分後なら引き受けます。と返事をしました。
俺たちは、もう行く準備をしているんだから、今すぐ開けて欲しい。
家に帰って、夕ご飯(カレー)を食べています。と言い訳を言った。
「検討します」と電話を切られた。
いつもの常連さんなので、無理でも受けるべきだったのかと妻に話した。
着替えて電話を待っていたが、連絡はなかった。

若者がよく言う「大丈夫です」とは、断りの常とう句である。
初めは、意味が分からなかった。遠慮なのかとも思った。
今時言われている、相手を傷つけない配慮の言葉になったようです。

私が知っている限り、「検討します」は前向きの言葉でした。
無理難題であろうが、工夫をして知恵を絞ります。
その意思表示でした。
「検討します」と結論を先延ばしするのは、相手に期待させることになる。
無理なら無理とその場で答えてきた。

若者の「大丈夫」、大人の「検討します」は、いずれも断りの言葉でした。
勉強になりました。

注文で イとエ逆転 英語にす

2020年7月28日
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Slow life(Part2)

2020-07-27 07:33:17 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「モザンビークに梅はありますか」です。
「定年後何をする」に、「奥さんに興味がある」と答えた先輩がモザンビークに仕事で行った。
初めての海外出張で片言の英語を駆使して、小学校建設の仕事を指導されました。
励まそうと、絵手紙を送った。


今日のタイトルは、「Slow life(Part2)」です。
梅雨の曇りに、草が伸びた耕作放棄地をカンリキ(耕運機)で耕した。
耕作放棄地に続くカフェの駐車場にもカンリキを入れ、根を張った草を起こした。
根がはがれた草を集めていたら、「仕事をしますね」と、犬を散歩中の女性が声をかけた。

2019年1月20日投稿記事「Slow life」では、
「駅に近いと言っても、そのうちインターネットが普及し在宅で仕事ができるようになる。
駅のファクターが小さくなる。」
(記事より抜粋)
コロナが、広がる前の話である。
「駅のファクターが小さくなる」と書いています。
家屋の物件を探すときの目安の一つが、「駅近し、至便」です。
都会の駅の近くには、商業施設がある。歩いていける距離に集約した機能(役所、公共施設、癒しどころ)がある。
一方、田舎には何にもない。広い土地に、必要な機能がばらまかれている。
かつては人々が集まった通りもシャッター街になっている。
密になりようがない現実をどう考えるか。

「「Slow life」は、生き方です。
何かがあって、実現するスーパースペースではない。
永年の生きる知恵が、街を回すのです。
無くなった歯車の代わりのものを求めているのです。
それを見つけたところが生き残る。

東京だって、格差が生まれると言われている。
魅力がない町は、淘汰されて過疎になる。

風が抜け 孫が通りの 風となる」
(同じく記事より抜粋)
やっとカンリキの仕事が終わって、少し休もうかとしていた。
婆様がのこぎりを持って、私を追いかけて来た。
隣の畑から自分の畑にせり出した桑の木を伐ってほしいと頼まれた。
のこぎりを預かって、さっそく枝を落とし運びやすい長さに切りそろえた。
わずか10分のヘルプでした。婆様は、喜々として切った枝を片づけていた。
夜には、「旦那さんはお礼のお金を受け取らぬ」と、
自分の畑で採れたきゅうりと娘がくれたとうもろこしをどっさり持ってきてくれた。
我が家でも野菜を作っている。毎日、どう消費しようかと悩んでいる。
野菜三昧の毎日となる。
食べきれぬとうもろこしは、採れたてのうちに茹でて甘みを封じ込めた。
週末に、都会に住む子供たちに持って行ってやろうと考えている。

我が家で採れた野菜と手作りのパンを、お中元として嫁いだ娘の親元に送った。
しばらく野菜不足が解消されると、お礼のメールがきた。

定年後の誰しもが、「Slow life」を望んでいる。
都会では、図書館に通い、公民館で地域の方々とふれあう。
たまには、映画に行き、奥さんと旅行に行く。
ここでは、カフェの仕事の合間に、草刈をし、休みに妻とゴルフをする。
溜まる似顔絵と、自然との関わりに追われている。
筋肉がつき、痩せる一方である。
どちらも「Slow life」である。

魅力がない町は、淘汰されて過疎になる。
永年、仕事をしてきた。
仕事の代わりになるものがたくさんある街は、年寄りにも優しい。
会社以外の付き合いが広がれば、楽しく(時には厳しく)生きられる。
「今日は、りんごを採りに行く」とドイツの同僚が、耕作放棄地のりんご園に自転車で出かけた。
定年後、農家が世話をできなくなったりんご園を仲間たちと管理しているのであった。
永年指導してきたビール醸造技術で、近くで採れた大麦を粉砕し、自家製ビールを作っていた。
ドイツでは、自分の畑を持っていなくても、知恵と工夫で仲間と耕し収穫をしていた。
夏の終わりには、黒い森を仲間と散策し、ワーグナー音楽祭に出かけていた。
国それぞれであり、人それぞれである。

困る人がいれば、助ける人がいる。
ネットワークができている地域は、淘汰されない。
それには、誰が困っているのか、誰が助けたいと願っているのか知らなければならない。
困る人は、この人なら大丈夫と、「ヘルプ」を出すのである。
すぐにはかなわない。互いに汗をかきながら、信頼関係は築かれる。
良く見える人が、地域をつなぐ。
「Slow life」は、生き方そのものである。

ここが好き 都会で学び またここで

2020年7月27日
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タイトル

2020-07-26 04:35:58 | プロジェクトエンジニアー

タイトルは、「遠くへ行きたい」です。
海面を斜めにしました。
気持ちが前向きになりました。


今日のタイトルは、「タイトル」です。
毎日、タイトルを決めてから書き始めます。
似顔絵は、出来上がったのち、第三者の目になってタイトルを決めます。
昨日は、クラスター(1時間に100人の訪問者)が起きました。
これは、同じ人が違う記事を読むので、倍数的に訪問者が増えることと気づきました。
ブログを始めて約2200日、書いた記事は1750です。8割の確率で書いています。

報告書には、あとから「タイトル」を付けました。
プロジェクトは、技術者同士が関わる仕事です。
技術者には、詳細から入る。そして、共通事項(タイトル)にまとめる。
恋文にタイトルは必要ありません。只々、発露する想いの丈を綴るだけでした。
小説のタイトルは、時にして最初に読んだ編集者(第三者の私)が付けることもあります。
帯も同様です。売れないと飯のタネになりませんから。

私のブログでタイトルをつけるのは、日々の想いを限られた事項に封じ込めて語りたいからです。
「毎日が楽しい」なんて、一行で終わり、嘘の塊です。
真実を織り交ぜながら、嘘を散りばめます。
いかにもありそうな話に仕上げるのです。必然性とユーモアです。
日記と異なる書体にするために、「タイトル」を決めてかかります。
人の思考は、原野を駆け巡る風のごとくです。
馬を引く手綱のような役割が、「タイトル」です。

読者の選択(読むか否か)を容易にしたい、私なりのサービス精神の顕れです。
日々、体調も違い悩みも様々です。
「なんかなあ」がモチーフであり、「なんとかしたい」がタイトルです。
何とかするためには、集中したい。小さな枠のなかで、溢れる想いをこぼれさせます。
同じタイトルでも、時を経て、体力と経験から異なる印象の文章になります。
それも大事なことと感じています。
終わりに近づいているのか、羽ばたこうとしているのか、毎日試しています。

「タイトル」は、おいそれと浮かんできません。
苦しい時間が過ぎていきます。
紛らわすために、ルーチンワークをします。ああ、今日もできた。
ろ過してもおりもののように、昇華できない事柄が、「タイトル」です。
何とかしなくてはと、書き始めます。

タイトルは、断捨離であり終活かもしれません。
すべての無駄を削ぎ落したい。その事だけに集中したい。交通整理のようなものです。
あといくつ、「タイトル」を追えるか分かりません。
生きてる限り、「タイトル」は出てきます。
それだけ業が深いのです。

タイトルを 求め忖度 吹き溜まり

2020年7月26日
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結婚(Part2)

2020-07-25 14:02:54 | 思い出話

絵のタイトルは、「大崩海岸」です。
泊ったホテルからのぞいた海岸に岩がありました。
片時も休まず、波に洗われていました。
時には丸くなり、崩れてまたごつごつと剥きだしでした。
存在感が素晴らしくて絵にしました。


2017年8月15日投稿記事「結婚」では、
「万人が思います。
無邪気な子どもの仕草はとても可愛い。
笑顔がなんと素晴らしいことか。
疲れも辛いことも吹き飛ぶ瞬間です。
結婚とは、こんなことだった。
今でも後からでも揺るがない気持ちです。

数多ある中から選んでした結婚です。
しかし、生まれた子供は親を選べない。
死ぬまで頑張るしかないでしょう。

ひなげしと 一緒になって うばざくら」
(記事より抜粋)

保険の満期通知書が来た。
継続するとなると、同じ保障内容でも、この歳になると払う金額は倍以上になる。
年金の中から捻出するのは、少し大変です。
子供に相談した。これまでより超過する金額を僕たちが払うことも検討するよ。
私は、子ども達のために貯金する方を選ぶだろう。
死んだときに使ってと、口約束でよいではないか。
長生きできれば、「おまけ」が増えるだけです。

今日のテーマは、「結婚(Part2)」です。
互いに疲れた時は、喧嘩をしない方がよい。
売り言葉に買い言葉で、泥沼化します。
元気があれば、対処方法も見つかると言うもの。
結婚は、男と女が一つ屋根の下で暮らすことが一般的です。
漁師のかみさんのように、一年のうち11か月も夫が留守の家庭もあるでしょう。
若いうちは、24時間一緒にいたい。歳をとったら、否応なく24時間一緒の生活です。
3時間は生活リズムをずらすこと(嫁は宵っ張り、夫は早起きなど)を勧めます。
そうでなければ、空間的(家庭内別居)にそうするしかないでしょう。
しゃべっているのは、テレビだけと言う生活になります。
飼っている犬や猫が、夫婦の絆をつなぎとめる。それもありです。
子供たちもみんな独立して家庭を持っています。

定年前にかみさんを亡くし、寂しいながらこのまま余生を送ることを考えていました。
60歳を過ぎて再婚という冒険に入りました。
履歴書のような手紙のやりとりでした。
いつ捨てられるか、スリルを味わっています。去る者は追わず、来るものを拒まず。
来るもの(物好き)なんて、いないと知っています。
この歳の結婚は、互いのかびをなめ合うような生活です。
良い具合に発酵してくれることを祈っています。
但し、子ども達と一緒に暮らせない道を選択することになります。
頼るものはいない。二人しかいない。
喧嘩をしている暇がない。
子供はできないが、若い時のように一生懸命です。
起業(カフェ開店)をし、カフェで使う「お任せ料理」の材料を作ろうと、農業をやっています。
毎日が、待ったなしで、同じ日はない。休日が待ち遠しい。

男と女ではなく、人間として付き合うようになりました。
60歳までに築き上げた個性で、ぶつかります。
すべてがご和算のような生活になりました。
新たなページを紡いでいます。
若い時は、子供の成長や会社での役割などそれなりに変化がありました。
気持ちの上では、同じ繰り返しです。
ルーチンワークの積み重ねです。
農業は上手になりました。
愛情的に、発展はない。
互いの健康が気になります。耳が遠くなり、ののしり合うような会話となることでしょう。
補い合って生きる。これしかない。
若い時のように、保障が大きい保険に入るより、只々健康に日々送ることが貯金となりました。

「一度は結婚することを勧めます。
もう送って行かなくても済むのが、結婚です。
一緒に暮らし始めて、目を見張るばかりの勘違いに気づくのも結婚です。
嬉しい嬉しい出産です。
男が張り切るのも無理が無い。
やる気が、沸々と湧いてきます。
家族のために、どこまでも頑張れる。
植え付けられた遺伝子がそうさせるのです。」
(記事より抜粋)

もう、出産はありません。
家族以外の人(大きな子供)と出会えたことを喜んでいます。

うばざくら 元を質せば ピンク色

2020年7月25日
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若い人とコミュニケーション

2020-07-24 06:27:30 | よもやま話

タイトルは、「温かい」です。
突然の依頼で、似顔絵を描かせていただいた。
後に、「描いてもらって、嬉しかった」とお礼の言葉をいただいた。
描かせていただいたことが、嬉しかった。
話がはずみ、旧知の仲のよう。


昨日は、楽しい想いをさせていただいた。
カフェで、若い女性が食事会をしてくれた。
コロナで、客足は遠のくばかりのなか、貸し切り状態となった。

私の担当料理(天ぷら、お好み焼き)が終わったころ、話をしようと2階に上がっていった。
似顔絵を描かせてくださいと申し入れ、写真を撮らせていただいた。
和やかとまでは、いかない。
若い女性ほど、表情は固い。
どんな顔が似顔絵に向いているか。
私の表情は、どう写っているのか。
他人に写真を撮られたことがない。

遠くから、歓談の様子を100枚近く撮らせていただいた。
自宅に帰り、写真の編集をした。
良い(美しい、気になる、心をとらえる)表情を、切り取っていった。
30枚近くのスクープ写真を印刷した。
それを彼女たちに見ていただいた。
ああ、こんな風に表情を捉えるんだ(抜く)と分かった。
話している間に、表情は千変万化です。
どの方にも良いところがある。
私は、キャラクターを重視する。個性が表情に現れる。

そして、個人を中心にポートレートを撮らせていただいた。
前回の表情とは、明らかに違った。
少し分かってもらえたのである。
危ないおじさんではないのかな。
真面目に似顔絵を描いてくれそうだ。
若い人は、シャイなのである。
3時間も、写真の顔と向き合いながら格闘するのです。似顔絵を描く作業の説明をする。
ずーっと、見ていて欲しいと思うのです。と言われた。

苦行の仕事を自ら宣言した。
リスクを取らないと、前には進まない。
一か月後に、また食事会をします。似顔絵を楽しみにしています。
ええ、私も楽しみです。
私なりの、今日のタイトル「若い人とコミュニケーション」でした。

裾を踏む かみさんとんと 後を押す

2020年7月24日
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