故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

出会いと恩返し

2020-01-31 06:40:02 | プロジェクトエンジニアー

タイトルは、「誰の子」です。
時には、大地の子と言う人もいるでしょう。
育てた人の持ち物ではありません。
彼は、一人で生きると決めたのです。


今日のタイトルは、「出会いと恩返し」です。
人生で、この人に会わなければ変わったものになっただろうと思うことがある。

若い時は、この人のようになりたいと背中を追っかけた。
そんな背中が多い会社は、伸びることだろうと考える。
結果、その背中に追いすがり追い越していった。
自分は、誰かが追いかける背中になっていたらいい。
それが、かつて自分が追った背中に対する恩返しであろう。

琴線を震わせる新たな人に出会う。
こちらは、生涯を共に歩こうと誓う人になった。
出会いはゴールではなく出発点に過ぎなかった。
こんな人だったのかと気づいても、後戻りはできない。
諦めに似た慚愧を恨めしく思う。
生れてくる新しい命によって救われた。
愛情は、子から孫に引き継がれる。
子の恩返しは、4歳で終わっていたと気づくのは、歳を重ねてからになる。
周りをみたら、一人になっていた。
生かされていることに感謝し、仏前で手を合わす。

故郷に恩返しとブログを始めた。
故郷は、間違いなく生れ育ったところだった。
石もて追われるところとなった。
帰ってこいやと言ってくれる人もいる。
帰れぬ事情を、自ら作ってしまった。
故郷に対する考え方を変えざるを得なくなった。
日本になり世界になり宇宙となった。
いわゆる、どこでもよいのではないか。
気持ちさえあればと、新たな地で頑張る。
その地の土となるかもしれない。

影響を受けた場面に、状況に戻りたいと思わない。
新しい恋に埋没するだけです。

花びらも 受粉に閉じて 覚悟決め   

2020年1月31日
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雪の落とし物

2020-01-30 03:31:06 | プロジェクトエンジニアー

タイトルは、「草木春近し」です。
2月も半ばを過ぎるまで、油断はできません。
健康で、ご安全に。


久しぶりに雪が降った。
どこのスキー場も雪が降らなくて困っている。
雪かきをしなければと覚悟していたら、翌日から大雨で雪は融けてしまった。

今日のテーマは、「雪の落とし物」です。
雪が降った朝、納屋まで石油ストーブのタンクに灯油(灯油缶は納屋に保管)を入れに行った。
山への登り口の雪面に互い違いに歩く獣の足跡があった。肉球がはっきりしていた。
もしやと思い、足跡を念入りに辿った。我が家の天井に棲み始めた獣ではないかと推測した。

玄関前のたたきは、雪が融け始めておりそれ以上の追求は難しくなっていた。
夜な夜な居間の天井内で爪を持った獣らしき足音がする。寒くなってからである。
1時半と4時頃に音がする。毎夜のこととなった。
行動時間、足音から推測する体重を判断し、ハクビシンだと推測した。
近くのお寺の天井に、十数匹のハクビシンが棲んで困った。檀家総出で退治した話を聞いたことがあった。
音を追いかけ、柱や壁、はたまた天井を叩いて脅した。叩いた後は、静かになる。
そして、次の日はまた音がする。
天井への進入路を外に出て探して、つぶそうとするが、穴らしきものは見当たらない。

草虫(へくそ虫ともいう)退治に硫黄がよいと知る。
ハクビシン退治にも有効と判断し、硫黄(粉)を友人から入手した。
袋に入れて吊るす。しかし、進入路が見つけられない。
居間の天井換気扇を外し、天井上で硫黄を焚き燻すかと考えていた。

二階に上がり、ベランダから物干し雨除け用の簡易屋根(一階軒先)を上から見た。
まだ雪が残っており、足跡を発見した。長めの足跡であった。森への足跡とは異なった。
ハクビシンが止まっている時は、長くなると後でネットで知った。
地面から簡易屋根上に昇り、ベランダ下の空間(頭が入る程度の穴)から二階への階段下に潜り込む。
階段下の空間から、居間の天井上に降りると推測した。降りる少し重い音を、暗闇に聞いたことがある。

妻と一緒に、玄関を出て庭に出た。
屋根上にあった足跡と同じものを簡易屋根の柱(アルミ製)近くに発見した。獣はここで止まった。
軒がない屋根から雨を静かに地面に落とす鎖が付けられていた。鎖は屋根まで伸びている。
この鎖を伝って昇ったんじゃないと妻が推測した。
鎖には、手ごろな穴がある。アルミ製の柱はつるつるして、ひっかかりがない。
鎖は、プラスチック製で軽い。

さっそく、鎖を地面から離し、簡易屋根の内側に巻き込んで2mの高さの物干し竿に固定した。
そして今夜、私は無音の天井を期待して、ブログを書きながら起きている。
今のところ、音はしない。4時頃やつは帰ってくる。
降りる鎖がなくなったが、きっと飛び降りることはできるだろう。2mは飛ぶとネットで読んだ。

「雪の落とし物」でした。

家猫が 野良に帰るは 死んだとき

(いつも、私たちに甘えていた大家さんの猫を見ません。隣人が遠く離れたしの竹林に埋めたとさ)

2020年1月30日

かすかな物音に怯えています。また、帰って来たんじゃないか。
今度はどこから昇るのか。知恵比べが続くのは歓迎なんだけど、今度は勝利かなと待っています。
(筆者)
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グルクン

2020-01-29 09:12:31 | 思い出話

タイトルは、「名護の守り神」です。
名護市役所には、100体を越える守り神が張り付いている。
訪れる度に、野にある亀甲墓に驚き、曲がり角の石敢當に眼をみはった。
沖縄は、チャンプルーの都市である。


地域の友人たちが、沖縄旅行に出かけた。
島めぐりを満喫して帰ってきた。
お土産をいただいた。
雪塩(宮古産)、手作り黒糖(石垣産)、泡盛(於茂登、石垣)とたんかん(やんばる産)です。
どれも嬉しい土産です。久しぶりに食べたたんかんは、ジューシーで甘く好みである。

今日のテーマは、「グルクン」です。
マーロン・ブランドと京マチ子が主演した「八月十五夜の茶屋」(The Teahouse of the August Moon)が,
1956年に公開された。返還前の沖縄で撮影された。
その舞台となった料亭(おそらく茶屋として)で、初めてグルクンをいただいた。
約30年前、製粉会社のリニューアル工事の仕事をした。
スタートアップに協力した製粉技師を交え、どんちゃん騒ぎとなった。
180℃以上でから揚げしたグルクンを、頭からしっぽ迄かじって食べた。
泡盛がすいすいと入っていった。

沖縄(那覇)の美味しいもので特に好みのものをあげるとするなら、
沖縄そば、あっちこうこう(出来立てで温かい)の島豆腐、イカ汁と
金魚のような色をしたハタのマース煮(塩ゆで)である。

沖縄そばは、小麦粉とかんすいで打たれ、鰹や昆布を用いた和風の出汁でいただく。
ぼそぼそとした麺に、つゆがからんで懐かしい味がする。
島豆腐があまりにも美味しいので、横浜に買って帰った。食べようと開けるとぐちゃぐちゃだった。
一緒に持ち帰ったサーターアンダギーの油臭が、あらゆるものに移り、
子ども達から、サーターアンダギーはもういいからと言われた。

沖縄では、味噌汁が一品料理として出される。それとご飯で定食である。
イカ汁もそんな味噌汁の一種であろう。どんぶりいっぱいのイカを食べきれなかった。
歯茎は真っ黒となり、女性にはちょっとです。だけど旨い。

マース煮は、高級料理である。魚市場の近くのいつも行く店でいただく。
沖縄に300億円の補助金が出る。いつも、政府は満額回答である。
使いきれないから、この店にもなんか投資しろと誘いが来ると言う。
店の軒先に、海ぶどうの養殖桶を何個も設置していた。

あるものは、深層海水を汲むのだと、パイプを埋けてポンプでくみ上げた。
台風の日、うねりにあっという間に設備ごと持っていかれた。
沖縄の面々は懲りないのである。空き店舗はすぐ埋まる。次から次に挑戦者が現れる。
おばあだって、LCを自力で開設し、商売をしてきた。

家で食べてから飲みに出る。沖縄の男たちの社交場である。
カウンターに座り、大いに語り、支払いは今日も1000円だけである。
私達、旅の者はカウンターに座らず椅子席にする。こちらは、一人5000円である。
カウンターで語られる方言についていけない。
一人で行くようになって、カウンターに座るようになった。
店の人は忙しく、なじみの客に接待を任せる。
今なんて言ったのと何度も聞き、耳が慣れた。3000円になった。

沖縄の人たちは、鬱になる人はいないくらい底抜けに明るい。
何年も通った。商売のために通った。
あんたは馬鹿か、鈍いのかと言われた。
断るための無理難題に応えてきた。

通っているうちに、鬱になる人もいることがわかった。
沖縄そばも、店によって味が違うと分かった。
辻の小さな豆腐店が、正直に作る。その豆腐だったと分かった。
赤褌一丁で店に出て、一人で切り盛りするスナックにも行った。
どこかの社長が愛人に経営させてる店にも連れていかれた。
商売になるまで月日がかかった。
国内のメーカーに外資系メーカーが納期で勝った。

グルクンをいただいてから30年も経った。また、食べたいと思う。

そーめんを チャンプルーですぐ 手を抜くな

2020年1月29日


めんそーれ。文末ですが、意味は「いらっしゃい」です。(筆者)
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ゾーリンゲンと和包丁

2020-01-28 03:55:58 | プロジェクトエンジニアー

自宅と思しき屋根より高い農地です。
斜めに鍬を打ちながらそばを作っています。
タイトルは、「そばを作る人」です。


国際的という言葉に触れることがよくあります。
世界は広いということか、
世界で生きることを指すのか、
はたまた世界に恩返しはできないかと考えることなのか。
杉山家三代の報道を観て考えさせられました。

今日のテーマは、「ゾーリンゲンと和包丁」です。
外資系機械メーカーの営業をしている頃、初老の日本人営業マンが展示会を訪ねてくれました。(10年前)
この方が、現役バリバリの頃、大手ビール会社に外資系の機械を売りまくってくれました。(30年前)
敬意を表して、次の年も展示会の招待状を出しました。亡くなって行けないと奥様から返事が来ました。
30年前から、この方を知るドイツ人のマネージャーが日本を訪ねた時、一緒に仏前を訪ねました。
鎌倉にある家で、いろいろと懐かしい話をしておりました。
訪ねる前に、ドイツ人を浅草に案内し、近くにある台所資材・機材を売る横丁を案内しました。
そこで、彼は和包丁(鋼三枚の合わせ包丁)が気に入り、砥石と共に買いました。
そのことを奥様に話したところ、チェコに仕事で赴任していた頃、ドイツで買ったものがあると、
ゾーリンゲンの包丁を出されてきました。今でも重宝しているとする包丁は10本近くありました。
それから数年間、ドイツから来る年末の挨拶品(チョコレートとカレンダー)を鎌倉まで届けました。

スイスのナイフ、スウェーデン鋼の車体など、世界の鉄の歴史と産物は古く広い。
私は、30代の頃、数年間もみ殻と格闘したことがある。
やっかいな農業副産物のもみ殻を工業資源として活用する機械の開発に携わりました。
国の援助もいただき、大手金属会社(販路担当)と共同して粉砕機を作りました。
もみ殻を粉砕(150マイクロンの粉~動物薬キャリア材の大きさ)することで、用途は飛躍的に広がりました。
籾殻粉は、炭カルに代わる塗料の原料として、大手自動車会社が興味を示しました。

問題は、もみ殻を強固に保護するリグニンとガラス質のケイ酸でした。
リグニンは、粉砕環境を150℃以上にすることで解決しました。
ケイ酸はやっかいで、もみ殻を粉砕(エクストウルーダーを使用)するとき、
粉砕スクリューが摩耗することでした。

名だたる鋼メーカーにスクリューの開発依頼をしました。
550℃でじん性マトリックスを出した100万円もする鋼製スクリューも200時間でお釈迦でした。
安来の鋼(刀に使う)も試しました。これも同じ結果でした。
ホウ素化合物をスクリュー表面に析出させて試しましたが、母材ごとめくれあがってしまいました。
一番摩耗が進む先端部にセラミック部品を取り付け試しました。
セラミックの脆さをカバーする設計力がなく、18秒で破壊されました。
なんとか市場に出すために、先端部スクリューを比較的安価な精密鋳造品(はくせん)にし、
あとのスクリュー本体は焼き入れ品としました。

ゾーリンゲンは、一枚刃で鋼そのものが固くて強いものでした。
和包丁は、両側の軟鋼で真ん中の刃金を挿んだ三枚刃です。固さと靭性を備えていました。
どちらも切断する能力は、優れていました。

洋の東西で、古くから使われ始めた鉄製農機具です。
杉山直樹が、インドの砂漠地帯の緑化に成功しました。
ヒマラヤ山脈につながるインドの国道一号線沿いに、ユーカリの木を植林しました。
地下水をユーカリの木の根が吸い上げ、不毛の地を灌漑する。
ユーカリの木は、木炭となり鉄の鋳造に使われる。鉄は農機具となり、包丁となる。
古くから日本に伝わる「治山治水」をインドの地で実現しました。

私は、この地で剪定した枝は暗渠に利用し、カフェで出た食物残渣を農地に返しています。
気の遠くなるような農業です。年々腕も上がり種類と収量が増えています。
採れる野菜は余すことなく、都会の捌ける友人に送り、カフェでおまかせ料理として使っています。
杉山三代のスケールには到底及ばぬものの、地産地消に微力ながら取り組んでいます。

故郷にある田畑は、耕作放棄地となっています。先祖代々が築き上げた段々畑です。
私に何ができるでしょう。

遠き山 目指して三代 登りきる

2020年1月28日
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移住の自由(Part2)

2020-01-25 07:06:29 | プロジェクトエンジニアー

タイトルは、「すてき」です。
自画自賛です。


今日のテーマは、「移住の自由(Part2)」です。
2019年3月28日投稿記事「移住の自由」では、アメリカに移住された山下教授の話を引用しています。

米国で天才賞とも言われるマッカーサー・フェローシップ賞を2011年に受賞し、
ネイチャー誌をはじめとする様々な著名科学雑誌で発生生物学に関する研究成果を相次いで発表する
ミシガン大学の山下由起子教授。
(記事抜粋)
米国は決して完璧な国だとは思いませんが、自分が移民になったことはとても良かったと思います。
移民になると言葉も通じないですし、もちろん大変です。
しかし、自分がよそ者になると、ステレオタイプの期待をされなくなります。
私は何も期待されていない、ああしろ、こうしろ誰にも言われない。
ものすごく自由になりました。それが良かったです。
(記事Forbes JAPAN 編集部 2019/03/27 18:00より)

さすが、仕事を残される方は切り替えも早いと感じました。
この地域に来るまで、私なりに仕事をしてきました。
それが買われて、地域おこし協力隊員として採用されたと信じていました。
その期待は、大いに裏切られました。
結論から言うと、それがよかった。

山下さんが言われる「何も期待されない」孤独感を感じました。
地域おこしは、私にとって実験的なプロジェクトでした。
もっとも難解で、時代があらゆる解を求めていました。
自分に何ができるのか、確かめたくてこの仕事を選びました。

まず、地域に溶け込むためにあらゆるイベントに積極的に参加しました。
SNSで地域から発信し、多くの方に知っていただくことから始めようとホームページを作りました。
ホームページで何を伝えるのか大いに悩んだ末、伝えることはすぐに底をつくと感じました。
地域を知らぬものが発信するホームページは意味がないと、一年で閉じました。
紹介していただいた地域の方と、もう一度会っていただく機会を作ろうと似顔絵を描き始めました。
顔と名前を一致させるために、似顔絵を描く時間(一枚当たり2.5時間)が脳に刻み込む。

何をする人と、遠巻きに見られている感じがしました。
これまで経験したことがない無力感と寂寥の日々でした。
そして、こんな扱い(流れ者か食いつめもの)は経験したことがありませんでした。
真っ白な紙に墨汁の一滴をこぼす。
空き家とは、「死んだまんま」であり、引き継いだものも放置する。
何とかしたいが、日々の暮らしが優先される。
そんなジレンマに耐えかねて、見て見ぬふりをするしかない。

「何も期待されない」のであれば、好きなことをしようと考えました。
かつて中心であったセンターに空き家が目立ちました。
放置された家や庭が無残でした。空き家は鬱蒼とした庭木で隠す。無かったものにする。
かつては、どうだったのか知りたくて空き家に入り、
持ち主の許可をもらい庭木の剪定をさせていただき草を刈りました。
飽き足らず、耕作放棄地に繁茂したしの竹を伐採しました。
ますます、何をする人と思われたようです。
プロジェクトの手法、「見える化」に取り組んだわけです。
来る日も来る日もしの竹を刈る。
現れるかつての繁栄の姿。
誰にも教えない。見つかってたまるか。
楽しくてしかたがなかった。
遊んでいると思われるのも癪なので、イベントにはさらに積極的に参加した。
ただの人(ボランティア)でよい。

これぞと思われる人を訪ねた。
有機農法を専門書を読みながら続けている人に会った。
この方の畑は、手で掘ることができた。
畑には、草がない。しかし、アクセスする農道は草だらけであった。虫を畑から農道に誘導していた。
私にB級品を売ってくれていたが、お金をとらなくなった。役立ててもらいたいと言われた。

効率の悪い板金を生業としている人がいた。
かつてのおんぼろ名車を、納期なしで新車にする。
事故車を短納期で仕上げる。
プロジェクトで教えられた、ピークカットの手法であった。
素晴らしい。手を抜くと、3年目にばれる板金の仕事です。

面白そうだから、「手伝わせてくれ」と地域の方が話しかけてきた。
では、手伝わせてやるかとお願いした。やせ我慢も限界でした。
期待されない自由は、レールも地図もない。託宣だってありはしない。

草を刈ると、持ち主が一万円くれた。草を刈り続けているが、今は来ないしお礼もない。
隣りの空き家の持ち主に草を勝手に刈ったと怒られた。
知らん顔して毎年刈るものだから、「盆が近いから、刈って」と電話がかかる。
仕事が忙しく、草を刈ることもできない。かつての大地主の子どもが知らぬ顔です。
その人も私に任せてくれて、近所に気兼ねなく仕事に精を出す。
畑を手伝ってくれていた子供が病気になった。畑は荒れ放題です。
私に畑を貸してくれているよしみで放棄地の草を刈る。さらに使ってと頼まれた。
草を刈るだけで、心労がなくなるんならそれでよい。
私は、好きな草刈ができる。
こうだったら良いかなと、木々の剪定ができる。
草刈を続ける空き家通りに散歩をする人が増えてきた。
しめしめである。ついでにカフェに寄れと思うがそうはいかない。

何かができる「何も期待されない」自由があった。
これが、一番学んだことであり嬉しいことでした。
都会じゃ絶対できないことでした。

嫌いだね 好きになるとは そして骨

2020年1月25日
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