故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

認める

2022-09-29 17:15:09 | よもやま話

絵のタイトルは、「切り株」です。
水が多い時は年輪は太く、逆に少ないとやっと刻む年輪です。
長い年月で、どちらかに必ず傾いてしまう。
環境でしょうか、生き方でしょうか。


下戸どんが 飲まねばならぬ いつの世も

今日のタイトルは、「認める」です。
私の友人たちは、ほとんどの方たちが「馬鹿だね」です。
そこまでやるのかという、形と時間をあるものに没頭する者です。
ほとんどの者が、しっぺ返しに会い反骨精神に火が付いてしまう。
埋没すれば、楽に生きて来られたのにと想像する。

フランシスコ・ザビエルは、没落したとはいえ貴族の出身で、イエズス会に入るまでは、
高僧になり、かつての栄華を取り戻したいと願っていた。
宗教改革(カトリックとプロテスタント)の最中に、イエズス会に入った。
イエズス会が求める、「建物に籠るより、Do it」 を選んだ。
ローマ法王の許可を取り付け、大航海時代の始まりと共にインドに宣教師として行った。
宣教師がいる間はその国での布教活動は成果をあげるが、いなくなると自然消滅する。
ザビエルは、そんな想いを持った。

インドに日本人ナン(?)ジロー(薩摩藩士)が、ザビエルの話が聞きたいと訪ねて来た。
インド南部での布教は、キリスト教国とイスラム教国の入れ替わりが激しく難しかった。
ザビエルは、日本に行こうと決意するが、果たして布教が可能なのかナンジローに尋ねた。
日本で認められるには、二つのことが大切であるとナンジローからアドバイスをもらう。
一つは、語ることが道理にかなっていること。
二つ目は、語ることと行動が重なること。
私は、この二つの言葉に驚いた。
ザビエルは、戦国時代(16世紀)の日本各地(時代背景が影響)で布教活動をした。
日本人は、知識欲が旺盛でまっすぐな気質を持ち合わせていると、手紙で報告した。

二つの言葉が、日本人の魂を表している。
私達は、道理を飛び越え、多くのDoitをしてきた。
時には、破廉恥な間違いも多い。
だが、精神的には常に、二つの言葉に象徴される。

ザビエルは、イエズス会に入る決意を日本で体現したのではないだろうか。
道理は、時代を超越するのか常に問われている。
語るだけなく、行動をしなければならぬことは普遍であろう。
多くの回り道をするけど、我々の心の深奥に刻み付けられている。
なぜかは分からぬが、他を「認める」日本人の根っこのような気がする。

2022年9月29日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絶望と希望

2022-09-27 10:06:44 | よもやま話

絵のタイトルは、「愛の椅子」です。
古くて固い木製椅子です。
いたずらで唇を足しました。
急に優しくなったな。
恐る恐る座ってみるか。


釣べさえ 知らん顔して 朝顔に

今日のタイトルは、「絶望と希望」です。

話すと、何でも否定されるような気がする。
聞いて欲しいのに、終わってみれば相手の得意話で終わる。
なんで、最後まで黙って聞いてくれないの。

多くの子供が体験することでしょう。
数多の部下が、聞かされることでしょう。
将来を救う面白ごとも、成功経験の馬鹿に消されてしまう。

助けてと言ってるのに、声が届かない。
そりゃそうでしょ。
耳を塞いでるだけじゃない、「早くしなさい」と頭ごなしです。
お父さんのようになって欲しくないから言ってるのよ。
ここまでくると、逆に疑問です。
僕は何?
嫌いで馬鹿な男の子供で、まんまじゃないかと怖れを抱く。

絶望です。

いいのよ、そのまんまで。
私の子供に生まれてくれてありがとう。
子供を持って、初めて気づく親の恩と言われます。
どうしても出ないと、泣く赤んぼの鼻汁をすすりだしている女を視ました。
きたない。真似なんかとうていできない。
男は感心し、周りをうろつくだけです。

鍋釜を投げ合おうが、夫婦は寝所を共にする。
朝起きたら、かかあは上機嫌。
夜から朝へ、子供にとっては空白の時間です。

朝ドラで、娘が哀しい調べの歌を奏で、母が美しく舞う。
戦中の苦しい、恥ずかしい詫びをやっと伝えることが出来た。
母が抱えて来た、胸をかきむしるようなつかえがやっとおりた。
素晴らしい脚本で演出だと感じました。
長い間の絶望が、一瞬で希望に変わりました。

ただただ、日々の一生懸命が絶望を和らげてくれ、
ほんの少しだけ希望の光を見せてくれる。

2022年9月27日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間と贅沢

2022-09-26 06:57:33 | よもやま話

絵のタイトルは、「想いの丈」です。
若い彼女が何を想っているのか、想像するのが楽しい。
こうかなああかなと、絵にするのがさらに楽しい。


今日のタイトルは、「時間と贅沢」です。
3時に目が覚めてしまう。
テレビを観ていると、身体が動くようになる。
朝餉を作り始める。
妻が整理してくれたので、野菜室の中身が判別できるようになっている。
ある野菜で、副菜の3品と味噌汁を一時間かけて作る。
妻が畳んでくれた洗濯物を所定の場所に納める。
まだ6時にはならない。

私はこうした時間の使い方をしなかった。
吊るし干しの中から着れるシャツを着た。
短い時間で遊んだ。
早飯で、走って移動した。
まとめて、洗濯した。
安いものを買いあさった。
効率に追われていた。
時短こそすべてと思い込んでいた。
休日には、寝てばかりいた。

そんなことはなかった。
何回も洗濯することで、干す場所は少なくて済む。
乾いたものが、いつもの場所に整理されている。
天気と目的に合わせて着るものを自由に選ぶ。
美味しいものを食べるためには、時間をかける。
畑は、土づくりから始めた。
耕作放棄地で刈った草をマルチに使った。
野菜の顔を見て、何が欲しいか野菜と相談する。
釣った魚をすぐ絞め、海水で保冷する。
素早く、清潔に猪を捌いた肉をいただく。

刺身を買わなくなった。
肉も買わなくなった。
野菜は分けるほどである。

目が向かなかった。
やってみなかった。
「時間と贅沢」は別物と思っていた。
読みたい本も積ん読だった。
高価なものはしまい込み、愛でる時間もなく忘れた。

時間が贅沢を作ると知ってしまった。
知識を咀嚼し、栄養になるまで待てるようになった。
痛いところを気長に揉めるようになった。
人の話を聞けるようになった。
忘れられるようになった。
お礼が言える。
明日が楽しみになってきた。

2022年9月26日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Every day is a second chance.” (毎日が明日へのチャンス)

2022-09-23 09:57:31 | よもやま話

似顔絵「いつまでもお幸せに」(タイトル)を持参しました。
受け取ってもらえませんでした。
描きなおしでした。
受け取ってくれた彼女が、若くして逝かれました。
もう、笑い声を聞くことは有りません。


もう一度 無いと言うけど ファーストキス

今日のタイトルは、” Every day is a second chance.” (毎日が明日へのチャンス)です。
「やりなおし」というタイトルで、書き始めました。
刑務所を出て、2年で戻る再犯率は、15%です。
2年以上も含めると、約50%とありました。
(ヨーロッパは、70%とのことでした。低いのは、ノルウェーの17%でした)
晴れて刑務所を出るときの平均所持金は、10万円と報告されていました。
これでは、一人だけでの「やりなおし」は簡単ではありません。

” Second chance”もネガティブな事柄が多い。
退学、離婚、解雇、犯罪などのあとに、「再」がつきます。
刑務所に対する考え方もアメリカは「隔離」であり、日本は、「更生」でした。
社会に出る前に手に職をつけて、更生の道を歩ませる。
しかし、所持金10万円ではアパートも借りられない。
履歴書に書く住むところ(現住所)がなければ、働くこともできない。

” Second life" も第二の人生とある。
退職後、働きたい人が4割もいるのに、実際に働いている人は1割の現状です。

” Second” じゃ駄目なのか。
” Every day is a second chance.” (毎日が明日へのチャンス)という言葉を見つけました。
大なり小なり、「どうして、こうなん」の毎日でした。
60過ぎのラブレターは、履歴書のようなもので、こんな私ですがいかがでしょう。
大いに控えめです。
腐りかけが一番おいしいと誰かが言っていました。
赤ん坊も老人も同じように疲れます。
確かに、老人の個人データより若い人のデータが闇市場で高く買われます。

世間に抗うつもりはありません。
Every day 生きてこそ分かることばかりです。
明日こそ、なんとかしてやると生きています。
毎日の次が、明日(Second)でいいじゃないですか。
正直のぶつかりあいが、面白いと感じます。

2022年9月23日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見つけてもらう歓び

2022-09-22 10:24:34 | よもやま話

絵のタイトルは、「恋心」です。


恋見つけ 文字にし空へ ふわふわと

今日のタイトルは、「見つけてもらう歓び」です。
このタイトルを選んだ理由は、急に読者が増えたからです。

かくれんぼをしていて、誰にも見つけてもらえないことがありました。
前を通り過ぎた鬼に、「ここにいるよ」と心の声が叫びました。
そのうち他の遊びが始まり、誰もいなくなりました。

還暦の同窓会で、「私は、あなたが好きだった」と告白されました。
「知っていたよ」とつれない返事。
古い手紙の束の中に、拙い恋文を見ていました。
今更でもあり、残酷でもあります。

小説家は、幼い頃より空想のお化け(夢見る夢子さん)です。
一生懸命書いたのに、誰も見てくれないし、読んでもくれない。
努力は報われない。

変化に気づく。
友人から、「かみさんは、美容院に行った」と告げられました。
コロナで陽性になり、陰性になってからも、人に会うのが怖かった。
ありゃ、べっぴんになって。
誰かが声をかける。
怖がっていたのは、思い過ごしだった。

恋文、小説、変身もすべて自分のためでした。
違う自分に出会った。
心の傷も癒え、しこりとなって、ふと触ってしまいます。
「見つけてもらう歓び」を素直に受け取れる。
そんな自分にも会えるのです。

2022年9月22日

<<あとがき>>
カフェによく来てくれた女性の弔いの日です。
感謝の言葉しか浮かびません。
(筆者)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする