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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

何にもないがな

2016-09-11 02:07:59 | よもやま話

この地に来て、むっとしたことがありました。

市役所の人は、今度は自分で探検してください。
と言われました。
地図をくれるわけでもありませんでした。
商工会に行き、商工会が作った戸別地図をもらいました。
それを頼りに、地域を回りました。
何度回っても、迷いました。
都度、センターラインのある道まで車を走らせました。
いつしか隣町を走っていました。
地図は見てもわからない。人に聞こうにも歩いている人がいない。
しかたなく、大きな道のこっちは何々方面、あっちはどこそこへ行く道を頼りにしました。
見たことがある場所まで、車を走らせました。

むっとしたのは、名を表示するものが無かったからです。
都会なら、電信柱とか家の角とかに書いたものがあります。
第一、家に表札がありません。地図でどこの家か確かめようがありません。
ポストもありませんし、あったとて住所が書いてありません。

困ったことは、遠くに山は見えるが、どこまで行っても同じ風景が続くのです。
田んぼがあって、森があります。その繰り返しです。
うかつに森に入ろうものなら、行き止まりになる可能性がありました。

一か月経った頃、街燈に名がひっそりと書かれているのを発見しました。
上を見なければならなかったのです。
表札は、どこの家にもありませんから、知ってる家から何軒目かな。
仕事をしていたら、生業の看板くらいは出されていました。

何にもないのです。

すぐにナビを買いました。
ナビは、いつも遠回りを指示します。
だって、ナビは田舎道(舗装道路の近道)を認識していないのです。
ナビ業者もここの農道までは、調査の対象外のようでした。
したがって、ナビも頼りにはなりません。

市役所の人に、あなたの家は表札をあげていますか。
いや、まだです。つけようかなと検討しています。
ええ、何代も続いている家じゃないですかと思いましたが言いませんでした。
待てよ、そういえば我が家にも表札がないことに気付きました。
だけど、郵便は届きます。

何にもない。
これが、とっても良いことだと気づいたのは二か月後でした。
どこまで行っても同じ風景です。これが良いと気づきました。
かつてはあった派手な看板は、錆びて斜めになっていました。
こんなの要らない。
今では、ナビなしでも歩けます。端から端まで車で20分です。
迷い様がなくなりました。名もおぼろげながら覚えました。
仮に覚えてなくても、あそこ(私が知っている場所)を
曲がったあたりだと地域の人も教えてくれます。

自転車に乗るのは中学生くらいです。
歩く人がいないのは当たり前です。皆さん、車ですから。
バスも一日3便じゃ乗る訳がありません。
バスに乗っているのを見られて、近くの停留所から歩いて(家まで30分)いるのを
見られました。翌日には、新聞より早く、地域のあちこちに伝わっていました。
バスに乗ったんだって、都会の人は良く歩くね。と言われました。

何にもない。
どころか、一杯良いところがありました。
複雑な言い回しですが、何にもないところが良いのです。
県道から一本入った田んぼ道には、たくさん人が働いておられます。
店に入れば、何にも買わないでお茶を飲んで行かれます。

農作業をしていれば、頼みもしないのにアドバイスをいただけます。
それも通りがかる人が何人も。時々異なるアドバイスもあります。
水をやっちゃいけないよ。とおばあちゃんに教えてもらいました。
おばあちゃんが通り過ぎました。私はあわてて、水ホースを隠しました。

何にもないのが、よいのです。
迷い込むような森と田んぼが、かすんで見える山から山まで続きます。
こんな風景見たことがない。素晴らしい。

何もない 夢見るちから 夢つくろ  

2016年9月11日
コメント
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