故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

お好み焼き

2020-06-30 23:33:36 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「よう来んしゃった」(広島弁)です。
私は、少し痩せました。この地の人使いが荒いせいです。


NHKの番組、プロフェッショナルで「お好み焼き」の話を観た。
お好み焼き(広島風)を生業としているものにとって、参考になった。
今日のタイトルは、「お好み焼き」です。

ただ焼くことは、誰にもできる。
キャベツを甘く、そばをしっかり焼く、ソースをかけないでも美味しくいただけるお好み焼きを作る。
私が注目したのは、周囲(換気やテーブル)やお客さんの年齢に気を遣う。
毎日変わることに気を配ることです。何か変わるんじゃないかと考えることです。
天気であったり、材料であったり、鉄板の表面だったり、蒸気を逃がす換気のことです。

市居さんの焼くお好み焼きは、厚みがあった。キャベツの層に空間がありました。
茹でた麺は、焦げ目がうっすらとついてパリッとしていました。
卵は、そばに絡みしっかり熱が通っていました。見た目も美味しそうであった。
キャベツに均等に熱を入れて、焦げないように甘みを引き出すことは難しい。
キャベツが、シューシューと音をあげる。焼ける音です。
音が変化したら、火が通った証です。その一瞬を追求し、見逃さない。
広い鉄板の中で、一番温度が高い鉄板の上で作業をする。
焼ける音を聞く。お客さんと会話しながらでもできる。集中している証拠です。

私は、カフェを開店するとき、「お好み焼き」も選択した。
自分たちが判断できる味(故郷広島のソールフード)であった。
この地域のラーメンの味付けが、広島焼きを後押しすると考えた。
注文生産できるメニューと判断した。
川崎の厨房中古店で、25mm鉄板(150℃~250℃変換可能の二バーナーのガス式)を見つけた。
軽トラで行き積んできた。

キャベツを焼く時の蓋の役割をする生地の作り方、キャベツの切り方(葉から芯で厚みを変える)を学んだ。
調味料(煮干し粉、鰹粉、ソース(甘いと少し辛い)、天かす(いか天入り))を広島から取り寄せた。
そばは、冷凍めんから焼きそば用までいろいろ試して決めた。
すべて、会津の師匠から指導を受けた。食材の卸も紹介していただいた。

キャベツは均等に火を通すため、葉から芯まで厚さを変えて切り、三度ひっくり返すことにした。
天かすは、キャベツの間に一握りを入れ、サンドイッチにした。
保健所の方に肉屋を教えていただき、しゃぶしゃぶ用の厚さに切って、納入してもらった。
色々と試し、毎日食べて味を確認した。キャベツの甘みが出る迄一年かかった。
開店時に来られた常連客は、最初のお好み焼きにお金を払ったのは何?と言われた。

コーヒー、紅茶とパンとケーキをセットに出す店で、ピザとお好み焼きを組み合わせた。
昼間の顧客だけでは、食べていけないと判断し、一組だけの予約客(夜)をとることにした。
ここでも注文生産(日程、人数、男女比、飲むのか)のおまかせ料理とした。
飲み残しのアルコールをキープする場所もないことから、持ち込み(飲み物、食べ物)自由とした。
一人当たりの飲み単価を下げるためでもあった。

お好み焼きは、焼き上がりが美味しい。
しかも、余熱のある鉄板の上で食感が変わるのを楽しみながら食べる。
カフェでは、鉄板は厨房の中にあり、皿に盛ることとなった。
お好み焼きができるまでのこて捌きを見せる。お客さんの顔を見ながら談笑する。
これが、またよいのであるが、カフェではできないので、お客さんとのコミュニケーションは妻の役割となった。
予約客には、ピザもあわせ必ず出している看板メニューである。
キャベツが甘く、美味しかったと言われると嬉しい。

注文が同時に2枚までなら、何とか同じ味を出せるような気がする。
4枚になると怪しくなる。キャベツへの火の通り具合が均等でなくなる。
仕上げの卵の焼き具合にばらつきが出る。
開店間もない頃は、焼き上がりまで30分かかった。二年経っても20分がせいぜいである。
15分を目指している。プロは10分で仕上げるだろう。

キャベツは、端境期がある。5月頃(約一カ月)にはお好み焼きに適したキャベツが市場から消える。
困ったと、畑でキャベツを作ることにした。冬越しのキャベツは芯が太く甘みが強いことを知った。
カフェで使うキャベツは、1個/日(大きさにもよるが、4-6人分)がせいぜいである。
畑に時期をずらして、苗を植えている。無農薬で作るため、蝶々と青虫との格闘の毎日である。

いろいろ考えて、試行錯誤している。
10年で一人前と言われる。その通りだと思う。
同じ味(最高と信じる)を出し続けるのは至難の業である。
自分が焼いたお好み焼きを毎日味見をする。知らずに味が変化する。

舌が知る ソールフードは お好み焼き

2020年7月1日
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婆様のアイドル

2020-06-30 04:44:13 | よもやま話

絵のタイトルは、「やっちまったぜ」です。
似顔絵を描くから、笑顔をお願いします。
一瞬気が緩んだところを、はいパチリ。


今日のタイトルは、「婆様のアイドル」です。
認知になったら、とぼけた顔して後家の家に転がり込もうとしてたから、よい練習になる。
二三日泊めてもらったら、「世話になったね」と辞する。
ところが、「あんた今度いつ帰ってくるんだね」と言われた日には、興ざめです。
婆様も認知です。

隣りの婆様が、菓子折りを持って朝早く訪ねてきた。
草を刈ってくれたお礼だと言われる。
山道に続く里道の草を刈った。ついでに、伸びていた草も刈った。
どうやら、ついでに刈った場所の草を婆様は気にしていたのです。

妻が時々口にする「こうだったら良いな」を、婆様が口にするようになった。
大家の耕作放棄地の伸びきった草をかんり機(耕運機)でやっつけていたら、
婆様が来て、ここも鋤いてくれと言う。猫の額ほどの土地を10分で片づけた。
「あの畑の草も無くなればよいな」と独り言を言っていた。聞こえぬ振りをした。

昨晩、地域おこし協力隊の食事会をカフェでやってくれた。
帰りがけの若い人に、「パン教室」もやっていると妻が勧めている。
それから、面白おかしく移住生活の話をしている。
若い女性が聞き役でした。
夜も遅くなり、申し訳ないと感じた。
妻も婆様扱いなのに気づいていない。
話を聞いてもらう立場になったと感じた。

ある婆様は後家です。
隣りの若い者に畑を耕してとは、頼みにくい。
大きいトラクターでは、入れない段々畑である。
困ったことがあったら言ってくださいの声掛けに、畑を鋤いてと依頼があった。
その日のうちに、かんり機を軽トラに積んで、後家の畑に向かった。
1時間も鋤いたら、もう終わり。
これで、婆様も大威張りで、農業が続けられる。
一か月後にビールが届いた。なんとなく、化粧をしていたような気がする。

私達は、気づかぬうちに「話を聞いてもらう」立場になっていた。

アイドルは 婆様と爺様 猫ちゃんも

2020年6月30日
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伝える

2020-06-29 06:36:10 | プロジェクトエンジニアー

大分県の「熊の磨崖仏」(タイトル)です。
坂道の階段を登りきったところにありました。
よくぞ、適当な岩を見つけました。


今日のタイトルは、「伝える」です。
悩んだときに、先輩の一言で助かった。
入社したての頃、弁当の片づけをしていました。
別に決められたことではありませんでした。
「なんで、俺ばっかり」と言った一言に、長年勤めている女性から、
「やらなきゃいいじゃない」と反応がありました。
今思うと、「やらせていただきます」ではなかったな。

伝えるとは、
①つたわらせる
 言葉を取りつぐ。また、(ひろく)言い知らせる。
 次々に後代に言い知らせる。語りつぐ。
 学問や技芸などを教え授ける。
 物事を渡し授ける。譲り渡す。
 はこぶ。もたらす。また(作用を一方から他方へ)移す。
②受け継がれて来る。ものをうけとめる。
 聞いて知る。伝聞する。
 学問や技術などの伝授をうける。うけつぐ。
 物事をひきつぐ。
(広辞苑より)

私達は、「①つたわらせる」に重きをおきがちです。
田舎では、過疎にならぬよう、現状維持のため何かを後世に伝える。
都会では、個人レベルでは何を伝えようとしているのか明確ではない。
それは、個人より行政の仕事です。
なぜなら、都会ではあまりにも多くの人々が出入りするからです。
良かれと思っても、受け手は次々に動き、情報も頻繁に変わり、人々の集中度は分散される。
個に埋没し、互いは無関心となる。

心配なのは、伝えようとする流れが上流から下流へと決まっていること。
下流から上流への動きは封じられる。
下流は、上流からの情報の受け手として、情報を取捨選択する自由はある。
しかも都会の上流と田舎の上流は交じり合わない。
都会の上流が圧倒的に大河な故に、田舎の小さな流れはなきがごとく。
田舎の上流は、社会全体では無視される。

受け手について書いてみたい。
仮に、学生時代だけ田舎で暮らすことができたらどうなるだろう。
学生時代を都会で暮らすことはよくあることです。
受け手としての経験の幅が広がるだろうか。
私は、受け手を鍛えたい。
田舎で暮らす学生が、一日三便のバスを利用して生き抜いていく。
一時間に一本だけ走る列車を利用する。
不便極まりない。受け手の学生はどうするだろう。
勉強の合間にアルバイトをしたい。働く場所は限られている。
学生でありながら、起業する人も増えてくる。無いものは作るしかない。
耕作放棄地を見て、グループで野菜を作るものも出てくるだろう。
田舎だって、若い労働力と知恵を見過ごすわけがない。大いに活用しようと試みるだろう。
田舎では、人財不足のはずである。

情報の流れを、上流から下流へと書いてみた。
例えば、運河のようなものができ、下流であっても上流のような流れができるのではないかと考える。
高速道路のように、いったん東京へ戻った方が目的地に早く着く。
これは一昔前で、何重にも環状線ができている。しかし、あくまで東京の交通緩和にしか見えない。
運河に目的地が無ければ、流れは出来ない。

(ここで中断。残り飯で炒飯を作った。
プロが作る炒飯は、すべての飯がばらばらでしかも卵がまとわりついている。
さすればと、卵飯(事前に卵を溶きからめた)にして炒飯を作ってみた。
プロと同じ炒飯の形にできた。あとは味付けだけである)

大分県は、移住者を大いに呼び込んでいる。移住者の町が点在するようになった。
大分県庁は、動き出した。移住者を呼び込まない場所も通過点とみなし整備した。
点在する移住者の拠点が、ベルト状になっている。
そのうち、福岡県とも熊本県やその他の県と連携を始めることだろう。
やがては九州全体がユニークな移住者の楽園になることであろう。

有名な企業は、卒論に「町の活性化」に取り組んだ学生を積極的に採用した。
すべての授業を英語でやる大学の学生を採用した。この大学は、留学生が半数を占める。
同時に、留学生は日本語も習得でき、日本人学生は国際交流ができた。

過疎の町に来た学生の卒論は、「空き家の再生」や「シャッター街の活性化」などのテーマとする。
再生できた空き家に住んで、隣接する耕作放棄地で日々食べる食材を作る。
専門家(建築学部、工学部、農学部など)の卵は余るほどいるし、彼らにとっても貴重な実践フィールドである。
机上の学問に比較し、必要なものは多いが、流した汗と見た情報は格段に生きるはずである。
学生が、代々自治権を持ち管理する空き家に住めばよい。小さくて高いアパートに住む必要はない。
不便を体験することが、やがて上流になって流す情報の質が変化する。
逆に都会の空き家に、田舎から来た学生が住めばよい。互いの自治体が積極的に斡旋する。
ドイツの学校では、両親が教えてくれても単位となり卒業できる。学校に行くだけが教育ではない。
庭の花を見て、数学を学び科学を学ぶ。汗を流して体力を鍛える。
虫と共に音楽を聴き、花を愛でる。
どこにも青山ありです。

キーワード 探すが未来 ヒントなり

2020年6月29日
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気になるから

2020-06-27 05:53:52 | よもやま話

絵のタイトルは、「ゴルフ場の女」です。
あるゴルフ場で見た彫像です。ゴルファーも元気が出たことでしょう。
私は美しいと気に留めた。どこがどうと絵にしてみた。
大いに、「気になった」のです。


今日のタイトルは、「気になるから」です。
私は、4年前の4月7日に移住しました。新しい仕事をこの地で得たからです。
移住前後で、考え方や感じ方が変化していないか。
そして、この記事を読みました。

2016年4月7日投稿記事「何々しなけりゃの夢をみる」では、
「何々しなけりゃ」なんて、本当は存在しなかった。
個人の勝手な妄想のようなものだったと気づきます。
普遍もありませんでした。
だから、「何々しなけりゃ」なんて修行のようなものはしない方が良いと今では思います。

ほととぎす 鳴くは私の 勝手でしょ
(記事より抜粋)

「何々しなけりゃ」と組織の中で暗黙の決め事に四苦八苦していました。
この地で4年を暮らし、決め事は自分で作るものに変化していました。
そう、「気になるから」になっています。
別にしなくても暮らせる毎日です。いい加減に生きても一日です。
台所は、広々と使う。
庭は、土が見えるほど管理されている。
畑では、作物が生き生きと過ごしている。
庭に続く森まで、「こうだったらよいな」と下草と侵入する竹を掃っています。

気にしなければ、何でもないことです。自然に任せればよいことです。
道路の草も、「気になる」人が刈るだろうでよいじゃない。
それでは趣がないと感じます。
残念だなと言う気持ちのようでもあり、磨いてみたらどうなるかなという興味なのかもしれません。
「何々しなけりゃ」は、塵ほども感じません。

何の前に、シーツの乱れが気になる内装屋を前に、白けてしまうおかみさんの様子ではありません。
「気になる」は、個人の生き方そのものです。その人らしさです。
そう感じることで、私はいろんなことから解放されてきたと喜んでいます。
「気になる」ことを毎日やっています。
妻の「何々があったらよいな」に、目を開かれて応援しています。
続けられるか、どこまで「気になる」に没頭できるか、神のみぞ知る。

ゴミ拾う よいことあると 大リーガ

2020年6月27日

趣とは、
心の動く方向。心の動き。心のあり方。
事柄の大事な内容。伝えたい事柄。
物事のなりゆき。事情。ようす。
しみじみとしたあじわい。おもしろみ。
・・・・ということ、・・・のようす。
(広辞苑より)

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いただきもの

2020-06-26 05:56:26 | よもやま話

絵のタイトルは、「じゃがいも行進」です。
妻の作品です。


種付け師からブロッコリーをいただいた。隣村の農家が作られたものです。
大玉を5つも。3つは、帰宅途中に近所に配った。ま竹をお返しにいただいた。
ブロッコリーは、パスタに入れて、さっそくいただいた。ま竹は、湯がいて冷蔵保存にした。
ブロッコリーはどちらかというと嫌いな野菜だった。おそらく冷凍品しか食べていなかったからだろう。
ここに来て、こんなに美味しいものだと知った。

今日のタイトルは、「いただきもの」です。
野菜(レタス、キャベツ、人参、ブロッコリー、きゅうりなど)が大量に地域で回ることがある。
移住5年目にして分かった。作付変換の時期に出回る。畑に残った野菜が無償で配られる。
農家の方は、地域の捌ける人(顔の広い人)に頼むと渡す。「了解」と、いろんな人に声をかける。
声がかかったら、すぐにいただきに行く。野菜は鮮度が命です。
朝どれ野菜は、夕方までに地域に配られる。

きゅうりは、食べてもどんぶり一杯が限度です。よって、塩漬けにして冬に戻して食べる。
「いただきもの」は、人々の胃袋を満たしたら、知恵を絞って保存される。
さらに余ったものは、それぞれの人が感謝して処分する。

移住してきて間もないころ、「お返し」に悩んだ。
買ってきたものは受け取らない。
地域の人は、美味しいものしか配らない。
お礼は要らぬ。感謝の笑顔で十分でした。
あるものが配る。ないものは、いただく。
そのうち、カフェをやり売れ残りのパンを夕方に配るようになった。
暇なときは、配るために作ることもあった。

ヘルプ(木々伐採、道具の貸し借りなど)の依頼があったら、仕事をやりくりして出かける。
大勢でやれば、やっかいなこともすぐに片付く。そして、夕方にいっぱいやる。
サービスが回る。
かつては、「金とサービス」が地域内で回っていたのです。
ニッチ(隙間産業)の仕事をする方が、引き継いでいます。
子供たちは見ている。大人になったら、当然のごとく同じことをする。
過疎にはならない。

田舎では 草と隣の 息吹する

2020年6月26日
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