故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

草刈りがしたい

2018-03-31 07:01:35 | よもやま話

今日は、この人です。
なかなかの好男子です。
中学生の似顔絵を見て、ばあちゃんたちが騒ぎます。
これはあの子かと、孫の友達も気にかかります。
ばあちゃんの記憶を呼び覚ます良い機会になりました。


今日のタイトルは、「草刈りがしたい」です。
とうとう、梅の剪定も高木の伐採もできませんでした。
忙しいを言い訳にやりませんでした。
せめて、草刈りをしたい。

今の草は、芽を出したばかりで根を張るまでにはなっていません。
引っ張ればするすると抜ける。
少し根をかいてやれば取れます。
ああ、草刈りがしたい。
これを逃すと、大変なことになります。

耕運機が欲しい。
クルクルと回しながら、出てきたばかりの芽と根をおこせます。
しばらくは、草とも縁が切れます。

やることは、次から次に溜まっていきます。
年金請求書の送付。
免許書き換えの手続き。
ジパング入会の手続き。
保険請求書の作成、送付。
法定後見人の書類作成、送付。
月報、清算書の作成、提出。
義兄の転院手続き、支払。
要するに、書類作成が溜まっています。
きっと、苦手なのでしょう。

ええい、ままよ。
草刈りをしよう。

春浅き まだ間に合うと 鍬と鎌

2018年3月31日
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是々非々

2018-03-30 06:28:53 | プロジェクトエンジニアー

東の西郷どん。
この方の似顔絵はどうなるかと思いました。
無事に描き終えました。
長い間、ご苦労様でした。


今日のタイトルは、「是々非々」です。

良いことは良い、悪いことは悪いと、事に応じて判断すること。(広辞苑より)
正直に言うことが、なかなかできないようです。
役所に勤めていると、上の者が右と言えば、右を向かざるを得ない。
役人の鑑と言われても、是々非々とはいかない。
民間企業でも似たようなものです。

しかし、多くの人間は正直です。
隠したい、言ってはいけないと強く思うばかりに、ある「言葉」に反応してしまいます。
その言葉が、真相解明のキーワードのようです。

マクドナルドでも、百貨店でもマニュアルトークがあります。
短時間で間違いなくオーダーをこなす時に使われる言葉があります。
研修で覚え込んだ言い回しなんでしょう。
「お包みしますか、このままお持ち帰りになりますか」
と親切めいて尋ねます。

そんなことはいいから、早くよこせと、気が短くなるばかりの男性が言います。
そばにおられる奥様が、他人になりたい場面です。
失礼しましたと、これまた慇懃無礼に従います。
本音は、
包む必要はなさそうだけど、一応確認することがルールだから。
駐車場がタダの時間が過ぎてしまうではないか。
と言った塩梅でしょうか。
先に本音を言えば、ぎすぎすしないで済んだのに。
是々非々とはいかないようです。
きっと、時候のあいさつでも挟めば、お互い話しやすかったのです。

プレゼンテーションでは、一人の人に集中して話さない。
順繰りに左右正面のお客様に語りかける。いつもよりゆっくりと話しかける。
こんな風に教わりました。

子供との会話で、常に奥様を介してやっていました。
奥様が急死されました。
さて、どうして伝えたら良いものか困るのが、旦那であり子供です。
遠い昔に是々非々の判断を怠けたつけです。

私達は、いろんな理由で、是々非々を忘れてしまいます。
嘘の上塗りが出来ぬ歳になりました。墓場に持っていくことさえ忘れそうです。
本音だけで話してもけんかにならない関係が、あると良いですね。
そんな場所があるとしたら、世界一入りにくい居酒屋なんでしょう。

地団太を 踏んではみたが 月笑う

2018年3月30日
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転職の是非

2018-03-29 07:17:32 | プロジェクトエンジニアー

果てなき乙女心というタイトルの絵です。
乙女心は移り気なのか、屈託のない笑顔を想像して描いたのか覚えていません。
えんどう豆のつるが風に舞いしがみつく場所を探しています。
どこでもよかったとも言えるし、探して見つけたとも取れる。
いずれにしても求めています。


今日のタイトルは、「転職の是非」です。
私は、都合7回の転職をしました。
そのうち2回は、リストラです。
それも同じ会社で、2回リストラに会いました。
リストラされた会社には、恩こそあれ恨みはありません。
できれば続けたかった。

それぞれの職場で、拾われたという表現が正しい。
面接を受けて、採用されました。
必要とされたから受け入れられました。
使ってもらってなんぼと、それぞれの職場で頑張りました。
一貫して、プロジェクト(ものづくり)に関わる仕事でした。
サービス、現場監督、設計・開発、プロジェクトマネージャー、営業、地域おこしなどでした。
プロジェクトを受注する側(エンジニアリング会社)であったり、
発注する側(施主)でした。

では、何故転職しようとしたのか。
ひと言でいえば、自分探しでした。
自分には、何が向いているのか、
自分は何がしたいのかと模索していたのだと思います。

俺にはこれしかないとないと思うまで、約15年かかりました。
あとの20年は、自分ができるこれしかないと思う仕事をやり続けたということです。
家族を養うこともなくなった頃、これをやってみたいと初めて仕事を選びました。
そこに至るまで実に35年を費やしました。

これからは転職の時代です。

大事にしていただきたいのは、自分はなにができるかと良く知ることです。
職場が変わっても、やることは同じでした。
一貫して、プロジェクトエンジニアーでした。
同じ会社(顧客)から、転職したそれぞれの会社(3社)で仕事(工場づくり)を
受注しました。果ては、その会社(顧客)に入社し、プロジェクトをやりました。
その会社(顧客)は、20年の歴史があり、20年間工場造りに関わったことになります。
その仕事(エンジニアリング)をもうやってないと、初めは断りました。
個人に名指しで仕事の依頼をされました。転職した会社を説得し、最後には受けました。
会社が変わっても、そんなことがなぜ出来たのか。
プロジェクトはチームでやる仕事です。チームは出会い帳場で結成します。
何が必要か分かっていれば、どこでもチームは作れます。
仕事のエッセンス(必要なもの)は、受注した会社には残らないのです。
会社に残った記録ではなく、個人に残る記憶が必要なものを都度あつらえるからです。
もちろん記録でも仕事をできます。エンジニアリング会社だからです。
人が替わっても、記録を辿り仕事をします。普遍のツールがあるからです。

若い人が転職しようとするなら、「仕事を選びなさい」と助言します。
間違っても会社(組織)を選んではならない。
会社は、総合職として多くの人財を採用します。
組織の中で、いろんな仕事をすることになります。
望まぬ仕事もなかにはあるでしょう。こんなはずじゃなかった。
組織を選んだのだからしようがありません。

どんな小さな会社でも、仕事を選んで入社すれば少なくともその仕事ができます。
仕事をしながら、多くのことを学べるでしょう。
仕事(解決する力)ができれば、どんな会社に行っても仕事(得意なこと)はできます。
仕事のスキルが上がるごとに給料も上がることでしょう。
つまり、金は後からついてくることになります。
給料が上がることがなくても、自分のなかに財産が出来るでしょう。

組織(会社)や給料を選んだら、それまでの経験はご和算になり、一から出直しです。
転職で求められているのは、解決する力です。
自分が持っている力(コミュニケーション力、知識、展開力、開発力など)で、
その会社が抱えている難題を解決できるのです。
会社にある組織と金を使ってできるのです。
それらの力は、仕事を経験しながら培う力です。
だから慌てることはない。辛いこと(失敗)もすべて経験になります。

会社も変化しています。
社内転職ができる会社もあります。
やってみなはれと、組織と金を預けてくれます。
技術革新がめざましいこのご時世、
センチュリーカンパニーは一つの成功(生業)から始めたにしても、
次から次に新規事業に入っていきます。または、技術革新を続けます。
そんな時、社内転職組が活躍するのです。

思うことあれば、試してみることです。
これが嫌だからも、立派な動機の一つです。
嫌なことも我慢が出来るのは、やりたい仕事だからです。

「転職の是非」でした。
冒頭にも書きましたが、やむなく転職を繰り返してきました。
今思えば、すべての辛いことが、血となり肉となっています。
自分(心の羅針盤)を見失わなければ、どこでもやっていけます。

迷い道 棒が倒れる ほうに行く

2018年3月29日
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勘違い

2018-03-27 13:49:54 | よもやま話

我が家にも蘭が届くというタイトルの絵です。
やせ我慢にもとれるタイトルです。


今日のタイトルは、「勘違い」です。
生ごみを捨てに行きました。
ゴミ集積所の前に工事業者の車が止まっていて近づけませんでした。
業者の一人が、手を振って片側通行のサインを送ります。
私は車を停めて動こうとしません。
業者の方は、急いで通れとむきになって手を振り始めました。
私は、それでも動きません。
業者の方は、もうやけになって私をにらんでいます。
私は、やおら指先で集積所に用があると意思表示しました。
車をゆっくり降りて、生ごみの袋を集積所まで運びました。
その人は、苦笑いをしていました。

こんなことってあるんです。
善意の親切です。
でも違うんだな。

おばあちゃんが、横断歩道の前で困っています。
親切な人が手を引いて、渡らせてあげました。
おばあちゃんは怒っています。
おばあちゃんは、迎えの車を今かと待っていたのです。

勘違いは誰にもあることです。
常々、笑いの種を探しています。
気に入らない奴の一挙手一動作を観察します。
癖はあるもので、鼻をこすったら自信のないことを適当に言う時だなと判断できます。
ほら、またやった。

勘違いがかぶさったら、さらに笑えます。
威張って後ろに棒が必要なほどそっくり返る人を見ると、
心の中で、つっかえ棒を差し出します。
勘違いもほどほどにしろよ。
お前が偉そうにしていられるのも、皆が神輿を担いでくれているからなんだよ。
と言わぬまでも、態度に出てしまいます。
裸の王様の多いこと。

ただね。
勘違いでもよい、自分のモチベーションを上げるためなら、
豚さんでさえ木に昇るから。
大いに、勘違いで生きてみようじゃないか。
勘違いに気づいた頃、恥ずかしい想いをするかもしれないけど、
若気の至りということで、いかがでしょう。

「勘違い」でした。

ウインクに 胸をときめき 後ろ人

2018年3月27日
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国際交流

2018-03-25 06:15:01 | プロジェクトエンジニアー

阿吽というタイトルの絵です。
沖縄で会いました。
阿吽とは、
最初と最後。
寺院山門の狛犬などの相。一は口を開き、他は口を閉じる。
「阿」は口を開いて発する音声で字音の初め、
「吽」は口を閉じる時の音声で字音の終わり。
万物の初めと終りを象徴。
(広辞苑より)


今日のタイトルは、「国際交流」です。
この地に住むと決めてきた。
草を一緒に刈りたい、公民館を国際交流に使わせてほしいと惣代に依頼しました。
お前はここの住民じゃない。草は刈らせないし、公民館も使わせない。
変なことを言う。
都会にも出て商いをする和菓子屋の大将が間に入ってくれて、どちらも実現しました。

排他的と言ってしまえばその通りです。
異分子を排除する動きです。
そういう自分が、生まれてきた時は異分子であったはずです。
大事に大事に地域で育てられたことも忘れて、何を言っているかと思いました。

日本とて、テレビが普及する前までは、他の地方に行っても会話になりませんでした。
この狭い日本でさえ、方言でちんぷんかんぷんでした。
ここに来て、ことあるごとに今は何を言ったのと、赤子のごとく尋ねました。
やっと耳慣れして、こんな意味なのかなと推測できるようになりました。
英語が話せる自分にとっては、英語よりここの方言が理解できなかった。

英語にもいろいろあって、アジア訛りは、「R」が強い。
ドイツ言語圏では、ウムラウトを挟んだゆっくり英語でした。
英語圏では、スラングのオンパレードでした。
何を言ってるか。
同じ英語なのに聞き取れない。

すべてが慣れです。
必要性があるから一生懸命しゃべる。
排他的とは、必要性を感じないから出てくる意識です。
そうじゃない。
周り回っていることを知らないからです。
その地域だけで回ることなんてもうないのです。
安いと思って買う野菜は、メキシコ産だったり中国産だったりします。
オマーンからだって輸入しています。
肉にいたっては、押して知るべし。
花だって、アフリカからオランダ経由で日本に入っています。
アイルランドの火山が噴火すると、飛行機が飛ばないから花の値段が上がりました。
彼岸で使う菊だって、沖縄から来ています。
3.11で墓参りを自粛したら、沖縄の花業者は多くの菊を捨てました。

これを知らないでどうする。
どんどん出ていくべきです。
金魚のうんこのように、
案内人のあとをついていく「行っただけ」の海外旅行は意味がない。
路地裏に入って、大いに会話をしましょう。
悪い人も大勢いますが、圧倒的によい人ばかりです。
そうでなければ、その場所は人が住まない過疎(スラム)になってしまうからです。

そして、外国の人を受け入れるべきです。
自分たちの子孫(子供達)に積極的に「外へも行け」と伝えるべきです。
どこでだって生きていける。
生きていけるから、誰でも受け入れる。
そうしないと、もう私達は生きてはいけないのです。

30万も稼いで、ネットカフェじゃないと生きられないなんて。
ネット難民になりたくないかららしい。どうかしています。
東京にしがみつくしかないから、そんなことになる。

自分だけが得するなんて、もうありえない。
その地域だけが、過疎から免れるなんてありえない。
今までいた人が、半分になるのです。
人口密度が高かった日本が過疎になる。

英語教育が先じゃない。
外国に行くことが先です。
外国人と交わることが大切です。
必要があれば、話せるようになります。
その必要性を作るのが大人の役割です。

昔はこうだった。
そうです。
文化の元となる日本語は美しい。
英語が上手になったって、日本語でしっかり考えられなければ意志は通じない。
昔から日本にあった、相手のことを尊重する精神がなければ大事にされません。

昔からこうだった。
緩やかな変化です。
変化に気づかないけど、昔からこうだったと「おらが村」の自慢をしたい。
染みついた生活の知恵。
それこそ、国際感覚の第一歩です。

頑張ろう日本。

外に出て 寒いと感じ コート着る

2018年3月25日
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