ブログを書き始めて、1年が経ちました。
書いた記事数は265でした。
読者の数は、のべ5400人でした。
私の記事へのアクセスは、「検索キーワード」からはほとんどありません。
この4ケ月、毎日アップしました。
おかげ様で、30人位の方が訪問してくださるようになりました。
ほとんどの読者のかたが、身内同然で私をよく知っています。
相変わらず、馬鹿なことを書きおってと読んでくださっているのです。
量より質を心がけています。手間暇かけてが実情です。
感動を伝えるのは、パッションがなければなりません。
自分を見つめなおすクールがなければなりません。
オリジナルの絵手紙の数も100を越えました。
線さがし、色さがしをし続けています。
言葉に重ねるように、絵でも感動を伝えたいと思っています。
では、なぜブログを書くのか。
なぜ、このような手法を用いるのか。
60歳を過ぎると、過去を振り返ることが多くなります。
未来に対する不安はより一層強くなります。
夢中になって駆けてきた「つけ」と、「エアポケットのような休息」を
感じます。何かを伝えたいと同時に生きている証が欲しいのです。
ある時払いの「つけ」を清算しなければと考えました。
今だったらできる。もう少し先にできるかわからない。
私は、多くのかたに支えられて生きてきました。
今、読んでくださっている「あなた」に生かせていただきました。
掛替えのない時間を、一緒に過ごさせていただきました。
辞世の句となっても良いと思い書いています。
友人に、両親に、家族に伝えなければならないことがたくさんあります。
飾りたくない、正直に気持ちを残したい。
剣道の残心のように、明日に気持ちをつなぎたいのです。
できれば笑えることを残したいのです。
こんなに可笑しいこともあるんだよ、
面白いことだと思えるのは、こんな気持ちになる時だよ。
掛替えのない命です。
周りの人もすべて掛替えのない命をつないでいます。
それを、大事にしたい。
棺桶を 這い出し朽ちて なお笑顔
2015年4月30日