ガのなかまだとは思うのですが,たしかなことはなにもわかりません。初めて見る昆虫です。
動かないので,簡単に接写できました。からだを覆う剛毛が目立ちます。複眼には花粉が付着しています。花を訪れた証拠です。
さらに近寄ってみました。あちこちに花粉が付いています。
もっともっと近づきました。でも,じっとしたまま。
受粉に貢献したのですね。
ガのなかまだとは思うのですが,たしかなことはなにもわかりません。初めて見る昆虫です。
動かないので,簡単に接写できました。からだを覆う剛毛が目立ちます。複眼には花粉が付着しています。花を訪れた証拠です。
さらに近寄ってみました。あちこちに花粉が付いています。
もっともっと近づきました。でも,じっとしたまま。
受粉に貢献したのですね。
公園のコブシは開花までにはまだ日がかかりそう。その風景を撮っておこうと一本の木に向かいました。
木の下辺りで子どもたちがシャボン玉を飛ばして遊んでいました。なんとものどかな風景です。平日なのですが,新型コロナウイルス感染症の拡大防止対策で学校が臨時休校。それが長期にわたっているので,公園には家族連れがとても多いのです。
わたしが木の芽の写真を撮っていると,シャボン玉遊びに興じていた子らがわざわざシャボン玉を飛ばしてくれました。
何度も何度も同じことを繰り返してくれました。見守りの親御さん公認の行動です。
足元にシャボン玉が落ちました。それを撮っていると,シャボン玉を追加しくれました。
世の中は,感染症対策のことで一変してしまいました。わたしの努めるミュージアムもまた臨時休業が続いています。早く収束するように祈るばかりです。
今年のロウバイを訪れた昆虫は,わたしの記憶にはない少なさでした。実際は例年通りの訪れようだったかもしれませんが,少なめだから観察を怠ける,怠けるから目に付くものが少なくなる,もしかするとこんな悪循環だったかもしれません。
それに,ロウバイの花の多くは下向きに開いているので,そうなると見上げるようにして観察しなくてはなりません。この姿勢がたいへんなので,ついつい見逃してしまっていたかも。
というわけで,今冬最後の報告が№4の記事になりました。
ロウバイの花が萎びて落ちていきます。たまたま見かけたのが,下向きに咲く花に入ってゆく小さな昆虫。ハエのなかまです。花弁の色が白っぽいので,虫のからだが小さくても居場所がよくわかるのです。
歩いて移動。横向きになりました。体長は5mmほどでしょう。
思いっ切り近づいてみました。居心地がよいのか,じっとしたまま。
同定できればよいのですが,今のところさっぱりです。
一年前に来た草地です。サクラが咲いて,ツクシが伸びて……。
上と同じ風景をやや上の位置から撮りました。ツクシがにょきにょき。
すこし移動して。水平の位置から撮りました。
やっぱり上方向から。ツクシがいっぱい!
晴れて,なんともすてきな春!
オドリバエのなかまが花の中を覗いて摂食中です。この昆虫は今年は初めて見かけたのですが,これまで毎年見て来ました。
長い口吻が特徴です。吻には花粉がちらり。
まだもの足りないようで,隣りの花を覗き込んでいました。
マンサクで見かける昆虫は多彩です。改めてそう感じます。
トンデモ発言をする人が世の中にいても,なんらふしぎではありません。それぞれにものの感じ方,見方,考え方がちがうので,それはやむを得ないこと。しかし,基本的人権を侵す,言論の自由からみて疑義が生じるなど,人として許されない範囲を超えたらダメだなあ。
今回話題になっている,全国紙の社会部記者氏のツイッター発言にはうんざりげんなりです。こんな感覚の持ち主がこの新聞社に籍を置いているってことです。言論に人一倍敏感であるべき立場の人が,ことばを毒にしてしまったのです。わたしはこの全国紙を購読していますが,同紙関係者がときどき起こす不祥事から「情報を鵜呑みにするな」と肝に銘じて来ました(他紙も似たり寄ったり!)。これからも一層要注意です。
記者氏は自分の行為が批判にさらされ始めたので,さっさと記事削除。それを知った当新聞社は事態の重大さを察知したのか,思いのほか早く記者氏を降格にして公式謝罪。潔いというより,大火になる前に火の粉を振り払うといったふう。
自身の姿かたちを見直す材料にし,内容を事実として記憶にとどめるために,ツイッター文として紹介されているものを敢えて引用しておきます。
「あっという間に世界中を席巻し、戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」
報道を生業にしている人が,ことばの深さに思いを巡らすことなく,慮ることを放棄して,空虚なことばを思うがままに並べ立てただけ。居酒屋ででも気軽に口にすることばのように,公式の情報サイトでまじめな意見として述べています。自己満足げなその文体から,大上段にことばを伝家の宝刀として扱う姿勢が見え隠れ。感度がひどく貧しく思えて来るだけ。
たぶん,この記者氏は全国紙業界で一定の地位にあり,特権意識を醸成してきていたのだろうと推測されます。それならごくふつうの庶民感覚・人権感覚が欠如しているにすぎません。
目線を庶民の高さに保つのを怠ると,とんでもない事態を自ら引き寄せてしまう好例かと思います。
さらに自己紹介の欄にはこうあるそうです。
「(略)編集委員(社寺・文化財担当)。趣味は空手(新極真会初段)。57歳のじいさん予備軍です。興福寺迦楼羅・非公式応援大使も仰せつかっています」。
これにしても,ずいぶん大仰な紹介に感じられます。(新極真会初段)がどうした? そう,ついつい思ってしまいます。権威を笠に着たいのでしょうか。いずれの団体に所属していようが,何段であろうがいいじゃありませんか。「興福寺迦楼羅・非公式応援大使」がどうした? 「仰せつかっています」がどうした? 自己吹聴のために他者を引き合いに出す人は生身の自己に自信がないようで,人に寄りかかって自己喧伝しようとします。「57歳のじいさん予備軍」だなんて! この年齢,まだまだりっぱな現役ですよ。57という数字を小ばかにしてはいけません。若い人のお手本になる行動をしなくては。世の中がよい方向に向かうように庶民目線で業務に専念しなくちゃ。
でも,この自己紹介を書いて人に迷惑が掛かっていないなら,他者からどうのこうのといわれる筋合いはないでしょう。感想としては,記者氏の自己顕示のレベルってこんなものかなって程度。
文を書く人の奥を想像して読んでいかないと,うまくごまかされそうな世です。「本は人で選べ」ということばがあります。信頼できる人の文を読むのがいちばん(新聞記事は署名入りが大事!)。わたしが愛読してきたそういう著者には,庶民感覚が匂っていました。庶民感覚が匂っていたからこそ愛読したのでしょうけど。
今回は異常事態です。情報過多の時代の行き過ぎ行為。情報に振り回されずにしかと向き合うには書きぶりを批判的に読み解く,これに尽きます。
(注) 写真は本文と直接の関係はありません。
キアシブトコバチの続き話をしましょう。
この日は暖かい日でした。きっとなにか昆虫が現れるだろうと思っていたら,きっちりキアシブトコバチが! ところがカメラの位置に無頓着で同じ枝から去ろうとはしませんでした。まったく幸い。
花の中を覗いているときを撮りました。
花から頭部を出して歩き出した瞬間です。
そのまま歩いて花弁の先へ。方向転換する様子です。
次の花を覗き込んでいます。
枝を下方に向かって歩き出しました。頭部は花粉だらけです。
花から花へ。摂食に夢中!
マンサクの花がよほど好きなのでしょう。わたしもまた,お気に入りの花。お蔭さまで冬から早春にかけ,小さな昆虫となかよくなれた気持ちが強くしています。
マンサクの花が散り落ちる頃,キアシブトコバチが出現期を迎えます。名残りの蜜や花粉を求めて,このコバチが現れました。じつに久しぶりのこと。
体長は5mm。脚が弓状に湾曲していて,しかも名のとおりとても太いのです。そして,脚が黄色! ずっと前のことですが,わたしは,一度見て名前が忘れられなくなりました。それほどに個性的なデザインの持ち主なのです。
歩いて移動。花に入った途端,花粉を食し始めた様子。
出て来たとき,口の周辺は花粉まみれ。横から見ると,後脚の曲がりがスゴイ!
とにかく,花から花へ歩いて移動。
じっくり撮影するチャンスに恵まれました。このつづきは次回に……。
マンサクの花は,ごく細い花弁を広げ,複数集まって咲きます。そうすることで,花一つは小さくて目立たなくても全体ではアピール度が高くなるでしょう。おまけに,花期が長いので,訪れる昆虫が少なくても木全体では相当数の昆虫が訪れることになります。無駄なエネルギーを消費せず,すこしのエネルギーを有効活用しているといえそうです。
花弁の幅が1mm程度。その花弁にとまっている昆虫を見かけました。たぶん,花に関心があって訪れたでしょう。
初めて見る昆虫。きっちり記録しておきたくて緊張しながら接近。
ハエのなかまです。
前から見ると,ガガンボ型の口吻をしています。名はまったくわかりません。
知らない昆虫は至るところにいます。昆虫の世界は広い,広い。
池畔にある早咲きのサクラが満開です。日をいっぱいに浴びて輝いています。
たった一本の木が精一杯にいのちを光らせているよう。
縦構図で撮りました。「サクラはいいなあ」。
これだけ花が固まって,昆虫が訪れるのを待ち続けます。それを待ち伏せるクモが見えます。
サクラの風景は申し分なし,です。