震災から間もなく一ヶ月になり、心身の緊張感から解放されて何とも言えない疲労感が出てくるようです。
皆さんは如何でしょう?私自身も言い知れぬ心労から解放したいと思い、震災後久しぶりに岩月大師の上村住職にお会いして参りました。
訪ねてみると何もなかったような町並みの中にあるお寺の正門からは地震の被害があったとは感じられません。
本堂でお参りをして、震災以後書き上げた写経を納めて、お寺の地震被害の様子は奥さんからお聞きしました。
お寺の庭にある燈篭が倒壊して、母屋の屋根から瓦が落ちてきて大変でしたとのこと、外を見ると確かに大きな燈篭が倒れています。
そんな被害があったことなど少しも感じさせない凛としたお寺です。
風も強く吹き付けている中で住職は庭の鉢植えの整理をお坊さんたちとしていました。
「やーよく来てくれました」土だらけの手と握手して笑顔で迎えてくれます。
「この鉢植えの花は“白根葵(しらねあおい)”という名前でちょっと珍しくてね」と、
地震の話にならずに、地震に耐えて咲いている花の話をしてくれる住職は人情厚いお人柄です。
起きてしまったことにいつまでもくよくよするのではなく、どんなことがあっても咲いている花の話で少しの時間を分かち合います。
いついかなる時もこころが落ち着いているさまを住職から感じます、泰然自若の境地とはまさしくこのようなあり方ではないでしょうか.
ほんの僅かな時間の交流でも住職の器量の深さを一瞬の姿から学びます。
お会いしただけでお霊気を頂ける存在と臼井先生は伝えられていますが、上村住職のように私には会っただけで多くを語らずとも何かの教えを学び心の癒しを感じられるような泰然自若の存在になりたいと念願します。
泰然自若とはどんなことが起ころうともあわてず騒がず、ゆったりと落ち着きはらっていること。
いざというとき、どっしりと構えてことに対処することを意味します。
お住まいがお近くで何よりです、岩槻大師の地下四国88か所巡りしてみましたか?
母屋の中には見どころ満載の部屋もあります。
いつ訪ねても笑顔で迎えてくれる住職は私の目指す存在です。
阿字観瞑想も本殿で出来るようなので今年の幸力の会幹事はお二人とも埼玉!!イベントを埼玉で開催しても良いのではと提案してみます。