志智佐織さんからの体験談:レイキが人生の新陳代謝をおこした
半年前、私は会社を退職しました。退職する半年前までは、外資系ソフトウェア会社の駐在員としてニューヨーク本社に勤めていました。私の仕事は日米間の調整役として、主に日本オフィスの抱える最も深刻な問題の早期解決を図ることでした。駐在は私の夢が叶った形でしたし、役割の責任も大きく非常にやりがいを感じていましたが、日本とアメリカの板挟みの毎日で、24時間体制で日本から緊急コールを受けるため、心身ともに休まらぬ本当に過酷な生活でした。深夜にアメリカ側の開発者をなんとか説得してオフィスに来させ、自分もパジャマのまま出勤し、日本と緊急会議しながら検証実験することもありました。2年ほど経ったある日、「これだけ身を削って働くのは一体何のためだろう?心が穏やかなことほど幸せなことはないのではないか」と気づいたものの、仕事を投げ出すわけにもいかず、そのまま内観のための時間を割くこともなく、月日が流れてゆきました。
3年経った頃、会社で大きな組織変更があり、オーストラリアが日本を始めアジア太平洋地域を統括することになりました。私は新しいオーストラリア人の上司から、帰国命令を言い渡されました。私は日本オフィスのためにある主張をしたのですが、それらはすべて批判的に受け取られてしまい、帰国後は適切なポジションが用意されず、日本の新しいトップの人間からは自主退社を迫られました。負けるものかと思って辞めずにいると、今度は過去の経験やスキルをまったく活かすことのできない部署への異動を言い渡されました。
疲れた私はある日、緑深い母校のキャンパスのベンチに座り、空虚な気持ちで物思いにふけっていました。すると突然、「もう十分やった。辞めてよし!」という声が聞こえたように感じました。その翌日、私は先の見通しが無いにも関わらず、一切の迷いが無い晴れ晴れとした気持ちで辞表を提出しました。それまでの私の人生は、どういうわけか自分が最も不得意とする環境に身を置くことが多く、それでも「忍耐は美徳」という観念で必死に努力を続けるものでした。一度築いた社会的地位や収入に対する執着心もあったのでしょう。そのような生き方を続けているうちに、自分が一体どのような器と役目を持って生まれてきたのか、まったくわからなくなってしまっていたのです。これからしばらく、好きなことだけしてみよう、と充電期間を持つことにしました。
それからは浄化、自己探求、気づきを求めて、お寺に座禅を組みに行ったり、写経したり、海外の精神世界系ワークショップを受講したりしました。ワークショップで知り合ったトルコ系カナダ人がレイキマスターだと聞いた時、私は初めて「レイキ」というものがあることを知りました。ただ興味はあったものの、多くの研究所の中からどの門を叩くべきか決めかねていました。その頃、友人と食事中に偶然(今思うと、必然ですが)レイキの話になり、彼女が伝授を受けたヒューマン&トラスト研究所を紹介してくれたことを縁に、レイドウレイキを学ぶことになりました。
レイキを学び始めて、不思議で意味深いことがたくさん起きるようになりました。アチューンメント中に青紫や赤紫の、まるで呼吸しているような光が見えたのも神秘的な体験でしたし、別の受講者の方からヒーリングを受けた後で青木先生が背中をさすってくださった瞬間に、自分がこの世に生まれ出たばかりの赤ちゃんに一瞬戻ってしまい、大きなタライの中で初めて背中に温かいお湯をかけてもらった時を思い出したことも不思議な体験でした。しかし、それよりも日々のできごとが不思議なのです。お店に入ると店員さんがとても感じよくなぜか話が弾みます。そしてさんざん商品を説明してもらった後で何も買わずに出て行くのに、「ありがとうございました!」と、満面の笑みと喜びの声で見送られるのです。先日はジーンズのカジュアルな服装で高級輸入家具店にふらっと入ったら、今度は店長さんと会話が弾み、また遊びに来てね!と名刺をいただきました。築地市場を見学に行くと、市場のおじさんに声をかけられ、私と友人はフォークリフトのような乗り物に乗せてもらい、市場内を案内してもらいました。
他にもいろいろあります。旅先で知り合った人から、レイキマスターだというご友人を紹介してもらいました。先日、あるコンサートに行った際、偶然(いえ、これも必然なのでしょう)その彼女と会場で一緒になり、2ヶ月以上も原因不明の咳をしていた私に対して、遠隔ヒーリングを送ってくれていたと言うのです。このような小さなことでも意味深いことが毎日のように起きるのです。
これはレイキによって私のオーラや波動が変わり、ハイアーセルフのメッセージをスムーズに受け取れるよう、受信機が修復された結果なのだと思っています。私にはハイアーセルフを聴覚や視覚で認識したことはありませんが、「しっかりつながっている」と実感できるようになりました。
そして気がつくと、私が数年前に切望していた「心が穏やかなことほど幸せなことはない」=「安心立命の境地」に自分がいるではないですか!今思えば私にとって退職は、レイキの門を叩き、安心立命に導かれるための、人生の新陳代謝のプロセスの一つだったのです。もちろん人間ですから、安心立命を保つには最低限の努力が必要ですが。その努力とは毎日レイキを意識することです。私はできるだけ発霊法を用いるようにしています。それにしても飽き性の私が特に苦労することなくできていて、しかも死ぬまで続けられると思えるのには自分で驚きますが、レイキとともに生きることは本当に幸せなことので、生活に組み込むのも自然にできるように思います。
青木先生からは、自分らしさを思い出すためのヒントとなるお言葉を何度かかけていただきました。おかげさまで自分の今後の役目を徐々に意識することができ、それを日記に書いたり両親や周りの友人に話したりしていくうちに、原因不明の咳が止まったように感じます。先日は鬱病と診断された友人にレイキをしたところ、エネルギーの感じ方が鈍い私にも、今回は確かな手ごたえがあり、「頭がすっきりした。オーラがキラキラ輝いているって感じがするし、ラッキーなことがたくさん起きるようになった!」ととても喜んでくれました。本当に嬉しく感じました。一人ひとりの中に神様がいて、それぞれに与えられた器と役目があります。
私は、その神様を引き出してみなさんに元気になっていただき、自分にしか咲かせられない花をそれぞれ咲かせられるようサポートする役目を果たしていきたいです。最近ふと、私の名前である佐織の「佐」は、みなさんをサポート(補佐)するという意味なのではと思うようになりました。レイキを通して生まれ変わる今、私も自分という器を自分なりに、世のため人のために活かしていきたいと思っています。青木先生、小川先生、レイキを勧めてくれた友人、レイキを通してご縁のあった皆様、両親、森羅万象に感謝いたします。
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志智 佐織
半年前、私は会社を退職しました。退職する半年前までは、外資系ソフトウェア会社の駐在員としてニューヨーク本社に勤めていました。私の仕事は日米間の調整役として、主に日本オフィスの抱える最も深刻な問題の早期解決を図ることでした。駐在は私の夢が叶った形でしたし、役割の責任も大きく非常にやりがいを感じていましたが、日本とアメリカの板挟みの毎日で、24時間体制で日本から緊急コールを受けるため、心身ともに休まらぬ本当に過酷な生活でした。深夜にアメリカ側の開発者をなんとか説得してオフィスに来させ、自分もパジャマのまま出勤し、日本と緊急会議しながら検証実験することもありました。2年ほど経ったある日、「これだけ身を削って働くのは一体何のためだろう?心が穏やかなことほど幸せなことはないのではないか」と気づいたものの、仕事を投げ出すわけにもいかず、そのまま内観のための時間を割くこともなく、月日が流れてゆきました。
3年経った頃、会社で大きな組織変更があり、オーストラリアが日本を始めアジア太平洋地域を統括することになりました。私は新しいオーストラリア人の上司から、帰国命令を言い渡されました。私は日本オフィスのためにある主張をしたのですが、それらはすべて批判的に受け取られてしまい、帰国後は適切なポジションが用意されず、日本の新しいトップの人間からは自主退社を迫られました。負けるものかと思って辞めずにいると、今度は過去の経験やスキルをまったく活かすことのできない部署への異動を言い渡されました。
疲れた私はある日、緑深い母校のキャンパスのベンチに座り、空虚な気持ちで物思いにふけっていました。すると突然、「もう十分やった。辞めてよし!」という声が聞こえたように感じました。その翌日、私は先の見通しが無いにも関わらず、一切の迷いが無い晴れ晴れとした気持ちで辞表を提出しました。それまでの私の人生は、どういうわけか自分が最も不得意とする環境に身を置くことが多く、それでも「忍耐は美徳」という観念で必死に努力を続けるものでした。一度築いた社会的地位や収入に対する執着心もあったのでしょう。そのような生き方を続けているうちに、自分が一体どのような器と役目を持って生まれてきたのか、まったくわからなくなってしまっていたのです。これからしばらく、好きなことだけしてみよう、と充電期間を持つことにしました。
それからは浄化、自己探求、気づきを求めて、お寺に座禅を組みに行ったり、写経したり、海外の精神世界系ワークショップを受講したりしました。ワークショップで知り合ったトルコ系カナダ人がレイキマスターだと聞いた時、私は初めて「レイキ」というものがあることを知りました。ただ興味はあったものの、多くの研究所の中からどの門を叩くべきか決めかねていました。その頃、友人と食事中に偶然(今思うと、必然ですが)レイキの話になり、彼女が伝授を受けたヒューマン&トラスト研究所を紹介してくれたことを縁に、レイドウレイキを学ぶことになりました。
レイキを学び始めて、不思議で意味深いことがたくさん起きるようになりました。アチューンメント中に青紫や赤紫の、まるで呼吸しているような光が見えたのも神秘的な体験でしたし、別の受講者の方からヒーリングを受けた後で青木先生が背中をさすってくださった瞬間に、自分がこの世に生まれ出たばかりの赤ちゃんに一瞬戻ってしまい、大きなタライの中で初めて背中に温かいお湯をかけてもらった時を思い出したことも不思議な体験でした。しかし、それよりも日々のできごとが不思議なのです。お店に入ると店員さんがとても感じよくなぜか話が弾みます。そしてさんざん商品を説明してもらった後で何も買わずに出て行くのに、「ありがとうございました!」と、満面の笑みと喜びの声で見送られるのです。先日はジーンズのカジュアルな服装で高級輸入家具店にふらっと入ったら、今度は店長さんと会話が弾み、また遊びに来てね!と名刺をいただきました。築地市場を見学に行くと、市場のおじさんに声をかけられ、私と友人はフォークリフトのような乗り物に乗せてもらい、市場内を案内してもらいました。
他にもいろいろあります。旅先で知り合った人から、レイキマスターだというご友人を紹介してもらいました。先日、あるコンサートに行った際、偶然(いえ、これも必然なのでしょう)その彼女と会場で一緒になり、2ヶ月以上も原因不明の咳をしていた私に対して、遠隔ヒーリングを送ってくれていたと言うのです。このような小さなことでも意味深いことが毎日のように起きるのです。
これはレイキによって私のオーラや波動が変わり、ハイアーセルフのメッセージをスムーズに受け取れるよう、受信機が修復された結果なのだと思っています。私にはハイアーセルフを聴覚や視覚で認識したことはありませんが、「しっかりつながっている」と実感できるようになりました。
そして気がつくと、私が数年前に切望していた「心が穏やかなことほど幸せなことはない」=「安心立命の境地」に自分がいるではないですか!今思えば私にとって退職は、レイキの門を叩き、安心立命に導かれるための、人生の新陳代謝のプロセスの一つだったのです。もちろん人間ですから、安心立命を保つには最低限の努力が必要ですが。その努力とは毎日レイキを意識することです。私はできるだけ発霊法を用いるようにしています。それにしても飽き性の私が特に苦労することなくできていて、しかも死ぬまで続けられると思えるのには自分で驚きますが、レイキとともに生きることは本当に幸せなことので、生活に組み込むのも自然にできるように思います。
青木先生からは、自分らしさを思い出すためのヒントとなるお言葉を何度かかけていただきました。おかげさまで自分の今後の役目を徐々に意識することができ、それを日記に書いたり両親や周りの友人に話したりしていくうちに、原因不明の咳が止まったように感じます。先日は鬱病と診断された友人にレイキをしたところ、エネルギーの感じ方が鈍い私にも、今回は確かな手ごたえがあり、「頭がすっきりした。オーラがキラキラ輝いているって感じがするし、ラッキーなことがたくさん起きるようになった!」ととても喜んでくれました。本当に嬉しく感じました。一人ひとりの中に神様がいて、それぞれに与えられた器と役目があります。
私は、その神様を引き出してみなさんに元気になっていただき、自分にしか咲かせられない花をそれぞれ咲かせられるようサポートする役目を果たしていきたいです。最近ふと、私の名前である佐織の「佐」は、みなさんをサポート(補佐)するという意味なのではと思うようになりました。レイキを通して生まれ変わる今、私も自分という器を自分なりに、世のため人のために活かしていきたいと思っています。青木先生、小川先生、レイキを勧めてくれた友人、レイキを通してご縁のあった皆様、両親、森羅万象に感謝いたします。
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志智 佐織