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葉月のブログ

命題:ウイルスの糖鎖はヒトの糖鎖と同一なので病因とはならない

イギリスの新聞から (アメブロより転載)

2015-09-14 | サーバリックス症例

イギリスですべての12歳の女の子が受ける子宮頸がんワクチンは、4件の死亡事故と関連があったかもしれない

 

2015年6月7日、Expressという新聞のウェブページで報道された記事です。



レベッカ・カーさん、2011年1月、稀なタイプの白血病、リンパ芽球性リンパ腫で死亡。

ワクチン接種後、数週間でとても具合が悪くなり、1年後に死亡。

それまでは、とても元気でめったに病気になることもなかったのに、ワクチンの後、病気になって
どんどん悪くなったので、両親からみたら、ワクチンと関連があるとしか考えられない。

医師は、どうして白血病になったのか不明であるといっている。


他の女の子は、腫瘍で死亡したケース、

もう1人は、敗血病で死亡、

そして、1件の未熟児の死亡が

ワクチンと関連があるかもしれないと記録されている。


医療機関は、ワクチンが原因であることを否定している。




症例(サーバリックス)30 チェコ

2015-01-23 | サーバリックス症例
英文へのリンク

サーバリックス接種後6年、私の未だに回復していない

Barbora Koci, Novy Jicin, Czech Republic



私の祖母は50歳のとき子宮頸がんになりました。今、83歳です。これが、私がサーバリックを接種することに決めた主な理由です。サーバリックスが子宮頸がんという不快な病気から私を守ってくれると信じました。

私は、自費で接種しました。1回目の注射時、私は16歳でした。3回すべての注射を受けました。1ヵ月後、私はとても具合が悪くなりました。それは、私の免疫系が機能するのを止めたかのようでした。それは、インフルエンザのような症状から始まりました。

3日後、41から42度の熱がでました。これは、体温計が示した値です。時々意識を失いました。友達が、病院に連れて行ってくれました。

その病院に14日間入院しましたが、高熱以外は他に悪いところが全く見つかりませんでした。退院して2週間後、再び具合が悪くなりました。その後、私は絶えず病気にかかっています。

ワクチンの後、病気から回復するのに時間がかかるようになりました。膀胱に問題が出始め、繰り返し感染するようになりました。医師らは私の病状をきちんと治療しなかったため、腎臓まで感染したと、私は思っています。

19歳のとき、再び入院しましたが、抗生物質が効きませんでした。それで、とても強い抗生物質を点滴により投与しました。これは、効果がありましたが、同時に、私の身体にもこたえました。

病院に入院して2週間後、医師らは私の左の腎臓がダメージを受けており、その機能が重度に低下していると伝えました。私は6ヶ月おきに、腎臓の機能のチェックをしています。

私の免疫系は弱っており、以前に比べるとより頻繁に病気になるようになりました。病気になると、回復まで長い時間がかかます。そして、腎臓の問題のため、背中に重度の痛みがあります。

HPVワクチンを受けて6年になりますが、それが実際に予防するとされる疾患から私を守ってくれるのか疑問です。

症例(サーバリックス)29 フィリピン ジェニー

2015-01-04 | サーバリックス症例

私はサーバリックスから生還しました
2014年7月1日


ジェニー・レッド フィリピン

英文へのリンク




HPVワクチンのサーバリックスは私のことを子宮頸がんから守ってくれるのだと思っていました。私は、一生「敵」に備えるのであろうと考えていました。私が間違っていたことは、たった1回の接種で明らかになりました。


私の典型的な1週間は、9時から5時まで仕事をし、2時間ジムでトレーニングし、平日の間に10キロ走り、週末に長距離を走り、その間、友達と、町の外へ夜遊びにでかけるというものでした。




けれども、2013年9月にサーバリックスの一回目の接種を受けると決めたときに、すべてが変わってしまいました。

私の仕事場で、ヘルス&ウェルネス・プログラムの一環として特別料金でサーバリックスを提供していました。フィリビンでのサーバリックス 注射はとても高額ですので、わたしたちのほとんどがこの特別料金での提供を受けることにしました。



1回目の接種の日、腕がとても痛くなりましたが、それは普通にあることで痛みは数日でなくなるであろうと言われました。4日ほどしても痛みはとれませんでしたが、これが、サーバリックスのために経験する唯一の不便であろうと思っていました。


しかし、私は間違っていました。




1回目の接種の後1ヶ月以内に、絶え間のない頭痛が始まりました。最初は、頭痛は副鼻腔炎のせいで、突然起こったように突然無くなるだろうと思っていました。けれども、そうなりませんでした。




それで、内科医に行き、鎮痛剤を処方してもらい、1週間しても痛みが無くならなかったらまた来るよう言われました。痛みは続きましたが、セカンドオピニオンのため他の医者のところへ行きました。X線をとりましたが、何も異常はみられませんでした。その後、副鼻腔を調べ、炎症があるということで、点鼻薬と解熱鎮痛薬のパラセタモールを処方しました。


同時に、視界がぼやけ始め、目が光に過敏になったので、眼科医のところへ行きました。既に、テレビを見たり、携帯の画面をみるのが困難になっていました。けれども、他の医者に行った時と同じように、検査結果は異常無しでした。


これらの薬と点鼻薬を服用して数日しても、依然、絶え間ない頭痛がありました。それから、嘔吐が始まりました。食欲がなくなり、食べようとしても、すべて吐いてしまいます。また、吐き気の始まっていました。


その時、神経内科医を診察するよういわれました。


最初の神経内科医は、MRA(核磁気共鳴血管撮影)とMRI (磁気共鳴断層撮影)をとるように言いました。医師は、血栓症か動脈瘤を疑っておりましたが、MRAとMRI の結果に何の異常もみつかりませんでした。それから、血管造影図をとったらどうかと言いました。


私の母は、私に何が起こっているのかを本当に知りたかったので、検査を受けることに積極的でした。この時点で、私は既に、ほとんどの時間を寝てすごし、ほとんど話すことやベッドから出ることができませんでした。私は光や音に過敏になっていました。私の右腕は、感覚を失い始め、私の首は既にとても固くなっていました。私の首と頭は、ひどく痛みました。頭がとても痛むので、泣きながら起きることがよくありました。夜になると、頭の中がガンガンとして、死ぬのではないかと思いました。



私は母に、もうすでにひどい痛みを経験しているので、血管造影図を受けることは耐えられないといいました。私は母に、他の神経内科医に見てもらえないかと聞いたら、母は賛成しました。


私の2番目の神経内科医は、私の症例を検討して、MRV (静脈造影)をとったか聞きました。また、アルコキシア(Arcoxia )とリリカ(Lyrica)を処方しました。 MRV の結果にも、何も異常がみえませんでした。それで、首のX線をとるよういいました。


X線の結果から、重度の筋痙縮と診断し、理学療法を受けるよういいました。



私は1週間理学療法(フィジカルセラピー)を受け、その後、快復し始めました。頭痛はやっと治まり、少しずつ動き回れるようになりました。



この苦しい試練は焼く2ヶ月続きました。今もまだ快復の途中です。現在、仕事に戻り、動き回ることができます。そのことにはとても感謝しています。


しかし、まだ、首や頭が、以前ほどの痛みではありませんが、ずきずきと痛む日があり、私の日課であったジムやランニングをまだ始めることができません。また、車で何時間も走ると首が痛みだすので、旅行することもできません。


私が診察を受けた医師は誰も、どうしてこれが起きたのかを実際に説明しませんでした。絶え間なく続く頭痛、嘔吐、腕のしびれ、筋痙縮、光過敏のどれにも説明がありませんでした。


わたしにとって納得できる唯一のことは、数ヶ月前に読んだ他のHPVワクチンの話でした。sanevax.orgを見つけたとき、私はやっと、私自身もHPVワクチンの被害者であることを納得しました。

神の恩寵によって救われたこと、あのサーバリックスの一度の接種のために経験したひどいことから快復したことに感謝しています。私はまだ定期的にジムへ通うことも、以前のように走ることもできませんが、すぐにできるようになると思っています。J

サーバリックス副作用ケース 日本 医師からの返信

2014-06-25 | サーバリックス症例
HPV ワクチン副反応: 日本の被害者の記事を読んで

2014年9月4日 デレック・ロンズデール医師


このポストで、16歳の少女のワクチン後の並外れた治療歴により投げかれられた質問に答ることを試みます。「ホルモンズマター」のサイトに掲載されたHPV ワクチンの歴史の中でも、私の意見では、このケースは、最も重篤なものの1つです。我々は、人類に対して邪悪な実験を行っているように思われ、もしこれが、HPVワクチンに対する告発としてみなされないならば、私は何か他のものが権力を動かすとは思えません。

このケースのようにとても詳細な病歴を提示することで、HPVワクチンと症状との関連がより明らかになります。このケースは、脳と神経系、特に自律神経系に影響を与えている重篤なミトコンドリア機能不全を示していることは、私には全く疑いがありません。以下、病歴に沿って各々の症状について議論したいと思います。


HPV ワクチン接種前の病歴におけるヒント

まず、この少女は、HPVワクチンの接種前に、広汎性発達障害、小児喘息、腎盂炎、アトピー性皮膚炎、中耳炎、カンジタ、溶連菌、肺炎、イボ、周期性発熱、農薬過敏、口内炎の反復の既往歴があったことを認識しなくてはなりません。

これらの症状が、以前のワクチン接種に関連しているのかは、書かれていません。

このケースは、幼児ワクチンが、少数の子どもたちにとっては益よりも害になるという根強い信念を持つ親たちを支持しているようです。

上記の病歴は、ワクチン接種のストレスだけでなく、遺伝的あるいは栄養的な危険因子を示唆しています。


HPV ワクチンの副反応

熱があっても学校に通うというほど、HPV ワクチンのひどい後遺症に対する彼女の態度は、大変素晴らしいものでした。彼女は、ワクチン接種の前は、性格が良く、運動好きの少女でしたが、ワクチンの後、人格が極端に変わってしまいました。

脈拍が遅いことは、副交感神経が優位であることを示唆しており、ワクチン後に、少なくとも部分的に交感神経が優位に切り替わりました。 私は、この解釈を、ワクチンの後に、平均して脈拍数が増加しているという記述に基づいています。

病歴で報告されている時系列が重要であると考えています。

彼女は、通常の3回の接種を受けています。

1回目の接種の後に、喘息の発作がありました。これは、再発ですので、注射はそれを引き起こしたストレス因子であったと考えます。喘息は、自律神経系の平衡失調によって起こります。

2回目の接種の後に、蕁麻疹が出ました。 これも、自律神経系を介して、皮膚にあるヒスタミン放出細胞へメッセージが送られた信号でした。

最悪の事態は、3回目のHPV ワクチン接種後に起こりました。症状には、不整脈、循環好酸球、発熱、過眠症、攻撃性、幼稚な行動、過呼吸、筋力低下、頭痛、耳下腺炎、頭下顎関節症候群、嚥下障害、口内炎、腹痛、嘔吐、下痢、羞明、複視、および海馬における血流停滞が含まれています。

注射の度に徐々に悪化することは、例えば、金槌で釘をたたく度に少しずつ釘が入り込むことに喩えることができるかもしれません。

このような詳細な記述で、各注射での原因と結果の関連が明らかであり、これを偶然の一致と考えるのは愚かでしょう。


酸化的ストレスと脳

これらの症状を説明させてください。なぜなら、これらはすべて脳に関連していることが確かですから。特に、脳の辺縁系、つまり、自律神経系と内分泌系を介する適応機序を算出する脳の部分と関連しています。

海馬に言及していることから、辺縁系が関与していることが明らかです。なぜなら、海馬は辺縁系内の重要な器官だからです。要約すると、この若い女性は、今、身体的および精神的環境に適応していない状況にいます。 脳のこの部分において、ミトコンドリアにおける酸化的代謝の欠陥により、エネルギー効率が低下すると、感覚系を通して入力されたシグナルへの反応が不安定になります。脳と身体のシグナル伝達の連続したプロセスにより、我々は、人生におけるあらゆる環境に適応することが可能となります。

ここで、動物の実験系において、物理的ストレスの影響についての研究を行ったハンス・セリエの論文を紐解かなくてはなりません。彼は、その研究を「汎適応症候群(The General Adaptation Syndrome)」として報告し、人類の病気を、適応の病気として言及しました。私は、それを、むしろ、不適応の病気と呼びたいと思います。

セリエが論文で強調したことは、適応するのに必要なものはエネルギーの消費であり、それに失敗すると彼が記述した症候群になるということです。 これに必要なエネルギーを産出するのがミトコンドリアであることを我々は知っていますので、汎適応症候群は完全に道理にかなっています。セリエが研究していたときは、エネルギー代謝の生化学の学問は生まれたばかりでした。今私たちは、酸化的代謝やエネルギー産出に関してたくさんの情報を得ています。

最近まで、すべてのミトコンドリア機能不全は、その起源が常に遺伝的なものであると考えられていました。今、我々は、それが、精神的あるいは身体的需要を満たすエネルギーの不足をもたらす環境ストレスの結果として発症する可能性があることがわかっています。


酸化的代謝の低減と辺縁系: HPV ワクチンと人格


穏やかな性格から凶暴な人格へと変化することは、辺縁系における酸化的代謝が低減していることを特徴的に示していることに間違いありません。特に、自律神経系の働きが、極度に不安定になっています。

身体の器官・臓器への通常のシグナルを間違って送ってしまい、関連する症状は、自律神経障害と呼ばれるような混沌としたものです。例えば、ちょっと叱ったことへ、爆発するような癇癪を起こすことで反応したり、無分別な食事が、他に説明不可能に思える若者の暴力の波における重要な要因であるかもしれません。

過去35年の間、辺縁系における異常な生化学のために子どもたちの人格が変わることを見て来ました。彼らは、邪悪な癇癪をおこし、ドアや壁を蹴飛ばし、親や先生に無礼であったり、全体的にコントロールができない状態です。 ひどい食事をやめさせて、サプリを与えることで、ほぼすべての子どもが徐々に普通の子どもに戻りました。

私たちの周りでは、身体的よりも、むしろ生化学的な病気が流行しています。もちろん、その背後には、決まって、遺伝的な原理があります。 子どもが賢いほど、食事のリスクは大きくなります。このことは、明白なことと思います。なぜなら、車のように、良い車ほど、燃料もよくなくてはなりません。

脳、中枢神経系、心臓は、身体全体の中で、最も酸素を消費する組織なので、それらが最初に不調をきたすことは不思議ではありません。それらは、脚気を起こすビタミンB1欠乏症に最も影響されます。このビタミンは、車の点火プラグのようなもので、特に脳における細胞で使用される主要な燃料であるグルコースの酸化に必要です。もちろん、それは、必要とされる、唯一の無カロリー栄養素ではありませんが、エネルギー代謝との関連は、明らかに重要です。

このウェブサイトの以前のポストで、ワクチン後のポッツの被害者の何人かは、チアミン欠乏であり、自律神経系の機能不全が正当に脚気と呼ばれるものであることを見てきました。ワクチンの接種前に、脳の生化学がぎりぎりの状態であり、ワクチンがストレス因子として作用したことを示唆してきました。

これは、未知の遺伝的リスク、あるいは、個人が必要とする精神的・身体的活動に見合ってないかった食事のため、あるいは、両方が様々に組合わされたことによるかもしれません。これは、このHPV ワクチンが最も賢くて最も優秀な子どもたちい被害をもたらすように思われることを説明しています。

私の意見では、この少女は、ビタミン類を静脈投与することによってのみ治療可能であると思われます。なぜなら、この方法でのみ、必要とされる濃度が蓄えられるからです。それは、車のエンジンの点火プラグを交換して性能を高めることに匹敵します。チアミン・テトラヒドロフルフリル・ジスルフィドは、日本で、アリナミンの商品名で入手可能です。これを追加することは、水溶性ビタミン類静脈濃度を上げることに重要であることに疑いがありません。

イギリス:HPVワクチン被害者少女たちの家族が国会議員と会合

2014-04-01 | サーバリックス症例

イギリス:HPVワクチン被害者少女たちの家族が国会議員と会合


2014年6月26日


フリーダ・ビレル

2014年6月16日: 影の厚生大臣Luciana Berger、彼女の議会アシスタントのKat Thompson、上院議員Mar 女伯爵、国会議員Pat McFadden、国会議員Joe Benton、国会議員Mary Creagh、国会議員Tom Fieldhouse、国会議員Oliver Letwinのオフィスの調査員に、HPVワクチンで副反応が起きた少女たちとその両親との会合のためにお時間を取っていただいたことに感謝します。


先ほどの発表から、いくつかの大変重要な点を強調したいとおもいます。それらについて、Berger 女史が考慮して関連する質疑をしていただくことを望んでいます。指摘する点は、英国のこのグループの家族に固有のことではありません。同様の家族が世界中にいるのです。


教育を受ける機会や、同年代の子どもと社交的なつきあいを失っていること;
正当な理由無しに、若年の少女たちの精神疾患を問われること;何度も何度も、精神病として扱おうとされたこと
家族に対する、医療関係者からの脅すような振る舞い;
娘の病気をでっちあげているのだと家族が非難されること;
医療関係者からの不適切な医療処置;
ワクチン被害者の認識および処置に関する医師や専門医の知識の欠如;
病気がHPVワクチンによって起こされたと信じている医師でも、明言することを恐れていること



これが、残念ながら、現在のイギリスにおける実情です。大切なことは、「これらの人びとは、実在する人びとです。保守党、労働党にかかわらず、政治家として、あなた方は、私たちのために発現し、いつでも私たちのために働くために選ばれたのです。」






これらの家族はみな、敬意を払ってもらいたいこと、よく話を聞いてもらいたいこと、そして一番大切なことは、信じてもらいたいことを要求しています。
以下の発表が、HPVワクチンで被害にあった少女たちおよび少女たちを代弁する親によってなされました。




ジュリー・ジョーンズ、ステイシー・ジョーンズの母

ビルストン、ミッドランド在住




娘のステイシーは、2008年11月15日、17歳のときの1回目のサーバリックスを受けました。

私たちは、このワクチンの後、彼女のムードが変わったことに気がつきました。

1月の2回目の接種の後、彼女の攻撃的な行動がより明らかになり、2009年5月の3回目の接種のあと、彼女はとても混乱するようになり、それはさらに悪化して、眠れなくなり、そのあと部分発作に襲われるようになり、その後全般発作が起こるようになりました。




この間、ナショナルヘルスサービスは、多くの重大な間違いを犯しました。

私たちの娘の処置が正しくなかったり、娘を精神病院へ送ったり、そこでは娘には何もできず、幸い彼女の病気が医学的疾患であることを認め、帰宅させられました。




当時、ニュークロス病院は、私たちを大変失望させ、私は、自分の選挙区の国会議員であるPat McFaddenに連絡を取りました。

Pat は、私たち家族をよく支えてくれ、私たちはとても感謝しています。長い間、ステイシーは脳障害リハビリセンターに入り、ステイシーはそこで12週間、簡単な作業を学びなおし、また、バーミンガムのクイーンエリザベス病院の神経内科医の診察も受けました。




ステイシーは、抗NMDA受容体脳炎であると正式に診断されました。それは、ウイルス性脳炎ではなく自己免疫型の脳炎です。ナショナルヘルスセンターのウェブサイトによると、「稀」に、ワクチンの後に発症するということです。けれども、妙なことに、同じ頃、同じミッドランドに住む、ペイジ・ブレナンという女の子もサーバリックスのワクチンを受けて、ステイシーと同じ自己免疫疾患と診断されていました。結局、それのど「稀」ではないようです。


ステイシーの健康は、5年の間に、とてもよくなり、大学にもいけるようになりましたが、この自己免疫型の脳炎が再発してしまい、私たちは、打ちのめされています。

ステイシーは、入院しましたが、今回は、前回とは比較にならないほど、最高の治療を受けました。

やっと、退院の許可がおり、さらにリハビリをする予定です。私たちの娘に将来何がおこるでしょうか。医薬品・医療製品規制庁によると、サーバリックスワクチンの重篤な有害反応はないということですが、それは違います。



ステイシー・ジョーンズ、17歳、ウエストミッドランド州ブリストン

サーバリックス接種、2008年11月15日、2009年1月24日、2009年5月16日

最初の2回の接種後、感情的になった。

3回目の注射の数日後、最初のてんかん発作があった。
翌週、17回の発作があり、その後数ヶ月発作は続き、精神的混乱、幻聴、殺人の脅しをするようになった。

2009年9月、リハビリユニットに入院、そこで、サンドイッチを作るなどの基本的な作業を学びなおした。この時点で、5種類の抗てんかん薬を服用しているが、記憶力障害となっている。

脳の膨張がてんかん発作の原因と診断された。

医者は、脳炎は過去5年に2回みたが、こんなにひどい脳炎のケースをみるのは20年ぶりであるといった。

近況、抗NMDA受容体脳炎と診断。感染が原因ではない。

母のコメント、抗てんかん薬の「カルバマゼピン」を服用した10分以内に暴力的になったと父親がいっている。



アシュレイ・ケイブ


リバプール在住



私の名前はアシュレイ・ケイブです。私は2008年10月、12歳のときにHPV サーバリックスを接種しました。注射の後1時間以内に、本当にひどい頭痛がありました。

私は定期的な検診に行く予定があり、医師は、おそらくワクチンの副作用で、48時間ほどで気分がよくなるであろうと言いました。全くそうはならず、翌週の間、重度のインフルエンザのような症状があり、目覚めているエネルギーがなくなっていました。




脚に力がはいらず、歩いたり脚を動かすことができなくなり入院しました。私は、激痛に苦しみ、異なる8種類の鎮痛剤の調合薬が処方されました。

検査、スキャン、X線を受けましたが、何の結論ももたらすものではありませんでした。この時点で、医師はどこが悪いのかわからず、私の健康問題は心因性のものだと結論に達しました。

私は、全項目の精神病の判定試験を受けなくてはなりませんでした。その結果は、私の健康問題が、頭の中にあるのではないという私にとって有利なものでした。

そこで、彼らの次の作戦は、私の母親を非難するというものでした。彼らは児童保護事業所を巻きこんで、もし母がメディアに話すことを止めなければ、私を保護すると脅しました。結局、私は12ヶ月Alder Hey小児科病院に入院し、毎日フィジオと水治治療を受けました。




今私は歩くことができますが、脚力が完全に戻ったわけではないので、私の行動を限定されています。

注射の前に、私はヌーナン症候群、肺狭窄症、気管支軟化、膀胱疾患、慢性喘息などの健康上の問題がありました。

注射をして以来、以前罹患したすべてが悪化しました。週一度の自己カテーテル挿入処置に頼らなくてもうよいように、膀胱の疾患を処置するため3回手術を受けました。

また、風邪がはやるたびに、すべての風邪にかかり、それは胸部を悪化させるので頻繁に入院しました。



副反応が起こった少女は、それぞれ違った健康上の背景があり、何人かは既往症があって、何人かは、何の問題もありませんでした。

少女たちは、麻痺から、毎日おこる発作まで、様々に影響を受けています。けれども、私たちに共通していることは、私たちはみなこの注射をうけたということです。

この5年半の月日は、私と母にとって、恐ろしいものでしたが、さらに悪いことに、いまだに少女たちがこの注射を受け、障害を負っているという事実です。

誰かが気がついて話を聞くまでに、一体何人の少女たちがこのような体験をしなくてはならないのでしょうか?

支援を受ける前に何組の家族が、非難されなくてはならないのでしょうか?

そして、私たちが経験していることに気づいて、必要としている医療を受けるまで、あと幾つの人生が、めちゃくちゃにされなくてはならないのでしょうか?


以下は、以前の報告の抄訳です。


アシュレイ・ケイブ、リバプール

2008年10月15日、1回目のワクチン接種。
30分以内に気分が悪くなる。重度の頭痛に叫ぶ。

翌数日、頭が朦朧として、めまいがあった。 その後、脚が痛む。

続く48時間に5回気を失う。

ロンドンに出かけている間、入院。退院の記録、めまいと全身の筋肉痛。

脚の痛みで歩けなくなる。
2008年10月24日、リバプールの病院に入院。腕と脚の痛み。歩けないのではってトイレに行く。痛みは重度。

2009年8月、入院中。失禁があり、カテーテルを検討。最初に、膀胱調節プログラムを試すことになった。尿管感染が再発、特に病院で感染した大腸菌の発症後。

歩行フレームで起立可能、数歩移動できる。進歩は遅い。

2010年1月、退院して、学校へパートタイムで通学。車椅子使用。まだ病状はよくない。




エミリー・ライアルズ


オセット、ヨークシャー在住


こんにちは。

私の名前はエミリーです。16歳で、高校でGCSE のコースをちょうど終えたところです。




私のHPVワクチンの体験を披露し、また、他の少女たちのために話す機会を作ってくださってありがとうございます。私は、多分皆さんおわかりと思いますが、とても緊張しています。でも、今日、話を聞く時間をとってくださることに大変感謝しています。



私は3年半前にHPVワクチンを受けました。1回目の接種の後具合が悪くなり、2回目の接種の後、病状が悪化し、3回目の接種の後、救急科への訪問が始まりました。最初は、お医者さんたちを完全に信頼していました。そして、私は、ME(筋痛性脳脊髄炎)/CFS(慢性疲労症候群)と診断され、これは医師が私の病気を治療できないことを意味するのだと悟りました。




私の病状はひどく、学校を何日も休み、友達にも会えず、唯一の治療が、心理学者に会うことでした。私の小児科医は、心理学者に私のことを管理してほしかったようです。私が会ったすべての医師はワクチンによる障害だと考慮することを拒否し、報告しませんでした。



2年間、たくさんの調査をして、私たちは専門医を見つけ、私がPOTS (ポッツ)体位性起立性頻拍症候群であることを認めました。それは、自律神経系の障害です。身体が自動的にすべきすべてのことが、特に、私が座ったり立ち上がるときに、適切に行われません。それは、私の身体のすべてのパートに影響を与えます。視力、心拍、呼吸、血圧、消化、そして、特に認知の問題で、このため学校でしばしば恥をかくことになり、それが私にとって最も嫌なことで、私の教育に多大な影響を及ぼしています。




私は、やっとのことで、神経内科医に診断をうけ、治療を試みており、私のPOTS (ポッツ)がワクチンの結果であると認めました。


この3年間をやってこられたのは、ただ、母親と家族の支え、そして、一団の友達がいてくれたからです。この支援を受けていない少女たちがどんなに大変か想像することさえできません。



私たち一団は、みなそれぞれ違ったストーリーを持っていますが、皆、HPVワクチンがきっかけでした。問題は、あと何人の少女が、何かなされるまえに、私たちと同じことを経験しなくてはならないのかということです。


ご清聴ありがとうございました。




自己免疫疾患の脱毛症に関する発表



(娘さんのために、ここでは匿名ですが、影の内閣の大臣の前では、フルネームで紹介されました)




私の娘は、13歳で3人兄弟の末っ子です。18歳と21歳の兄がいます。私たちはとても仲の良い家族で、陽気で、幸せな家族で、3人の子どもたちも本当にとても仲良しです。



スポーツ、特に水泳が好きな家族で、男の子たちは、国の大会でメダルを取っており、娘も、クラブの新記録を達成しています。また、体操やトランポリンでも金メダルを取っています。彼女は趣味で水球をしていました。



娘は、性器疣贅のためのガーダシルを3回受けました。2012年10月、2013年1月と4月でした。接種のたびに、顕著な副反応があり、今考えれば、2回目と3回目の接種はさせることはなかったのですが、今となっては、時計の針を戻すことはできません。

彼女は、嗜眠性、筋肉疲労、食欲喪失となり、最愛のスポーツを止め、学校を休み(以前では考えられないこと)、生理が止まりました。3回目の接種の後の、2013年4月、髪の毛がまとまって抜け始めま、眉毛がなくなり、まつげがなくなり、2013年の夏までに、全身が脱毛しました。



医療専門家たちの反応をここでご紹介します。これが、HPVのより大きな実情を覆い隠していると、私は思います。



1人の医師は「このようなことは、起こることで、ジェマは、それを受け入れて先に進まなくては」



他の医師は、「これは、12歳13歳の年の子どもたちにはまあよくあることです」、これは私の考えでは驚くことではありません。このワクチンが与えられている年齢だからです。



ワクチンとの関連の可能性を問いただしたとき、医師は、とても嫌に思っているようで、ワクチンの副反応報告用のイエローカードをくれませんでした (それは、サリドマイドの後に導入された手続きだと思います)。私は、この報告を独自に行って、この医師に、私がしたことを事後に言いました。この行為のため、私は嫌われました。




これがおそらく、報告されている副作用の数がかなり少ない理由だと思います。先手を打たなくてはいけません。



家庭医の友人たちは、オフレコで、ガーダシルが娘の病気の原因であると言っています。けれど、仕返しが恐くて、公に発言する準備はできていないようです。


要約すると、娘は今は何のスポーツもしておらず、エネルギーがなくて学校も欠席しがちで、一日14時間以上睡眠をとっており、生理はまだ始まっていません。髪の毛がないことで、以前の、遊びが好きで、積極的で、陽気だった娘は、内気で世捨て人のような子どもになってしまいました。

私たちはすべての可能な矯正手段や提案された一連のことを調べましたが、これは、私たちを助けるための職業についているまさにその人びとの支援無しに行われました。


治験データ

2014-02-01 | サーバリックス症例

サーバリックスの治験中に出現した自己免疫疾患の可能性のリスト
(因果関係は未確認)


9歳から25歳までの女性12772人中

少なくともひとつの病状が出現した人 96人 (0.8%)

内容

関節炎               9人  (0.1)
セリアック病            2   (0.0)
1型糖尿病             5   (0.0)
結節性紅斑            3  (0.0)
甲状腺機能亢進症       15   (0.1)
甲状腺機能低下症       30   (0.2)
炎症性腸疾患           8   (0.1)
多発性硬化症           4   (0.0)
横断性脊髄炎           1   (0.0)
視神経炎/球後視神経炎    3   (0.0)
乾癬                  8   (0.1)
リウマチ性関節炎         4   (0.0)
全身エリテマトーデス       2   (0.0)
血小板減少症           1   (0.0)
血管炎                1   (0.0)
白斑                 2   (0.0)




9価のHPVワクチンの治験、日本人の女の子100人

9~15歳の日本人思春期および青年期少女に対する、9価ヒトパピローマウイルス(HPV)L1ウイルス様粒子(VLP)の安全性、認容性、免疫原生を検討する臨床第III相非盲検試験

英文リンクへ


試験開始日 2011年1月
試験完了日 2013年8月

試験結果 未発表


9価の内容は、HPV6、11、16、18、31、33、45、52、58型です。



サーバリックス治験 日本人 20~25歳女性

日本における治験データです。

ワクチンの有効性は、子宮頸部の上皮内部腫瘍のグレード2以上が予防されたかどうか、また、血液中のHPV16型と18型に対する抗体の量が、カットオフ値よりも多いかどうかで判断しています。

この治験では、上皮内部腫瘍のグレード2以上ではなく、グレード1以上のデータを使用しています。20歳から25歳の日本人女性で、上皮内部腫瘍グレード2以上となる数は、500人では1人いるかいないかで、データにならないためだと思われます。

カットオフ値のデータをみると、ワクチン接種前に既に、十分な量の抗体を持つ人が、13%~15%いることがわかります。既にこれらのHPVウイルスに感染して、免疫を獲得している人たちだと思います。これらの人たちには、HPVワクチンは全く必要ないものです。

同じ治験の中に、HPVのどの型に感染しているかというデータもあり、コントロール群では、16型の感染者が398人中24人で、6%でした。蔓延しているという表現からはほど遠い割合です。


HPV16型および18型抗体価の下限値(カットオフ値)以上の抗体を持つ人の人数

(人数が減少しているのは、検査に参加している人の数(n)が減少しているためで、サーバリックス群は、2年目でも100%の人がカットオフ値以上です)

                         サーバリックス群    A型肝炎ワクチン群
最初に分析した人数                 411人          393人

HPV16 (ワクチン接種前) [n=411,393]         64              51
HPV16 (6ヶ月目) [n=411,393]             411             55
HPV16 (7ヶ月目) [n=410,387]            410             52
HPV16 (12ヶ月目) [n=373,334]            373             46
HPV16 (18ヶ月目) [n=356,307]            356              39
HPV16 (24ヶ月目) [n=351,295]            351             38


HPV-18 (ワクチン接種前) [n=410,390]        61             48
HPV-18 (6ヶ月目) [n=410,388]             410             53
HPV-18 (7ヶ月目) [n=409,385]             409            54
HPV-18 (12ヶ月目) [n=372,329]             372            55
HPV-18 (18ヶ月目) [n=355,302]             355            40
HPV-18 (24ヶ月目) [n=350,288]             350            38


サーバリックス治験 ドイツとポーランド 15~55歳女性

ドイツとポーランドで行われたサーバリックスの治験データがある。

15歳から25歳が229人、26歳から45歳までが226人、46歳から55歳までが211人である。

年齢層によって、同じワクチンでも産生される抗体の量が違う。

15歳から25歳での抗体価は、26歳から45歳の2倍、46歳から55歳の3倍になっている。

また、新たな慢性疾患の発症も3年後までの累積で、15歳から25歳は他の2倍になっている。

サーバリックスは同じワクチンを9歳から接種しているが、プラセボとして使われるA型肝炎のワクチンは、1歳から15歳までは小児用を使用しており、抗原成分もアジュバントも半分の量である。

薬剤の致死量の単位は、分母が体重である。
体重も免疫力も違う年齢グループに同じワクチンを一律に接種してもいいのかどうか疑問に思う。


サーバリックス治験 26歳以上女性 複数の地域

アメリカ、カナダ、オーストラリア、メキシコ、ペルー、オランダ、フィリピン、タイ、ポルトガル、ロシア、シンガポール、イギリスで行われた、26歳以上の女性の治験です。

サーバリックス群 2881人 平均年齢37歳
プラセボ群 2871人 平均年齢37歳

この治験のプラセボは、水酸化アルミニウムだけとなっています。

この治験の結果で一番注目されるのは、接種後4年までの重篤有害事象として報告されたデング熱(Dengue fever)の割合です。

サーバリックス群では、2881人中9人、プラセボ群では、2871人中1人で、サーバリックス群が10倍高くなっています。

コスタリカでの治験 では、プラセボ群にA型肝炎ワクチンを使っており、こちらの結果は、デング熱は、サーバリックス群で3727人中174人、A型肝炎ワクチンでは3739人中190人でプラセボ群の方が多くなっています。

最初の結果をみると、サーバリックスがデング熱の発症に関与している疑いが強く示唆されます。
デング熱はウイルスによる熱帯地域に見られる感染症です。

HPVワクチンの副反応の報告をみると、細菌やウイルス感染を疑っているケースが多々みられるのですが、この2つの治験を比べると、A型肝炎ワクチンもウイルス感染を促進させるような効果があるように思われます。

また、イギリスの副反応と日本の副反応が違っている部分があるのも、環境に住む細菌やウイルスの違いによるのかもしれません。
重篤な副反応の被害にあっている人の中で水泳をしていた人の割合が特に高いことも、感染が関わっているのではないかと気になっています。


治験データ

2014-02-01 | サーバリックス症例

サーバリックスの治験中に出現した自己免疫疾患の可能性のリスト
(因果関係は未確認)


9歳から25歳までの女性12772人中

少なくともひとつの病状が出現した人 96人 (0.8%)

内容

関節炎               9人  (0.1)
セリアック病            2   (0.0)
1型糖尿病             5   (0.0)
結節性紅斑            3  (0.0)
甲状腺機能亢進症       15   (0.1)
甲状腺機能低下症       30   (0.2)
炎症性腸疾患           8   (0.1)
多発性硬化症           4   (0.0)
横断性脊髄炎           1   (0.0)
視神経炎/球後視神経炎    3   (0.0)
乾癬                  8   (0.1)
リウマチ性関節炎         4   (0.0)
全身エリテマトーデス       2   (0.0)
血小板減少症           1   (0.0)
血管炎                1   (0.0)
白斑                 2   (0.0)




9価のHPVワクチンの治験、日本人の女の子100人

9~15歳の日本人思春期および青年期少女に対する、9価ヒトパピローマウイルス(HPV)L1ウイルス様粒子(VLP)の安全性、認容性、免疫原生を検討する臨床第III相非盲検試験

英文リンクへ


試験開始日 2011年1月
試験完了日 2013年8月

試験結果 未発表


9価の内容は、HPV6、11、16、18、31、33、45、52、58型です。



サーバリックス治験 日本人 20~25歳女性

日本における治験データです。

ワクチンの有効性は、子宮頸部の上皮内部腫瘍のグレード2以上が予防されたかどうか、また、血液中のHPV16型と18型に対する抗体の量が、カットオフ値よりも多いかどうかで判断しています。

この治験では、上皮内部腫瘍のグレード2以上ではなく、グレード1以上のデータを使用しています。20歳から25歳の日本人女性で、上皮内部腫瘍グレード2以上となる数は、500人では1人いるかいないかで、データにならないためだと思われます。

カットオフ値のデータをみると、ワクチン接種前に既に、十分な量の抗体を持つ人が、13%~15%いることがわかります。既にこれらのHPVウイルスに感染して、免疫を獲得している人たちだと思います。これらの人たちには、HPVワクチンは全く必要ないものです。

同じ治験の中に、HPVのどの型に感染しているかというデータもあり、コントロール群では、16型の感染者が398人中24人で、6%でした。蔓延しているという表現からはほど遠い割合です。


HPV16型および18型抗体価の下限値(カットオフ値)以上の抗体を持つ人の人数

(人数が減少しているのは、検査に参加している人の数(n)が減少しているためで、サーバリックス群は、2年目でも100%の人がカットオフ値以上です)

                         サーバリックス群    A型肝炎ワクチン群
最初に分析した人数                 411人          393人

HPV16 (ワクチン接種前) [n=411,393]         64              51
HPV16 (6ヶ月目) [n=411,393]             411             55
HPV16 (7ヶ月目) [n=410,387]            410             52
HPV16 (12ヶ月目) [n=373,334]            373             46
HPV16 (18ヶ月目) [n=356,307]            356              39
HPV16 (24ヶ月目) [n=351,295]            351             38


HPV-18 (ワクチン接種前) [n=410,390]        61             48
HPV-18 (6ヶ月目) [n=410,388]             410             53
HPV-18 (7ヶ月目) [n=409,385]             409            54
HPV-18 (12ヶ月目) [n=372,329]             372            55
HPV-18 (18ヶ月目) [n=355,302]             355            40
HPV-18 (24ヶ月目) [n=350,288]             350            38


サーバリックス治験 ドイツとポーランド 15~55歳女性

ドイツとポーランドで行われたサーバリックスの治験データがある。

15歳から25歳が229人、26歳から45歳までが226人、46歳から55歳までが211人である。

年齢層によって、同じワクチンでも産生される抗体の量が違う。

15歳から25歳での抗体価は、26歳から45歳の2倍、46歳から55歳の3倍になっている。

また、新たな慢性疾患の発症も3年後までの累積で、15歳から25歳は他の2倍になっている。

サーバリックスは同じワクチンを9歳から接種しているが、プラセボとして使われるA型肝炎のワクチンは、1歳から15歳までは小児用を使用しており、抗原成分もアジュバントも半分の量である。

薬剤の致死量の単位は、分母が体重である。
体重も免疫力も違う年齢グループに同じワクチンを一律に接種してもいいのかどうか疑問に思う。


サーバリックス治験 26歳以上女性 複数の地域

アメリカ、カナダ、オーストラリア、メキシコ、ペルー、オランダ、フィリピン、タイ、ポルトガル、ロシア、シンガポール、イギリスで行われた、26歳以上の女性の治験です。

サーバリックス群 2881人 平均年齢37歳
プラセボ群 2871人 平均年齢37歳

この治験のプラセボは、水酸化アルミニウムだけとなっています。

この治験の結果で一番注目されるのは、接種後4年までの重篤有害事象として報告されたデング熱(Dengue fever)の割合です。

サーバリックス群では、2881人中9人、プラセボ群では、2871人中1人で、サーバリックス群が10倍高くなっています。

コスタリカでの治験 では、プラセボ群にA型肝炎ワクチンを使っており、こちらの結果は、デング熱は、サーバリックス群で3727人中174人、A型肝炎ワクチンでは3739人中190人でプラセボ群の方が多くなっています。

最初の結果をみると、サーバリックスがデング熱の発症に関与している疑いが強く示唆されます。
デング熱はウイルスによる熱帯地域に見られる感染症です。

HPVワクチンの副反応の報告をみると、細菌やウイルス感染を疑っているケースが多々みられるのですが、この2つの治験を比べると、A型肝炎ワクチンもウイルス感染を促進させるような効果があるように思われます。

また、イギリスの副反応と日本の副反応が違っている部分があるのも、環境に住む細菌やウイルスの違いによるのかもしれません。
重篤な副反応の被害にあっている人の中で水泳をしていた人の割合が特に高いことも、感染が関わっているのではないかと気になっています。


英国医薬品庁 評価報告書

2014-01-02 | サーバリックス症例

英国医薬品庁 評価報告書

サーバリックスHPVワクチン:HPV定期接種プログラムでの4年間使用終了時点での英国での安全性に関する実体の最新情報
2012年12月

(注:イギリスでの定期接種は2012年9月からガーダシルに変更しました。内容は以下のようなものです。)

平易な言葉での概要
1 緒言
2 背景
  2.1子宮頸がんとHPV
  2.2HPVワクチン
  2.3このレポートに含まれる情報と医薬品安全性監視に関して
  2.4前回の安全性データの評価
3 英国での安全性データ
  3.1治験と販売後データ
  3.2サーバリックスの疑わしい有害反応の報告の概要
4 考察
5 結論
6 用語に関する説明

(注:この中から、「3.2サーバリックスの疑わしい有害反応の報告の概要」の「3.2.1症例報告の分析」にあげられた個々のケースをご紹介します。イギリスでの4年間の接種回数は、600万回と推定されています。有害反応の報告は6403例、有害反応の数は14300件でした。)

神経系疾患に関する報告が、全部で4236件。多い順から、頭痛(1128件)、めまい(1367)、失神(501)、知覚減退(251)、知覚異常(148)、ふるえ(110)です。

このカテゴリーで報告された事象には、ギランバレー症候群(5件)、脳炎(6件)、ベル麻痺(第7脳神経麻痺/顔面麻痺)(9件)、痙攣(97件)、複合性局所疼痛症候群(6件)が含まれ、個々に考察されています。 報告書では、すべて、サーバリックスとの関連は否定されています。

一般的な疾患と投与部位症状に関しての報告は、全部で2940件。そのうち、注射部位反応(652)、疲労(378)、倦怠(499)、発熱(319)、熱間(147)、末梢性浮腫(229)、疼痛(128)です。

このカテゴリーで報告された事象には、慢性疲労症候群(9件)、ウイルス感染後疲労症候群(6件)が含まれますが、これらもサーバリックスとの関連は否定されています。

免疫系疾患に関しての報告は、全部で123件。そのうち、アナフィラキシー(様)反応が63件です。

新生物(腫瘍)に関しての報告は、全部で9件。髄芽腫、急性リンパ性白血病、急性骨髄性白血病、慢性骨髄性白血病、悪性腫瘍、良性胞状奇胎、唾液腺癌ステージ1、肛門性器疣贅、皮膚乳頭腫(スキン・パピローマ)です。


サーバリックス副作用ケース 日本

2013-08-30 | サーバリックス症例

サーバリックス、日本での被害者


英文へのリンク

<既往歴>
広汎性発達障害(アスペルガー)、小児喘息、アトピー性皮膚炎、腎盂炎、中耳炎、カンジタ、溶連菌、肺炎、イボ、周期性発熱、農薬過敏、口内炎の反復  


<ワクチン接種暦>

2010年5月15日 DT ビケン2E007 2011.6.8  0.1左
2011年3月19日 日脳 ビケンJR059 2012.5.18 0.5左
2011年6月25日 MR タケダY116 2012.2.24  0.5左 頸がんワクチン第1回

2011年7月27日 HPV サーバリックス AHPVA129CA 0.5左 頸がんワクチン第2回
2011年10月17日 サーバリックス AHPVA143AA  0.5右 頸がんワクチン第3回
2012年3月26日 サーバリックス AHPVA161BA  0.5左

<発症時期> 今にして思えば第1回目の後からだが、第3回目接種後2週間後くらいから徐々に悪化し、半年後から起き上がれなくなった。

・症状:

1回目:7年ぶりの喘息。
2回目:倦怠感、長引く蕁麻疹、鼻血の反復
3回目:MRIでのT2延長、脳血流低下、心房調律、不整脈、好酸球やIgEやIgD、補体価の増加、異常な倦怠感、慢性的な微熱、意識混濁、過睡眠、記憶力、理解力、計算力、遂行機能等脳の低下、人格変化、易刺激性、攻撃性、易怒性、抑うつ、幼児性、赤ちゃん返り、過呼吸、呼吸困難、筋力低下、腰痛、頭痛、耳下腺炎、顎関節炎、嚥下異常、口内炎、腹痛、嘔吐、下痢、背部痛、筋痛、視覚異常、羞明感、複視、視力低下等。

・経過:

2012年
3月26日第3回目接種後、
4月 2週間ほどで、労作性過呼吸発現。筋力低下。
5,6月頃より倦怠感。嘔吐などの胃腸症状。頭痛、胸痛等の出現。夜間安静時の狭心症状出てくる。登校時自転車から下りた途端に脱力立てなくなる。
9月 起き上がれず、意識変容が長く続く。狭心症状。心房調律、不整脈。血流低下、MRIでのT2延長、白質化あり。
10月 ステロイド。倦怠感は劇的に改善されたが、脳血流が改善せずに、海馬にも集積が見られたため、中止。12月末まで。
1月 その後再び倦怠感が酷く悪化。抑うつ、起死念慮、人格変化(易怒声、易刺激性、易興奮性、被害妄想)学校でも、1歳児のように大声で泣く。教室から飛び出す。

2013年
6月の中止報道にて、ワクチンとの関連性に気がつく。この頃から、暴力的で、夜になると、暴れる。大声で泣きほえる。弟を全力で投げ飛ばす。(この暴力と暴れるのはIVIG後少しして無くなる。)
8月 佐々木Dr.受診。唯一、3つの治療法提案あり。ステロイド、IVIG、免疫抑制剤。
9月 免疫グロブリン。(発熱のため、3日目で中断されたが、2日目から明るくなり、分からなかった足の指感覚が戻る。倦怠感も少し回復。血流は増加、今まで中のスペクトで一番数値が良かった。)不随意運動は徐々に大きくなって来る。

2014年  
2月 ステロイドパルス。(2週間後くらいから、頭痛、腰痛等減る。 認知機能や、表情、少し改善。昼間の睡眠時間も減る。が、20日前後から、今までにない全身の関節痛、激痛。と、共に再び倦怠感、胃腸症状等) 視覚の眩しさと、複視は消失。不随意運動が出現してくる。
3月 ステロイドパルス2クルー目。(今回は、気力も倦怠感も効果が感じられず。一昨年秋の意識変容した時の脱力のような症状出現。)不随意運動、脱力増加傾向。IgG低下。
5月 抑うつ。免疫吸着 不随意運動減少。痙攣や振戦あり。精神面の意欲向上、性格に穏やかさが戻る。倦怠感緩和日常生活がほぼ正常になる。
6月 退院後1週間で、倦怠感再び戻る。IgG低下。
7月 意欲落ちる。精神症状。

髄液検査結果:

2013年 秋:採血混入だが、IgG高値5.8(これは、血清混入は関与しない)

2014年2月:細胞数12、CD4 64.9 CD8 31.4 細胞障害性T細胞、グランザイムB 1.3 亜急性脳炎の可能性と診断。

2014年4月:各種インターロイキンなど異常値

2014年6月:抗ガングリオシド抗体陽性


発症以前の状態  

中学生活も謳歌し、家にいるよりも学校が好き。塾が好きだった。高校は、推薦を狙っていたので、合わせて5回までの遅刻欠席早退しか推薦基準にならないため、40度の発熱時でも、学校へ行こうとしていた。  

もともとが短時間睡眠で、何時に寝ても早起きだった。発症前は、朝5時起床。自分の好きな本を読んだりして、その後家の周りを10分間走。1000メートル走は中学一年の時にはクラスの女子で一番だった。肺の強い子で、呼吸数、脈拍が小さい頃から少なかった。(現在は、P=70~80)その後、おなかが減っていると自分であるもので朝食を済ませ、宿題をして登校。スケジュール管理も、やりたいことは自分で見つけてきて、送迎が必要なときには、「何時に送って。」「何時に迎えに来て。」のみ。本当に自立した子だった。

人との争いは全て避ける方。温厚で穏やかで口数の少ない子だった。

<現在>

それが、今は全く出来ていない。何を聞いても、何をしたのかも覚えていない。物の管理等も、文房具、ノート、眼鏡等大切に扱い、「どこやったっけ?」等と聞くことは一度も無かった。忘れ物等もなかった。今は、眼鏡がベッドの脇に落ちてそのままだったり、洗面ボールの中に2週間も鎮座している。ノートも無いと泣いたり、過去のやったことも、あれそうだった?と覚えていない。 IQもテストの偏差値も著しく下がっています。下がり続けています。 先生や家族には暴言は吐くし、暴力的。発狂して、暴れることもあった。殆どの周りの人を嫌悪。 最近は、自分が何をしようとしていたのか分からなかったり、居場所が分からなくなることも出て来ている。

他に、足の脱力、左足が上がらない。手の握力が、30キロくらいあったものが、5,6キロになっている。

<母の思い>

「国がやることでも、疑わなければいけない。」 人生の大きな、取り返しのつかない代償を払っての教訓を得たと思うことにしています。 そして、これ以上同じ間違いを他の親にはして欲しくない。

世界中の少女の、男児も海外では接種が始まり、日本でも治験が始まっています。子ども達の未来を守るためにも、どうか打つ前に良く検討してください。 そして、この危険な情報を多くの人が受け取れるように、被害を少なくするために、子ども達を守るために声を上げ続けて行きたい。

国に2000人以上の報告が上がり、報告を上げて貰えない人も含めた被害者連絡会への問い合わせは1000件にも上り、登録会員255名を越しても尚、親身に診て貰える医療機関は数少ない。国は、この原因機序の解明と根本治療法確立のために尽力している医療機関にこそ研究費の助成をして欲しい。


症例(サーバリックス)28 オランダ ケイトリン

2013-08-28 | サーバリックス症例
HPVワクチンの後の声無き苦痛

オランダ、ケイトリンの母親エスター記す


2011年、ケイトリンは、HPVワクチンであるサーバリックスを接種しました。10月5日に、3回目の接種を受け、5日後、ケイトリンは浴室にいたときひどい眩暈がおこりました。それは自分の足で立っていられないほどのものでした。私はすぐに医者を呼び、HPVワクチンの接種と関係がありえるかどうか聞きました。医者は、それはありえないと答えました。

ケイトリンは病気になり、インフルエンザに罹りました。治ったら再び病気になり、再び治り、これがしばらく続きました。しかし、病気である期間が長くなり、病気でない間の期間が短くなりました。

12月22日、娘は再び血液検査を受け、ウイルス感染、風邪、インフルエンザと関係していることがわかりました。薬は必要ありませんでした。けれど、ケイトリンはいつも眠っていました。彼女はひどい吐き気がありました。頭痛もあり、食欲がなく、とても疲れていました。

私の中で、これがワクチンの接種によって起ったのではないかという疑いが強くなっていきました。再び医者に、同じような症状の少女が他にいるかどうか、ワクチンと関係があるかどうか聞きました。女医によると、ワクチンは安全であり、テストしてあり、副作用は知られていないから、それはありえないということでした。議論は続きましたが、何の答えも見つけれられませんでした。

それで、小児専門医のところに詳細な血液検査をするためにいきました。地元の病院で、腸管の検査と血液検査をしました。結果は陰性でした。医者は、オランダ政府の医療副作用研究・統計センターであるLarebに連絡を取りました。

Larebから知らされたことは、似たような症状の同年代の少女がいましたが、それらはホルモンに関連するものであろうということでした。 この時期、ケイトリンは自転車に乗ることが困難になっていたので、私が娘を学校まで車で送っていました。

その頃、私はオランダの新聞 The Telegraaf で「少女接種のあとの苦悩」という記事を読み、私はホメオパシ医のところへ行きました。彼は、娘のリンパ系と神経系が適切に機能していないといいました。彼女の「電池」は充電していなかったです。

娘は、この医者の治療を受け、3月か4月ごろ回復しました。夏には、とてもよくなってきて、広告配達のアルバイトを再開したほどでした。

けれども9月に、インフルエンザに罹って、回復しませんでした。また同じことの繰り返しでした。エネルギーがなくなり、たくさんの頭痛がおこり、医者に戻り、何度も血液検査をしました。ベルギーのゲント市にある大学病院への紹介をもらいました。小児専門医が、ウイルスと細菌のテストをしました。ライム病の疑いがありました。娘の症状が、ライム病と関連する症状にとても似ていました。頭痛のため脳のスキャンもしましたが、神経科医は何も異常はみつけられませんでした。彼らの意見では、HPVワクチンと関係付けることは無理があるということでした。娘はリハビリが必要でした。

けれども、私は「もし娘が何も異常がないのなら、どうしてリハビリが必要なのか?」と聞きました。リハビリでは、娘は自分の限界を知るためにCFS (慢性疲労症候群)とどうやって共存するかを学ばなくてはならないでしょう。しかし彼女は1年間自分の限界とつきつけられてきました。病院の医者は、身体にはたくさんの化学作用があって、それが何かおかしくなっているのではないかと言っていました。

私の娘はもう社会と関わる生活がありません。パーティーや学校のキャンプには参加できません。私の10歳の娘のほうが、15歳の娘より遅くまで起きています。朝、彼女を起すのに、揺さぶらないと起きないこともあります。夕食の後、テーブルについたままほとんど眠ってしまうこともあります。

私は、地域の保険サービスに話しました。どこに行っても、答えはノー、ノー、ノーでした。それで、インターネットを見たのでした。たくさんの少女たちが同じ眩暈と吐き気の症状を持っていることがわかりました。娘は、極度の頭痛があり、音と明るい光に耐えられません。

今2年経って、私は、このすべてがHPVワクチンと何か関係があると言い続けていますが、何も証明できないのです。

その間、私たちは新しい家庭医を見つけたので、もう一度試してみることにしました。多分彼は違う意見を持っているかもしれません。でも、違いました、ケイトリンは特殊なケースで、彼らは聞いたことがないということでした。それは、多分初潮のため、多分ホルモンのため。もちろん、娘は以前にもインフルエンザに罹りましたが、物事が本当に悪くなったのはHPVワクチンの後になってからなのです。

私はそれをずっと見ていますし、それが起るのを見ました。私はすべてを書き留めています。Larebは良い機関ですが、私たちが診察を受けた7人の医者の誰もがLarebに報告をしなければ、何の意味もありません。

Larebにとって私たちは数字ですが、私にとってはそれは私の娘なのです。私は娘にHPVの接種を受けさせたことが残念でなりません。

今、私たちが医者に行くと、医者は、家庭の事情は大丈夫か、あるいは娘は自分自身に気に障ることがないかとか、学校で誰かにからかわれるかとか聞いてきます。もし娘が心理的な不満があれば、身体にも症状が現れます。けれど、私はいつ症状が始まったか正確に知っています。もしこんな状況が長く続けば、身体的な不満があって、それが心理的な不満をおこすのです。

私たちは、娘にすべての処方されたワクチンを与えてきました。あなたに通知がくれば、それが一番いいことと思って子どもにワクチンを与える、そうではないでしょうか?

私たちは、癌で家族のメンバーを数名亡くし、その直後にHPVワクチンがどうやって癌から守るかについてのお知らせを受け取ったのです。それで私たちはそれはいいことだと思いました。これは、良い政府の情報ですか?私は知りませんでした。私はHPVワクチンに関する情報を十分に持っていませんでした。 副作用に関しては何も述べてありませんでした。ただ、子宮頸がんから守るのであなたにとっていいものだということだけでした。

症例(サーバリックス)26~27 スペイン

2013-08-26 | サーバリックス症例
カロリーナ・パルマ スペイン、アンダルシア、セビリャ

14歳のとき接種

診断未確定

発作の時、歩行不能で2,3日寝たきりであった。

症状: 頸部に強度に痛み、様々な時間続く発作、発作後右側の感覚と動作喪失

緊急病棟訪問:50回以上 入院: 1回目11月26日から12月3日まで(2008)、2回目1月2日から2月11日まで(2009)、3回目3月23日から3月27日まで (2009), 4回目3月27日から3月30日まで (2009).

ワクチン接種日:2008年11月13日
サーバリックスロット番号: AHPVA015CM

病気の期間2008年11月20日から今日まで
回復せず

ワクチンの前の彼女の人生はハッピーであった,普通の14歳の少女にように、未来にたくさんの希望があった.以前病気になったことは無かった、風邪をひくことも珍しかった、スポーツが好きで、友だちとスポーツを楽しんでいた.とても親切で礼儀正しい子であった.面倒見の良い子であった.町でよく知られた子であった.11月20日から、彼女の人生は180度変わってしまった、発作が起きはじめて、私たちの娘と家族全員がとても不安になった. 何度も病院へ行き、毎日歩くことができずに寝たきりで、友だちと遊べず、町でのたくさんの祭りに参加できなかった.以前のように生活できなくなった、たくさんのことができなくなった、多分最も悲しいことは、彼女がワクチンの被害者だということを彼らが認めたくないことであり、今日まで医者はどこが悪いのか特定できない.つまり、このワクチンは私たち家族すべての人生を変えてしまい、私たちはとても無力だと感じている.

クリスティーナ、セビリャ

14歳のとき接種

症状:発作、失神、脱毛,右腕と右脚の無力感.

彼女は、右側の鼠径部(股間)に痛み.頭痛、かすみ目、胸部痛、不安がある。

緊急病棟への訪問: 12

入院: 9 日間

ワクチン接種日: 1回目2008年11月13日, 2回目2008年12月17日
サーバリックスロット番号: AHPVA015CM/ AHPVA018BF

病気の期間:約12ヶ月 回復せず

HPVワクチンは私の人生を変えた

ワクチン2回目を受けた3ヵ月後、私は気を失い始め、発作も始まった.私は以前したいたことが今はできないので、私の生活は変わってしまった.

2010年3月31日近況

クリスティーナ、セビリャのもう1人の女の子は、ほぼ4日ごとに、失神に続く発作が起こっている。発作は普通約10分続く.

症例(サーバリックス)22~25 イギリス

2013-08-22 | サーバリックス症例
メリッサ、バーンズリー、ヨークシャ、英国

1回目の接種、問題なし。
2回目の接種、すぐに関節が腫れ始める、右手の親指から、他の関節に広がった。1週間以内に、本当に具合が悪くなった。身体を動かすことができない、頭からつま先まで発疹で覆われた。高熱、発汗、悪寒、嘔吐、重度の頭痛、身体中の関節痛、何週間も続けて眠った。痛みがひどく、両親が触ることもできなかった。ピリトンを処方。HPVワクチンへのアレルギー反応と診断。その後、テストとX線で、脾臓肥大を見つける。その後、全身性若年性関節リウマチ(スティル病)と診断。

大用量ステロイドと炎症を抑制する薬剤を服用。

化学療法(メトトレキサート注射)。更にたの薬と組み合わせを試み、結局、トシリズマブを点滴、3ヵ月後経って、効果があるようだった。ステロイドの副作用がでて、体重増加とたの問題がでてきた。

2年経っても依然回復していない。メトトレキサートと上記点滴、また、必要に応じてメチルプレドニゾロン注射をした。これらの薬のため、多数の感染があり、抗生物質を多数回使用。後3年、この治療をする予定である。学校を休んでいる。嗜眠性があり、痛みがひどくなるので関節を使いすぎないように注意している。


デボラ・ハリデー、スコットランド

2010年9月、サーバリックス1回目接種
2010年10月、2回目接種

身体が堅くなり、日常の様々なことができなくなった。庭を掃く、掃除機をかける、ボトルを開ける。 ある日、全く予期せずに、学校で倒れた。腹痛があった。盲腸を除去。腹膜炎を伴う急性化膿性貫壁性盲腸炎と診断。その後2つの感染症。 歩行困難。光への過敏。

シリカ含量の高いミネラルウオーターを1日1.5リットル飲み始め、徐々に改善が見られた。3週間後、小さなことができるようになった。シリカ含量の高い食べ物(キャベツ、玉葱、きゅうり、オートミール、シリアル、イチゴ)を食べる。改善しつづける。ミネラルウオーター、食物、運動、水泳、散歩、悪い時はやる気を保つ、学校の勉強と努力した。


ブリアーナ

サーバリックス1回目接種、2011年9月28日

10月19日、ちょうど3週間後、学校から帰宅して、気分が悪く、吐き気がすると訴える。翌日休み、その次の日は、学期の最後だったので登校。保険医から電話で、熱があり、具合が悪いので、迎えに来るよう電話。

最初、生理の問題と思った。翌月曜日にも、吐き気、暑さと寒さ、とても弱くなっている。一般医で、生理用の痛みと吐き気のための薬をもらうが、痛みはなかった。 薬は効かず、ソファに横になってすごす。 尿検査と他に悪いところはないか検査。発熱があった。吐き気にステメティルを処方。効果あり。

吐き気、暑さと寒さ、弱い、めまい、眠気、全体に気分が悪い。尿検査異常なし。血液検査。異常なし。

翌週の水曜日、腕と脚の痛み、咽喉の痛みが出たり消えたりした。甲状腺の検査のための血液検査をしている。

視力が落ちた。

近況: 1日数時間学校にいくと、翌日はいけない。断続的な痛みが、腕と脚にある。特に注射した部位の近くが痛い。


エリナー、ケッタリング、ノーサンプトン英国

7ヶ月の時ペニシリンへ反応し、青くなり、呼吸が止まった。
活発な子ども、水泳の選手。

2008年10月、1回目の注射。数日後、入院。注射の後から持続する胃の痛みがあった。病院で原因不明。便秘ではないかといわれた。

11月、2回目の注射。胃が依然痛み、何度も医者に行った。過敏性腸症候群の薬を処方したが効果なし。生理用の薬は痛みを止めなかったが、周期が正常となった。歯医者に、胃酸の逆流のため歯が溶け始めているといわれた。身体を起して眠らなくてはならず、制酸剤を飲んだ。

2009年5月、3回目の注射。注射はとても痛かった。食事をすると痛む、胃が膨れて、腹部膨満感あり不快。

2009年5月、血液検査の結果に異常があったので、一般医に行くと、過敏性腸症候群であるだけだと主張。他の一般医にかえてもらうと、この医者はエリナーを信じ、病院へ紹介してくれた。

2009年9月、食物や水分をすべて吐くようになった。痛みで2回、救急病院へ行った。2回目のとき、入院。点滴を受ける。超音波検査で、肝臓に嚢胞がみつかり、血液検査で、膵臓に異常をみつけた。潰瘍を疑ったので、専門医に紹介。高用量のラニチジンとオメプラゾールを投与、牛乳とアイスクリームを摂取。便検査で、潰瘍をおこす細菌が胃にあるか調べた。テスト結果紛失。

悪化して、再入院。依然、吐き続けた。テスト結果はないが、潰瘍の治療を始めた。薬を始めると、痛みで身体を二つに折って叫び、救急病棟へ運ばれ、小児科病棟に入院となった。2009年10月のこと。

薬の投与法をかえたが、投与のたびに、痛みが増加した。 5週間、飲食するたびに吐いた。拒食症を疑われた。

5週間後、鮮血と顆粒状のものを吐き始めた。成人胃腸科医に見てもらった。すべての薬を止め、クローン病か確かめるため胃と腸の生体検査をした。 超音波で肝臓の嚢胞は消えていた。

内視鏡検査で、胃の炎症をみつけたが、嘔吐するせいだと結論した。pHが高いのも嘔吐のせいとされた。

チルトン医師は、グリーン医師が診察したことをしると、小児科の方が適当なのでということで、チルトン医師の診察は終わりとなった。

2010年1月、痛みと吐き気で再入院。婦人科専門医は、子宮内膜症を疑う。2010年5月、腹腔鏡検査をうけ、異常なし。 2010年12月、成人胃腸科医の診察を受ける。 2月、学校でパニックアタック。痛みのため失神寸前であった。 風呂場で失神し、腸から出血。救急で、3時間待機。医者は即入院させモルヒネを投与。点滴と、鎮痛剤。 結腸内視鏡検査で、潰瘍性大腸炎と診断。

症例(サーバリックス)21 イギリス ジェマ

2013-08-21 | サーバリックス症例
ジェマ英国

2011年7月31日入力


ジェマは学校が好きで、ほとんどの学科で良い成績をとっていたけれど、スポーツが本当に得意でした。彼女は、サッカー、ホッケー、クリケット、ラウンダーズのすべてで、トーナメントチームにいました。ラウンダーズのチームは3年続けて無敗でした。上級生の時は、彼女は、ネットボールの年間最優秀プレイヤーでした。

16歳の誕生日の前の週、ジェマは、誕生日パーティを友だちとアイススケートをして祝うことを計画していました。突然、彼女はめまいが始まり、頭痛がしました。彼女の両親は、多分風邪か何かで、ちょっと気分が悪いのだろうくらいに思っていました。彼女は、パーティができませんでした。

めまいと痛みが数日続いたので、両親は彼女を医者に連れて行きました。血液検査の結果に異常がなかったので、ジェマの一般医は眩暈症と診断して、薬を処方し、MP3プレイヤーを使わないよういいました。皆、1週間もすればよくなるだろうと思っていましたが、そうなりませんでした。

時間が経つにつれて、めまいはやや弱くなりましたが、頭痛が徐々に悪化していきました。痛みがひどく、ジェマは学校をしばしば早退するようになりました。視力が落ち始め、眼鏡を使用するようになりました。両親は、専門医にみてもらう決心をしました。

ジェマのMRI (頭部スキャン)には異常がありませんでした。ティーンの女の子たちがよく罹る、基底部偏頭痛と考えて、神経科医は、一般医に適当な薬を示唆する手紙を書きました。

処方された薬を飲んでもジェマは改善しないまま、GCSEの試験を受け、その夏の間、彼女はもっと内にこもるようになりました。ときどき友達とトラッフォードセンターへ買い物に出かけることだけが、唯一のアクティビティとなりました。ほとんどの時間をひとりで自室ですごしました。頭痛が続いたので、一般医は別の薬を推薦しましたが、効果はありませんでした。

彼女の両親は、娘が苦しんでいるのを見るだけで、何の助けもできませんでした。ジェマの病状は悪化しました。頭痛によりときどき学校を休んでいたのが、一度に1週間から2週間も休むようになりました。彼女は隠遁者のようになり、ひどい痛みのため自室に閉じこもっていました。なすすべもなく、両親は彼女の病状の原因を見つけようと必死でした。突然、サーバリックス接種した日、学校までジェマを迎えに行ったことを思い出しました。彼らだけで調査して、同じワクチンの後同じ症状で苦しんでいる多くの人がいることを発見しました。物事が理にかない始めました。

この時は毎週となっている医者への診察に、得た情報を持っていくようになりました。どの医者も、サーバリックスのワクチンのあと同じ有害反応が起こった少女が英国中にいることに気がついていませんでした。このことを知ったあと、ジェマの神経専門医の1人は、彼女の新しい病状について、

「診療所で話し合ったように、私の考えでは、最も有望な説明は、ワクチンが、持続する(偏頭痛などの)頭痛への潜在的な傾向を誘引したというものです。」 と述べました。

結局、ジェマは、推奨されているようにサーバリックスの接種を3回受けたのでした。英国ではサーバリックスは学校のプログラムで投与されるので、両親は、ワクチンの接種日を知らされないこともあります。ジェマ は両親に知らせたといいますが、両親はそれを思い出せません。ジェマが最初に病院へ行ったのが3回目のサーバリックス接種の翌日だったことを発見するのにとても長い時間がかかりました。 ジェマの両親は彼女の話を語ることで、他の人たちが同じような経験をせずにすむことの助けになればと思っています。

2012年11月8日、父親マークのコメント

ジェマは、Aレベルの試験に合格して、今、ロンドン芸術大学でファションの勉強をしています。彼女は、ときおり頭痛があるだけで、眼鏡も必要ではなくなっています。ジェマは大学でネットボールのチームにはいり、人生を楽しんでいます。希望を持ち続けて !

マーク(ジェマの父親)

症例(サーバリックス)14~20 イギリス ルーシー

2013-08-14 | サーバリックス症例
レベッカ・ラミッジ、サリー州ライゲイト

喘息があった。テニス選手であり、いろいろなスポーツをしていた。

2008年秋に、1回目と2回目のワクチン接種の後、関節痛があり、松葉杖を使用していた。

2009年春、3回目のワクチンの後、重度の関節痛、重度の疲労、歩行困難を発症。車椅子使用。

2010年3月28日近況 依然、健康状態は悪く、病院と家を行ったり来たりしている。ME/CFSの複雑な病態と診断された。

更に、視力障害も起こっている。


リー・マン19歳ノッティンガム州

2009年1月、1回目接種 10日後、気分が悪くなり、気を失った。
気が戻ったときは、腰から下の感覚がなかった。
病院で診察を待っている間に、右足の感覚が戻ってきた。
左足の感覚が戻るまで2週間かかった。

4月、発作が定期的に起こっている。
今は、本格的な発作になっている。
てんかん発作のようであるが、医者は、それがワクチンよりは、抗うつ薬のせいだと思いたいようであるが、抗うつ薬は1年以上服用しいるなんの副作用もなかった。

神経科医の診察予約を待っている5週間の間に、30回発作があった。


アシュレイ・ケイブ、リバプール

2008年10月15日、1回目のワクチン接種。
30分以内に気分が悪くなる。重度の頭痛に叫ぶ。

翌数日、頭が朦朧として、めまいがあった。 その後、脚が痛む。

続く48時間に5回気を失う。

ロンドンに出かけている間、入院。退院の記録、めまいと全身の筋肉痛。

脚の痛みで歩けなくなる。
2008年10月24日、リバプールの病院に入院。腕と脚の痛み。歩けないのではってトイレに行く。痛みは重度。

2009年8月、入院中。失禁があり、カテーテルを検討。最初に、膀胱調節プログラムを試すことになった。尿管感染が再発、特に病院で感染した大腸菌の発症後。

歩行フレームで起立可能、数歩移動できる。進歩は遅い。

2010年1月、退院して、学校へパートタイムで通学。車椅子使用。まだ病状はよくない。


ステイシー・ジョーンズ、17歳、ウエストミッドランド州ブリストン

サーバリックス接種、2008年11月15日、2009年1月24日、2009年5月16日

最初の2回の接種後、感情的になった。

3回目の注射の数日後、最初のてんかん発作があった。
翌週、17回の発作があり、その後数ヶ月発作は続き、精神的混乱、幻聴、殺人の脅しをするようになった。

2009年9月、リハビリユニットに入院、そこで、サンドイッチを作るなどの基本的な作業を学びなおした。この時点で、5種類の抗てんかん薬を服用しているが、記憶力障害となっている。

脳の膨張がてんかん発作の原因と診断された。

医者は、脳炎は過去5年に2回みたが、こんなにひどい脳炎のケースをみるのは20年ぶりであるといった。

近況、抗NMDA受容体脳炎と診断。感染が原因ではない。

母のコメント、抗てんかん薬の「カルバマゼピン」を服用した10分以内に暴力的になったと父親がいっている。


セーラ・チャンドラー、12歳、サリー州

2008年9月、1回目の接種の1週間後、気分が悪くなり嗜眠性となった。この病状は、2回目の接種後悪化した。気力低下、咽喉に何か詰まった感じがした。抗生物質では改善しなかった。慢性疲労症候群の診断を受けた。


ラーラ、ウェールズ

元気な泣かない赤ちゃんで、哺乳瓶も一瞬で空にするほど。

2008年10月13日、1回目接種。副作用無し。

2008年11月17日、2回目接種。とても気分が悪くなる。高熱、喉痛、頭痛、関節痛、極度の疲労。エネルギーがなくなった。医者が薬を処方。数週間後、学校に行くことができた。

2009年3月31日、3回目接種。翌朝、目が覚めた時、気分が悪かった。高熱、歩行困難。声を失う。

3日後、学校に行けなくなった。 光に極度に敏感になった。数日、光で目が痛むので暗い部屋に座っていた。臭いが気になるようになった。髪の毛が抜け始め、ひどい頭痛、首の痛みが始まった。歩行困難、脚のコントロールができない。ときどき座っていてもバランスを失う。説明不能な体重減少。数ヶ月で19キロやせた。 拒食症を疑われた。

今は、CFS/MEと診断されている。 昔どおりにできないことにイライラしている。 母親は、彼女の誇りである喜びであった娘を失うのではないかという恐怖に日々直面している。

カーリー・スティール、ストックポート

2007年10月、1回目接種、疲労と頭痛
2回目接種の後、ソファーに横になって過ごすことがあった
3回目接種の後、嗜眠性で眠くなる、関節痛、自分の髪を洗うこともできない
9月までに、一時的な失神(ブラックアウト)を経験、脚が痛く、歩けない

新聞記事より(DailyMail)

2009年4月の時点で
MHRAの報告では、700,000の女子生徒が接種を受け、1,300の有害反応の報告。

症例(サーバリックス)13 イギリス ルーシー

2013-08-14 | サーバリックス症例
英国ウォリックシア州ナニートン在住
ルーシー・デイビス(14歳)
2011年7月31日入力

英文へのリンク

2009年9月21日サーバリックス接種(1回接種のみ)

翌朝起きたとき、ルーシーは完全に声が出なくなっていました (声失症)。彼女は、重度の咽喉痛であり、熱っぽく、注射の跡に痛みがありました。1日ちょっと様子をみてから、医者に連れて行きました。医者は娘の症状を、急性喉頭炎であると言いました。ワクチンとの関連の可能性を訪ねると、医者は「それはないでしょう。偶然以外の何者でもありません。」と言いました。公知の登録された副作用が、上気道感染症だったのですけが。

ルーシー はその後の6ヶ月間、声が出ませんでした。咽喉の感染がなくなるまで3~4週間かかりました。この間、彼女の関節が痛み始め、脚の筋肉が弱くなっていくのを感じ、エネルギーがなくなって水泳は中止となりました。 (注: ルーシーは、週に30,000/40,000 メートル泳ぐ、競泳選手でした) とても元気だった女性で、友だちとのつきあいでも忙しく、学校では「優」の成績が予想された生徒でした。

その間に、医者は、ルーシーがたくさんの血液検査を受けるよう手配しました。また病院で耳鼻咽喉科専門医の診察も受け、発声療法士にも見てもらいました。約6週間後、彼女の声はやっとささやき声まで戻り、さらに発声療法士の助けで今は通常に戻っています。

そして、2009年11月28日、ルーシーにいわば重度のひきつけのようなものが起こりました。酷く暑いと言い、大量の汗をかき始め、心臓が激しく鼓動し、血流が増し、そして彼女は意識を失い、腕と脚が激しく震えました。彼女は建物から運び出され、救急車が呼ばれました。パラメディックは彼女を蘇生しました。彼女の血圧はとても高く、心拍は150を超えていました。

病院へ着いて彼女を安定させると、彼らは、ルーシーがパニックアタックがあって、過換気になったのだと言いました。けれど、それ以来、ルーシーはきちんと歩くことができません。脚と手がまだ震えます。病院の専門医は、発作が起きたという証拠が全くみつからないといい、すぐに退院させられました。

一般専門医に再びワクチンとの関連をきいてみましたが、何のコメントもありませんでした。彼は、ルーシーのかかりつけの一般医の意見である慢性疲労症候群CFS (ME)の診断に賛成しました。それで、神経科医との診察の予約をしました。

ルーシー は今車椅子で学校に通い、自分の状況にとても落胆しています。

ルーシーの近況 (2010年3月25日、父親より):

2週間前、ルーシーのかかりつけ一般医であるバーネット医師の診察を受けました。ルーシー最近までもう1人の一般医のジョンソン医師に見てもらっていました。ジョンソン医師は最初の2ヶ月は親身になって答えをみつけようといろいろとしてくれました。けれども、ジョージエリオット病院の一般専門医であるウッド医師の報告書を見た後は、彼の診断を受け入れたようでした。血液検査と診断の後、答えは見つかっていませんでしたが、ジョンソン医師はルーシーはそれ以上侵襲性の検査は必要ないと考え、終わりとしたかったようです。私は彼に蔑ろにされているように思いました。けれど、実際にはこれ以上は彼には何もすることがなく、MEという診断はおそらく正しいと考えているという印象を持ちました。最後にルーシーと妻のジルがジョンソン医師のところへ行ったときは、妻は「おやおや、あなたは今度は何をお望みでしょう」という感じを確かに受けたました!! その後、私は、ルーシーの病状に関して、ロンドンのいくつかの有名な病院に連絡をとり、1人の医師が興味を示しまし、神経科医の報告書を含めたルーシーの診療記録を見たいと言ってきました。 それで、一般医の手紙としてルーシーの診療記録を2010年2月23日に要求しました。それにすべての関係する手紙類も含め、読み易い形で、私の要求の手紙が届いてから12日以内に準備するよう頼みました。これは、国務大臣の法律で決められた協定に則ったリクエストです。

ところが、まだそれらの書類を受け取っておらず、昨日、急ぐように連絡をとらなくてはなりませんでした。その間、私たちは、ルーシーのもともとの担当であるバーネット医師のところへ行きましたら、彼は、ルーシーとルーシーの考えていることにだけ注意を払い、私たち夫婦のことは除外しようとするほどでした。彼は、私たち夫婦がルーシーがこのように振舞うことを強要しているのだと疑っているという強い印象を受けました。彼女のすべての症例を考えて、彼は、やや気がすすまないようでしたが、神経内科医への紹介をすることに賛成しました。

私たちはすぐに、「患者用診察予約シート」を受け取りましたが、バーミンガム子ども病院が既に予約してある診察をキャンセルするのを待っていました。その間、私たちは、フィジオセラピストの診察手配を主張し、とても強く頼みました。妻のジルは、迷惑がられるほど強く主張し、ジョージエリオット病院の優秀なフィジオセラピストとの予約を取ることに成功しました。彼は、ルーシーの状態を大変心配してくれ、もっと早く見てあげられなくて残念そうにしていました。

すごいことです!!! 彼はルーシーにとってもとても有益でした!すぐに松葉杖になり、できる限り車椅子は使わないようになりました。学校ではほとんど松葉杖だけですごしています。松葉杖で外出して、ルーシーはそれを使うことにかなり自信をもつようになり、車椅子よりも気分的にいいようでした。 ルーシーは火曜日に15歳になり、素敵な誕生日でした!未来に本当に肯定的でした。その夜、私は希望と喜びで何時間も泣きました。今、ルーシーは、キール大学のクリス・エクスリー教授のアルミニウム耐性についての研究に従って、高いシリカ含有のボルビック水を1日1.5リットル飲む3ヶ月のコースの終わりに近づいています。それは有益であり、私たちは彼にとても感謝しています。

注: ルーシーの副作用は、ワクチン接種の翌日始まり、時が経つにつれて変化した。彼女のあとのほうの問題である、気を失うこと、腕と脚の震えは、ガーダシルやサーバリックスを接種した他のたくさんの少女が経験している、症状の種類のグラフでもこれは確認できる。「パニックアタック」という用語は、この経験を語るために使われるが、どうして、若くて元気な女の子の腕や脚が突然震えてそのままの状態が続き、きちんと歩けなくなるのか。彼女の既往の病歴が、これらの症状がただ単におこったわけではないことを語っているべきである。(編者フレダ・ビレル)