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葉月のブログ

命題:ウイルスの糖鎖はヒトの糖鎖と同一なので病因とはならない

症例(サーバリックス)12 イギリス ローレン

2013-08-12 | サーバリックス症例
ローレン
英国ランカシャー州ロッチデール在住
2011年10月26日
英文へのリンク

母親スーザン記す

ローレンは、長い時間おとなしく座り続けることができないタイプの子どもでした。週末はいつも友だちと泳ぎに行っていました。彼女は身体を動かすことなら何でも大好きで、とても丈夫な子どもでした。それまでの人生で医者に行ったのは、扁桃炎と盲腸炎のたったの2回だけでした。盲腸炎のときは切除のために病院に入院しましたが、とても早く回復しました。この2回を除いて、ほとんど病気だったことはありませんでした。風邪やインフルエンザにもかからないほどでした。

これから、サーバリックスの接種を1回受けたあとのローレンの生活がどんな風であるかをお話ししましょう。2010年10月の初めにサーバリックスの1回目の接種を受けたとき、ローレンは12歳でした。その日帰宅して、注射は痛くなかったと私に言いました。これは、その日学校であった他のことと一緒に話したことでしたが、娘の気分はあまり優れませんでした。私は、熱がでたり気分がすこし悪くなるかもしれないと聞いていましたので、これがワクチンのせいだと思いました。

数日後、娘は動かすと肩が痛いと訴えていました。その2日後、肘も痛くなりました。それから、脚の付け根の間に、今まで見たこともないような発疹ができました。私はそれが汗疹、あるいはたぶん両足がこすれあっているせいかもしれないと思いましたが、関節の痛みとは結び付けませんでした。医者に連れて行くと、医者は、おそらく筋肉を引っ張って痛めたのではないかと言い、1週間イブプロフェン(抗炎症薬)を飲むよう言いました。娘は言われたようにしましたが、1週間後に症状が改善しなかったので再び医者に行きました。それで、医者はジクロフェナク(抗炎症薬)を与え、多分もう1週間休む必要があるでしょうと言いました。

その週が過ぎたあと、今度は膝が痛み、いつも咳をして、完全に消耗していたので他の医者のところへ連れて行きました。医者は、娘が熱もあったので重度の扁桃炎で、これが関節にも影響しているのだと思いました。娘は抗生物質を始めました。この後も娘の症状は悪化し続けました。すべての関節が腫れ、咳をし、体重が6キログラム以上減り、あの発疹が消えたりまた現れたりしました。この時には、娘は一日中眠っていたので学校を休まなくてはなりませんでした。

血液検査などのために医者に何度も通ったあと、最終的に、地元の病院の小児科病棟に入院しました。この時点で、娘はほとんど動けず痛みがひどかったので、車椅子を使っていました。そこでも、娘は扁桃炎にかかっているといい、抗生物質の点滴を受けました。これはクリスマスの時期にかけてでしたので、クリスマスの当日はプレゼントを開けるために数時間帰宅させてくれました。

抗生物質がなんの効果もなかったので、医者はより強い鎮痛剤を与え続け、リウマチ専門医のいるマンチェスター王立こども病院に転院することに決めました。新しい病院に約1週間いて白血病を除外する検査を受けたあと、医者は、全身型若年性特発性関節炎であると診断しました。6日間のステロイド注入、その後は経口ステロイドでの治療を始めました。また、週に一度のメトトレキサートの注射も始めました。この新しい治療が始まった後、娘の病状はかなりはやく改善しました。娘はまたフィジオセラピー(リハビリ)も受け、私たちは娘と一緒に毎日家でもすこし体操をしました。約2ヶ月後、娘は膝の痛み以外はとてもよくなっていたので、医者はステロイドを徐々に止めて行くことに決め、膝にはステロイドを注入し、液体を抜く治療を施しました。

ステロイドを減量し始めたとき、娘の症状は戻ってき始めました。プレドニゾロン5mgまで減量したとき、今までで最悪の症状になり、病院へ再入院しました。心臓の周りに液体がたまり、ほとんど動くことも息をすることもできませんでした。1000mgプレドニゾロン点滴を3日間したあと、娘は再びずっとよくなっていました。今度は、医者は今までの薬に加えて、毎日100mgの注射でアナキンラ(リウマチ治療免疫抑制薬)という別の薬も始めることにしました。医者は、プレドニゾロンがステロイド性高血糖を引き起こしていることを発見しました。娘の血糖値は20を超えていたので、血糖検査を始めなくてはなりませんでした。医者は、インスリンの投与を開始しようとしましたが、ローレンが毎日注射したくないので食事を制限すると主張したので、メトホルミン(糖尿病治療薬)を試すことにしました。食事をよく食べる限り、それは上手く作用しました。

目下、ローレンはアナキンラの注射になんらかの反応があって、とても痛くなり、腕には痒みのあるしこりができていますが、これらの症状は以前のようには長く続かず、私たちは娘の身体がそれをもっと許容するようになってきているのかもしれないと思っています。医者は、注射を1日に2/3に増やすことを話しています。というのも、娘はまだ激発することがあるからですが、今のところ過去6週間はかなり良い状態です。ただとても疲れやすいのです。もし彼女が運動や歩くことなどをしすぎると、夜は痛みがひどくなり、熱と発疹がでてきます。

ほぼ1年学校を休んでおり、勉強も友だちと付き合うこともできませんでした。残念なことに、友だちの何人かは、娘がステロイドでかなり体重が増えたのをみてデブと言い、娘を泣かせてしまいました。医者は娘が一生治療が必要だろうと言いましたが、私たちは娘がよくなりつづけるよう期待しています。医者は、娘が2年間寛解でいたら、この状態を再検討するということです。

娘は、毎日自分の注射するように病院で訓練を受けています。そうすれば、これらのすべての注射をしてもらうために病院にたびたび行く必要がなくなるでしょう。けれど、ごく最近とても悪い激発がまたあって、リュウマチの専門医はアナキンラがローレンに作用していないと決め、この薬を止めることにしました。彼女は今、トシリズマブを2週間毎に点滴しており、いまのところこれが作用しているようですが、残念ながらプレドニゾロンも20mgに増えました。

良いニュースは、今ローレンが学校に戻ってなんとかほぼひと月過ぎたことです。ときどき痛くて歩けない時は、数日休まなくてはならないだけです。ステロイドやトシリズマブと同様に、化学療法薬のメトトレキサートが免疫系を抑制するので、娘はたびたび感染症を起します。

私たちの家族にはリウマチ性関節炎の病歴はないことをここで述べておきたいと思います。娘がサーバリックス前の生活に戻ることができるなら、他に何も望むものはありません。

症例(サーバリックス)11 イギリス ロージー

2013-08-11 | サーバリックス症例
ストーンリー在住のロージーとアビー

2011年7月31日投稿
サリー在住ロージー・ウェザーヘッド


ロージーとアビーは二卵性の双子で、サーバリックスの1回目の接種を2008年10月14日、2008年12月1日に2回目の接種を、そしてアビーだけ3回目の接種を2009年4月22日に受けました。

2人の女の子の違いは、ロージーは運動神経がよく、サッカー、水泳、ネットボール、陸上、ラウンダーズなどいろいろなスポーツが好きです。アビーはもっとのんびりしていて、スポーツで競争したりするタイプではありません。彼女は、赤ちゃんや動物に興味をもっています。

ロージーは1回目と2回目の接種の後、重篤な副作用がありましたが、アビーは何の反応もなくワクチン接種のコースを完了しました。

最初の接種後、ロージーは、股間と膝と注射部位の痛みで泣きながら帰宅しましたが、アビーはなんともありませんでした。そのとき、私たちはロージーの痛みをスポーツでの怪我のせいだと思ったのです。

2回目の接種で、アビーはまた反応なしでしたが、以前と同じ痛みでロージーは歩き方がおかしくなっており、大好きなスポーツのどれにも参加できませんでした。彼女は本当に活発な運動選手だったので、この段階では参加しようと試みましたが、膝と関節の痛みがとても強く、準備体操すらできませんでした。

ロージーは学校へ行き続けること、「普通」でいようとすることが難しくなりました。彼女は、出席記録で「金賞」を取るために休まずに学校へ行きたいと思っており、スポーツで怪我をしても、必要なら松葉杖をついてさえ学校へ行ったことでしょう。しかし、2009年3月の初め、ロージーはとても病気で学校へ行けませんでした。そのときが、彼女を一般医のところへ連れて行った最初でした。

一般医は、原因がわからず、地元の病院の小児科に紹介してくれましたが、小児科医は今度は娘をグレートオーモンドストリート病院へ送りました。その週の終わり、3月の初めまでに、ロージーは歩くことができず、話すエネルギーもなく、食べることはとても努力を強いられました。彼女には、咽喉痛、極度の関節痛、極度の疲労がありました。この段階で、私は、ロージーにとてもひどく影響をあたえているものがワクチンであることに気が付き、3回目の接種は受けさせませんでした。

グレートオモンドストリート病院の小児科医は、ロージーはウイルス感染後疲労症候群のようで、ワクチン接種のときにウイルスに感染されていた可能性があり、これがワクチンとの反応をおこしたのではないかと言いました。

今、ほぼ一年半経ちましたが、ロージーの病状は改善していません。2月に再び悪くなり、学校を休まなくてはなりませんでした。イースターの前にも同じことが起こりました。ロージーは2009年のクリスマスの直前に学校にフルタイムで戻りました。ロージーの咽喉の痛みはなかなかなくなくならず、耳鼻咽喉科の専門医にみてもらいました。この病気は変化し続けていますし、とても良くなってはいないことは確かです。

ロージーが毎日2~3種類のスポーツをしていた活発なスポーツ選手からエネルギーが十分でなく2階への階段を上ることさせ痛みでできない状態になって、たくさんのことに対処しなくてはなりませんでした。夏の間は、外出には車椅子の生活でしたが、これを止められるよう頑張っています。これらすべてが、彼女の病状を甘受するための精神的な苦闘をもたらしています。同級生が彼女が大好きだったスポーツに参加しているのをみること、学校生活で先へ進んでいることは彼女にはも、また私たちにとっても、とても辛いことです。なぜなら彼女が彼らと一緒に前進できないのですから。

「副作用がこんなに壊滅的だとは理解していませんでした、さもなければ、私はこのワクチンを2人の娘たちのどちらにも受けさせなかったでしょう。」

ロージーは、ワクチンの後、目の症状も発症しました。彼女は、「ドライアイ」と呼ばれるものにかかっており、毎日目薬をささなくてはなりません。ロージーは、このワクチンの前には目の問題はなにもありませんでした。

2010年4月、近況

去年の夏以来、ロージーは改善し、以前よりは少ないレベルですが、スポーツ活動のいくつかに参加できるようになりました。ひとつかふたつの小さな出来事があることもありますが、前の状況よりはずっと良くなっています。それにほっとしていますし、彼女が全快するまで日々改善し続けることを期待しています。

参考までに

サリー州のレベッカ・ラメッジも、とてもスポーツの好きな少女で、テニストーナメントに参加していました。レベッカの病状は、ロージーにとても似ています。レベッカもまた喘息に苦しんでいました。

ルーシー・デイビスもスポーツ好きな少女でした、期待の水泳選手で、毎週3~4万メートル泳いでいましたが、MEと診断されました、そして、咽頭痛がひどく話せませんでした。その後、彼女は腕と脚に震えを発症しまし、歩くことができませんでした。

結論

多分、若いスポーツ好きの少女たちに障害がでるのか調べてみるべきでしょう。ガーダシルかサーバリックスを受けた若い少女や女性に広く起きています。スポーツ好きの少女たちが重篤な副作用に苦しんでいます。なにか関連があるにちがいありません。

症例(サーバリックス)10 イギリス エミリー

2013-08-10 | サーバリックス症例
サーバリックス後症候群犠牲者

エミリー
ヨークシャ州ウェイクフィールド在住
2011年11月30日

エミリーの母親のキャロン記す

私の娘のエミリーはいつも聡明で、体力があって、健康で、エネルギーにあふれていました。彼女は学校のいろいろなスポーツチームの一員で、ダンスの大会にも出場し、身体中から生命があふれ出ていたので彼女が入ってくるとどんな部屋でも明るい雰囲気になりました。彼女は一緒にいるのが本当に楽しい存在です。いいえ、これはサーバリックスのワクチン接種コースを始めた去年の10月までのことでした。

去年の10月まで、彼女の病歴は、小児科医からの手紙に書いてあったように「特筆に価しない」ものでした。彼女はいつもとても健康で、体力があって、健康的でバランスの取れた食事を楽しんでいました。彼女はペニシリンにアレルギーがあって、花粉症です。

10月(2010)、12月(2010)、5月(2011)に学校でHPV接種(サーバリックス)コースを受けました。同意書を持ち帰ったとき、私は重篤な有害作用のことは知りませんでしたし、学校で話し合いがあったので娘はワクチン接種にとても積極的でした。公式な文書では、軽度で一時的な副作用のことしか明記されていませんでした。

2回目の接種の3週間後、インフルエンザのようなウイルスのため娘はひどい病気になりました。嘔吐、熱と悪寒、頭痛、筋肉痛と脱力感、極度の消耗、咽喉痛、重度の腹痛、顔と胴体の発疹、めまいがありました。医者には、たくさん水分をとって休むように言われました。娘は3週間病気で寝込みました。私たちはそれを「インフルエンザ」の悪い発作だとみなしました。

そして大騒ぎが始まりました!娘は改善しているように見え、そして消耗、吐き気、腹痛、めまいが再発するのです。彼女の筋肉は頻繁に痛み、関節、特に膝がしばしば痛み、絶え間ない咽喉痛、定期的な頭痛がします。これは、6ヶ月以上、続きました。3回の徹底した血液検査は「異常なし」で、腺熱(EBVウイルス感染症)には陰性でした。医者は、「ウイルス感染後疲労」と診断しました。

それはひどい6ヶ月で、家族として私たちは全種類の感情を経験しました。「疲れ」は学校を休みたい下手な弁解のように思えましたので、エミリーの調子が十分良くない時にも学校へ行くようにプレッシャーをかけてしまい、そうしたことにひどく後ろめたさを感じました。何か悪いことがあってどうしようかというとき、私と夫の意見が合わずに言い合うことが良くありました。エミリーは私たちが彼女の病気の深刻さを信じていないと思って動揺し、彼女のクラスメートはときどき病気のことで彼女に悲しい思いをさせました。 母親として、何かがとてもおかしいことはわかっていました。何かが娘の内部にあった明かりを消してしまい、彼女の身体は少しずつ徐々にギアを落としているように感じました。娘の外見も行動も、まるで生命が彼女から流れ出ているようでした。

そして、7月のある日、突然、娘の病気がHPV接種の後に始まったことに気が付きました。午前中インターネットを検索して、同じ症状を経験している女の子たちがたくさんいることを確認しました。全く同じ症状でした!すべての辻褄が合いました。

そのときから、SaneVaxのウェブサイトを通してフレダ・ビレルに連絡を取りました。彼女は私の先導者で、力をくれ、他の親と連絡を取れるようにしてくれ、私を正気に保ってくれました!エミリーは、ピンダーフィールズ病院(ウェイクフィールド)の小児科に紹介され、医者は、慢性疲労症候群と診断し、治療方法はなく、娘は徐々によくなるであろうと言いました。この小児科医の診察の2日後、エミリーが右腕と右足の感覚を失ったので救急病棟にいました。現在、私たちは、セカンドオピニオンを得るためにエミリーを別の専門医にみてもらうための紹介を待っています。私たちの一般医はずっととてもよい支えとなってくれており、現在私たちに最も良い選択肢を探してくれています。

エミリーは今年の初めに比べて、ずっとよくなっていますが、依然として疲労と倦怠を患っています。絶えず咽喉痛があり、頻繁に頭痛と腹部痛があります。彼女の症状は変わりますので、私たちは次に何がおこるか全くわかりません。最近おこったことは、ほんのちょっとした動きによる息切れで、それはまるで階段を走って上ってきたようなのです。良い日と悪い日がありますが、この良い日とは、ワクチン前の悪い日と同等のものです。

診てもらった医者は誰も、ワクチンがエミリーの病気の原因であると信じているとは言いませんでしたが、誰も完全に否定してはいませんでした。すべての符牒が合ったあの朝から、私には、エミリーの問題がサーバリックスワクチン接種の直接の結果であるとことへの疑いは全くありませんでした。他の親と話したりワクチンのことを調べてみると、それはただ私が既に知っていることを確認しただけでした。

最近エミリーの学校の出席記録を要請した時、最終的な確証を得ました。私は、エミリーは1回目の接種は大丈夫だったと思っていたのですが、最初の接種の3週間後の週に1日学校を休み、その次の週3日休みました。2回目の接種の3週間後に、3週間とても具合が悪かったのです。3回目の接種の3週間後に、私たちは休暇の旅行中でしたが、その間じゅう、娘は疲れて、無気力で、感情的で、不機嫌でした。

接種と症状の間の3週間の遅れのため、ワクチンと反応を結び付けることができませんでしたので、娘は3回の接種すべてを受けることになったのです。一体何人の親が関連を見つけられず、何人の医者がその関連を見つけられないでいるのでしょうか?もし両親がそれぞれのワクチン接種の後の6ヶ月の健康問題のすべて報告したら、ワクチンの有害反応はどんな風に見えるでしょうか?

これらの副作用が実際にそうであった重度と長時間で現れることを私たちは警告されていません。また、副作用が明らかに起きるまで何週間もかかり、それが起きたとき報告すべきだとは警告されていません。いつ、グラクソスミスクライン社がこの情報を少女、両親、医師、看護士から隠していたことに責任があるとされるでしょうか? もし更なる捜査なしにこれが続くのだとしたらそれは本当にスキャンダルです。

少女たちは答えを必要としています。家族も答えを必要としています。この痛みと苦しみは、おしまいにしなくてはなりません。

2012年5月9日
近況

最近のエミリーの病状について エミリーは去年少し改善していたように思われましたが、残念なことに、「普通」の生活を維持しようと努力したことで逆戻りし、彼女の健康はかなり悪化しました。娘は、神経病のME(筋痛性脳脊髄炎)と診断され、多くの専門医はMEがワクチンによって引き起こされる可能性があると受け入れましたが、どの医者もすすんで、娘の病気がHPVワクチンに起因するものであるとはしませんでした。病気の効果的な治療や完治がないと言われました。私たちはただ、娘が「脱皮」することを願うだけです。現在、エミリーは1日2時間だけ学校に通っており、競技ダンスとスポーツはあきらめ、たいていはかなりの痛みを感じています。彼女は定期的に消耗、喉の痛み、頭痛、息切れ、胸部痛、めまい、腹痛、関節痛、筋肉痛、不眠、短期記憶の劣化、意識の朦朧、集中と情報吸収の困難に耐えなくてはなりません。ティーンとしての喜びは彼女の生活からはかなり取り去られてしまいましたが、彼女は微笑み続け、すこししか不平を言いません。彼女の考えでは、もし痛みや病気のたびに不平を言っていたら、話すことはそれだけになってしまうからだということです!私は娘のこの態度と強さと肯定的な考えをとても誇りに思っていますが、彼女がこんな体験をしなくてはいけないことに悲嘆しています。私は、HPVワクチン接種の後に同じ荒廃を経験している多くの親と娘さんたちのことを思っています。そして、いつか政府と医者が正気づくことを祈っています。

症例(サーバリックス)9 イギリス ケイティ

2013-08-09 | サーバリックス症例
私の娘とサーバリックスとME/CFS:偶然の一致か?

英文へのリンク

英国、アプトン・アポン・セヴァーン

キャロル・グリーン記

筋通性脳脊髄炎 (ME)/慢性疲労症候群 (CFS)は、主に脳, 胃腸,免疫, 内分泌および心臓系の機能障害に関連した多数の症状を伴う重度の, 複雑な, 後天性の病気です。私たち家族は、15歳の娘を子宮頸がんから「守る」ためにサーバリックスを予防接種した後に、特にこの疾患にこれほど精通するとは考えても見ませんでした。

2009年にケイティがサーバリックス予防接種を受けた時, 彼女は15歳でハンリー・キャッスル高校でGCSE(中学終了時試験)を受ける学年でした。学校での成績はとてもよく、高い評価を達成しており、将来は大学に進学することを希望していました。ワクチン接種前は、とても体力があり、地域のラグビーチームの一員で、ブリストルの18歳以下のラグビーのための特別強化クラブに通っており、イギリスの18歳以下のラグビーチームの選抜トライアルも受けていました。娘は、州の女子クリケットチームの一員でもありました。

2回目のサーバリックス接種の即効

翌朝、ケイティは寝坊したので、私たちが起さなくてはなりませんでした。彼女はひどくふらふらで、吐き気とめまいがありました。しかもおねしょをしていました!この時点ではまだ食べることはできましたが、食べるたびに吐き気がしていました。注射の部位には大きくて赤いしこりができていました。そのサイズは半熟卵と同じ程でした(これは、1回目のワクチン接種の後のしこりの3倍の大きさでした)。これらの症状のすべてはワクチンの説明書に書いてありましたので、私たちはケイティがじき回復するであろうと思っていました。

残念ながら、翌週学校へ無理をして通ったところ,症状はさらに悪化しました。 重度の眩暈があってほとんど歩くことができませんでした。目は焦点を合わすことができず (特に字を読もうとしたとき), 彼女はとてもひどく吐き気がして極度に疲れていたので、少量の裏ごしした食べ物を食べることが出来るだけでした。この時点で、私たちは担当の一般医のところへ行き、すぐに病院へ行くようにいわれました。広範な検査にもかかわらず、原因を見つけることができず,ケイティは家に戻されました。

2011年に免疫学・感染症の専門医により、ME/CFS の診断が最終的に確認されました。

ワクチン接種の持続効果

ケイティの生活は、ME/CFSにより深刻な影響を受けました。少なくとも最初の3ヶ月は家から出られず、少なくとも5ヶ月は、ほとんど歩くことが出来ず、食事もミキサーにかけなくては食べられませんでした。エネルギーがなくて日中のほとんどを安静にしてすごし、毎日数時間眠っていました。 ケイティは説明不能な様々な痛みに断続的に苦しんでいました―関節、腹部、片頭痛、それらは以前には一度も経験したことがありませんでした。2011年の1月と2月の間、彼女はとても悪くなりました。極度の不眠症で完全に疲労困憊していました。全く何もできませんでした!

今は、ワクチン接種直後よりも、軽い歩行や買い物など、身体的にはより多くのことができるようになりました。けれどもたくさんしすぎると、次の日やその後にかけて疲労がでます。学校に戻ろうとしましたが (ハンリー・キャッスルの大学入試のためのコース), 対処できませんでした。集中することが難しく、特定の単語を記憶することが難しく、精神的な要求が大きいときは本当に疲れを感じるようになっていました。結局、2012年に3回目のコースへの復学を試みた後、2週間で娘の病状がとても悪化したので止めるように担当医から忠告されました。

現在:

目下,娘は雇用保護給付を受けていますが、労働年金省による最近の医療査定では、担当医による裏づけがあるにもかかわらず、彼女が仕事できない医療理由がないと決定されました。その後、私たちは決定を不服として訴えており、法廷に行かなくてはならないでしょう。

また、私たちはワクチン障害補償の請求を提出しましたが、それは却下されました。 私たちは依然、上訴を提出するプロセス中ですが、私たちの弁護士が必要な因果関係を証明することができないと決定したことで遅れています (時間的関連と一般医からの手紙があるにもかかわらずです)。自分たちだけでこのことを遂行することは完全にお手上げだと感じて、私たちの地域の国会議員であるハリエット・ボールドウィンに相談しました。

症例(サーバリックス)6 イギリス ルーシー

2013-08-06 | サーバリックス症例
サーバリックス後症候群

ルーシー
英国在住

スティーブ・ヒンクス記す

私たちの娘のルーシーは、MMR(麻疹、おたふく風邪、風疹)混合ワクチンを接種した週に麻疹にかかりました。その週末に、髄膜炎の疑いで病院の隔離病棟に入院しました。数週間後、首のリンパ節が腫れ、その腫れは手術で取り除くまで続きました。そのため、娘が学校からHPVワクチン接種の同意書を持ってきたとき、娘の母親も父親である私も、3回の接種を受ける許可を与えることに気が進みませんでした。

けれども、私の妻は学校の看護士と話して、サーバリックスが、以前ルーシーがひどく反応したMMRワクチンのようではなく、ほぼ安全であると納得したのです。看護士は、このワクチンが子宮頸がんから13歳の娘を守ることを強調しました。娘を安全に守ることに躊躇する親がいるでしょうか?

以前の否定的な経験を考えないことにして、私たちはルーシーがHPVワクチンの一連の接種を受ける同意を与えることに決めました。この決意が、その後私たちの生活に与えた衝撃の大きさなど、全く考えも及びませんでした。

サーバリックスの注射の前のルーシーは、左側の写真にあるような普通の健康な女性でした。学校の出席日数の記録も優秀であり、クラスでも成績上位でした。

(写真 のリンク)

サーバリックスの1回目と2回目の接種後、娘を2度ほど医者に連れて行かなくてはなりませんでした。娘は疲労感があり、インフルエンザのような症状がありました。そのような病状はルーシーにとっては珍しいことでしたが、みな心配するほどのものではないと思っていました。

2011年5月4日に、ルーシーは3回目で最後のサーバリックスの注射を受けました。接種してしばらくして、娘は母親に学校へ迎えに来て欲しいと電話してきました。ルーシーはインフルエンザにかかったみたいでとても疲れていると言っていました。にもかかわらず、娘は翌日学校へ行きました。試験期間中だったのです。その時は母親も私も、これが私たちの普通の生活の終わりの始まりであるとは思いもよりませんでした。

ルーシーの健康は、急激に悪化し始めました。娘に、持続性の偏頭痛、原因不明の疲労、関節および筋肉痛、異常な打撲傷、腹痛、記憶喪失、血行不良が起こり始めました。食欲をなくし、体重が減少し始めました。絶えず寒さを感じていました。私たちは娘を何度も病院に連れて行き、2回入院しました。

娘の不可解な症状の原因を誰も特定できませんでした。私たちが持ち合わせた唯一の手がかりは、ルーシーの最初の小児科専門医が担当の一般医に書いたメモ「この症状がHPVワクチンへの副反応であったと解明される可能性が少なからずあります」だけでした。

7月4日に、ルーシーは疲労で倒れ、再び医者に連れて行かなくてはなりませんでした。この時までに、体重はすでに6キログラム以上減っていました。娘の慢性的疲労は、コントロールできなくなっていました。ルーシーは1日23時間眠りはじめました。私たちは、流動食かフィージーウォーターを与えるためだけ十分な間、娘を起すことができましたが、それだけでした。数え切れないほど何度も、母親は夜中に目を覚ましてルーシーがまだ呼吸しているか確かめていました。

9月までに、ルーシーは昏睡状態のように眠るようになりました。続く13週間の間、娘は話すことも目を開けることもできませんでした。私たちは、親にとっての最悪の悪夢を体験していました。

ルーシーの新しい小児科専門医は、特別重度のCFS(慢性疲労症候群)/ME(筋痛性脳脊髄炎)ではないかと言いました。この病気のNHS(国民健康サービス)の標準的な治療方法は、段階的な運動療法(GET)と認知行動療法ですが、どちらの治療もルーシーが眠っている間に行うことはできません。

2011年のクリスマスの直前に、英国で最大のホメオパシー学校の副校長がルーシーを必ず良くすると約束して訪ねてきました。ルーシーは翌日目を覚ましました。それは私たちの眠り姫をハンサムな王子が起してくれた奇跡のようでした。

ホメオパシーの治療により、ルーシーは信じられないくらい良くなりました。数ヶ月ぶりに初めて、自分で食事できるようになりました。短い時間ですがテレビを見ることもインターネットを使うこともできます。娘が何ヶ月もの間、違う世界に生きているのを見たあと、これは私たちによって奇跡のようです。

私たちはまだ森の中をさまよっているのだということを忘れたわけではあありませんが、少なくとも今は娘がこれからも良くなっていくであろう希望があります。ルーシーの体重の減少は、依然大きな心配事です。娘は、減少した分を取り戻すために大変な苦労をしています。私たちの13歳の娘が、この記事の最初の写真から、右側の写真に変わるのをみてきました。

娘は、少なくとも一日に4回昼寝をしており、普通よりも長い時間眠っています。ルーシーの小児科専門医は、担当の一般医に、彼女の病状は「MEではなく、注射への反応である」と話しました。

信じられないかもしれませんが、上に述べたことが、HPVワクチンの後に私たちの生活に起きた変化のすべてではありません。

2012年の最初の数ヶ月の間、ルーシーは毎週精神科の顧問医師の診察を受けるよう言われました。この診察が役に立たないことがわかったとき、カウンセラーは、3~6ヶ月の鑑定のために精神病院棟に入院させようとしました。提案された施設を皆で訪問した時、そこの上級精神科専門医はここはルーシーにとってふさわしい場所ではないといいました。もちろん、私たちは、その意見に大賛成した。

ルーシーの病状は改善し続けていたので、6月に家族で旅行に行く計画を立て始めました。ルーシーの看護士、担当一般医、私営の顧問医師に相談したところ、皆、ルーシーは旅行へいくことができるほど健康になっており、旅行がいい影響を与えるであろうと賛成しました。ただ、娘の精神科顧問医師だけが賛成しませんでした。出発の数時間前に、私たちの家族は、社会福祉課と警察に通報されました。幸い、私たちには本当に必要であった休暇、それに行く許可を得ていたので、出発が数時間遅れただけですみました。もちろんかなりのストレスにはなりました。

旅行から戻って、3人以上の社会福祉課員が調査を行い、評価し、書面で社会福祉課が関与する必要が無いことを知らせてきました。手紙は9月に届きました。

これにもかかわらず、ちょうどクリスマスの前に、5月に始まった元々の調査がまだ続行中であり、病気を偽造または誘発している可能性を検討する話し合いの予定が数回組まれていることを知りました。これによりいかに多大な不必要なストレスが私たちの家族に与えられているか誰も想像できないのです。偽造などその可能性を疑うことすら信じられないことではないでしょうか?

私たちの娘は今も改善しています。減った体重も少しずつ増えています。9月には、昼寝をすることがなくなりました。ルーシーは、18ヶ月たって初めて、短時間ですが学校に戻れるようになりました。 娘がよくなるように一生懸命闘っているときに、一体誰が娘の病気を偽造したなどと考えることができるのでしょうか、成功するとわかりきった結果のために?

最後の結論として、もし、過去に戻って、娘にHPVワクチン接種の同意を与えた時の私たちの気持ちを変えることができるのなら、私たちはそのためならすべてをなげうつでしょう。

症例(サーバリックス)5 イギリス メガン

2013-08-05 | サーバリックス症例
サーバリックス後症候群:

メガン
英国エッセクス州ソープ・ル・ソケン在住、

母親記す

サーバリックスの衝撃?

メガンはいつもとても健康な子どもでした。妊娠中も出産時も何の問題もありませんでした。娘は普通に成長し、ときどき風邪をひく以外は病気になったことはありませんでした。メガンはとても活発な子どもでした。特にダンスが好きで、バレー、タップ、ジャズを3歳の頃から習っていました。週に5回ダンス教室に通い、バレーではつま先立ちさえできました。彼女の才能は、ダンスに限らず、学業でも優れていました。選択したすべての学科で成績上位クラスにいて、GCSE(中学終了時の資格テスト)ではA(80点以上)又はA*(90点以上)の成績を取るであろうと予想していました。メガンはたくさんの友だちがいました。それはHPVワクチンを接種するまでのことでした。

メガンの症状は、2回目のサーバリックス接種から数日たった2010年12月10日に始まりました。右手に卵形のしこりができました。しこりはあっという間に膨張して前腕に広がりました。蜂巣炎(蜂窩織炎)ではないかということで、コーチェスターの総合病院へ行きました。

抗生物質の静脈投与を数日間したあと退院しましたが、1週間後また戻ることになりました。抗生物質は効きませんでした。痛みを伴う腫れが腰部と右足首におこり、娘は車椅子を使うようになり、リウマチ専門医に診てもらうことになりました。医者の意見は、娘の症状は反応性滑膜炎・結節性紅斑によるものでなないかということでした。この時点で、メガンの疾患部は、全身に広がっていました。

ステロイドで治療しましたが、改善は見られず、ノフォーク・ノリッチ病院のケイト・アーモン医師に診察を受けることになりました。娘は入院して、様々なテスト、スキャン、X線、血液検査、組織診を行いましたが、どれも異常がありませんでした。娘はリハビリのため入院し続け、週末だけ家に戻ってきました。松葉杖を使って歩くことができる程度まで、脚の動きが戻りました。正式な診断にはまだ到っていません。入院中さえ、腫れは再発し続けてていました。

にもかかわらず、親がメガンを傷つけているとか、娘が自分でやっているとか非難されました。血液検査の結果の1つに、B型肝炎に陽性を示したものがあって、虐待がないかどうか、家族全員が血液検査を強いられました。この出来事は家族全員にとってとても衝撃的なことでした。私たちの血液検査の結果は陰性で、メガンの元のテスト結果は擬陽性だったのですが、謝罪はありませんでした。

2012年3月に私たちが言われたことは、医者にもメガンのどこが悪いのかわからないということでした。私たちが親として、「砂に線を引く(これ以上前に進まない)」べきであり、彼女の病気の原因を追究するのを止め、「娘にあるがままの生活を送らせる」べきだと示唆されました。また、娘に鬱病の症状があるので、心理学専門医に会いに行く方がよいのではないかとも示唆されました。

メガンは、コーチェスター病院で心理学専門医に診察を受けましたが、メガンが実際どれだけ落ち込んでいるのかを判断することができませんでした。

私たちは担当の一般医のところへ戻り、メガンの身体的な健康が全く改善していないのでなにかもっとできることはないか相談しました。担当の一般医は、リンカンシア州の医学部教授にアドバイスを求め、毛細管漏出症候群かもしれないと意見をもらいました。テルブタリンおよびアミノフィリンを試すように言われましたが、メガンの血液は薬剤を吸収しませんでした。治療有効レベルに達することがありませんでした。

とうとう,メガンは完全に精神的に衰弱しました。現在、娘は鬱病と診断され、小児精神科医の診察を受けており、抗鬱薬を処方されています。

目下、私たちは、なぜメガンの血液が薬剤を吸収しなかったのかに関して医学的なアドバイスを求めています。小児免疫学の顧問医師である、グレート・オーモンド・ストリート病院のゴールドブラット医師の診察を受けられないか頼みました。多分、彼なら助けることができるでしょう。

現在、メガンは、サーバリックスを受けてひっくり返った人生の3年目に入りました。彼女の健康は悪化しています。過去2年の間ほとんど学校に出席していないので、娘の教育にも問題がおこっています。友だちとの交流も途絶えました。かつて好きだったことすべてから遠ざかっています。

私たち家族全員が、医学専門家に寄せていた信頼をすべて失いました。完璧に健康だった子どもが、サーバリックスの2回目の注射の後のほんの数日後にいかにひどく具合が悪くなったかを言っても誰も話を聞こうとしませんでした。

私たちの家族にとって、HPVワクチンのリスクは、謳われている利得をはるかに超えていました。

症例(サーバリックス)4 イギリス ティーガン

2013-08-04 | サーバリックス症例
サーバリックス後症候群:
ティーガン
英国ケント州グレーブゼンド在住

ティーガンの母親記す

私たちの娘は、健康でハッピーで社交的な12歳の女の子でした。学校が大好きで、選択している学科では上位成績者のクラスでした。でも、それは、学校が主催したHPVワクチン接種プログラムに参加する前のことです。今は、私たちの家族は、まるで覚めない悪夢の中で暮らしているようです。

ティーガンは生まれた時は健康は赤ちゃんでした。3歳のときにギランバレー症候群で入院しましたが、幸い6ヶ月の間に順調に回復しました。6歳のとき,ティーガンは専門家に定期的に診てもらっていましたが、後に、アスペルガー症候群と診断されました。この診断は皆の注意を引くものでした。なぜなら、ティーガンには、不安感、食べ物の好き嫌いが激しいことや他のアスペルガーの子どもに特有とされる体質が認められていたからです。ティーガンのアスペルガーに拠る性質は、彼女の性格の一部として受け入れられていますので、娘は全体としては健康でした。

サーバリックス開始。2011年12月、ティーガンは学校で1回目のHPVワクチン注射を受けました。その晩、娘は気分が悪いと言っていました。めまいがし、お腹が痛く、のどに何か塊が引っ掛かっているような感じがすると言いました。尿検査の結果は異常無しでした。娘はまだハッピーで活発であったので、私たちは心配していませんでした。

1回目の接種のあとすぐに始まった腹痛はまだ治っていませんでしたが、ティーガンは2012年1月に2回目のサーバリックス注射を受けました。学校から帰宅した時、腕が本当に痛いと言っていました。翌朝早く、娘は気分がよくないと私のことを起しました。娘はインフルエンザのような症状があって、それは週末の間続きました。翌週の火曜日には少しよくなりましたが、まだ腹痛はあって、それは15~20分おきに波のように襲ってきました。

一般医は抗生物質のコースを処方しました。コースを終えたとき、2回目のコースを処方されました。しかしお腹の激痛は続きました。ティーガンは蒼白になり、髪が塊で抜けるようになりました。娘はほぼいつも力がなく、疲れ果てていました。担当の一般医は、娘を小児科医に診てもらうよう手配しました。 続く1年の間に、娘には以下の症状がみられました。

関節と筋肉の痛み
手、足、腕、脚にピリピリする感じおよび/またはしびれた感じ
主に脚にけいれん、睡眠中にも
便秘を伴った頻尿
継続的な頭痛とのどの痛み
心拍の増加および気を失いそうな気分やめまいの発症
呼吸困難
入眠が困難であるが、いつも疲れている
頻繁な吐き気
背痛と腹痛
不規則な月経周期

容易に想像がつくことですが、上に書いた症状が1年以上も続けば、大人であっても極度の不安や憂鬱を感じるものです。それが10代前半の女の子だったらどんなだか考えてみてください。ティーガンは友だちに会うことを止めました。かつて大好きだったことをすべて放棄しました。もう外出したくないと思っています。

娘は、総合病院でも何度か検査しました。すべて同じように始まりました。彼女の検診した医者は彼女の症状が不安に拠るものではないかと「示唆」します。「不安を感じるのはアスペルガーの患者にはよくあること」を私たちに思い出させようとしました。

親として、こういわれるのは特にイライラさせられます。なぜなら、ティーガンが憂鬱になる何ヶ月も前から、彼女の健康が悪化しているのを知っているからです。彼女が感じている不安感は、自分の身体に起きていることに恐れているからなのです。

娘の「不安」の向こうにあるものを見て、身体的症状の原因を調べるように医者を説得することは、本当に大変な闘いです。多数の検査をしましたが、今のところ具体的な診断がおりていません。現在、神経科医との診察の予約を待っているところです。私たちが望んでいることは、更に検査を続けて、なぜ膀胱がけいれんしているかの答えを見つけること、そして多分神経系の他の問題についても調べてもらうことです。

親として、私たちは国民医療サービス(NHS)にとても失望しています。誰もティーガンの苦しみを心配しているようではないし、彼女の症状を緊急に治療する必要性を感じていないのは確かです。

私たちが会った医者は皆、無頓着な態度であったように感じました。娘の苦しみがどんなに大きいかを何度説明しても、問題にされないようでした。娘の痛みは見てすぐわかることのようです。

何もできずに娘の健康が悪化するのをただ見ているだけの苦渋を何度説明しようとしても、問題にされないようです。医者たちは、私たち家族が受けている衝撃を心配している様子もありません。

私たちの要望は簡単なことです。誰かが、終わりの無いようにみえる痛みによる「不安」の向こう側にあるものをみて、痛みの原因をみつけること、ただそれだけです。サーバリックスの後に起こったこれらの医学的病状のすべてがなければ、「不安」もないでしょう。

私たちが望んでいることは、彼女の健康をHPVワクチン接種前まで戻して欲しいということだけです。

症例(サーバリックス)3 イギリス シャノン・スチュアート

2013-08-03 | サーバリックス症例
シャノン
スコットランド、インバネス州、インヴァガリー地方在住

シャノンの母親、リンダ・スチュアート記す

サーバリックスと強皮症?

英文へのリンク

サーバリックスの最後の注射からほんの数ヶ月の間に、娘が強皮症と診断されるなんて、親として思いもよりませんでした。私たちは、娘が子宮ガンの心配をしなくても良いようにとそう思っただけでした。以下は私たちが体験した事です。

シャノンは、男女の双子で、35週の未熟児でした。シャノンは生まれて数週間後に、先天的な幽門狭窄の治療のために手術を受けました。また、幼児のときは皮膚炎がありましたが、それ以外はいつも健康な子どもでした。

シャノンは生まれてからずっとスコットランドのハイランド地方にある小さな村に住んでいます。村の幼児グループ、幼稚園、小学校に通いました。成績が優秀な子どもでした。花粉症の発作がときどきありましたが、薬の服用で抑制できています。

シャノンは、子宮頸がんを予防するということでサーバリックスの3回の注射投与を2011年3月に始めました。最後のHPVワクチンの接種は2011年8月3日でした。その時は、私たちの生活がこんなに急に変わってしまうとは全く思いませんでした。

シャノンは、HPVワクチンの最後の接種の後の週に、シャノンが通うフォート・オーガスタスにある中学校Kilchuimenアカデミーの行事で、1週間ドイツに行きました。そこから戻った週に、学校で2階への階段を上っている途中で転びました。転んだ時に、階段のエッジに両膝をぶつけてしまいました。その日帰宅した時、何があったかを私に言い、膝をみせました。膝は両方とも少しだけ赤くなっていました。翌朝、娘は両膝が痛く、アザができていると不満そうでした。私が見たところ、左膝のアザは膝から太股まで広がっていました。

続く数週間の間、シャノンは、膝がちっともよくならないみたいだと何度も言っていました。そして、娘は、膝を曲げたり座ったりすることに難儀するようになりました。 転んだ時、膝に何かダメージを与えたのではないかと、私は思いはじめました。この時期までに、娘は朝ソックスをはいたり着替えたりすることが難しくなっていました。

私は娘を一般医に連れて行き、そこで血液検査をし、インバネスのRaigmore病院に予約を取ってもらいました。病院で、娘は6週間の理学療法を受けました。シャノンは教えられた運動の幾つかは何とかやってみましたが、残りの運動は痛みを残すだけでした。 この時期は、完全に疲労困憊して学校から戻り、紅茶をいれて自分の部屋に直行していました。数分後私が覗きに行くと、ぐっすり眠っていることもありました。

4月、近くのホテルで皿洗いのアルバイトを始めましたが、たったの6週間で止めなくてはなりませんでした。理由は、シャノンは長時間立っていることが困難になり、絶えず疲れるようになっていたからです。また、私たちは、娘の髪の毛が抜けてシャワーの排水口がいつも詰まっていることにも気がつきました。

2011年の夏は、シャノンはほとんど自分の部屋で、外の世界とのつながりを遮断するようにして、本を読むか眠るかして過ごしました。娘は生理周期がおかしくなることは今まで無かったのですが、4月に生理が止まりました。11月になってやっと生理が戻りましたが、量が異常でした。結局、多すぎる量をコントロールするために薬を服用しなくてはなりませんでした。それでも、通常の周期に戻るのに5ヶ月かかりました。このことに関しては、今のところ他に問題はでていません。

この時期までに、シャノンの疼痛がひどく、学校では体育の授業には出ませんでした(体育の先生がとても理解のある先生だったことを言い添えておきます)。その後、同じ一般医の所にもう一度行きましたら、最初の理学療法が成功とはいえなかったにもかかわらず、更に1コースの理学療法を受けるようにいわれました。

その診察予約の日を待っていた矢先、シャノンはナイフとフォークを持つこと、特に肉を切ることが上手くできなくなりました。ある日、晩御飯のとき、娘は泣き出して、両手を見せました。手は、カールし始めていました。娘は、握りこぶしにしたり、指をまっすぐに伸ばしたりすることができなくなっていました。また、肘の関節を完全に延ばすこともできませんでした。

この時には、私も夫もとても心配していました。もう一度一般医と話し合うために予約をしました。HPVワクチン接種の後にシャノンと似た症状になった女の子たちの記事も新聞で読みました。このことを一般医に話しました。医者はRaigmore病院に連絡をとって、小児科と整形外科での診察の予約を入れてくれました。

2011年の10月、私たちは休暇にトルコへ行きました。以前も海外旅行へは行ったことがあり、その時は何の問題もありませんでした。今回は、まず、4時間のフライトの間座っていることがシャノンには大変困難なことでした。脚が延ばせないので痛くて、娘は涙ぐんでいました。また、プールにはいるために水の中へ下りていくことができず、入る時も出るときも手伝ってもらわなくてはならず、彼女の年頃の女の子にとっては恥ずかしいことでした。私たちのホテルの部屋は2階にあって、下まで階段が15段ほどありました。シャノンは階段を上るときも、私たちの腕につかまらなくてはなりませんでした。戸外のラウンジまで下りることができず、ましてプールの滑り台などではとても遊べず、2週間のほとんどを、ホテルの受付ラウンジで本を読みながら過ごしました。急な階段を上ることなどできないので、ボドルム城への日帰り旅行すらできませんでした。

帰国した時、最初の診察予約は、整形外科医でした。彼は、これは思春期の子どもにはよくあることだといい、X線をとりましたが、その結果には異常が見られませんでした。ということは、シャノンの(手足の指など)他の関節にも問題が起こるであろうことが考えられました。整形外科医は何もすることができないと、診察を終了しました。

終に、Raigmore病院で小児科医の診察があり、娘は精密検査とさらに血液検査を受けました。2011年の12月に、シャノンはグラスゴーのYorkhill病院に紹介されました。到着してから数時間内に、娘は強皮症として知られる症状であると診断されました。これは子どもには大変珍しい病気です。その時点で、スコットランドで約20症例がありました。 5日後、無数の血液検査、心臓検査、肺検査、理学療法、手・指用副木の採寸と装着、そしてステロイド液剤の3日間の投薬の後、そのストレスが遂にシャノンを圧倒しそうになりました。

彼女自身の言葉で、 「何が問題なのかそしてどんな未来が待っているのかがわからないストレスに耐えることはとても辛いよ」と言っていました。

クリスマスの2日前に家に戻りました。シャノンが1週間の理学療法の集中コースのためRaigmoreに入院する前に、クリスマスと新年の祝日を有意義に過ごすことができました。その週の間に、リウマチ専門の看護士が割り当てられ、私たちに必要なことすべてを説明してくれました。

過去16ヶ月にわたって、シャノンの生活は劇的に変化しました。毎週あった血液検査は今は3ヶ月ごとになり、そのため血管を捜す苦労がなくなって安堵しています。水治療法は依然2週間毎、理学療法は一ヵ月毎、ただし娘が家で運動するかぎり。10代の子どもにとって、このスケジュールは厳しいものです。娘はときどき問題をおこしますが、幸い、小児科の理学療法士はとても優秀な人たちです。ステロイド剤は今は液剤ではなく錠剤で、Yorkhill病院のリウマチ専門医のデービッドソン先生に診てもらうたびに減量しています。メトトレキサートは今も週1回ですが、投薬は娘が減量しても大丈夫な時は減量しています。

以前の健康なティーンにとってこれは人生とはいえません。サーバリックスを接種する前には、シャノンは強皮症の症状はありませんでした。サーバリックスの注射がこれらの症状を引き起こしたという証拠はないと言われましたが、症状を引き起こさなかったという証拠を与えられたわけではありません。

これが私たちのストーリーです。サーバリックスのリスクと利益をご自分で判断することのお役に立てればと思います。

症例(サーバリックス)2 イギリス ディアナ

2013-08-02 | サーバリックス症例
症例(サーバリックス)2




サーバリックス後症候群:ディアナ、英国、ケント州、マーゲイト在住

私の娘は、学校が大好きな、ハッピーで健康的な普通の10代の女の子でした。娘はたくさんの友だちがいて、社交的で、外出が好きで、活発で、学校での活動にも積極的に参加していました。彼女の唯一の健康問題は、太りすぎでした。

2011年の10月、ディアナはHPV接種の同意書を学校から持ち帰りました。 私はインターネットでざっと調べて、癌に関する記事、またすべての女子生徒が接種していることを読みました。それで、同意することにしたのです。

ディアナは1回目の注射を2011年11月5日に受けました。その日は元気でしたが、その後数週間、腕がまだ痛いと言い続けていました。時間が経つにつれ、この痛みも無くなりました。2回目の注射を2012年の1月22日か23日に受けました。翌日、インフルエンザの様な症状がでて、全体に気分がすぐれませんでした。その翌日、ディアナは咳をするようになり、皮膚の色が変化し、とても蒼白く、気分が大変悪くなりました。夜になって、病院の救急外来へ連れて行きました。

娘は、胸部感染と喘息で入院することになりました。ディアナは7晩病院に留まり、ステロイドと抗生物質の混合物を与えられました。ステロイドを2日間服用した後、ディアナは肋骨と胸部が痛み始めました。医師たちは、娘の胸部感染のためであると言いました。入院中に、 医師は、娘のために喘息と体重クリニックでの診察の予約を手配しました。

ディアナが帰宅した後の続く5~6週間は、娘の疼痛が消えず、診療所、病院、救急外来と何度も行き来しました。疼痛は、腕、手、脚、足、頭、目、背中、肋骨と 身体の他の部分へも広がっていきました。娘は、一日中痛みに苦しんでいました。彼女はとても不安になり休むことも眠ることもできませんでした。ほとんど毎 晩、夜中の3時から4時まで起きていました。医師は、ディアナに数種の異なる用量の6~7種類の異なる痛み止めを処方しました。何も痛みには効き目があり ませんでした。吸入器も効果がありませんでした。

私たちは様々な専門医に診てもらうために何ヶ月も待ちましが、皆同じ血液テストをして、彼女を診察し、何も悪いところが見つからないと言います。何人かの 医師は、すべて彼女の頭の中の問題ではないかと言いました。医師に彼女の頭の問題だと言われることは、娘をとても憂鬱にさせます。娘は、残りの人生を痛み と共に生きていかなくてはならないと信じ始めています。 彼女の年で、そう考えることは楽しいことではありません。医師は精神科の診察を受けるように指示し、いま予約を待っているところです。

ディアナの健康問題のため、学校は、2月から10月のほとんどを病欠しました。私たちは学校と話し合って、必要なら授業を抜け出して休むことができるとい う条件で、時期を遅らせて授業に出席することを取り決めました。校医のチームが、私たちと一緒に、ディアナの必要に合わせて学校の時間割を決めています。 彼女は疼痛のため、もうバスで通学することはできません。家からバス停までの往復を歩くことは、彼女には不可能なことです。

娘は、もうどんなスポーツにも参加しません、参加しようと努力すれば更に痛みが強くなるのです。友だちに会うこともなくなり、何人かとは連絡を取り合うことも徐々になくなってきています。ディアナの生活は、本当に変わりました。

昨年1年の間に、ディアナは、疼痛、体重、喘息、眼科の専門医に診てもらいました。2013年1月に、ロンドンユニバーシティカレッジ病院で診察を受け、慢性疼痛症候群と診断されました。そこで、睡眠の問題を解消するための薬をもらいました。過去3週間、ディアナはいくらか休むことができましたが、痛みは依然続いています。次回の予約は2013年の8月で、それまで娘の痛みに関して何もすることができません。

ディアナの必要を満たすために、私たち家族もたくさんのことを変えてきました。私が娘を学校に送り迎えしています。病欠であった最初の数ヶ月は、私たちが 仕事をしている間は、親戚がディアナのお世話に家にきていました。少しでも寝心地が良いようにと、また痛みが和らぐかもしれないので、新しいベッドを購入 しました。娘の食事から乳製品を除いたところ、喘息の症状が完全に消失しました。体重が減り始めましたが、これは病気の症状ではありませ ん。また、有機食品だけを食べるようにして、これ以上化学物質が娘の身体に入らないようにしています。私たちは、注射の解毒をしようと思っています。私費 でホメオパシー医に診てもらい、アレルギーテストも行いました。

これが、ディアナの今までの軌跡です。

症例(サーバリックス)1 イギリス チェルシー・タウンゼンド

2013-08-01 | サーバリックス症例
症例(サーバリックス)1


クリスティン・タウンゼンド記

時として、世の親は、自分で下した決心を後悔するものである。HPV ワクチン接種により子宮頸がんから娘を守ろうとする試みが、私たちの生活を、娘の健康を取り戻し、教育を受ける権利を守るための絶え間ない戦いに変えるな どと、誰が予想できたであろうか。もしこうなることが分かってさえすれば。

私の娘は、英国、ケンブリッジ州、ピータバラ在住の、チェルシー・サシャ・タウンゼンドです。以下は、彼女に起こった事です。

サーバリックス: チェルシーの経験したこと

グラクソスミスクライン社のサーバリックス を注射する前のチェルシーは、とてもハッピーで、社交的で、自信に満ちた女の子でした。2歳で保育園に通い始めてから12歳で1回目のワクチン接種を受け るまでの間、病気で学校を休んだのは1日だけでした。 チェルシーはとても意志の強い自信に満ちた子どもでしたが、特に彼女が自信に満ちて、とても頭がよく、何事にも1人で立ち向かう性格であることに気がつい たのは、中学に入学した後 (彼女の友だちはすべて他の学校に進学したので全く友だちのいない環境で)でしたが、自分が強い人間であることを実証するためになら何事も厭わなかったで しょう。もし、友だちに「変人」だと言われたとしたら、彼女は「彼らが『変人』をお望みなら、そうわたしのことを呼ぶ正当な理由をあげなくては」と言っ て、左側の髪の毛は三つ編みにして、右側の髪は、そのままおろしておいたり、結んだり、カールにしたり、ストレートにしたりして学校に出かけたでしょう。 いつもぎりぎりまで挑戦するのが私の娘でした。彼女は小学校ではたくさんの友だちがいたし、中学1年生の時も、いつも友だちの家に泊まりに行ったり、自転 車で出かけたり、何時間も本を読み続けたり、地元の音楽バンドを聴きに行くことも始めていました。 チェルシーは友だちからも信頼されていました。

娘は、HPV ワクチン接種の初年度のプログラムに参加しました (接種日:2008年11月および12月、2009年5月) – 最初の注射の後、チェルシーはひどい頭痛に 悩まされるようになりました。その頭痛は、片頭痛治療薬で対処しましたが、その結果、彼女の表現によれば、学校にいるのに「欠席している」、例えば、授業 の最中であったり、休み時間に歩いている時、座ってお昼を食べていたり、誰かが話しかけていたりしても、言われた言葉が一言も聞えなく、自分が「頭の中に いない」ように感じたそうです。てんかんの疑いで検査することになりました。もちろん、てんかんの診断は間違いでした。

続く2ヶ月の間、2回目の‘サーバリックス’の投与もあり、チェルシー は関節の痛み、よりひどい頭痛、疲労感を経験し始めました。頭痛、吐き気、関節の痛みのため、週に2日間学校を休むようになり、8年生(中学2年生)の終わり頃には、それまでの副作用に加えて、極度の疲労が彼女を襲い始め、まるまる何週間も休むようになりました。また、短期感の記憶喪失、集中力欠如、および視覚障害を経験するようになりました。

2009年の夏休みの間に、 チェルシーは完全に疲労困憊した状態となり、起床時間が日々遅くなり、友だちと出かけるエネルギーもなくなるほどでした。いつも笑顔で社交的で人気者で あった彼女が、人生に何の興味もない内省的で自信のない女の子になっていました。食欲を失い始め、体重が減少し始めました。夏の終わりまでに、私のあんな に素敵だった娘は、ほぼ寝たきりになってしまいました。彼女は少なくとも日に20時間は眠り、十分な気力があれば、私や兄弟と一緒に食卓に 着くけれども、食欲はなく、食べ物の臭いで吐き気がしてくると私たちに話すこともあります。私はシングルマザーなので、毎日仕事に行かなくてはならず、 チェルシーは1人で昼夜眠りながら留守番をしています。ときどき、ベッドから起きて2時間ほどテレビを見るエネルギーがあることもありますが、しばらくす ると、再び完全な疲労困憊状態となって、顔色がなくなり、目から生気がなくなっていきます。

次の18ヶ月、チェルシーはこんなふうに生活しました。何週間も寝たきりで過ごし、 ベッドからでるのに十分なエネルギーがある「良い」日があって、更に内向的になり、何年も知っている人たちとの交流にさえ苦労し、調子の良い日でも、同じ 学校の人が自分を見て「フェイク(捏造)」と彼女を呼ぶことを恐れて家の外に出ようとしませんでした。それは、ソシアルネットワーキングのサイトで既に言 われていることでした。妊娠して学校を休んでいるという噂も出回っていました。幼いいとこを近くの公園で遊ばせているところを誰かが見たのです (これは、少しでも新鮮な空気が吸えるようにという私の策略でした)。遂に、2010年の終わりごろ、CFS(慢性疲労症候群)/ME(筋痛性脳脊髄炎)と 診断されましたが、私たちのかかりつけの一般医は、過去にもまた今も、1回目のサーバリックスワクチン接種後に病気が始まったという考えを受け入れること を拒否しています。診断のおかげで、チェルシー は1週間に3時間の個人指導を受けることができるようになりましたが、地方教育当局が手配した二人の教師は、彼女が何を必要としているかを特に理解しては いませんでした。

CFS/MEの診断に加えて, チェルシーは、甲状腺機能が低下していると診断され、現在サイロキシンを服用しています。この診断は2011年になされました。私たちの家族歴には、この病気はありません。

幸い、2011年の5月に、地方教育局に雇われた教師が優秀で、彼女の手助けにより、チェルシーは徐々に自信を取り戻し始めました。また、私は彼女を週に 一度CAMHS (小児・思春期精神衛生事業)に連れて行きました。そこで、精神分析医に診てもらい、抗鬱薬を処方されましたが、薬を飲んでもチェルシーは自分の気持ちに 全く変化がみられないと言って、3ヶ月で服用するのを止めました。精神分析医は、チェルシーの睡眠パターンを普通に戻すためのアドバイスもしました (この時期には、彼女は一度に数時間起きている日もありましたが、その時間帯は残りの家族が寝ている夜中でした(このため、彼女の孤立感や孤独感をさらに 増長させていました) 。また、CBT (認知療法)の心理療法士にも診てもらい、チェルシーとともに計画をたて実行の進み具合の調整を話 し合いました。CBTがほぼ何の成果も達成していないと感じ、「人間がそこに座って私に講義している」だけと表現する娘を、診察の予約に引っ張っていくこ とはとても辛かったです。けれども、今、大学受験のために心理学の勉強をしながら、自分の経験を振り返ると、CBTが大変役になったとわかったようです。





私がチェルシーの通う学校の教師であることから、私とチェルシーの「考えが甘い」とみなしていた地方教育局の出席監視課に よるいやがらせを何週間も受けることになりました。ある日の話し合いの場で、地方教育局の出席監視員が娘に「チェルシー、あなたのお母さんが刑務所へ行っ てもいいの?」と迫って脅すまでになったのです。 このコメントで私がどんなに腹を立て、なんとお返ししたかを説明する必要はないと思います。 彼らは方針を変え、私が朝の8時に学校に出勤するときチェルシーを一緒に連れて来れるように、私が娘を起こしベッドから出すよう、それは母の義務として、 と話した時、私は泣き崩れ、そしてチェルシーも泣き始めました (私たちは二人とも怒ったり不当な扱いを受けた時泣くのです)。私はその時こんな風に答えたと思います。「あなた方は、身体に閉じ込められた、以前の子ど もの影のような子を起こさなくてはならないことなんて今まで経験したことはなかったでしょう。彼らはあなたの声が聞えるのだけれど、目を開けることができ ず、枕から頭を持ち上げることなどとてもできない。あなた方は今までに、自分の子どもに何か問いかけて、彼らの唇は動くのだけど、ささやく元気さえなくて 何の音も聞えてこない、そんな経験をしたことがありますか?。数時間後に家に帰ったとき、朝に子どもに言った事のすべてをもういちど繰り返して、それが、 目を開けること、応答すること、ベッドから出ることが身体的に不可能であることを疑いの余地も無く実証している、そんな経験はありましたか?子どもの肌が 灰色がかった蒼白さで覆われ、蝋のようにやつれきっているのを見たことがありますか?子どもの目をのぞいてそこに何も見えなかったことはあった? 目に全く生気が無くなっていることは?目が闇で死んでいることは?」

職員の女性は顔色ひとつ変えずに、予定に組み込んであった次回の診察の日時を告げました(それは私の学校の授業のない時間帯のひとつと重なっていまし た)。学校に訪問して、私の授業の時間割を盗み見したのでしょう!!私たち二人が彼らの脅迫的な策略に屈しないとは思わなかったようですが、彼らが如何に 法律に違反しているかを事細かに説明する4ページにわたる手紙を書いて送った後はこそこそと内密に行動し始め、私たちを公に裁判所に訴えるように申し出た 時になってやっと、チェルシーだけが彼女の身体がどう機能するかわかるのであって、何時授業を受けられるかを決めるのに最適な人物だという事実に同意しま した。

2011年の夏にGCSE(中学終了時の資格テスト)の結果が届き、5科目でAの評価を、2科目でBの評価を得、BTEC(ビジネス・テクノロジー・教育 カウンセル)の科学のテストでは優を取りました。 チェルシーは今 Aレベル(高校終了時の資格テスト)のために勉強しています。残念ながら彼女のME(筋痛性脳脊髄炎)は昨年の間に悪化したようで、学校に通える日が、半 日ならば週に2度、あるいは1日中なら週に1度となってしまい、科目数を1つ減らさなくてはなりませんでした。これにもかかわらず、勉強を続けている2つ の科目ではAの評価をもらえそうですが、大学に入学するために、もう1年勉強を続けて、更に1つの科目とEPQ (長期自由研究) を履修する予定です。

チェルシー は自信を取り戻すために大変な努力をしています。長い間に多数の手紙を送り続けてやっと今、娘は出席できなかった授業でやった課題を先生から送ってもらっ ています。また、 AYME(MEに罹患している青年のための会)のウェブサイトのガイドラインのおかげで、学校はやっと、チェルシーが病気のために受ける権利のある規約に 関して法的な責任があることに気がつきました。ここに辿りつくまでの道のりは、長く激しい苦闘でしたが、これからも、グラクソスミスクライン社のHPV ワクチン接種サーバリックスにより元通りには戻らない身体と日々闘いながら、娘は大学入学を獲得し、彼女が選んだ仕事への軌道に乗るために頑張らなくては なりません。

私はチェルシーに、過去数年にわたって何度も、彼女の苦しみを私が変わりに受けられるなら、私はそうしたいと言ってきました。それは他のすべての母親も同 じでしょう。その度に娘は必ず、「ママ、ママに毎日こんな風に感じて欲しいなんてそんなこと全然思っていない、私の最悪の敵にだって望まないことよ」と答 えるのです。ここに座ってこの言葉をタイプしているだけで、私の目には涙があふれ、嗚咽がこみ上げてきます!

7年生と8年生(中学1年生と2年生)の生徒を受持つ教師として、ワクチン接種の数ヶ月前に女子生徒にチェルシーの症例について、彼女たちが私の娘の話を 親に話してくれることを期待して、話すようにしています。けれども、今私はこれだけでは十分ではないと思っており、もし私が彼女たちの親にこれらのワクチ ンがもたらした副作用に関する最近の資料を提供しないならば、私は自分の職業の「注意義務」を怠っていることになると思うようになりました。 私は、私が働く教育機関の校長に、青年の福祉に責任を担う事業所として、私たちは生徒の親にHPVワクチン接種プログラムを支持する情報と疑う情報の両方 を提供する道徳的かつ倫理的義務を負うことを納得してもらうために、話すつもりです。 もし私が、たった一人でも女子生徒の人生が元に戻らないほど変えられてしまうことを防ぐことができれば、私が娘の健康のためにとったギャンブルに対する罪 悪感が少しでも薄れることになるでしょう。

サーバリックスへの副反応に苦しむ娘をもつ他の母親たちに会って話し、自分が1人ではないと知ることに慰められました。私たちは自分たちの娘のことを他の 誰よりもよく知っており、このワクチンを接種する前は、健康で聡明な娘たちであったことを知っており、まるで一夜にして、彼女たちの人生は変わってしま い、それからは絶え間ない苦闘の日々を送っています。けれども、真実は自ずと明らかになり、私たちが求めた助けも尊敬も良識をも拒否した人びとは、 いつか彼らの取った行動に対して責任を負うこととなるでしょう。もし時計の針を戻すことができるのなら、本当に本当にそうしたいのです。