ローレン
英国ランカシャー州ロッチデール在住
2011年10月26日
英文へのリンク
母親スーザン記す
ローレンは、長い時間おとなしく座り続けることができないタイプの子どもでした。週末はいつも友だちと泳ぎに行っていました。彼女は身体を動かすことなら何でも大好きで、とても丈夫な子どもでした。それまでの人生で医者に行ったのは、扁桃炎と盲腸炎のたったの2回だけでした。盲腸炎のときは切除のために病院に入院しましたが、とても早く回復しました。この2回を除いて、ほとんど病気だったことはありませんでした。風邪やインフルエンザにもかからないほどでした。
これから、サーバリックスの接種を1回受けたあとのローレンの生活がどんな風であるかをお話ししましょう。2010年10月の初めにサーバリックスの1回目の接種を受けたとき、ローレンは12歳でした。その日帰宅して、注射は痛くなかったと私に言いました。これは、その日学校であった他のことと一緒に話したことでしたが、娘の気分はあまり優れませんでした。私は、熱がでたり気分がすこし悪くなるかもしれないと聞いていましたので、これがワクチンのせいだと思いました。
数日後、娘は動かすと肩が痛いと訴えていました。その2日後、肘も痛くなりました。それから、脚の付け根の間に、今まで見たこともないような発疹ができました。私はそれが汗疹、あるいはたぶん両足がこすれあっているせいかもしれないと思いましたが、関節の痛みとは結び付けませんでした。医者に連れて行くと、医者は、おそらく筋肉を引っ張って痛めたのではないかと言い、1週間イブプロフェン(抗炎症薬)を飲むよう言いました。娘は言われたようにしましたが、1週間後に症状が改善しなかったので再び医者に行きました。それで、医者はジクロフェナク(抗炎症薬)を与え、多分もう1週間休む必要があるでしょうと言いました。
その週が過ぎたあと、今度は膝が痛み、いつも咳をして、完全に消耗していたので他の医者のところへ連れて行きました。医者は、娘が熱もあったので重度の扁桃炎で、これが関節にも影響しているのだと思いました。娘は抗生物質を始めました。この後も娘の症状は悪化し続けました。すべての関節が腫れ、咳をし、体重が6キログラム以上減り、あの発疹が消えたりまた現れたりしました。この時には、娘は一日中眠っていたので学校を休まなくてはなりませんでした。
血液検査などのために医者に何度も通ったあと、最終的に、地元の病院の小児科病棟に入院しました。この時点で、娘はほとんど動けず痛みがひどかったので、車椅子を使っていました。そこでも、娘は扁桃炎にかかっているといい、抗生物質の点滴を受けました。これはクリスマスの時期にかけてでしたので、クリスマスの当日はプレゼントを開けるために数時間帰宅させてくれました。
抗生物質がなんの効果もなかったので、医者はより強い鎮痛剤を与え続け、リウマチ専門医のいるマンチェスター王立こども病院に転院することに決めました。新しい病院に約1週間いて白血病を除外する検査を受けたあと、医者は、全身型若年性特発性関節炎であると診断しました。6日間のステロイド注入、その後は経口ステロイドでの治療を始めました。また、週に一度のメトトレキサートの注射も始めました。この新しい治療が始まった後、娘の病状はかなりはやく改善しました。娘はまたフィジオセラピー(リハビリ)も受け、私たちは娘と一緒に毎日家でもすこし体操をしました。約2ヶ月後、娘は膝の痛み以外はとてもよくなっていたので、医者はステロイドを徐々に止めて行くことに決め、膝にはステロイドを注入し、液体を抜く治療を施しました。
ステロイドを減量し始めたとき、娘の症状は戻ってき始めました。プレドニゾロン5mgまで減量したとき、今までで最悪の症状になり、病院へ再入院しました。心臓の周りに液体がたまり、ほとんど動くことも息をすることもできませんでした。1000mgプレドニゾロン点滴を3日間したあと、娘は再びずっとよくなっていました。今度は、医者は今までの薬に加えて、毎日100mgの注射でアナキンラ(リウマチ治療免疫抑制薬)という別の薬も始めることにしました。医者は、プレドニゾロンがステロイド性高血糖を引き起こしていることを発見しました。娘の血糖値は20を超えていたので、血糖検査を始めなくてはなりませんでした。医者は、インスリンの投与を開始しようとしましたが、ローレンが毎日注射したくないので食事を制限すると主張したので、メトホルミン(糖尿病治療薬)を試すことにしました。食事をよく食べる限り、それは上手く作用しました。
目下、ローレンはアナキンラの注射になんらかの反応があって、とても痛くなり、腕には痒みのあるしこりができていますが、これらの症状は以前のようには長く続かず、私たちは娘の身体がそれをもっと許容するようになってきているのかもしれないと思っています。医者は、注射を1日に2/3に増やすことを話しています。というのも、娘はまだ激発することがあるからですが、今のところ過去6週間はかなり良い状態です。ただとても疲れやすいのです。もし彼女が運動や歩くことなどをしすぎると、夜は痛みがひどくなり、熱と発疹がでてきます。
ほぼ1年学校を休んでおり、勉強も友だちと付き合うこともできませんでした。残念なことに、友だちの何人かは、娘がステロイドでかなり体重が増えたのをみてデブと言い、娘を泣かせてしまいました。医者は娘が一生治療が必要だろうと言いましたが、私たちは娘がよくなりつづけるよう期待しています。医者は、娘が2年間寛解でいたら、この状態を再検討するということです。
娘は、毎日自分の注射するように病院で訓練を受けています。そうすれば、これらのすべての注射をしてもらうために病院にたびたび行く必要がなくなるでしょう。けれど、ごく最近とても悪い激発がまたあって、リュウマチの専門医はアナキンラがローレンに作用していないと決め、この薬を止めることにしました。彼女は今、トシリズマブを2週間毎に点滴しており、いまのところこれが作用しているようですが、残念ながらプレドニゾロンも20mgに増えました。
良いニュースは、今ローレンが学校に戻ってなんとかほぼひと月過ぎたことです。ときどき痛くて歩けない時は、数日休まなくてはならないだけです。ステロイドやトシリズマブと同様に、化学療法薬のメトトレキサートが免疫系を抑制するので、娘はたびたび感染症を起します。
私たちの家族にはリウマチ性関節炎の病歴はないことをここで述べておきたいと思います。娘がサーバリックス前の生活に戻ることができるなら、他に何も望むものはありません。
英国ランカシャー州ロッチデール在住
2011年10月26日
英文へのリンク
母親スーザン記す
ローレンは、長い時間おとなしく座り続けることができないタイプの子どもでした。週末はいつも友だちと泳ぎに行っていました。彼女は身体を動かすことなら何でも大好きで、とても丈夫な子どもでした。それまでの人生で医者に行ったのは、扁桃炎と盲腸炎のたったの2回だけでした。盲腸炎のときは切除のために病院に入院しましたが、とても早く回復しました。この2回を除いて、ほとんど病気だったことはありませんでした。風邪やインフルエンザにもかからないほどでした。
これから、サーバリックスの接種を1回受けたあとのローレンの生活がどんな風であるかをお話ししましょう。2010年10月の初めにサーバリックスの1回目の接種を受けたとき、ローレンは12歳でした。その日帰宅して、注射は痛くなかったと私に言いました。これは、その日学校であった他のことと一緒に話したことでしたが、娘の気分はあまり優れませんでした。私は、熱がでたり気分がすこし悪くなるかもしれないと聞いていましたので、これがワクチンのせいだと思いました。
数日後、娘は動かすと肩が痛いと訴えていました。その2日後、肘も痛くなりました。それから、脚の付け根の間に、今まで見たこともないような発疹ができました。私はそれが汗疹、あるいはたぶん両足がこすれあっているせいかもしれないと思いましたが、関節の痛みとは結び付けませんでした。医者に連れて行くと、医者は、おそらく筋肉を引っ張って痛めたのではないかと言い、1週間イブプロフェン(抗炎症薬)を飲むよう言いました。娘は言われたようにしましたが、1週間後に症状が改善しなかったので再び医者に行きました。それで、医者はジクロフェナク(抗炎症薬)を与え、多分もう1週間休む必要があるでしょうと言いました。
その週が過ぎたあと、今度は膝が痛み、いつも咳をして、完全に消耗していたので他の医者のところへ連れて行きました。医者は、娘が熱もあったので重度の扁桃炎で、これが関節にも影響しているのだと思いました。娘は抗生物質を始めました。この後も娘の症状は悪化し続けました。すべての関節が腫れ、咳をし、体重が6キログラム以上減り、あの発疹が消えたりまた現れたりしました。この時には、娘は一日中眠っていたので学校を休まなくてはなりませんでした。
血液検査などのために医者に何度も通ったあと、最終的に、地元の病院の小児科病棟に入院しました。この時点で、娘はほとんど動けず痛みがひどかったので、車椅子を使っていました。そこでも、娘は扁桃炎にかかっているといい、抗生物質の点滴を受けました。これはクリスマスの時期にかけてでしたので、クリスマスの当日はプレゼントを開けるために数時間帰宅させてくれました。
抗生物質がなんの効果もなかったので、医者はより強い鎮痛剤を与え続け、リウマチ専門医のいるマンチェスター王立こども病院に転院することに決めました。新しい病院に約1週間いて白血病を除外する検査を受けたあと、医者は、全身型若年性特発性関節炎であると診断しました。6日間のステロイド注入、その後は経口ステロイドでの治療を始めました。また、週に一度のメトトレキサートの注射も始めました。この新しい治療が始まった後、娘の病状はかなりはやく改善しました。娘はまたフィジオセラピー(リハビリ)も受け、私たちは娘と一緒に毎日家でもすこし体操をしました。約2ヶ月後、娘は膝の痛み以外はとてもよくなっていたので、医者はステロイドを徐々に止めて行くことに決め、膝にはステロイドを注入し、液体を抜く治療を施しました。
ステロイドを減量し始めたとき、娘の症状は戻ってき始めました。プレドニゾロン5mgまで減量したとき、今までで最悪の症状になり、病院へ再入院しました。心臓の周りに液体がたまり、ほとんど動くことも息をすることもできませんでした。1000mgプレドニゾロン点滴を3日間したあと、娘は再びずっとよくなっていました。今度は、医者は今までの薬に加えて、毎日100mgの注射でアナキンラ(リウマチ治療免疫抑制薬)という別の薬も始めることにしました。医者は、プレドニゾロンがステロイド性高血糖を引き起こしていることを発見しました。娘の血糖値は20を超えていたので、血糖検査を始めなくてはなりませんでした。医者は、インスリンの投与を開始しようとしましたが、ローレンが毎日注射したくないので食事を制限すると主張したので、メトホルミン(糖尿病治療薬)を試すことにしました。食事をよく食べる限り、それは上手く作用しました。
目下、ローレンはアナキンラの注射になんらかの反応があって、とても痛くなり、腕には痒みのあるしこりができていますが、これらの症状は以前のようには長く続かず、私たちは娘の身体がそれをもっと許容するようになってきているのかもしれないと思っています。医者は、注射を1日に2/3に増やすことを話しています。というのも、娘はまだ激発することがあるからですが、今のところ過去6週間はかなり良い状態です。ただとても疲れやすいのです。もし彼女が運動や歩くことなどをしすぎると、夜は痛みがひどくなり、熱と発疹がでてきます。
ほぼ1年学校を休んでおり、勉強も友だちと付き合うこともできませんでした。残念なことに、友だちの何人かは、娘がステロイドでかなり体重が増えたのをみてデブと言い、娘を泣かせてしまいました。医者は娘が一生治療が必要だろうと言いましたが、私たちは娘がよくなりつづけるよう期待しています。医者は、娘が2年間寛解でいたら、この状態を再検討するということです。
娘は、毎日自分の注射するように病院で訓練を受けています。そうすれば、これらのすべての注射をしてもらうために病院にたびたび行く必要がなくなるでしょう。けれど、ごく最近とても悪い激発がまたあって、リュウマチの専門医はアナキンラがローレンに作用していないと決め、この薬を止めることにしました。彼女は今、トシリズマブを2週間毎に点滴しており、いまのところこれが作用しているようですが、残念ながらプレドニゾロンも20mgに増えました。
良いニュースは、今ローレンが学校に戻ってなんとかほぼひと月過ぎたことです。ときどき痛くて歩けない時は、数日休まなくてはならないだけです。ステロイドやトシリズマブと同様に、化学療法薬のメトトレキサートが免疫系を抑制するので、娘はたびたび感染症を起します。
私たちの家族にはリウマチ性関節炎の病歴はないことをここで述べておきたいと思います。娘がサーバリックス前の生活に戻ることができるなら、他に何も望むものはありません。