葉月のブログ

命題:ウイルスの糖鎖はヒトの糖鎖と同一なので病因とはならない

サーバリックス副作用ケース 日本

2013-08-30 | サーバリックス症例

サーバリックス、日本での被害者


英文へのリンク

<既往歴>
広汎性発達障害(アスペルガー)、小児喘息、アトピー性皮膚炎、腎盂炎、中耳炎、カンジタ、溶連菌、肺炎、イボ、周期性発熱、農薬過敏、口内炎の反復  


<ワクチン接種暦>

2010年5月15日 DT ビケン2E007 2011.6.8  0.1左
2011年3月19日 日脳 ビケンJR059 2012.5.18 0.5左
2011年6月25日 MR タケダY116 2012.2.24  0.5左 頸がんワクチン第1回

2011年7月27日 HPV サーバリックス AHPVA129CA 0.5左 頸がんワクチン第2回
2011年10月17日 サーバリックス AHPVA143AA  0.5右 頸がんワクチン第3回
2012年3月26日 サーバリックス AHPVA161BA  0.5左

<発症時期> 今にして思えば第1回目の後からだが、第3回目接種後2週間後くらいから徐々に悪化し、半年後から起き上がれなくなった。

・症状:

1回目:7年ぶりの喘息。
2回目:倦怠感、長引く蕁麻疹、鼻血の反復
3回目:MRIでのT2延長、脳血流低下、心房調律、不整脈、好酸球やIgEやIgD、補体価の増加、異常な倦怠感、慢性的な微熱、意識混濁、過睡眠、記憶力、理解力、計算力、遂行機能等脳の低下、人格変化、易刺激性、攻撃性、易怒性、抑うつ、幼児性、赤ちゃん返り、過呼吸、呼吸困難、筋力低下、腰痛、頭痛、耳下腺炎、顎関節炎、嚥下異常、口内炎、腹痛、嘔吐、下痢、背部痛、筋痛、視覚異常、羞明感、複視、視力低下等。

・経過:

2012年
3月26日第3回目接種後、
4月 2週間ほどで、労作性過呼吸発現。筋力低下。
5,6月頃より倦怠感。嘔吐などの胃腸症状。頭痛、胸痛等の出現。夜間安静時の狭心症状出てくる。登校時自転車から下りた途端に脱力立てなくなる。
9月 起き上がれず、意識変容が長く続く。狭心症状。心房調律、不整脈。血流低下、MRIでのT2延長、白質化あり。
10月 ステロイド。倦怠感は劇的に改善されたが、脳血流が改善せずに、海馬にも集積が見られたため、中止。12月末まで。
1月 その後再び倦怠感が酷く悪化。抑うつ、起死念慮、人格変化(易怒声、易刺激性、易興奮性、被害妄想)学校でも、1歳児のように大声で泣く。教室から飛び出す。

2013年
6月の中止報道にて、ワクチンとの関連性に気がつく。この頃から、暴力的で、夜になると、暴れる。大声で泣きほえる。弟を全力で投げ飛ばす。(この暴力と暴れるのはIVIG後少しして無くなる。)
8月 佐々木Dr.受診。唯一、3つの治療法提案あり。ステロイド、IVIG、免疫抑制剤。
9月 免疫グロブリン。(発熱のため、3日目で中断されたが、2日目から明るくなり、分からなかった足の指感覚が戻る。倦怠感も少し回復。血流は増加、今まで中のスペクトで一番数値が良かった。)不随意運動は徐々に大きくなって来る。

2014年  
2月 ステロイドパルス。(2週間後くらいから、頭痛、腰痛等減る。 認知機能や、表情、少し改善。昼間の睡眠時間も減る。が、20日前後から、今までにない全身の関節痛、激痛。と、共に再び倦怠感、胃腸症状等) 視覚の眩しさと、複視は消失。不随意運動が出現してくる。
3月 ステロイドパルス2クルー目。(今回は、気力も倦怠感も効果が感じられず。一昨年秋の意識変容した時の脱力のような症状出現。)不随意運動、脱力増加傾向。IgG低下。
5月 抑うつ。免疫吸着 不随意運動減少。痙攣や振戦あり。精神面の意欲向上、性格に穏やかさが戻る。倦怠感緩和日常生活がほぼ正常になる。
6月 退院後1週間で、倦怠感再び戻る。IgG低下。
7月 意欲落ちる。精神症状。

髄液検査結果:

2013年 秋:採血混入だが、IgG高値5.8(これは、血清混入は関与しない)

2014年2月:細胞数12、CD4 64.9 CD8 31.4 細胞障害性T細胞、グランザイムB 1.3 亜急性脳炎の可能性と診断。

2014年4月:各種インターロイキンなど異常値

2014年6月:抗ガングリオシド抗体陽性


発症以前の状態  

中学生活も謳歌し、家にいるよりも学校が好き。塾が好きだった。高校は、推薦を狙っていたので、合わせて5回までの遅刻欠席早退しか推薦基準にならないため、40度の発熱時でも、学校へ行こうとしていた。  

もともとが短時間睡眠で、何時に寝ても早起きだった。発症前は、朝5時起床。自分の好きな本を読んだりして、その後家の周りを10分間走。1000メートル走は中学一年の時にはクラスの女子で一番だった。肺の強い子で、呼吸数、脈拍が小さい頃から少なかった。(現在は、P=70~80)その後、おなかが減っていると自分であるもので朝食を済ませ、宿題をして登校。スケジュール管理も、やりたいことは自分で見つけてきて、送迎が必要なときには、「何時に送って。」「何時に迎えに来て。」のみ。本当に自立した子だった。

人との争いは全て避ける方。温厚で穏やかで口数の少ない子だった。

<現在>

それが、今は全く出来ていない。何を聞いても、何をしたのかも覚えていない。物の管理等も、文房具、ノート、眼鏡等大切に扱い、「どこやったっけ?」等と聞くことは一度も無かった。忘れ物等もなかった。今は、眼鏡がベッドの脇に落ちてそのままだったり、洗面ボールの中に2週間も鎮座している。ノートも無いと泣いたり、過去のやったことも、あれそうだった?と覚えていない。 IQもテストの偏差値も著しく下がっています。下がり続けています。 先生や家族には暴言は吐くし、暴力的。発狂して、暴れることもあった。殆どの周りの人を嫌悪。 最近は、自分が何をしようとしていたのか分からなかったり、居場所が分からなくなることも出て来ている。

他に、足の脱力、左足が上がらない。手の握力が、30キロくらいあったものが、5,6キロになっている。

<母の思い>

「国がやることでも、疑わなければいけない。」 人生の大きな、取り返しのつかない代償を払っての教訓を得たと思うことにしています。 そして、これ以上同じ間違いを他の親にはして欲しくない。

世界中の少女の、男児も海外では接種が始まり、日本でも治験が始まっています。子ども達の未来を守るためにも、どうか打つ前に良く検討してください。 そして、この危険な情報を多くの人が受け取れるように、被害を少なくするために、子ども達を守るために声を上げ続けて行きたい。

国に2000人以上の報告が上がり、報告を上げて貰えない人も含めた被害者連絡会への問い合わせは1000件にも上り、登録会員255名を越しても尚、親身に診て貰える医療機関は数少ない。国は、この原因機序の解明と根本治療法確立のために尽力している医療機関にこそ研究費の助成をして欲しい。


症例(サーバリックス)28 オランダ ケイトリン

2013-08-28 | サーバリックス症例
HPVワクチンの後の声無き苦痛

オランダ、ケイトリンの母親エスター記す


2011年、ケイトリンは、HPVワクチンであるサーバリックスを接種しました。10月5日に、3回目の接種を受け、5日後、ケイトリンは浴室にいたときひどい眩暈がおこりました。それは自分の足で立っていられないほどのものでした。私はすぐに医者を呼び、HPVワクチンの接種と関係がありえるかどうか聞きました。医者は、それはありえないと答えました。

ケイトリンは病気になり、インフルエンザに罹りました。治ったら再び病気になり、再び治り、これがしばらく続きました。しかし、病気である期間が長くなり、病気でない間の期間が短くなりました。

12月22日、娘は再び血液検査を受け、ウイルス感染、風邪、インフルエンザと関係していることがわかりました。薬は必要ありませんでした。けれど、ケイトリンはいつも眠っていました。彼女はひどい吐き気がありました。頭痛もあり、食欲がなく、とても疲れていました。

私の中で、これがワクチンの接種によって起ったのではないかという疑いが強くなっていきました。再び医者に、同じような症状の少女が他にいるかどうか、ワクチンと関係があるかどうか聞きました。女医によると、ワクチンは安全であり、テストしてあり、副作用は知られていないから、それはありえないということでした。議論は続きましたが、何の答えも見つけれられませんでした。

それで、小児専門医のところに詳細な血液検査をするためにいきました。地元の病院で、腸管の検査と血液検査をしました。結果は陰性でした。医者は、オランダ政府の医療副作用研究・統計センターであるLarebに連絡を取りました。

Larebから知らされたことは、似たような症状の同年代の少女がいましたが、それらはホルモンに関連するものであろうということでした。 この時期、ケイトリンは自転車に乗ることが困難になっていたので、私が娘を学校まで車で送っていました。

その頃、私はオランダの新聞 The Telegraaf で「少女接種のあとの苦悩」という記事を読み、私はホメオパシ医のところへ行きました。彼は、娘のリンパ系と神経系が適切に機能していないといいました。彼女の「電池」は充電していなかったです。

娘は、この医者の治療を受け、3月か4月ごろ回復しました。夏には、とてもよくなってきて、広告配達のアルバイトを再開したほどでした。

けれども9月に、インフルエンザに罹って、回復しませんでした。また同じことの繰り返しでした。エネルギーがなくなり、たくさんの頭痛がおこり、医者に戻り、何度も血液検査をしました。ベルギーのゲント市にある大学病院への紹介をもらいました。小児専門医が、ウイルスと細菌のテストをしました。ライム病の疑いがありました。娘の症状が、ライム病と関連する症状にとても似ていました。頭痛のため脳のスキャンもしましたが、神経科医は何も異常はみつけられませんでした。彼らの意見では、HPVワクチンと関係付けることは無理があるということでした。娘はリハビリが必要でした。

けれども、私は「もし娘が何も異常がないのなら、どうしてリハビリが必要なのか?」と聞きました。リハビリでは、娘は自分の限界を知るためにCFS (慢性疲労症候群)とどうやって共存するかを学ばなくてはならないでしょう。しかし彼女は1年間自分の限界とつきつけられてきました。病院の医者は、身体にはたくさんの化学作用があって、それが何かおかしくなっているのではないかと言っていました。

私の娘はもう社会と関わる生活がありません。パーティーや学校のキャンプには参加できません。私の10歳の娘のほうが、15歳の娘より遅くまで起きています。朝、彼女を起すのに、揺さぶらないと起きないこともあります。夕食の後、テーブルについたままほとんど眠ってしまうこともあります。

私は、地域の保険サービスに話しました。どこに行っても、答えはノー、ノー、ノーでした。それで、インターネットを見たのでした。たくさんの少女たちが同じ眩暈と吐き気の症状を持っていることがわかりました。娘は、極度の頭痛があり、音と明るい光に耐えられません。

今2年経って、私は、このすべてがHPVワクチンと何か関係があると言い続けていますが、何も証明できないのです。

その間、私たちは新しい家庭医を見つけたので、もう一度試してみることにしました。多分彼は違う意見を持っているかもしれません。でも、違いました、ケイトリンは特殊なケースで、彼らは聞いたことがないということでした。それは、多分初潮のため、多分ホルモンのため。もちろん、娘は以前にもインフルエンザに罹りましたが、物事が本当に悪くなったのはHPVワクチンの後になってからなのです。

私はそれをずっと見ていますし、それが起るのを見ました。私はすべてを書き留めています。Larebは良い機関ですが、私たちが診察を受けた7人の医者の誰もがLarebに報告をしなければ、何の意味もありません。

Larebにとって私たちは数字ですが、私にとってはそれは私の娘なのです。私は娘にHPVの接種を受けさせたことが残念でなりません。

今、私たちが医者に行くと、医者は、家庭の事情は大丈夫か、あるいは娘は自分自身に気に障ることがないかとか、学校で誰かにからかわれるかとか聞いてきます。もし娘が心理的な不満があれば、身体にも症状が現れます。けれど、私はいつ症状が始まったか正確に知っています。もしこんな状況が長く続けば、身体的な不満があって、それが心理的な不満をおこすのです。

私たちは、娘にすべての処方されたワクチンを与えてきました。あなたに通知がくれば、それが一番いいことと思って子どもにワクチンを与える、そうではないでしょうか?

私たちは、癌で家族のメンバーを数名亡くし、その直後にHPVワクチンがどうやって癌から守るかについてのお知らせを受け取ったのです。それで私たちはそれはいいことだと思いました。これは、良い政府の情報ですか?私は知りませんでした。私はHPVワクチンに関する情報を十分に持っていませんでした。 副作用に関しては何も述べてありませんでした。ただ、子宮頸がんから守るのであなたにとっていいものだということだけでした。

症例(サーバリックス)26~27 スペイン

2013-08-26 | サーバリックス症例
カロリーナ・パルマ スペイン、アンダルシア、セビリャ

14歳のとき接種

診断未確定

発作の時、歩行不能で2,3日寝たきりであった。

症状: 頸部に強度に痛み、様々な時間続く発作、発作後右側の感覚と動作喪失

緊急病棟訪問:50回以上 入院: 1回目11月26日から12月3日まで(2008)、2回目1月2日から2月11日まで(2009)、3回目3月23日から3月27日まで (2009), 4回目3月27日から3月30日まで (2009).

ワクチン接種日:2008年11月13日
サーバリックスロット番号: AHPVA015CM

病気の期間2008年11月20日から今日まで
回復せず

ワクチンの前の彼女の人生はハッピーであった,普通の14歳の少女にように、未来にたくさんの希望があった.以前病気になったことは無かった、風邪をひくことも珍しかった、スポーツが好きで、友だちとスポーツを楽しんでいた.とても親切で礼儀正しい子であった.面倒見の良い子であった.町でよく知られた子であった.11月20日から、彼女の人生は180度変わってしまった、発作が起きはじめて、私たちの娘と家族全員がとても不安になった. 何度も病院へ行き、毎日歩くことができずに寝たきりで、友だちと遊べず、町でのたくさんの祭りに参加できなかった.以前のように生活できなくなった、たくさんのことができなくなった、多分最も悲しいことは、彼女がワクチンの被害者だということを彼らが認めたくないことであり、今日まで医者はどこが悪いのか特定できない.つまり、このワクチンは私たち家族すべての人生を変えてしまい、私たちはとても無力だと感じている.

クリスティーナ、セビリャ

14歳のとき接種

症状:発作、失神、脱毛,右腕と右脚の無力感.

彼女は、右側の鼠径部(股間)に痛み.頭痛、かすみ目、胸部痛、不安がある。

緊急病棟への訪問: 12

入院: 9 日間

ワクチン接種日: 1回目2008年11月13日, 2回目2008年12月17日
サーバリックスロット番号: AHPVA015CM/ AHPVA018BF

病気の期間:約12ヶ月 回復せず

HPVワクチンは私の人生を変えた

ワクチン2回目を受けた3ヵ月後、私は気を失い始め、発作も始まった.私は以前したいたことが今はできないので、私の生活は変わってしまった.

2010年3月31日近況

クリスティーナ、セビリャのもう1人の女の子は、ほぼ4日ごとに、失神に続く発作が起こっている。発作は普通約10分続く.

症例(サーバリックス)22~25 イギリス

2013-08-22 | サーバリックス症例
メリッサ、バーンズリー、ヨークシャ、英国

1回目の接種、問題なし。
2回目の接種、すぐに関節が腫れ始める、右手の親指から、他の関節に広がった。1週間以内に、本当に具合が悪くなった。身体を動かすことができない、頭からつま先まで発疹で覆われた。高熱、発汗、悪寒、嘔吐、重度の頭痛、身体中の関節痛、何週間も続けて眠った。痛みがひどく、両親が触ることもできなかった。ピリトンを処方。HPVワクチンへのアレルギー反応と診断。その後、テストとX線で、脾臓肥大を見つける。その後、全身性若年性関節リウマチ(スティル病)と診断。

大用量ステロイドと炎症を抑制する薬剤を服用。

化学療法(メトトレキサート注射)。更にたの薬と組み合わせを試み、結局、トシリズマブを点滴、3ヵ月後経って、効果があるようだった。ステロイドの副作用がでて、体重増加とたの問題がでてきた。

2年経っても依然回復していない。メトトレキサートと上記点滴、また、必要に応じてメチルプレドニゾロン注射をした。これらの薬のため、多数の感染があり、抗生物質を多数回使用。後3年、この治療をする予定である。学校を休んでいる。嗜眠性があり、痛みがひどくなるので関節を使いすぎないように注意している。


デボラ・ハリデー、スコットランド

2010年9月、サーバリックス1回目接種
2010年10月、2回目接種

身体が堅くなり、日常の様々なことができなくなった。庭を掃く、掃除機をかける、ボトルを開ける。 ある日、全く予期せずに、学校で倒れた。腹痛があった。盲腸を除去。腹膜炎を伴う急性化膿性貫壁性盲腸炎と診断。その後2つの感染症。 歩行困難。光への過敏。

シリカ含量の高いミネラルウオーターを1日1.5リットル飲み始め、徐々に改善が見られた。3週間後、小さなことができるようになった。シリカ含量の高い食べ物(キャベツ、玉葱、きゅうり、オートミール、シリアル、イチゴ)を食べる。改善しつづける。ミネラルウオーター、食物、運動、水泳、散歩、悪い時はやる気を保つ、学校の勉強と努力した。


ブリアーナ

サーバリックス1回目接種、2011年9月28日

10月19日、ちょうど3週間後、学校から帰宅して、気分が悪く、吐き気がすると訴える。翌日休み、その次の日は、学期の最後だったので登校。保険医から電話で、熱があり、具合が悪いので、迎えに来るよう電話。

最初、生理の問題と思った。翌月曜日にも、吐き気、暑さと寒さ、とても弱くなっている。一般医で、生理用の痛みと吐き気のための薬をもらうが、痛みはなかった。 薬は効かず、ソファに横になってすごす。 尿検査と他に悪いところはないか検査。発熱があった。吐き気にステメティルを処方。効果あり。

吐き気、暑さと寒さ、弱い、めまい、眠気、全体に気分が悪い。尿検査異常なし。血液検査。異常なし。

翌週の水曜日、腕と脚の痛み、咽喉の痛みが出たり消えたりした。甲状腺の検査のための血液検査をしている。

視力が落ちた。

近況: 1日数時間学校にいくと、翌日はいけない。断続的な痛みが、腕と脚にある。特に注射した部位の近くが痛い。


エリナー、ケッタリング、ノーサンプトン英国

7ヶ月の時ペニシリンへ反応し、青くなり、呼吸が止まった。
活発な子ども、水泳の選手。

2008年10月、1回目の注射。数日後、入院。注射の後から持続する胃の痛みがあった。病院で原因不明。便秘ではないかといわれた。

11月、2回目の注射。胃が依然痛み、何度も医者に行った。過敏性腸症候群の薬を処方したが効果なし。生理用の薬は痛みを止めなかったが、周期が正常となった。歯医者に、胃酸の逆流のため歯が溶け始めているといわれた。身体を起して眠らなくてはならず、制酸剤を飲んだ。

2009年5月、3回目の注射。注射はとても痛かった。食事をすると痛む、胃が膨れて、腹部膨満感あり不快。

2009年5月、血液検査の結果に異常があったので、一般医に行くと、過敏性腸症候群であるだけだと主張。他の一般医にかえてもらうと、この医者はエリナーを信じ、病院へ紹介してくれた。

2009年9月、食物や水分をすべて吐くようになった。痛みで2回、救急病院へ行った。2回目のとき、入院。点滴を受ける。超音波検査で、肝臓に嚢胞がみつかり、血液検査で、膵臓に異常をみつけた。潰瘍を疑ったので、専門医に紹介。高用量のラニチジンとオメプラゾールを投与、牛乳とアイスクリームを摂取。便検査で、潰瘍をおこす細菌が胃にあるか調べた。テスト結果紛失。

悪化して、再入院。依然、吐き続けた。テスト結果はないが、潰瘍の治療を始めた。薬を始めると、痛みで身体を二つに折って叫び、救急病棟へ運ばれ、小児科病棟に入院となった。2009年10月のこと。

薬の投与法をかえたが、投与のたびに、痛みが増加した。 5週間、飲食するたびに吐いた。拒食症を疑われた。

5週間後、鮮血と顆粒状のものを吐き始めた。成人胃腸科医に見てもらった。すべての薬を止め、クローン病か確かめるため胃と腸の生体検査をした。 超音波で肝臓の嚢胞は消えていた。

内視鏡検査で、胃の炎症をみつけたが、嘔吐するせいだと結論した。pHが高いのも嘔吐のせいとされた。

チルトン医師は、グリーン医師が診察したことをしると、小児科の方が適当なのでということで、チルトン医師の診察は終わりとなった。

2010年1月、痛みと吐き気で再入院。婦人科専門医は、子宮内膜症を疑う。2010年5月、腹腔鏡検査をうけ、異常なし。 2010年12月、成人胃腸科医の診察を受ける。 2月、学校でパニックアタック。痛みのため失神寸前であった。 風呂場で失神し、腸から出血。救急で、3時間待機。医者は即入院させモルヒネを投与。点滴と、鎮痛剤。 結腸内視鏡検査で、潰瘍性大腸炎と診断。

症例(サーバリックス)21 イギリス ジェマ

2013-08-21 | サーバリックス症例
ジェマ英国

2011年7月31日入力


ジェマは学校が好きで、ほとんどの学科で良い成績をとっていたけれど、スポーツが本当に得意でした。彼女は、サッカー、ホッケー、クリケット、ラウンダーズのすべてで、トーナメントチームにいました。ラウンダーズのチームは3年続けて無敗でした。上級生の時は、彼女は、ネットボールの年間最優秀プレイヤーでした。

16歳の誕生日の前の週、ジェマは、誕生日パーティを友だちとアイススケートをして祝うことを計画していました。突然、彼女はめまいが始まり、頭痛がしました。彼女の両親は、多分風邪か何かで、ちょっと気分が悪いのだろうくらいに思っていました。彼女は、パーティができませんでした。

めまいと痛みが数日続いたので、両親は彼女を医者に連れて行きました。血液検査の結果に異常がなかったので、ジェマの一般医は眩暈症と診断して、薬を処方し、MP3プレイヤーを使わないよういいました。皆、1週間もすればよくなるだろうと思っていましたが、そうなりませんでした。

時間が経つにつれて、めまいはやや弱くなりましたが、頭痛が徐々に悪化していきました。痛みがひどく、ジェマは学校をしばしば早退するようになりました。視力が落ち始め、眼鏡を使用するようになりました。両親は、専門医にみてもらう決心をしました。

ジェマのMRI (頭部スキャン)には異常がありませんでした。ティーンの女の子たちがよく罹る、基底部偏頭痛と考えて、神経科医は、一般医に適当な薬を示唆する手紙を書きました。

処方された薬を飲んでもジェマは改善しないまま、GCSEの試験を受け、その夏の間、彼女はもっと内にこもるようになりました。ときどき友達とトラッフォードセンターへ買い物に出かけることだけが、唯一のアクティビティとなりました。ほとんどの時間をひとりで自室ですごしました。頭痛が続いたので、一般医は別の薬を推薦しましたが、効果はありませんでした。

彼女の両親は、娘が苦しんでいるのを見るだけで、何の助けもできませんでした。ジェマの病状は悪化しました。頭痛によりときどき学校を休んでいたのが、一度に1週間から2週間も休むようになりました。彼女は隠遁者のようになり、ひどい痛みのため自室に閉じこもっていました。なすすべもなく、両親は彼女の病状の原因を見つけようと必死でした。突然、サーバリックス接種した日、学校までジェマを迎えに行ったことを思い出しました。彼らだけで調査して、同じワクチンの後同じ症状で苦しんでいる多くの人がいることを発見しました。物事が理にかない始めました。

この時は毎週となっている医者への診察に、得た情報を持っていくようになりました。どの医者も、サーバリックスのワクチンのあと同じ有害反応が起こった少女が英国中にいることに気がついていませんでした。このことを知ったあと、ジェマの神経専門医の1人は、彼女の新しい病状について、

「診療所で話し合ったように、私の考えでは、最も有望な説明は、ワクチンが、持続する(偏頭痛などの)頭痛への潜在的な傾向を誘引したというものです。」 と述べました。

結局、ジェマは、推奨されているようにサーバリックスの接種を3回受けたのでした。英国ではサーバリックスは学校のプログラムで投与されるので、両親は、ワクチンの接種日を知らされないこともあります。ジェマ は両親に知らせたといいますが、両親はそれを思い出せません。ジェマが最初に病院へ行ったのが3回目のサーバリックス接種の翌日だったことを発見するのにとても長い時間がかかりました。 ジェマの両親は彼女の話を語ることで、他の人たちが同じような経験をせずにすむことの助けになればと思っています。

2012年11月8日、父親マークのコメント

ジェマは、Aレベルの試験に合格して、今、ロンドン芸術大学でファションの勉強をしています。彼女は、ときおり頭痛があるだけで、眼鏡も必要ではなくなっています。ジェマは大学でネットボールのチームにはいり、人生を楽しんでいます。希望を持ち続けて !

マーク(ジェマの父親)

症例(サーバリックス)14~20 イギリス ルーシー

2013-08-14 | サーバリックス症例
レベッカ・ラミッジ、サリー州ライゲイト

喘息があった。テニス選手であり、いろいろなスポーツをしていた。

2008年秋に、1回目と2回目のワクチン接種の後、関節痛があり、松葉杖を使用していた。

2009年春、3回目のワクチンの後、重度の関節痛、重度の疲労、歩行困難を発症。車椅子使用。

2010年3月28日近況 依然、健康状態は悪く、病院と家を行ったり来たりしている。ME/CFSの複雑な病態と診断された。

更に、視力障害も起こっている。


リー・マン19歳ノッティンガム州

2009年1月、1回目接種 10日後、気分が悪くなり、気を失った。
気が戻ったときは、腰から下の感覚がなかった。
病院で診察を待っている間に、右足の感覚が戻ってきた。
左足の感覚が戻るまで2週間かかった。

4月、発作が定期的に起こっている。
今は、本格的な発作になっている。
てんかん発作のようであるが、医者は、それがワクチンよりは、抗うつ薬のせいだと思いたいようであるが、抗うつ薬は1年以上服用しいるなんの副作用もなかった。

神経科医の診察予約を待っている5週間の間に、30回発作があった。


アシュレイ・ケイブ、リバプール

2008年10月15日、1回目のワクチン接種。
30分以内に気分が悪くなる。重度の頭痛に叫ぶ。

翌数日、頭が朦朧として、めまいがあった。 その後、脚が痛む。

続く48時間に5回気を失う。

ロンドンに出かけている間、入院。退院の記録、めまいと全身の筋肉痛。

脚の痛みで歩けなくなる。
2008年10月24日、リバプールの病院に入院。腕と脚の痛み。歩けないのではってトイレに行く。痛みは重度。

2009年8月、入院中。失禁があり、カテーテルを検討。最初に、膀胱調節プログラムを試すことになった。尿管感染が再発、特に病院で感染した大腸菌の発症後。

歩行フレームで起立可能、数歩移動できる。進歩は遅い。

2010年1月、退院して、学校へパートタイムで通学。車椅子使用。まだ病状はよくない。


ステイシー・ジョーンズ、17歳、ウエストミッドランド州ブリストン

サーバリックス接種、2008年11月15日、2009年1月24日、2009年5月16日

最初の2回の接種後、感情的になった。

3回目の注射の数日後、最初のてんかん発作があった。
翌週、17回の発作があり、その後数ヶ月発作は続き、精神的混乱、幻聴、殺人の脅しをするようになった。

2009年9月、リハビリユニットに入院、そこで、サンドイッチを作るなどの基本的な作業を学びなおした。この時点で、5種類の抗てんかん薬を服用しているが、記憶力障害となっている。

脳の膨張がてんかん発作の原因と診断された。

医者は、脳炎は過去5年に2回みたが、こんなにひどい脳炎のケースをみるのは20年ぶりであるといった。

近況、抗NMDA受容体脳炎と診断。感染が原因ではない。

母のコメント、抗てんかん薬の「カルバマゼピン」を服用した10分以内に暴力的になったと父親がいっている。


セーラ・チャンドラー、12歳、サリー州

2008年9月、1回目の接種の1週間後、気分が悪くなり嗜眠性となった。この病状は、2回目の接種後悪化した。気力低下、咽喉に何か詰まった感じがした。抗生物質では改善しなかった。慢性疲労症候群の診断を受けた。


ラーラ、ウェールズ

元気な泣かない赤ちゃんで、哺乳瓶も一瞬で空にするほど。

2008年10月13日、1回目接種。副作用無し。

2008年11月17日、2回目接種。とても気分が悪くなる。高熱、喉痛、頭痛、関節痛、極度の疲労。エネルギーがなくなった。医者が薬を処方。数週間後、学校に行くことができた。

2009年3月31日、3回目接種。翌朝、目が覚めた時、気分が悪かった。高熱、歩行困難。声を失う。

3日後、学校に行けなくなった。 光に極度に敏感になった。数日、光で目が痛むので暗い部屋に座っていた。臭いが気になるようになった。髪の毛が抜け始め、ひどい頭痛、首の痛みが始まった。歩行困難、脚のコントロールができない。ときどき座っていてもバランスを失う。説明不能な体重減少。数ヶ月で19キロやせた。 拒食症を疑われた。

今は、CFS/MEと診断されている。 昔どおりにできないことにイライラしている。 母親は、彼女の誇りである喜びであった娘を失うのではないかという恐怖に日々直面している。

カーリー・スティール、ストックポート

2007年10月、1回目接種、疲労と頭痛
2回目接種の後、ソファーに横になって過ごすことがあった
3回目接種の後、嗜眠性で眠くなる、関節痛、自分の髪を洗うこともできない
9月までに、一時的な失神(ブラックアウト)を経験、脚が痛く、歩けない

新聞記事より(DailyMail)

2009年4月の時点で
MHRAの報告では、700,000の女子生徒が接種を受け、1,300の有害反応の報告。

症例(サーバリックス)13 イギリス ルーシー

2013-08-14 | サーバリックス症例
英国ウォリックシア州ナニートン在住
ルーシー・デイビス(14歳)
2011年7月31日入力

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2009年9月21日サーバリックス接種(1回接種のみ)

翌朝起きたとき、ルーシーは完全に声が出なくなっていました (声失症)。彼女は、重度の咽喉痛であり、熱っぽく、注射の跡に痛みがありました。1日ちょっと様子をみてから、医者に連れて行きました。医者は娘の症状を、急性喉頭炎であると言いました。ワクチンとの関連の可能性を訪ねると、医者は「それはないでしょう。偶然以外の何者でもありません。」と言いました。公知の登録された副作用が、上気道感染症だったのですけが。

ルーシー はその後の6ヶ月間、声が出ませんでした。咽喉の感染がなくなるまで3~4週間かかりました。この間、彼女の関節が痛み始め、脚の筋肉が弱くなっていくのを感じ、エネルギーがなくなって水泳は中止となりました。 (注: ルーシーは、週に30,000/40,000 メートル泳ぐ、競泳選手でした) とても元気だった女性で、友だちとのつきあいでも忙しく、学校では「優」の成績が予想された生徒でした。

その間に、医者は、ルーシーがたくさんの血液検査を受けるよう手配しました。また病院で耳鼻咽喉科専門医の診察も受け、発声療法士にも見てもらいました。約6週間後、彼女の声はやっとささやき声まで戻り、さらに発声療法士の助けで今は通常に戻っています。

そして、2009年11月28日、ルーシーにいわば重度のひきつけのようなものが起こりました。酷く暑いと言い、大量の汗をかき始め、心臓が激しく鼓動し、血流が増し、そして彼女は意識を失い、腕と脚が激しく震えました。彼女は建物から運び出され、救急車が呼ばれました。パラメディックは彼女を蘇生しました。彼女の血圧はとても高く、心拍は150を超えていました。

病院へ着いて彼女を安定させると、彼らは、ルーシーがパニックアタックがあって、過換気になったのだと言いました。けれど、それ以来、ルーシーはきちんと歩くことができません。脚と手がまだ震えます。病院の専門医は、発作が起きたという証拠が全くみつからないといい、すぐに退院させられました。

一般専門医に再びワクチンとの関連をきいてみましたが、何のコメントもありませんでした。彼は、ルーシーのかかりつけの一般医の意見である慢性疲労症候群CFS (ME)の診断に賛成しました。それで、神経科医との診察の予約をしました。

ルーシー は今車椅子で学校に通い、自分の状況にとても落胆しています。

ルーシーの近況 (2010年3月25日、父親より):

2週間前、ルーシーのかかりつけ一般医であるバーネット医師の診察を受けました。ルーシー最近までもう1人の一般医のジョンソン医師に見てもらっていました。ジョンソン医師は最初の2ヶ月は親身になって答えをみつけようといろいろとしてくれました。けれども、ジョージエリオット病院の一般専門医であるウッド医師の報告書を見た後は、彼の診断を受け入れたようでした。血液検査と診断の後、答えは見つかっていませんでしたが、ジョンソン医師はルーシーはそれ以上侵襲性の検査は必要ないと考え、終わりとしたかったようです。私は彼に蔑ろにされているように思いました。けれど、実際にはこれ以上は彼には何もすることがなく、MEという診断はおそらく正しいと考えているという印象を持ちました。最後にルーシーと妻のジルがジョンソン医師のところへ行ったときは、妻は「おやおや、あなたは今度は何をお望みでしょう」という感じを確かに受けたました!! その後、私は、ルーシーの病状に関して、ロンドンのいくつかの有名な病院に連絡をとり、1人の医師が興味を示しまし、神経科医の報告書を含めたルーシーの診療記録を見たいと言ってきました。 それで、一般医の手紙としてルーシーの診療記録を2010年2月23日に要求しました。それにすべての関係する手紙類も含め、読み易い形で、私の要求の手紙が届いてから12日以内に準備するよう頼みました。これは、国務大臣の法律で決められた協定に則ったリクエストです。

ところが、まだそれらの書類を受け取っておらず、昨日、急ぐように連絡をとらなくてはなりませんでした。その間、私たちは、ルーシーのもともとの担当であるバーネット医師のところへ行きましたら、彼は、ルーシーとルーシーの考えていることにだけ注意を払い、私たち夫婦のことは除外しようとするほどでした。彼は、私たち夫婦がルーシーがこのように振舞うことを強要しているのだと疑っているという強い印象を受けました。彼女のすべての症例を考えて、彼は、やや気がすすまないようでしたが、神経内科医への紹介をすることに賛成しました。

私たちはすぐに、「患者用診察予約シート」を受け取りましたが、バーミンガム子ども病院が既に予約してある診察をキャンセルするのを待っていました。その間、私たちは、フィジオセラピストの診察手配を主張し、とても強く頼みました。妻のジルは、迷惑がられるほど強く主張し、ジョージエリオット病院の優秀なフィジオセラピストとの予約を取ることに成功しました。彼は、ルーシーの状態を大変心配してくれ、もっと早く見てあげられなくて残念そうにしていました。

すごいことです!!! 彼はルーシーにとってもとても有益でした!すぐに松葉杖になり、できる限り車椅子は使わないようになりました。学校ではほとんど松葉杖だけですごしています。松葉杖で外出して、ルーシーはそれを使うことにかなり自信をもつようになり、車椅子よりも気分的にいいようでした。 ルーシーは火曜日に15歳になり、素敵な誕生日でした!未来に本当に肯定的でした。その夜、私は希望と喜びで何時間も泣きました。今、ルーシーは、キール大学のクリス・エクスリー教授のアルミニウム耐性についての研究に従って、高いシリカ含有のボルビック水を1日1.5リットル飲む3ヶ月のコースの終わりに近づいています。それは有益であり、私たちは彼にとても感謝しています。

注: ルーシーの副作用は、ワクチン接種の翌日始まり、時が経つにつれて変化した。彼女のあとのほうの問題である、気を失うこと、腕と脚の震えは、ガーダシルやサーバリックスを接種した他のたくさんの少女が経験している、症状の種類のグラフでもこれは確認できる。「パニックアタック」という用語は、この経験を語るために使われるが、どうして、若くて元気な女の子の腕や脚が突然震えてそのままの状態が続き、きちんと歩けなくなるのか。彼女の既往の病歴が、これらの症状がただ単におこったわけではないことを語っているべきである。(編者フレダ・ビレル)

症例(サーバリックス)12 イギリス ローレン

2013-08-12 | サーバリックス症例
ローレン
英国ランカシャー州ロッチデール在住
2011年10月26日
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母親スーザン記す

ローレンは、長い時間おとなしく座り続けることができないタイプの子どもでした。週末はいつも友だちと泳ぎに行っていました。彼女は身体を動かすことなら何でも大好きで、とても丈夫な子どもでした。それまでの人生で医者に行ったのは、扁桃炎と盲腸炎のたったの2回だけでした。盲腸炎のときは切除のために病院に入院しましたが、とても早く回復しました。この2回を除いて、ほとんど病気だったことはありませんでした。風邪やインフルエンザにもかからないほどでした。

これから、サーバリックスの接種を1回受けたあとのローレンの生活がどんな風であるかをお話ししましょう。2010年10月の初めにサーバリックスの1回目の接種を受けたとき、ローレンは12歳でした。その日帰宅して、注射は痛くなかったと私に言いました。これは、その日学校であった他のことと一緒に話したことでしたが、娘の気分はあまり優れませんでした。私は、熱がでたり気分がすこし悪くなるかもしれないと聞いていましたので、これがワクチンのせいだと思いました。

数日後、娘は動かすと肩が痛いと訴えていました。その2日後、肘も痛くなりました。それから、脚の付け根の間に、今まで見たこともないような発疹ができました。私はそれが汗疹、あるいはたぶん両足がこすれあっているせいかもしれないと思いましたが、関節の痛みとは結び付けませんでした。医者に連れて行くと、医者は、おそらく筋肉を引っ張って痛めたのではないかと言い、1週間イブプロフェン(抗炎症薬)を飲むよう言いました。娘は言われたようにしましたが、1週間後に症状が改善しなかったので再び医者に行きました。それで、医者はジクロフェナク(抗炎症薬)を与え、多分もう1週間休む必要があるでしょうと言いました。

その週が過ぎたあと、今度は膝が痛み、いつも咳をして、完全に消耗していたので他の医者のところへ連れて行きました。医者は、娘が熱もあったので重度の扁桃炎で、これが関節にも影響しているのだと思いました。娘は抗生物質を始めました。この後も娘の症状は悪化し続けました。すべての関節が腫れ、咳をし、体重が6キログラム以上減り、あの発疹が消えたりまた現れたりしました。この時には、娘は一日中眠っていたので学校を休まなくてはなりませんでした。

血液検査などのために医者に何度も通ったあと、最終的に、地元の病院の小児科病棟に入院しました。この時点で、娘はほとんど動けず痛みがひどかったので、車椅子を使っていました。そこでも、娘は扁桃炎にかかっているといい、抗生物質の点滴を受けました。これはクリスマスの時期にかけてでしたので、クリスマスの当日はプレゼントを開けるために数時間帰宅させてくれました。

抗生物質がなんの効果もなかったので、医者はより強い鎮痛剤を与え続け、リウマチ専門医のいるマンチェスター王立こども病院に転院することに決めました。新しい病院に約1週間いて白血病を除外する検査を受けたあと、医者は、全身型若年性特発性関節炎であると診断しました。6日間のステロイド注入、その後は経口ステロイドでの治療を始めました。また、週に一度のメトトレキサートの注射も始めました。この新しい治療が始まった後、娘の病状はかなりはやく改善しました。娘はまたフィジオセラピー(リハビリ)も受け、私たちは娘と一緒に毎日家でもすこし体操をしました。約2ヶ月後、娘は膝の痛み以外はとてもよくなっていたので、医者はステロイドを徐々に止めて行くことに決め、膝にはステロイドを注入し、液体を抜く治療を施しました。

ステロイドを減量し始めたとき、娘の症状は戻ってき始めました。プレドニゾロン5mgまで減量したとき、今までで最悪の症状になり、病院へ再入院しました。心臓の周りに液体がたまり、ほとんど動くことも息をすることもできませんでした。1000mgプレドニゾロン点滴を3日間したあと、娘は再びずっとよくなっていました。今度は、医者は今までの薬に加えて、毎日100mgの注射でアナキンラ(リウマチ治療免疫抑制薬)という別の薬も始めることにしました。医者は、プレドニゾロンがステロイド性高血糖を引き起こしていることを発見しました。娘の血糖値は20を超えていたので、血糖検査を始めなくてはなりませんでした。医者は、インスリンの投与を開始しようとしましたが、ローレンが毎日注射したくないので食事を制限すると主張したので、メトホルミン(糖尿病治療薬)を試すことにしました。食事をよく食べる限り、それは上手く作用しました。

目下、ローレンはアナキンラの注射になんらかの反応があって、とても痛くなり、腕には痒みのあるしこりができていますが、これらの症状は以前のようには長く続かず、私たちは娘の身体がそれをもっと許容するようになってきているのかもしれないと思っています。医者は、注射を1日に2/3に増やすことを話しています。というのも、娘はまだ激発することがあるからですが、今のところ過去6週間はかなり良い状態です。ただとても疲れやすいのです。もし彼女が運動や歩くことなどをしすぎると、夜は痛みがひどくなり、熱と発疹がでてきます。

ほぼ1年学校を休んでおり、勉強も友だちと付き合うこともできませんでした。残念なことに、友だちの何人かは、娘がステロイドでかなり体重が増えたのをみてデブと言い、娘を泣かせてしまいました。医者は娘が一生治療が必要だろうと言いましたが、私たちは娘がよくなりつづけるよう期待しています。医者は、娘が2年間寛解でいたら、この状態を再検討するということです。

娘は、毎日自分の注射するように病院で訓練を受けています。そうすれば、これらのすべての注射をしてもらうために病院にたびたび行く必要がなくなるでしょう。けれど、ごく最近とても悪い激発がまたあって、リュウマチの専門医はアナキンラがローレンに作用していないと決め、この薬を止めることにしました。彼女は今、トシリズマブを2週間毎に点滴しており、いまのところこれが作用しているようですが、残念ながらプレドニゾロンも20mgに増えました。

良いニュースは、今ローレンが学校に戻ってなんとかほぼひと月過ぎたことです。ときどき痛くて歩けない時は、数日休まなくてはならないだけです。ステロイドやトシリズマブと同様に、化学療法薬のメトトレキサートが免疫系を抑制するので、娘はたびたび感染症を起します。

私たちの家族にはリウマチ性関節炎の病歴はないことをここで述べておきたいと思います。娘がサーバリックス前の生活に戻ることができるなら、他に何も望むものはありません。

症例(サーバリックス)11 イギリス ロージー

2013-08-11 | サーバリックス症例
ストーンリー在住のロージーとアビー

2011年7月31日投稿
サリー在住ロージー・ウェザーヘッド


ロージーとアビーは二卵性の双子で、サーバリックスの1回目の接種を2008年10月14日、2008年12月1日に2回目の接種を、そしてアビーだけ3回目の接種を2009年4月22日に受けました。

2人の女の子の違いは、ロージーは運動神経がよく、サッカー、水泳、ネットボール、陸上、ラウンダーズなどいろいろなスポーツが好きです。アビーはもっとのんびりしていて、スポーツで競争したりするタイプではありません。彼女は、赤ちゃんや動物に興味をもっています。

ロージーは1回目と2回目の接種の後、重篤な副作用がありましたが、アビーは何の反応もなくワクチン接種のコースを完了しました。

最初の接種後、ロージーは、股間と膝と注射部位の痛みで泣きながら帰宅しましたが、アビーはなんともありませんでした。そのとき、私たちはロージーの痛みをスポーツでの怪我のせいだと思ったのです。

2回目の接種で、アビーはまた反応なしでしたが、以前と同じ痛みでロージーは歩き方がおかしくなっており、大好きなスポーツのどれにも参加できませんでした。彼女は本当に活発な運動選手だったので、この段階では参加しようと試みましたが、膝と関節の痛みがとても強く、準備体操すらできませんでした。

ロージーは学校へ行き続けること、「普通」でいようとすることが難しくなりました。彼女は、出席記録で「金賞」を取るために休まずに学校へ行きたいと思っており、スポーツで怪我をしても、必要なら松葉杖をついてさえ学校へ行ったことでしょう。しかし、2009年3月の初め、ロージーはとても病気で学校へ行けませんでした。そのときが、彼女を一般医のところへ連れて行った最初でした。

一般医は、原因がわからず、地元の病院の小児科に紹介してくれましたが、小児科医は今度は娘をグレートオーモンドストリート病院へ送りました。その週の終わり、3月の初めまでに、ロージーは歩くことができず、話すエネルギーもなく、食べることはとても努力を強いられました。彼女には、咽喉痛、極度の関節痛、極度の疲労がありました。この段階で、私は、ロージーにとてもひどく影響をあたえているものがワクチンであることに気が付き、3回目の接種は受けさせませんでした。

グレートオモンドストリート病院の小児科医は、ロージーはウイルス感染後疲労症候群のようで、ワクチン接種のときにウイルスに感染されていた可能性があり、これがワクチンとの反応をおこしたのではないかと言いました。

今、ほぼ一年半経ちましたが、ロージーの病状は改善していません。2月に再び悪くなり、学校を休まなくてはなりませんでした。イースターの前にも同じことが起こりました。ロージーは2009年のクリスマスの直前に学校にフルタイムで戻りました。ロージーの咽喉の痛みはなかなかなくなくならず、耳鼻咽喉科の専門医にみてもらいました。この病気は変化し続けていますし、とても良くなってはいないことは確かです。

ロージーが毎日2~3種類のスポーツをしていた活発なスポーツ選手からエネルギーが十分でなく2階への階段を上ることさせ痛みでできない状態になって、たくさんのことに対処しなくてはなりませんでした。夏の間は、外出には車椅子の生活でしたが、これを止められるよう頑張っています。これらすべてが、彼女の病状を甘受するための精神的な苦闘をもたらしています。同級生が彼女が大好きだったスポーツに参加しているのをみること、学校生活で先へ進んでいることは彼女にはも、また私たちにとっても、とても辛いことです。なぜなら彼女が彼らと一緒に前進できないのですから。

「副作用がこんなに壊滅的だとは理解していませんでした、さもなければ、私はこのワクチンを2人の娘たちのどちらにも受けさせなかったでしょう。」

ロージーは、ワクチンの後、目の症状も発症しました。彼女は、「ドライアイ」と呼ばれるものにかかっており、毎日目薬をささなくてはなりません。ロージーは、このワクチンの前には目の問題はなにもありませんでした。

2010年4月、近況

去年の夏以来、ロージーは改善し、以前よりは少ないレベルですが、スポーツ活動のいくつかに参加できるようになりました。ひとつかふたつの小さな出来事があることもありますが、前の状況よりはずっと良くなっています。それにほっとしていますし、彼女が全快するまで日々改善し続けることを期待しています。

参考までに

サリー州のレベッカ・ラメッジも、とてもスポーツの好きな少女で、テニストーナメントに参加していました。レベッカの病状は、ロージーにとても似ています。レベッカもまた喘息に苦しんでいました。

ルーシー・デイビスもスポーツ好きな少女でした、期待の水泳選手で、毎週3~4万メートル泳いでいましたが、MEと診断されました、そして、咽頭痛がひどく話せませんでした。その後、彼女は腕と脚に震えを発症しまし、歩くことができませんでした。

結論

多分、若いスポーツ好きの少女たちに障害がでるのか調べてみるべきでしょう。ガーダシルかサーバリックスを受けた若い少女や女性に広く起きています。スポーツ好きの少女たちが重篤な副作用に苦しんでいます。なにか関連があるにちがいありません。

症例(サーバリックス)10 イギリス エミリー

2013-08-10 | サーバリックス症例
サーバリックス後症候群犠牲者

エミリー
ヨークシャ州ウェイクフィールド在住
2011年11月30日

エミリーの母親のキャロン記す

私の娘のエミリーはいつも聡明で、体力があって、健康で、エネルギーにあふれていました。彼女は学校のいろいろなスポーツチームの一員で、ダンスの大会にも出場し、身体中から生命があふれ出ていたので彼女が入ってくるとどんな部屋でも明るい雰囲気になりました。彼女は一緒にいるのが本当に楽しい存在です。いいえ、これはサーバリックスのワクチン接種コースを始めた去年の10月までのことでした。

去年の10月まで、彼女の病歴は、小児科医からの手紙に書いてあったように「特筆に価しない」ものでした。彼女はいつもとても健康で、体力があって、健康的でバランスの取れた食事を楽しんでいました。彼女はペニシリンにアレルギーがあって、花粉症です。

10月(2010)、12月(2010)、5月(2011)に学校でHPV接種(サーバリックス)コースを受けました。同意書を持ち帰ったとき、私は重篤な有害作用のことは知りませんでしたし、学校で話し合いがあったので娘はワクチン接種にとても積極的でした。公式な文書では、軽度で一時的な副作用のことしか明記されていませんでした。

2回目の接種の3週間後、インフルエンザのようなウイルスのため娘はひどい病気になりました。嘔吐、熱と悪寒、頭痛、筋肉痛と脱力感、極度の消耗、咽喉痛、重度の腹痛、顔と胴体の発疹、めまいがありました。医者には、たくさん水分をとって休むように言われました。娘は3週間病気で寝込みました。私たちはそれを「インフルエンザ」の悪い発作だとみなしました。

そして大騒ぎが始まりました!娘は改善しているように見え、そして消耗、吐き気、腹痛、めまいが再発するのです。彼女の筋肉は頻繁に痛み、関節、特に膝がしばしば痛み、絶え間ない咽喉痛、定期的な頭痛がします。これは、6ヶ月以上、続きました。3回の徹底した血液検査は「異常なし」で、腺熱(EBVウイルス感染症)には陰性でした。医者は、「ウイルス感染後疲労」と診断しました。

それはひどい6ヶ月で、家族として私たちは全種類の感情を経験しました。「疲れ」は学校を休みたい下手な弁解のように思えましたので、エミリーの調子が十分良くない時にも学校へ行くようにプレッシャーをかけてしまい、そうしたことにひどく後ろめたさを感じました。何か悪いことがあってどうしようかというとき、私と夫の意見が合わずに言い合うことが良くありました。エミリーは私たちが彼女の病気の深刻さを信じていないと思って動揺し、彼女のクラスメートはときどき病気のことで彼女に悲しい思いをさせました。 母親として、何かがとてもおかしいことはわかっていました。何かが娘の内部にあった明かりを消してしまい、彼女の身体は少しずつ徐々にギアを落としているように感じました。娘の外見も行動も、まるで生命が彼女から流れ出ているようでした。

そして、7月のある日、突然、娘の病気がHPV接種の後に始まったことに気が付きました。午前中インターネットを検索して、同じ症状を経験している女の子たちがたくさんいることを確認しました。全く同じ症状でした!すべての辻褄が合いました。

そのときから、SaneVaxのウェブサイトを通してフレダ・ビレルに連絡を取りました。彼女は私の先導者で、力をくれ、他の親と連絡を取れるようにしてくれ、私を正気に保ってくれました!エミリーは、ピンダーフィールズ病院(ウェイクフィールド)の小児科に紹介され、医者は、慢性疲労症候群と診断し、治療方法はなく、娘は徐々によくなるであろうと言いました。この小児科医の診察の2日後、エミリーが右腕と右足の感覚を失ったので救急病棟にいました。現在、私たちは、セカンドオピニオンを得るためにエミリーを別の専門医にみてもらうための紹介を待っています。私たちの一般医はずっととてもよい支えとなってくれており、現在私たちに最も良い選択肢を探してくれています。

エミリーは今年の初めに比べて、ずっとよくなっていますが、依然として疲労と倦怠を患っています。絶えず咽喉痛があり、頻繁に頭痛と腹部痛があります。彼女の症状は変わりますので、私たちは次に何がおこるか全くわかりません。最近おこったことは、ほんのちょっとした動きによる息切れで、それはまるで階段を走って上ってきたようなのです。良い日と悪い日がありますが、この良い日とは、ワクチン前の悪い日と同等のものです。

診てもらった医者は誰も、ワクチンがエミリーの病気の原因であると信じているとは言いませんでしたが、誰も完全に否定してはいませんでした。すべての符牒が合ったあの朝から、私には、エミリーの問題がサーバリックスワクチン接種の直接の結果であるとことへの疑いは全くありませんでした。他の親と話したりワクチンのことを調べてみると、それはただ私が既に知っていることを確認しただけでした。

最近エミリーの学校の出席記録を要請した時、最終的な確証を得ました。私は、エミリーは1回目の接種は大丈夫だったと思っていたのですが、最初の接種の3週間後の週に1日学校を休み、その次の週3日休みました。2回目の接種の3週間後に、3週間とても具合が悪かったのです。3回目の接種の3週間後に、私たちは休暇の旅行中でしたが、その間じゅう、娘は疲れて、無気力で、感情的で、不機嫌でした。

接種と症状の間の3週間の遅れのため、ワクチンと反応を結び付けることができませんでしたので、娘は3回の接種すべてを受けることになったのです。一体何人の親が関連を見つけられず、何人の医者がその関連を見つけられないでいるのでしょうか?もし両親がそれぞれのワクチン接種の後の6ヶ月の健康問題のすべて報告したら、ワクチンの有害反応はどんな風に見えるでしょうか?

これらの副作用が実際にそうであった重度と長時間で現れることを私たちは警告されていません。また、副作用が明らかに起きるまで何週間もかかり、それが起きたとき報告すべきだとは警告されていません。いつ、グラクソスミスクライン社がこの情報を少女、両親、医師、看護士から隠していたことに責任があるとされるでしょうか? もし更なる捜査なしにこれが続くのだとしたらそれは本当にスキャンダルです。

少女たちは答えを必要としています。家族も答えを必要としています。この痛みと苦しみは、おしまいにしなくてはなりません。

2012年5月9日
近況

最近のエミリーの病状について エミリーは去年少し改善していたように思われましたが、残念なことに、「普通」の生活を維持しようと努力したことで逆戻りし、彼女の健康はかなり悪化しました。娘は、神経病のME(筋痛性脳脊髄炎)と診断され、多くの専門医はMEがワクチンによって引き起こされる可能性があると受け入れましたが、どの医者もすすんで、娘の病気がHPVワクチンに起因するものであるとはしませんでした。病気の効果的な治療や完治がないと言われました。私たちはただ、娘が「脱皮」することを願うだけです。現在、エミリーは1日2時間だけ学校に通っており、競技ダンスとスポーツはあきらめ、たいていはかなりの痛みを感じています。彼女は定期的に消耗、喉の痛み、頭痛、息切れ、胸部痛、めまい、腹痛、関節痛、筋肉痛、不眠、短期記憶の劣化、意識の朦朧、集中と情報吸収の困難に耐えなくてはなりません。ティーンとしての喜びは彼女の生活からはかなり取り去られてしまいましたが、彼女は微笑み続け、すこししか不平を言いません。彼女の考えでは、もし痛みや病気のたびに不平を言っていたら、話すことはそれだけになってしまうからだということです!私は娘のこの態度と強さと肯定的な考えをとても誇りに思っていますが、彼女がこんな体験をしなくてはいけないことに悲嘆しています。私は、HPVワクチン接種の後に同じ荒廃を経験している多くの親と娘さんたちのことを思っています。そして、いつか政府と医者が正気づくことを祈っています。

症例(サーバリックス)9 イギリス ケイティ

2013-08-09 | サーバリックス症例
私の娘とサーバリックスとME/CFS:偶然の一致か?

英文へのリンク

英国、アプトン・アポン・セヴァーン

キャロル・グリーン記

筋通性脳脊髄炎 (ME)/慢性疲労症候群 (CFS)は、主に脳, 胃腸,免疫, 内分泌および心臓系の機能障害に関連した多数の症状を伴う重度の, 複雑な, 後天性の病気です。私たち家族は、15歳の娘を子宮頸がんから「守る」ためにサーバリックスを予防接種した後に、特にこの疾患にこれほど精通するとは考えても見ませんでした。

2009年にケイティがサーバリックス予防接種を受けた時, 彼女は15歳でハンリー・キャッスル高校でGCSE(中学終了時試験)を受ける学年でした。学校での成績はとてもよく、高い評価を達成しており、将来は大学に進学することを希望していました。ワクチン接種前は、とても体力があり、地域のラグビーチームの一員で、ブリストルの18歳以下のラグビーのための特別強化クラブに通っており、イギリスの18歳以下のラグビーチームの選抜トライアルも受けていました。娘は、州の女子クリケットチームの一員でもありました。

2回目のサーバリックス接種の即効

翌朝、ケイティは寝坊したので、私たちが起さなくてはなりませんでした。彼女はひどくふらふらで、吐き気とめまいがありました。しかもおねしょをしていました!この時点ではまだ食べることはできましたが、食べるたびに吐き気がしていました。注射の部位には大きくて赤いしこりができていました。そのサイズは半熟卵と同じ程でした(これは、1回目のワクチン接種の後のしこりの3倍の大きさでした)。これらの症状のすべてはワクチンの説明書に書いてありましたので、私たちはケイティがじき回復するであろうと思っていました。

残念ながら、翌週学校へ無理をして通ったところ,症状はさらに悪化しました。 重度の眩暈があってほとんど歩くことができませんでした。目は焦点を合わすことができず (特に字を読もうとしたとき), 彼女はとてもひどく吐き気がして極度に疲れていたので、少量の裏ごしした食べ物を食べることが出来るだけでした。この時点で、私たちは担当の一般医のところへ行き、すぐに病院へ行くようにいわれました。広範な検査にもかかわらず、原因を見つけることができず,ケイティは家に戻されました。

2011年に免疫学・感染症の専門医により、ME/CFS の診断が最終的に確認されました。

ワクチン接種の持続効果

ケイティの生活は、ME/CFSにより深刻な影響を受けました。少なくとも最初の3ヶ月は家から出られず、少なくとも5ヶ月は、ほとんど歩くことが出来ず、食事もミキサーにかけなくては食べられませんでした。エネルギーがなくて日中のほとんどを安静にしてすごし、毎日数時間眠っていました。 ケイティは説明不能な様々な痛みに断続的に苦しんでいました―関節、腹部、片頭痛、それらは以前には一度も経験したことがありませんでした。2011年の1月と2月の間、彼女はとても悪くなりました。極度の不眠症で完全に疲労困憊していました。全く何もできませんでした!

今は、ワクチン接種直後よりも、軽い歩行や買い物など、身体的にはより多くのことができるようになりました。けれどもたくさんしすぎると、次の日やその後にかけて疲労がでます。学校に戻ろうとしましたが (ハンリー・キャッスルの大学入試のためのコース), 対処できませんでした。集中することが難しく、特定の単語を記憶することが難しく、精神的な要求が大きいときは本当に疲れを感じるようになっていました。結局、2012年に3回目のコースへの復学を試みた後、2週間で娘の病状がとても悪化したので止めるように担当医から忠告されました。

現在:

目下,娘は雇用保護給付を受けていますが、労働年金省による最近の医療査定では、担当医による裏づけがあるにもかかわらず、彼女が仕事できない医療理由がないと決定されました。その後、私たちは決定を不服として訴えており、法廷に行かなくてはならないでしょう。

また、私たちはワクチン障害補償の請求を提出しましたが、それは却下されました。 私たちは依然、上訴を提出するプロセス中ですが、私たちの弁護士が必要な因果関係を証明することができないと決定したことで遅れています (時間的関連と一般医からの手紙があるにもかかわらずです)。自分たちだけでこのことを遂行することは完全にお手上げだと感じて、私たちの地域の国会議員であるハリエット・ボールドウィンに相談しました。

症例(サーバリックス)6 イギリス ルーシー

2013-08-06 | サーバリックス症例
サーバリックス後症候群

ルーシー
英国在住

スティーブ・ヒンクス記す

私たちの娘のルーシーは、MMR(麻疹、おたふく風邪、風疹)混合ワクチンを接種した週に麻疹にかかりました。その週末に、髄膜炎の疑いで病院の隔離病棟に入院しました。数週間後、首のリンパ節が腫れ、その腫れは手術で取り除くまで続きました。そのため、娘が学校からHPVワクチン接種の同意書を持ってきたとき、娘の母親も父親である私も、3回の接種を受ける許可を与えることに気が進みませんでした。

けれども、私の妻は学校の看護士と話して、サーバリックスが、以前ルーシーがひどく反応したMMRワクチンのようではなく、ほぼ安全であると納得したのです。看護士は、このワクチンが子宮頸がんから13歳の娘を守ることを強調しました。娘を安全に守ることに躊躇する親がいるでしょうか?

以前の否定的な経験を考えないことにして、私たちはルーシーがHPVワクチンの一連の接種を受ける同意を与えることに決めました。この決意が、その後私たちの生活に与えた衝撃の大きさなど、全く考えも及びませんでした。

サーバリックスの注射の前のルーシーは、左側の写真にあるような普通の健康な女性でした。学校の出席日数の記録も優秀であり、クラスでも成績上位でした。

(写真 のリンク)

サーバリックスの1回目と2回目の接種後、娘を2度ほど医者に連れて行かなくてはなりませんでした。娘は疲労感があり、インフルエンザのような症状がありました。そのような病状はルーシーにとっては珍しいことでしたが、みな心配するほどのものではないと思っていました。

2011年5月4日に、ルーシーは3回目で最後のサーバリックスの注射を受けました。接種してしばらくして、娘は母親に学校へ迎えに来て欲しいと電話してきました。ルーシーはインフルエンザにかかったみたいでとても疲れていると言っていました。にもかかわらず、娘は翌日学校へ行きました。試験期間中だったのです。その時は母親も私も、これが私たちの普通の生活の終わりの始まりであるとは思いもよりませんでした。

ルーシーの健康は、急激に悪化し始めました。娘に、持続性の偏頭痛、原因不明の疲労、関節および筋肉痛、異常な打撲傷、腹痛、記憶喪失、血行不良が起こり始めました。食欲をなくし、体重が減少し始めました。絶えず寒さを感じていました。私たちは娘を何度も病院に連れて行き、2回入院しました。

娘の不可解な症状の原因を誰も特定できませんでした。私たちが持ち合わせた唯一の手がかりは、ルーシーの最初の小児科専門医が担当の一般医に書いたメモ「この症状がHPVワクチンへの副反応であったと解明される可能性が少なからずあります」だけでした。

7月4日に、ルーシーは疲労で倒れ、再び医者に連れて行かなくてはなりませんでした。この時までに、体重はすでに6キログラム以上減っていました。娘の慢性的疲労は、コントロールできなくなっていました。ルーシーは1日23時間眠りはじめました。私たちは、流動食かフィージーウォーターを与えるためだけ十分な間、娘を起すことができましたが、それだけでした。数え切れないほど何度も、母親は夜中に目を覚ましてルーシーがまだ呼吸しているか確かめていました。

9月までに、ルーシーは昏睡状態のように眠るようになりました。続く13週間の間、娘は話すことも目を開けることもできませんでした。私たちは、親にとっての最悪の悪夢を体験していました。

ルーシーの新しい小児科専門医は、特別重度のCFS(慢性疲労症候群)/ME(筋痛性脳脊髄炎)ではないかと言いました。この病気のNHS(国民健康サービス)の標準的な治療方法は、段階的な運動療法(GET)と認知行動療法ですが、どちらの治療もルーシーが眠っている間に行うことはできません。

2011年のクリスマスの直前に、英国で最大のホメオパシー学校の副校長がルーシーを必ず良くすると約束して訪ねてきました。ルーシーは翌日目を覚ましました。それは私たちの眠り姫をハンサムな王子が起してくれた奇跡のようでした。

ホメオパシーの治療により、ルーシーは信じられないくらい良くなりました。数ヶ月ぶりに初めて、自分で食事できるようになりました。短い時間ですがテレビを見ることもインターネットを使うこともできます。娘が何ヶ月もの間、違う世界に生きているのを見たあと、これは私たちによって奇跡のようです。

私たちはまだ森の中をさまよっているのだということを忘れたわけではあありませんが、少なくとも今は娘がこれからも良くなっていくであろう希望があります。ルーシーの体重の減少は、依然大きな心配事です。娘は、減少した分を取り戻すために大変な苦労をしています。私たちの13歳の娘が、この記事の最初の写真から、右側の写真に変わるのをみてきました。

娘は、少なくとも一日に4回昼寝をしており、普通よりも長い時間眠っています。ルーシーの小児科専門医は、担当の一般医に、彼女の病状は「MEではなく、注射への反応である」と話しました。

信じられないかもしれませんが、上に述べたことが、HPVワクチンの後に私たちの生活に起きた変化のすべてではありません。

2012年の最初の数ヶ月の間、ルーシーは毎週精神科の顧問医師の診察を受けるよう言われました。この診察が役に立たないことがわかったとき、カウンセラーは、3~6ヶ月の鑑定のために精神病院棟に入院させようとしました。提案された施設を皆で訪問した時、そこの上級精神科専門医はここはルーシーにとってふさわしい場所ではないといいました。もちろん、私たちは、その意見に大賛成した。

ルーシーの病状は改善し続けていたので、6月に家族で旅行に行く計画を立て始めました。ルーシーの看護士、担当一般医、私営の顧問医師に相談したところ、皆、ルーシーは旅行へいくことができるほど健康になっており、旅行がいい影響を与えるであろうと賛成しました。ただ、娘の精神科顧問医師だけが賛成しませんでした。出発の数時間前に、私たちの家族は、社会福祉課と警察に通報されました。幸い、私たちには本当に必要であった休暇、それに行く許可を得ていたので、出発が数時間遅れただけですみました。もちろんかなりのストレスにはなりました。

旅行から戻って、3人以上の社会福祉課員が調査を行い、評価し、書面で社会福祉課が関与する必要が無いことを知らせてきました。手紙は9月に届きました。

これにもかかわらず、ちょうどクリスマスの前に、5月に始まった元々の調査がまだ続行中であり、病気を偽造または誘発している可能性を検討する話し合いの予定が数回組まれていることを知りました。これによりいかに多大な不必要なストレスが私たちの家族に与えられているか誰も想像できないのです。偽造などその可能性を疑うことすら信じられないことではないでしょうか?

私たちの娘は今も改善しています。減った体重も少しずつ増えています。9月には、昼寝をすることがなくなりました。ルーシーは、18ヶ月たって初めて、短時間ですが学校に戻れるようになりました。 娘がよくなるように一生懸命闘っているときに、一体誰が娘の病気を偽造したなどと考えることができるのでしょうか、成功するとわかりきった結果のために?

最後の結論として、もし、過去に戻って、娘にHPVワクチン接種の同意を与えた時の私たちの気持ちを変えることができるのなら、私たちはそのためならすべてをなげうつでしょう。

症例(サーバリックス)5 イギリス メガン

2013-08-05 | サーバリックス症例
サーバリックス後症候群:

メガン
英国エッセクス州ソープ・ル・ソケン在住、

母親記す

サーバリックスの衝撃?

メガンはいつもとても健康な子どもでした。妊娠中も出産時も何の問題もありませんでした。娘は普通に成長し、ときどき風邪をひく以外は病気になったことはありませんでした。メガンはとても活発な子どもでした。特にダンスが好きで、バレー、タップ、ジャズを3歳の頃から習っていました。週に5回ダンス教室に通い、バレーではつま先立ちさえできました。彼女の才能は、ダンスに限らず、学業でも優れていました。選択したすべての学科で成績上位クラスにいて、GCSE(中学終了時の資格テスト)ではA(80点以上)又はA*(90点以上)の成績を取るであろうと予想していました。メガンはたくさんの友だちがいました。それはHPVワクチンを接種するまでのことでした。

メガンの症状は、2回目のサーバリックス接種から数日たった2010年12月10日に始まりました。右手に卵形のしこりができました。しこりはあっという間に膨張して前腕に広がりました。蜂巣炎(蜂窩織炎)ではないかということで、コーチェスターの総合病院へ行きました。

抗生物質の静脈投与を数日間したあと退院しましたが、1週間後また戻ることになりました。抗生物質は効きませんでした。痛みを伴う腫れが腰部と右足首におこり、娘は車椅子を使うようになり、リウマチ専門医に診てもらうことになりました。医者の意見は、娘の症状は反応性滑膜炎・結節性紅斑によるものでなないかということでした。この時点で、メガンの疾患部は、全身に広がっていました。

ステロイドで治療しましたが、改善は見られず、ノフォーク・ノリッチ病院のケイト・アーモン医師に診察を受けることになりました。娘は入院して、様々なテスト、スキャン、X線、血液検査、組織診を行いましたが、どれも異常がありませんでした。娘はリハビリのため入院し続け、週末だけ家に戻ってきました。松葉杖を使って歩くことができる程度まで、脚の動きが戻りました。正式な診断にはまだ到っていません。入院中さえ、腫れは再発し続けてていました。

にもかかわらず、親がメガンを傷つけているとか、娘が自分でやっているとか非難されました。血液検査の結果の1つに、B型肝炎に陽性を示したものがあって、虐待がないかどうか、家族全員が血液検査を強いられました。この出来事は家族全員にとってとても衝撃的なことでした。私たちの血液検査の結果は陰性で、メガンの元のテスト結果は擬陽性だったのですが、謝罪はありませんでした。

2012年3月に私たちが言われたことは、医者にもメガンのどこが悪いのかわからないということでした。私たちが親として、「砂に線を引く(これ以上前に進まない)」べきであり、彼女の病気の原因を追究するのを止め、「娘にあるがままの生活を送らせる」べきだと示唆されました。また、娘に鬱病の症状があるので、心理学専門医に会いに行く方がよいのではないかとも示唆されました。

メガンは、コーチェスター病院で心理学専門医に診察を受けましたが、メガンが実際どれだけ落ち込んでいるのかを判断することができませんでした。

私たちは担当の一般医のところへ戻り、メガンの身体的な健康が全く改善していないのでなにかもっとできることはないか相談しました。担当の一般医は、リンカンシア州の医学部教授にアドバイスを求め、毛細管漏出症候群かもしれないと意見をもらいました。テルブタリンおよびアミノフィリンを試すように言われましたが、メガンの血液は薬剤を吸収しませんでした。治療有効レベルに達することがありませんでした。

とうとう,メガンは完全に精神的に衰弱しました。現在、娘は鬱病と診断され、小児精神科医の診察を受けており、抗鬱薬を処方されています。

目下、私たちは、なぜメガンの血液が薬剤を吸収しなかったのかに関して医学的なアドバイスを求めています。小児免疫学の顧問医師である、グレート・オーモンド・ストリート病院のゴールドブラット医師の診察を受けられないか頼みました。多分、彼なら助けることができるでしょう。

現在、メガンは、サーバリックスを受けてひっくり返った人生の3年目に入りました。彼女の健康は悪化しています。過去2年の間ほとんど学校に出席していないので、娘の教育にも問題がおこっています。友だちとの交流も途絶えました。かつて好きだったことすべてから遠ざかっています。

私たち家族全員が、医学専門家に寄せていた信頼をすべて失いました。完璧に健康だった子どもが、サーバリックスの2回目の注射の後のほんの数日後にいかにひどく具合が悪くなったかを言っても誰も話を聞こうとしませんでした。

私たちの家族にとって、HPVワクチンのリスクは、謳われている利得をはるかに超えていました。

症例(サーバリックス)4 イギリス ティーガン

2013-08-04 | サーバリックス症例
サーバリックス後症候群:
ティーガン
英国ケント州グレーブゼンド在住

ティーガンの母親記す

私たちの娘は、健康でハッピーで社交的な12歳の女の子でした。学校が大好きで、選択している学科では上位成績者のクラスでした。でも、それは、学校が主催したHPVワクチン接種プログラムに参加する前のことです。今は、私たちの家族は、まるで覚めない悪夢の中で暮らしているようです。

ティーガンは生まれた時は健康は赤ちゃんでした。3歳のときにギランバレー症候群で入院しましたが、幸い6ヶ月の間に順調に回復しました。6歳のとき,ティーガンは専門家に定期的に診てもらっていましたが、後に、アスペルガー症候群と診断されました。この診断は皆の注意を引くものでした。なぜなら、ティーガンには、不安感、食べ物の好き嫌いが激しいことや他のアスペルガーの子どもに特有とされる体質が認められていたからです。ティーガンのアスペルガーに拠る性質は、彼女の性格の一部として受け入れられていますので、娘は全体としては健康でした。

サーバリックス開始。2011年12月、ティーガンは学校で1回目のHPVワクチン注射を受けました。その晩、娘は気分が悪いと言っていました。めまいがし、お腹が痛く、のどに何か塊が引っ掛かっているような感じがすると言いました。尿検査の結果は異常無しでした。娘はまだハッピーで活発であったので、私たちは心配していませんでした。

1回目の接種のあとすぐに始まった腹痛はまだ治っていませんでしたが、ティーガンは2012年1月に2回目のサーバリックス注射を受けました。学校から帰宅した時、腕が本当に痛いと言っていました。翌朝早く、娘は気分がよくないと私のことを起しました。娘はインフルエンザのような症状があって、それは週末の間続きました。翌週の火曜日には少しよくなりましたが、まだ腹痛はあって、それは15~20分おきに波のように襲ってきました。

一般医は抗生物質のコースを処方しました。コースを終えたとき、2回目のコースを処方されました。しかしお腹の激痛は続きました。ティーガンは蒼白になり、髪が塊で抜けるようになりました。娘はほぼいつも力がなく、疲れ果てていました。担当の一般医は、娘を小児科医に診てもらうよう手配しました。 続く1年の間に、娘には以下の症状がみられました。

関節と筋肉の痛み
手、足、腕、脚にピリピリする感じおよび/またはしびれた感じ
主に脚にけいれん、睡眠中にも
便秘を伴った頻尿
継続的な頭痛とのどの痛み
心拍の増加および気を失いそうな気分やめまいの発症
呼吸困難
入眠が困難であるが、いつも疲れている
頻繁な吐き気
背痛と腹痛
不規則な月経周期

容易に想像がつくことですが、上に書いた症状が1年以上も続けば、大人であっても極度の不安や憂鬱を感じるものです。それが10代前半の女の子だったらどんなだか考えてみてください。ティーガンは友だちに会うことを止めました。かつて大好きだったことをすべて放棄しました。もう外出したくないと思っています。

娘は、総合病院でも何度か検査しました。すべて同じように始まりました。彼女の検診した医者は彼女の症状が不安に拠るものではないかと「示唆」します。「不安を感じるのはアスペルガーの患者にはよくあること」を私たちに思い出させようとしました。

親として、こういわれるのは特にイライラさせられます。なぜなら、ティーガンが憂鬱になる何ヶ月も前から、彼女の健康が悪化しているのを知っているからです。彼女が感じている不安感は、自分の身体に起きていることに恐れているからなのです。

娘の「不安」の向こうにあるものを見て、身体的症状の原因を調べるように医者を説得することは、本当に大変な闘いです。多数の検査をしましたが、今のところ具体的な診断がおりていません。現在、神経科医との診察の予約を待っているところです。私たちが望んでいることは、更に検査を続けて、なぜ膀胱がけいれんしているかの答えを見つけること、そして多分神経系の他の問題についても調べてもらうことです。

親として、私たちは国民医療サービス(NHS)にとても失望しています。誰もティーガンの苦しみを心配しているようではないし、彼女の症状を緊急に治療する必要性を感じていないのは確かです。

私たちが会った医者は皆、無頓着な態度であったように感じました。娘の苦しみがどんなに大きいかを何度説明しても、問題にされないようでした。娘の痛みは見てすぐわかることのようです。

何もできずに娘の健康が悪化するのをただ見ているだけの苦渋を何度説明しようとしても、問題にされないようです。医者たちは、私たち家族が受けている衝撃を心配している様子もありません。

私たちの要望は簡単なことです。誰かが、終わりの無いようにみえる痛みによる「不安」の向こう側にあるものをみて、痛みの原因をみつけること、ただそれだけです。サーバリックスの後に起こったこれらの医学的病状のすべてがなければ、「不安」もないでしょう。

私たちが望んでいることは、彼女の健康をHPVワクチン接種前まで戻して欲しいということだけです。

症例(サーバリックス)3 イギリス シャノン・スチュアート

2013-08-03 | サーバリックス症例
シャノン
スコットランド、インバネス州、インヴァガリー地方在住

シャノンの母親、リンダ・スチュアート記す

サーバリックスと強皮症?

英文へのリンク

サーバリックスの最後の注射からほんの数ヶ月の間に、娘が強皮症と診断されるなんて、親として思いもよりませんでした。私たちは、娘が子宮ガンの心配をしなくても良いようにとそう思っただけでした。以下は私たちが体験した事です。

シャノンは、男女の双子で、35週の未熟児でした。シャノンは生まれて数週間後に、先天的な幽門狭窄の治療のために手術を受けました。また、幼児のときは皮膚炎がありましたが、それ以外はいつも健康な子どもでした。

シャノンは生まれてからずっとスコットランドのハイランド地方にある小さな村に住んでいます。村の幼児グループ、幼稚園、小学校に通いました。成績が優秀な子どもでした。花粉症の発作がときどきありましたが、薬の服用で抑制できています。

シャノンは、子宮頸がんを予防するということでサーバリックスの3回の注射投与を2011年3月に始めました。最後のHPVワクチンの接種は2011年8月3日でした。その時は、私たちの生活がこんなに急に変わってしまうとは全く思いませんでした。

シャノンは、HPVワクチンの最後の接種の後の週に、シャノンが通うフォート・オーガスタスにある中学校Kilchuimenアカデミーの行事で、1週間ドイツに行きました。そこから戻った週に、学校で2階への階段を上っている途中で転びました。転んだ時に、階段のエッジに両膝をぶつけてしまいました。その日帰宅した時、何があったかを私に言い、膝をみせました。膝は両方とも少しだけ赤くなっていました。翌朝、娘は両膝が痛く、アザができていると不満そうでした。私が見たところ、左膝のアザは膝から太股まで広がっていました。

続く数週間の間、シャノンは、膝がちっともよくならないみたいだと何度も言っていました。そして、娘は、膝を曲げたり座ったりすることに難儀するようになりました。 転んだ時、膝に何かダメージを与えたのではないかと、私は思いはじめました。この時期までに、娘は朝ソックスをはいたり着替えたりすることが難しくなっていました。

私は娘を一般医に連れて行き、そこで血液検査をし、インバネスのRaigmore病院に予約を取ってもらいました。病院で、娘は6週間の理学療法を受けました。シャノンは教えられた運動の幾つかは何とかやってみましたが、残りの運動は痛みを残すだけでした。 この時期は、完全に疲労困憊して学校から戻り、紅茶をいれて自分の部屋に直行していました。数分後私が覗きに行くと、ぐっすり眠っていることもありました。

4月、近くのホテルで皿洗いのアルバイトを始めましたが、たったの6週間で止めなくてはなりませんでした。理由は、シャノンは長時間立っていることが困難になり、絶えず疲れるようになっていたからです。また、私たちは、娘の髪の毛が抜けてシャワーの排水口がいつも詰まっていることにも気がつきました。

2011年の夏は、シャノンはほとんど自分の部屋で、外の世界とのつながりを遮断するようにして、本を読むか眠るかして過ごしました。娘は生理周期がおかしくなることは今まで無かったのですが、4月に生理が止まりました。11月になってやっと生理が戻りましたが、量が異常でした。結局、多すぎる量をコントロールするために薬を服用しなくてはなりませんでした。それでも、通常の周期に戻るのに5ヶ月かかりました。このことに関しては、今のところ他に問題はでていません。

この時期までに、シャノンの疼痛がひどく、学校では体育の授業には出ませんでした(体育の先生がとても理解のある先生だったことを言い添えておきます)。その後、同じ一般医の所にもう一度行きましたら、最初の理学療法が成功とはいえなかったにもかかわらず、更に1コースの理学療法を受けるようにいわれました。

その診察予約の日を待っていた矢先、シャノンはナイフとフォークを持つこと、特に肉を切ることが上手くできなくなりました。ある日、晩御飯のとき、娘は泣き出して、両手を見せました。手は、カールし始めていました。娘は、握りこぶしにしたり、指をまっすぐに伸ばしたりすることができなくなっていました。また、肘の関節を完全に延ばすこともできませんでした。

この時には、私も夫もとても心配していました。もう一度一般医と話し合うために予約をしました。HPVワクチン接種の後にシャノンと似た症状になった女の子たちの記事も新聞で読みました。このことを一般医に話しました。医者はRaigmore病院に連絡をとって、小児科と整形外科での診察の予約を入れてくれました。

2011年の10月、私たちは休暇にトルコへ行きました。以前も海外旅行へは行ったことがあり、その時は何の問題もありませんでした。今回は、まず、4時間のフライトの間座っていることがシャノンには大変困難なことでした。脚が延ばせないので痛くて、娘は涙ぐんでいました。また、プールにはいるために水の中へ下りていくことができず、入る時も出るときも手伝ってもらわなくてはならず、彼女の年頃の女の子にとっては恥ずかしいことでした。私たちのホテルの部屋は2階にあって、下まで階段が15段ほどありました。シャノンは階段を上るときも、私たちの腕につかまらなくてはなりませんでした。戸外のラウンジまで下りることができず、ましてプールの滑り台などではとても遊べず、2週間のほとんどを、ホテルの受付ラウンジで本を読みながら過ごしました。急な階段を上ることなどできないので、ボドルム城への日帰り旅行すらできませんでした。

帰国した時、最初の診察予約は、整形外科医でした。彼は、これは思春期の子どもにはよくあることだといい、X線をとりましたが、その結果には異常が見られませんでした。ということは、シャノンの(手足の指など)他の関節にも問題が起こるであろうことが考えられました。整形外科医は何もすることができないと、診察を終了しました。

終に、Raigmore病院で小児科医の診察があり、娘は精密検査とさらに血液検査を受けました。2011年の12月に、シャノンはグラスゴーのYorkhill病院に紹介されました。到着してから数時間内に、娘は強皮症として知られる症状であると診断されました。これは子どもには大変珍しい病気です。その時点で、スコットランドで約20症例がありました。 5日後、無数の血液検査、心臓検査、肺検査、理学療法、手・指用副木の採寸と装着、そしてステロイド液剤の3日間の投薬の後、そのストレスが遂にシャノンを圧倒しそうになりました。

彼女自身の言葉で、 「何が問題なのかそしてどんな未来が待っているのかがわからないストレスに耐えることはとても辛いよ」と言っていました。

クリスマスの2日前に家に戻りました。シャノンが1週間の理学療法の集中コースのためRaigmoreに入院する前に、クリスマスと新年の祝日を有意義に過ごすことができました。その週の間に、リウマチ専門の看護士が割り当てられ、私たちに必要なことすべてを説明してくれました。

過去16ヶ月にわたって、シャノンの生活は劇的に変化しました。毎週あった血液検査は今は3ヶ月ごとになり、そのため血管を捜す苦労がなくなって安堵しています。水治療法は依然2週間毎、理学療法は一ヵ月毎、ただし娘が家で運動するかぎり。10代の子どもにとって、このスケジュールは厳しいものです。娘はときどき問題をおこしますが、幸い、小児科の理学療法士はとても優秀な人たちです。ステロイド剤は今は液剤ではなく錠剤で、Yorkhill病院のリウマチ専門医のデービッドソン先生に診てもらうたびに減量しています。メトトレキサートは今も週1回ですが、投薬は娘が減量しても大丈夫な時は減量しています。

以前の健康なティーンにとってこれは人生とはいえません。サーバリックスを接種する前には、シャノンは強皮症の症状はありませんでした。サーバリックスの注射がこれらの症状を引き起こしたという証拠はないと言われましたが、症状を引き起こさなかったという証拠を与えられたわけではありません。

これが私たちのストーリーです。サーバリックスのリスクと利益をご自分で判断することのお役に立てればと思います。