古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

〈ご褒美〉はそろそろ「年貢のおさめどき」かな。

2022年12月14日 15時20分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 毎年行ってる〈自分へのご褒美〉=「宮津で一泊・蟹の旅」を今年も段取りをつけて行きました。
 軽自動車の運転は、家から「上荒川」(パーキング・エリア)まではぼく/上荒川から「六人部」(むとべ)パーキング・エリアまでは道子さん/六人部から京都縦貫道の与謝野町⇒ホテルはぼくがしました。
 舞鶴道の私市古墳あたりは複線工事が完了していますが、京都縦貫道の綾部ジャンクションから宮津までは一車線です。ところどころ追い越し車線(登坂路線)がありますけど「車が詰まるのではないか」と気をつかいます。
 少し不安でも、まだ2,3年は縦貫道の運転はできそうです。しかし「京都縦貫道」の運転はもうやめます。行くとしたら列車で行きます。それに、近ごろの物価高で〈いい蟹〉になかなかありつけません。三木に引っ越してから、毎年必ずご褒美に宮津通いをしてきましたが、「もういいことにしようか」と思いました。
 次の写真は、ホテルの庭にできたカプセルです。このホテルも海辺にカプセルを置くようになりました。

 中海の向こうは「天橋立」です。若者向けのホテルです。こんなカプセルに泊まってみたい気もしますが、爺さん婆さんには似合いません。やめときます。でもうちの裏山にこんなカプセルがあってもいいかな。
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また新年〈音楽会〉のチケット。

2022年12月12日 17時34分33秒 | 古希からの田舎暮らし
 月曜日、道子さんの運転免許更新に出掛けることにしていました。でも「明石に行って、免許証を即日もらうか」/「小野警察署に行って一か月後に交付してもらうか」。久しぶりに明石に行ってみたい。明石の中学校に13年勤めたから、勝手知ったる街ですし。でも、年寄りはなるべく車の少ない道路を走るほうがいい。小野警察署なら田舎道を走るから大丈夫だ。

〇 エクラ・ホールの〈テレマン室内オーケストラ〉演奏会チケットを入手できるようなら小野警察署に行こう。
〇 チケットを入手できないようなら明石に行って、魚の棚で買い物をしよう。

 ということでエクラ・ホールに電話してみたら〈チケット・OK〉でした。早速出掛けて事務所でチケットを入手しました。これでモーツアルトのあの曲を聴けます。演奏会であの曲を聴く最後の機会になるでしょう。たのしみに待ちます。
 チラシを見るとテレマンの演奏会の一週間前に、ハープの演奏会があります。ハープの演奏会といえば、兵庫芸文センターで吉野直子のパープを聴いたことがあります。きれいな音楽でした。
 ハープを聴くのもいいなあ。小野なら車で出掛けるのも安心だ。このチケットも入手できました。2週つづけて日曜日に、小野市に出掛けます。

 チラシをドアに貼ってたのしみに待ちます。午後は外仕事をするつもりでしたが、昼寝をして今日の仕事はおしまい。
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〈メリー・クリスマロ!!〉音楽会へようこそ!

2022年12月11日 20時35分44秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は、響きのいいコスミック・ホールで音楽会がありました。
 NHK交響楽団(N響)のコンサート・マスター篠崎史紀(マロ)さんのバイオリン演奏です。〈マロ〉さんがN響のコンサートマスターになったのは1997年。もう25年になります。いまや「N響の顔」として世界的に有名です。その篠崎さんが、片田舎の〈コスミックホール〉を気に入って、毎年演奏会をしてくださる。
 ありがたいことです。今日はピアノ伴奏で、たのしい曲を聴きました。席は前から二列目。〈かぶりつき〉です。バイオリンの音色が美しく聴けました。
 受付でもらった音楽会のチラシに「テレマン・アンサンブル」の演奏会がありました。小野のエクラ・ホールであります。これなら聴きに行けます。明日チケットを問い合わせてみます。
 神戸にいた頃は、テレマン・アンサンブルの演奏会によく行きました。外国人クラブでの演奏会、異人館での演奏会、山手教会での演奏会、博物館での演奏会、国際会館での演奏会、中学校への出張演奏会もありました。
 いまでも、兵庫芸文センターではテレマン・アンサンブルの演奏会がありますが、もう西宮北口まで出ていくのがしんどい。小野市のエクラホールだったら車で30分以内に行ける。
 テレマン・アンサンブルの指揮者・延原さんは自分でも「口から生まれてきた」というように「おしゃべりが好きで、おもしろい」人です。彼のおしゃべりがたのしみです。演奏曲目に「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」(モーツアルト)が入ってます。昭和26年、鳥取県の田舎町の中学校で、音楽の時間に、はじめて聞いたクラシック音楽です。
 この音楽で、ぼくは「クラシック好き」になりました。いまでも「アイネ・クライネ・……」が聞こえてくると、はじめて聴いたときの感動がよみがえります。
 
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道子さん運転免許更新/東条ルミナリエ点灯!

2022年12月09日 20時55分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 もうすぐ81歳になる道子さんが、運転免許更新のテストを受けました。
昨年までは「自動車学校で認知症テスト」 ⇒ 「認知症テストは公安委員会に送って採点する」 ⇒ 「テストに合格した通知を公安委員会から送る」 ⇒ 「合格した老人が自動車学校で高齢者講習を受ける」 でした。
 しかし、簡単なテストをわざわざ公安委員会で採点して合格通知を送る ⇒ また自動車学校に行って高齢者講習を受ける。二度手間のバカバカしい形式主義です。今年は以前のように、テスト/採点/高齢者講習/が一つにまとめられました。
 ぼくは自動車学校に送っていき、3時間待機ました。道子さんは無事に合格し、実技講習もうまくいき、あとは免許証を、明石か、小野警察で、更新してもらうだけです。83歳まで運転できます。
 やれやれ、高齢者の一つの関門を通過しました。

 スーパーで買い物して、うす暗くなったので南山西の『東条ルミナリエ』に寄ることにしました。住宅街の奥に、立派なクリスマス・イルミネーションをしている個人宅があるのです。「門内に自由に入って見てください」と札が立っています。

 クリスマスにちなんだ置き物がいっぱいです。スノーマンが大きい。
 横の空き地にも。

「このトンネルをくぐって自由にお入りください」大らかな感じがうれしいです。

 年末まで自由に見れるようですから、また来ます。あったかい服装で。
 ※ 「東条ルミナリエ」は道子さんとぼくだけが勝手に呼んでいる名称です。
 

 
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寒い日は〈たき火〉ですね。

2022年12月08日 17時00分49秒 | 古希からの田舎暮らし
 外には出たけど「寒い!」。こんな日は〈たき火〉にかぎります。今日は〈焼き芋〉しません。でもたき火はしたい。
 たき火場に出て、火を燃やしました。
 ウッドデッキをこわした材木と、イチゴ・ネットハウスをこわした材木が、いっぱいあります。火にあたろうと燃やしました。落ち葉と燃えやすい竹に火をつけて、材木を燃やすのです。しかし材木はすぐには燃えません。ちょっと苦労します。でも〈燃えさし〉の材木に石油をちょっと垂らして火を点けると、すぐに炎があがります。
 そうだ! 材木は燃えあがるまでに苦労するけど〈燃えさし〉をつかえばいい。4本くらいの〈燃えさし〉に材木をのせて火をつければ燃えてくれる。この冬はたき火も焼き芋もやるつもりだ。〈燃えさし〉を作っておこう。

 たき火に材木をつぎつぎのせて、燃えさしをつくりました。
 燃えあがる材木は、引き出して水をかけます。表面は炭のようになっています。それをためていきました。

 これでたき火が、らくらくできます。
 
 大沢在昌という作家は〈ハードボイルド/冒険/推理〉小説を書く作家です。最近紫綬褒章ともらったとかで、話題になっていました。名前だけは図書館の本棚で目にするのですが、いままで読んだことがありませんでした。先日気が向いて『やぶへび』という小説を一冊借りてきました。
 読みはじめたらおもしろい。300ページ超の小説を1日で読んでしまいました。ぼくにしてははやい。集中して読んだものだ。でも正体不明の人物がつぎつぎ出てきて、暴力をふるったり、だましたり、それが複雑にからみ合う。「こうだろうな」と読みすすめると全然違う展開になる。味方が敵になったりする。
 年寄りがテレビの『水戸黄門』とか『暴れん坊将軍』を安心してみるのがわかります。時代劇は出てくる役者が「エエモン」「ワルモン」と名札をつけているようなものです。顔でわかる。安心して見れる。あまり単純でも困るけど、あまり複雑でもおもしろくない。
 ぼくは/池波正太郎/鳥羽亮/程度がいいです。
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室外機の上にもプランターを。

2022年12月06日 17時12分03秒 | 古希からの田舎暮らし
 ホームセンター・ナフコの資材館に、6センチ角の桧材(長さ1メートル)が数本売ってありました。だれかが6センチ角4メートルの柱を買い、3メートルに切って持ち帰った。残りの1メートルが廃材として1本200円で売られてる。安い!
 ナフコでは、木材が廃材として売ってあることがあり、ときどき買います。先日は「6センチ角・1メートルの角材」を5本買ってかえりました。5本で1000円。安い買い物です。
 道子さんに「室外機の上にプランターを置きたい」といわれていたので、その材木でプランター台をつくりました。

 杉板にはキシラデコールを塗りました。5年以上もつと思います。

 午後は寒いし「外に出るのはイヤだな」と思っていました。そこへ宅急便「べにはるか」が届きました。焼き芋用の芋がなくなって注文していたのです。〈たき火〉をするのはのぞむところだ。前はMサイズの芋だったけど今度は2Lサイズを注文していました。「よーし、たき火をするぞ!」裏山に出て、たき火/焼き芋/落ち葉掃除/をしました。
 寒くなってムシがいなくなったのか、バードフィーダーにスズメがかえってきました。アオジ/シロハラ/はまだですが、ジョウビタキの姿は見たし、もうすぐかえってくるでしょう。
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『戦艦大和日記』について

2022年12月05日 17時55分10秒 | 古希からの田舎暮らし
『戦艦大和日記』を第四巻まで読んだので、第五巻・第六巻を借りに図書館に行きました。第五巻は昭和15年5月から昭和16年10月10日までです。超怒級の戦艦「大和」がいよいよ完成します。
 戦争を避けたい昭和天皇と軍部の板挟みになって、近衛文麿は内閣を投げ出します。そして東条英機が首相になる直前までのことが書いてあります。東条英機は10月18日に首相になります。
 本の裏の広告では第六巻で完結するようです。第六巻を予約しようとしました。いろいろ調べてもらいましたが、第六巻は出版社の都合で未刊のようです。早川暁は2017年に88歳で亡くなっていますけど、原稿はできている筈です。
 残念だけど、第五巻は読みます。

 毎年12月には、自分へのご褒美として宮津に「一泊の蟹旅行」をしています。コロナでワクチンとかPCR検査とかあるみたいで、まだはっきりしません。コロナで残念です。

  
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落ち葉掃除・焼き芋

2022年12月04日 19時11分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山の〈落ち葉〉は、毎年12月の中頃まで落ちますが、今年は早めのようです。
 今日は、たき火まわりの落ち葉を掃除しながら〈焼き芋〉をしました。晩秋というか初冬というか、なんとなくしんみりするようなたき火です。

 写真には写っていませんが、落ち葉は相当に積もっています。焼き芋のダッチオーブンをおろした後、落ち葉をしっかり燃やしました。燃やしても燃やしても山のように落ち葉があります。

 吉村昭の『東京の戦争』という本を読みました。(2001年7月発行 筑摩書房)
 吉村昭は昭和2年生れです。ぼくより10歳年上で、敗戦のときは18歳でした。彼はあの戦争のとき、東京に住んでいました。中学生時代に東京大空襲を体験し、あの戦争のいろんな庶民の生活を見てきました。それを50年あとにも、きっちり蘇らせるように書いています。
 ぼくは60歳代の頃、いろんな人に〈満蒙開拓青少年義勇軍〉のことを〈聞き取り〉しました。三木市にお住まいだった方に開拓団のことをうかがったとき、こんな話をされました。彼は敗戦間際の「ソ連の満州侵攻」のとき開拓団から20代の若者として召集され、シベリヤに連行され、数年後に無事に帰国できました。満蒙開拓/シベリア抑留/の体験をずっと語っておられます。
 彼より年下の〈満蒙開拓青少年義勇軍〉のことをたずねたら、こんな話をされました。

「あの10代の頃に開拓団を体験した少年の話は、伝える力があります。話を聞いていると、その場面が映画みたいに壁に写るんです。ワシらの話はだらだら説明するようになりますけど、少年だった人の話は不思議な力がありますなあ」

 吉村昭の書く『東京の戦争』は大げさでもないし、誇張もしていません。それなのにこちらに迫る力があります。昭和20年3月10日の「東京大空襲」のあとの、自分の身近にあった空襲の記述です。

 しかし、或る夜、私は死の恐怖を味わった。
 例のごとく遠くの夜空をB29の編隊が進んでいたが、一機が火を発し、編隊からおくれて右に旋回しながら下降しはじめた。私の周囲には工場の人たちがいて、私は炎につつまれて弧をえがきながら落ちてゆく機を見つめた。
 しかし、その進む方向を眼にした私は狼狽した。地上近くまで落ちてきた機が、こちらに機首をむけ急接近してくる。しかも、機は地上に今にも接触するように真正面から近づいてきた。
 私は、人々とともに道に伏せた。轟音と炎の驚くほどの明るさが体をつつみこみ、激しい突風が巻き上がり、しかもそれは熱く、背の上を過ぎた。その直後、すさまじい爆発音とともに目を閉じた瞼の裏が赤くなった。
 私は、死をまぬがれたのを知り、身を起こして立ちあがった。路上に立つ男たちの顔は蒼白で、私も同じ表情をしていたにちがいなかった。
 機は至近距離に落ちたと思っていたが、500メートル以上もはなれた畠に墜落し、さかんに炎をあげていた。男たちは、もうだめだと思ったという言葉を、ふるえをおびた声でしきりに繰返していた。

 自分の体験したことを50年後に書いて、これだけ伝える力がある。少年時代の感受力のつよさをおもいます。
 少年時代のことを、おそらくぼくも、生のおわるまでもちつづけて生きるんだろうな。


 
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ベスト・ボードを張りました。

2022年12月03日 17時58分39秒 | 古希からの田舎暮らし
 テント・ハウスは我が家の野外応接室です。完全な野外でなく、テントの屋根があるといい。もう3年9カ月利用しています。塗装コンパネの床がいたんできたので「どうするか」思案していましたが、ベスト・ボードを張ることにしました。
 今日はその工事をしました。

 外は寒い。たき火をしました。先日の雨で「うまく燃えるか」。よく燃えて、ときどき火にあたりながら仕事ができました。四畳半のコンパネと同じサイズと思っていたのですが、ちょっと大きい。手間どりました。
 継ぎ目はピッチリ合わせました。でもアルミテープを貼ったほうがいいかな。

 早川暁の『戦艦大和日記』は第四巻を読みおわりました。第四巻の最後は、日付「昭和15年5月18日」のことが書いてあります。これからまだいろいろあって、昭和16年秋には東条英機が首相になり、戦争がはじまり、昭和20年4月に、「大和」は沖縄に戦艦として特攻し、沈没するまで長い話になります。全五巻と思ってましたが、第六巻もあるみたいです。
 腰をすえて読みます。
 
 
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10リットルの「灯油タンク」がありました。

2022年12月02日 22時18分14秒 | 古希からの田舎暮らし
 我が家は暖房器具として〈石油ファンヒーター〉を2台つかっています。寒くなると灯油を買います。容器は一般的な18リットルのポリタンクです。なお、停電でも暖をとれるように石油ストーブも倉庫に置いてます。
 先日、セルフのガソリンスタンドで、二つの18リットルタンクに灯油を買いました。これを自動車の後ろに積むのですが、一人では重い。道子さんと二人で持ち上げて積みました。
「灯油のタンクが重い歳になった。もっと年寄りになると、18リットルタンクは無理だ。10リットルタンクがあればいいな」。12月1日にホームセンターに買い物に出たとき、灯油タンクの売り場をみました。20リットル・タンクはあるけど10リットル・タンクはありません。

 今日は道子さんの運転で、東条のコーナン・ホームセンターに買い物に行きました。なんと、10リットルの灯油タンクが売ってあります。買わなかったけど、家に帰ってから道子さんに話したら、彼女もこのタンクに目をつけたそうで「あのタンクを四つ買おうよ」といいます。
 そうだなあ。世の中は、だんだん高齢者対応社会になるんだなあ。
 生かされているうちは、高齢者対応社会に感謝して生きます。
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〈テント・ハウス〉をベスト・ボードの床にします。

2022年12月01日 17時29分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日つくった棚にニスを塗り、台所の窓につけました。

 簡単な造作ですが、この16年思いつかなかったことです。これでちょっと使いやすくなるかな。

 裏山への上り口の〈テント・ハウス〉をつくったのは2020年3月2日でした。前年3月に母が百歳超(105歳)で逝き、7月には膝の手術をし、痛みなしに動けるようになって、大工仕事をしたのでした。
 テントは一年でダメになり、新しく買いました。それも一年で破れてしまい、テントの布だけを今年新調しました。〈コロナ騒ぎ〉とかさなりましたが、お客さんがあっても屋外の応接場所といてよく使いました。
 床は〈塗装コンパネ〉を張りました。雨が吹き込んでも平気でした。しかし3年もするとコンパネが風雨でいたんできます。このままだと来年は床がブヨブヨしてくるでしょう。あまり手を加えることなく今後5年くらいは使いたい。
 コンパネをはがすことなく、上から丈夫なパネルを張る。その方法を思案しました。で、結論は『ベストボード』を張る。
 いまはコンパネも値が上がっています。〈ベストボード〉も少し高くつきますが、5年くらいは大丈夫でしょう。テントハウスは四畳半の床です。

 軽トラで買いに出ました。明日施工します。

 道子さんの運転免許更新がせまってきました。ふだんはぼくのほうが運転してしまいます。でも高齢者講習を受けないといけません。そこで今日から運転になれることにしました。家からローソンのほうに走り、冷泉橋を渡って、桃津 ⇒ 高篠 ⇒ 蓮華寺 ⇒ 馬場 ⇒ 東 ⇒ 保木 ⇒ 南畑 ⇒ 殿畑の信号で20号線を家に帰る。しばらく毎日練習します。
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