古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

〈ひとの死〉を厳粛に胸にうけとめる

2022年03月04日 03時24分27秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日も『小説 東条英機と米内光政』を読んで一日を過ごしました。上下巻で1000ページ近い大部な本で、読むのに時間がかかります。今日読んだところで「〈ひとの死〉を厳粛に、深く、うけとめよう」と思いました。その部分を引用します。


(昭和20年)4月12日、ルーズベルト米大統領が脳溢血のため急死した。
 チャーチル、スターリンとの三首脳によるヤルタ会談の疲労が蓄積していたらしい。
 ソ連軍はウィーン、ベルリンにせまっていた。追いつめられていたヒトラーは、ルーズベルトの死をきいて狂喜し、
「運命は史上最大の戦争犯罪人を地上から消し去った。戦争の転回点がきたのだ」
 と全軍に檄をとばした。
 対照的に(日本=大日本帝国の)鈴木首相の談話は格調高かった。
「大国の大統領閣下の死去にたいして、深甚なる哀悼の意を表する」
 同盟通信の記者が世界に配信した。ヨーロッパで最悪だった日本の評判が、おかげでほんの少々もちなおした。


 戦争相手国の大統領が急死したら、なにかののしりたくなる。ヒトラーでなくても。それを「哀悼の意を表する」と伝えるのは〈人間の品位〉です。「一人の人間の死」を、その人の全生涯の重さを感じながら胸にうけとめることです。ぼくは、そんなところが安易に流れてはいなかったか。反省しました。
 84歳ともなると、先輩/同年配の仲間/後輩/親や兄弟/身近な人/が、つぎつぎと亡くなります。それを「あいつも死んだか」「オレもそろそろだな」と、ふわついた調子で思っていなかったか。自分の生きてきた時間は、そんなに軽いのか。他の人の死も同じです。その重さを感じようとする人間でありたい。
 ひとはみな、いずれ、かならず、死にます。その生きてきた道・そして死を真っすぐ見つめる「ひと」でありたい。
 そんなことを思いました。
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