古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

太腿の痛みは完治しました。

2020年06月27日 01時25分36秒 | 古希からの田舎暮らし
 金曜日に病院で診てもらい、太腿の痛みはとりあえず完治しました。「血流をよくする薬/痛み止め/なんかで治るものか」と思っていたのに2週間ほどで痛みは消えました。診てもらってから一カ月で、今日は完治と言われました。念のため半月分ほど薬はもらいましたけど。
 病院からの帰り、昼食は旧国鉄三木駅の売店で食べました。

 駅舎は残っていて、記念公園になっています。「ここも倉吉駅と同じだろうな」と思いました。三木駅ができたのは1911年=明治44年。全国に鉄道が敷かれたときより後になってからでしょう。三木は城下町でした。このあたりの中心の町で、住んでた人も多かったでしょう。でもこの辺の大地主が「蒸気機関車が走ると米のできがわるくなる」と線路を敷くのをイヤがった。そこで加古川線は三木を避けて線路を敷いた。あとで列車がないと不便で、三木線をつけた。篠山も多分、同じでしょう。田んぼの中を篠山まで線路をつけると、米のできがわるくなる。それで田んぼの中に篠山口という駅を作り、後で篠山線を作った。
 倉吉線も「上井」という駅を田んぼの真ん中に作った。後で倉吉線をつけた。いまでは「上井」⇒「倉吉」になり、町も上井中心に開けて、倉吉の旧市街はゴーストタウンの雰囲気です。
 こんな話は全国にあるでしょう。すべて廃線になっています。
午後は昼寝のあと、裏山の芝生草刈りをしました。

 バッテリーの草刈り機になってから気軽にやる気が出ます。ガソリンを混合油にして草刈り機に入れ、ヒモを何度か引っ張ってエンジンをかける。あの作業は結構わずらわしい。一度ではかからないから数回、多ければ10回超ヒモを引っ張ります。エンジンがかかってから、ベルトを肩にかけます。
 「草刈りしよう」という気持ちがずいぶん楽になりました。
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