飢餓とは無縁だね
あるテレビ番組で、「ワーキングプア、年収200万円以下で生活に苦しんでいる人たち」というナレーションが聞こえてきて、私もここ10年ずっとワーキングプアなので、本当にそうだなぁ、妙に実感がこもっているなぁ~と何だか悲しくなりましたが、それよりも、変な日本語アレルギーの私ですから、これが日本語としてちゃんと成立していないことが気になります。
「生活」の意味は、この世の中に生きて活動すること、収入を得て暮らしていくこと。「生活が苦しい」とは言いますが、「生活に苦しむ」とは言いません。生活そのものに苦しむなんて、つらすぎます。例えば、借金の返済に苦しむとか、具合が悪くてもお金がないから病院に行けなくて、病(やまい、体調不良)に苦しむとか、節約のために食事の回数を減らさざるをえなくて飢餓(空腹感)に苦しむとか、具体的に「~に苦しむ」という言い方をしますね。
「ワーキングプア、年収200万円以下で、生活が苦しい人たち」もしくは「苦しい生活を強いられている人たち」という表現になると思いますが、ただ、この番組にワーキングプアだということでゲスト出演していた人たちは、そこまでは苦しんでいないようで、お金がないから彼女ができないとか、スキルアップのための勉強が思うようにできないとか、そういうレベルだったと思います。それでなぜ「生活に苦しんでいる人たち」などという表現が出てきたのか、理解に苦しみます。
あるテレビ番組で、「ワーキングプア、年収200万円以下で生活に苦しんでいる人たち」というナレーションが聞こえてきて、私もここ10年ずっとワーキングプアなので、本当にそうだなぁ、妙に実感がこもっているなぁ~と何だか悲しくなりましたが、それよりも、変な日本語アレルギーの私ですから、これが日本語としてちゃんと成立していないことが気になります。
「生活」の意味は、この世の中に生きて活動すること、収入を得て暮らしていくこと。「生活が苦しい」とは言いますが、「生活に苦しむ」とは言いません。生活そのものに苦しむなんて、つらすぎます。例えば、借金の返済に苦しむとか、具合が悪くてもお金がないから病院に行けなくて、病(やまい、体調不良)に苦しむとか、節約のために食事の回数を減らさざるをえなくて飢餓(空腹感)に苦しむとか、具体的に「~に苦しむ」という言い方をしますね。
「ワーキングプア、年収200万円以下で、生活が苦しい人たち」もしくは「苦しい生活を強いられている人たち」という表現になると思いますが、ただ、この番組にワーキングプアだということでゲスト出演していた人たちは、そこまでは苦しんでいないようで、お金がないから彼女ができないとか、スキルアップのための勉強が思うようにできないとか、そういうレベルだったと思います。それでなぜ「生活に苦しんでいる人たち」などという表現が出てきたのか、理解に苦しみます。