日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ハウスウェアとファッションは、違うのだけれど・・・ニトリのアパレル参入

2019-12-30 20:48:54 | ビジネス

Yahoo!のトピックスに「ニトリの女性向けアパレル事業参入」記事が取り上げられていた。
この記事を読んだとき、「リスクを冒してまで参入する事業かな?」という、気がした。
北海道新聞:ニトリ、女性向けアパレル参入検討 関東に実験店 開発、製造も視野

色々調べてみると、ニトリは既に婦人服のネット通販事業を始めているようだ。
流通ニュース:ニトリ/レティスアパレルブランド「エヌプラス」通販サイト開始

この「エヌプラス」という通販サイトが今年の10月から始まったことを考えると、ECサイトでの売り上げがそこそこあったので、本格的にアパレル事業に参入ということを考えたのでは?と、想像できる。
しかも「開発や製造も視野に入れている」となると、ライバルとなる企業はファーストリテイリング=「ユニクロ」もしくは「しまむら」ということになるだろう。

ご存じの通り、今アパレル業界そのものはとても厳しい状況にある。
「フォーエバー21」や「オールドネイビー」など、海外のブランドも次々と撤退し、国内アパレル企業ですらブランドの整理などを始めている。
日経新聞:オンワード、低採算ブランド廃止検討 600店閉鎖へ

このような状況の中で、ニトリが新規にブランドを立ち上げアパレル事業に参入するというのは、相当なリスクがあると言っても過言ではないと思う。
にもかかわらず、参入するのはなぜだろう?

一つ考えられるのは、「ハウスウェア」という分野だ。
実際ニトリが現在扱っている家具やキッチン用品などと関連性のある関連アパレルとなると、「ハウスウェア」と呼ばれるパジャマや部屋着などだ。
何より、この「ハウスウェア」という分野(というほど大袈裟ではないが)に関しては、ユニクロなども力を入れているという印象は無い。
それだけではなく、定期的に送られてくる老舗通販会社のカタログなどを見るたびに、最近の「ハウスウェア」と言っても、チョッとご近所に出かける時に恥ずかしくない程度のファッション性が、求められるようになってきている、と感じる。
むしろ、「ハウスウェア」と「ご近所に出かけるカジュアルウェア」が、ボーダレス化しているのかもしれない。

とはいうものの「ハウスウェア」と言えども、「部屋着」から「チョコッとお出かけOK部屋着」とでは、企画コンセプトも変わってくるはずだ。
一般アパレルほどのファッション性が求められず、パジャマのようにある程度のサイクルで必ず買い替え需要が見込める「チョッとオシャレなおでかけ部屋着」という二ッチな市場を創りたい、という戦略なのかもしれないが、それでも「ファッション性」という視点は必須だろうし、目まぐるしく変わるファッションの動向と企画・製造・販売のリスクを考えると、相当リスクのある冒険のような気がするのだ。



好感度の高いCMは、ストーリー性がある?!

2019-12-29 20:21:39 | CMウォッチ

毎年年末になると、様々なランキングが発表される。
そのうちの一つに、CMの好感度ランキングがある。
東京新聞:「三太郎」が5連覇!2019年CM好感度

上位になったのは、いずれも通信会社だ。
そして1位のauや2位のSoftbankなどは、ここ数年不動の順位という印象がある。
そして今年3位に食い込んできたのが、docomoの「星プロデューサー」のCMだ。
この3つのCMに共通しているのが、「CMにストーリー性がある」ということだろう。
auとdocomoに関しては「次回はどうなるだろう?」という、次の展開という期待もあるのでは?と、感じている。
逆に、Softbankの「白戸家」シリーズは、次回への展開という期待よりも「次回のゲストは誰?」という、楽しみ方に変わってきているような印象を持っている。
ご存じの通り、Softbankの「白戸家」は、10年を超すシリーズだからだ。
それでも、好感度調査で2位という順位は、定番化以上の安心感があるCMということになるのかもしれない。

その通信会社のCMに追いつきそうなCMが、花王の洗濯洗剤のCMだろう。
こちらは、所属している事務所が同じ人気俳優さん揃い踏みというCMだ。
これまで洗濯洗剤のCMと言えば、若い女性が定番だったのだが、ここ2,3年の傾向として女性に人気の俳優さんを起用する傾向が強くなってきている。
今回の花王のCMは、登場する人気俳優さんは上述した通り一人ではない。
複数の人気俳優さんが「洗濯男子」という設定で(?)、洗剤の機能について熱く語り合っている、というCMだ。

これまでの「泥汚れに強い」とか「真っ白な仕上がり」、最近では「部屋干しでもにおわない」というような台詞を、一つのCMに盛り込むだけではなく、新しくなったパッケージの利便性まで「熱く語り合っている」というシチュエーションだ。
単に人気俳優さん揃い踏み、という話題性だけではなく、その俳優さんたちに「洗剤の機能」を語らせることで、受け手となるユーザーに分かりやすく伝えることに成功している、ということになるだろう。
もちろん、「人気俳優揃い踏み」効果による好感度アップは当然だ。

最初に書いた通り、上位3位までの通信会社のCMには「次」というストーリー性があり、花王の洗濯洗剤のCMは「洗濯男子の集まり」というシチュエーションを描き出すことによってCMそのものにストーリーを持たせることに成功しているのでは?という、気がしている。

CMでの商品名の連呼というスタイルは既に無くなり、一つの商品やサービスを生活者の中にイメージ付けるためのシリーズ化できるのか?ということが今のCM制作の傾向のように思われる。
そのようなCMは、人を傷つけることもない、という安心感も企業側、制作者側にもあるのかもしれない。


内部調査の限界?それとも組織的な「責任意識」の欠如?

2019-12-26 19:50:57 | 徒然

かんぽ生命の契約などの不正事件。
「とどまるところを知らぬ」ような状況に陥っている。
朝日新聞には、内部調査についての記事が有料会員向けだが、掲載されていた。
朝日新聞:郵便局員ら「シラを切ればシロ」かんぽ不正の内部調査に

今回のかんぽ不正事件に限らず、企業や学校などで何かしらの事件が起きた時「内部調査」が実施される。
そして、その調査結果の回答は、「確認ができなかった」などのモヤッとした、第三者にとっては到底納得ができる回答ではないことが多い。
その理由は、「身内同士の調査によるなれ合い」とか「事件性の意識が低い」、「不祥事を(無意識かもしれないが)隠蔽したい」などの気持ちの表れなのだと考えている。
だからこそ、「シラを切ればシロ」という発言が出てくるのではないだろうか?

このような事件が発覚する度に、メディアを中心に「膿を出し切れ」という論調が目立つような気がするのだが、「言うは易し行うは難し」だろう。
実際メディアが関わった事件になると、その論調は途端にトーンダウンしてしまうからだ。
このような場合、やはり事件発覚直後から、第三者機関による調査が行えるよう、そのような法的整備が必要なのではないだろうか?
もっとも今の政権を見ていると、「無理だろうな~」という、ある種の絶望感に襲われてしまうのは、私だけではないと思っている。

それにしても、今の政治家にしても企業にしても「(社会的)責任」という意識は、どこに行ってしまったのだろうか?
自分の行いに対して、それなりの覚悟と責任を持った行動ができるのが、大人だと思う。
ところが「シラを切り通せば、責任どころか事件すらも、もみ消すことができる」ような、社会になりつつあるような気がしてならない。
「詭弁」ということばを使うほどの知恵を使わず、「破棄をしました」とか「知りません」など、その場しのぎの言い訳にもならないようなことばが、氾濫し、それがまかり通ってしまっている。

そのような社会の風潮の中だからこそ、不正をした郵便局員が「シラを切ればシロ」と平気で言ってしまえるのではないだろうか?
この劣化状態を見るたびに、「今の若者は・・・。」などということばを言う前に、大人として襟を正した「行動と責任感」を持たねば・・・という気が。するのだ。



IRという利権とグローバル化

2019-12-25 20:14:00 | 徒然

今日、カジノを含む統合型リゾート(IR)参入をめぐる贈収賄で、IR担当大臣であった秋元議員が逮捕された。
日経新聞:秋元議員らを逮捕 IR参入巡る贈収賄容疑で東京地検

秋元議員の逮捕後も、白須賀議員の地元事務所などの家宅捜査とか勝沼栄明前衆議院議員も関与していたのでは?という、今回の贈収賄事件の関係者が、いきなり増えている。
朝日新聞:自民の白須賀衆院議員事務所を捜索 IR汚職巡り特捜部
共同通信:勝沼栄明前衆議院議員も関与か、事務所捜索

わずか1日でこれほど、国会議員が逮捕されたり事務所を捜索されたりするのは、とても珍しいような気がする。
と同時に「カジノを含む統合型リゾート(IR)」に絡む利権は、随分大きなものがあるのだな~という印象を持ったのだ。

議員の収賄としては、300万円という金額は決して高額だとは思えない。
思えないが、「お金をもらう」だけではなく、様々な接待や旅行などの誘いがあり、今回は一企業からの贈収賄ということになっているからだ。
違う言い方をすれば、贈収賄をした企業だけではなく、他の企業も動き、アプローチをしようとしていたのでは?ということが暗に想像できるからだ。

そして今回のこの事件は、これまでの「利権絡みの贈収賄」と大きく違う点は、贈賄容疑となった企業が中国の企業という点だ。
確かに、カジノという「賭博(あえて「賭博」と言いたい)」は、日本では公に認められていないこともあり海外資本の企業がその利権を勝ち取ろうとしたのだろう、ということはわかるのだが、このIRの為に日本の観光地を外国資本が入ろうとしていた、ということもまた事実だ、ということなのだ。

確かに、随分前から「北海道などでは中国籍の人たちが土地を買い占めている」という、噂話はあった。
おそらく今回贈賄容疑で逮捕された企業が、その仲介役をしていたのだろうと思われるのだが、「国土の売買」に国会議員が関わった、ということにも驚いたのだ。

バブル経済が崩壊してから、日本のリゾート地にあるホテルなどが外資に買い取られた、という話は数々あった。
そのような話を聞くたびに、どこか複雑な気持ちにもなった。
外資による再建というところまでは、納得がいくのだが、日本人客ではなく海外からの旅行者の為のリゾートホテルになっているのでは?という、印象を少なからず持っていたからだ。

そう考えると、IRというリゾートは「インバウンド」と言ってはいるが、「日本の文化などに触れたい海外からの旅行者」を対象としているのではなく、「日本でカジノをしたい海外からの旅行者+賭博をしたい日本人」の為もリゾート施設なのでは?という、気がしてくるのだ。

この「IR」という言葉は、電通が「『カジノ』と言う言葉では生活者の理解が得られないのでは?」ということが、つけられた名称のようだが、子供だましのような名称+リゾートという耳障りの良い言葉で、誤魔化し巨大利権を生んでいるだけのような気がするのだ。


WIN-WINの関係を模索するパラスポーツサポート企業

2019-12-24 21:29:21 | スポーツ

新聞各社のチェックをしていたら、F1のクルマのような美しい流線形の車いすに目が留まった。
中日新聞:日本企業の車いす、東京パラでサポート ホンダ、ヤマハ発など

F1のクルマというのは、大げさかもしれないが、トップに掲載されているホンダのマラソン用の車いすのデザインは、これまで私が見てきた車いすマラソンのものとは、印象が随分違っていた。
見るからに速さを競う為につくられた「乗り物」という印象を受けたのだ。

1960年のローマ大会が、パラリンピックの第1回大会だとすれば、60年という時を経てパラスポーツを支える道具も、大きな進化を遂げている、ということなのだろう。
進化を遂げるだけではなく、その時代を印象付けるようなデザインのサポート器具へと変化を遂げている、ということがホンダの車いすマラソン用の競技用車いすを見ると感じることができる。

記事を読むと、このデザインや素材など提供する企業側の本気度が、「障害者用の道具だから」という気持ちではない、ということが良く分かる。
素材にしても、アルミからカーボンへと変化していることを考えると、研究の成果として四輪車や二輪車への応用などがされているのでは?という気がしてくる。
またそれは逆に四輪車や二輪車の技術が、車いすの開発へと繋がっているような気もしてくるのだ。
どちらか一方の技術ではなく、互いに良い影響をしあい、研究・開発の種となっているような「本気度」が、感じられるのだ。

企業側からすれば、パラスポーツの機器開発は、分かりやすい利益を生み出すものではない。
だからこそ、一般技術として商品開発などに組み込まれた時には、他の企業では考えられない「使う人にとっての心地よさや利便性」というものとなるのでは?という気がするのだ。
何故なら、障害を持つ人にとって「心地よく使えるもの・こと」は、健常者にとっても「心地よく使えるもの・こと」だからだ。

もちろん、上述したようなF1のクルマかと見間違うようなデザインが、直接製品に反映されるワケではない。
その「エッセンス」となる発想や思考、アイディアが「直観」として生きてくるのだと思う。
企業にとって、利益採算という視点だけでは、赤字となるような障害者向け製品であっても、利用する障害者からの情報のフィールドバックによって、見落とされがちな問題点を指摘され、それが新たな商品開発や設計に取り込まれているのではないだろうか?

それが企業とパラスポーツ選手、そして社会の三者が「WIN-WIN-WINの関係」となる商品や市場づくりの基盤となっていくのではないだろうか?




「公平」と「信頼」・・・民主主義とビジネスの基本

2019-12-23 16:32:24 | アラカルト

昨日だったか?Amazonが日本で納税をする、というニュースが一部新聞などで報じられていた。
共同通信社:アマゾン、日本に納税へ方針転換 法人税2年で300億円

以前から、「Amazonは、日本での納税額が少ない」という指摘はあった。
東洋経済on-line:アマゾンの納税額が楽天より圧倒的に低い理由

Amazonが、日本での事業を「事業委託」というカタチで、行っていた為に課税額そのものが低く抑えられていた、ということだ。
現実には、Amazonそのもののビジネスは日本で定着しているだけではなく、AmazonPRIMEというサービスを展開し、顧客の囲い込みにも積極的だ。
それを「業務委託」としてしまって、良いのだろうか?ということなのだ。

数年前、世界を驚かせた「パナマ文書」の公開では、世界のお金持ちや政治家、スポーツ選手などが「租税回避」を目的に、本社を「タックスヘブン」と呼ばれる小さな国に移し、節税をしていたということが発覚した。
本来であれば、事業を展開している国に支払われるはずの税金が、「租税回避」という方法によって、支払われていなかった、ということが明るみに出た調査報道だった。

「パナマ文書」公開から随分時間がたった今、何故Amazonが日本での納税へと方針転換をしたのだろう?
「これが要因なのかな?」という動きが、EUであったのだ。
日経新聞:グーグルに1900億円制裁金、欧州委「独禁法違反」

グーグルの場合は、「独禁法違反」に対しての制裁金だが、「ビジネスに公平さが無くてはいけない」という点では、納税に関しても同じだろう。
むしろこのEUの判断が、巨大化したIT企業「GAFA」に「公平なビジネス」を促したのでは?という気もする。
この制裁金の支払い判断をした欧州委員会のトップ・マルグレーテ・ベステアー氏のインタビュー記事が、huffpostに掲載さ、改めて読んでみると「公平」と「信頼」という信念をもって判断をした、ということがわかる。
huffpost:グーグルに50億ドルの制裁金を科したマルグレーテ・ベステアー氏は、「信頼」と「公平さ」を体現し続ける

そして改めて考えると「信頼」と「公平さ」は、民主主義の基本であり、ビジネスの基本なのでは?という気がしてくるのだ。
マルグレーテさんが指摘しているように、政治だけではなく経済界でも男性優位というのは世界に共通しているようだ。
そして、政治や企業が生活者から「信頼」されなくなりつつあり、その要因の一つは「公平さ」を生活者が感じない、という点にある、というのもそうだろう。

「信頼と公平さ」を生活者が感じられなくなった時、それは民主主義ではなくなっている、ということのようにも思えるのだ。
その警告をマルグレーテさんは「制裁金」というカタチで、グーグルに警告したのではないだろうか?
問題なのは、今の日本の状況だ。
今の私たちは政治や企業に対して、「信頼」と「公平さ」を感じているだろうか?
企業の場合、生活者からの「信頼」を失ったとき、企業そのものの社会的存続が危ぶまれることになるので、常識ある経営者であれば、常に「生活者からの信頼」ということを考えているはずだが(と思いたい)、ブラック企業大賞などが毎年発表されることを考えると、決して「公平で信頼を得る努力」をしている企業ばかりではない、ということになる。

ただ、もっと難しいのは政治を変える、ということのような気がしている。
文書などを都合よく勝手にシュレッダーして「無き物」として、平気なのだから・・・。


 


25年前のヒットよりも大ヒットした「恋人たちのクリスマス」

2019-12-21 21:48:23 | トレンド

先日、朝のFM番組を聞いていたら、「え?!」と思うような、話題があった。
その内容が、huffpostにあった。
huffpost:マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」が発売から25年で、ようやく1位に。ネットも「えつ、今?」の声

一昨年あたりだったと思うのだが、このマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」を、クリスマスシーズンに流さないでほしい、という話題があった。
そして今年も、この「ウザイ!クリスマスソング」が、話題になっている。
livedoornews: 「街にあふれるXmasソングがウザい」の声。最もイラつく曲は?

「ウザい」と感じる理由の一つが、同じ曲が延々とループ状態で聴かされるからだ。
当然、ヒットしたXmasソングはその傾向が強くなる。
楽曲の良し悪しとは関係なく、「ほどほど」というレベルを超えてしまうと、人は嫌悪感を感じる、ということだろう。
その代表的な曲の一つが、マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」ということになる。
逆に言えば、Huffpostの見出しにあるように「随分前に大ヒットした曲で、クリスマス・ソングとして定番化していたのでは?」という印象が強い、ということにもなると思う。

にもかかわらず、大ヒットしたであろう25年前ではなく、今年になってからbillboard誌の1位を獲得した、というのは「何ぜ?」という、疑問を感じてしまうのは当然だろう。
その理由は、ストリーミングという新しい音楽の聴き方の登場によるところが大きい、というのがFM番組での説明だった。

25年前のbillboard誌のヒットチャートは、「CDセールス+ラジオのオンエア回数」というデータを基にしていた。
ラジオでのオンエア回数が多くても、CDセールが振るわなければ1位になることは無いのだ。
しかし、昨今ではCDセールスよりも、チャートに強い影響力を与えるデータが登場した。
それが、ストリーミングというスマホなどで聴く方法だ。
もちろん、ストリーミングという視聴方法だけで、チャート1位になることは難しい。
それを可能にしているのが「サブスプリクション」と呼ばれる、定額利用ということは言うまでもない。

元々クリスマスソングとして、定番化していた「恋人たちのクリスマス」に、このストリーミング+サブスプリクションによって、ラジオのオンエア回数よりも多く、スマホなどで聴かれるようになったことで1位となったのだ。
事実、最高位3位と言われていたのは、昨年のヒットチャートだった。

もしかしたら、ストリーミングでの聴かれ方というのは「一人リクエスト番組」のようなモノなのかもしれない。
何故なら、スマホのようなメモリーそのものが限られていても「いつでも・どこでも・好きな時に自分のお気に入りを聞くことができる」というのがストリーミングの最大の魅力だからだ。
元々定番化するほどの大ヒット曲であり、このクリスマスシーズンになるとラジオなどから流れることで、改めてストリーミングで聴いてみよう!という、生活者の行動が25年前の大ヒット曲が1位になる、という現象が生まれているのだ。

「billboard誌のチャート1位には、そのような背景がある」と知った上で、「恋人たちのクリスマス」を聴いてみると、ヒット曲の創られ方の変化にも気づくという気がする。

 


IOTの覇権争いが始まった

2019-12-19 21:26:49 | ビジネス

ここ最近、あまり聞くことが無かった感のある「IOT」と言う言葉。
今日の日経新聞のWEBサイトを見て、水面下で起きている「覇権争い」のようなモノを感じた。
日経新聞:「つながる家電」広がる選択肢 Amazonなどが通信統一

記事には、詳細な図解があるのでそちらを見ていただければ、と思っているのだが、記事にあるAmazon、Apple、Googleというこれらの企業は、家電メーカーではない。
米国でいうなら、GEなどが大手家電メーカーということになるはずだが、このIOTの分野をけん引しているのは、家電メーカーではなく、通信企業であるという点に注目する必要があると思う。

しばらく前、拙ブログでパナソニックの半導体事業の撤退について、エントリをした。
日々是マーケティング:不採算事業を切り捨てるだけで良いのだろうか?-パナソニックの事業売却ー

この時、半導体事業に興味を示しているのは、AppleやGoogle、Amazonである、という指摘をさせていただいた。
今まさに、それが現実化しようとしているのだ。

なぜ、日本の企業は「採算に合わない」という理由で、事業そのものを切ってしまったのか?と言えば、「IOT」というシステムを「家電と通信を繋げる」という発想だったからではないだろうか?
「家電ありき」の発想であれば、確かに不採算事業からの撤退となるのは当然だ。
しかし「通信で家電を繋げるとどのような生活・暮らしになるのか?」という視点にすると、見えてくる「生活者の姿」まで変わってしまうはずなのだ。

確かに、AmazonやApple、Googleがつくりあげた「IOT通信システム」に乗ってしまえば、簡単だろうし何より新たに開発する費用も時間も必要ではない。
だがその結果として、日本企業が失うモノは「IOT通信システムの世界基準」という、眼に見えないが膨大な利益を生み出す「仕組み」なのだ。
だからこそ、中国の「百度」なども「IOT」という通信システムによって広がる市場に興味があるのだ。

日本の企業の場合「自社開発」にこだわりが強い傾向があり、「良い製品づくり」にばかり目がいきがちのような気がする。
戦後の高度成長期での成功体験を、今だに引きずっているのが「日本のものづくり」のような気がしてならない。
今のように「もの」ではなく「〇〇ができる」という「こと」が中心の社会に変化すると、「ものづくり=ことづくり」という発想に転換しなくてはならない。
にもかかわらず、それができないのは何故だろう?

Amazon、Apple、Googleの通信規格の統一によって、IOTの標準は「米国式」になっていくのではないだろうか?
そこに乗るだけの道しかない日本の企業。
本当の意味での「発想の転換」が、求められているような気がしてならない。



2つの地裁が下した判断

2019-12-18 20:34:49 | 徒然

昨日と今日、2つの興味深い裁判で勝訴の判断が下された。
一つは、森友学園建設に関する情報開示訴訟。
毎日新聞:「森友学園」情報開示訴訟 市議側全面勝訴 値引き根拠を示さぬ国「違法」大阪高裁

もう一つは、伊藤詩織さんの「レイプの有無」に関する民事裁判だ。
毎日新聞:「性行為に合意なし」伊藤詩織さん勝訴 元TBS記者に330万円賠償命令 東京地裁

「森友学園」の問題については、この情報開示がされてこそ、この問題の本質に迫ることができるという訴訟だった。
「情報開示がされない」ことで、問題の本質がウヤムヤになり事件の骨格さえ見えてこなかったはずだ。
しかし、森友学園側からは逮捕者が出たのに、便宜を図ったであろう根拠となるものは、すべてその場しのぎのような国会答弁に終始していた。
このことは、今問題になっている「桜を見る会の私物化問題」と、根っこの部分は同じなのでは?と、感じている有権者も多いのではないだろうか?
だからこそ、大阪高裁が「違法」の判断を下した意味は、とても大きいはずだ。
何故なら、公的文書は「情報開示は、国の責任である」と、大阪高裁が判断をしたからだ。

もっとも、国側というか政府側は「森友学園問題」に懲りたらしく、必要な書類はすべてシュレッダーあるいはデータ削除をし「戻すことができない」とか「保管文書に当たらない」という答弁をすることで「情報開示請求ができない」という、荒業を出している為、同様の訴訟が起きた時は「保管文書であるか否か」ということが、争点になるのだろう。
とはいうものの、IT関係者などは政府答弁に異論していることを考えると、やはり分が悪いのは国ということになるだろう。
場合によっては国側が最高裁まで争う姿勢を見せるかもしれないが、それが逆に有権者の気持ちを現政権から離れさせ、批判の的となるだろう。それだけの覚悟を持って最高裁まで争う気があるのか?

もう一つの伊藤詩織さんの事件の裁判だが、この勝訴は本当に良かったと思っている。
相手の男性は、控訴する!と言っていらっしゃるようだが、元々刑事事件となった時から、どこか怪しげな圧力のようなモノが働き、刑事事件とならなかったのでは?という、印象が強い事件だった。
それは、加害者側が起こした名誉棄損の請求額に関しても「適正とは思えない高額」であった、ということもこの事件の闇のようなものを感じさせるには、十分だったように思う。

このような事件が起きた場合、圧倒的に有利なのは加害者側であり、被害者側はセカンドレイプ場合によってはサードレイプ以上の辛い思いをしなくてはならない。
その根底にあるのは、やはり「性犯罪の被害者に対する意識」の問題があるからだろう。
そのような社会風土の中で、現政権と懇意な関係にあると言われる記者を相手に、顔を出し名前を公表し公の場で闘う姿は、同様の辛い思いをしてきた人たちに勇気を与えただけではなく、今の勝訴で「司法の独立性」に安心をしたのではないだろうか?

これらの意味で、大阪高裁と東京地裁の判断は「司法の独立性」という「三権分立」の精神が守られ、被害者や問題の本質を究明しようとする人達だけではなく、多くの市民を勇気づけるものだったように思う。


ジェンダーギャップが後退する理由は、もっと複雑だと思う

2019-12-17 18:38:18 | 徒然

新聞各社のWEBサイトに取り上げられている「ジェンダーギャップ、後退」の記事。
huffpost:男女平等はまた後退、ジェンダーギャップ指数2019で日本は過去最低を更新し、121位、G7最低

huffpostの記事に限らず、最低を更新した理由として挙げられているのが「女性政治家の少なさ」だ。
本当に「女性政治家の少なさ」が、日本のジェンダーギャップを後退させているのだろうか?

最近大手企業で、女性の役員人事が話題になるようになってきた。
その役員に抜擢された女性たちの経歴を見て、気づくのは「いわゆる社内からの登用」というよりも、外資などで活躍された実績を買われて抜擢されている、という場合が多いように感じるのだ。

女性社員の場合、男性社員と同期入社であったとしても、「キャリアパス」というものが明確にある企業は、ほとんどないのでは?と、思っている。
いわゆる「出世コース」そのものが、男性であれば用意されていても女性には無いような気がしている。
と言っても、私も会社員を辞めてから随分時間が経ってしまっているので、今の事情はもっと変わっていると信じたいのだが、実際役員の抜擢された女性の経歴を見ると「やはり、この位の経歴が無いと無理なのだ・・・」と、女性側からすれば諦めさせ易く、男性側からは「これだけの経歴があるのだから、当然かもしれない」という、説得材料を持っている女性が抜擢されているような気がしてならないのだ。

長い間企業に女性がとどまること自体、企業側にとってメリットはない、といまだに思い込んでいるような気がしてならないのだ。
その一例となるのが「セクシャルハラスメント」や「マタニティーハラスメント」と、呼ばれるものだろう。
このような「ハラスメント」の問題は、加害者側の意識の低さだろう。
それだけではなく、「結婚=永久就職」と言われていたように、結婚はカタチを変えた就職という高度成長期の女性の生き方のモデルが、今だに根強く残っており、それが崩れ始めているにもかかわらず、意識がそのままになっている、という点もあるのでは?と、考えている。
だからこそ「育児のワンオペ」ということが問題となり、最近では「介護のワンオペ」ということまで、言われるようになってきているのでは?

そのような期間を海外の企業で過ごし、順調にキャリアを積んだ女性を役員として招き入れて「女性役員の数が増えている」と、言ってしまってよいのだろうか?

「給与面」においても、「働く女性の多くがパートなどの非正規社員であるため、男女の給与差が出ても仕方ない。フルタイムで働く女性の多くは、男性に比べ若い為、給与面でも低いのは当然」という指摘も、どこかズレているような気がするのだ。
最近では、男性の非正規社員も増え、年収そのものが下がり続けているので、このような指摘そのものが意味をなさなくなってきているはずだ。
それでも、給与面などで差があるのは、やはり同じ年齢で比較した時、女性の方が給与面でも抑えられている、と考えるのが自然だろう。

「結婚=永久就職」という考えの女性はいるし、それを望む男性もいるだろう。
ただ、社会がそのような形態を維持できなくなってきている今、ジェンダーギャップの問題は「女性役員の人数」とか「女性政治家(や女性閣僚)の数」ではなく、もっと根深く意識の変革が必要な問題だと、考える必要があるのではないだろうか?