日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

今年は「男子」がブーム?

2012-03-31 20:11:56 | トレンド
2,3年前から盛んに言われた「女子会ブーム」。
私は残念ながら「女子会ブーム」に乗ることも無く、ましてや「女子会トーク」なるものにも関係なく、過ぎていきそうな気配を感じている。
その「女子会」に対抗するかのように、今年の注目は「男子会」だそうだ。

先日聞いてたFM番組では、「男性向けネイルサロン」が人気だという話だった。
「ネイルサロン」と言っても、女性向けとは内容が違う。
女性の場合「アート化された指先」なのだが、男性の場合「きれいな指」という点がポイントのようだ。
主に利用する男性は、営業職や人の前で仕事をする人が中心、というコトだった。
確かに、指に限らず身だしなみなどがキチンとしている人は、信頼できるという印象を持ちやすい。
もちろん、話す内容が伴っていなくては、いくら身だしなみだけが良くても信用には結びつかない。
ある部分では、「見た目も重要」というコトだ。
とすれば、昔、理髪店で爪の手入れや髭剃りをするサービスがあったのは、的を得たサービスだったのかも知れない。

そして居酒屋などでも「男子会プラン」のような、提案をしてきているという。
ただ、「男子会プラン」という名の「普通の飲み会」という気がしてしまうのは、私だけだろうか?
「女子会」が話題になったのは、女性たちがお酒が飲める場所で集まる、というトコロからだったような記憶がある。
もう一つは、職場や勤務先といった現在の付き合いではなく、学生時代の友人の集まり、というのも話題となった要因のような気がしている。
女性の場合、生活環境が変わることで付き合う相手も変化し、学生時代の友人との集まりというのは、案外難しい。
それを可能にさせたのは、女性が仕事をすることが当たり前になっただけではなく、晩婚化というコトもあったように思う。

それに対して男性の場合、職場や勤務先との付き合いが中心になっても、学生時代の付き合いも継続的にされているような気がする。
そのように考えると、「男子会」という名前は無いにしても、以前からそのような「会」はあったような気がする。
改めて「男子会」という「会」を考えるとすれば、その「会」はどんな「会」なのだろう?

最近言われ始めていることに、「女子会のデメリット」というコトがある。
最初は、学生時代の懐かしさから集まり始め、職場での不満や愚痴を言うことでストレス発散となるのだが、いつの頃からか「人物批評」になっていく傾向があり、それが逆にストレスになっている、という指摘だ。
おそらく男性の飲み会でも、同じようなことがあるのではないだろうか?
とすれば、「男子会」が魅力的に「会」になるためには、いくつかの事前ルールのようなモノをメンバーで作り、愚痴や不満の発散の場所であっても、そこには+αの情報交換というコトが必要だと思う。

個人的には「男子会」とか「女子会」という、枠を持たない「楽しい集まり会」であれば、そこには情報交換が自然に行われ、得た情報から新しい発想が生まれてくると思うのだ。
バブルの頃のような「異業種交流会」のような、人脈づくりという名の合コンではないコトも重要なポイントだと思う。

日本の技術の底力

2012-03-30 12:27:51 | ビジネス
一昨日からニュースで話題になっている「ヤマザキマザック データ情報流出事件」(紹介記事は「中日新聞」) 。
そして昨日「JAXA(宇宙開発機構)が、放射性物質の汚染が分かる特殊なカメラを開発」というニュースがあった(紹介記事は「毎日新聞」)。

この二つの記事を読んだ時、「日本の技術の高さは、世界でもトップレベルだな~」と思った。
ヤマザキマザックのデータ流出事件は、中国人社員が設計図などのデータを個人的にダウンロードをし、持ち出したという事件で、この中国人社員はヤマザキマザックのライバル企業への転職が決まっていた、という内容。

この事件を聞いたとき、「ライバル企業にデータを渡すのではなく、中国へ送りたかったのではないだろうか?」という気がしたのだ。
というのもライバル企業といえども同業者内では、ある程度ライバル企業の開発というものを知っていると思うからだ。
その技術的なことではなく、どのような分野のコトを研究・開発しているのか?というレベルのコトだ。
その程度の情報でも日本の企業同士であれば、ある程度研究・開発の内容が、想像できると思うのだ。
そのくらい、同業種間で「切磋琢磨」する土壌が日本にはあると思う。

一方、逮捕された会社員の出身である中国は、「世界の工場」ではあるが、「世界の技術開発地」になっていない。
与えられた規格と部品を組み立てることは出来ても、独創的な技術・開発が出来るまで企業が成長していない、という印象がある。
それが、様々な製品・商品の「パクリ」となって現れているように感じている。

そしてJAXAが開発をした「放射能汚染が分かる特殊カメラ」は、こちらの技術は宇宙開発で培われた技術を応用したもの。
昨年3月の東日本大震災発生直後に起きた「フクシマ事故」から約1年の時間が必要だったとしても、とても早い特殊カメラの開発だったと思う。
畑違いのように思える技術であっても、活用できる応用力はやはり日本技術者の底力だと思う。
むしろ、このようなコトが増えれば「仕分け対象」にならずに、簡単に予算が付くのでは?

先月初め、年に1回のマンモグラフィと超音波の検査に行ってきた。
その時、超音波を担当してくださった先生は、「日本の医療技術は世界でもトップレベルなんですよ」と、教えてくださった。
マンモグラフィにしても超音波にしても、がん治療先進国である米国のものよりも遥かに精度も画像鮮明度も高く、逆に高すぎるために「擬陽性判定」をしやすい状況になりつつあるほどだという。
その「擬陽性判定」をしないために、画像診断医は日々勉強なんですよ!と。
もちろん、外科的技術も新薬の開発もがん先進国である米国に劣るレベルではなく、むしろ上のレベルにあるモノも多いという。

とすれば、今の日本の持っている力というのは表面化していないだけで、底力は十分あるのだと思う。
その底力をいかに上手に使うのか?そこが問題のような気がしている。



これから求められるのは、素敵な年齢の重ね方

2012-03-29 20:24:04 | アラカルト
今日の新聞の真ん中に、資生堂の広告が掲載されていた。
登場人物は、前田美波里さんと岸恵子さんのおふたり。
前田さんは60代、岸さんは多分70代だと思う。
でも広告の写真で拝見する限り、とても60代、70代には見えない。
もちろん女優という職業柄、お肌の手入れなどもキチンとされ、体のケアも私たちよりも念入りに丁寧にされているとは思う。

確かに実年齢よりもお若く見えるお二人だが、だからといって「若づくりをしている」という感じではない。
その点から見れば最近何かと話題になっている、「美魔女」と呼ばれる女性たちとは随分違う印象がある。
どちらかというと、「丁寧に年を重ねてきた風格」のようなモノを感じる。
違う言い方をすれば、「良い年の取り方をしてきた」というコトになるのだろうか。

私が学生だった頃、世間では女子大生ブームと呼ばれていた。
「女子大生」というだけで、なんとなく世間がもてはやした時代だった(もちろん、私にはそんなブームは無縁だった)。
それがいつしか「女子高校生」になり、今でも「女子高校生」は、市場価値があるようなところがあるようだ。
だからなのだろうか?今の高校生たちにとって、高校を卒業すると自分の存在価値がなくなってしまい、いきなり「オバサン化」すると思っているような節がある。

確かに、今の日本は「若年層に高い価値がある」という感覚はある。
特にそのようなコトを求める男性は多い。
そのことを批判する気は無いし、したところで「オバサンの遠吠え」でしかないことぐらい認識をしている。
ただ、なんとなく「若い」コトに対しての過剰な価値化は、決して社会にプラスではないような気がするのだ。

誰しも若々しい自分でありたい、と思うことは自然なことだが、若いだけでは魅力とはならないように思う。
そこには「良い年齢の重ね方」というモノがあり、それが実年齢ではない「見た目年齢」を作り出すように思えるのだ。
そして「良い年齢の重ね方」というのが、とても難しいように思う。
それは人口が減少していく日本という社会の中で、とても重要なポイントなのではないだろうか?
というのも、これまでと同じ社会的生産性を求めるのであれば、必然的にそれなりの年齢の方々にも参加してもらわなくてはならない。
であれば、企業の肩書きだけを頼りにしてきた人よりも、様々な経験を通して柔軟性のある発想力と行動力のある人材が求められるはずだ。
そしてそのような人材は、実年齢よりも若々しい印象の人なのではないだろうか?
だからこそ高齢化社会の中で、「良い年齢の重ね方」というのは、とても重要な気がする。

そんなことを感じた、資生堂の広告だった。

アプリ取り放題のメリットって?

2012-03-28 19:23:20 | ビジネス
AUが新しく始めたサービスに、「AUスマートパス」という、月額390円でアプリケーション取り放題というものがある。
有料アプリケーションを、たくさんダウンロードするスマートフォンユーザーにとっては、メリットが高いのかもしれない。

ただ、「アプリケーション取り放題」でどんなメリットがユーザーにあるのだろう?と、考えてしまうのだ。
例えば、道案内のナビゲーションなどは、複数ある必要は無いだろう。
辞書などのアプリケーションは、高額だと聞くので390円でダウンロードできるのであれば、嬉しいかも知れないが、それも同じ内容のモノを複数ダウンロードする必要は無い。
とすれば「ゲームなどのアプリケーションを、ダウンロードする」というくらいしか、思い浮かばないのだ。
ゲームのアプリケーションを頻繁ににダウンロードするヘビーユーザーは、世間では一体どのくらいいるのだろう?
そうやって考えると、月額390円出してアプリケーションをダウンロードし放題、の魅力が分からなくなってくるのだ。

なんとなくだが、このようなサービスを受けるユーザーの多くは「とりあえず」という感覚で、ダウンロードをするのではないだろうか?
しかし残念なことに、スマートフォンにもメモリ容量というものがある。
「とりあえずダウンロード」をしていくと、メモリの容量が少なくなり、結果としてダウンロード→削除→ダウンロードの繰り返しというコトになっていくのでは?
私のような面倒臭がりにとっては、アプリケーションの管理をするのが、煩わしいように思えてならない。

何より、今年に入ってからAUやdocomoの通信障害の原因の一つが、スマートフォンの普及に対応できていない、というコトにある。
もちろん、AUも通信障害解消のために様々な対応をしていると思うのだが、このようなサービスを提供する前に、通信障害を無くすことの方が顧客サービスとしては先なのではないだろうか?
それでなくても新しく振り当てられた周波数帯「プラチナバンド」を獲得したのは、ライバル企業であるソフトバンクなのだ。
ソフトバンクはそれだけではなく、不要となったNHKの地上波の電波塔を一括購入することで、通信障害対策を着実に進めている。
一方、docomoは「プラチナバンド」は獲得できなかったが、クロッシイという高速通信サービスを始めている(ただ、docomoは先日有機野菜などの宅配事業者「らでぃっしゅぼーや」を子会社化するなど、訳の分からない部分もあるが・・・)。

アプリケーション取り放題で、ユーザー離れを防ぐということは十分わかるのだが、本当にユーザーが求めているサービスなのだろうか?
AUが新しく打ち出した「選ぶ自由」というコンセプトを考えれば、分からない戦略ではないが、利用する企業を「選ぶ自由」があるのはAUではなく、ユーザー側にあるはずなのだ。

なんとなく、一見メリットが高そうなサービスでも、本当は企業エゴのサービスという気がするのは、私がノン・スマートフォンユーザーだからだろうか?

食卓で話そう

2012-03-27 18:59:50 | ライフスタイル
先日「ちょっとした工夫が、利益をもたらす」 というタイトルで、「サトウの切り餅」について、エントリをさせていただいた。
そのエントリに対して、さぶさんが

餅も人と会話ができていたんじゃなかろうかと思う。
今は味気がありませんねー。レンジにせよトースターにせよ器の中。ガラス越しに餅の状態が見えないわけじゃないけれど、会話はできません。
なんだか、フィルムカメラも、車も、テレビも
技術革新が進む中で、会話がなくなってしまいましたねー。


というコメントを下さった。
このさぶさんのコメントを拝読して、「この視点って、今とても重要なコトだな~」と思った次第。

最近「リビングを中心とした間取り」という、一般住宅向け間取りがある。
子ども部屋などもあるのだが、基本的には家族が揃う場所「リビング」を中心として考え、子どもたちも1日の大半をリビングで過ごすような間取りになっているモノだ。
その理由は、「子ども部屋で勉強をする子どもより、家族が集まるリビングで勉強する子どものほうが、偏差値の高い学校へ進学している傾向がある」というコトらしい。
親向けの教育雑誌、特に父親視点で作られている雑誌などには、このような特集が組まれていることが多いようだ。
とすれば・・・さぶさんが指摘したような「会話がある」というコトは、子どもの知的発達面で、プラスとなる要素が高いのでは?と思ったのだ。

と同時に、「会話がある」というコトは様々な能力を引き出す面もあるように思ったのだ。
例えば「プレゼンテーション力」。
「プレゼンテーション力」と書くと、何か大げさな気がするが実は家族の中で話しをするときも「自分の考えを家族みんなに理解してもらうために話す」というコトを自然にしているはずだ。
言い換えれば、家族で話すことそのものが、ある種の「プレゼンテーションの場」なのかも知れない。
と同時に、自分の意見だけではなく家族の意見も、一生懸命聴く必要がある。
その意見に対して、自分の考えを述べるということもあるはずだ。

何も会社のプレゼンテーションや大学の授業にディベートが、トレーニングの場ではないと思うのだ。
というよりも、家庭の中で日ごろから家族の会話が出来ていれば、ある程度のプレゼンテーション力やディベート力が、身についているのではないだろうか?

そのように考えると、「食卓で話す」というコトはとても大切な時間のような気がする。
10年以上前から問題になっている「個食化」は、決してひとりで食べる食事という意味ではなく、家族揃っていながら会話も無く、自分の食べたいものだけを食べて自分の部屋に引きこもってしまう、というコトなのでは?
社会がグローバル化していく中での「個食化」は、日本の潜在能力を発揮できなくしてしまっている要因かもしれない。

もし、そのような視点で住宅メーカーだけではなく様々な企業が注目すれば、新たな市場が生まれる可能性もあるはずだ。
「食卓で話そう」とてもシンプルだが、今の日本にとても大切なキーワードなのかも知れない。



橋下さんに、戦々恐々する人たち

2012-03-26 07:45:07 | 徒然
最近の政治の話題の中心といえば、与党の民主党でもなければ野党の自民党でもない。
大阪市長の橋下さんでは、ないだろうか?
一部政治家やメディアの方からは「ヒットラー」とか「独裁者」と、呼ばれているようだ。
大阪市民ではない私は、橋下さんの政治がどのようなモノなのか知らない。
ただ、一部政治家の方やメディアが橋下さんに対して、過剰に反応しているように見えるときがある。
それが「ヒットラー」とか「独裁者」という発言だ。

「ヒットラー」とか「独裁者」と言われるのも、分からないわけではない。
メディアから伝えられる橋下さんの発言の一部は、確かに高圧的な内容のモノも少なく無いからだ。
だからといって、言葉の端々を取って「ヒットラー」とか「独裁者」と決め付けるのは、どうなのだろう。

もしメディアや政治家の方々が、「ヒットラー」とか「独裁者」と橋下さんのコトを言うのだとしたら、それは実際ヒットラーが台頭することになった過程で、「どうせたいしたこと無い。政治など知らない田舎者」程度に見くびり、メディアや政治家が本来果たすべき役割を果たさなかったことへの反省であればわかる。

しかし、今は橋下さん自身も言っているように、情報源は様々あり橋下さんを判断する材料は、事欠かない。
特にネットなどの情報は、メディアや政治家の方々でコントロールできるモノではない。
とすれば、メディアや政治家の方々が戦々恐々としているのは、橋下さん自身ではなく、自分たちのコトを信用しなくなってきている人たちのコトなのでは?
それを象徴するのが、橋下さんというコトなのでは?

であれば、「なぜ自分たちが信用・信頼されなくなったのか?」という点を、考えてみる必要があると思う。
メディアも政治家も産業種別からすれば、三次産業と呼ばれる産業。
サービス業という産業の一部なのだ。
一次産業や二次産業のように、目に見える具体的な物を生活者に提供している産業ではない。
目に見えないサービス提供という産業だからこそ、生活者の視点でモノを見・聴き・考え・提案していく必要がある。
その中でも特に、今の政治には「提案」が無いように思うのだ。

経済が安定している時は、与党は前例主義で政治を進め、野党は反対するだけでなんとなく政治が出来ていた。
今はそんな時代ではない。
時代感が持てない政治家に期待でき無い時に、なんとなく時代感があり、はっきりとモノを言う橋下さんが注目されるのはそこなのだと思う。
とすれば、橋下さんに戦々恐々する人たちは、自分たち自身のあり方を見直す必要がある、というコトなのでは無いだろうか?

ただ、メディア的には橋下さんの発言は、話題性があるため「オイシイ話題提供者」だけなのかもしれないが。

ベネッセのライバルはNHK?

2012-03-24 22:01:41 | ビジネス
先日、新聞にNHKが前面広告を掲載していた。
正しくはNHKエンタープライズなのだが、掲載していた内容を見て「ベネッセの独壇場とも思われている、通信幼児教育にNHKも本格参戦か?」という気がしたのだった。

ご存知のように、ベネッセの主な商品は小学生向けの「赤ペン先生」と、中高校生を対象とした「進研ゼミナール」といった、通信教育講座だった。
それが10数年前から、幼児教育にも力を入れ始め、「たまひよ(クラブ)」という言葉も生まれた。
今ではペット市場へも参入し、「いぬ・ねこのきもち」という、飼い主向けの通信雑誌も手がけている。

ベネッセの「たまひよ(クラブ)」の人気に触発され、大手出版社も次々と妊娠~出産~子育て雑誌を創刊しているが、「たまひよ(クラブ)」の人気は衰えることが無い。
そして、多くの「たまひよ(クラブ)」読者が、次に購入するのが「しまじろう」がキャラクターの通信雑誌「こどもちゃれんじ」だろう。
その意味で、ベネッセは「妊娠中から大学進学まで」をカバーする教育産業企業であり、日本ではやや特異な存在の企業でもあるといえる。

そのためだろう、なかなかこの幼児教育の通信講座へ参入する企業は無かったような気がする。
そこへNHKが、本格的に参入すると宣言したような気がしたのが、先日の新聞広告だったのだ。

しかし考えてみれば、NHKは50年以上も前からテレビという媒体を通して、幼児教育プログラムを提供してきた。
NHKの長寿番組「おかあさんと一緒」だ。
それだけではなく、NHKは「教育テレビ(現在の「Eテレ」)という、教育を目的とした局ももっている。
現在の新聞のテレビ欄を見ると、中高校生向けの学科番組が減ってきているように感じるが、それでもこのような「教育プログラムを作る」というコトに関しては、テレビ局だけではなく様々な業界よりもノウハウを持っているのではないだろうか?
そのNHKが「おかあさといっしょ」で培ってきたノウハウを使って、通信教育の分野にも参入してきた、というのはこれまでほぼ独壇場に近かったベネッセとしては、ライバル登場というコトになるのではないだろうか?

逆に考えれば、なぜ今まで積極的にNHKがこの事業に参入しなかったのかが、不思議なほどだ。
少子化が進む中で、親御さんたちはより手軽でありながら、良質な教育プログラムを求める傾向が強くなってきている。
ベネッセにしても、NHKにしても「教育」という点では同じ事業分野になる。
ただ、NHKはテレビという媒体を持つことで、ベネッセよりも優位性があるようにも思える。
とすれば、ベネッセは自社が持っている教育研究所での研究成果をどれだけ効果的に、プログラムに反映させるコトが出来るのかという点がポイントとなっていくだろう。
そして、少子化による市場の縮小は目に見えているトコロに、新たに参入する企業が出てくるのだろか?

チョッとした工夫が、利益をもたらす

2012-03-23 20:08:16 | マーケティング
昨日、「サトウの切り餅」が特許権を侵害したとして、製造差し止めの決定がされた、とニュースになった。
このニュースを見て、「アァァ~、あのことか」と思われた方よりも、「切り餅にどんな特許があるんだろう?」と思われた方のほうが多かったかも知れない。
というのも、ここ数年スーパーで売られている切り餅を、しげしげと見たりしないと思うし、そもそも切り餅に、興味が無いと思うからだ。

今年のお正月、切り餅をどんな調理器具を使って焼いただろうか?
(最近のエコブームで復活してきたかも知れないが)昔なら火鉢かストーブだったと思う。
家庭から火鉢が無くなり、冬の暖房器具がストーブやコタツから、エアコン+ファンヒーターになりつつある今は、おそらく多くの家庭ではオーブントースターなどでお餅を焼いているのでは?
とすると、上手にお餅の真ん中が膨らまず、お餅同士がくっ付いたりして、チョッとがっかりされた方は多いのではないだろうか?
それだけではなく、オーブントースターの受け皿を使って焼くと、受け皿にお餅がくっ付いたりして、それを取るのがまた手間なのだ。

そんな問題点を解決したのが、越後製菓の切れ目の入った切り餅だった。
「な~んだ、そんなことか」と、思われるかも知れない。
確かに、「その程度の工夫で、パッケージに印刷されているようなお餅が焼けるの?」と思われるとおもう。
でも、本当にその程度の工夫で、パッケージに印刷されているようなお餅が焼けるのだ。
そして、今回問題となった特許こそこの「切れ目」だった。

昔のように、火鉢やストーブの上でお餅を焼くのであれば、チョッとくらい上手に焼けなくても問題は無かった。
なぜなら、お餅を焼く時必ず誰かが側にいて、常に焼き具合を気にしていたからだ。
ところが、オーブントースターとなると、焼きあがるまで焼く具合が分からない。
だからこそ、「上手に焼きあがる工夫」が必要だったのだ。
その意味で「切り餅に切れ目」というのは、生活の変化とニーズをよく理解した工夫だったのだ。
逆に、それを特許として取得していたことに、やや驚いている。

特許を取得していた越後製菓自身、この「切れ目入り切り餅」を製造・販売することで認知度だけではなく、商品としても随分売れたと思う。
今回は、特許という問題となってしまったが、ヒット商品の要素とは何か?というコトを、よく教えてくれていると思う。

缶コーヒーは、男性のもの?

2012-03-22 16:12:53 | マーケティング
Yahooの右上にあるネット広告。
それを何気なく見ていたら、「男ですみません」という言葉の広告が目に付いた。
缶コーヒーの「ジョージア」が展開している「男ですみません。博」の広告のようだ。

このタイトルを見て「なんとも、自虐的な・・・」ということと、「最近は、女性のほうが元気だからね~」というコトが、思い浮かんだ。
昨年の女子サッカー「なでしこジャパン」の活躍だけではなく、アエラ「女子ばかりがなぜ強い」によると、最近のスポーツでは圧倒的に女性のほうが好成績を残しているようだ。
スポーツだけではなく、イロイロなところでも「元気な女子、おとなしい男子」というイメージが出来始めているように感じる。
だから、このような「男ですみません。博」というアイディアが、登場するのかも知れない。

そんなことを考えていたら、フッと気になったことがある。
それは「女性が缶コーヒーを飲む姿を、ほとんど見かけない」というコトだ。
随分前だが、タレントの明石家さんまさんが好きな飲み物として、缶コーヒーを上げていた。
そんな話を聞いてから、チョッと気にして缶コーヒーのテレビCMを見ていると、男性が飲んでいる場面がほとんどだ。
日本の缶コーヒーが一般的になり始めた頃、ポッカーの缶コーヒーには若い男性が描かれていた。
その影響だろうか?缶コーヒーのテレビCMで女性が登場するのは「コーヒー飲んでね」と言っている場面くらい。
実際、缶コーヒーを飲んで「美味しい」といっている場面は、ほとんど無いように思う。

缶コーヒーのように、手軽に飲めるコーヒー飲料であるカフェ系のテレビCMには、女性が登場することが多く、逆に男性はほとんど登場しないような印象がある。
とすれば、コーヒー飲料の中にも「男性向け・女性向け」という商品があり、缶コーヒーは男性向け、カフェ系のパッケージ飲料は女性向け、というコトになるのだろうか?
実際、スターバックスなどのカフェスタイルのコーヒーショップなどは、圧倒的に女性の姿が多い。
もちろん男性も利用しているのだが、同じコーヒーショップのドトールなどに比べると男性比率は低いような気がする。

そのように考えると、この「男ですみません。博」は実に的を得た顧客層を狙ったキャンペーンだといえそうだ。







事故が商品を進化させた例

2012-03-21 18:52:09 | ビジネス
最近スーパーの店頭から、姿を消していたような気がした商品がある。
「こんにゃくゼリー」だ。
その「こんにゃくゼリー」、以前は、「小さなお子さんが、喉に詰まらせる」事故が多かったが、最近では子どもよりも高齢者の事故が多いようだ。
その度に、ニュースで取り上げられ「喉に詰まらせるなどの事故の多い、危険性の高い食品」というレッテルが貼られ、その度にスーパーなどの店頭から姿を消している商品でもある。

実は、高齢者が喉に食べ物を詰まらせる事故で一番多い食品というのは、ご存知のように「お餅」だ。
しかし、「お餅」は日本の食文化の中でもお正月の行事食として、生活にしっかり根付いている。
日本の食文化の中でも重要なポジションにあるのが、お餅でもあるのだ。
そのためだろう、お餅による事故が発生しても、お正月の事故として取り上げられることはあっても、「危険性の高い食品」として、スーパーの店頭から消えることは無い。

一方「こんにゃくゼリー」は、そのような食文化とは無縁の食品。
生まれた背景には、こんにゃくの消費低迷などがあり、業界として「ダイエット食品」として販売し始めたのが、キッカケだった。
その後、こんにゃく特有の臭いが無く、寒天などから作られるゼリーのような果物の味の商品が登場したことで、爆発的人気商品となった。
そして誤飲事故が起きるたびに、商品の形状を見直し、パッケージには食べる時の注意事項や注意喚起を印刷している。

その「こんにゃくゼリー」を、久しぶりで店頭で見かけた。
以前からアルミパックで売られていた「クラッシュタイプ」を、従来のような個別パッケージにした商品だった。
「クラッシュタイプのこんにゃくゼリー」そのものは、10年くらい前から販売されている商品なので、目新しいわけではない。
ポイントは、「従来のような個別パッケージ」という点だろう。
というのも、これまでのアルミパックでは高齢者が食べる(正しくは「飲む」という感じだろうか?)には、難しいように思っていた。
もちろん、アルミパッケージから皿などの器に移し替え、少量を食べる、という方法もあるとは思うが、それではアルミパッケージの持っている「手軽さ」というメリットは無い。
何よりアルミパッケージの場合、一度封を切ると、保存そのものに問題が発生する可能性がある。
そのような問題を解消しつつ、誤飲事故を減らす取り組みが、企業側に必要だったのだ。

この「クラッシュタイプ」の商品の登場で、誤飲事故がまったく無くなるとは思えない。
というのも意外な食品で、誤飲事故が発生することがあるからだ。
誤飲事故でお餅についで多いのが、飴やキャラメルだと言われているからだ。
ただ、「こんにゃくゼリー」という商品は、このような企業の誤飲事故を無くす努力を続けることで、商品そのものを進化させてきた、というコトがよく分かる商品だといえる。
言い換えれば、企業がその商品に対する愛着と市場への思いいれが、商品を改善させ続ける原動力となっている商品でもある。
もちろん、「こんにゃく」という非常に小さな市場の商品だから出来たことでもあるとは思うが、その努力をする姿勢は評価されるものだと思う。