日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

吉本興業の闇営業

2019-06-27 19:54:23 | 徒然

このところ世間をにぎわしている「吉本興業の芸人闇営業」という話題。
テレビがあった頃から、吉本興業に所属している芸人が出演される番組をあまり見ていなかったので、「無期限謹慎」と言われても「そうなんだ」程度の印象しかない。
流石に、「雨上がり決死隊」の宮迫さんや「ロンドンブーツ1号・2号」の田村さんなどは、様々な番組に出演されていたので知ってはいるのだが、いわゆる「漫才」という話芸で面白かった芸人さんなのか?という印象は、残念ながらほとんどない。
その理由を考えると、今活躍をされている芸人さんの多くは「漫才」という話芸ではなく、タレントとしてテレビ番組などに出演されている為、個々の芸人さんに対する印象が薄いのかもしれない。

ただ、昔からこのような芸人と裏社会との結びつきは、指摘されてきたような気がする。
実際、名古屋の興行会社の一つは裏社会と結びついている、という噂は絶えずあった。
今のようにJ-Popではなく、「歌謡曲」が人気があった頃の話だ。
その当時の人気歌手の興行は、その興行会社が一手に引き受けていたし、それは「暗黙の了解」のようなところがあった。
そう考えると、興行と裏社会との関係は今に始まったコトではなく、長い間延々と続いてきたのでは?という、気がしている。

ただ今回のこの騒動で違和感を感じることがある。
それはある大御所漫才師の名前が、登場しないコトだ。
漫才や落語などは、師匠と弟子という関係があり、弟子にとって師匠の存在は絶対的なものだという印象がある。
もっとも吉本興行の場合、「(漫才師を育成する)スクール」をつくるコトによって、その師匠と弟子という縦関係を崩し、若手漫才師を育成するようになってはいるが、元々縦関係が厳しい世界であるということを考えれば、「師匠と弟子」のような関係がどこかで続いているのではないだろうか?
特に吉本興業に所属していて、このような話題が出るたびに名前が挙がる大御所漫才師の名前が、今回出てきていないのは何故だろう?

この「大御所漫才師」さんの漫才をテレビで見たのは、いつの頃だっただろう?と相当昔の記憶をたどらなくては思い出せないほど昔に活躍をされていたが、相方が同様の問題で「無期限謹慎」になってからは、表舞台で活躍をしているという印象はない。
当時から解せないと感じていたのは、相方だけが「無期限謹慎」となったことだった。
「漫才師」は二人で組む話芸ということを考えれば、なんとも不思議な気がしたコトを覚えている。

今回「無期限謹慎」となった芸人さんたちは、ほぼタレントとしてテレビなどに登場していたし、「漫才コンビ」という活動をしていたのだろうか?と、感じる方もいる。
今や「漫才師」と言っても、コンビを組んで話芸で人を笑わすわけでもなく、タレントとしてテレビに登場し内輪話でワイワイと盛り上がっている姿をテレビで見せているだけなので(少なくとも、そのような気がしている)、変わりになる芸人さんはいくらでもいるだろう。

ただ上述したように、興行と裏社会との関係は根深くそれを断ち切るには、興行側が身を切るほどの決断をする必要があるだろうし、そのためには裏社会と通じていると噂される大御所と呼ばれる人達を排除することが、その一歩となるのではないだろうか?

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ストローやレジ袋が、環境破壊につながっているのか?

2019-06-24 19:50:59 | 徒然

最近、「レジ袋有料化の義務化」という話題が、ニュースなどで取り上げられるようになった。
と同時に、飲食店などで使われるプラスチック製ストローも、代替品を求められるようになってきた。
一連のニュースの中で、一番ユニークだったのは洋菓子のヨックモックが自社の製品・シガールをストロー替わりに提供する、というものだろう。
HANAKOtokyo:<ヨックモック>公認の「シガール・ストロー」体験メニューが6月6日から期間限定スタート

ヨックモックほどではないが、居酒屋チェーン店やファミレスなどではこのような「脱プラスチックストロー」という動きが、顕著のような気がする。
確かに「脱プラスチックストロー」というのは、環境に配慮をしているという点では、企業イメージがアップする一つとなるだろう。
だが、その前に考えたいのは「本当にストロー必要ですか?」という点だ。
飲み物を飲む時、どうしてもストローが必要なのか?という、問いかけがされていないのが、とても気になっている。
何より、プラスチック製ストローやレジ袋が、今問題となっている「環境破壊」の中心的存在なのだろうか?

確かに、レジ袋にしてもプラスチック製ストローは、石油製品の一部だ。
そして、自然に還ることのない素材だともいえる(最近、プラスチックを分解する細菌が見つかったようだが)。
だからと言って、生活に身近な特定された商品を「環境破壊の象徴」のような扱いをするのは、いかがなものだろう?
例えば、レジ袋を有料化にしても、ゴミを出す時は自治体指定の同じく石油製品のゴミ袋で出すことになる。
レジ袋をゴミ袋として再利用するのと、自治体指定のゴミ袋を購入して使用するのとでは、同じ石油製品を使っている、という点では同じだ。
そう考えると、レジ袋を目の敵のように「政府主導で有料化」を推し進める、ということに違和感を感じてしまうのだ。

もちろん、プラスチックごみによる海洋汚染や、誤ってプラスチックごみを食べ死んでしまう海洋生物の増加という問題は、見過ごすわけにはいかない。
ただ、プラスチック製のストローの代替品の普及やレジ袋の有料化で、環境破壊を止めることができるのか?と考えると、甚だ疑問なのだ。
むしろ、海水浴場でのプラスチック製品の持ち込み禁止だとか、当然のことだが「ゴミの持ち帰りの徹底」ということのほうが、重要なのではないだろうか?
それは、海水浴場に限らず、川辺のBBQなども同じだろうし、花火などの遊びも後始末の厳重化など法的な縛りが効果的のような気がするのだ。

「何でもかんでも法律で縛る」というのは、消極的な対策のような気がするが、プラスチックごみを減らすのであれば、プラスチックごみによる環境破壊の原因となっているものは何か?という複数の視点を持つことが重要なのでは?
特定の商品を「環境破壊の象徴」のような印象付けることは、問題の本質から目をそらしているだけのような気がするのだ。




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父の日は、何故地味なのか?

2019-06-16 21:50:09 | 徒然

今日は父の日だ。
毎年思うことなのだが、「母の日」に比べ「父の日」に対する世間の扱いが、随分違うような気がしている。
「母の日」ともなれば、花屋さんには赤いカーネーションが並び、百貨店に行けば「母の日ギフト」が様々なフロアーに登場する。
それに比べ「父の日」は、決まった花はなく、百貨店の売り場は大体お酒のコーナー(+おつまみ系お惣菜コーナー)かゴルフ関連の売り場や紳士服のフロアーくらいだろうか?
確かに、メンズ商品というのは、婦人服やバッグ、アクセサリー、化粧品関係に比べ、アイティムとなるモノは少ないだろう。
小売という点でも、「母の日の赤いカーネーション」のような、象徴的な贈り物アイティムが無い為、どうしても注目度は低くなってしまうのだろう。
言い換えれば「話題性」となる要素があまりなく、商業的なセールスポイントとなる部分もあまり感じられない、ということになるかもしれない。
それを無理やり商業ベースに乗せようとすると、やはりどこかで「無理感」が出てきてしまう、ということも考えられる。

でもそれだけだろうか?
なんとなくだが、日本の家庭における「父の存在感と家族との関係性」にあるのでは?という、気がするのだ。
高度成長期から今に至るまで、「頑張って働くお父さん」という存在ではあるのに、「父と子ども」という関係になると、育児参加率そのものが低いこともあり、父親と子どもとの親密度は高いとは言えないだろう。
昨今「イクメン」と言う言葉が定着し始めているが、その実「なんちゃってイクメン」とか「自称イクメン」ばかりが増えていて、本当に子育てに参加しているお父さんは、どれほどいるのだろう?
だからと言って、「仕事で頑張るお父さんたち」を批判する気はない。
何故なら、これまでの社会的な認識が「男が働き、家族を養う」だったからだ。
「働く」場所が生活の場所から離れていれば、子どもたちは「疲れ果てたお父さん」しか見ていないし、そのようなお父さんに親密度が上がるのかはなはだ疑問だ。

家族内での日ごろの親密度の違いが、「父の日」の存在を地味なものにしてしまっている、という部分も大きいように思えるのだ。

せっかくなので、父の日に合わせ↓の楽曲を・・・大学のマーチングバンドの指揮をしていた父へささげた、ダン・フォーゲルバーグの「バンドリーダーの贈り物」

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問題の本質と解決策-アフターピルオンライン検診-

2019-06-10 22:55:02 | 徒然

「いやはや、議論の中心はそこじゃないでしょ!」と、思うような記事がHuffpostにあった。
Huffpost:「若い女性は知識が無い」「若い女性が悪用するかも」。アフターピルオンライン診療検討会で出た意見

アフターピルというのは、性的行為をした後に飲む緊急避妊薬のことだ。
レイプや望まない性的行為により、妊娠をするリスクを下げる、という目的の為に使われる避妊薬だ。

今回の「アフターピル」の会議に参加されている方々を見ると、議論の中心となっているのは中年の男性ばかりだ。
この方々の言われる「若い女性」というのは、おそらく20代の女性たちのことだろう。
しかし「アフターピル」を必要としているのは、20代の女性ばかりではない。
10代~30代、40代の女性が、必要としている医薬品なのだ。

にもかかわらず「若い女性」と言ってしまうのは、何故だろう?
それだけではなく一番の問題点は「アフターピル」がなぜ必要になってしまうのか?ということを議論の中で取り上げていない、という点だ。
そもそも「妊娠」ということになると、男性のほとんどは「自分とは関係の無いこと」と思うようだが、「妊娠」の前には「性的行為」がある。
全ては一つの行為から始まり、出産・子育てにまで繋がっていくことなのに、その理解が十分でない為に起こる悲劇を減らす為の「アフターピル」という議論が必要なはずなのだ。

日本の性教育そのものが、1970年代の頃(米国で盛んに「フリーセックス」という言葉が使われていた時代)よりも後退しているのでは?という気がしている。
というのも同じHuffpostに昨年秋、AVが性教育の教科書代わりとなっている、という記事が掲載されていたからだ。
Huffpost:1日に450人が”中絶”。性教育が浸透せず「教科書化」されるAVに、出演者たちが物申す

中絶をする女性の人数の多さにも驚くのだが、その背景にあるのは「性」に対する知識や教育がされていないからではないだろうか?
そしてこの数字を見ると「アフターピル」を必要としている女性は数多く、男性側も「性」が「生」に結びつく行為である、という認識と知識が無いのでは?という気がする。

そして、問題の解決策となるキーワードが、議論の中に出ている。
それは「知識が無い」という言葉だ。
「知識が無い」のであれば、男女関係なく「知識を得る機会をつくる」ことで、問題の半分は解決するはずだ。
「アフターピル」の問題は決して女性だけの問題ではなく、男性にも関わってくる問題でもあるはずなのだ。

オンライン検診に関しては、「アフターピル」だけの問題ではないと思う。
確かに緊急性が高い「アフターピル」だが、これから先の高齢化社会と地方の過疎化などの社会変化を考えれば、医療の充実の為には検討をしていく必要のある新しい医療サービスだろう。
それを「アフターピル」という医薬品の処方としてだけにとらえるのは、「オンライン診療」のあるべき姿が見えていないようにも思えるのだ。

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川崎の襲撃事件から考える、中高年の引きこもり

2019-05-29 09:08:09 | 徒然

川崎で起きた50代男性による、小学校の通学バス襲撃殺傷事件。
PCでニュースチェックをした時、一瞬意味が分からなくなるほどの衝撃を受けた。
自殺したと思われる犯人は、一体何を目的として小学校の通学バスを襲撃し、学童や見送りに来ていた父兄を包丁で切りつけたのか?
犯人は、4本もの包丁を用意していた、という報道もあることから、最初からこの小学校の通学バスを襲撃する予定だったのだろう。

その後、犯人の成育歴などが報道されるようになった。
確かに、どのような事情があったのかは不明だが、幼少期に親から離れ親戚の家に引き取られる、という事実があったとすれば、同情する余地もあるのかもしれない。
もちろん、同じような成育環境であっても、社会人としての責任を持ち、社会の一員として活躍をしている人たちもたくさんいる。
そのような人たちにとって、逆にこのような犯人は迷惑な存在だろう。
まして50歳を超した大人である、ということを考えれば成育歴の影響はあったとしても、やはり本人に問題があったのでは?という気がしてくる。

これまでにもあった、通り魔事件に共通する一つに「ひきこもり」ということがあるように思う。
「ひきこもり」理由は様々だろうが、引きこもりながら「社会はもっと自分を評価してよい」といった歪んだ自己愛が高じた結果、という指摘もある。
犯人像についての新しい情報が、次々と出ている状況なので確定的なことは言えないが、「歪んだ自己愛」や「自己肯定感の低さ」、「(事件を起こすことで満たされる?)承認欲求」などがあり、犯行に及んだのでは?という気がする。

そのようなことを踏まえ、改めて考える必要があると思うことの一つに「中高年の引きこもり」があるように思う。
全ての「中高年引きこもり者」に、この犯人のような人物像が重なるとは思わない。
一度社会に出たが、精神的な病気で引きこもりになってしまった人もいるだろう。
問題は、その引きこもり状態から自身が脱却する努力をしてきたのか?それとも、そのような努力もせず自己欲求を満たすような行動が目立ったのか?というようなことの有無だと思う。
引きこもりながら、同居をしている親や周囲の人たちに突然激高し、暴言を吐き続けるとか暴力を振るうなどの行動が見られれば、その時点で半ば強制的でも専門医などのサポートをしていく必要があるような気がするのだ。

この犯人に限らず、バブルが崩壊し「超就職氷河期」と呼ばれた頃に社会人となった世代が、中高年と言われる年齢に達しつつある。
そしてこの世代(以降の)「引きこもり」の多くが、高齢の親と同居し、高齢の親が成人をした子供の世話をしている。
このような人たちの存在もまた、社会保障という点で大きな負担となることは想像がつく。
「引きこもり」をしている人たちの存在を否定するのではなく、「引きこもり」をしている人たちを如何に社会に引っ張り出し、社会の一員として活躍をさせ、責任を果たすようにするのか?
少子化と共に待った無しも社会的問題なのかもしれない。



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私たちは「言葉」を疎かにしている?

2019-05-14 20:43:02 | 徒然

日経のコラム「COMEMO」は、日経の記事とは別によくチェックしている。
理由は、様々な立場や考えの人たちが自由に自分の考えなどを、コラムとして書いているからだ。
もちろん、コラムの中には日経新聞社絡みのイベント記事などもあるのだが、たとえそのような記事であっても実際に読んでみると「経済紙が考え・見ていること」などが分かる。

今日、そのCOMEMOをチェックしていたら、「なるほど!」と思う内容があった。
COMEMO:キレる日本人 松川行雄

「キレる」という言葉が、いつの頃から一般的に使われるようになったのだろう?
なんとなくだが、バブル経済が崩壊し、日本の経済全体が落ち込み始めた頃から使われ始めたのでは?という気がしている。
それから日本経済は、名目上は「好景気」と言われながら、生活者の多くは「景気実感が無い」という状態が続いている。
そして「キレる人」がより増え始めたのが、携帯電話やスマホでのメールやSNSの普及し始めた頃からかもしれない。
コラムにある通り、携帯電話やスマホのメールやSNSで作成される文は、文字数制限もありとても短い。
その短い文に絵文字やスタンプなどを加えることで、自分の気持ちを伝えることができるようになった。
いうなれば「感情表現」が「言葉から絵に変わってきている」ということに、なるのだろう。
作者の松川さんは、絵文字やスタンプでの感情表現を悪いと言っているのではないと思う。
ただ、感情表現を言葉に置き換える作業をする重要性を、述べているのだ。
そしてこのご意見に対して、納得できるのだ。

このコラムの中で興味深いのは、「面白いゲームをつくるためには、何が必要なのか?」という、ゲームを創られている方の言葉だ。
ゲームの世界観や登場人物像、背景となる時代や場所の設定などなど、表面的な情報だけでは面白いゲームを創ることができない、というのは、本当だろう。
そしてこのような考えは、マーケターにとっても必要なことだと思っている。
何故なら、数字の羅列のようなデータや図表から様々なモノやコトを読み取り、一つの「ストーリー」を創っていくこともまた、マーケターの仕事だからだ。

感情表現が豊かである、ということは決して悪いことではない。
しかし感情の赴くままの言葉は、人を傷つけ、周囲との軋轢を生み、自分自身をも傷つけることにもなる。
自分自身が自分の言葉で傷ついている、ということを理解(というよりも「実感」というべきか)できないことで、より自分自身を深く傷つけることにもなってしまっているのではないだろうか?
それが新たな人を傷つける言葉を生み、より社会をギスギスさせることになっているのでは?

私たちは「言葉」を疎かにすることによって、より「生きにくい社会」を自ら作りだしているのではないだろうか?

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ミッシェル・オバマさんという存在

2019-05-12 22:17:58 | 徒然

今日は、母の日だ。
赤いカーネーションだけではなく、様々なメッセージが「お母さん」に届けられた1日だったのではないだろうか?
数多くのメッセージの中で、ミッシェル・オバマさんがSNSに投稿したメッセージが話題になっているようだ。
Huffpost:「母の日に、母親以外にも感謝を・・・」ミッシェル元大統領夫人のメッセージが必読すぎる

ご存じの方も多いと思うのだが、ミッシェル夫人は決して裕福な家庭の出身ではない。
むしろシカゴの中でも治安が悪い地区と、言われるサウスサイドの出身だ。
さかのぼれば、元奴隷というルーツであることも、分かっている。
ミッシェル夫人が子どもの頃は、人種差別という問題もあったはずだ。
そのような環境の中でミッシェル夫人は成長し、プリンストン大→ハーバード大学という、エリートと言われる道を歩んできた女性でもある。
アメリカという国が、ベトナム戦争や公民権運動などで大きく揺れ動いていた時代に、サウスサイドという治安の悪い地域であっても、ミッシェル夫人は、ご自分で人生を切り開いてきたのではないだろうか?
もちろん、父親が公務員であったために経済的な安定がある家庭であった、ということもまた重要な点ではあると思う。

ただ成長する中で、多くの(黒人)先輩女性たちの助けもあったのではないだろうか?
昨年公開された映画「Dream」でも、多くの優秀な黒人女性たちの活躍が、NASAを(陰ながら)支えていた。
彼女たちのような女性たちの活躍が、ミッシェル夫人にとっても大きな影響を与え、まさに「Dream」の先にある具現化する活力にもなったのでは?と、勝手に想像をしている。
だからこそ、ミッシェル夫人は今回「母親以外にも感謝を!」と、SNSで訴えたのではないだろうか?

そしてもう一つ感じることは、米国大統領夫人という社会的立場の役割だ。
今のトランプ大統領の夫人であるメラニアさんは、ミッシェル夫人ほどの社会的影響力を感じさせないが、親子で大統領になったブッシュ大統領の夫人は、お二人とも「米国のお母さん」と呼ばれたこともあったように思う。
クリントン大統領の夫人であり、大統領候補となったヒラリーさんも大統領夫人であった頃は、新しい時代のアメリカ大統領夫人というイメージがあった。
イギリスのような「王室」が無い米国では、大統領夫人が「妃殿下や王女」などの役割を果たしていたのでは?という気がしたのだ。

日本では元号が変り、新しい天皇陛下と皇后陛下となった。
その雅子妃殿下とミッシェル夫人はともに「教育」ということにご興味を持たれているようだ。
皇后陛下となられた雅子妃殿下は、ハーバード大の出身。
そう遠くない日に、ミッシェル夫人と雅子妃殿下がハーバード大の同窓生として、貧困などにより教育機会が奪われている子どもたちなどに対して、一緒に教育プログラムなどが語られる日があれば、もっと社会は変わるのではないか?という、期待をしてしまうのだ。



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変えていくのは、誰?

2019-05-02 10:16:56 | 徒然

昨日、元号が平成から令和へと変わった。
元号が変わるということで、祝賀ムードのあるお代替わりだった。
新年を迎えるお祭り騒ぎとは違う「何かが変わるのではないか?」という期待感のある祝賀ムードのように感じたのは、私だけではないと思う。
そしてこの「何かが変わる」という期待感は、一体誰に向けたものだろう?と、フッと思ったのだ。

拙ブログで時折取り上げさせていただくFM番組、「感じて漢字の世界」で今週取り上げた漢字は「変」だった。
以下紹介文

今日の漢字は「変える」「変わる」。
「変化」「変更」「変革」の「変(ヘン)」です。
元号が変わろうとする今、ひもといてみたい漢字です。

「変(ヘン)」という字の旧字体(變)を見てみましょう。
上半分(䜌)は左から「糸」、「言語」の「言」、
そして再び「糸」を横に三文字並べます。
この部分は、神への誓いの言葉を入れた器の左右に、
糸飾りをつけた形を表しているといいます。
その下に書くのは「ぼくにゅう(攴)」と呼ばれる部首です。
「ぼくにゅう」は、手にこん棒を持って「打つ、叩く」様子。
そこから「変」という字は、誓いの言葉が入った器を手で打つこと、
つまり、神への誓いを破り、改めるという意味を表す漢字になったのです。
そこから「かえる、かわる、みだれる」といった意味でも用いるようになりました。

今からおよそ三千年前、紀元前十四世紀頃の殷王朝時代に生まれた漢字。
動物の骨や亀の甲羅に刻まれた甲骨文字は、
国王による占いの結果を記録しておくための手段。
同時に、神の意志と相違ないということの証明でもあります。
祭祀を始めとする年中行事や戦争、狩猟や農作業の時期、日々の決まりごと。
占われたのは、人々の生活のほとんどすべてであり、
その結果は、神と国王の合意という絶対的なものでした。

それでも、人の魂は限りなく自由。
考え、学び、やがて神意とは異なる理想の未来を思い描きます。
そして、勇気あるその人は、
神棚に供えられた箱に、力いっぱいこん棒を叩き続けるのです。
「変えてみせる」という固い決意のもと、何度も何度も、叩きます。
民衆を押さえつけるために刻まれた文字が、彼を奮いたたせるという皮肉。
今、私たちは、勇気ある先人の姿を、この漢字に見るのです。

元号が変わり、オリンピック開催を控えたこの国は、刻々と変貌を遂げています。
叩き壊そうとしている古きものの価値。
作り出そうとしている新しきものの意味。
私たちは、その一つひとつの是非を判断する責任があります。
「ニーバーの祈り」は、そんなときの指針となる言葉。
その出典には諸説ありますが、
アメリカの神学者、ラインホールド・ニーバーが、
一九四三年、マサチューセッツ州西部の教会で捧げたという説が有名です。
変革のときを迎えてざわつく心を静めたいときに、つぶやいてみてください。
―神よ、変えられないことは、それを受け入れる平穏を。
変えられることは、それを変える勇気を。
そして、そのふたつを見分ける知恵を、お与え下さい。

「変」という感じの成り立ちに、神への誓いを打ち破るという白川文字学の解釈に違和感を感じられる方もいらっしゃるかもしれないが、「変える」ということは、それほどの強い意思と勇気が必要だということなのだろう。
とすれば「変える」のは新天皇、皇后ではなく、私たちの「変えていきたい」という強い意思と勇気なのではないだろうか?
と同時に神学者ニーバーの言葉「変えられないことを受け入れる平穏」ということもまた、重要なことだろう。

変える必要があるモノ・コトには勇気をもって、そして変えなくても良いものにはそれを受け入れる寛容性を、そのバランスが令和という時代を創っていくのではないだろうか?


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時代と個性にあったファッションを

2019-04-30 21:27:19 | 徒然

今日、平成という時代の幕が下りる。
退位礼正殿の儀では、天皇陛下から国民に向けて感謝の言葉があったことは、平成という時代を表すことだったようにも思える。

天皇陛下の退位に当たって、女性週刊誌などは美智子皇后のこれまでのファッションなどを特集する記事が、数多くあった。
それだけ皇室のファッションというのは、常に話題となり多くの女性の注目となるものであったのだな~という気がした。
女性週刊誌の多くは、美智子さまがお妃候補となった頃に創刊されたものが多かったのでは?ということを考えると、美智子さまの人生そのものが、女性週刊誌の記事と共にあった、と言っても過言ではないのかもしれない。

そしてこのような特集を見るたびに、不敬であることは重々承知の上で感じるのは、海外の王室の妃たち比べると残念感があるということだ。
確かに日本の手の込んだ技法を用いたり、日本らしさのある絵柄の生地などを使ってはいるのだが、どこか古臭さを感じてしまうのだ。
宮中での儀式などで着られる装束などは別にして、皇室の第一礼装であるドレスや公務でお召になる服などは、もっと華やかなのものでも良いのでは?という気がしている。

世界の王室の中でも一番オシャレなのでは?と言われている英国のエリザベス女王のファッションを見ていると、デザインそのものは奇抜なものではないが、色やプリントで華やかさを出し、見ているこちらまで元気が出てくるようだ。
キャサリン妃などは、故アレキサンダー・マックイーンやステラ・マッカートニーのような、英国出身の若手デザイナーの服を積極的に着ている。
自国のファッション産業をアピールする、ということを考えればキャサリン妃のような自国の若手ファッションデザイナーの服を積極的に着る、というのも一つの方法なのでは?

確かに、現在の日本のファッションデザイナーの中に、ステラ・マッカートニーのようなデザイナーがいるのか?と言えば疑問だ。
言い換えれば日本のファッション業界は、このような若手デザイナーの育成をサボっていた、ということにもなるのではないだろうか?
日本全体のファッション傾向は、カジュアル志向となりユニクロを代表とする、ファストファッションばかりが話題になる。
それで、日本のファッション文化は育つのだろうか?
先日エントリしたように、1970年代後半から1980年代世界のファッションシーンで、日本人デザイナーが世界から注目を浴びた。
当時注目を浴びた日本人デザイナー自身も、既に還暦を過ぎているにもかかわらず、後継者となるようなデザイナーは?という疑問がある。
それだけではなく、彼らのデザインが皇室向きのものか?という点でも、なかなか難しいものを感じる。
ファッションデザインとしての表現と、着られる現実的な服とでは大きく違うからだ。

エリザベス女王のように、見ている私たちまでもが元気になるようなエレガントで華やかなファッションもまた、皇室のファッションなのではないだろうか?
何より、そのようなファッションを新皇后である雅子妃は、着こなせるのでは?と感じている。


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スリランカのテロとオウム真理教事件

2019-04-25 20:49:45 | 徒然

先週末、スリランカで起きた連続爆破事件。
キリスト教の教会が中心に狙われた事件だったことから、早い時点でイスラム過激派の関与が、疑われていた。
そして、ISに感化された若者たちが中心となって起こした事件だったようだ。

ISの中心拠点だったシリアでは、殲滅作戦が功を奏しほぼいなくなったのでは?と言われていた。
と同時にシリアから逃げ出したISの戦闘員が、世界各地に散らばっただけでは?という指摘もされていたように思う。
そして今回の事件で、シリアからISの戦闘員が世界各地に散らばっただけではなく、新たにISの掲げる思想(というべきなのか?)に感化された若者たちが新たな活動を自国でもするようになった、という現実を見せつけたような気がする。

それだけではなく、このような過激派に心酔する若者の中には比較的裕福で高学歴の若者たちがいる、という事実に、かつて日本を震撼させた「地下鉄サリン事件」を引き起こしたオウム真理教の幹部たちを思い出すのだ。
BBC NEWS:高学歴で海外留学の経験者も スリランカ爆破、実行犯の素顔
ご存じの方も多いと思うのだが、教祖である麻原彰晃に心酔し、事件を引き起こした若者の多くはいわゆる一流大学で理工系を専攻し、「論理的思考」の持ち主でもあった。
にもかかわらず、傍から見れば荒唐無稽の絵空事のような話を信用し、最終的には「地下鉄サリン事件」を引き起こしてしまったのだ。
逮捕後、彼らの口から「なぜ、荒唐無稽のような話を信用し、麻原彰晃という人物に心酔してしまったのか?」ということは、ほとんど聞くことができなかったように思う。
ただ、今回スリランカで連続爆破事件を起こした犯人だけではなく、ここ20年くらいの間でテロ事件を起こした中心的人物の多くが、「地下鉄サリン事件」を起こしたオウム真理教の幹部たちと重なって見えるのだ。

社会的にも経済的にも「安泰」が約束されているような若者たちが、何故ISやオウム真理教のような反社会的思想に心酔してしまうのか?
もしかしたら「安泰が約束されている」からこそ、このような反社会的思想に心酔してしまうのではないだろうか?
「安泰が約束されている」ということは、社会にある理不尽なことや格差など「社会の嫌な部分」を見ることなどほとんどなく、自分が置かれている立場が安全で将来が保証されているとは思っていないし、考えたこともないのでは?
そんな「世間の狭い」中で、荒唐無稽であっても過激な劇薬のような考えに触れることで、ある種の「理想」のようなものを感じてしまうのだろうか?

事実ISに参加した欧州の若者たちの中には、「ISの思想はイスラムの教えの中でも純粋さがある」という話をした若者もいた(ような記憶がある)ことを考えると、彼らの純粋さ=イノセントは「無知」という意味のように思えるのだ。

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