日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

風邪のため、2,3日お休みをします

2015-10-31 18:06:36 | 徒然

一昨日位から、なんとなく体調が悪かったのだが、どうやら酷い風邪をひいていたようだ。
昨夜から、ゾクゾクと寒気はするし、くしゃみも・・・。

元々、鼻炎持ちなのでくしゃみだけでは「鼻炎」なのか「風邪」なのか、判断が付きにくい。
ここ3週間ほど「鼻炎」のような症状が続いていたこともあり、てっきり「鼻炎」がひどくなったのか?と思っていたら、悪寒に鼻水、発熱と「本格的な風邪症状」になってしまった。

毎年というほどではないのだが、このような季節の変わり目になると、風邪をひいてしまう。
自己管理ができていないのだな~と、反省はするのだが・・・。
とにかく、思考力がガクンと落ちてしまうこともあり、2,3日拙ブログをお休みいたします。

皆さまも、お気を付けください。


パターナリズムとブランド志向

2015-10-29 21:41:38 | アラカルト

大病をしてから、自分の病気を知るために「市民公開講座」などへ出かける機会が、多くなった。
自分の病気を知れば知るほど、人の体の不思議ということを実感するのだが、それとは別に最近感じることがあった。
それが今日のタイトルとなっている「パターナリズム」だ。

「パターナリズム」という言葉そのものを、日常的に聞かれる言葉ではないのだが「家父長主義」とか「父権主義」と、訳されるコトが多く、今では「父権」そのものが危ういと感じられる社会状況なので、ますます馴染みがない言葉になりつつあるような気がする。
ただ、医療の世界ではいまだにこの「パターナリズム」が、一般的にみられる傾向がある。
もちろん「父親」がいるわけではないので、「父」となるのは、医師ということになる。
「医師>患者」という関係を指すのが、「パターナリズム」だ。

医療制度が変わり、大学病院や病床数の多く高度な医療を提供する病院へ行くためには「紹介状」が必要になっている。
その「紹介状」がなければ、3,000円~5,000円程度の追加料金を払って、診察をしてもらう必要があるのだが、その追加料金を支払ってでも良いから、大学病院や高度医療を提供する病院へ行きたい、という患者さんは案外多い。
その理由は、「新しい治療が受けられる」という期待もあるだろうが、やはり「大学病院とか高度医療を提供する病院」という、「ブランド」に期待しているからではないだろうか?
もちろん、このような病院には「名医」と呼ばれる医師が常勤していることも、大きな理由だと思う。

そしてこのような「病院ブランド」や「名医ブランド」を志向する患者さんの多くが、「パターナリズム」という関係に陥っているような気がする。
「名医」の前で治療内容や説明も十分理解せずに、「先生に、お任せします」と言ってしまう場合だ。
このような関係が積み重なると、「名医」側も勘違い?を「患者は、医師の言葉に従えば良い」という、感覚に陥ってしまう、ということに陥りやすい。
違う言い方をするなら「医療におけるパターナリズム」を作り上げているのは、医師側だけではなく患者側にも原因があるのでは?ということだ。

しかし考えてみれば、日本人の「ブランド志向」というのは、今に始まったコトではない。
はっきり言ってしまえば、「ブランド大好き」な傾向がある、といってよいかもしれない。
「ブランド」そのものは、企業(今回の場合は医療機関であり、医師ということになるのだが)にとっては、「社会的信頼」の証だ。
そのために、企業は常に努力をし続けているはずなのだが、この「パターナリズム」の状況に陥ると、とたんに生活者(今回の場合は、患者ということになる)に目を向けなくなる傾向が顕著になる。
最近の一例が、「VWの排ガス不正」の問題とだろう。

VW側は決して「父権的思考はなかった」というだろうが、企業と生活者との関係を「企業>生活者」と思い始めた時点で「父権的思考」であった、と考える必要があると思う。
そしてこのような問題は、上述した通り生活者(今回の場合は、患者)側にも、問題があるのでは?

最近のがん患者さんの中には、自分の治療について情報を集め、情報の裏どりまでして、担当主治医に話をする方も増え始めている。
もちろん「セカンドオピニオン」を積極的に求める患者さんも、増える傾向にある。
「がん」という病気は、自分の人生を大きく左右する病気なので、当然といえば当然なのだが、がん患者さんに限らず、生活者という立場で自分なりの「暮らし思考」を、企業に問いかけるような動きがあれば、まだまだ日本の市場は活性化するかもしれない・・・と、否パターナリズムのがん患者さんの姿を見て、感じるのだ。


マツダが元気なわけは、地域密着?

2015-10-28 21:13:03 | ビジネス

Yahoo!のバナー広告を見ていると、元気で勢いのある会社だな~と感じさせられる広告を見ることがある。
特に、昨年から「勢いがあるな~」と感じられる広告を出している業種が、自動車メーカーだ。
日産の「やっちゃえ、NISSAN」やスバルの「アイサイト ミニカー」のCMだ。
この二つのCMはいずれも「自動運転」や「運転支援」という、技術的な進歩や技術の挑戦をテーマにした、CMといってよいだろう。
それぞれの表現方法は、違っているが「クルマがここまで進化している」ということを、うまく伝えているCMだと思う。
「クルマの進化」という点で、生活者を「ハッと」させるCMだと思うし、スバルの場合はミニカー(という、視覚的に可愛らしい(?)道具を使うことによって、興味関心が薄い(?)女性などにもアピールすることに成功しているように感じる
そしてもう一つ、勢いを感じさせるのがマツダの「Be A DRIVER」というCMだ。

マツダは、「自動運転」などの技術面ではなく、「クルマを運転する楽しさ」ということを、全面に出している。
その中でも「ロードスター」のCMは、互いに相手の走りを刺激しあいつつ、最後は「じゃぁね!楽しいドライブを」というサインを出して、それぞれの行き先へと疾走していく、という内容だ。
そして、あとの2車種に関しては「女性が、ドライブを楽しむ」というシチュエーションになっている。
これらのCMを見る限り、本当に元気で勢いを感じさせるのがマツダ、という気がする。

しかし、そのマツダの勢いを支えているのは、どうやら広島という地域全体のようだ。
朝日新聞:脱・一極集中 広島あってのマツダ 戦後続く二人三脚
広島に本社を置く企業が、こぞってマツダを支援しているようなのだ。
昭和の頃は、企業の生産ライン工場のある地域を「○○城下町」と、呼んでいた。
今では、企業が生産拠点を海外に移していることもあり、「企業城下町」という言葉そのものを聞くことが無くなってしまった。
同じ自動車メーカーである、トヨタ自動車のおひざ元・豊田市などは、トヨタ自動車で持っている、と言われているが「地域との関係」となると、記事中にあるようなマツダと広島のような関係ではなく、「トヨタ自動車>豊田市」という印象がある。
言い換えれば、トヨタ自動車という企業そのものが大きすぎて、豊田市やその関連企業がある地域が、トヨタ自動車を支援したい、という体制にはなっていないのでは?ということなのだ。

企業が発展していく中で、グローバル化を目指すのは当然だと思う。
それは新しい市場を創っていくという点でも、重要な点だからだ。
だからと言って、自分の足元である地域からも愛されるような企業でなくては、他の地域(=グローバル化)でも愛される企業に成長することは難しいだろう。
そして、厳しい時に地元地域に支えてもらった、という意識が、地域社会への還元となっていくはずだ。
この「地域社会への還元」ということは、グローバル化しても企業として行う必要がある「社会貢献」だと考えれば、その「社会貢献」を知っている企業のほうが、これからは様々な地域で歓迎をされやすい。

そう考えると、マツダの場合「広島」という地域全体が、マツダのファンであり、そのファンに応えるようなクルマ作りをしていく、という思いがあって、今のような勢いにつながっているのでは?という気がするのだ。



クリスマスケーキも、様変わり?

2015-10-26 19:40:46 | ビジネス

今週末は「ハロウィン」。
あちらこちらで、仮装パーティーが行われるのだろう。
個人的には違和感はあるが「楽しく過ごすイベントの一つ」と、とらえればそれもまた良し、という気がしている。
もちろん、ビジネスとしての「ハロウィン」もあるわけだが、それも承知で楽しむのだろう。

その「ハロウィン」が終われば、いよいよ「クリスマス」というのが、シーズン商戦のスケジュールだと思う。
仕事の帰りに立ち寄ったスーパーには、「お歳暮カタログ」と並んで「クリスマスケーキ・カタログ」が、置いてあった。
その「クリスマスケーキ・カタログ」をパラパラとめくってみると、随分「クリスマスケーキ」も変わってきているようだ。

「クリスマスケーキ」というと、どのような「ケーキ」を思い浮かべるだろうか?
昭和30年代以前に生まれた方にとっての「クリスマスケーキ」は、おそらく「バタークリーム」で作られたホールケーキなのではないだろうか?
いくら寒い季節とはいえ、大量のクリスマスケーキを冷凍保存するだけの技術がなかった(?)頃は、日持ちのするバタークリームのケーキが主流だった。
その後、「生クリーム」の苺のホールケーキが主流になり、今でも「クリスマスケーキ」には、苺のデコレーションは欠かせない。
同じ頃登場したのが、「アイスクリームケーキ」だった。
そして、バブル経済の頃になると、欧州の伝統的な「クリスマス菓子」が、紹介されるようになり「ブッシュ・ド・ノエル」やドイツの「シュト―レン」やイタリアの「パネトーネ」、イギリスの「クリスマスプディング」なども見かけるようになった。

最近の「クリスマスケーキ」の主流は、パティシエが作るクリスマスケーキのようだ。
もちろん有名パティシエのものもあれば、地元で有名なケーキ店のパティシエが作るケーキもある。
当然のことながら、そのバラエティさというのは、「バタークリームのクリスマスケーキ」の頃とは、雲泥の差がある。
ただ、これまでのケーキはすべて「ホールタイプ」のケーキ。
「ホールタイプ」というのは、丸いケーキを家族や友人で切り分けるケーキ。
それが、今年は違うようだ。

カタログでまず目についたのは、「プチフール」とも呼べそうな小さな一口サイズのケーキ。
しかも、1種類ではなく、10種類くらいの一口サイズのケーキをトレーで販売をするようになっている。
他にも、いわゆる「カット」したケーキを8種類くらいをトレーで販売するようになっていたりする。
主流となるのは、昔ながらの(?)クリスマスケーキなのだが、子供が喜びそうなデコレーションケーキというよりも、大人が楽しむような、シンプルでおしゃれなケーキが中心になっている。
その中には、「アレルギー対応ケーキ」などもある。

お子さんが喜ぶデコレーションというのではなく、少量の美味しいケーキを楽しむ、という傾向に移りつつあるようだ。パーティーなどであっても、みんなが同じケーキを食べるのではなく「一人ひとりが好きなケーキを食べる」とか、「アレルギー対応」など、健康にも配慮したケーキがこれから多くなっていくような気がする。



謝罪広告の難しさ

2015-10-24 20:04:04 | ビジネス

今日の朝刊に、VWの「排ガス問題」に関する謝罪広告が掲載されていた。
フォルクスワーゲンHP:フォルクスワーゲンから皆様へ

この広告をお読みになった方も多いと思うのだが、どのような感想を持たれただろう。
私の感想としては、フォルクスワーゲンにとってのお客様とは、どんな位置づけなのか?という、本音が読み取れるような気がしたのだった。

私がそう感じた大きな理由は、
「フォルクスワーゲンは、クルマづくりにおいて最も重要な部分である゛お客様からの信頼”を傷つけてしまいました」
という部分だ。
「クルマづくりにおいて、最も重要な”お役様からの信頼”を傷つけてしまいました」ではなく、「最も重要な部分」としている。
どうやらVWにとって「お客様は、重要な一部分」ということらしい。

この「重要な一部分」という考えが、なぜ出てきたのか?と、考えることでVWの考えるお客様の姿が見えてくるような気がする。
それは「商品を購入した人=お客様」というとらえ方だ。
「それは当然だろう!」と、思われるかもしれないが、「クルマづくり」に携わってきた人すべてをお客様」としてとらえる傾向のある日本の企業とは、随分とらえ方も考え方も違う。

確かに、その下にある「文章」には「60年もの長い間、お客様からの信頼に支えられクルマづくりを行って参りました」とあるので、「重要な一部」ではあるが、お客様もクルマづくりに参加している、ような印象がある。
あるのだが、果たしてその「クルマづくり」にユーザーや社会の声が、どれだけ反映されていたのだろうか?という、疑問もある。
ドイツ以外の国のユーザーの声を反映した、クルマづくりというのは、難しいとは思うのだが、文章全体から感じられるのは、「企業>>>ユーザー>>社会」という企業文化を持っているように思われる点だ。

もう一つVWの企業文化を感じたのは、VWのHPを見たときだ。
実は、リンク先の「謝罪広告文」は、VWのHPトップに表示されるものではない。
HPトップに表示されるのは、 「GOLF&POLO40周年記念エディション」だ。
おそらく、日本の企業であれば「謝罪広告」をHPのトップに表示させることで、より「謝罪の意思」を強く打ち出すと思うのだが、謝罪そのものが「HPのコンテンツの一部」になってしまっている。

ドイツと日本の企業文化、社会文化の違いといってしまえばそれまでなのだが、少なくとも日本という市場でビジネスを展開するのであれば、日本向け謝罪の仕方、広告表現ということを考えることが大切な気がする。


一社員の問題にすり替わってきているような気がする、マンション傾斜問題

2015-10-22 21:33:24 | 徒然

横浜で発覚した、マンションの「傾斜問題」。
建設主である三井建設の問題から、この工事を直接行った旭化成の関連会社の問題へと、変わってきている。
そして今日くらいから、新聞などで報道される内容を見ると、この「傾斜問題」にかかわった現場責任者への責任追及へと変わってきているような印象を受ける。
読売新聞:傾斜、現場責任者関与は愛知県が23件で最多

確かに、現場責任者が負う責任は大きいと思う。
思うのだが、現場責任者だけの問題なのだろうか?という、疑問も感じるのだ。
現場責任者となる人物が、このような大規模工事の責任を一人で負って工事が行われた、ということ自体考えにくいからだ。
なぜなら、このような大規模工事であれば、事前に建築資材として使われる杭や鉄骨などの積算がされていただろうし、その積算の根拠となる設計図面があったはずだからだ。
このような設計図面や資材調達などは、建築の現場責任者とは関係がなく、むしろ設計段階での事前調査の問題なのではないだろうか?
それとも、岩盤調査などは工事を進めながら行うのが、慣例となっているのだろうか?
確かに、岩盤調査と並行しながら建築工事をすれば、工期は短くなるだろう。
工期が短い、ということは建築工事から売り出しまでの期間が短くなるので、施工主側にとっては費用的メリットが高い、ということも考えられる。

でも、それは企業側の都合であって、現場責任者の都合ではないはずだ。
それを、メディアも含め現場責任者が関与していた建築現場の件数を、大々的に報道したり、追求したりするのは、どこか違うような気がする。
言葉が悪いかもしれないが、「トカゲのしっぽ切り」のような印象すら受ける。

本当の問題は、事前の岩盤調査をどれだけしっかり建設企業として行ったのか?ということであり、施工主としてそれをどれだけ確認をし設計や積算、資材調達を考えて、工事を進めてきたのか?ということではないだろうか?
なぜなら、これらの費用は、すべて売り出し価格に反映されるものだからだ。
「日本の住宅の耐用年数は30年」と、言われることが多い。
この耐用年数30年というのは、住宅ローンが完済する年数とほぼ同じだ。
さすがにマンションのような「重量鉄骨」で造られる建築物は、そのようなことはないはずだが、それでも国立競技場が50年あまりで「老朽化のために取り壊された」ことを考えると、施工主側も建築を請け負う企業側も、その程度で考えているのでは?という、気がしてくる。
今回の問題の根っこの部分にあるのは、そのような「住宅に対する考え方」なのではないだろうか?



docomoは、いったい何をしたいの?

2015-10-21 19:28:59 | ビジネス

新聞チェックをしていたら、「・・・???」という記事があった。
中日新聞:ドコモ、複数社の生保販売 来夏から、日生と提携発表

ご存じのとおり、携帯電話各社は「新規顧客」の獲得をするために、様々な販促キャンペーンを展開している。
その中で目立つのは「他社からの乗り換え新規客」に対する、キャッシュバックだろう。
違う見方をするなら、既に日本のスマートフォンを含む携帯電話市場そのものは、拡大する余地がほとんどなく、市場の取り合いをしている、という状況にあると考えたほうが良いだろう。

市場そのものの拡大する要素が少ない、と考えるなら、これまでとは違う市場を開拓、あるいは進出することによって、新しい収益をつくりだす仕組みを作らなくてはならない。
そのことはよくわかるのだが、なぜ「生保」なのだろう?
既に「店舗型生保」は、すでにいくつもの誕生しているし、銀行でも取り扱いをしている。
来月上場を予定している「かんぽ」は、郵便局が扱っている「生命保険」だ。
その意味では、docomoは後発となる。
「生保」そのものを販売するためには、生保の販売資格を持った販売員(いわゆる「生保レディー」と呼ばれる販売員)が必要で、そのための人材育成にはそれなりの費用が掛かる。
何より「保険業」の監督官庁は、金融庁(だったと思う)なので、保険だけの知識ではなく「金融全般の知識」もある程度必要になる。

「日生が人材育成をサポートする」ということだが、「保険」という金融商品と携帯電話のような通信事業とでは、まったく違う知識が必要なだけではなく、必要とされるサービス内容そのものも大きく違う。
確かに「店舗を活用する」という点ではメリットがあるかもしれないが、機種変更や他社からの乗り換えに来た高校生や大学生に生命保険を提案する気なのだろうか?

もしdocomoが新規事業に乗り出すというのであれば、やはり「通信事業」と関連が持てる事業のほうが、はるかにリスクも投資も少なくて済むはずだ。
例えば、学習塾などに通うことが難しい子供たちに対して、学習塾とタイアップし、タブレット端末を使った「e-ラーニング」などだ。
経済的理由で、学習塾に通えないという子供たちだけではなく、病気などにより通学できない子供たちに対しても、このようなサービスは「未来への社会投資」として、意義があるだけではなく、今現在も需要があるはずだ。

他にも、高齢者の見守りシステムを警備会社と病院、地域の高齢者支援センターなどとを結びつけ、独居高齢者のサポートを提供する、などのアイディアがあっても良いと思う。
それなのに、まったく異業種の生保に「店舗活用のため」に進出するのは、なぜなのだろう?
その意図するところが、まったくわからない。




デジカメに4Kって、必要なのかな?

2015-10-20 20:50:12 | ビジネス

或るサイトを見ていたら、その下にあるデジカメの広告が表示されていた。
その広告を見て、考えてしまった。
デジカメに4Kという機能が、必要なのか?と。
パナソニック:LUMIX GX8

15年ほど前までは、デジカメは「画素数」の競争だった。
デジカメの中でも特にコンパクトカメラ、と呼ばれるカメラは新作が発表されるたびに、その「画素数」が増えていた。
「画素数」が増えることで、何が良いのか?というと、撮影した写真がより自然に見えるからだ。
今ではその「画素数」競争?もひと段落し、コンパクトカメラそのものの機能も各社さほど変わらないくらいだと思う。
もちろん、価格によって「画素数」が増えたり、高機能(というか、多機能というべきか?)になるのだが、同一クラスという点では、各社横並びという気がしている。

その中でパナソニックが4Kという、高画質を打ち出したのは、やはり他社との差別化を図るためだろう。
ただ、コンパクトカメラで4Kという高画質は、本当に必要なのだろうか?
というのも、デジカメの普及で日常的にカメラを持ち歩く人が、増えてきた。
食事に出かければ、食べる前にパチリとお料理をデジカメで写真を撮る、というのが習慣になってしまった方もいらっしゃるのでは?と、思うほどFBなどのSNSには、「食事の写真」が多く掲載される。
そしてそのような「写真」には、数多くの「いいね!」を集めることができる。
他には、ペットの写真などが日常的にデジカメで撮られているのでは?と、考えている。

確かに4Kのような高画質で、そのような写真を撮れば食事の写真はより美味しそうに撮れるかもしれないが、それを見る人のPCやスマホの多くは4Kほど高画質ではない。
まして、自宅のPCなどに保存したりプリントをするとすれば、保存するPCやプリントの画質が4Kに対応できているのか、疑問がある。

写真というのは、カメラで撮影した時が大切なのではなく、それをプリントしたりPCやテレビで写し出したときが、大切なのだ。
確かに、家電量販店のテレビコーナーでは、4Kテレビの販促に余念がない、と感じるが今はまだ普及しているとはいいがたい状況だ。
撮影した画像がいくら高画質でも、その写真を見るとき4Kと同等の高画質でなくては、4Kの魅力は伝わらないのでは?

もう一つ思うことは、デジカメが普及したことで様々な時間や場所で、パチパチと写真を撮ることが当たり前のようになってしまったが、気軽に撮った写真は、思い出として残る写真なのだろうか?という点だ。
毎日の食事を写真に収め、記録をとるのであれば話は別だが、気軽にパチパチと撮っている写真は、高画質で残しておきたい!と思えるものなのだろうか?

「高画質」というのは確かに魅力的だが、プロのカメラマンやセミプロのような方を除けば、4Kほどの高画質を必要としていないような気がするのだが・・・違うのだろうか?


Yahoo!のトップページに表示されるパチンコの広告、いいのかな?

2015-10-19 20:01:50 | ビジネス

ここ数年、Yahoo!のトップページ右側にある「広告」スペースに、パチンコメーカーさんの広告が表示されるようになってきた。
そして、この広告表示に頻度が、最近多くなっているような気がしている。

「パチンコ」が、「娯楽」という範疇のものであれば良いのだが、金銭が関わり「ギャンブル依存症」の要因の一つと指摘されるほどの状況になっていることを考えると、このような広告表示はYahoo!にとって、メリットがあるのだろうか?
もちろん、パチンコメーカー側とすれば、新しい商品の広告という意味で広告費を払い、表示をしてもらっているのだと思うのだが、なんとなく「これでいいのかな?」という、気がしてならない。

我が家にテレビが無くなってから、随分経つので現在名古屋地区におけるパチンコCM事情は分からないのだが、テレビがある頃は、実家のある鳥取と比べると随分お金をかけたCMを制作している、という印象があった。
最も、パチンコそのものは名古屋が発祥の地とされているので、なんとなくわかる気がしたのだが、その頃のCMほどではないにしても、随分頻繁にネット上で広告されるようになってきている、という印象がある。

その理由を考えると、一つは生活者のテレビ視聴時間が減ってきている、ということと関係しているのだろう、と想像している。
実際、テレビを視聴している主な層というのは、10代~20代ではなく、50代以上の世代だと言われている。
そしてパチンコをする人の年齢も、上がってきているのかもしれない。
偶然「新装開店」という文字が躍るパチンコ店の前を通ると、店の前で開店を待っている人たちの年齢が比較的高い、ということに気づく。
もちろん、「新装開店」の時間は勤務時間なので、働き盛りの人がいないのは当たり前なのだが、それにしても高齢者の姿が多い。

とすれば、Yahoo!のトップページにパチンコの広告を頻繁に表示させる、ということはパチンコ業界側としては、客層の若返りを狙っているのだろうか?
それにしては、使われているキャラクターは、私が20代の頃人気があったものが多い。
狙いとキャラクターイメージのちぐはぐさは、否めない気がする。

ただ、年齢関係なく目にすることができるYahoo!などのトップページに対する広告表示というのは、どうなのだろう?
それともYahoo!への広告表示をする企業そのものが、減っていてその穴埋めに表示されているのだろうか?

「パチンコ」という、ギャンブル性の高いモノだからこそ、ネット上の広告表示にあり方を考える時期に来ているような気がする。


ビジネススキルの基本は、PCを使える能力ではなく、それ以前の学習だと思う

2015-10-18 21:30:15 | 徒然

昨日、毎日新聞に「最近の(日本の)若者はPCが使えず、企業が困っている」という内容の記事が掲載されていた。
毎日新聞(Yahoo!トピックス):<企業悲鳴>スマホ普及でPC使えない若者が増加

どの時間帯・曜日を問わず地下鉄に乗ると、スマホ片手にいろいろなことをしている人は多い。
その傾向は若者に限ったことではなく、それこそ「老若男女を問わず」という気がしている。
ただ、若年層のスマホ保有率が圧倒的に高いため、どうしても目につくのは若者ということになる。
そのスマホの操作を見ていると、ガラケー愛用者の私などからは想像もつかないほどの、スピードでLINE(と思しき)画面に入力をしている。

スマホとPCとでは、確かに操作が違うし処理をする内容そのものも違う。
ワードやエクセルなどは、仕事では必須作業なので、これらのツールが使えないというのは、仕事にならないということになる。
その意味では、この記事にあることは確かなことだと思う。

ただ、ワードやエクセルなどのPCの操作などは、その気になればいくらでも覚えられる。
実際、私が社会に出たときはPCはおろか、ワープロが1部署に1台あればよいほうだった。
当然、エクセルではなく、電卓を使って統計データをつくり、手書きでグラフ化していた。
ワープロも個人で使えるわけではないので、手書き原稿をつくり、その原稿を基にワープロ入力をしていた、という時代だった。

ただ今思えば、そのような経験があるからこそ、データを読む力も身についたように思うし、グラフ化するとき「どのようなグラフをつくれば見やすくて、相手がわかりやすいのか?」ということも考えた。
手書き原稿にしても、ビジネスレターから企画書に至るまで「書くことの意味や目的・相手に伝えるポイント」などを、考えながら何度も書き直しをし、原稿を作り上げワープロ入力をしていたような気がする。

ここで問題になっているのは「PCの操作ができない」というだけではなく、「データを読み解く力」だとか「相手に伝える力」という、もっと基本的な力が低下している、ということではないだろうか?
いくらエクセルやワードを使いこなすことができても、ビジネスの基本はそこではないはずだ。
単に「エクセルやワードを使いこなす」というだけであれば、専属の人材を派遣社員などとして雇えばよい。
もちろん「エクセルやワードを自在に使いこなせる人材」は、素晴らしい能力を持っている方だと思うし、次々とバージョンアップされるソフトに対応するだけの勉強も常にしていく必要があり、それができる人材は貴重だと思う。
その能力に特化した人材を求めているのであれば、何も社員教育としてPC研修を改めてする必要はないのでは?
むしろ企業が社員としてほしい人材は、上述したような「データを読み解く力」とか、「相手に伝わる文章力」だと思う。
そのような力は、PCの操作ができれば身につく、というものではないと思う。
むしろ「自分で調べて、データをつくり、文章化する」とか、様々な本(ハウツー本は除く)を読み、言葉の感性を磨くことで身につくと思うし、それらは受験勉強以外の、基本的な学習によって身につくもののような気がする。
もちろん、手書きにこだわる必要は全くない。