日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

JASRACの言い分は分かったが、都合の良い拡大解釈のようにしか思えない

2017-12-29 18:51:08 | アラカルト

今日の中日新聞に、JASRACの本音ともとれる記事があった。
中日新聞:JASRAC、教室の反発を批判 理事長「誰が考えてもおかしい」

JASRAC側の考えは、「音楽教室は、営利事業なのだから支払うのは当然である」ということのようだ。
確かに「音楽教室」そのものは、収益を求める事業だ。
何故なら収益が無ければ、運営そのものは続かない。
例え、非営利団体であっても団体が行う事業継続の為には、それなりの収益がなくては事業を継続することはできない。
教室となる部屋を借りれば賃貸料は発生するし、当然光熱費もかかる。
楽器のメンテナンスの為の費用も必要だろう。
そのような経費をねん出するためには、非営利団体であろうと一般社団法人であろうと、それなりの収益が必要になることは、分かるはずだ。
ただJASRACと音楽教室側の争点である「公衆に直接聞かせる目的で演奏をする権利」は、著作者が持つと定めた著作権法の第22条の解釈だ。
「音楽教室が営利事業か否か」という点は、争点に含まれていない。

そもそも今回の音楽教室の中でも最大の規模を持っている「ヤマハ音楽教室」は、一般社団法人ヤマハ音楽振興会という、社団法人が運営をしている音楽教室だ。
カワイの場合、一般社団法人とはなっていないものの、主眼となっているのは「音楽教育」の為の教室運営であり、一般的な営利事業を展開している企業とは、社会的役割は違うように思う。
個人のピアノ教室などの場合、ピアノ教室の運営だけで大きな収益を上げている教室は、ほとんどないのでは?と、思っている。
何故なら、個人のピアノ教室の場合、音大を卒業した奥様が自宅の一室で行っているピアノ教室がほとんどで、確かに毎月の月謝などの収入はあるとは思うが、「営利目的」と呼べるほどなのか疑問なところがある。

そう考えると、JASRAC側のいう「営利目的で行っている事業なのだから、支払うのは当然だ」というのは、チョッと違うのでは?という気がしてくる。
まして今回の争点となっているのは、上述した通り「公衆に直接聞かせる目的で演奏をする権利」に、「営利事業」が当てはまるのか?という点で、疑問がおきる。
理由は、「営利事業」と「公衆に直接聞かせる目的の演奏する」ということとは、まったく別の話だからだ。

百歩譲って、争点となっている「公衆に直接音楽を聞かせる」というのであれば、それは発表会という場だろう。
「発表会で演奏するために、営利目的の音楽教室で練習をしている」という、解釈をするにしてもその「発表会」そのものが「公衆」と呼べる人達を対象としているのだろうか?
中日新聞の記事にあるように、「営利事業をしているのだから、JASRACにお金を払うのは当然」というのが、本音なのではないだろうか?
そして、それは今回の争点となっている問題とは、まったく関係が無いことで、JASRAC側の都合の良い拡大解釈のように思えるのだ。




「遺伝子検査」というビジネス

2017-12-27 20:34:56 | 徒然

毎日新聞に「遺伝子検査ビジネス」についての記事が、掲載されていた。
毎日新聞:厚労省 遺伝子検査ビジネス 業者4割経産省指針守らず

個人的な印象として「わずか4割なのか?」という気がしている。
何故なら、今スポーツクラブの前などでは「入会時に遺伝子検査などもできます」というPOP広告などを見かけることも多く、「遺伝子検査」そのものが手軽になり過ぎているのでは?という、懸念をしていたからだ。

今回問題になっている「遺伝子検査ビジネス」というのは、病気のかかり易さや肥満などを遺伝子レベルで調べる、という内容のようだ。
「遺伝子検査」と言っても、どれだけの正確性と究極の個人情報と言われる「遺伝子情報管理」がされているのか?ということがはっきりしないまま、「遺伝子検査ビジネス」が広がりつつあるような気がしている。

何より、一番懸念することは「検査精度」と「結果」、そして「結果によるカウンセリング」がどれだけきちんとされているのか?という点だ。
多くの人にとって「自分の遺伝子」そのものには、興味はあると思う。
しかしその「遺伝子」というものについて、どれだけの知識があるのだろうか?
しばらく前に「遺伝」の説明でこれまで使われていた「優性・劣性」という表現をやめる、と話題になった。
日経新聞:「優性」「劣性」用語使わず 日本遺伝子学会が言い換え
高校生の頃「発現の優性・劣性という意味で使われている」と生物の授業で学んだ気がするのだが、やはり勘違いをしやすいということで、用語と言い換えるということになったようだ。
それほど、「遺伝子」については十分に理解されているとは思えないのが、現状なのではないだろうか?

そのような状況で、いきなりどれだけの精度があるかわからない「遺伝子検査」の結果が、自分が思ってもいないような検査結果が出たら、どれだけのショックを受けるのだろう?
ショックを受けた後のフォローも何もないまま、その結果だけが心に重くのしかかる、という状況を想定しているとは思えないのだ。

「遺伝子検査」ではないが、ドラマ「コウノドリ」で「出生前診断」をテーマに取り上げていた。
Real Sound:原作にない究極のテーマ〝出生前診断”に挑戦
検査をしてくれる施設は増えているが、その後のフォローはおざなりになっている、という問題を取り上げただけではなく、検査を受ける妊婦を含めた家族が「どのような思いや考えで検査を受けることを考えているのか?」という、検査を受ける側にも事前に考えることの大切さを、上手く伝えていた。
じつは「出生前診断」よりも、もっと大きな問題を含んでいるのが「遺伝子検査」なのだ。
理由は上述した通り「究極の個人情報」である、ということと「様々な病気リスク」が突き付けられたときの、カウンセリング体制が整っていない、という点だ。

健康だと思っている時は、「自分の病気リスクなどの情報が分かれば、予防もできる」と考えがちだが、いざ「自分の病気リスク」が分かった時、どのように受け止めてよいのか、わからなくなってしまう人がほとんどだろう。
確かに「遺伝子検査」というビジネスは、「ゲノム解析」そのものができるようになったことで、身近なモノになりつつある。
しかし、その後どうするのか?という、一番大切な部分が見落とされているのでは?という、懸念があり、ビジネスとしてはまだ行うべきではない、と感じている。


やはり「デザイン」は、重要だった?

2017-12-26 21:22:59 | ビジネス

Yahoo!のトピックスを見ていたら、「なるほど!」と思う記事があった。
オートックワン:トヨタの新型車デザインはやり過ぎなのか?派手さを求める現代のトレンド
ここ数年、トヨタ車のデザイン特にフロントグリルと呼ばれる、正面部分のデザインが派手になってきている、という内容の記事だ。
確かに、ここ数年「厳めしい」というか、「鎧」のようなデザインだな~、と思うことが多々ある。
もっとシンプルなデザインのほうが、ファミリーユースのクルマならいいのでは?と、思うこともしばしばだ。

私にとっての最初の衝撃は、ピンクのクラウンだった。
クラウンという車種は、一般乗用車の中でもハイクラスに位置づけされていると思っていたので、それまでのベーシックカラーと言われる、黒や白などが当たり前だと思っていた。
それが、記念車(だったと思う)として発表された色が、ピンクだったコトは衝撃的であった。
そのピンクも優しい色合いのピンクではなく、ショッキングピンクに近いド派手なピンクであったコトに、「トヨタはどうしたのだろう?」と、心配になってしまったほどだった。
トヨタ車が多いと言われる名古屋であっても、この「ショッキングピンクのクラウン」は、ほとんど見ることはない。
つい最近見かけたのだが(ピンクのクランを見たのは発売後4回目くらいだ)、「名古屋走り」と言われる荒っぽい運転よりも荒っぽい運転のピンクのクラウンだった。
「運転する人とクルマのデザインや色の感性は、案外合致するものだな~」と、漠然と見ていた。

その後、ファミリーカーとして主婦層に人気の高かった「シエンタ」のデザイン変更があり、「このデザイン、どうよ?」という気がしていた。
ここ1年ほどで、新しいシエンタを見ることが随分増えたように思うのだが、それでも旧デザインのシエンタのほうが多いように感じている。

このような、トヨタの「迷走デザイン」が始まったのは、いつ頃からだろう?と、考えてみると、今の豊田社長になり、「クルマはスポーツだ」というキャッチコピーを頻繁に使うようになってからのような気がしている。
事実、上述した「シエンタ」は、そのようなコンセプトのCMになっている。

「クルマはスポーツだ」というコンセプトに、問題があるとは思わない。
現社長である豊田章男さんは、ご自身がレーシングドライバーでもある。
モータースポーツが趣味と言っても、過言ではないだろう。
気になるのは、それまでトヨタという自動車メーカーが創り上げてきたイメージや客層が、その「クルマはスポーツだ」というコンセプトを受け入れているのか?という点だ。

トヨタは長い間「ファミリーカーのトヨタ」という、ポジションでクルマ作りをしてきたはずだ。
「ファミリーカーのトヨタ」のコンセプトとなったのは、ご存じの方も多い「パプリカ」という車種だった。
日産が「技術の日産」と打ち出せば、トヨタは「ファミリーカー」という位置づけで市場を作り上げてきた。
むしろ「ファミリーカーのトヨタ」というコンセプトが、日本の自動車産業を大きくけん引してきたのでは?と、感じる部分が大きい。

確かに今現在「ファミリーカー」という、市場は厳しいと思う。
何故なら、昭和という時代の標準家庭像が、大きく崩れてきているからだ。
記事中にある「ソフトヤンキー」層が、経済をけん引すると言われ始めたのは、数年前だったと思う。
そしてこの「ソフトヤンキー」と呼ばれる人たちは、クルマに対する興味が他の層よりも強い。
だからと言って、「ソフトヤンキー」と呼ばれる人たちと、ファミリーユースの市場とではどちらが継続性のある市場なのだろう?

そう考えると、クルマであっても市場性を考えたデザインは重要なのだな~という気がする。


「日本産ウイスキー」と書いてほしかった

2017-12-25 21:47:47 | アラカルト

日経新聞のWEBサイトを見ていたら、「世界が認めた国産ウイスキー」という見出しがあった。
日経新聞:世界が認めた国産ウイスキー サントリーなど増産へ (会員記事の為、一部掲載となっている)
ここ数年、サントリーのウイスキーが、本場英国のコンテストなどで好成績を残している。
当然、ライバル企業であるアサヒなども力を入れるのは、分かる。
日本国内の洋酒の市場が伸びていないと言われているが、海外でのコンテストでの高い評価は、アジア市場では強みとなるはずだ。

ただ気になったのは「国内産」という見出しだ。
確かに日本国内で造られているのだから、「国内産」は間違っていないと思う。
それでもあえて「日本産」という表記をして欲しかった、と思うのだ。
何故なら、日本の自然で造られたウイスキーだからだ。

そう思ったのには、訳がある。
サントリーの山崎の特別サイトに、公開されている動画を見たからだ。
YAMAZAKI MOMENTS-山崎蒸溜所
まるでショートムービーを見ているかのような、映像美溢れる動画という印象がある。
それだけに、サントリーの「山崎」というブランドに対する思いの強さを感じる。
そしてこの動画を見て感じることは、京都の山崎という場所だからこそ、このウイスキーが誕生した、という自信と誇りだ。
サントリーは「山崎」以外にも、「白洲」、「知多」という蒸留所のある地名の付いたウイスキーを出している。
朝ドラ「マッサン」で再び注目されるようになった、ニッカにしても創業者の名前を付けた「竹鶴」の他に、「宮城」などやはり蒸溜所のある地名のウイスキーがある。
それだけ、ウイスキー造りにはその地の自然との関係がとても深いのだと思う。
それは日本酒造りも同じだと思う。

だからこそ、国内産ではなく「日本産」という表記にして欲しかった、という気がしたのだ。
日本のウイスキーが本場で高い評価を得られるようになったのは、ウイスキー造りの技術が上がってきたことも大きいだろう。
それでも、サントリーの「山崎蒸溜所」の動画を見ると、やはり日本の豊かな自然と技術者の熱い思いがあったからではないか?という、気がしてくるのだ。

もう一つ気になったのは、記事に「山梨県と滋賀県の2拠点」とあるのは、たぶん間違いで「山梨県(白洲)と京都府(山崎)の2拠点」ではないか?と思う。


医療の進化で、置いてきぼりにされる人のこころ

2017-12-23 21:53:08 | 徒然

先日、名古屋大学の先生が「尿でがんを見つける」という研究を発表した。
日経新聞:名大、がん診断に使う微小物質 1ミリリットルの尿から1000種類検出

このニュースを聞いたとき、過剰ながん検査のリスクが軽減される、と思った。
それだけではなく、リスクが判明した病気に対して、予防ができる可能性が出てきた、と感じた。
同様のことを感じられた方は、少なくないと思う。

今、医療の世界では(?)「ゲノム治療」に対する研究が、世界的に進められている。
むしろこれからの医療は「ゲノム(=遺伝子)レベルでの治療」が、主流になると言われている。
「精密化医療」と呼ばれる、個人に合わせた治療ということだ。
このような「精密化医療」が進むコトで、体の負担の大きい抗がん剤治療が、負担の少ない抗がん剤治療へと変わっていく可能性が高い。
個人に合わせた抗がん剤投与というだけではなく、「ドラッグデリバリー」と呼ばれる、がんにピンポイントで直接的に抗がん剤などを投与する、という考えも含まれていると言われている。
それだけではなく、「生活習慣病」や「認知症」などのリスクもある程度わかるのではないか?と、期待されているのが「ゲノム治療」ということになる。

このような「ゲノム治療」を考えた時、人の判断よりもAIのほうが的確な判断ができる、とも言われている。
何故なら、膨大な「ゲノム情報」から該当する情報を集め、分析をするというのは、人よりもAIのほうが得意だからだ。
一昨年だっただろうか?AIの進歩で失われる職業の中に、医師が入っていたのはそのよう「医学の進歩」があるからだろう。

本当だろうか?
今でも「がん告知」という場面では、患者となる人の多くは「茫然自失」となり、医師の説明など覚えていない、という方は多い。
むしろ「がん告知」の場面で、冷静に医師からの説明を聞き、その後の治療計画を考えられる患者のほうが、はるかに少ない。
何故なら、「がん」という病気に対する恐怖や不安、何故自分ががんになったのか?という、憤りや自分を責めるような様々な心の葛藤があるからだ。
そして「心の葛藤」は、人それぞれでAIのデータで分析できるほど、簡単なコトではない。

そう考えると、医学の進歩で人のこころは、置いてきぼりにされてしまう可能性のほうが高いのでは?
上述した「わずかな尿で、様々な病気がわかる」のは数年後だとしても、今でも「がんの遺伝子検査」や「出生前診断」と呼ばれる生まれてくる赤ちゃんの染色体異常を見つける検査は、行われている。
「がんの遺伝子検査」の場合、必ず「遺伝カウンセラー」のカウンセリングを受けるようになってはいるが、より簡便な「遺伝子検査」を行う機関は数多くあり、そのようなところで受けた「遺伝子検査」では、検査結果を通知するだけで、カウンセリングなどを実施している機関はほとんどないのではないだろうか?

医療技術や研究の進歩で、人の体や病気のことはわかるようになってきている。
それだけではなく、一人ひとりの個人にあった治療が受けられるような将来像も、ボンヤリとだが見え始めている。
だが、人のこころが取り残されるような「医療」は、本当の「医療」なのだろうか?
むしろこれからの医療は、人に寄り添う「人の力」が重要になっていくのでは?という、気がしている。


JASRACの狙いは、「大人の音楽教室」という気がする

2017-12-21 22:28:13 | ライフスタイル

JASRACが、音楽教室などに対して「著作権料」を徴収する、という話が出て以来、JASRACに対する風当たりが強くなっている。
元々JASRACという組織そのものの活動内容が、具体的に明らかになっていないことや一部のミュージシャンが、徴収され、ミュージシャン側に、支払われているとされているお金が支払われていない、と訴えるなどがあり、組織そのものの活動実態などに対して疑問を呈する声が出ているのは、ご存じに通りだ。

今回の「音楽教室」に対する徴収そのものは、音楽教室側から提訴しているが、それでも強気のJASRAC側は年明けから徴収を始めるという文書を音楽教室側に送付するなど、音楽教室側だけではなく社会が納得できる回答をしないまま、事が進んでいる。
当然の事ながら、音楽教室側は「審議前に徴収を開始しないように」と文化庁へ申請をするなどして対抗している。
今回の音楽教室側が文化庁に「審議前の徴収開始をしないように」という申請により、年明けからの徴収はなくなったようだが、何故ここまでしてJASRAC側は、「著作権」を盾に徴収ということを言うのだろう?と、疑問に感じていた。

その理由が分かったのは、この件に関してのネットの書き込みからだった。
その書き込みとは「モーツァルトやバッハに、徴収したお金を支払うの?」という内容だった。
子どもを中心とした音楽教室は、クラシック音楽を中心に学ぶことが多いだろう。
実際、ピアノ教室などで習う楽曲は、クラシック音楽が中心だ。
JASRACが主張する「著作権管理」とクラシック音楽は、なかなか結び付かない。
そう考えると、JASRACが対象としているのはここ10年以上人気になりつつある「大人の音楽教室」なのでは?という、気がしたのだ。

「大人の音楽教室」に通う人達の多くは40代50代以上で、学生時代に楽器演奏をしてみたかった、とか少し経験があるが忙しく、なかなか楽器演奏ができなかった、などもともと楽器を演奏してみたかったのだが、若い頃はそのチャンスに恵まれず、経済的にも時間的にも趣味として再度チャレンジしてみたい!という人達を中心に人気になっている。
教室側も、これまでのような子どもを対象とした「音楽教室」だけでは、少子化によって先細りをしていくことへの懸念から、積極的に「大人の音楽教室」を展開している。
そのため、教室で教える楽器もピアノやバイオリンだけではなく、ギターやサックスなど幅広い。
他にも、「歌を歌う」というクラスもある。

当然演奏をする楽曲もクラシック音楽ではなく、自分たちの青春時代の音楽である洋楽やフォークソング、あるいはジャズといった楽曲になる。
演奏会を目的としているわけではなく、あくまでも「自分の趣味の充実」の為に教室に通っているはずなのだ。
そのような楽曲であれば、JASRACが言う「著作権」に関わる、ということになるのだと思う。

そう考えると、突然降ってわいたような「JASRACの音楽教室に対する徴収」ということも、腑に落ちるのだ。
だからと言って、JASRACが主張するような内容になるのだろうか?
むしろ、子どもの音楽教室とは違い、大人の音楽教室は「趣味」という要素が強い。
果たして「人の趣味」にまで「著作権」を振りかざし、徴収をするというのはいかがなものだろう?




リニア談合よりも、土砂崩れのほうがもっと問題だと思う

2017-12-19 22:37:29 | 徒然

リニア新幹線の工事に伴う、大手ゼネコンの談合が問題になっている。
中日新聞:大林組、リニア工事談合認める 公取委に課徴金減免制度で

リニア新幹線の工事は、巨額の資金が投入される大規模事業ということもあり、当然のことながら大手ゼネコンが共同事業として進めることには、違和感はない。
東京から神奈川、山梨、長野、岐阜、愛知という県を通る事業なのだ。
愛知から先も三重、奈良、大阪というルートでの工事が、続く予定になっている。
その中でも、山梨、長野のルートは山を掘りトンネルを通す、という予定になっている。
これほどの大規模トンネルを通すだけの機材も技術も持っている企業は、大手ゼネコン以外ではまずないだろう。
そう考えれば、JV各社が工事の分担を決める、ということはあるのでは?という、気がしている。

確かに、談合をすることで「独占禁止法(だったと思う)」に、抵触するということはわかるし、そもそも談合そのものは、問題のある商取引だと思う。
思うのだが、素人目でも「難工事だろうな~」と、想像できる工事を「談合をしていたから」と、問題にするというのは、どうなのだろうか?という、気もしている。

それよりも、今日いくつかの新聞社のWEBサイトで取り上げられている、長野県で起きた土砂崩れの原因が、リニア工事であった、ということのほうが遥かに問題のような気がするのだ。
中日新聞:土砂崩落、リニア関連工事が原因か JR東海

このニュースそのものは、全国ニュースとして取り上げられなかったかもしれない。
12月15日に、長野県の県道松川インター近くの斜面で土砂崩れが発生し、車1台が被害にあったものの運転手などには、怪我がなかった、というものだ。
讀賣新聞:リニア工事近くの斜面崩落、県道が通行止めに
大規模な事故にはならなかったが、リニア関連工事が原因でこの土砂崩れが起きたとすれば、リニア工事をしている周辺地域の地盤そのものが、リニア工事に耐えられるのだろうか?という、不安が起きてくる。
そしてリニアが開通してからも、その地域は大丈夫なのか?という、疑問がわいてくる。

リニアの開業ルートが華々しく決定した頃から、「本当にリニアは必要なのだろうか?」という、疑問を持っていた。
今の「東海道新幹線」の運行状況や老朽化、東南海大地震などの予測などを考えれば、「東海道新幹線」に代わる新しい「新幹線ルート」が必要である、ということも十分に理解しているつもりだ。
しかし、「リニアである必要があるのか?」とか「何故そのルートなのか?」という、検討が十二分にされてきたのだろうか?
随分前、リニア新幹線をコンコルドに例えたことがあった。
採算に合わずコンコルドは、機体を解体された。
言い換えれば「コンコルドは、機体を解体すれば問題は解消される」のだ。
リニアの場合そのよう訳にはいかない。
既に動き始めてしまった事業工事なだけに、今更中止というわけにもいかないはずだ。

そう考えると、今問題になっている談合などよりも土砂崩れが工事現場付近で起きたことのほうが、問題は大きいと思う。


お笑いと風刺

2017-12-18 15:35:55 | 徒然

新聞各社のWEBサイトと同様にチェックをしている、Huffpost。
そのHuffpostに、「政治と風刺と漫才」というタイトルの記事が掲載されている。
Huffpost:ウーマンラッシュアワー、THE MANZAIで沖縄米軍基地ネタ「面倒くさいことは見て見ぬふりをする」

ウーマンラッシュアワーが出演した、フジテレビのTHE MANZAIという番組を見ていないので、実際にはどのような漫才をされたのかは分からないのだが、元々「笑いの芸」には、社会風刺や政治批判のようなものが含まれていることが多かったと思う。
このような傾向は日本よりも欧米のほうが強く、今でも「スタンドアップコメディアン」と呼ばれる、一人漫談をされる方の多くは、社会風刺や政治批判を笑いに変えてステージに立っている。
それだではなく「スタンドアップコメディアン」は、人気が高くテレビ番組などにも登場することがある、という印象を持っている。
そもそも、英国の「モンティーパイソン」や米国の「サタデーナイトライブ」なども、その時々の話題をちゃかしてみたり、風刺や政治批判を笑いにすることで、人気を博してきた番組という印象がある。

日本の場合、漫才をはじめとするお笑い芸そのものが、いつしか「身内の(暴露)話」のような話などが中心になり、話芸というよりも芸人さん自身が、タレント化しご自身の持っているはずの話芸で笑わせるようなことが、無くなってしまったような気がする。

確かに、日本のテレビ番組などは政治色の強い話を避ける傾向がある。
その傾向は、ここ20年ほどでますます強くなり、最近ではすっかり「話芸」としての漫才よりも、タレント化した芸人さんの「すべらない話」になってしまったような気がする。
そのほうが、テレビ番組を提供する側も安心なのかもしれない。
その中で、今回のウーマンラッシュアワーの漫才というのは、「批判」という「毒」があり、その「毒」を笑いにするだけの内容だった、ということなのでは?と、想像する。
むしろ、このような「毒」を笑いに変える力が、漫才師としての技量であり話芸なのではないだろうか?


「ワークライフバランス」とか「働き方改革」という前に、考えたい「介護問題」

2017-12-17 20:27:20 | ライフスタイル

日経スタイルに、「親の介護で転勤ができない男性社員が増えている、という内容の記事があった。
日経スタイル:「親の介護で転勤できない」男性社員の申し出増加

人口統計などを見てみれば、一人の女性が出産する人数が、1.3人程度ということを考えれば、「一人っ子同士の結婚」は当たり前になりつつある、と言っても良いと思う。
内閣府:出生数、出生率の推移
親の介護という問題を考えた時、夫婦二人で4人の親を看なくてはならない、ということになる。
結婚後、専業主婦として仕事をしない女性であっても、4人の介護を一手に引き受けるのは、想像以上に大変なことだろう。
まして、今のように女性が結婚後も働き続けるのが、当たり前になってきている状況であれば、「自分の親は、自分で介護」ということになるのは、当然だと思う。
このような社会変化は、10年以上前から徐々にあらわれていたはずなのだ。
少なくとも、人口統計という公的データを見るだけで、ある程度想像ができる「未来図」だったのだ。

しかし、日本の企業(だけではなく、社会全体)が、このような「未来図」を見ることに積極的ではなかった。
そこには、戦後誕生した「企業戦士」を支えるための、夫婦の役割分担にこだわってきたからではないだろうか?
企業だけではなく、社会全体もだろうし、政治的政策面でも「女性の労働力」という考え方の中心にあるモノが「戦後の高度成長期の家族モデル」だからだろう。
いわゆる「夫婦二人に子供二人のモデル家庭」を基準にした考え方だ。

「夫婦二人、子ども二人」が、日本の標準的なモデル過程というのは、既に「幻想」となりつつあるのは、ご存じの通りだ。
実際には、「単身世帯」が急増し、子どものいる家庭であっても「シングルマザー(あるいはシングルファザー)と子ども」という世帯が増えている。もちろん「夫婦二人、子どもひとり」という世帯のほうが多く、むしろ「夫婦二人、子ども二人」という家庭は、珍しい世帯となりつつあるのでは?と、考えている。

そのような「家族構成の変化」は、これまで女性が「社会的役割」とされてきた、「育児」や「介護」を家庭内の無償労働から、様々な人が関わるサポート外注型へと変わることが、必要になる。
現実はサポート外注型にしたくても、施設や従事者の不足だけではなく「社会の目」があり、なかなか難しい状況になっているのではないだろうか?
その難しい状況に、男性自身も巻き込まれるようになったことで、「(親の介護で)転勤ができない」という男性社員が増えてきただけのような気がするのだ。

「介護離職」は、企業にとっても大きな痛手となる(と思われる)。
しかし「子どもは、親の介護をするのが当然」という社会認識と今の企業の在り方では、「介護離職」を選ばざる得ない人たちがいても当然だろう。
それが、女性の就労率の上昇やそれまでとは違う「家族構成」によって、表面化しているのだと思う。
「ワークライフバランス」とか「働き方改革」も重要だと思うのだが、「介護(や育児・保育)」の問題は目の前にある問題で、これらの問題が解決しない限り「ワークライフバランス」だとか「働き方改革」は実現しないように思うのだ。


たかがドラマ、されどドラマ

2017-12-16 21:02:20 | アラカルト

12月に入り、この秋にスタートしたドラマが次々と最終回を迎えている。
その中で高視聴率を獲得し続けたのが、テレビ朝日系の「ドクターX」だろう。
今週の最終回の視聴率は、25%を超えていたようだ。
livedoor News:「ドクターX」視聴率25.3%で有終の美 結末をめぐり賛否両論

実際のドラマを見ていないので、全体のストーリーは把握していない。
しかし、最終回のあらすじを読むと、随分荒っぽい印象を受ける。
その荒っぽさを「後腹膜肉腫」という、希少がんによって「不可能を可能にさせた」という印象を持たせているのでは?という、気がしたのだ。

2人に1人が「がんになる」と言われていても、「自分は大丈夫」と信じている人は多い。
しかし、多くの人は「がん」という病気について、ほとんど知らない。
ネットなどで調べてみても、ネット上に溢れかえっている情報は「玉石混交」状態。
がん患者だけではなく多くの人が信じてしまう情報は「玉」ではなく、「石」のほうなのだ。
まして、希少がんである「肉腫」は、種類が多いのに患者数が少なく、したがって専門医も少ないというのが現状だ。
(がんには、胃がんや肺がんのような「固形がん」、白血病などの「血液のがん」の他に、骨肉腫などの「肉腫」がある)。
そのような耳馴染みのない?病気名を使うことで広く社会に病気を知ってもらう、という役割を果たす意味は、十分にあると思うのだが、であれば、もっと丁寧な描き方が必要だったのでは?

それだけではなく、どのようながんであっても「ステージ3や4」という状況では、簡単に手術を行うようなことはできない(と思う)。
「ステージ3、4」という状況は、最初にがんができた臓器から他の臓器へと転移している状況だからだ。
最初にできたがんを手術で取り除くのではなく、抗がん剤などの薬物療法が優先されるのが、一般的だ。
私自身、乳がんという病気になって「がん」という病気について、勉強をしたことで知ることができたことなのだ。
それを、「がん」という病気に興味・関心が無い(ほとんどない)視聴者に向け、ハッピーエンドで終わらせる為の脚本であれば、「ドラマでもその内容はどうなの?」と、疑問に思ってしまうのだ。

そして、このドラマを製作・放送したのが朝日新聞社系のテレビ朝日であった、という点でも「どうなの?」と、思うところがある。
理由は、日本におけるがん対策に影響を与えていると言われている「日本対がん協会」が、朝日新聞と関係がある団体だからだ。
「日本対がん協会」そのものは、公益法人なので直接的には朝日新聞とは関係は無いのだが、「日本対がん協会」の役員には朝日新聞社出身の方がなられているケースが多いのだ。
「がん」という病気について、積極的な情報発信やサポート事業をしていながら、その一方で「ドラマだから」という理由で荒っぽい描き方をしているような印象を受けるのだ。

「娯楽としてのドラマなのだから、そこまで目くじらを立てなくても」というところはある。
しかし、テレビという膨大な情報を発信している、という部分を考えると、いくらドラマであっても、ある程度の現実的な描き方は必要なのだと思う。
視聴率が獲りやすい「医療ドラマ」だからこそ、きちんとした病気に対する情報の発信が必要なのでは?と、考えるのだ。