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多くの人を、共感させる為に必要なこととは?

2019-12-10 13:34:46 | アラカルト

今年のノーベル賞の授賞者候補の一人として名前が挙がった、高校生の環境問題の活動家・グレタトゥーンベリさん。
国連での堂々としたスピーチに、驚かれた方も多かったのではないだろうか?
そのスピーチの多くは、今の「経済優先の社会」を作り上げてきた大人に向けられた糾弾だった。
そのため、反発をした(大人の)方も多くいた。
その後、グレタさんに対していわゆる「大人」がTwitterなどのSNSを通して、「それは違う」という意見を発信することもあった。
グレタさんとしては、自分の意見を述べることで大人が反応してくれた!という、目的は達成されたのではないだろうか?

その後、異様にグレタさんを持ち上げるような記事が、出てしまったのは残念なことだし、グレタさん自身「自分にばかり注目されることは、本意ではない」と話している。
huffpost:グレタ・トゥーンベリさん、自分ばかりに注目するメディアに苦言「私はただの気象活動家。大きなムーブメントの小さな一部」

確かに、グレタさんの言葉に共感し、世界の高校生たちが気象問題に興味・関心を持ち行動し始めている。
それはとても素晴らしいことだと思うのだが、大人と高校生たちとの間にある「共感性の違い」ということにも、注目する必要があるような気がしている。
何故なら、反発をした大人と共感した高校生の間には、何かの「受け止め方の違い」があるのでは?という、気がしたからだ。

そのような「違い」についての記事が、クーリエジャポンに掲載されていた(会員記事なので、全文を読むことはできない)。
クーリエジャポン:説得よりも大事なのは「希望とメリット」
         「グレタ・トゥーンベリ的な言い方では、世界の人々は動きません」

この記事を書かれたのがフランスの方なので、日本の大人が感じた違和感と同じなのか?という、疑問が無いわけではないのだが、スピーチで重要なこととして挙げている「希望とメリット」という点は、納得ができる部分だと思う。
グレタさんの国連でのスピーチは、激しい言葉が多かったような印象を持っている。
しかも、誰という名ざしではないにせよ、今の社会を作り上げてきた「大人」に対して厳しい言葉を「投げつけた」ような印象があった。
そのスピーチに共感できた大人も数多くいれば、反発した人も多かったのは「厳しい言葉だけが、投げつけられた」と、感じた大人が多かったからだろう。
それは自分でも「気象変動よりも、経済を優先してきた」という、直接的な厳しい言葉に「後ろめたさ」を感じた、反発ともいえるのかもしれない。
共感した高校生たちにとっては、大人をやり込めたという一種の爽快感もあり、共感と自分の代わりに登場したヒロイズム的な象徴という、とらえ方なのかもしれない。

ただ、今のような「グレタさんを支持する若い世代(もちろん、共感する大人もいるが)VS反発する大人」、という構図はメディア的には面白いかもしれないが、建設的な問題解決の糸口を見つけることはできない。
クーリエジャポンにあるような「問題を解決することで見えてくる希望」が語られ、そのコトによって受ける大人を含めた全世代が受ける恩恵(=メリット)が無くては人は動かない、というのは事実だろう。

大人になればなるほど思考に支配され、こころでの共感が減るからこそ「説得」する必要があり、「説得材料」として「メリット」が必要になるからだ。
それが悪いわけではないし、思考によってより現実的なビジネスが展開でき、社会を豊かにさせているという事実もあるからだ。
グレタさんの件に限らず、それはビジネスという場面であっても同じだろう。