日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「帯を踏みつけている」以前の問題だと思うーヴァレンティノの広告ー

2021-03-31 11:49:11 | CMウォッチ

Yahoo!などのトピックスで、イタリアの高級ファッションブランド・ヴァレンティノが「帯をハイヒールで踏みつけている」という動画や広告について、取り上げられている。
J-castニュース:ヴァレンティノ「ハイヒールで着物の帯踏む」広告が物議 写真・動画が削除…ブランド側は「確認中」

取り上げられた理由の一つに、モデル起用されているのがキムタクの二女であったということも大きいだろう、と想像している。
何と言っても、ご両親ともに芸能界で活躍をしている「二世タレント」で、デビューそのものも華々しいものだったし、メディアも別格扱いをしていたからだ。

彼女のモデル(「アンバサダー」という広告塔)起用については、以前から「(若すぎて)ブランドに合わないのでは?」という指摘がされているようだが、ヴァレンティノのショーに限らずパリやミラノに登場するモデルの中には、10代の少女がいる事を考えれば、「若いから」というのは理由にはならないと思う。
ただショーのステージに立った時、10代のモデルであってもその迫力や堂々たるポージング、歩き方などはキムタクのお嬢さんには無いものである、ということは確かだだろう。

それより今回問題になったのは、日本の伝統衣装である着物の帯をハイヒールで踏みつけている、という点だ。
既に削除されたらしい画像が、リンク先の記事にはありその写真を見てみると、ハッキリ言って広告として「いただけない」と感じる。
少なくとも、イタリアの高級ブランド・ヴァレンティノらしからぬ、写真だという印象がある。

撮影イメージとして、泉鏡花の「草迷宮」を映画化した寺山修司の作品を基にイメージしている、ということのようだが、とすればやはり起用するモデルはキムタクのお嬢さんではなかったはずだ。
泉鏡花や寺山修司の世界観は、もっと妖艶で人を惑わすような、世界観を表現が必要だからだ。
決定的なのは、背景がとても安っぽい。
背景に映り込んでいる、コンクリート造の支柱の数々。
一般住宅の一部も見える。
これらの背景に映り込んでいる風景を見ると、泉鏡花や寺山修司の世界観を理解して、ロケーションをしているとは思えないのだ。
あくまでも個人的なイメージだが、ロケーションをするのであれば、先日、国の有形文化財に登録されるのでは?話題になった、神戸の「廃墟の女王」と呼ばれる旧摩耶観光ホテルのような場所だと思うのだ。

そんな安っぽい背景に、帯をランウェイに見立てて、モデルを立たせている。
これでは帯そのものの美しさも伝わらないし、帯を使う意味も分からない。
もちろん、帯の上にハイヒールで立つなど、日本の服飾文化に対する敬意の無さの表れだと受け止められても、仕方ないだろう。

記事中に寺山修司が制作した映画「草迷路」の中に、帯の上を歩くというシーンがあるとされているが、歩いている場面でハイヒールを履いているのだろうか?
作品を観ていないので何とも言えないのだが、裸足で歩いているのでは?
映画の一部分を切り取り、「多様な価値観を表現したかった」と言われても、「(日本の美の集約の一つである着物の帯を)ぞんざいな扱いをした」と感じさせるだけで、広告表現としては失敗だったのでは?という気がしている。

そして、今日になりヴァレンティノ側がお詫びを発表している。
Huffpost:ヴァレンティノが物議醸した”帯の上を歩く”広告でお詫び。「日本文化を冒涜するような意図は全くなく」

残念ながら、このお詫びでヴァレンティノ側は「日本文化も日本の手工芸も知らない。泉鏡花も寺山修司の世界観も知らない。ただ売上が良い市場であるという認識しかしていなかった。」ということだけではなく、代理店が提案してきたコトに対して、自分たちに決定権があり、それがヴァレンティノの名前とブランド力に影響を与える、というマーケティングの基本を理解していない、ということを露呈させただけのような気がする。

私が初めて広告媒体の制作に携わった時、担当をしてくださったカメラマンの方から言われた言葉がある。
「広告は虚構の世界だからこそ、細部はリアルでなくてはいけない。嘘の世界であっても受け手には、豊かなイマジネーションを与えるリアルが必要だからだ」

この広告を制作した側は、果たしてこのような考えがあったのだろうか?
何となくだが、キムタクのお嬢さんを起用する、というところで思考が停止し、本当のクリエイティブとは何か?という、一番重要な点を忘れてしまっていたような気がしている。



「どこでもアート」の時代が来るのか?

2021-03-30 20:05:28 | アラカルト

先日、Huffpostを見ていたら「太っ腹!ルーブル美術館!」と、思わず声を出しそうになった記事があった。
Huffpost:パリのルーブル美術館、「全作品」をウェッブサイトで無料公開へ。名画「モナリザ」含む48万点以上

収蔵品48万点以上の作品をウェッブ上で無料公開、というのはなかなかの決断を要するものではなかったのか?と、想像するのだが、やはり「新型コロナ」の世界的感染拡大により、来館者が激減したということも理由のようだ。
収蔵作品をウェッブで公開することで、「新型コロナ」の世界的感染拡大が収束した時、再び来館し生で作品を鑑賞してもらいたい、という考えがあるのだろう。

そしてこのような動きは、米国の「メトロポリタン美術館」や「シカゴ美術館」でも起きているようだ。
「メトロポリタン美術館」や「シカゴ美術館」は、「新型コロナ」が流行する前から公開をしているようなので、もしかしたら「美術教育」という理由でウェッブ公開をしていたのかもしれない。

「ルーブル美術館」の様に「新型コロナ」の世界的感染拡大が理由であっても、日本にいながらにして「世界の名作」と言われる美術作品を観ることができる、ということはとても意義のあるコトだと思う。
特にここ3,4年盛んに言われるようになってきた「ビジネスパーソンのためのアート思考」という点だけを取り上げても、元々美術館に行くことがあまりなかった男性ビジネスパーソンにとって、大きな利点だと思う。

残念に思うのは、日本の美術館がこのような動きに追従していない、という点だ。
何故なら、流出した作品が多いとはいえ「浮世絵」や近代美術作品など、まだまだ日本の美術館に収蔵されている作品が多い。
個人的には京都の国立近代美術館が収蔵している「日本の着物(衣装)」等は、海外のファッションデザイナーに与えた影響も大きいという解説も含め、公開して欲しい作品群だ。

このような作品を自由に観て「自分だけの美術館」を創るコトも、楽しいだろう。
実際、雑誌「和楽」のウェッブサイトでは「自分だけの美術館をつくろう だれでもミュージアム」という企画を提案している。

上述した「ビジネスパーソンのためのアート思考」等と堅苦しいことは言わず、また蘊蓄を聞く必要もない。
(和楽Webのアート作品の読み物は、これまでのアート解説とは違うので、読んでいて面白い)
「芸術」そのものは「芸」の「術」なのだから、頭であれこれ考えるよりも心を開放して、感じる事が一番だからだ。
その感じたことに「何故?どうして?」と、思考を深めていくことで「これまでとは違った見方が身につく」だけのことだ。
であれば、まずは「芸術を観てみよう!」じゃないか。
しかも、世界中の芸術作品が自宅で見られる「どこでもアート」の時代がきているのだ。
その時代に、日本の美術館も遅れを取らずに作品発表をして欲しい、と思うのだ。
そして「新型コロナ」が収束したら、生の作品を観に出かけたい。

 


Fashionと中国のせめぎ合い

2021-03-28 20:08:38 | ビジネス

中国政府によるウイグル自治区の問題が、意外なところでも問題となっている。
それはファッション業界だ。
しかも日本のメーカーやブランドではなく、海外のブランドとの間で問題になっているのだ。
その一つが、H&Mに対する中国政府の猛反発だ。
WWDJapan:「H&M」に中国が猛反発、大手ECサイトらが取り扱い中止 ウイグル問題をめぐって

中国側が猛反発の動きを見せる半年ほど前、H&Mが「新疆ウイグル自治区拠点の縫製工場と協業しない」と発表したコトによる中国側の報復措置と考えたほうが良いだ
このウイグル自治区の問題に対しては、H&M以外の企業でも同様の動きが出ている。
例えば、アウトドアウェアとしてだけではなく、サスティナブル企業としても人気のある米国の「パタゴニア」もウイグル自治区からの素材調達を昨年ストップさせた。

日本の企業特にファストファッション企業では、このような発表をしていないこともあり、ファストファッションブランドであるユニクロや通販、ECサイトなどでは「made in China」を見る事が多い。
ご存じのように、この「made in China」の表示は、「中国で製造しています」ということを表しているのだが、実は日本でも「中国離れ」がゆっくりと進んでいる。
実は、カンボジアやベトナムなどで作られるアパレル商品が、徐々に増えているのだ。
その理由の多くは、中国での人件費の高騰だと思われるのだが、それ以外にも「縫製の丁寧さ」という点では、ベトナムなどの新興国のほうが良いという方もいらっしゃる。
そう考えると、日本でも「中国離れ」が進んでいきそうな気がするのだが、「H&M」や「パタゴニア」との大きな違いは、政治的な理由ではない、という点だろう。

だが現実には、日本でも「政治的問題」として、取り上げられる可能性があるようだ。
それは「新疆綿」と呼ばれるウイグル自治区で生産されている、コットンの中でも繊維が長くしなやかな素材が、SDGsの問題などと絡んで輸入されにくくなるかもしれない、という点だ。
WWDjapan :「新疆綿」の大きすぎる存在感 不使用ならアパレル生産は大混乱か

SDGsに関しては、今世界中で取り組みが進んでいることはご存じの通りだ。
企業によっては「SDGs」のピンバッチを社員に着けさせ、「環境と人権問題に積極的に取り組んでいる企業」というアピールをしているはずだ(アピールだけで終わりがちなところが、残念だが)。
SDGsの範囲は、環境問題だけではなく、人権などについても含まれている。
そのためSDGsを推進しようとすれば、当然「人権問題」にも向き合わなくてはならない。
その「人権問題」の中でも、現在中国政府による「新疆ウイグル自治区」に対する対応は、世界から批難を浴びるような残酷なものだ。
それは、かつてチベット問題よりも厳しい問題として認識されているかもしれない(中国政府が行っていることは、全く同じなのだが)。
その理由の一つが、「ウイグルの問題」には「中国経済」との関連があるからだろう。
WWDの記事にあるように、「新疆ウイグル自治区」での主な産業は「新疆綿」と呼ばれる綿花の生産とコットン製品の製造だ。
そして「新疆綿」というブランドは、既に確固たる世界的なブランドになっている。
そのためアパレル産業側としては「新疆綿」製品を扱いたいが、中国政府の「ウイグル自治区における政治的弾圧」は、SDGsを掲げれば企業として避けなければいけない問題となってしまう。
そのジレンマを「新疆綿」という素材は持っているのだ。

果たして「新疆綿」をめぐる世界のファッションブランドと中国政府のせめぎ合いは、ファッション産業全体に大きな影響を及ぼすことは違いないだろう。
とすれば、日本で生産される綿花の多くが、短い繊維であるため「新疆綿」のようなしなやかで光沢のある素材にはならない、と言われている「綿花」だが、品種改良などにより「新疆綿」に代わるような「綿花栽培」ができれば、日本にとっては大きなチャンスになるのでは?
かつて「綿花栽培」が盛んだった地域では、若い世代を中心に「日本の綿花とコットンの復活」という動きが、出ているのだから。



かつて「マスクは黒」が主流だった?!

2021-03-26 20:11:24 | 徒然

毎日新聞のWEVBサイトを見てたら、「いつの時代のマスク?」という雰囲気のマスクの写真があった。
毎日新聞:明治の「呼吸器」から「アベノマスク」まで 世相を映すマスクの歩み

写真を見ると「呼吸器」と呼ばれていたのは、「スペイン風邪」が流行した頃らしい。
表地は黒で、口が当たるところは金網のようなものが付いている。
形状そのものは、今のガーゼマスクと変わらないようだが、口が当たる部分に金網のようなものが付いているため、付け心地はさほど良くなかったのでは?と想像できる。

それから時代が変化するにつれ、今のウレタンマスクとよく似た形状へと変化していく。
使われる素材もシルクやベルベット、皮革など随分おしゃれというか、マスクが衛生用品ではなく「ファッションアイティム」として、使われていたのでは?と、感じさせる。
「呼吸器」と呼ばれていた時代の金網のような素材から、メッシュ素材のようなモノへと変化をしている。
とはいえ、マスクそのものの色は「黒(や茶色)」のような色が主流だったようだ。

それが第2次世界大戦がはじまり、物資が不足するようになると、おなじみの(?)白いガーゼマスクが登場する。
おそらく、それまでのような「おしゃれマスク」は、「華美である」という理由でつけられなくなったのだろう。
もちろん、メッシュの素材となっていたものが金網のようなものであったら尚更、マスクに使用されることはなくなっていたはずだし、シルクやベルベット、皮革という素材自体も手に入れることが難しくなっていただろう。

第2次世界大戦で一般的になった「白いガーゼマスク」が、50年以上「マスクのスタンダード」になる。
「衛生用品」という視点で考えれば、「白」という色は、汚れが目立つという利点がある。
それは今でも「マスク」のスタンダード色が、「白」という意味と同じだろう。
もう一つは「ガーゼ」という素材が、包帯などに使われていたことも、大きく影響しているのではないだろうか?
「富山の薬売り」と呼ばれる行商の人たちが、戦後全国津々浦々「家庭薬」を販売していたことも、「白いガーゼマスク」が一般的になった要因かもしれない。
今一般的に使われている「不織布マスク」は、ここ20年くらいの間で一般的になってきたというのもなのだ、ということもわかる。

このように「マスクと時代」という視点で見ると、今現在主流となっている「流線形(というのだろうか?)」という形状のマスクは、案外新しいデザインではない、ということがわかる。
何より、戦前まではマスクの主流となっていた色は「黒」であった、ということだ。
第二次世界大戦という「物資不足」が、「白のガーゼマスクとその形状」を定着させ、スタンダードにしたということだろう。
それから70年以上の年月を経て「新型コロナ」という新たな感染症の流行により、かつて流行していたような形状のマスクが一般的になり、そして色も「黒」が復活すると同時に、「ファッションの一部としてのマスク」というアプローチも復活し、世界的に拡がっていった。

ただどんな時代になろうとも、「マスクは息苦しい」ものであり、何とか「呼吸しやすいように工夫を凝らしている」ということは変わらないようだ。

「時代は繰り返す」とは言うが、マスクにも意外な変遷があり、それは生活者の変化に影響されている、という点は変わらないようだ。


「炎上しない」広告って?

2021-03-25 18:59:28 | CMウォッチ

VOGUEをチェックしていたら、「炎上しない広告」という記事があった。
VOGUEJapan:原野守弘『クリエイティブ入門』に知る、炎上しない広告のセオリー

今週だったか?テレビ朝日の看板番組「報道ステーション」のWEBCMが炎上し、担当者がTwitterで謝罪、CM取り下げをするということがあった。
毎日新聞:男女格差軽視?皮肉?報ステCM「炎上」の理由を探る

過去にも、様々なCMや広告が「炎上」し、その度ごとに企業が謝罪をする、ということが繰り返されてきた。
最近でも、東京オリンピック2020の開会式の演出統括者が、打ち合わせ時に起用するタレントさんに対して侮蔑的なことを言い辞任することになった。
この件は、問題になる前にオリンピック委員の会長であった森氏の発言から端を発し、組織全体の「意識の問題」ということにまでなってしまった感がある。
それほど根強く、改善すること自体が相当難しい問題なのかもしれない。

ただ、VOUGEの記事を読んでみて「炎上する・しない」の大きな違いは、問題のとらえ方とその表現方法、ということがわかる。
例えば、化粧品のポーラのCMや広告は「女性が抱えている問題」に対して、過剰な演出をしていない。
奇をてらうことなく、その問題に対して「淡々と描き出している」だけだ。
リクルート向けのCMということもあるが、「私がどうしたいのか?」ということをCMでは言っているに過ぎない。
「どうしたいのか?」という自分の問に、企業からの答えはない。
答えは無いが、企業としての回答のようなモノを感じさせるつくりになっている。
違う見方をするなら、「問題を淡々と描きながら、企業が一歩引いている」というCMなのだ。

今ある問題は、動かしがたい事実だ。
それを企業が取り上げる事で、「このような問題に取り組む企業姿勢」というアピールができる。
だが企業の考えを押し付けずに、一歩引くことで、受け手となる生活者に「考える」という、余白を与える。
この「余白」となる部分が、炎上を回避しているのでは?という気がするのだ。

とはいうものの、このようなCMや広告は一歩間違うと、印象の弱いCMや広告になってしまう。
そこに広告の難しさがあり、広告を創る側の醍醐味もあるのだと思う。
ただ忘れてはいけないのは、CMを含め広告は生活者に寄り添うものでなくてはならない、という点だ。
バブルの頃の様に「目指せ!○○」のような成長志向のCMや広告は、受け手となる生活者には「現実は違う」という違和感を与えてしまう。
だからといって、悲嘆にくれるような内容ばかりでは、今のような社会状況の中では、生活者の気持ちも必要以上にふさぎ込んでしまう。
だからこそ「生活者に寄り添う」という感覚で、過剰な演出ではないCMや広告つくりが大切であり、炎上をしないための策のような気がしている。





日本の「新型コロナ」対策が、「根性・精神論」だったわけ

2021-03-24 19:24:27 | アラカルト

Yahoo!のトピックスにも取り上げられていた「コロナ感染者データバンク創設」というニュース。
讀賣新聞の独自記事だったようだ。
讀賣新聞:【独自】コロナ感染者データバンク創設へ…1万人分、大学や企業に公開

この見出しを見た時、「日本の疫学対策は、クリミア戦争以前の発想だったのか?」と、落胆した。
と同時にこれまで政府が言い続けてきた政策が「根性論と精神論」ばかりだった理由もわかった気がした。

「クリミア戦争以前」というのは、クリミア戦争で戦士する兵士よりも、負傷し衛生環境が悪い中で亡くなる兵士が多いコトに気づいたナイチンゲールが、衛生環境を整えるために「統計」を用いてその問題点を示し、改善へと導いたという状況以前のことを指している。

「新型コロナ」の感染拡大が問題となって1年以上経つはずだが、その間に「状況の分析」の為に「PCR検査」による「陽性者」の洗い出し、陽性者の症状、そして重症者などについての情報が、まとめられそれがデータベース化され、対策の指針としてこなかった、ということが分かったのだ。
その状況は上述したように「クリミア戦争」で、バタバタと満足な治療も受けることなく命を落とした兵士たちがいる「野戦病院」のような気がしたからだ。

これまで問題となっていたのは「医療崩壊」という言葉だけで、その実態となると良く分からない、という印象があった。
もちろん、拙ブログでも指摘した「2025問題」を見据えた、厚労省の公立病院の縮小の推進などがあったと思うのだが、何より問題だったのが、「感染者に関するデータベース化」がされていなかった、ということが最大の要因なのでは?という、気がするのだ。

約1年前は「クラスターが発生した」ということだけで、右往左往していた。
それは「新型コロナ」という感染症がどのようなルートで拡散するのか、分からなかったからだ。
それから1年経ち、「クラスターがどこで発生したのか?」という、感染ルートが分からない陽性者が爆発的に増えてしまった。
東京都などは昨年の暮れごろから「感染ルートの調査」そのものを止めてしまっている、と報道されていたように思う。
それほど、爆発的な広がりを見せているのに、陽性者に対しての調査→データベース化をしてこなかったコトで、有効な手立てを打つこともなく「自粛をお願いします」というだけの「生活者の良心的行動」に頼った対策しか、してきていない。

国が「ワクチン接種」によって、感染拡大が抑えられると考えているようだが、国民の8割位がワクチン接種ができるようになるまでには、後1年くらい必要だと言われている。
その間「生活者の自主的自粛生活」を続けなければならないと、思えば「1年間の我慢は何だったんだ!」という思いが起きるのも当然だろう。
お天気も良い、桜も咲いた…となれば、「自粛疲れ」をしている生活者は、少し羽を伸ばしたいという気分で、出かけたくなるだろう。
その意味では「Go To Travel」等のキャンペーンなどの政策よりも、早い収束の為のロードマップを示した方が、遥かに効果が高かったと思われる。

このような「自粛疲れ」を起す前に、政府として「収束に向けてのロードマップ」を、示す必要があったはずなのだ。
しかし「ロードマップ」を作るための、基礎データが無いのだから「作りようもない」。
オリンピック開催を諦めていない政府としては、「根性論・精神論」以外の策をとるために「データベース化」が必要だと、やっと気づいたということなのだろうか?
とすれば、19世紀のような「疫学予防対策」のような発想しかなかった、ということになるような気がするのだ。
これでは、計算処理速度が世界1位のコンピューター「富岳」があっても、宝の持ち腐れのような気がする。



自分の体をもっと知ってほしい。

2021-03-23 21:29:10 | 徒然

昨年、欧州から広がった「生理用品が買えない女性の貧困」という問題。
この問題は、対岸の火事のような問題ではなかったようだ。
既にこの日本でも「生理用品が買えない女性」が、若い世代を中心に起きているようだ。
Huffpost:足立区や北区、生理用品を無料で配布へ。「生理の貧困」問題に拡がる自治体の支援

「生理の貧困」という欧州での話題が出た時、「それほど生理用品が高額なのか?」と、疑問に感じたのだがそれが、まさか日本でも同様に起きているとは思いもよらなかった。
今話題となっているのは「貧困と女性」という、経済的な面だけだが「女性と生理用品」という視点で考えた時には、「経済」という問題だけではない部分も浮かび上がってくる。
それは「性と生」という問題だ。
この「性と生」の問題に関しては、日本独特なものではないか?という、気がしている。

かつて日本では、初潮が来た時赤飯を炊いてお祝いをした。
それは「妊娠ができる体ができつつある」という、成長のお祝いでもあったはずだ。
ところがそれがいつの間にか、「毎月来る厄介なもの」という受け止め方がされるようになり、「生理」という話題そのものが「後ろめたい女性特有の生理現象」の様になってきた。

確かに「生理」そのもの話題をオープンに話せるのは、女性同士の中でも難しい。
何故なら、「生理痛」一つとっても個人差があり、辛さも人それぞれだからだ。
だから「生理痛が酷い」と言っても、「そうなんだね」ということはできても、「共感」することはなかなか難しい。
だからと言って「生理」が無くては、妊娠することもできない。
妊娠するためには「生理」が、必要なのだ。

それだけではなく「妊娠・出産・子育て」という一連の出来事が、女性だけの問題となってしまっているのも、日本独特の問題なのかもしれない。
今だに、10代の女性が「妊娠」を隠し、出産直後に新生児を殺すという事件が起きている。
女性一人で妊娠できるわけではないのに、注目され犯罪者となってしまうのは10代の女性だけだ。
そこには「妊娠をさせた男性」の姿カタチが全く見えてこない。
何故なら、日本では思春期の頃から「性に対する教育」が、されてきていないからだろう。

ここ数年、問題となりつつある「デートDV」という言葉がある。
親しい関係にある異性(最近は同性も含まれていると思われる)から、暴力を振るわれるという問題だ。
この「暴力」の中には、「同意のない性交渉」も含まれている、ということを知っている若い女性がどれほどいるのだろう?
「同意のない性交渉」という場面で使われることばに、「愛(しているなら当然)」という言葉がある。
そして一度、そのような関係ができてしまうと、「当たり前」のような関係になってしまう。
だが一方的な「愛」という言葉は、「欲情」を置き換えただけの言葉なのだ。
そこには、本当の「愛おしい」という感情はない。
何故なら「愛おしい」のであれば、パートナーに対して「思いやる」気持ちがあるはずだ。

もう一つ忘れて欲しくないのは「性交渉」は、「生殖行動」であるという点だ。
「生理」がある、ということは上述したように、「妊娠できる体」だというサインなのだ。
だからこそ、メイクやファッションにお金をかける前に、「生理用品」をシッカリ用意して欲しいし、「性交渉」という意味についても学んでほしい。
それは「自分の体を労わる」スタートだからだ。




バブル経済崩壊の最終後始末? 東京一等地の空きビル

2021-03-22 22:35:34 | ビジネス

Yahoo!のトピックスを見ていたら、東京の超が付くほどの一等地にある商業ビルがガラ空きとなっている、という記事があった。
ITmediaビジネス:超一等地の商業ビルがガラ空き!銀座、渋谷、新宿、秋葉原でじわじわ進む経済の”破壊”

実は、ここ10年ほど東京に出かけることが無く、今はこのような状況なのか?と、少し驚いた。
確かに銀座にあった松坂屋百貨店の跡地にできた「銀座シックス」は、オープン当初話題になったはずだが、その後あまり話題になることもなく、今年に入ってから(だったと思う)テナントを大幅に入れ替えるというニュースがあったばかりだ。
オープン当初話題になったのは、いわゆる「インバウンド向け商業施設」のような位置づけでの紹介と共に、中国からの観光客の団体が、バスからぞろぞろ降りて建物に入っていくという映像だったような気がする。

それが「新型コロナ」の世界的流行により、アジア特に中国からの団体客がほとんどいなくなってしまった、ということが要因の一つと言われている。
そのアジアからの観光客の激減は、銀座だけではなく東京の「超」が付く一等地に建つ商業ビル全体に、影響を及ぼしているということらしい。

このような状況を知ると「バブル経済」が崩壊し手から約30年、日本の小売業は何をしてきたのか?という気がしてくるのだ。
その中心にあったはずの百貨店は、「場貸業」とすら言われるようになり、本業であるはずの「(日本人顧客を相手にした)小売り」には、さほど力を入れてこなかったのでは?という気がしてならない。
それは、複数のテナントが入っている「商業ビル」も同じだったのかもしれない。
日本人顧客よりも、短時間でお金を落とすいわゆる「爆買い」の観光客のほうが、お店だけではなくテナントに貸すビル側にとっても、メリットが大きかったのだと思う。

そう考えてみると、「超」が付くほどの一等地の商業ビルのガラ空きというのは「バブル経済崩壊」の最終なのでは?という、気がしてくる。
「バブル経済崩壊」により、銀行をはじめとする金融機関の再編が起こり、そのほかの業界でも再編のような動きがあった。
その中でも、商業ビルのテナントとして数多く入っていたアパレル産業に関しては、年々厳しい状況となっていた。
その結果として商業ビルの空きが増えるだけではなく、「丸井」のような商業施設でも同様のコトが起き始めている、と考えるほうが自然なのかもしれない。

もう一つ考えられるのが、「ガラ空き」となった商業ビルをどうしていくのか?という点だ。
流石に「銀座シックス」のような、新しくまさに銀座の顔となるような場所のビルを、簡単に壊す訳にはいかないと思うが、ある程度老朽化しているビルを中心に、都市計画の見直しと再構築というプランが起きてくるのでは?という気がしている。
いわゆる箱物をつくるコトによって、経済を復活させるという方法は、いかがなモノ?!という疑問はあるのだが、これまでの価値観が大きく変ろうとしている時だからこそ、今ではなく未来の「人と自然が調和するような都市づくり」という視点での、動きが起きてくる可能性もあり、それが約30年間引きずってきた「バブル経済崩壊後」の終焉となる可能性も含んでいるような気がしている。







不可解だったオリンピックの開会式演出騒動

2021-03-18 21:36:25 | アラカルト

昨夜、突然ネットニュースに登場した感のある、「2020東京オリンピック開会式」での差別的な演出問題。
日経新聞:五輪開会式の演出統括役が辞任 女性タレントの容姿侮辱

演出そのものは、アイディア(というようなモノではないが)時点で、批判があり中止となったので、世界に向け批難されるようなことだけは、避けられたということになると思う。
ただこの騒動が表面化する前の昨年暮れ、オリンピックの開会式などの演出監督をされていた狂言の野村萬斎さんをはじめとする関係者が、退任するというゴタゴタがあったことは記憶にあると思う。
日刊スポーツ:野村萬斎氏「苦渋の決断だが納得した」旧体制の解散

体面上「退任」ということになってはいるが、本来であれば昨年夏に向けて準備などが進み、年末には終わっていたはずの「2020東京オリンピック」の開会式だ。
ということは、いくら「簡素化するため」という理由であっても、それなりの費用をかけ準備をしていたはずなのだ。
それが、昨年暮れに唐突に「退任」という報道に、違和感を感じていたのは、私だけではないと思う。
それとも、昨年夏の開会式とは違う演出をこの期に及んでする、と考えていたということなのだろうか?
記事には「新型コロナ」の感染拡大により、開会式を簡素化するためということのようだが、これまで準備しきてきた内容を一新するよりも、演出の中で簡素化できるものを見直し、規模を縮小する等を組織委員会側はしていたのだろうか?
改めて演出プログラムを作り直す、ということは逆に費用面ではコスト高となるはずだが、そのような検討はされたうえでの話だったのだろうか?
そのような経過があった上での、今回の佐々木氏の発言を知ると「簡素化」という言葉は、組織委員会として都合が良かっただけの言葉の様に思えてくるのだ。

今回問題発言をした電通の佐々木氏だが、元々CMプランナーとして活躍をされてきた方だ。
長い間好感度が高いCMとして支持されてきた、Softbankの「白戸家」のシリーズやJR東海の「そうだ京都いこう」等の制作に携わってきたという広告マンとしての実績が、十二分にある人物でもあったはずだ。

ご存じのように広告表現は、その時々の時代を反映する表現がされている。
ビジュアル的に面白かったり、綺麗なだけでは広告としての役目を果たすことはできない。
今はそれに加え、「差別的表現」に対してもとても敏感になっているはずだ。
何故なら、受け手となる生活者が「差別だと感じた瞬間」から、SNSなどを通じて一気に炎上してしまうからだ。

そのようなコトが十二分にわかっているはずの佐々木氏が、打ち合わせの席とは言えあのような発言をしてしまう、とすればこれまで佐々木氏が携わってきたCMそのものが、佐々木氏ではなくスタッフが優秀であったがためにできたCMの様に思えてしまうのだ。
佐々木氏は「ノリで言ってしまった」と言っているようだが、だとしたら電通という企業は日ごろから「起用するタレント」さんたちをそのように見ているだけではなく、どこか人を蔑んでいる企業文化があると感じてしまうのだ。

今回の佐々木氏の発言から、もしかしたら野村萬斎さんなど当初演出を担当する予定となっていたチームの方々は、組織委員会やオリンピックの運営に関わっている、電通の態度に嫌気がさしたのでは?という、気がしてくるのだ。
表面上は上手に取り繕っていても、言葉の端々から感じられる人の考えなどは、ある意味本音の部分でもある。
そのような「本音」を感じ取り、「この人達と一緒に仕事はできない」という判断をし、退任をされたのであれば、一連の騒動には納得がいくのだ。

電通という企業は、本質の部分ではまだまだ「鬼の十訓」や「戦略十訓」等「昭和のモーレツサラリーマン(完全に死語だと思うが)」思考が生きているのに対して、侮辱の対象となったとされる渡辺直美さんは、既にグローバルな場所で活躍する足場を作られているのだな~と、感じたのだった。





日本のIT産業の脆弱さなのか?LINEの個人情報、中国流出疑惑

2021-03-17 21:17:43 | ビジネス

今日の朝日新聞の朝刊に、日本でのLINE利用者の個人情報が中国人技術者によって流出しているのでは?という、スクープ記事が掲載されていた。
その後、後追いのようなかたちで日経なども報じるようになった。
日経新聞:LINE、情報保護に穴 ルール整備不可欠

朝日新聞の記事を読んだとき、まさか中国にまで情報が流れているのか?!と、驚いた。
その後、独自の記事として「中国まで流れてはおらず、韓国で保管している、という続報記事が上がった。
朝日新聞:日本のLINE利用者の画像・動画全データ韓国で保管

「何故韓国なのか?」と、疑問を持たれた方もいらっしゃるだろうし、「やはりね」と思われる方もいるだろう。
LINEそのものを運営している企業は、日本企業ではなく韓国の企業なので「さもありなん」ということなのだ。
今現在広く多くの人たちが使っている、SNSのような「ネット産業」という視点で考えた時、日本は随分と遅れを取っているのでは?という気がしてくるのだ。

その現状を示すかの様に、LINEがなぜ中国企業を頼ったのか?という点についても、朝日新聞は報じていて、その見出しを見ただけで日本のIT産業の脆弱さを感じてしまうのだ。
朝日新聞:中国の4人に接続権限 LINE「日本に人材おらず」

例えば、ご存じの方も多いはずの「GAFA」。
この「GAFA」は、「Google・Apple・Facebook・Amazon」の頭文字を指している。
Appleを除けば、すべてSNSを含むネット産業の巨人たちだ。
このような「広く多くの人たちが、便利に使うためのツールづくり」に関しては、日本の企業は手をこまねいていたというよりも、最初から興味も関心も無かったのではないだろうか?

それは産業振興の旗振り役である、経産省も同じだろう。
「日本のものづくり」神話にとらわれ過ぎた結果、ということになるのかもしれないのだが、今回問題になっているLINEそのものを考え創り出したのは、実は日本の若者だったと記憶している。
日本の企業が彼らのアイディアを相手にせず、韓国の企業がそのアイディアを具現化させたという経緯があったはずだ。
「たられば」を言えば、もし日本の企業がLINEの仕組みを考えた若者のアイディアを具現化させ、世界に発信し新しい市場を創り出していたら全く違った状況になったはずだ。

もちろん、日本のIT産業に関わる人達すべてが、世界から遅れをとっている訳ではない。
プログラミング言語の一つ「Ruby」は、まつもとひろゆきさんが創り出したもので、SNSなどで使うための「言語」の一つと言われている。
ただLINE側の「日本に人材がいない」ということが、この問題の出発点だとすれば、それは国益を大きく損なう問題だと業界だけではな、関係各省も受け止める必要があるのではないだろうか?