1週間ほど前に、現在ニューヨークでジャズピアニストとして活躍されている、大江千里さんのエッセイが、話題になった。
Diamond On-line:大江千里氏が「ラーメン1杯2,200円」の米国から語る、安い日本の深刻問題
この記事を読んで「ラーメン1杯2200円とは流石に高価過ぎないか?」とは思ったのだが、今の日本人の商品やサービスに対する「価格」と「対価」が、極端に安くなっているのでは?という点では、頷く内容だった。
昨年から世界を襲い続けている「新型コロナウイルス」。
日本での感染拡大の状況の中で、様々な企業が倒産や廃業に追い込まれてきた。
その多くは、飲食店のように「感染拡大」に直結するような業種も数多くあったが、その一方で今までクローズアップされてこなかった、中小零細の製造業の倒産等も明らかになってきた。
その理由は、海外からの安いアパレル等の調達が減ってきたコトで、国内生産に対して注目を浴びるようになったが、国内でアパレル製造に関わる中小零細企業の取引先の多くは、日本国内ではなく海外の高級ファッションブランド等で、今回の「新型コロナ」で打撃を受けていた、ということのが理由の一つだった。
このようなニュースを聞く度に感じていた事が「Made in Japan」のアパレル商品が、当たり前に買えなくなってどれほど経つのだろう?という疑問だった。
今や「Made in Japan」の商品そのものが、手に届く商品ではなくなりつつある。
家電のような大量生産品であっても、半導体等の部品は海外から調達している、というのが現実だ。
何故なら、日本で調達すると金額が跳ね上がってしまうためだ。
頻繁に買い替えるようなものではないにしても、「少しでも安く」という気持ちが働いているのが、今の日本の生活者、ということなのだと思う。
そのコトを否定する気はないし、実際私も欲しかった商品がバーゲンや型落ちで、安くなっていると「買ってみようかな?」という気持ちになる。
「安い」ということが、悪いとは言えないと思っている。
ただ上述したように、高度成長期の日本の経済を支えることができたのは「Made in Japan」の商品を、当たり前に購入することができるだけの収入があったからだ。
「今のようなグローバル経済の中で、何を夢のような話をするのか?」というご指摘はあると思う。
だが、地方経済の落ち込み等を知ると「グローバル時代だから」という言葉が、むなしく感じられるのだ。
生活基盤となる「収入」が増えない限り、「国内消費」は増えないのでは?ということなのだ。
とはいうものの、経営環境が厳しい中で働く人の収入を上げる、ということもまた、難しいというのが現状だと思う。
一方で、「アウトレット(リサイクル)市場」のようなものを創っていくことで、「Made in Japan」の商品を手に取りやすくなのではないだろうか?
このような市場は、企業側にとって「ブランドイメージが下がる」という理由で、消極的だったが今では「SDGs」等の取り組みの一環として、委託形式で販売する業者も増えてきている。
何が何でも「新品」でなくては!という方もいれば、「型落ちや在庫一掃品でも、品質が良く手ごろな価格であれば、問題ない」という方もいる。
生活者の「購入の選択肢」を増やしつつ、「Made in Japan」の商品があたりまえに購入できる経済にならなくては、日本経済の復活はないかもしれない。