日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

韓国の経済は、大丈夫?

2017-02-28 21:15:19 | ビジネス

Yahoo!のトピックスに、「サムスングループ事実上の解体」というニュースが取り上げられている。
Yahoo!:サムスングループ事実上の解体、未来戦略室を廃止
ニュースソースとなっているのが、韓国メディアである「聯合ニュース」なので、信頼性の高いニュースだと思う。

サムスンの「未来戦略室」という、部署が実際どのような役割を担っていたのかわからないので、一つの部門が廃止になった程度で「グループ解体」ということ自体信じられない気がするのだが、ここまでの表現で書かれるということは、サムソングループの中枢を担う部署で、グループ全体の事業展開をしていたのだろう・・・と想像はできる。

そして、サムソンについては他のニュースも入ってきている。
韓国の朴槿恵大統領とその親友であるチェ・スンシル被告の国政介入事件にかかわった、としてサムスングループのトップら30人が起訴されたのだ。
この事件そのものが、きちんと理解できていない部分もあるのだが、いわゆる「利益供与」という関係があった、ということを含む内容の事件ということなのだろう。
今回の「未来戦略室廃止」の背景には、この事件の影響があったのでは?と想像するコトはできる。

以前から言われていたことだが、韓国経済を支えているのは、「サムソン・ヒュンダイ・LG」と言われてきた。
ヒュンダイは、自動車メーカーとして一時期世界を席巻した感があった。
ヒュンダイの自動車が売れた背景に、「円高」の影響があったとしても、一時期は日本車を脅かす勢いと、言われたことは事実だろう。
現実は違うにしても、韓国企業が世界市場の舞台に登場した企業であったコトには、違い無いと思う。
そのヒュンダイは、数年前の燃費改ざんが発覚し、失速をする。
日経新聞:現代と起亜、燃費を過大表示 北米販売に影響も(2012年11月3日付)

そのヒュンダイも、実は政治とは深い結びつきがあったはずだ。
ヒュンダイの大株主は、2002年の日韓W杯開催を誘導した(?)チョン・モンジュン氏(FIFA理事)で、当時韓国の国会議員でもあった。
そのコネクションで、北朝鮮との交流事業などに積極的にかかわることができ、交流事業でヒュンダイそのものは、相当の利益を得たとも噂されてきた。

ヒュンダイの失速の代わりに登場したのがサムソンで、今や韓国経済の中心どころか「サムソン倒れたら、韓国経済破綻」という話も聞いたコトがある。
もし、サムソンが「利益供与」などを含む国からの支援を受けての経営状況であったとすれば、韓国経済に及ぼす影響は、日本で想像するよりもはるかに大きいのではないだろうか?
何より心配するのは、韓国経済の破綻が朝鮮半島にどのような影響を及ぼすのか?という点だ。

サムソンという、一企業の問題ではないような気がする。


感情労働の現場

2017-02-27 16:27:27 | 徒然

今日、乳がんの7年経過の検診に病院へ行ってきた。
ガンの場合、「5年生存率」が一つの「存命基準(というべきか?)」と捉えられがちだが、乳がんに関しては「10年生存率」が、基準になりつつある。
理由は、乳がん患者の多くが進行が遅いタイプの乳がんで、5年経過後再発・転移という場合が多いからだ。
そのため、私が通院をしてる病院では、随分前から10年間の経過検診を実施している。
結果は、問題無しでホッとしているのだが、それよりも驚いたことがあった。
それが「感情労働の現場」を目の当たりにしたことだった。

私が通院している病院は、総合病院なので通院される患者さんも様々。
それこそ、新生児から後期高齢者まで、様々な病気やケガを治療するために入院、通院されている。
そして上述した通り、私は7年通院している。
手術から3年は、3カ月に1回の検診。4年は4カ月に1回、5年は半年に1回。
5年経過後は年に1回になったのだが、トータルで考えるとそれなりの回数通院していることになる。

そして今日初めて、フロアー全体に響き渡る大声を張り上げながらべらんめい調で、病院のスタッフを脅す患者の声を聞いたのだ。
当然、フロア―にいる人たちはその声の主に注目をする。
注目されればされるほど、声の主はエキサイトするのか、ますます大声を張り上げる。
話の内容は、聞きたくなくても聞こえてくる。
話の内容そのものは、とても理不尽なモノで自分の都合を通そうとしているだけのモノだった。
病院の診察の順番は、検査などの結果によって順番は大きく変わってくる。
当然、病院側はそのような注意書きを目立つところに掲示し、患者へ理解を求めているのだが、どうやらその声の主は「自分を最優先にして欲しい」と、脅しながら主張しているようだった。
病院側のスタッフの声は、その間一度も聞こえることはなかったのだが、丁寧に対応すればするほど声の主は思い通りになる、と思ったらしく、より一層スタッフを脅すような口調へと変化をしていったのだった。
そのようなやり取りが、30分ほど続いただろうか?結局、病院側が折れたのか警備員が駆け付けたのか、静まっていった。

コールセンターや病院の受付、駅の職員など、不特定多数の人を相手にする労働の事を「感情労働」と呼ばれている。
自分の感情を押し殺し、相手の気持ちに寄り添いながら問題解決へと導く労働、ということのようだが、最近ではその「感情労働」をする人達の疲弊が問題になっている。
昨年、電車が事故で遅れたことに腹を立てた乗客に対応していた車掌が、突然制服などを脱ぎ捨て線路へ飛び降りる、という事件があった。
この事件の発端も、乗客からの異常なクレーム対応によるモノだった。
Huffington Post:近鉄車掌飛び降り問題「クレーマーから職員守って」

今日、実際に「感情労働の現場」を見て、「一体、いつからこのような社会になってしまったのだろう?」と、不安になった。
「自分の都合ばかり主張し、自分の思う通りにコトが運ばないと、怒鳴り散らす」という姿は、どこか哀れでみじめったらしい。
自分のみじめさをアピールし、同情を引こうという心理なのかもしれないが、むしろ多くの人を遠ざけるだけのように思えるのだ。
何より、その相手をしている人に対してどれだけの精神的ダメージを与え、社会に不利益を与えているのか?そのような想像力さえも、欠如し始めているのだとすれば、それはそれで社会的大きな問題という気がするのだ。


「プレミアム・フライデー」は、定着するか?

2017-02-24 20:26:11 | ライフスタイル

今日から、毎月第4金曜日が「プレミアム・フライデー」になるらしい。
この「プレミアム・フライデー」の実施が決まったのが、昨年の夏か秋だったような気がしたのだが、実施までの期間が短いように思うのは私だけだろうか?
既に「プレ金」という、略語も登場しているようだが、定着までには時間がかかるだろう。
というよりも、果たして定着するのだろうか?という、疑問がある。

唐突だが、日本の大手企業の事務系の職場を中心に「フレックスタイム」が、導入されてから20年以上経っていると思うのだが、「フレックスタイム」そのものを導入していても、実際に活用している方はどのくらいいらっしゃるのだろう?
「フレックスタイム」の導入の背景には、「仕事の自由裁量」という目的もあったような気がするのだが、今でも事務系の職場では、始業時間に合わせて出勤をし、終業時間+残業をして退社するという方のほうが、多いのではないだろうか?

今回の「プレミアム・フライデー」の目的の一つが、消費の拡大だという。
早い時間に退社することで、自由に使える時間を増やし、消費につなげよう!という、ことらしい。
そのようなコトで、本当に消費拡大の呼び水となるのだろうか?大いに疑問である。

それよりも「フレックスタイム」のような制度を拡充し、月のうち「早帰りの日」を自由に決めるというほうが、効果的のような気がするのだ。
例えば、人の少ない時間帯に映画を存分に楽しみたい!とか、好きなミュージシャンのライブに行きたい!など、金曜日に限らず、自由に選べるほうが利用しやすいのでは?
それだけではなく、事前にある程度「早帰りの日」を個々に設定することで、人員配置などが必要な事業者などでも導入しやすくなると思うのだ。

もう一つ気になるのは「消費の拡大を図る」という目的だと、消費を促す側=多くの場合小売業やサービス業に携わる人たちは、この「プレミアム・フライデー」から外れるコトになると思うのだ。
かき入れ時と期待すれば、当然人員配置は多めにするだろう。
となれば、小売業やサービス業に携わる人たちには「プレミアム・フライデー」そのものが、関係のないモノになってしまう。
そこで起きる「ある種の不公平感」は、どのように解消するのだろう?

もう一つ疑問に感じることは、上述した通り「消費の拡大」となるのか?という点だ。
「消費の拡大」をするためには、まず「自由に使えるお金」が、ある程度潤沢である必要がある。
先日、日本の生活者のエンゲル係数が上がった、というニュースがあった。
「エンゲル係数」とは、ご存じの方も多いと思うが、家計の中で食費を占める割合の係数の事だ。
「エンゲル係数」が高い=食費にかかる費用が多い、ということになる。
実際の食費内容を見る必要があるとは思うが、「エンゲル係数」が高くなっているということは、余暇などに使うお金の余裕がなくなってきている、と考えるほうが自然だろう。

そのような生活環境の世帯が増えているとすれば、「消費の拡大」を促す方法は「プレミアム・フライデー」ではないような気がするのだ。
「プレミアム・フライデー」の実施は、一斉に実施するコトで早い定着を狙っているのだと思うのだが、その前に「働き方」や「世帯における経済的余裕」等を、考える必要があると思う。


目に見えないサービスの負担は、誰がするのか?

2017-02-23 20:15:28 | ビジネス

産経新聞に、物流最大手のヤマト運輸が、荷受けの抑制を検討している、という記事が掲載されている。
産経新聞:ヤマト運輸が荷受けの抑制を検討 ネット通販拡大で、労組が春闘で要求

百貨店をはじめとする店頭型の小売りよりも、ネット通販を利用している方のほうが多いような気がする。
もちろん、何から何までネット通販という方は、いらっしゃらないと思うが、Amazon、楽天、Yahoo等の通販サイトの取引は、大きく伸び続けている。
経産省:電子商取引に関する市場調査の結果取りまとめ
調査の見出しにある通り、この市場は13.8兆円まで成長している。
小売全体が、低迷していると言われる中唯一成長している事業分野だと言っても、過言ではないかもしれない。

しかし、既にECによる物流量の増大で、物流事業者は疲弊している、という指摘がここ2、3年されるようになってきた。
ECにおける物流事業者との関係は、「生命線」のようなところがある。
いくら便利にネットで注文をしたところで、その商品が手元に届かなくては意味がないからだ。
その「商品」だが、Amazonのようなところでは大規模倉庫を持っていて、そこから出荷するようになっている。
昨日ようやく鎮火したアスクル(個人向けサイトLOHACO)なども、大規模倉庫を持っていたことは、ご存じの方も多かっただろう。
その大規模倉庫に保管されている商品を、商品棚に入れ、注文に応じて商品を出し、パッケージングをし、お届け先のラベルを貼り、物流業者に渡すという作業の多くは人の手だ。
物流業者に渡った商品も、物流業者の大きな倉庫で、今度はお届け先地域に区分され、区分された荷物をお届け先のトラックに積み込まなくてはならない。
同様の作業が、今度は配達の時に行われているはずだ。
商品を購入した人にとっては「自分一つの荷物」かもしれないが、配達をする側とすれば数多くの荷物をいかに効率よく配達するのか?ということが、重要になってくる。
それが、最終的には「均一で質の高い配達サービス」となるはずだからだ。

物流事業というのは、実に多くの人の手を必要としている事業でもある、ということがわかるはずだ。
にも拘わらず、最近では「送料無料」を謳う企業も増えてきている。
「送料無料」の場合、一体どこから「送料」が物流事業者へ支払われているのだろう?
そんな疑問を感じたことは、無いだろうか?

それだけではない、昨今問題になっているのは「再配達率」の多さが、物流事業者を悩ませているというデータもある。
国土交通省:宅配の再配達の発生による社会的損失の試算について(注意:pdfファイル)
生活者のライフスタイルが大きく変化し、昼間の在宅率が減ったとしても、時間帯指定というサービスも行っている。
それでも、再配達率が高いというのは、ライフスタイルの変化と一言では済まされない点があると思う。
様々な人の手を介し、ようやくドライバーに渡ったとしても、決して効率の良いビジネスとは言えないのが、物流事業なのだ。
それだけではなく、物流事業者の悩みの種となっているのが、慢性的人手不足ということも忘れてはいけないだろう。

「送料無料」は確かに魅力的だが、その「無料」によって様々な人の労力が蔑ろにされているとすれば、「送料無料」そのものの在り方を考え直す必要があると思う。
再配達というサービスも、見直す必要があるかもしれない。
何より、様々なモノ(物)・コト(事)が動くためには、目に見えない多くの人の手が必要で、その上で成り立つビジネスである、ということを知る必要があるだろう。

 


「ふるさと納税」は、地域活性化につながるのか?

2017-02-22 19:04:51 | ビジネス

先日、所沢市が「ふるさと納税」を取りやめると、発表した。
毎日新聞:埼玉県所沢市が返礼品廃止 「税収」は赤字
税収に悩む地方自治体に対する、支援策としてスタートした「ふるさと納税」だが、最近では返礼品目当てで納税をする人も多く、自治体間で「返礼品」がエスカレートしている、という指摘が以前からされていた。
その「返礼品」も、納付した自治体とは関係のない「商品券」などがあり、返礼品そのものの意味も問われるようになってきていたのは、確かだろう。

そのため、自治体の中には「返礼品赤字財政」とも呼べるような、赤字財政にまで発展してしまった自治体もあったようだ。
IZAニュース:ふるさと納税、分かれる明暗・・・「出ていく方が多い」自治体悲鳴
IZAのニュース記事は、昨年のお盆の頃の記事なので、その頃から既に問題視されていたのだろう。

その一方で、昨年起きた「熊本(大分)大地震」の時には、返礼品辞退のふるさと納税をされた方が随分いらっしゃったと聞く。
災害等の発生で、これまでの財政規模では対応できないような場合「ふるさと納税」という方法で、被災地を支援するコトができる、ということを示した一例だった。

では「ふるさと納税」の何が、問題なのだろうか?
一つは、所沢市のように「返礼品」という問題だろう。
以前から問題となっている「商品券」のように、換金性の高い商品やその自治体とは関係のない「返礼品」は、自治体にとって、大きな負担となりやすい。
地元に「特産品」があれば話は別だが、都市部になればなるほど「特産品」と呼べるモノは、限られてくる。
まして「商品券」のように、市中に普通にあるモノとなれば、相応の額面でなくては納付者側は納得しない(かもしれない)。
これでは、地域振興のために創設された「ふるさと納税」の趣旨から反する、ということになる。

もう一つあるとすれば、今まで地方税として納付されていた税収が、自治体によっては見込めなくなる、という点だ。
ご存じの方も多いと思うのだが、「ふるさと納税」をした場合、自分が住んでいる自治体への納付額が減額される。
上述したように「返礼品」欲しさに、いろいろな自治体に「ふるさと納税」をしている住民がいると、住んでいる自治体への納付額は減額されるため、自分の住んでいる自治体そのものが税収不足に陥る可能性が出てくる、というわけだ。
所沢市のような大都市圏のベットタウンとして大きくなってきた自治体にとっては、大きな打撃となってしまう。
なぜなら、ベットタウンとして大きくなってきた自治体は、住民税が税収の主な柱となっているからだ。

そのように考えると、都市部に集中する人口により、地方の自治体は税収は少なく、社会保障費が膨大になる、という点を是正する意味で、「ふるさと納税」そのものの趣旨は良いが、すべての自治体が実施する必要もないし、納付額そのものの上限を決める、ということも必要かもしれない。
何より「返礼品」が、地域活性化につながるようなモノでなければ、意味がないという気がする。
その視点で考えると、所沢市の決断に続く自治体はあると思うのだ。



文化の盗用って、何?

2017-02-21 21:10:56 | アラカルト

母の墓参りの為、帰省しておりました。
ニュースで報じられていたように、私が帰省したころは山陰の豪雪・・・だったのですが、ニュースというのは面白いもので、大雪が降った地域は「鳥取県東部」。私の実家がある米子市は「鳥取県西部」であったため、例年よりも雪は多いもののニュースで報じられているような状況ではありませんでした。
鳥取県そのものが、あまり話題にならない地域ということもありますが、このような天候のニュースだけでも伝える難しさを知りました。

さて、帰省中、米版VOUGEに掲載された写真が話題というか、問題になった。
白人のモデルが、芸者風の衣装を着て、お相撲さんなどと一緒に撮影した写真が「文化の盗用」ではないか?と、話題になったのだ。
THE Huffington Post:カーリー・クロスが炎上謝罪 日本文化を盗用と指摘

個人的には、うんざりするほどこの手の日本イメージが定着している感がある。
欧米のロックバンドが、オリエンタル風のイメージでMVを製作するときは、大体今回のVOUGEが演出をしたような内容で制作されることが今でも多い。
おそらく、日本のイメージは今でも「芸者・フジヤマ」なのだろうと、思っている。
ただ、この写真に対する日本からの意見は、「日本文化」とは、別ものとして見ているのでは?というほど、比較的好意的な内容が多い。
むしろ、「文化の盗用」と問題にしている米国側のほうが、厳しい意見が多かったため、記事にある通りモデルとなったカーリー・クロスが謝罪をする、ということになった。

ところで、この「文化の盗用」というのは、どのようなことなのだろうか?
記事にある通り、日本人でもないモデルが「日本の芸者風衣装を着て、日本らしい場所」でコマーシャリズムの写真などに登場する、ということなのだろうか?
一昨年の夏に、ボストン美術館でクロード・モネの「ラ・ジャポネーズ」という企画展が開かれていた。
その時、モネの描いた着物を着たモデルの女性と同じような着物を着て、絵の前で写真を撮る、というイベントがあった。
なかなか人気の企画だったようだが、着物を試着できる女性を白人に限定したため、人種差別ではないか?という、問題が起き中止されている。
The Huffington Post:ボストン美術館の「キモノ試着イベント」が中止に 理由は人種差別、白人至上主義?
中止理由は、人種差別だったようだが、このイベントもある意味「文化の盗用」と言えるのではないだろうか?

そう考えれば、クロード・モネの時代から日本の文化の盗用ということは、あったと考えたほうが良いのかもしれない。
実際、モネと同じ時代のゴッホも日本の浮世絵をモチーフにした作品を残している。
その頃から、欧米での「日本文化」のイメージは、ほとんど変わらず現在に至っていて、ある種の「憧れ」のような部分があるのかもしれない。
だからこそ、日本人の意見が比較的寛容なのかもしれない。
むしろ大切なことは、キモノに限らず「日本の文化全般」を正しく伝える努力だと思う。
VOUGEに掲載された「キモノ風」の衣装は、実際の着物とは全く似ていない、別ものだった。
ボストン美術館の企画展がネット上で話題になったとき、知人女性はこの企画展よりも企画を説明する男性の服装が「ステテコのような服装で、説明をしてほしくない」と、怒っていた。

国や民族が、長い間培ってきた「文化」は、奥深いものがありその表層的部分だけを見ても、意味がない。
このような議論があってこそ、初めてその文化の奥深さを知ることになるような気がする。
日本人以外の女性であっても、キチンと着付けをした着物を楽しんでもらいたい、と願うばかりだ。





事業を見直す勇気

2017-02-14 19:34:17 | ビジネス

経済紙だけではなく、一般紙でも大きく取り上げられている、東芝の決算報告。
当初予想の黒字から一転、大幅な赤字となってしまった。
それだけではなく、「債務超過」という状況にまで陥ってしまったようだ。

債務超過の要因となったのは、ご存じの方も多い「米原子力事業」だ。
以前から指摘されていたことだが、実勢よりも随分と高い投資をしたコトで、東芝という企業全体の収益を悪化させてしまった。
同業他社からは、「東芝がなぜ、あれほどの高額投資をするのかわからない」と、指摘されていたことが現実化してしまった、というところが本当のところかもしれない。

本来であれば、事業として収益が見込めないという判断ができた時点で、赤字とならない方法を探らなくてはならないはずなのだが、東芝はそれができなかった。
もっと早い段階で、何等かの方法を取る必要があったのに、何故取れなかったのだろうか?
東芝と言えば、経団連会長の中でも名会長と言われ、市井の人たちからも親しみを持たれていた土光さんの出身企業だ。
土光さんのイメージから、東芝という企業は「堅実・清廉」というイメージを持つ方の多かったのではないだろうか?
時代が変わったとは言うが、経営陣がそこまでの判断ができなくなっていた、ということなのか?
もしかしたら、「投資に似合うだけの収益」という思考に、惑わされていたのでは?という、気もしている。
この「投資に似合うだけの収益」という思考は、今回の東芝の米原子力事業への投資に限ったコトではない。
身近なところでいえば、ギャンブルなどにのめり込む理由として上げられるコトだ。
企業全体が、このような「投資に似合うだけの収益」という思考に惑わされていると、企業は衰退をしていく危険性を持っている、という一例となってしまうかもしれない。

そんな暗い東芝のニュースをチェックしているとき、目にとまった記事があった。
最近、スーパーなどで見かけるコトが多くなった、通常の板チョコよりも値段が高い、明治のチョコレートの記事だ。
withnews:「あなたの年代がターゲットではない」と反論 目標の倍売れたチョコ

パッケージをご覧になって、「あ~~~」と気づかれた方も多いかもしれない。
一昨年位から話題になっている「ビーン トゥ バー」と呼ばれる、板チョコでカカオ本来のおいしさが楽しめる、という「大人向けチョコ」として、人気が出てきているチョコレートだ。
と言っても、大手食品会社の中で作っているのは記事にある明治だけだろう。
他の「ビーン トゥ バー」のチョコは、小さなチョコレート専門店が主流なので、まだまだ一般的ではない、という市場の商品でもある。

確かに、パッケージを見るとこれまでのようなチョコレートのパッケージではない。
チョコレートのパッケージの定番と言えば、「黒・赤」なのだろうが、あえて茶封筒のような感じの色を使う代わりに、カカオの図柄がカラフルになっている。
パッケージの斬新さもあるが、「あなたの世代がターゲットではない」と、社内のプレゼンテーションで言い切れた、ということのほうが驚きという気がする。
ただ、随分前に同じ明治の「牛のご機嫌を伺うのも仕事です」という広告を拙ブログで紹介させていただいたが、このような「おいしい商品を提供したい=食の文化を豊かにしたい」という企業理念の視点で考えれば、このような「反論」ができる企業が、普通なのかもしれない。

大切なコトは「事業を見直す勇気」ということに尽きる、と感じさせる東芝と明治だ。

お知らせ:明日から母の墓参りの為しばらく帰省します。
     独居老人である、ケアもこの時にシッカリしていきたいと考えております。
     そのため、しばらくブログをお休みさせていただきます。
     再開は、来週の月曜日を予定しております。
     よろしくお願いします。


バレンタインチョコ見直し傾向?

2017-02-13 15:32:09 | アラカルト

明日は、バレンタイン。
今日所用があり、繁華街へ出かけたら百貨店の地下洋菓子(=チョコレート)売り場はもちろん、特別催事会場を設けて、普段手に入らないようなショコラティエ(チョコレート専門のシェフ)の商品を販売するなど、年々ヴァレンタイン商戦は、高級化?しているのかもしれない。
地下街でも、チョコレートと思しき紙袋をいくつも下げている女性を何人も見かけた。
今年のバレンタインは、平日ということもあり義理チョコを用意する女性も多いのかもしれない。

とはいうものの、この女性から男性(本当は「好意を持っている男性限定」)へバレンタインにチョコレートを贈るという習慣は、日本独特のもので海外では男性から女性(もちろん「好意を持っている女性限定」)へ、花などを贈るのが一般的だという。

これだけバレンタインのチョコギフトが一般化したのは、1980年代に入ってからという気がしている。
いわゆる「義理チョコ」の普及である。
結果、たとえ「義理」であっても、バレンタインにチョコレートを貰う・貰わないというのは、ある種の「人気投票」とか「人望バロメーター」のような、ニュアンスで受け止められるようになってきた感がある。
だからだろう、バレンタインとは無縁の男性(?)からは、「バレンタイン粉砕」なるデモがあったようだ。
AFP:バレンタインデー粉砕デモ、「非モテ」に連帯呼びかけ 渋谷

ただ、「非モテ男性(?)」だけではなく、実は女性側も「バレンタインのチョコは止めたい」という気持ちは、あるようだ。
日本法規情報:職場におけるバレンタインデーは古き習慣か?! 職場での「バレンタイン義理チョコの禁止」に賛成が7割超え

職場の女性(ほぼ全員)で、一人〇〇〇円と徴収をされ、職場の男性全員に配るという手配も案外大変なのだ。
まして、一人でいくつもの義理チョコを用意せざる得ないような状況では、1個当たりの単価は安くてもそれなりの出費となる。
止めたくなりのもよくわかる。
男性側も、1か月後の「ホワイトデー」での出費を考えると、(バレンタインのチョコを)貰ってうれしい!では、すまされない現実もあるはずだ。
なぜなら、バレンタインでもらったチョコ以上の金額の物をお返しする・・・という、暗黙の了解があるからだ。

そう考えると、「バレンタイン」そのものの在り方を考えなおす、という動きも当然出てくる。
それが「ギビング・チューズデー」だ。
「今年のバレンタインデーが火曜日」だからという、理由ではなく、米国の祝日「感謝祭」が火曜日にあるためのようだ。
これまで、バレンタインのチョコレートが「コミュニケーションツール」としての役割を義理とはいえ、果たしてきたとすれば、そろそろ違うカタチの「コミュニケーションツール」としての「寄付」が登場しても良いのかもしれない。
チョコの売り上げの何%を、カカオの産地の子どもたちへの教育に使うなど、「売る・買う・貰う」それぞれの行為が、好意として違う人に伝わるような仕組みづくりが必要となってきているのかもしれない。



トランプ氏を支える、もう一つの支持層

2017-02-10 19:04:30 | 徒然

今日の朝日新聞のクルーグマンコラムを読んで、トランプ氏の支持層は、これまで言われてきた「中西部出身・白人・動労者階級」だけではない、ということを知った。
朝日新聞:<クルーグマンコラム@NYタイムズ> ペテン師たちの春 金融業界による略奪、再び

WEBでは有料記事となっているため、全文を読むコトができないのが残念なのだが、要約するとトランプ氏の金融政策というのは、金融業界にとって有利というよりも一般市民からいかにお金を掠め取り、自分たちが訴えられないような仕組みを作ろうとしている、という内容だ。

トランプ氏の支持母体である、共和党はもともと「金持ち、大企業優遇政策」をしてきた。
その切っ掛けとなったのが、レーガノミックスだった。
それまで富裕層や大企業に課せられてきた税をグッと引き下げ、「(税金を下げるので)お金のある人、お金のある企業はどんどん使って、市場を活性化してください」という考えだった(この考え、どこかで聞いたような気が・・・苦笑)。
その後、政権が入れ替わり民主党になると税が引き上げられ、共和党政権になると以前よりもさらに税を引き下げる、という繰り返しをしてきたのが、アメリカの国内金融政策だった(と言われている)。
富裕層や大企業に対して優遇措置をしてきた大きな理由は、「お金を使ってください」というだけではなく「海外にドルを持ち出さないでください」という、意味合いもあったようだが、思惑通りにはいかなかったようだ。
昨年話題となった「パナマ文書」の内容が、それを物語っていた。

日本と違い、個人資産を投資などで運用している人が多く、そのための良き相談相手となるはずの「金融アドバイザー」が、顧客利益よりもアドバイザーである自分の利益を優先させることを規制していた「金融規制強化法(ドッド・フランク法)」を骨抜きにするコトを、大統領令として署名をしている。
「金融規制強化法」は、リーマンショックにより善良な個人投資家や市民が、多くの資産を失ったことから作られた「消費者保護」的要素が強い法律だ(ということだ)。
トランプ政権で国家経済会議の議長に、金融大手・ゴールドマン・サックス幹部のゲーリーコーン氏を起用したコトを考えれば、トランプ政権における金融政策は、市民寄りというよりも金融業界寄りと取られても、仕方のないところだろう。

このコラムを読んでいて、米国経済の先行きが不安になってきた。
「リーマンショック」を引き起こした人たちが、トランプ氏の支持者である、というクルーグマン氏の指摘と、まだまだ記憶に新しいはずの「リーマンショック」の事を、米国金融業界は遠い過去のものとし始めているように感じたからだ。

記事全体を読んでわかることは、熱狂的なトランプ氏の支持者である「中西部・白人・動労者層」というのは、レーガノミックス以降一番犠牲になってきた社会層でもある。
そして、「リーマンショック」を引き起こした側と「リーマンショック」の被害者という両者である、という点を注目する必要があるような気がする。



子どもの仕事に、口を挟む親

2017-02-09 19:50:15 | アラカルト

先日、地下鉄の広告をボンヤリ眺めていて、驚いたコトがあった。
眺めていた広告というのは、大学生・短大生・専門学校生などを対象とした「就職セミナー」の広告だった。
セミナー参加者の対象がはっきりしていると思っていたら、対象者には続きがあった。
それは「学生及び保護者の参加」と書いてあったからだ。
「え”、今時の就職セミナーって保護者も参加するの?」と、驚いたのだ。

随分前から大学の入学式に保護者が参加するのは、一般的だった。
特に地方から進学をした学生の保護者にとっては、引っ越しの手伝いのついでに入学式出席という、感覚だったのではないだろうか?

それが、数年前から入社式にも保護者が参加するための「保護者席」が設けられるようになった、と話題になってきた。
大学の入学式くらいまでは、上述したような状況から保護者が入学式に出席するというのは、分からない訳ではなかったのだが、さすがに社式となると「どうなの?」と思ってしまうのだが、それもまた社会の変化ということなのか?と、思っていた。

入社式に保護者が出席するなら、就職セミナーに保護者が参加してもおかしくはないのかもしれないが、就職活動の厳しさはともかく、就職くらい自分でやろうよ!という、気がしたのだ。
もちろん、私が社会に出た時にも「縁故採用」と言われる、就職はあった。
ただ、社会に出て仕事を始めてみると「縁故採用」だからと言って、何のメリットもない。
むしろ、いくら努力をし実績を積んでも「縁故(採用だから)」という、色眼鏡で見られるコトも多かったように思う。
最近では「婚活」にまで、親が登場することも多いということを考えると、就職セミナーへの保護者参加は特段驚くことではないのかもしれない。

しかし、このような傾向は何も日本だけの事ではなさそうだ。
トランプ氏が、娘のイヴァンカさんのブランドの取り扱いを取りやめた百貨店に対して、随分とご立腹らしい。
日経新聞:トランプ氏、百貨店大手を批判 娘のブランド販売中止で

この記事を読んで思い出したのは、ファッションデザイナーのステラ・マッカートニーさんの事だった。
ステラ・マッカートニーさん自身は、ロンドンオリンピックの時には英国選手団のユニフォームをデザインしたほどの実力者だ。
苗字からお分かりになると思うのだが、ポール・マッカートニーさんのお嬢さんでもある。
ステラさんは、親の七光りを嫌って活動をされてきた。そして実力で今のデザイナーとしての地位いを確立したのだ。

それに対して、娘のブランド販売を中止したと言って、批判するトランプ氏はビジネスパーソンとして、どうなのだろう?
ファッションブランドというものは、その時々の時代感を敏感にキャッチし、表現をしていくことで「ブランド」を確立していく。
親の七光りで、ブランドが出来上がっていくわけではない。
イヴァンカさん自身も、不服と思っていらっしゃるようだが、父親が騒ぐようなコトではないはずだ。
まして、ご主人がトランプ政権の一員となろうとしている時に、自分のビジネスの事をアレコレいうというのは、父親や夫の社会的地位を利用して自分のブランド価値を上げようとしているようにしか見えない。
そのような「ブランド価値」は、多くの人から支持をされないだろうし、「ブランド」としての価値そのものも無いような気がするのだ。