日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ストリーミングとサブスプリクションがつくりだす、残酷なデータ

2019-10-20 20:23:28 | マーケティング

しばらく前に、大阪ガスのエネルギー・文化研究所の池永さんの「見限り見切れない日本」というコラムを紹介した。
確かに今の音楽を大きく動かしているのは、ストリーミングという視聴の仕方だと思う。
そしてそれを可能にさせているのは、紹介をした拙ブログにもある様々な要素だ。
スマホの普及、Wi-Fiの充実、データの定額制などがあり、初めてストリーミングという音楽の視聴法が出来上がっている。
そしてここ数日で、フッともう一つの要素があるのでは?ということに気づいたのだ。
それが「サブスプリクション」と呼ばれる、定額制の視聴プランだ。

サブスプリクションそのものは、ストリーミングに限らずPCなどのソフトウェア利用などで使われている「定額利用システム」だ。
例えばMicrosoftの「Office 365」などは、その代表的なものだろう。
月、または年額いくらという料金を支払うことで、常に最新のOfficeを使うことができる。
一見便利なシステムのようだが、利用頻度が少ない人にとっては、割高感のあるサービスだ。
ただこのような「定額利用システム」は、今後ますます増えていくだろう、と言われている。
何故なら、新しいソフトを購入することなく自動で最新のものにアップデートされていくからだ。
新しいOfficeが発売されたからと言って、買い替え・インストールする必要もない。
Officeのように圧倒的なシェアがあるソフトであれば、利用頻度云々ではなく使わざる得ないので、利用者は当然増えるし、利用頻度に関係ない為、Microsoft側としては確実な利益を得る手段ともいえる。
そのような側面があるのが「サブスプリクション」という、サービスでもあるのだ。

しかし「音楽や映像配信」に限って言えば、利用者側のメリットの方が高いだろう。
それは上述したように「ストリーミング」というシステムがあるからだ。
スマホのように、メモリが限られ・メモリが増設できなくても、聴きたい時にAppleMusicなどにアクセスして、聴けば良いのだ。
だからこそ、ストリーミングで聞かれている音楽は「その曲がどれだけ聞かれたのか?」というデータとして、ハッキリわかってしまうのだ。

CDセールスの中には、オマケにつられて大量購入をしたという、購入者の目的によってセールスの数字が左右されてしまう。
ここ数年はその傾向が、顕著になっている。
それに比べ、何を切っ掛けに聴くようになったのか?という動機は不明でも、ストリーミング+サブスプリクションによる音楽の視聴は、聴きた人の数字をダイレクトにはじき出してしまう。
だからこそ、音楽チャート専門誌・billboard誌(日本版)にも「ストリーミングチャート」が、登場するようになったのだろう。
billboardJapan:ストリーミングチャート(10月21日付) (注意:今後アクセス時間によって日付が変わる可能性があり)

言い方を変えれば「ストリーミングチャート」の上位が、聞かれている楽曲であり、人気のあるミュージシャンである、ということになる。CDセールスでは上位にいるのに、ストリーミングチャートでは下位に沈んでいる・・・またはその逆の現象が起きてもおかしくはないのだ。
それは、これまでとは「違う視点で考えなくてはいけない」ということを如実に表し、「これまでのハウツーでは売れなくなる」ことを示す「残酷なデータ」かもしれない。

 

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いじめの加害者の心理をよく表した神戸・教員間いじめ

2019-10-19 20:14:20 | 徒然

今週、問題が表面化(?)した神戸の公立小学校で行われていた「教員間のいじめ」。
いじめの内容にも驚くのだが、これらのいじめが「教師」が行っていた、ということが社会的な衝撃を与えている。
「いじめはいけない」と教える立場の教員が、子どものいじめよりも数倍酷いいじめを、複数の若い教員に行っていたのだ。

一昨日、加害者教員が被害者教員に対して「謝罪」を文書で発表しているが、当然のことながら世間の目は厳しい。
その中でも、「謝罪をするなら公の場に出て、すべき」という内容が目だって多い。
公の場に出られないのは、加害者教員が「公の場で出られないくらいの体調である」という説明だったと思うのだが、報道されているようないじめを繰り返していて「公の場に出られない体調になるほどの、繊細な神経の持ち主ではない」、というのが世間の見方だろう。


今回の謝罪文を見て、多くの人たちが「謝罪という言葉と言いながら、謝罪になっていない」と感じているのは、その言葉が「上滑り」しているからだろう。
特にいじめの中心と言われている40代の教員の「かわいがっていた」という言葉に、違和感を覚えた方も多かったのではないだろうか?
私はこの言葉を見た時、しばらく前、相撲界で問題になった「かわいがり」と称した「いじめ」を思い出したのだ。
この時も、世間から理解を得られず発言をした親方は逆に、「何故、分かってもらえないのだろう?」という、表情だった。
相撲界の「かわいがり」という名のいじめは、半ば伝統文化のように言われたように思うし、今でも日本のスポーツ界には「暴力も辞さないほどのスパルタ指導」が、有効な指導法であると考えている指導者や父兄がいる、という事実もある。
その延長として、「かわいがっていた=虐めていた」ということであれば、教員という世界でも相撲界と同様な思考が、まかり通っていたということになるだろう。
と言っても、今回のような思考の教員は今ではほとんどいないのでは?(と思いたい)。

ただ、一連の「教員間いじめ」の経過などを見てみると、なんとなくだが「いじめの加害者の心理」というものが、見えてくるような気がするのだ。
これまでの「学校でのいじめ」の対象は、「成長過程の生徒」であったために「いじめの心理」という部分では、理解しにくい部分があったように思う。
しかし今回は、成人し社会人となっている「大人」が引き起こした「いじめ」だ。
しかも、加害者教員のコメント内容は、言葉こそ違え「いじめをする子供」とほぼ同じニュアンスを含んでいるように感じる。
大人だからこそ、見え隠れする「いじめの心理」というものを、表しているのでは?という、気がするのだ。

同じように感じられた方がBusinessJournalに寄稿されている。
BusinessJournal:神戸教員間いじめ、性行為強要疑惑…加害者の教員ら、「ゲミュートローゼ」の可能性

「ゲミュートローゼ」という言葉は、初めて聞くのだが、もしこの心理学者の方が指摘するような人であるとすれば、教員は当然のことながら一般の社会生活においても、様々な問題を引き起こす要素が高いのでは?という思われる。
だからと言って社会から排除するわけにはいかない。
「大人のいじめ」の難しさは、このようなコトから理解する必要があるのかもしれない。

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新幹線を全国に張り巡らせる必要はあるのか?

2019-10-17 20:20:59 | アラカルト

朝日新聞に、久しぶりに石破さんの記事が掲載されていた。
朝日新聞:今こそ山陰新幹線が必要だ 石破茂氏、格差への危機感を語る

石破さんの地元である鳥取市と私の実家がある米子市とでは、鳥取県の東と西の外れにある自治体という違いがあるのだが、山陰に新幹線は必要なのか?と、言われると「どうなのだろう?」というのが本音だ。
確かに、鳥取市に行くための鉄道路線となると不便だということはわかる。
以前は京都⇔鳥取間の特急などもあり、関西方面に出ていくことも比較的スムーズだった。
それが民営化になり、京都⇔鳥取間の特急は無くなったように思う。
結果、一旦岡山まで新幹線で行き、岡山から在来線に乗り換えるという地図上では遠回りをするルートになった。
その点を見れば「山陰新幹線」の必要性は、あるのかもしれない。
しかしその発想は、国鉄時代のような「全国に鉄道路線を網目のようにつなげる」という発想のような気がするのだ。

本当に必要なのか?という疑問を持つ他の理由は、関西方面から山陰と結ぶ高速バスの充実がある。
JRの特急の本数は少なくても、高速バスはほぼ1時間に1本程度大阪から出ているのだ。
当然、高速バスのほうが値段的にも安く時間的にもほぼ変わらない。
とすれば、多くの人は高速バスを利用するのでは?
実際、年に2.3回くらい帰省する時に高速バスとJRを半々くらいで利用すると、高速道路が渋滞するシーズン以外では高速バスのほうが便利だと感じることが多い。
石破さんが鉄道ファンであっても、「時間がさほど変わらず、料金が安い」という点では、一般生活者にとっては高速バス利用の方がメリットが高い、ということになると思う。
新幹線を通すということになれば、それなりの採算を検討しなくてはならないことを考えると、ハードルの高い「新幹線誘致」ということになるのでは?

むしろ「高度成長に乗り遅れ、周回遅れ」となった山陰の魅力は、「周回遅れ」によって保護された自然の豊かさと古い地域文化が残っている、という点ではないだろうか?
このような地域だからこそ「時間をかけた旅」のほうが、似合うと思うのだ。
現在途絶えてしまっている京都⇔鳥取間を急行くらいの速さの電車で、「のんびりゆったり、地域の文化に触れながら旅する」とか「ジオパーク体験ツアー」ような提案をしながら、時間をかけ沿線各地に人の乗り降りを誘うようなアイディアのほうが、これからの「旅気分」には合うような気がするのだ。

もう一つあげるとすれば、鳥取に住んでいる方が石見大田方面に頻繁に移動するのか?という点も、疑問なのだ。
石破さんが名前を挙げていらっしゃる特急に、始発駅から終着駅まで乗っているという方は、ほとんどいないだろう。
随分前に、米子から益田まで「特急おき」に乗車したことがあるが、この区間でも人の乗り降りはあっても乗り続けるという人は、いなかったように思う。

確かに「新幹線のある地域」との格差はあると思う。
しかしその「格差」をプラスに転換する智慧が、今の地方に求められているのではないだろうか?





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毛皮の次はダウンか?

2019-10-16 20:15:54 | トレンド

Huffpostに「毛皮製品の販売を禁ずる」という法律がカリフォルニア州で成立した、という記事があった。
Huffpost:「動物への残虐な行為に加担しない」カリフォルニア州が、毛皮製品の販売禁止へ アメリカの州で初

カリフォルニア州でこのような法律が成立した(ご存じのように、米国では個々の州で法律が決められるようになっている)ということに、「なるほどな~」という気がしている。
何故なら
①カリフォルニア州がとても温暖な地域であり、毛皮を着こまなくては過ごせない、という地域ではない。
②「リベラルを支持する人」が多く、このような「自然や動物の保護活動」なども積極的な人たちが多いと言われている。
③ロサンゼルス近郊にはハリウッドがあり、ハリウッドセレブたちが住むビバリーヒルズなど、常に世界から注目されている都市があり、情報発信力が高い
などの理由から、動物保護団体などからの積極的ロビー活動があったのでは?という気がしているからだ。

ファッション業界からも「脱毛皮」という動きは、既に起きている。
東洋経済on-line:高級ブランドが次々「脱毛皮」宣言をする理由

東洋経済の記事は昨年の暮れの記事なので、カリフォルニア州の「毛皮製品の販売禁止」の動きは、特別に早かったわけではない、という考え方もできる。
ハリウッドセレブが集まるような地域なので、高級ファッションブランドも立ち並び、既に「脱毛皮」を宣言しているブランドもある。
そう考えると、カリフォルニア州での「毛皮製品の販売を禁ずる」という州法は、カリフォルニア州内に限って言えばさほど影響があるとは思えない。
ただ、上述したように「発信力」という点では、他の地域にも影響があるかもしれない、という気がする。

ここ数年、毛皮製品に対する風当たりが強くなっている。
理由は、カリフォルニア州の州法で決まったように「残酷な行為」だからだ。
ファッションの為に、多くの動物が犠牲になるのは人のエゴである、ということになるだろう。
この「動物に対する残虐な行為」という点では、冬の必須アイティムとなっている「ダウン(やフェザー)」がある。

ご存じの通り、「ダウン」というのはガチョウなどの羽毛のことで、「フェザー」は羽ということになる。
一昨年だったと思うのだが、この「ダウンとフェザー」について、気持ちが良いとは言えない画像がネット上で話題になったことがあった。
ヴィーガン・ファッション:生きたままむしり取るダウンとフェザー(相当ショッキングな動画が含まれているので、ご注意願いたい)

この記事を読むと、もしかしたら「毛皮よりも残酷なのでは?」という気すらしてくる。
確かに、ここ20年ほどの間で「ダウン」商品が、一般的になったような気がする。
特にユニクロが「ライトダウン」商品を発売するようになってからは、秋~冬にかけての必須アイティムのような扱いとなっている。
価格も手ごろなこともあり、毎シーズンのように買い替える方もいらっしゃるかもしれない。

そう考えると、今や毛皮よりも需要として高いのは「ダウン」ということになるだろう。
動物愛護団体が次に「取引を止める様」社会に働きかけるのは、「ダウン」になるのでは?と、想像がつく。
だからと言って、急に「ダウン」を使った商品を無くすわけにはいかないだろう。
何故なら、「ダウン」を使った商品はファッションだけではなく「羽毛布団」のように寝具などにも大量に使われているからだ。

現実的な対応策を考えるのであれば「リサイクルダウン」の活用、ということになるのではないだろうか?
なんとなくだが、近いうちにユニクロのような大量に「ダウン商品」を販売している企業が、「リサイクルダウン」の呼びかけをするようになるのでは?という、気がしている。
「動物愛護」という点だけではなく「環境問題にも取り組んでいる」というアピールになるからだ。




 

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屈強で、高い堤防を造れば大丈夫だったのか?

2019-10-15 21:31:15 | 徒然

この週、末静岡県から東北までを襲った、台風19号。
各地で甚大な爪痕を残していった。
亡くなられた方も50人を超え、行方不明となっている方もまだ多い。
何より今回の台風で被害を拡大させたのは、川の堤防の決壊だろう。
長野県の千曲川や福島県の阿武隈川の堤防決壊は、とても驚いた。

堤防の決壊と言えば、1974年に起きた「多摩川洪水」を思い浮かべるのだが、この都市部の住宅地で起きた洪水を切っ掛けに、1級河川などに隣接する住宅地の為に各所で堤防の建設が進められた印象を持っていた。
それから40年以上経ち、再び台風による川の堤防の決壊が相次いだことは、単なる偶然のように思えないのだ。

コンクリートとコンクリートブロックなどでつくられた屈強と思われる堤防であっても、老朽化していたのでは?ということなのだ。
しばらく前から、全国各地で指摘されるようになった建設から40年以上経過したコンクリート造のインフラ施設の老朽化が問題になっている。堤防も同様な状況だったのでは?という、気がしたのだ。

人が手を入れてつくったモノは、常に手入れをし続けなくては維持することができない、と言われている。
それは里山の雑木林のようなモノであっても、コンクリート造の橋梁や高速道路などであっても同じだ、と言われている。
ところが、つくられるまでは興味・関心が高くても、出来上がってしまった後は興味も関心も無くなってしまう。
まるでそこにそのものがあるのが当然である、かのような生活の中に自然に入ってしまい、手入れをするということを忘れてしまいがちだ。
もしかしたら今回の堤防の決壊も、長い年数をかけ徐々に老化し、今回の台風19号により最大級のダメージを受け、決壊したのでは?という、気もしたのだ。
もちろん、このような構造物の専門家ではない私の想像でしかないのだが・・・。

とすれば、屈強でこれまでよりも高い堤防を造れば、永遠の安心が得られるのか?ということになると思う。
構造物を強くすることで、自然と向かい合うという思考は、高度成長期の頃から今に至るまで、大きく変わってはいないように感じる。
でもそれで良いのだろうか?
「ゼロメートル地帯」と呼ばれる地域や、地盤そのものが弱い地域、蛇行していた川が整備され人が住むようになった場所・・・そのような場所が、日本各地にあるのでは?
そしてそのような土地だからこそ、今回の最大級の台風により、より多くの被害をもたらしたのでは?

1974年の「多摩川洪水」があった場所は、今は住宅が立ち退き整備され公園のようになっている(と聞く)。
被災された方々の1日も早い平穏な生活に戻ることを願うのはもちろんだが、災害のよって被害にあった地域の「居住を含めた都市計画」の作り直しを、考える必要があると思う。

 

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セサミストリートが投げかける、社会の問題

2019-10-14 17:45:06 | アラカルト

facebook繋がりの友人が、とても興味深いリンクの紹介をしていた。
セサミストリートに新しく登場した女の子についてだった。
その女の子のお母さんは、ある「依存症」を抱え、家族と離れ治療をしなくてはならない、という設定だ。
NHK NEWS WEB:「セサミストリート」薬物中毒に苦しむ親を持つ女の子が登場

薬物中毒というと、日本では芸能人が逮捕されるような種類の薬物を思い浮かべると思うのだが、「セサミストリート」で取り上げた薬物というのは「オピオイド」と呼ばれる、鎮痛剤の一種だ。
そしてこの「オピオイド」に関しては、製造・販売をしているジョンソン&ジョンソンを相手に訴訟まで起きている。
BBC:米J&Jに600億円の制裁金、オピオイド中毒をめぐる訴訟で

日本では承認・販売されていない為に、ピンとこない方も多いと思うのだが、以前トヨタ自動車の米国人役員の女性が「違法薬物を米国から送ってもらった」という事件で問題とされた薬物が、この「オピオイド系鎮痛剤」だったと思う。
他にも、King Of Popと呼ばれたマイケル・ジャクソンやプリンスの死因となったのも、この「オピオイド系鎮痛剤の常用」と言われている(マイケル・ジャクソンは「オピオイド系鎮痛剤+睡眠薬」の過剰摂取とも言われている)。
それほどまでに、米国で社会問題となっているのが「医師が処方する鎮痛剤」による中毒なのだ。

元々「セサミストリート」という番組ができた背景には、アメリカが抱えていた貧困層における幼児教育の問題があった。
貧困層の家庭には「本は無くても、テレビがある」という状況があり、幼児教育が遅れがちな貧困層に向けて制作されるようになったのだ。
その後も人種の問題、身障者や知的障碍者などをパペットと出演者が登場することによって、子どもたちに「偏見が無く社会に受け入れられるよう」にという配慮を最大限に考え、子どもたちが考え社会に出る勇気を与える、という制作当初からの理念を変えることなく時代の変化に合わせた番組を作っている。
そのような制作意図がある「セサミストリート」で、「オピオイド」による中毒の親を取り上げるということは、米国社会においてそれだけ深刻な状況にある、と考える必要があるだろう。

そして「セサミストリート」では、単に「オピオイド」という薬物中毒に対する問題提議だけではなく、家族向け(=依存症の親を持つ子供)向け処方となる提案もされている。
アゴラ:とにかくすごい!米国「セサミストリート」新キャラのお母さんは依存症

「依存症」そのものは、「オピオイド」という薬剤だけの問題ではない。
身近なところでは、「アルコール依存症」が挙げられるだろう。
「依存症」には「完治が無い」と言われている。
「アルコール依存症」から立ち直る為には、一生お酒と縁を切らねばならないのだ。
そして「オピオイド」という鎮痛剤による依存症が社会的問題になっているように、誰もが「依存症」になるリスクがある、ということだと思う。

「依存症」そのものは、特別なコトではない。
だからこそ、多くの人が理解し偏見を持たずに、見守る必要がある、ということ「セサミストリート」は教えてくれているように思う。






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クローンと言っても、同じではない

2019-10-13 12:50:07 | 徒然

台風19号は、首都圏を中心に大きな被害を出しながら、進んでいった。
千葉では接近中に震度4の地震が発生する、という二重の被害が起きている。
台風15号の復旧が遅々として進まない地域がある、千葉県内の方々にとってはより厳しい状況になっているのでは?と、想像している。
そして、長野では千曲川の堤防が決壊、というニュースもあった。
ただただ、1日も早い平穏な暮らしが戻ることを願うばかりだ。

朝日新聞を見ていたら、「クローン牛」の記事があった。
朝日新聞:クローン牛、静かな最期「畜産に貢献しない」と言われ

「クローン」というと、ある一定年齢以上の方は「羊のドリー」を思い浮かべるのではないだろうか?
クローン技術を使った初めて誕生した動物が、「羊のドリー」だった。
産経新聞インデックス:クローン羊誕生で倫理的波紋

「羊のドリー」の誕生は、産経の記事にあるように「倫理観」という観点から、社会的問題視されるようになるのだが、反面畜産などの分野では「クローン技術」を使うことで、優秀な(例えば「肉質が良い」などの理由)種をつくることができる、という期待があったのも事実だろう。
その結果誕生したのが、朝日新聞に掲載された牛の「かが」と「のと」だった。

「かが」と「のと」の写真を見て、気づくことはないだろうか?
「クローン」として誕生しただけではなく、双子の牛として誕生した「かが」と「のと」だが、見た目にもはっきりとわかる「個体差」がある。
「クローン」だけではなく「双子」ということであれば、DNA(遺伝子情報)のレベルでは、まったく同一のはずだ。
しかも、成育環境も同じだったはずなのだ。
「DNA=個体差などはほとんどない」と思ってしまうのだが、この「クローン牛」である「かが」と「のと」には、明らかにわかる個体差がある。
ということは、DNAが同じであっても全く同じではない、ということを示しているのでは?と、考えるのだ。
言い換えるとすると「クローン」であっても、個体差があり個性がある、ということになると考えても良いのではないだろうか?
「クローンで双子で生まれ、同一環境で成育」したとしても、「エピジェネティックス」と呼ばれる作用によって個体差が生まれる、と先日お話しを伺った某大学のサイエンストークでの話を思い出したのだ。
国立がん研究センター研究所:エピジェネティックスとは?

だからと言って、「クローン」による畜産動物を増やすことには、賛成できない。
それはやはり「倫理観」というものがあり、「生命を(人が)弄る」ことに抵抗があるからだ。
ただ「クローンだから××」という特別な見方ではなく、単純に「生命の不思議さ」を、亡くなった「クローン牛・かが」は教えてくれているような気がするのだ。


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ティファニーの広告と中国

2019-10-11 17:07:11 | マーケティング

ティファニーが中国で出した広告が、物議を醸している。
その理由が、モデルが右目を隠している、ということのようだ。
朝日新聞:右目隠しただけ…ティファニーに「香港デモ支持」批判

記事には、問題となったポスターが掲載されているので、ご覧いただければわかると思うのだが、「問題になるほど?」という印象がある。もちろん、個人的な印象なので「違う!」という方もいらっしゃるとは思うのだが、言いがかり感をぬぐえないでいる。

元々広告表現と政治とは相いれないところがある、と考えている。
確かに、政治的メッセージのある広告が、無かったわけではない。
1980年代~1990年代はじめの頃のベネトンの広告写真を手掛けていた、オリビエーロ・トスカーニの広告表現は「社会問題を切り取る」という写真表現だった(再びオリビエーロ・トスカーニが広告写真を手掛けるようになっているが、以前ほどの過激さは無いかもしれない)。
UNITED COLORS OF BENETTON: with OLIVIERO TOSCANI
それを「広告」と呼んでよいのか?という議論は常にあったし、そのような広告を出すベネトンを嫌う人達も少なからずいた、というのも事実だろう。むしろそれを承知で、広告を出していたのが、ベネトンであったということになると思う。

しかし、ティファニーはそのような企業ではない。
問題とされた写真にしても、モデルが身に着けている宝飾品をきれいに見せる為のポージングにしか過ぎない。
だからこそ、中国側の言いがかりのように思えてしまうのだ。
ティファニー側としては、米国、日本に次ぐ大きな市場として急成長をしている中国を刺激したくない、と考えたのだろう。
この広告を取り下げている。

ではなぜ、中国側は単なる広告写真に過剰反応とも思える反応をしたのだろう?
中国市民から「香港のデモを支持している広告」と言われた為と言われているが、本当のところは中国市民から自発的に起こったことなのだろうか?
そしてこの過剰とも思える反応の影には、何があるのだろうか?
むしろその点に注目すべきなのでは?と、考えるのだ。

香港が英国から返還された時、中国側は「これまでの香港の自治を認める」といった趣旨のことを話していた(と記憶している)。
香港は中国であっても、香港としての自治とアイデンティティは守られる、と捉えた香港市民も多かったはずだ。
しかし返還後年月が経つにつれ、状況が変わってきたと、香港市民は感じていたのではないだろうか?
逆に言えば中国側は、年月が経つにつれ香港を飲み込もうとしたのではないだろうか?

もう一つ考えられるのが、今香港で起きているデモが、中国本土に及ぼす影響だろう。
これまでの社会体制を崩してしまうような、社会的雰囲気が中国国内で表れ始めているのでは?という、想像ができる。

ティファニーの広告で使用された写真そのものは、社会批判でも何でもないにもかかわらず、過剰に反応してしまう中国国内に起きている社会変化を読み解く必要があるということだと思うのだ。




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UberEatsの問題はどこにある?

2019-10-10 19:36:15 | ビジネス

数日前だったと思うのだが、フードデリバリーサービスを提供しているUberEatsのデリバリー担当者が、「受取拒否」をした料理をマンションの共有部分に捨てていった、という話題があった。
BusinessJournal:ウーバーイーツに苦情のオンパレード…配達員が料理投げ捨て→本部は「警察に連絡しろ」

ここ10年ほどで、店舗を持たず料理のみをデリバリーする、というお店が随分増えてきているような気がする。
古いところでは、「ピザの宅配」ということになるとは思うのだが、最近ではお鮨や丼ものなどのデリバリーサービスを、提供するところもある。
Foodist:飲食店によるデリバリーの市場規模は4,0348億円、前年比5.9%増。拡大する出前ビジネス

Foodistの記事にもあるように、この「出前ビジネス」をけん引している一つが、UberEatsだろう。
しかし、ご存じの方も多いように、これまでの料理デリバリーを専門としている企業と、UberEatsとは大きく違う点がある。
料理デリバリーを専門としている企業は、「デリバリーを完了するまで」企業の従業員(アルバイトを含む)が行っているのに対して、UberEatsは外注者がデリバリーを行っている、という違いがある。
この違いが、今回大きな問題となっているのだ。

確かに、届けられた料理の汁ものがこぼれ、他の料理にかかっていたりしたら、食べる気は失せてしまうだろう。
「受取拒否」をしたくなるものわかる。
ただこの「受取拒否」の理由を知ると、昔から出前をしているお店の凄さを感じるのだ。

最近ではほとんど見かけなくなった感があるが、麺類などの出前をお願いするとバネがついて、おかもちなどが水平に保たれるように工夫をされた装備のついたバイクで届けてくれた。
見た目は決してスマートとは言えないかもしれないが、あの装置のおかげで麺類などはほぼこぼすことなく届けられていたのだ。

そう考えると、日本には「汁ものを丁寧に運ぶ」という技術が既にあり、何故UberEatsはそのような装置を持った事業者とデリバリー契約を結ばなかったのか?という、疑問が出てくる。
そこで、UberEatsのサイトを見てみたのだが、デリバリーをする人の募集がトップにあり、会社概要についても米国本社の内容ばかりで、日本の市場を考えたサイト作りにはなっていない。

食文化というものは、その地域や国によって随分違うだけではなく、今の日本には様々な国の料理が食べられるようになっている。
おそらく世界でもトップに入るくらいの、豊かな食文化を享受できる環境にある、というのが今の日本なのだと思う。
とすれば、米国本社よりも遥かに細やかなデリバリーサービスが求められるのが、今の日本の料理デリバリーのビジネス環境なのではないだろうか?

単に、米国のシステムを日本で展開しようとしても、無理があるはずなのだ。
安易なデリバリー事業者を募集する前に、その生活者の意識の違い対応することができないと、生活者から「NO!」と言われてしまう、という認識が必要なのだと思う。

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イノベーションを考える前に、考えたいコト

2019-10-09 16:10:09 | ビジネス

バブル経済の崩壊後、低成長(はっきり言えば「マイナス成長」かもしれない)が続いている。
そして、お題目のように言われるのが「イノベーション(改革あるいは変革)」。
「イノベーション」を起こすために、最近では「イノベーション」と言う言葉を冠とする部署をつくる企業もあるらしい。

日経新聞:イノベーションの定義は社外に求めてもムダ、自分たちで定義しよう

この記事とは別に思い出したことがある。
しばらく前に、大阪ガスのエネルギー・文化研究所の池永さんが書かれたコラムだ。
エネルギー・文化研究所:【起動篇】なぜ日本人は「イノベーション」が好きなのか

池永さんのコラムを読んで気づくことはないだろうか?
「イノベーション=現状打開」という意味で、使われていることが多い、という点だ。
だからこそ「奇をてらったこと」をし、失敗をしてしまうのだ。

「現状打開」と「イノベーション」は、発想そのものが大きく違うのではないだろうか?
「イノベーションによって、現状打開ができる」という発想から、「イノベーション」に関する部門を作ってしまったりするのでは?と、想像してしまうのだ。
しかし「現状打開策」を考えるのであれば、「現状の分析→問題点の洗い直し→捨てる事業・残す事業の検討と実施」などのステップによって、ある程度の「負」の状態からの脱却を図ることができる。

何も、大胆な発想の転換をする必要はないはずなのだ。
ところが「V字回復」と言う言葉が好きなビジネスパーソンがいるように、現状分析などを地味な作業を嫌う傾向があるように感じる。
そのような思考傾向のある企業が、「イノベーション」と言う言葉を冠につけた部署を、作りたがるのでは?

「イノベーション(改革あるいは変革)」というのは、実は地味なマーケティング分析の中から、種となるものをみつけるというところからスタートのではないか?と、考えている。
残念なことに、日本の企業全体に見られることだと思うのだが、「マーケティング」そのものを十分理解をせず、専門部署も設けずに広告代理店に丸投げしている傾向がみられると感じている。
そのために、日経の記事のような提言が出てくるのだと思う。

マーケティングの最大の目的とは「生活者(あるいは顧客)の問題解決」だ。
その「問題解決」を把握できていないのに、地に足がついた「イノベーション」など起こせるはずもない。
「奇をてらった」ところで、「生活者(あるいは顧客)の問題解決」に結びついていなければ、生活者や顧客からそっぽを向かれるのは当然だ。
何よりその「イノベーション」は、自社の企業理念や創業の精神と相通じるものでなければ、生活者は違和感しか感じない。
違和感ではなく、不信感を招く可能性も高い。
であれば、自社のことを十二分に理解している社内で考え・行動することの方が、遥かに現実的でマネージメントもしやすいはずだ。

その視点を持たずに、部署だけをつくるのは本末転倒だろう。




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