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女性マーケターから見た日々の出来事

高齢化社会が、不安な社会にならないために

2018-07-12 12:20:43 | 老親介護

梅雨が明けた途端、猛暑が続いている。
一昨日、昨夜などは熱帯夜と、感じるほど蒸し暑い夜だった。
7月の中旬でこの暑さだ、これから本格的な夏を迎えるのかと思うと、既に夏バテとなりそうだ。

このような猛暑が続くと、熱中症などで倒れる方も急増する。
独居老人を抱える我が家は、実家の父の安否が心配な季節でもある。
そのような心配を少し軽減させてくれそうな「緊急連絡システム」が、実験的に行われるようだ。

朝日新聞:腕輪型端末で在宅医療患者を見守り 岐阜の病院など開発

 腕時計のように、端末を身に付けることで在宅医療患者を見守る、というシステムのようだ。
このようなシステムの開発が急がれるのには、理由がある。
別名「2025年問題」といわれる問題だ。

2025年は、いわゆる団塊の世代の人たちの多くが、「後期高齢者」となる年なのだ。
厚労省も、その対応策を急いでいるはずなのだが、その中心となるのが「病院での看取り」ではなく、「自宅での看取り」の推進といわれている。
ご存じのように、今の日本人の多くは病院で亡くなっている。
くも膜下出血や脳梗塞などの「脳卒中」や、「心筋梗塞」のように、病院に救急搬送された時には、助からない状態の方も少なくないが、長期治療を繰り返し、亡くなる方も少なくない。
厚労省が考えているのは、この「長期治療を必要とする患者」を極力在宅医療へ切り替え、病院の病床数を確保しよう、ということだという。
随分前、病院のケースワーカーさんから伺った話だ。

もちろん、最近では「サービス付き高齢者住宅(通称「サ高住」)」のように、普段通りの生活をしながら、緊急時には病院の治療・入院が受けられるような高齢者向けの住宅(多くは賃貸のようだが)も、随分増えてはきているようだが、それだけでは難し部分もあると思う。
それが、我が家のような独居老人を抱えた、遠距離家族の存在だ。
そしてこのような「独居老人を抱えた遠距離家族」数は、想像以上に多いのでは?と、思っている(というより、実感をしている)。
それだけではなく、身よりの無い高齢者も、今後ますます増えていくだろう。

そのような社会的問題が、既に想像できる状況で、手をこまねいている場合ではない。
このような、身よりの無い独居者であっても、安心ができるケアシステムが必要な時代になっているのだ。
AIの活用などによって、これらの問題の一部でも解決ができるのであれば、それはとても喜ばしいことだと思うし、それが人の労力の軽減となれば、喜ばしいことだと思う。

個人的には、早くこのようなケアシステムが、現実化されることを願うばかりだ。

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「勝ち馬に乗る」とは言うけれど・・・

2017-09-27 20:55:38 | 老親介護

衆議院の解散が、ほぼ決まった状況の中で東京都知事の小池さんは、新しい党を立ち上げた。
名前は「希望の党」。
この党が、どのような希望と感じさせてくれる公約、あるいはマニフェストを提示してくれるのか?というところが、今の話題のはずだった。
その話題よりも大きなニュースとなったのは、民進党が「希望の党」と合流する、という話が出ている、という報道だ。
政治の世界では「勝ち馬に乗る」という言葉があるが、まさか党ごと乗っかるとは思いもよらなかった。
民進党の代表選前に離党した細野さんを批判した民進党の人たちは、一体何を思って批判したのだろう?
朝日新聞:民進、希望と連携合意 高まる合流論、統一名簿を模索

元々民進党という政党そのものが、様々な考えの人たちが集まった政党のはずだが、小池さんが掲げる「希望の党」はあくまでも保守系の政党だ。
民進党の中には、革新系の人たちもいる。
そのような人たちは、どうするのだろう?
何より、民進党はつい先ごろ蓮舫さんが代表を辞め、前原さんが新しい代表になったばかりだ。
前原さんは、国会での党首討論に一度も登場することなく民進党の代表を降りる、ということになりそうな雰囲気になっている。
毎日新聞:衆院選:民進党の前原誠司代表が無所属で出馬へ

結局「民進党」という政党にこだわりを持った前原さんは、民進党とういう名前を捨て無所属で出馬をし、民進党を離党した細野さんを批判した民進党の人たちが、細野さんと一緒に「希望の党」で活動をする、というおかしなことになってしまったように思えるのだ。

こうも簡単に乗り換えられると、支持者側は民進党という政党に不信感を持ってしまうだろうし、今までの選挙公約などは一体何だったのだ?!と、怒りを覚える方もいらっしゃるのではないだろうか?
それだけではない。
合流された「希望の党」にとっても、まったく新しさを感じさせるモノが無くなってしまった、という気がしてくるのだ。
確かに参加している政治家さんたちの顔ぶれをみれば、新鮮味に欠けるというところはあるが、新しい政党になった!という、期待感は少なからず有権者にはあったと思うのだ。
それが「烏合の衆」のように、集まってしまったことで「希望の党」そのものの「新しさ」や「革新性」という、イメージが失われてしまったような気がするのだ。

「打倒!自民党。打倒!!安倍政権」ということだと思うのだが、であれば安易な「勝ち馬に乗る・乗られる」ということは、有権者にネガティブな印象を与えるばかりで、プラスとなる要素はあるのだろうか?


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数字合わせの政策では・・・

2015-06-17 20:17:54 | 老親介護

昨日の朝日新聞に、「病床10年後に1割削減可能 政府目標、介護に重点」という見出しの記事が掲載されていた。
朝日新聞:病床「10年後に1割削減可能」政府目標、介護に重点

この記事に掲載されている地図をご覧になって、ある点に気付かれた方はいらっしゃるだろうか?
先日「日本創成会議」で、「高齢者の移住」を提言で示された「急性期病院(高度な治療を必要とする入院施設のある病院)」が(人口に対して)多い地域と、重なるのだ。
日本創成会議:東京圏高齢化危機回避戦略図表15 (注意:PDFファイル)

おそらく「10年後病床数を減らす」という考えは、2025年をにらんでのことだと思うが、その減らす対象地域は、先日、日本創成会議が発表したデータを基にしているのでは?という気がする。

確かに、首都圏での高齢者対策というのは、人口規模から考えても必要なことだと思う。
だからと言って、地方の人口減少が始まっている地域を減らせ!というのは、いかがなモノだろう。
ご存じのとおり、今現在「人口に対して病院が多い地域」というのは、東京よりも高齢化が進んでいる地域だ。
高齢化が進んでいる=現役の働く世代が少ない(あるいは減少している)地域と、考えてもよいのでは?
言い換えるなら、「介護職」に就いている現役世代が都市部と比べて少ない、あるいは人口的にはほぼ同等数ということも考えられる。
何より「地方だから病院が少なくても大丈夫」というのは、高齢者の現実を見ていないような気がするのだ。
というのも、今年1月突然独居の父が心筋梗塞で緊急入院をした。
60代であれば、3週間ほどで退院できたと思うのだが、父の場合、高齢ということもあり丸1か月の入院になった。
容体が変わりやすく、重篤化しやすい高齢患者の入院は、長くなる傾向にあるのでは?と考えるからだ。

そもそもこの「病床数削減」の基となる考えには、「在宅もしくは、在宅に準ずるような生活環境での介護」による「病床数の削減」なのだ。
「在宅介護」を基本として考えるなら、独居高齢者が多い地域ではいったい誰が「介護をするのか?」という点が、とても重要になってくるはずだ。
そのバランスが取れた状態で「(医療費削減のために)病床数を減らす」という考えにならなければ、都市部でも地方でも、単に「病床数が減ったが、介護難民の増加」になってしまう。

2025年の問題の根本は、「都市部・地方関係なく増加するであろう介護難民対策」なのでは?
日本創成会議で提案された「都市部高齢者の地方転居」にしても、今回の厚労省の政策にしても、なんとなく「都市部の都合のよい、数字合わせの政策」のように思えてくる。

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「高齢者移住」は、現実的なのだろうか?

2015-06-05 19:15:19 | 老親介護

今朝の新聞に「高齢者移住」という記事が、一面に掲載されていた。
朝日新聞:「高齢者の地方移住を」東京圏の介護需要、10年後45%増 創生会議提言

まず、なぜ10年後なのか?というと、団塊の世代の人たちが「後期高齢者」になるだけではなく、いわゆる「団塊ジュニア」と呼ばれる世代も、そろそろ現役を引退する時期に差し掛かってくるからだ。
高齢者になれば、当然様々な身体的衰えによる生活の不自由さだけではなく、病気にもかかりやすくなり、また治りにくいという状態になりやすい。

現在のように、東京に「一極集中」していることを考えると、創生会議が予測していることは現実としてあり得ることだと思う。
事実今でも「介護付き老人ホーム」などは、入居待ちという状態になっており、一人で複数の施設に入居希望を出しているために、本当に入居を必要としている人と入居希望者数が、合致していないのでは?という指摘があるほどだ。

ただ、創生会議が提言しているように「地方への移住」というのは、そんなに簡単な話ではないと思う。
一つは、受け入れる自治体にとって、「移住する高齢者を歓迎するのか?」という点だ。
ご存じのように日本の皆保険制度では、「等しく医療を受けられる」ことになっている。
しかしその財源は、地方自治体の財源に頼るところとなっている。
主だった産業もなく、高齢者ばかりが転居されても受け入れる側の自治体としては、決して快いものではないのでは?
「高齢者医療を支えるための財源確保」という問題を解決しなくては、財源の少ない地方都市では難しいのではないだろうか?

もう一つは「地域コミュニティー」という視点だ。
拙ブログでも書いたと思うのだが、今年1月実家の父が心筋梗塞で緊急入院をした。
実家がある米子市は、今回の創生会議で「移転先候補」として挙げられている。
確かに、人口に対して「急性期病院」の数は多いかもしれない。
それだけではなく、「急性期病院と町の診療施設等との連携(「地域包括連携システム」と呼ばれるようだ)」がしっかりと整っている。このことに関しては、名古屋よりも進んでいるのでは?と感じた点でもあり、驚いた点でもある。
「地域包括連携システム」というのは、「急性期病院(=高度医療を中心とした治療を行う病院)」で2週間~1か月程度の入院後、医療施設を持つ介護施設や自宅に移った後の医療や介護をスムーズに行うための、連携システムのこと。今高齢者医療を中心に各自治体が取り組んでいる。この「連携システム」により「急性期病院」での入院期間を短くすることで、医療費を下げ、患者のQOLの質も確保しようという狙いがある、といわれている。
特に、高齢者患者(介護施設への入所を必要としている人たち)のQOLという視点で考えると、「地域のコミュニティー」ほど重要なポイントはないと思う。
実際「ご近所力=地域のコミュニティー力」が、遠距離看護をしなくてはならなかった私にとって、とても心強かった。

この「ご近所力」だが、高齢者になりいきなり都市部から転居しても、発揮されるものではない。
長い間の地域内での活動や、コミュニティーへの参加などによる「力」なのだ。
団塊の世代の人たちが、現役を退く頃からブーム?になった「セカンドライフの田舎暮らし」というのは、そう甘いものではない。
むしろ理想と現実は、大きく違うという覚悟が必要だと思う。
何より「都市部の生活の延長としての地方での暮らし」などは、あり得ない。
交通が不便というのはある程度我慢ができても、「人との付き合い方の密度」というのは、都市部のようなわけにはいかない。

とすれば、むしろ都市部には都市部向けの「高齢者施設」という考え方が、必要なのではないだろうか?
今まで都市部で生活をしていれば、その生活そのものに「愛着」があるはずだ。
単純に「施設の数」などで「高齢者の地方移転」というのは、安直な気がする。

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遠距離看護

2015-03-23 21:38:39 | 老親介護

このお彼岸、実家へ帰省していた。
例年は、母の墓参りが2月にあるためお彼岸には帰省することはしないのだが、今回は父が心筋梗塞で入院をしたため、母の墓参りはキャンセル。
その代りの墓参りと退院後の父の様子見のために、帰省してきた。

父が心筋梗塞で緊急入院することになった時にも感じたことなのだが、高齢者家族を遠距離で看護するということは、それなりの準備と覚悟が必要だということだ。
経済的な面も大きいのだが、その地域の医療体制とサポートネットワークを作っておく、ということが重要だと感じている。

父の場合、以前から「かかりつけ医」を持っていたために、急性期病院(=高度な治療を中心に行う病院)に入院直後から、「かかりつけ医」に父が入院をし、どのような治療が行われたのか?退院後の対応などについての情報を共有するために、書類などを持参し、何度か説明に行った。
その結果、急性期病院である入院先の担当主治医から、相当詳しい内容の治療に関する書類を「かかりつけ医」に渡すことができた。
ここまでが、退院までに家族として行ったことで、退院後父に対して薬などの処方や簡単な検査を含めた診察については「かかりつけ医」が行っている。
父としては、気心の知れた「かかりつけ医」に見てもらう、ということが一番の安心材料となっているようで、入院時にはなかなか言えなかった体調の不安や生活指導などについても、積極的に質問ができているようだった。

そして何より、遠距離看護をしなくてはならない私が心強く感じたことは、「ご近所ネットワーク」だった。
田舎ということもあり、ご近所づきあいが都市部に比べて濃い。
プライバシーということを都市部では盛んに言われるが、その「プライバシー」という点でも、意外に踏み込むようなご近所づきあいではないようなのだ。
これはおそらく、ご近所そのものが同世代が多いということにも関係しているのかもしれない。 
「お茶飲み友達」はたくさんいて、互いに行き来をしあったり昔ながらの「おかずのやり取り」などはあるものの、夕方になれば「それじゃぁ、元気でまた明日」と、帰って行かれる。
話にしても、自分たちの若いころの話や町内会の話で、いわゆる噂話のようなものはない。
もしかしたら、これが「年寄の付き合い」というものかもしれない、と思えるほど「付き合いの距離感」が程よいことに驚く部分がある。

この「ご近所ネットワーク」と「かかりつけ医と急性期病院」というサポートが機能していることで、独居老人である父も父らしさを維持しながら生活ができている、という確認ができただけでも良かったと思っている。
しかし、父のようなケースは全国的にはどうなのだろう?
大学病院や大きな総合病院に行きたがる方は多い。
しかし、今の医療制度では大学病院や大きな総合病院は「急性期病院」として位置づけされ、基本的な治療が終われば退院を勧められる。
以前のように「体力が回復してから」などと、悠長なことは言ってはいられない。
その後の受け皿となるような病院を、日頃から持つことが重要なのだが、そのような情報は少なく「回復期療養難民」のような患者さんが少なくないのではないだろうか?
それが遠距離看護であれば、なおのこと対応が難しい。
我が家の場合は、偶然にもそのような体制がスムーズに作ることができた。
それはもしかしたら、地方だったからできたことかもしれない。

介護世代(=親の介護をする世代)にとって、親のこと以上に今の医療情報を知る必要がある、と感じたお彼岸帰省だった。
 

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医療の進歩と「患者力」

2015-02-11 21:39:07 | 老親介護

父が心筋梗塞で、緊急入院をし今日やっと退院することができた。
とはいうものの、実はこれからが大変で、病院に入院をしている間は看護師さんがケアをし、管理栄養士さんが食事面での世話をしてくれていた。
退院後は、独居の父を中心に家族がケアをしていなくてはならない。

一般的に「病気が治る」というと、「風邪が治る」とか「腹痛が治る」というイメージだが、「心筋梗塞」など「慢性疾患」は、再発リスクを下げるために退院後の自己管理がとても重要で、「心筋梗塞」の場合、薬を飲んだり「心臓リハビリ」などをしなくてはならず、その意味では「一生付き合う病気」だと言える。
残念なコトには、父にはそのような意識はないようだ。
その為、家族が意識をし父のフォローをする必要がある。

最近、「患者力」という言葉を聞くことがある。
実は癌などの病気は、医学の進歩により、「死ぬ病気」ではなく、「長期間付き合う病気」になってきている。
そして症状の変化があるたびに、患者や患者家族がその治療について、選択をする必要がある時代になってきたのである。
その背景にあるのは、「患者のQOL(=生活の質)の重要性」があると言われている。
「生活の質」というのは、個々の患者によって違う。
そして、症状や容体によって目指すところも違う。
だからこそ、患者や患者家族が治療の選択をする必要がある、というコトになるのだ。

もちろん、医療者側からは「インフォームド・コンセント」といわれる、治療に関する説明を受けるのだが、その内容は患者にとって簡単に理解できるモノではない。
説明をする医療者側は、わかりやすい説明をしてくれているはずなのだが、難解な医療用語や薬剤の名前など、理解するには難しく、判断をするにも患者側の判断材料そのものが少ない、というのが現状だと思う。
そのようなこともあり「患者力を付ける」必要がある、というコトが言われるようになってきたのだ。

私自身、5年前「乳がん」と告知をされ手術を受けたのだが、その当時は「患者力」などという言葉も知らず、ただひたすら「最悪の状況を想定し、最善の選択をしなくては」という思いだけで、精密検査中から著名な乳腺外科の先生が書かれた本を読み漁り、逐次自分が置かれている状況を把握するのが精いっぱいだった。
ネットなどでも情報を得ようとしたのだが、ネット上に展開されている「乳がん情報」の多くは、闘病記や胡散臭い民間療法で私には役立たなかった。むしろ、それが良かったようで、精密検査中から今現在に至るまで、担当医に質問攻めをするくらい質問をし、専門医からの最新情報を集めるコトができている。
あとで知ることになったのだが「担当医にわからないコトを質問し、自分の病状を理解する」ということが、「患者力の第一歩」のようだ。

そもそも「患者力」とは何か?というと、「病気と向き合い、最良の選択をするための医療者とのコミュニケーション力」のことだと、私は理解している。
とはいえ、私の主治医だけではなく父の主治医も、大変多忙なため「3分診療」が当たり前だ。
その中で「コミュニケーション力を高め、自分が必要としている情報を主治医から引き出し、難解な医療用語を理解する」というのは、至難の業。
そこで、様々な知恵と工夫が患者側に必要となってきている。
それらの知恵と工夫が実は、医療の質を上げるコトになるようだ。
そのためには、医学の進歩だけではなく患者自身も、積極的に参加する必要がある。
なぜなら医療を受けるのは、医療者側ではなく患者側だからだ。
患者側が「こうして欲しい。説明がわからない」など言わないと、医療者側はわからないからだ。
そんなことを実感した、父の緊急入院だった。

以前、医療ジャーナリストの方から伺った、「患者力をあげる5つのポイント」を紹介したい。

1.不安や疑問があった時は、再予約をしても聞くようにする
2.大切な面談(検査結果を聞くような時)は、家族や友人と一緒に聞く
  もし、一人で行く場合は、レコーダーなどに録音をする
3.聞きたいコトは、5つ程度のポイントにまとめ、メモにし診察時に見せるようにする
  診察の予約の順番を一番最後にしてもらい、担当医に時間を作ってもらう
4.自分の希望や考えを伝える
5.医師の目を見て話す
  もし、目を背けるような担当医であれば、「○○先生」と呼びかてでも自分に向かせる

5に関しては実行したことはないが、1~4までは私自身も診察時に行っているコトで、参考になればと思っている。

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遠距離高齢者看護を考える

2015-01-26 22:03:20 | 老親介護

明日から再び、入院中の父の看護のため一時帰省をする。
集中治療室から一般病棟に移ったので、病状そのものは回復しているようなのだが、これから先のことを考えると「遠距離看護」のむずかしさを、ひしひしと感じている。

たとえば「主治医の話」だ。
私自身は大病をして以来、病院に定期的に通うようになり、病気についての知識だけではなく医療者と上手に付き合う(=患者力)を身に着けてきたつもりだが、それを父に理解させるということのむずかしさ。
医療の言葉そのものは、専門用語が多くわかりにくい言葉が多い。
まして、父の世代などは「お医者様にあれこれ質問をするのは、失礼」という考えの世代。
専門用語など、理解ができなくても「ハイ」と言ってしまう可能性のほうが高い。
最近の治療の考えの基本は「患者の意思決定を尊重する」という方向にあるのだが、患者自身が自分の病状を十分理解できないまま「ハイ」という返事をしてしまう傾向が強い、というのも日本の医療現場にありがちなことだと思っている。
高齢者の場合、特にその傾向が強いのではないだろうか。
そのような状況の中で、昨今言われているような「QOL(生活の質)の高い医療」を受けることそのものが、とても難しいと思っている。

もう一つは、栄養面についてだ。
高齢者になると、食が細くなるのは仕方ないことだと思うのだが、それまで「自分が健康である。または、持病と上手に付き合っている」と、自信を持っていた高齢者にとって、命に係わるような病気になる、というのは精神的なショックが大きいように感じている。
実際、父を見ていると自分が心筋梗塞になった、という事実はわかっていても、心筋梗塞になった自分を受け入れられず、精神的ショックから立ち直っていないように感じる。
その為、以前より食欲が低下しているようで、必要摂取カロリーを得るまでの食事の量が取れていないようなのだ。
「必要摂取カロリー」が取れない、ということは体力的な回復が遅れる原因にもなるのだが、食欲そのものを回復させるためにも「病気になった自分」を父自身が受け入れられるよう、サポートする必要でありそのための時間も必要だと思っている。

とはいっても、今の日本の医療では「病気に対する入院目安」のような基準があり、それらの基準をもとに入院日数が大体決められるようだ。
父の場合、3週間という予定になっている。
その3週間で、急性期の治療~自立できる日常生活までの回復治療を行う、というのはとても厳しいような気がしている。
ただ、父の場合早く退院したい、という気持ちが強いようで、「心臓リハビリ」などにも積極的に取り組んでいることが、少しの安心材料となっている。
問題は上述した通り、本人が病気になった自分を受け入れられていないという点と、体力低下。そして再発と緊急時の対応策だ。

短い期間で、どれだけのサポート体制ができるかわからないが・・・。

ということで、拙ブログをしばらくお休みいたします。



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地方と医療

2015-01-19 20:34:25 | 老親介護

昨夜、実家から帰ってきた。
父の容体が安定をし、リハビリなどが始まったことと、順番に兄弟で付き添う体制ができたからだ。
独居老人を抱えているのは、私だけではないと思っているのだが、現実に直面すると様々なことを考えざる得ない状況になってくる。

たとえば救急搬送という問題。
父が心筋梗塞を起こしたのは、午前5時前。
「この時救急車を呼べば、今と状況は違っていた」と、はっきり担当主治医から言われた。
私が、父から電話があったときはすでに心筋梗塞が起きて数時間が経過していた。
それでも、その時救急車を名古屋から実家の消防に連絡をして、搬送をしてもらえれば今とは違う状況だったと思っている。
しかし、父本人が「救急車は呼びたくない」ということで、知人に連絡をし何とか病院へ救急搬送をしてもらったときには、心筋梗塞が起きてから12時間以上が経過していた。
看護師さんからは「昭和一桁の方は、我慢に我慢をしてどうしても耐えれなくなって、救急搬送されるケースが多いんですよ。そうなると重症化していることが多く、治療も大変だし回復も遅くなってしまうんですよ」と言われた。
実は日ごろから「いつもと違う体調異常が起きたら、即病院」ということを言っていた。
それでも、救急車で病院に行くことに相当の抵抗感があったようだ。
理由は「ご近所に迷惑をかける」ということ。
実際帰ったとき、ご近所に「ご迷惑をおかけしました」とあいさつに伺うと、「救急車が近所に来たことは知っていたが、どこのお宅だったか知りませんでした。お宅でしたか・・・」といわれることが多く、当事者が考えている「ご近所迷惑感」とご近所の救急車に対する関心度には、大きな差があった。

現在父が住んでいるところは、築30年前後の家ばかり。
新築当時は、30代~40代の親+中学生以下の子供という世帯であったはずなのだが、今は60代以上の夫婦2人世帯か我が家のような独居世帯ばかりになっている。
その為、救急車で搬送される方も多く「また、誰かが運ばれたのかな?」という半ば日常化していたのだと思う。
実際、私が過ごしていた数日でも連日のようにに救急車のサイレンを聞いた。
都会で言われるような「タクシー代わりに救急車」という感覚ではないのが、地方の古い住宅地に住んでいる人たちの感覚なのかもしれない。

そのような「救急搬送」という問題はもちろんなのだが、その前に何とか手当ができないか、ということも重要なのでは?と、看護師さんの言葉から感じた。
たとえば最近見かけるようになった「サービス付高齢者住宅」。

地方に行くと、上述したような理由で世帯の高齢化に伴い、小学校などが生徒数の減少により廃校になるケースがある。
実際、父が住んでいる地域でも、児童数の減少により小学校が廃校になっている。
そのような廃校になった小学校などを利用して、自治体と病院が連携をして「サービス付高齢者住宅」を運営する、ということはできないだろうか?
自分が長い間住んでいる家から離れ、老人ホームや老人介護施設に入所することに抵抗感がある高齢者も多いと思う。
まして、私の父のように「健康で、自立した生活ができる自分」に誇りを持っている高齢者も多いはずだ。
とすれば、その「健康で自立した生活」をしながら、突然の病気や既往症の急変などに対応できるような「サービス付高齢者住宅」への転居は、子供側としても説得しやすく安心の担保となる。
廃校になったとはいえ、小学校などはその地域の中心的な役割をしていた場所。
その小学校を卒業した子供たちにとっても、行きやすい場所なのではないだろうか?
もう一つは、小学校そのものが持っている設備機能を活用できる、という点でも魅力的だと思うのだ。

自治体が「サービス付高齢者住宅」を運営する、ということに抵抗感があるかもしれないが、市営住宅があるように高齢者向けの専用住宅があっても、良いのでは?
そのようなことを考えた、父の緊急入院と付き添いだった。

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お知らせ

2015-01-12 23:18:39 | 老親介護

突然ではありますが、実家の父が「心筋梗塞」により緊急入院をしたため、看護(介護)に専念することになりました。
その為、しばらく拙ブログをお休みさせていただきます。

「遠距離看護」というか「遠距離介護」という状況は、決して私だけの問題ではないと思います。
むしろこれからの社会では、クローズアップされていく課題だと思います。
その当事者となってしまったわけですが、今は父の回復のためにしばらく専念させていただきます。
すでに外科的処置は済んでおり、父の体力面や精神面での回復のための看護が中心になる予定です。

早ければ、来週中には更新できるかと思っておりますが、後期高齢者ということもあり今後のことは、わからない状況です。
ただこのような経験は、その時にならないとわからないことだと思いますし、そのような経験から見えてくる様々な事柄から、学んできたいと思っています。

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「バリアフリー」って、何だろう?

2014-08-20 20:44:06 | 老親介護

お盆で帰省中、父と何度かJRを利用した。
この春、自動車免許を返納した為にJRで出掛けることとなったのだが、その時「高齢者になること」ということを実感した。
と同時に「バリアフリー」の意味を、考えてしまったのだった。

実家の父は、母が亡くなった後「独居老人」状態でもひとりで家事をし、ご近所づきあいも積極的にしてきた。
免許を返納した後は、電動アシスト自転車でスーパーへの買い物をし、地元のバス会社の「高齢者向けパス」を使い、病院や月命日のお墓参りなど、クルマのない不便さをカバーしてきた。
ひいき目かも知れないが、ご近所の同世代の高齢者と比べても、行動的で自立した生活をしていると思っている。

そんな父が、JRの自動券売機の前で「固まって」しまったのだ。
何故だろう?と、父の姿を見ていると、自分が行きたい先の切符の値段が瞬時にわからないのだ。
それだけでは無く、自動券売機で切符を買うシステムが判っていないらしい。
直ぐに私が券売機で切符を購入したのだが、「何故、固まってしまったのか?」と考えたときに「バリアフリーって何だろう?」と、思ったのだった。

父が固まった理由の「行き先の切符の値段がわからない」というのは、券売機の上にある路線図が良く見えていないことが要因だったようだ。
高齢者になると、券売機の上にある路線図そのものを見ることが、一仕事となってしまっているのだろう。
実際、名古屋の地下鉄の券売機でも高齢者(に限らずだが)が、券売機の前で路線図を眺めながら困った表情で固まっている姿を見かけることがある。
それから、行き先の切符の値段がわかり、お金を入れようとしてもとても入れにくそうなのだ。
「慣れ」と言う部分も大きいとは思うのだが、もう少し「買いやすい券売機」という発想があっても良いのでは?と言う気がしている。

例えば、券売機の画面に路線図が表示され、表示された駅名をタッチすれば料金が表示される、とか硬貨の投入口もやや大きめにしたり、お札を入れるタイミングなどもゆっくり入れても「料金を入れて下さい」と自動音声が流れないなどの工夫があれば、随分買いやすいのでは無いだろうか?
私なども名古屋市交通局や名鉄が発行している電子マネー「manaca(マナカ)」のチャージをする時、わずかなタイミングのズレで「料金を入れて下さい」という自動音声が流れると、焦ってしまうことがある。
高齢者となれば、ますます焦ってしまうのではないだろうか?

これまで「バリアフリー」というと、段差が無いとか通路が広い、エレベーターやエスカレーターが設置されている、といったことを指すコトが多かった。
確かに、車いすやベビーカーを利用している人が動きやすいと言うことも「バリアフリー」だと思うのだが、「高齢者が自立した生活がし易い」ということも「バリアフリー」なのではないだろうか?
少なくとも、比較的経済的余裕のあるシニア~後期高齢者が、気軽に乗り物を使って出掛ける為のハード面での充実という視点も必要だと思う。
「高齢化社会」と言われて久しい日本だが、「健康高齢者が、生活し易い社会」という視点での「バリアフリー」を考える時期にきている様な気がする。

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