日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「寄り道」をするのも悪くない

2018-01-31 20:27:06 | アラカルト

日経新聞のWEBサイトに掲載されている、COMEMOというコラムがある。
拙ブログでも、何度か紹介をしたコトがあると思う。
様々な分野で活躍をされている方々が、執筆をされているのでその内容もバラエティーに富んでいて、面白い。
その執筆者の中でも、大阪ガスのエネルギー文化研究所所長をされている池永寛明さんのコラムは、いつ拝読しても「なるほどな~」と思う。

日経新聞 COMEMO:「寄り道」と「前後」がなくなった

今回の「寄り道」と「前後」がなくなった、というコラムを拝読しながら、慶応機塾大学名誉教授をされていた故村田昭治先生を思い出した。
村田先生は、日本におけるマーケティングの第一人者と言われていたが、それだけではなくとても素敵なエッセーも書かれていた。
絶版となってしまった「なぜ彼はいつも笑顔なのか」というエッセーの中には、「無駄をする人、遠回りをする人は発想が豊かである」という章がある。
正に、池永さんのいう「寄り道」をする人のことを指していると感じたのだ。

池永さんのコラムにある通り、今ではパソコンやスマホなどで簡単に「検索」することができる。
知りたいコトを知る時間と手間がかからない時代になっている、ということになるだろう。
それでも、今年改訂された「広辞苑」が、予約販売でそれなりの数があったことを考えると、今でも「広辞苑」を利用している人が、それなりにいらっしゃる、ということなのだと思う。

「広辞苑」に限ったコトではないと思うが、「モノ・コトを探すための寄り道」というのは、時間と労力の無駄のように思えるが、村田先生がエッセーに書かれた通り「発想をする」ためには、必要なコトなのでは?と、常々感じている。
それは「関連付ける発想力」という、単に思い浮かぶ「発想」とは少し違う力を養うからだ。
単発的に思い浮かんだ「発想」を関連付けさせる力というのは、案外身に付いていないコトが多いのではないだろうか?
そのような「発想力」は、おそらくAIなどが進歩していっても「人でなくてはできない」コトだと思っている。

何も、調べものをするときだけではない。
普段歩かない道をチョッと寄り道してみると、新しいお店を発見したりすることはないだろうか?
決まった道から少し外れることで出会うことも、案外多いと思うのだ。
いつも歩く道であっても、視線を変えるだけで随分違って見えることもある。
「違って見える・発見をする」そのようなコトが、新たな発想のタネとなるのだ。

「発想の豊かな人」というのは、そのような「寄り道の達人」のような気がする。

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「コインチェック」の流出事件で考えたいコト

2018-01-30 20:15:27 | アラカルト

まだまだ騒動が続きそうな、仮想通貨取引会社「コインチェック」からの流出事件。
今朝、聴いていたFM番組では「仮想通貨」がなぜ投機目的で使われるようになったのか?という、話があった。
端的に言えば、「金余り」ということらしい。
銀行にお金を預けても、利子はほとんどつかず。だからと言って買いたいものがあるわけでもない。
株などに投資するよりも、利回りがよさそうな「ビットコイン」に投資をする人が多くなりつつある、という分析をされていた。

そこで疑問に思ったのだが、この「コインチェック」にお金を預けた人達は、「コインチェック」という会社に対してどれだけ知っていたのだろうか?ということだ。
例えば、クルマを購入するとき、いくつものディーラーに行くと思う。
ディーラーでカタログなどをもらい、自宅でネットなどからもユーザー評価のようなサイトでチェックをし、購入するクルマを決めているのではないだろうか?
場合によっては、家族の意見を聞くこともあるだろう。
クルマのような大きな買い物でなくても、テレビや冷蔵庫などある程度値の張る商品を購入するときは、大体このような「比較検討」に時間をかけるのではないだろうか?

それに比べ今回の「コインチェック」に対して、どれだけの情報を得、検討をし「自分のお金を預ける最適な会社」と判断したのだろうか?という疑問があるのだ。
というのも、「仮想通貨」については以前突然取引所が閉鎖され、後で管理者が横領罪で逮捕される、という事件があったからだ。
このような事件の他にも、「仮想通貨」を巡る事件は増えているようで、「自分の資産を預ける」には適切な場所なのか?という、検討を十二分にする必要がある「金融取引」だったからだ。
「コインチェック」が大きく取引を伸ばしたのが、テレビCMなどの積極的なコマーシャルが展開された後だった、ということを考えると、お金を預けた人の中には「テレビCMを見て」という理由で取引を始めたのでは?という気がしている。もしくは、「仮想通貨は儲かる」という「儲け話」から、テレビCMを見てという流れなのかも知れない。

もちろん、お金を預ける側だけが問題ではない。
むしろ「お金を預けられた側」ほうが、重い責任があるはずだ。
今回の「コインチェック」側に対して疑問を感じるのは、多くの方が思っていらっしゃる「セキュリティー」の問題も大きいと思うのだが、それよりも「人からお金を預けられた(資産を預けられた)」という意識や緊張感のようなものがどれだけあったのだろうか?という、疑問があるのだ。
BUSINESS INSIDER:コインチェック和田社長27歳、出発点は「ビリギャル」
この記事を読む限りでは、「仮想通貨のアプリ」に対しての興味は高いと感じられるのだが、企業人として「顧客をどう考えているのか?」という気持ちのようなものが伝わってこないのだ。
少なくとも「人様のお金を預かり、運用をする」という、金融機関の企業の社長ということは感じられないのだ。
金融業界での経験が無い、ということもあったのかもしれないが、自分の事業が「金融業である」という意識そのものがどれほどあったのか?という、疑問のほうが大きい。

「金余り」の状況で、投機目的で「仮想通貨」にお金を預けるのなら、コインチェックの和田社長のように「若い社会起業家」達もたくさんいる。
できればそのような若者の事業に投資して欲しい、と願うのだ。

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「#Me too」から見える、文化の違い

2018-01-29 11:12:07 | アラカルト

ハリウッドから起きた「#Me too」の動きは、大西洋を飛び越えフランスにまで話題が及んだ。
インターネット時代の、情報の伝達力だと思う。
ハリウッドでの「#Me too」とフランスでの受け止め方の違いに、文化の違いがあるのでは?という、気がしてきた。

ご存じの通り、ハリウッドで始まった「#Me too」に対して、「違うんじゃない?!」と疑問を呈したのは、フランスの大女優・カトリーヌ・ドヌーブだった。
彼女の「口説く自由がある」というのは、一理だと思うということは、拙ブログでも以前エントリさせていただいた。
しかし、ハリウッド側は「口説く自由」に対して、反発をしているようだ。

確かに、「#Me too」の始まりは、ハリウッドの大物プロデューサーによるセクハラだった。
大物プロデューサーが、若い新人女優に対して性的関係を迫ったという告発が、始まりだったと認識している。
その後次々と、大物女優と呼ばれるような女優さんたちも「同様の経験を迫られた」と、告発。
そればかりか、男優さんまで「#Me too」で同調をしたことで、より大きな話題となった。
そのような動きに対して、カトリーヌ・ドヌーブさんは「口説く自由がある」と、言ったのだった。

ハリウッドもフランス映画界もそれほど大きな違いが無いのでは?という気がしながら、「なぜこれほどまでに、反応が違うのだろう?カトリーヌ・ドヌーブさんもお若いころは、このような経験はなかったのか?」と、疑問に思ったりした。そしてもしかしたら社会文化の違いなのでは?という気がしたのだ。

あくまでも個人的なイメージなのだが、「口説く自由があるなら、断る自由もある」というような自由な恋愛観(あるいは男女関係観)を持っているのがフランスで、かつての米国の煙草の広告「マールボロ」に表現されるのようなカーボーイ文化が恋愛観にも反映されているのがハリウッドなのでは?という気がしたのだ。

違う言い方をするなら、フランスにおける男女関係の主導権は女性側にあるのでは?という気がしたのだ。
だからこそ、カトリーヌ・ドヌーブさんは「口説く自由がある」と、余裕のある?発言をされたのではないだろうか?
一方、ハリウッド側(というか米国社会)の潜在的な男女関係というのは、上述した「カーボーイ文化」に支配されているのではないのか?ということなのだ。

「カーボーイ文化」というのは、米国の西部開拓の頃のような「強い男性、それに従う女性」という社会文化のことだと私は考えている。
「強い男性像」というのは、時にはプラスのイメージになる。
それは「家族を守り、地域社会の安全を守る」というイメージだ。
横道にそれるが、おそらく全米ライフル協会がイメージする「アメリカの家庭」は、このような男性像を基にしたアメリカの家族であり、その家族を守るために銃の所有を認める必要がある、ということなのだと考えている。
その一方で、「強い男性」は「乱暴で粗野、教養がない」というイメージもある。
特に、お金を持った(あるいは権力を持った)「乱暴で粗野な男性」の女性観に対する反発が「#Me too」だったのではないだろうか?

そう考えると、カトリーヌ・ドヌーブさんの言い分もハリウッドの「#Me too」の動きも、良く分かるような気がするのだ。

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「仮想通貨」は、仮想でしかない

2018-01-28 19:40:24 | 徒然

仮想通貨の取引所の一つ「コインチェック」が、ハッキングされ相当額の被害が出た。
その金額が580億円とも言われている。
と言ってもあくまでも「仮想通貨」としての金額なので、日銀など中央銀行が発行している通貨の580億円とは違う、と考えている。
被害にあわれた方には、大変申し訳ないのだが「仮想通貨」は「仮想」であって、中央銀行などが発行している通貨とは別もので、その被害額が本当に流通している通貨と同じ価値があるのか?という保証はないのでは?と、思っている。

昨年から、「仮想通貨」に対して大手銀行なども参入する意思がある、という報道もあり「仮想通貨」そのものが、現在流通している通貨と同等に扱われるようになる日は近いのでは?という、期待?があった。
「仮想通貨」が急激に値上がりをしたのは、このような報道があってから、という気がしている。
流通している1円に対して仮想通貨が1円以上の貨幣価値があるように思えても、現実はやはり1円の価値なのだと思う。
それ以上でも、それ以下でもない。

にもかかわらず「仮想通貨」がこれほどまでに、値上がりをしたり・値下がりをしたりするのは、「仮想通貨」が「投機対象」だからだろう。
これまでにも「投機対象」となってきたものは、数多くある。
バブル期の時には、「土地」だった。
他にも「先物取引市場」で、米や豆などが実際の商売とは関係ない人たちが「投機目的」で価格を吊り上げ、上げ切ったところで暴落をする、ということが繰り返されてきた。
オランダでは「チューリップの球根」が、投機対象となったこともあった。
「先物取引が悪い」と、言っているわけではない。
「投機目的」で必要以上に吊り上げられたり、暴落したりということを繰り返し、それが「景気」にも大きく影響を及ぼしている、ということなのだ。

おそらく今の「仮想通貨」は、実際に「仮想通貨を使う」ということではなく、「投機目的」で利用されているということなのだと思う。
「先物取引」と大きく違うのは、「仮想」であるということだと思う。
「投機」をするのだから、当然それなりのお金の支払いをしているとは思うが、米や豆、土地とは違い現実に目にすることができないのが「仮想通貨」だ。
株式債権の売買と似ていると言えば、似ているのかもしれないが、株式債権は株式を発行する企業という姿が見える。
当然、企業の経営状態が分かるような情報も公開されている。
ところが「仮想通貨」に関しては、そのような情報開示がどれだけされているのだろう?

そのように考えると、大手銀行が参入を予定している「仮想通貨」そのものの説明をシッカリ理解する必要があると思うし、銀行側も説明をする責任があるはずだ。
まして今回ハッキングされた取引所を運営している企業は、金融庁からまだ承認が下りる前だったようだ。

将来的には「仮想通貨」も、現在流通している通貨と同じように扱われるようになるのかもしれないのだが、今の状況では「仮想通貨」は「仮想でしかない」ということなのだと思う。
姿の見えない儲け話には、やはり大きなリスクがあるのだと思う。

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「文春砲」とメディア、そして社会

2018-01-26 19:16:57 | 徒然

ミュージシャンで音楽プロデューサーの小室哲哉さんが、突然の「引退」を発表して1週間くらいになる(と思う)。
引退の切っ掛けとなったのは、ご存じの「週刊文春」に掲載された小室さんの不倫という記事だった。
ところが、記者会見の場は「不倫」に対する謝罪記者会見(って、一体誰に謝罪すのだろう?と思っていた)から、奥様のKEIKOさんの病状やご自身の話が中心で、「けじめをつけるための引退」という記者会見になってしまった。
実際の記者会見の様子を見ていないので、その場の雰囲気のようなものはわからないのだが「そこまで言う必要があるのかな?」と感じるほど、プライベートな内容まであったようで、まるで「公開何とか」のような印象を様々なメディア報道から受けた。

一昨年あたりからだろうか?「週刊文春」がスクープを連発し、そのたびごとにテレビなどがその後シップを追いかける、という状態が続いている。
その結果ついた名前が、ご存じの「文春砲」だ。
確かに、タレントさんたちのゴシップはいろいろな意味で話題にもなるし、世間の興味も引きやすい。
テレビのワイドショーなどとの親和性も高い。
当然、ワイドショーなどではある程度の視聴率が稼げる話題となっているはずだ。

ただ今回の小室さんの「不倫」記事は、思わぬ方向へと進んでいる。
それは、記者会見を見た人や記者会見の内容を知った人たちからの反応が、今までとは大きく違い小室さんへの同情はあれども、週刊文春やワイドショーなどに対して「そんなゴシップスクープをする暇があったら、政治家の疑惑などを追求したら」という、これまでとは逆の反応が多いのだ。

ネット上で見られる「政治家の疑惑」などばかりをテレビや週刊誌が、追求しているとおそらく文春などの雑誌の売り上げ部数は伸びないだろう。
まして政治や経済の記事ばかりでは、息がつまりそうになるはずだ。
自分とは全く関係のない芸能人のゴシップであれば、ご近所や職場の昼休みなどの話題にもしやすい。
だからと言って、記事となった人を「引退」にまで追い込むようなことはしたくない・・・というのが、おそらく多くの人の気持ちなのではないだろうか?

これがもし、週刊文春ではなく女性のヌード写真があるような週刊誌であれば、多くの人は「眉唾」と思い、スル―していただろう。
それだけ週刊文春という雑誌は、社会的信頼のある雑誌媒体であった、ということでもあると思う。
そして「文春砲」が、芸能人ではなく政治家などのゴシップ、スキャンダルであれば、これほど叩かれることも無かったと思う。
「芸能人のゴシップを楽しんでいるのは、私たち生活者でもある」という事実を、改めて感じた方も多かったのではないだろうか?
小室さんを引退に追いやった今回の「文春砲」は、今までのゴシップなどの話題との付き合い方を、考えさせる切っ掛けとなったはずだ。



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SNSと企業イメージ

2018-01-24 12:04:12 | ビジネス

21日から大雪に見舞われた首都圏。
4年ぶりに東京では「大雪警報」などが出るなど、交通機関などを含め大変だったようだ。
そんな中、東急ハンズのツイートが話題になっているらしい。
Jcats News:東急ハンズが「ハンズに来ている場合ではありません」 大雪で「なかなか言えない」ツイート

雪が当たり前のように降り、積もる地域に住んでいる方々にとって、東京の大雪は「そんなに騒ぐほどでは?」という気になるだろう。
雪が積もらない地域であっても、「東京偏重のニュース」だと、感じている方も多いと思う。
実は、私もその一人だ。
とはいうものの、首都圏は物流の要ともなっている場合も多く、今回の大雪で関東以北の地域からここ東海地域への物流の遅れなどが発生し、現場では混乱も多かったのではないだろうか?

そんな騒動の時に、あえて「東急ハンズに来ている場合ではありません。早い帰宅を」と呼びかけるツイートをした、ということは受け手となる人たちから「東急ハンズって、お客様のことを思い、心配をする会社なのだな~」という、印象を与えたように思う。
実際、Yahoo!などのサイトに掲載されている書き込みなどを読むと、概ね好意的であったようだ。

今、企業イメージを左右するのは不特定多数の人達が見るテレビCMだけではない、と言われている。
むしろ企業側が注意を払わなくてはいけないのは、SNSだと言われている。
その理由は、想像できると思う。
一瞬のうちに一人のつぶやきが、瞬く間にシェアされ、リツイートされ・・・拡散するからだ。
例えその企業と関係が無いと思われる人達に対しても、それらの情報を目にすることになる。
「企業にとって関係が無い人」と思っていても、将来の顧客となる可能性は十分にある。
だからこそ、企業はSNSでつぶやかれる内容を、チェックしなくてはならない状況にある。

企業側にとって「火のない所に煙は立たぬ」ではなく、「火が無くても煙は立つ」というのがSNSでもあるのだ。
どれだけ企業側が、注意深くSNSをチェックしていても起こりえる、という状況にある、という意識を持つ必要があるだろう。
そのために企業側はどのような対策が必要なのだろう?
その答えが、直感的にツイートをした東急ハンズのサイト運営者の「生活者優先」という視点なのだと思う。
「利益よりも生活者のことを心に置く」情報発信力が、このような想定外の状況で企業のイメージを左右する、ということなのだ。
そしてその影響は、企業側が思っているよりも遥かに大きい。
リンクをした書き込みなどを見ていただくと分かると思うのだが、「東急ハンズ」が無い地域の人の書き込みなどもあるのだ。
それは今後「東急ハンズ」が新たに出店するとき、大きなアドバンテージとなり、既に新たな顧客を獲得したという状況にある、と考えられるからだ。

生活者優先・顧客優先の思考力を、全社に浸透させるために必要なこととは何か?
その回答は、既にドラッカーが著書の中で何度も述べている「企業のトップから現場で働くアルバイトまで同じ理念を共有し、その理念に従った行動を起こすことだ」ということに尽きるのだと思う。

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新築マンションの20年後の姿を想像してみる

2018-01-23 17:13:11 | ライフスタイル

朝日新聞に、首都圏のマンション販売が好調という内容の記事が掲載されている。
朝日新聞:首都圏「億ション」増える 平均価格、バブル期ぶり高値

ここ名古屋でも「億ション」ではないが、マンションの建築ラッシュが続いている。
いわゆる住宅地区だけではなく、繁華街に近い地域などでも新築の高層マンション(いわゆる「タワーマンション」だ)が続いている。

なんとなく「億ションが増える」とか「バブル期ぶりの高値」と聞くと、景気がよさそうな印象を受ける。
多くの人たちに「景気が良い」という実感があるとは思えないが、このような話題が出てくるということは、どこかで景気が良くなっているのかもしれない。
景気には波があるように、いつまでも好景気が続くわけではない。
ましてあの「バブル期」のような、景気が再びあるとは思っていない。
だからこそ、このような記事を一呼吸おいて読む必要があるのでは?と、思っている。

それは、この「億ション」と言われるマンションそのものにもいえると思っている。
20年後この「億ション」にどんな人が住み、暮らしているのか?ということだ。
既に、地方だけではなく都市部でも「空き家」が、問題になりつつある。
今の「億ション」も20年後には、「空き室」が目立つ物件になっている可能性も多いにある。
何故なら、現在「億ション」を購入した人達の生活スタイルなどが変わっていくからだ。

子供がいる家庭であれば、20年後には子供は独立をし、別世帯を持っているだろう。
マンションを購入した親は、既に仕事をリタイアしている可能性もある。
リタイアをしていなくても、昨今の労働環境を考えれば、同じ会社で順調に昇進しているとは限らないだろう。
「億ション」を購入できる人に限らず、20年後の自分の生活や暮らしぶりを想像する、というのはとても難しいのではないだろうか?

20年後、空き室が目立つ「旧億ション」というのは、傍目から見てもなんとなく怖い雰囲気があるのでは?
それは「億ション」に限らず、すべての住宅にいえることだと思う。
そう考えるとマンションであっても、経年と生活者の変化に対応できる「リノベーションのしやすい」という発想が、必要になってくるのではないだろうか?
何よりも考える必要があるのは、20年後のその町の姿を想像することが重要なのだと思う。

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映画「「The Greatest Showman」が問いかけるモノ

2018-01-20 12:03:26 | Weblog

既にネットで話題になっている(と思う)、大阪府立登美丘高校ダンス部の最新?の映像がyoutubeにアップされている。
今回の映像は、ハリウッド映画「The Greatest Showman」とのコラボ作品だ。
HUFFPOST:登美丘高校ダンス部、ついにハリウッドとコラボ 制服姿で踊る姿は、やっぱりキレッキレ
彼女たちのダンスの振付の一部は、映画「The Greatest Showman」の主題歌となっている「This is Me」で、彼女たちが踊っている楽曲もこの「This is Me」だ。
先ごろ発表された、ゴールデングローブ賞でも主題歌賞を受賞している。

映画のプロモーションビデオを見ると分かると思うが、舞台となっているのは19世紀だ。
主人公となっているのは、P・T・バーナムだと言われているようだ。
昨年話題となった、ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」のスタッフが創り上げた、ミュージカル映画の最新作ということらしい(少なくとも、公式サイトではそのようになっている)。

日本での映画封切は2月の中旬で、1ヵ月ほど後だがプロモーションビデオや「This is Me」の動画を見ていると、19世紀の伝説のエンターティナーを描いた作品というだけではなく、今という時代だからこそ問いかけているモノがあるように感じてしまうのだ。
それが一番顕著に感じるのは、主題歌となっている「This is Me」の動画だ。
登美丘高校の動画では、日本語訳が付いているのでより分かり易いと思うのだが、映画の一部を使ったプロモーションビデオを見ると「多様性と尊重」と言う言葉が思い浮かぶ。

19世紀の「見世物小屋」と呼ばれる場所で、自分の身体的問題をさらけ出していた人たちがいる。
意外なコトだが、ここ数年人気となっている心理学者・アドラーは見世物小屋で働く彼らを医師として間近で見ることで、心理学への道を歩くことになったと、以前E-テレの「100分で名著・アドラーの『人生の意味についての心理学』」の中で、語られていた。
アドラーが注目したのは、そのような身体的問題を抱えた人たちが、「身体的劣性から生じるマイナスを何らかで補償しようとする。それが何等かの形で性格形成や行動に影響を与えているのでは?」と着想し、それがアドラーの心理学の基となったようだ。

改めてこの「This is Me」のプロモーションビデオを見て見ると、身体的ハンディを含め、人の違いを認め合うことの大切さということが見えてくる。
映画に登場する人達は、どこか奇形した体を持っている。
中には「アルビノ」と思われる女性もいれば、「シャム双生児では?」と思われる男性の姿もある。
今でこそ、「アルビノ」や「シャム双生児」という認識を持ってみることができるが、19世紀の頃は「奇異な人たち」と周囲から見られ、時には蔑まれてきただろう、ということは想像することができる。
多くの人にとって「自分と違う」ということは、なかなか受け入れることができないことだからだ。
それは映画の舞台となった19世紀も今の21世紀も、変わらないはずだ。
むしろ今のほうが、より冷たく残酷な社会になっているかもしれない。

トランプ大統領が誕生して1年が過ぎようとしている。
そしてトランプ氏登場によって、世界中で露わになってきたコトの一つが、「自分とは違う人達を排除したい」ということのような気がしている。
そう考えるとこの「The Greatest Showman」は、今という時代が生んだエンターテイメントなのでは?という見方もできると思う。

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分野を超えて、学ぶことの大切さ

2018-01-19 16:38:07 | 仕事のコツ

朝日新聞のWEBサイトの健康関連サイト「apital」に、面白い記事が掲載されていた。
記事を書かれているのは、「がんの代替療法を科学する」ことをテーマに研究をされてきた大野智先生(「『嵐』の大野さんとは別人の大野智」です、とご自身の自己紹介をされることもある、ユーモアのセンスたっぷりの先生)だ。
apital:選択のパラドックス 選択肢が増えることは良いことか?

日本人の多くが、「がん」と診断され真っ先に思い浮かぶ治療の一つが、「抗がん剤」による治療だろう。
そしてこの「抗がん剤」に対する、自分の容姿が著しく変わる脱毛や、苦しい嘔吐などのマイナスイメージが、患者を「代替療法」や「民間療法」へと向かわせる要因の一つともなっているのでは?と、感じることが多々ある。
それだけではなく、患者にとって「治療の選択の余地がない」ということも、「代替療法」や「民間療法」へと向かわせる理由となっているのかもしれない。
上述した通り大野先生は、「がん治療」の中でも「代替療法」と呼ばれる、「科学的根拠」が明らかにされていない治療について、研究をされてきている。
だからこそ、「代替療法」や「民間療法」などへ向かいやすい、がん患者の気持ちが良く分かるのでは?と、感じている。
大野先生は、そのような患者さんに対して「良いガイド役」として、この記事を書かれている(と思っている)。

詳しい内容は、紹介の記事を読んでいただくとして、考えなくてはならないのは「人は常に判断をしている」ということだろう。
その「判断」によって、「失敗をした」とか「成功した(あるいは満足)」と感じる。
がん治療の場合、その時々の「失敗(あるいは満足)」が、大きく左右されることも多いのが、現実だ。

今のように様々な情報が氾濫する社会では、「判断をする」ための理由が、感情(というかその時の気分)に左右されることが多くなる。
「選択の自由」はあった方が良いが、「自由があり過ぎても判断に困る」という現実がある、ということになる。
だからだろう、以前から「商品をお客様に勧める時には、3点以内。お勧めする商品が多すぎても、お客様は目移りばかりして、決められない」ということが言われている。

昨年のノーベル賞の経済部門は、「行動経済学」の第一人者であるリチャード・セイラ―教授だった。
そして大野先生の記事は、この「行動経済学」という視点から書かれた内容なのだ(だと感じている)。
医療者だから、行動経済学のことは知らなくても良い、という時代ではない、ということだろう。
もちろん、大野先生ご自身が様々な視点を持ち、勉強家であるということには違いないが、それはどのような領域の仕事であっても同じなのではないだろうか?

好奇心のアンテナは高く張り巡らし、情報をキャッチしながら、専門分野とは違う領域のことも学んでいくことが大切な時代なのだと、大野先生の記事は教えてくれているような気がする。

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「ムーミン」ばかりに注目しなくてもーセンター試験ー

2018-01-16 21:40:21 | アラカルト

今年も、荒天の中「センター試験」が実施された。
例年であれば、試験の内容が高校の授業内容と違っていたとか、複数の回答がある設問であった、ということが話題になるのだが、今年の話題は「ムーミン」だった。

朝日新聞:ムーミンの設問、根拠は?大学ニュー氏センタ―試験の回答全文

既に話題になっているので、設問内容については省くが、確かにいきなり「ムーミンの出身地は?」という設問に、ビックリした受験生は多いだろう。
それまで、過去問を一生懸命に解いてきた受験生であれば、尚更だろう。

確かに、ユニークな設問だとは思うのだが、この設問から入試センター試験の設問をつくった側のある狙いというか、考えが見えているような気がする。
それは「学校の教科書を暗記するだけでは、ダメですよ」ということだ。

受験生の中には、キャラクターとしてのムーミンは知っていても、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンが書いた「楽しいムーミン一家」をはじめとする「ムーミンシリーズ」の本は、読んでいないかもしれない。
まして、地理の試験に「ムーミン」が出題されるとは思ってもみなかっただろう。
個人的な正解は「ムーミン谷」としておきたいし、お話し自体はどこの国という設定はされていなかったと思う。
そもそも「ムーミンとその仲間たち」というキャラクターは、作家・トーベ・ヤンソンが創り出した世界だ。

ただこのような設問があったことで、これからの受験生は「幅広い知識と教養も受験に求められる」ということだと思う。
予備校で「ムーミン」を読ませるとは思えないし、作者のトーベ・ヤンソンの人物像に触れることも無いだろう。
彼女が描き出した世界から訴えかけるモノ・コトとは何か?などということも、教えられることはないはずだ。
このような思考は、様々な「読書」の中から育まれていくものだと思っている。

「読書」と言っても、文字を追って読むのではない。
「言葉や行間などから、作者の考えや思いを想像し、自分の中で解釈をしていく・・・」というような作業を、繰り返していくということだ。
偏った思考に陥らない為にも、様々なジャンルの本を読みこなす必要もある。
これまでのように、「世界史・日本史・地理」は暗記科目などと思って勉強をしても、これからの受験には通用しない、ということを示しているようにも思えるのだ。

何はともあれ、受験生には「センター試験お疲れ様でした」と言いたい。
気持ちを切り替え、志望校の入学試験に向け力を出し切ってほしい、と思っている。

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