日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「ハロウィン」で騒ぐのは、時代遅れ?!

2018-10-30 19:17:52 | トレンド

本来は明日が「ハロウィン」なのだが、季節行事のイベントと化している日本では、先週末が「ハロウィン・イベント」のピークだったようだ。
新聞などでは、渋谷で大騒ぎをし暴徒と化し、中には逮捕者まで出たようだ。
クルマを横転させ、その上で騒ぐのだから当然と言えば当然のことだが、いつから「ハロウィン」にかこつけて、大騒ぎをする日になってしまったのだろう?という、疑問もある。

今朝のFM番組では、渋谷で騒ぐようなハロウィンのスタイルから、家庭や仲間内で楽しむハロウィンへと変わってきている、という話が合った。
それだけではなく、「ハロウィン」市場そのものは、縮小傾向にあるという。
リポビタンD TrendEyes:仮装から食へ?!ハロウィンのトレンドをピックアップ!

「2016年ごろがピークだった」ということは、渋谷で騒ぎが始まった頃が「ハロウィン市場」のピークということになると思う。
とすれば、今年暴徒と化した騒ぎ方をした方々は、「ハロウィンの流行」に乗り遅れた方々、ということになるかもしれない。
今年の「ハロウィンの流行の傾向」は、「地味ハロウィン」だったとも言われている。
オリコン:”渋谷ハロ”の対極”地味ハロウィン”
普段とほとんど変わらない「仮装(=地味な仮装)」で、ハロウィンを楽しむというイベントだったようで、渋谷で大騒ぎをするハロウィンとは違うハロウィンの楽しみ方でむしろこのような「地味なハロウィン」のほうが、今後主流になっていくのかもしれない。

ただ全体的には、友達や家族でハロウィンの気分を味わえるような、食事を楽しむという傾向へと変わりつつあるという。
このようなハロウィンの楽しみ方なら他の人に迷惑は掛からないし、ハロウィンの仮装の為にわざわざ準備する必要もない。気軽にハロウィンを楽しめるということになるだろう。

日本での大騒ぎする「ハロウィン」は、米国などの子どもたちが「お菓子をくれなきゃ、悪戯をするぞ~」と言いながら、カボチャの照明がついている家々を回るものでもなければ、ケルト民の「収穫祭」のような感謝を示すものでもない。
傍から見れば「騒ぎたいだけなのね!」という、日ごろのうっぷん晴らしのようにしか見えない。
だからこそ、季節の行事イベントとして社会から好意的に受け入れられず、「ハロウィン」そのもの市場が縮小してしまう一因になっているのではないだろうか?

ただ、既に市場が縮小傾向にあるということは、ハロウィンという季節のイベントが日本の文化として取り込まれなかった、ということになるだろう。
同様のことが考えられるのは「イースター」ということになりそうだが、商業ベースで海外の季節のイベントを売り込もうとしても、一部の人たちが大騒ぎをすればするほど、多くの生活者は引いてしまい定着しないということだろう。




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「経営」の考え方も、多様になっている?

2018-10-29 19:18:23 | ビジネス

Huffpostをチェックしていたら、興味深い記事があった。
Huffpost:「安いものより、興奮できる商品を」イギリスの化粧品メーカーLUSHが、企業成長より大切にしていること

この記事を読んで思い出した化粧品メーカーがある。
同じイギリスに本社を置く「THE BODY SHOP」だ。
THE BODY SHOPは、現在ブラジルの化粧品会社に買収されてしまったので、厳密にいえばイギリスに本社があるとは言えないかもしれないが、創業そのものはイギリスでアニータ・ロディックという女性が始めた、「化粧品製造における動物実験を禁止」、人権の保護、フェアトレードなど、これまでの化粧品メーカーとは違うアプローチで、いわゆる「自然派」の女性たちから支持を受け、大きく成長してきた企業だ。
その考えをLUSHも引き継いでいる、という印象がある。

企業経営という視点で考えれば、LUSHやTHE BODY SHOPのような考え方は、主流となるものではないかもしれない。
しかし、THE BODY SHOPやLUSHのような考え方に共感し、ファンになる生活者も少なくない。
むしろTHEBODYSHOPやLHUSは、そのようなファンをつかみ成長してきた企業だといえるかもしれない。
と言っても、それは本国イギリスや米国などの市場において、という注釈が必要かもしれない。

何故なら、日本ではTHE BODY SHOPやLUSHで買い物をしている方たちは、そのような企業の考え方に共感しているというよりも、「その商品が好きだから」とか「このお店が気に入っている」という、買い物に対してもっとシンプルな動機で来店しているのでは?という、気がするからだ。
逆に言えば、Huffpostの記事にあるように「興奮できる(=ワクワク感がある)商品」が、これらのお店や商品にはある、ということになると思う。

この「興奮できる商品」という点だが、マネージメントの父と言われたドラッカーはGMに呼ばれたとき、ウェルチ氏に「GMは、様々な事業を展開しているが、その中でワクワクできる事業だけに絞るべきだ」とアドバイスをした、と言われている。
「ワクワクできる事業」というのは、それだけ熱意をもってできる事業とも理解できる。
化粧品メーカーだから、ファンデーションやマスカラ、チークと言ったメイクアップ商品を作らなくてはいけない、という決まりごとはない。
むしろ、石けんやボディーソープなど「素肌がきれいになる」とか、バスボム(発泡性の固形の入浴剤)のような「リラックスすることで、キレイになれる」という商品もまた「キレイになる」という点では、化粧品と言えるかもしれない。

今のように、生活者の考えやライフスタイルが多様になってくると、教科書通りの経営が正解ではない、ということかもしれない。
大きな市場は得られなくても、経営や企業の考え方に共感し、ファンとなる顧客を創るという経営もまた、今の時代には有りという気がする。


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生活者のほうが、客観的で冷静な分析をしている?

2018-10-26 23:04:24 | マーケティング

Yahoo!のトピックスなどは、よくチェックをしているのだが、チェックをするだけではなく、ユーザーの書き込みなどもチェックをしている。
その書き込みなどを読んでいると、下手な(と言っては失礼だが)経済誌の記者さんたちよりも客観的で冷静な分析をしているな~と、感じることがある。
その一つが、東洋経済の神戸洋菓子店破たんの記事だ。
Yahoo!トピックス東洋経済:神戸洋菓子店が破綻、「地方スィーツ」の落日

この記事で取り上げられている神戸の洋菓子店を存じ上げないので、実際地元ではどのような評判店であったのかは知らない。
ユーザーの書き込みなどを見ると、地元で今一番の評判店というわけではなかったようだ。
書き込みの内容も、洋菓子店オーナーの態度から実際に販売されていた洋菓子などについての感想が、書かれている。
それらすべての信憑性という点では、分からない部分もあるが、問題点を的確に指摘しているのでは?と、感じるものも多い。
一番納得できた書き込みは、「神戸の洋菓子店の破たん=地方スィーツの落日」という、決めつけのようなタイトルや記事に内容についての「違うのでは?」という指摘だ。

確かに、神戸は横浜と並ぶ「ハイカラ」な街だ。
当然のように、おしゃれな洋菓子店がいくつもあるだろう。
事業を拡大し、この記事で取り上げられたような洋菓子店も中にはあるかもしれない。
だからと言って、破綻した洋菓子店のようなお店ばかりではないだろうし、それは何も神戸に限ったコトではないはずだ。
「地方」の反対を示す「東京」であっても、破綻した洋菓子店と同じようなお店はあるのでは?という、指摘の書き込みには納得できる。

「しっとり系バームクーヘン」人気をつくった「クラブハリエ」は、滋賀県に本社を置く和菓子の「たねや」が展開をしている。
地方と言えば、神戸よりも地方都市の洋菓子店だ。
そして「クラブハリエ」の人気は、落ちるどころか百貨店などでは行列ができる人気店となっている。
百貨店に出店はしていないものの、堅実な経営をしながら、店舗を増やしている洋菓子店も全国には多いはずだ。
何より大切なことは、「味を落とさない」とか「身の丈以上の事業拡大をしない」という、ビジネスでは当たり前のことを守っているか・否か?という点ではないだろうか?

記事にある通り、コンビニスィーツが人気であることは確かだ。
しかし、コンビニスィーツを買う時と洋菓子店でケーキなどを買う時とでは、生活者の気分が違うのではないだろうか?
コンビニスィーツの良さは、「気軽さ」だ。
「お弁当を買った次いでのデザート」、「コーヒーのお供に」といった感じでの買い方をしている生活者が、多いのでは?
一方、洋菓子店でスィーツを買う時は、ショーケースの前であれこれ考え・迷い・選ぶという、チョッとした「特別感」のようなものがある。
もちろん、洋菓子店を選ぶときの重要ポイントは「味」だ。
ケーキのスポンジやクリーム、チョコレートなど自分の好みに合ったお店で、スィーツを選ぶことになる。
そのような生活者の需要に、敏感に応えられなければ都市規模とは関係なく、淘汰されていくというだけのことではないだろうか?

もちろん「美味しい」のに、撤退を余儀なくされる洋菓子店はある。
そのような場合は、店舗のあるビジネス環境の変化(シャッター通りの商店街など)など、他の要素が多分に含まれているのではないだろうか?

そう考えると様々な視点から、この「神戸の洋菓子店の破綻」の記事について、書き込まれた内容を読んでみると、生活者のほうが経済記者よりも冷静に客観的に分析をしているのでは?という、気がしてくるのだ。



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フリージャーナリスト、安田さん解放で見えてくる「中東情勢」

2018-10-25 22:01:38 | 徒然

シリアで行方不明になり、その後過激派組織に3年余り拘束されていたフリージャーナリストの安田さんが、開放され帰国された。
SNSなどでは、安田さんに対する「自己責任」を問う内容が、飛び交っているようだ。
このような事件が起きるたびに、「自己責任」を問う社会的風潮があるが、今回個人的に注目したいのは安田さんの解放に、カタールとトルコという国が大きくかかわっていた、という点だ。

ダーイッシュ(=IS国)が登場する前にも、中東では過激派組織が、欧米のジャーナリストを拘束して来たような記憶がある。
そのたびに、交渉の表舞台に登場したのは「赤十字」だった。
もしくは、欧米とは距離を置くフィンランドなどの北欧の国々だった。
それが今回は中東という地域内にあるカタールとトルコという国が、開放の橋渡しをしている。
意外な印象を持っただけではなく、この二つの国と拘束をしていた過激派との関係、トルコと米国のトランプ氏、トルコとロシアとの関係など、様々な視点で観ていくと、今の世界の「中東をめぐる勢力図」のようなものが見えてくるような気がしたのだ。

今回の安田さんの解放にカタールが大きくかかわったとされる理由が、安田さんを拘束していた過激派の後ろ盾となっていたのがカタールであった、ということが言われている。
国家が過激派を支援・後ろ盾となっていた、という報道には正直驚いた。
中東の国々の多くは「王国」であり、王様とその一族が国を支配しているので、王様とその一族に反する勢力を潰す為には、そのような(半ば)専門の組織が必要だろう。
サウジアラビアで起きた、ジャーナリストの殺害事件の背景には「現政権(=皇太子)に対する批判」ではないか?と、言われている。
もちろん、表立ってサウジアラビアの現政権はそのようなことは認めてはいないし、おそらくウヤムヤのうちに片づけられるだろう。
そう考えれば、「さもありなん」ということにはなるのだが、それは国を統治する王様とその一族のメリット、ということになる。

では、過激派側としてのメリットは何か?
安田さんが行方不明になり、過激派に拘束されたのはシリアだ。
拘束された当時は、まだまだダーイッシュ(IS国)の活動が盛んで、ダーイッシュの考えに感化された欧州のアラブ系(だけではなかったが)の若者たちが、シリアへ向かった頃でもある。
それから3年の間で、ダーイッシュ(IS国)はシリア軍と反目する過激派組織によって、ほぼ殲滅されたと言われている。
過激派の勢力図が変わった3年間でもあるのだ。

ダーイッシュ(IS国)がほぼ殲滅された、という報道があったときにはシリア軍の活躍(?)は報道されたが、反目する過激派についてはほとんど報道されなかったように思う。
「過激派同士の内輪の権力争い」という印象だった。
ところがその「内輪の権力争い」の中に、中東の国が関わっていたとすれば、それは一体何を意味するのだろう?

トルコについては、親日の国として日本でも良い印象がある。
そのトルコが、過激派組織と繋がっていた?となると、心穏やかな話ではない。
まして、その後ろにロシアが関わっている?という話まで聞こえてくると、中東をめぐる世界の覇権争いのようにも見えてくる。
それは中東から石油資源を輸入している日本にとっても、遠い話ではないはずだ。

「フリージャーナリストの安田さん解放」の背景を考えると、今の中東情勢とこれからの石油資源と経済というものまで見えてくるのでは?という、気がしている。



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「見る目を養う」ためには、何が必要なのだろう

2018-10-24 15:59:59 | マーケティング

ノーベル賞受賞が決まってから、本庶先生の記事をよく見るようになった。
本庶先生の発言が、これまでのノーベル賞受賞者の方々と違い、とても幅広いことも記事として取り上げられるのだと感じている。
その一つが「日本の企業は(大学の研究に対して)見る目が無い」という趣旨の発言だ。
日経新聞:日本の大学の成果は米企業に 本庶氏「見る目ない」

本庶先生の指摘に対して、同じ日経のCOMEMOに「見る目を養うためには」という趣旨のコラムが、掲載されている。
COMEMO:「見る目」養成のために、「企業人」の社外活動が重要では

コラムでは、「大学と企業との人事交流」という指摘がされている。
果たしてそれだけだろうか?
あくまでも個人的な考えだが、企業人がまず身に着けるのは「仕事以外の教養」なのでは?という気がしている。
違う言い方をするなら「感性を磨く」ということだろうか?
何も美術館へ行って、著名な作品を観るということではない。
日々の暮らしの中にある、自然の移り変わりに敏感になる、ということで十分だと思っている。
むしろ「五感から得られるもの」を大事にする、という意識かもしれない。
その「五感」が働くようになれば、美術館で著名な作品を見た時に「自分らしい感じ方」が、できるのではないだろうか?

そうやって磨いてきた感性を基に、「今社会が必要としていること、社会の問題として解決していくこと」などを、企業人として考えられるようになるのでは?
そのような感覚を持ったうえで、日々特定の分野の研究に邁進している大学などの研究者と交流することで、社会を変えるイノベーションの種を、ビジネスとして見つけることができるような気がしている。

今大学では、盛んに「アカデミア発のイノベーション」ということを掲げているように思われる。
それは、私が某大学の市民向け公開講座やサイエンスセミナーなどに参加する度に、登壇者が話す言葉でもある。
それだけ大学側は、「何らかの成果を出す」ということに、躍起になっているということなのだろう。
しかし、大学の研究者である先生方の話を聞いて感じることは、「その種がどこで芽吹くのが一番なのか?」ということが、分かっていないのでは?ということも度々感じている。
大学側もまた「目利き」を必要としているのだ。

互いに必要と言っている「目利き」とは、誰なのか?
手前味噌のようになってしまうが、マーケティングを熟知した人材なのだと思う。

 

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百貨店本来の姿を取り戻し始めた?三越日本橋

2018-10-23 20:22:51 | ビジネス

明日、東京日本橋にある三越が、リニューアルをするようだ。
日本橋三越本店:HP
リニューアルと言っても、店舗の改装だけではないらしい。
販売経験豊かな社員が、「コンシェルジュ」として買い物客のお手伝いをする、というサービスも展開するという。
日本橋三越本店:パーソナルショッピングデスク

既に、婦人服売り場ではこの「パーソナルショッピング」が展開されているらしく、以前テレビで紹介されていた(私は、見逃し配信サイトで見たのだった)。
サービスの内容は、相談に来店した顧客に対してパーソナルカラー診断をし、一つのブランドでコーディネートするのではなく、婦人服売り場全体を使って、顧客が要望するシーンでの洋服をコーディネートし、提案をする、というものだった。
おそらく利用顧客の中心は、40代以上の女性だろう。

なぜこの世代の女性なのか?と言えば、一人の生活者でありながら、いくつもの生活シーンを持っているからだ。
仕事をしていれば、仕事に向く服装が必要だが、子ども関係の場では仕事向きの服装では、チグハグになってしまう。
だからこそ「何を買ったらよいの?」という、不安を持っている世代でもあるのだ。

もう一つの理由があるとすれば、男女関係なく「自分が若いころのファッションそのまま」という人達が多い世代、だといえる。
分かりやすい方でいうなら、国会議員の片山さつきさんなどだろうか?
社会的地位と年齢によって、ファッションも変わっていく必要があるのだが、自分自身が輝いていた時代(と思っている)のファッションを、50代になっても続けている、という女性は案外多い。
そのような「何を着たらいいの?」という、ファッション難民にとって、このような「コンシェルジュ・サービス」というのは、心強い。

このようなサービスを展開し始めたのには、バブル期以降の百貨店が「売り場貸し」と化したことで、百貨店そのものの魅力が半減し、売り上げそのものにも影響している、という現実があったからだろう。

日本の場合、多くの百貨店の始まりが「呉服店」だった。
「呉服店」では、着物をあつらえる時にはいろいろな柄や色の反物を広げ、その顧客が必要としている着物を提案する、ということが当たり前だった。
今でいうなら「コンシェルジュ」がいて、顧客の相談にのりながら買い物をしていたのだ。
このような売り方は、時間がかかる。
「合理性」という点では、時間とコストが合わないだろう。
それよりも、ブランドを展開しているアパレル企業から販売員を派遣してもらったほうが、効率的で手間がいらないというのが、バブル期以降の百貨店だった。
それでは、三越であろうと髙島屋であろうと、同じブランドが入っていれば店頭に並ぶ商品には変わりはなく、生活者は「この百貨店で買いたい」と気持ちにはなれない。

それを打ち破ったのが、伊勢丹のカリスマバイヤーと言われた故藤巻さんだった。
伊勢丹の場合は、売り場(伊勢丹では、お客様が買い物をする場所という意味で「お買い場」というらしい)でのディスプレイで、提案をしていた(という記憶がある)が、今回の三越日本橋本店の場合は、実際の販売担当者が売り場全体を使って顧客のニーズを聞きながら、一緒になって探す、という人による「コミュニケーションと提案力」となっている。

このような姿というのは、上述した通り「呉服店」から始まった日本の百貨店に近いような気がしている。
そう考えると、三越日本橋本店の新しいサービスは、以前からある「百貨店本来の姿」のようにも思えるのだ。

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「自国ファースト」は、国益なのか?

2018-10-22 13:10:20 | 徒然

トランプ氏が「IMF脱退」を宣言した。
「ロシアが、条約違反をしている」というのが、その理由だ。
朝日新聞:トランプ氏「兵器開発せねば」IMF全廃条約から脱退

この条約が結ばれたとき、米国の大統領はトランプ氏と同じ共和党のレーガン氏だった。
そしてロシア側はゴルバチョフ氏だった。
「ベルリンの壁」が崩壊し、これから先は「東西冷戦」という武力の時代ではなく、「経済のグローバル化(と世界経済の主導権争い)」の時代へと移り変わった、と感じた時代でもあったような気がする。

それから30年、世界を覆っているのは「自国ファースト」という考えだ。
トランプ氏が、米国大統領に就任する前から、その傾向は見られていたように感じる。
その一人が、ロシアのプーチン氏だろう。

プーチン氏が、2000年にロシアの大統領になってから「大統領選挙」は行われているものの、プーチン氏が指名したメドヴェージェフ氏と交代で大統領を務め、実質的ロシアの最高権力者はプーチン氏であることには変わりない。
そのプーチン氏もトランプ氏以上に好戦的なところがあり、「チェチェン紛争」などを引き起こしたときなどは、旧西側諸国から猛抗議を受けているが、「内政干渉」のような発言をしていたような記憶がある。
トランプ氏は自ら「自国ファースト」と公言しているが、プーチン氏は公言をしていないだけで「自国ファースト」を実践し、過去の行動から相当好戦的な行動をしてきているのでは?と、感じている。

他にも「自国ファースト」という思考は、大国と呼ばれる国々で広まりつつあるように感じている。
確かに「自国ファースト」を明快に訴えたのはトランプ氏だが、EUを離脱したイギリスなども「自国ファースト」という考えが、EU離脱につながったともいえるのではないだろうか?
そして、日本でもジワジワと「自国ファースト」の思考が、ネット上で見られるようになってきているように感じている。

この「自国ファースト」という思考は、本当に国益になっているのか?という、疑問がある。
それは「経済」と「自由」という視点で、感じることだ。

「経済」そのものは、「自国ファースト」なとと言っている場合ではない。
企業活動が世界規模になっていけばいくほど、情報は一瞬で世界を駆け巡り、それらの情報は企業活動に影響を及ぼす。
自社利益だけを考えて、企業活動ができる時代ではないのだ。
裏返せば、経済においては「自国ファースト」という発想では、立ち行かない時代ということも言える。

身近な例えをするなら、スーパーに買い物に行くと、国内産の野菜や果物だけが店頭に並んでいるわけではない。
魚にしても、加工された場所は日本国内であっても、獲れた場所は海外ということも多い。
それだけの生鮮品が、日本の輸入されている(=経済が世界規模で動いている)ということになる。
いくら「自国ファースト」と言ったところで、その動きを止めることなどできないのが今の状況だろう。
しかし、トランプ氏の言っている「自国ファースト」は、経済を含めた内容だ。
だからこそ、米国内でも批判が起きている、ということになる。

そして「自由」という視点で考えると、トランプ氏の掲げる政策以上にロシアや中国の政策は排他的だ。
政治的に不都合な発言や考えを徹底的に排除し、場合によっては見せしめのようなことまで行われるようになってきている。
時の権力者にとっては、都合が良いだろう。
しかしそのような社会は、軋轢を生みに極化の分断された社会となりやすい。
当然「国力(軍事力という意味ではなく、経済や教育、福祉などを対象とした相対的な国の活力)」は、落ちてしまう。
そのようなことは、本当に国益となっているのだろうか?

このような「自由を奪う国」は、徐々に増えてきているように思う。
それは「自国ファースト」と言いながら、「権力者ファースト」でしかないはずだ。
そのような発想は、決して「国益」には結びつかないのではないだろうか?




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インパクトがあり過ぎるdocomoの料金CM

2018-10-19 21:17:56 | CMウォッチ

最近Yahoo!のバナー広告によく表示される、docomoの料金のCM
docomo:家族3人で人あたり1,980円/月(税抜き)

docomoのCMと言えば、この秋随分イメージを一新させた。
NTTdocomo:みんなを、ドまんなかに。
企業CMとしては、今人気がある俳優さんなどを配した、手堅い(?)CMを製作しているな~と、感じさせる内容だと思う。
auやSoftbankのCMのような、シーズンごとにストーリー性のあるCMを展開していきたい、という意思も感じられる。
というのも、auのCMはここ1,2年好感度の高いCMとして、若い世代を中心に人気がある。
ご存じのSoftbankの「白戸家」のCMは、中心となる「白戸家」は変わらず、様々な人物が関わるというストーリー仕立てのCMの先駆者的な存在で、長い間好感度の高いCMとしても評価されてきた。

その間NTTdocomoのCMは、単発的というかあまり印象に残らないCMだったような気がする。
その理由は、起用されるタレントさんや俳優さんが変わるということもあっただろうし、auやSoftbankのようなキャラクターの存在が無かった、ということもあるだろう。
その意味では、今回の「みんなを、ドまんなかに。」というCMは、auやSoftbankのようなストーリー仕立てでシリーズ化をし、生活者にdocomoというブランドのイメージの定着を図ろうとしている、と感じられる内容だと思う。

思うのだが、それよりもインパクトがあるCMがdocomoの料金のCMだという印象がある。
基本料金となる金額を連呼する、というだけではなく、アニメの一休さんの被り物がとにかく唐突で、インパクトがあり過ぎるように感じるのだ。
このCMを見た後、docomoの企業CM「みんなを、ドまんなかに。」が、どのようなCMであったのか?!一瞬思い出せないほどだ(私だけかもしれないが)。

これほどインパクトのあるCMになってしまうと、料金プランに対する訴求効果は高くなるが、そのイメージが強すぎて企業CMの存在そのものが忘れ去られる?!ような気がする。
auやSoftbankのCMを思い出してほしいのだが、auにしてもSoftbankにしても、ストーリー性のあるCMというだけではなく、CMそのものが企業イメージと料金プランを含めた新サービスのCMになっている。
だからこそ、auはauの新料金プランやサービスを、SoftbankはSoftbankの新料金プランやサービスが、CMの物語の中で違和感なく生活者に入っていくのだ。

それが、企業CMと料金プランのCMがそれぞれ独立し、料金プランのCMのほうがインパクトがあり過ぎると、生活者は料金プランばかりに注目が集まってしまう。
新しい「みんなを、ドまんなかに。」というCMの意図は、一体なんだったのか?ということも含め、NTTdocomoとして訴えたい内容が伝わらない、ということになる。

確かにテレビCMには、それなりのインパクト(=生活者に強い印象)を与える必要がある。
しかし、度が過ぎた?!CMは、それだけが目立ち、関連する印象を失くしてしまう、という可能性がある、ということを教えてくれているような気がする、docomoの料金プランのCMだ。

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「当事者意識」が、地域活性化の糸口になる?!

2018-10-17 20:12:31 | ビジネス

昨今過疎が進む地方都市だけではなく、老朽化が進む都市部の団地などでも問題になりつつある「買い物難民」。
その「買い物難民」を出さないように、頑張っているのが地方のローカルスーパーだろう。
その頼りの綱となるローカルスーパーの経営も、とても厳しい状況にある。

週刊ダイヤモンド:倒産スーパー社長の独白、地方都市「自壊」のリアル

地方都市におけるイオンなどの大手スーパーの存在は、都市部における百貨店の存在とよく似ている。
大きく違うのは、百貨店は駅の近くの一等地にあるのに対して、大手スーパーのショッピングモールは、高速のインター近くにあるということだ。
理由は、大手スーパーのショッピングモールを利用するのは、クルマで来店する人達が多い為に、それなりの駐車場とアクセスの利便性が良いという条件があるからだ。
ところが、買い物難民が多い地域というのは、そのような場所ではなく、クルマを手放した高齢者が多い地域だ。
そのような立地条件の場所で、小規模でもスーパーを営業するとなると、その地域の協力は必須だ。
にもかかわらず、全ての人たちが協力的とは限らない。
記事にあるように、非協力的な場合のほうが多いというのが、現実なのでは?という、気がしている。

一方、過疎地でありながら、今注目をされている集落がある。
兵庫県篠山市の丸山集落だ。
ビジネスオンライン:兵庫県篠山市「集落丸山」に見る農泊の成功法則
見逃し配信サイトTverの「風景の足跡」でも紹介されている。
Tver:風景の足跡 篠山市丸山集落篇 (10月23日22:59まで配信)

Tverで初めて見た時の印象は、「集落全体の明るさ」だった。
過疎地によくみられるような廃墟は一つもなく、古い家屋でありながら、キチンと手入れがされ「人の住まい」になっている。
この「地域の明るさ」を保つということは、その地域に住む人たちの意識が無くては、とても難しい。

丸山集落が農泊という事業を起こし、成功したのは集落に住む人たちが「当事者意識」をもって「集落全体のリノベーション」をしたからだろう。

地方の「自壊」という問題は、未来の日本の一つの姿かもしれない。
ただ「自壊」とするのか・否かということは、その地域に住む人たちの「当事者意識」にかかっているように思えるのだ。
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嘘のほうが、信じやすい?!

2018-10-16 21:24:34 | ビジネス

積水ハウスの「地面師」による詐欺事件で、今日犯人グループの一部が逮捕された。
逮捕できたことは、良かったと思うのだが、この事件どこかスッキリしないところがある。
それは、積水ハウスが「地面師」と呼ばれる詐欺グループに引っ掛かり、50億を超すお金を詐欺グループに振り込んでいたことだ。
しかも、本当の土地の所有者が、何度か「取引に問題がある」と指摘をしていたにもかかわらず、それを無視していたという。
時事通信:真の所有者指摘も無視=偽造書類見抜けずー発覚後社内対立・積水ハウス

実際の土地の売買をしたことが無いので、土地取引についての知識は無いので違っていたら指摘をしていただきたいのだが、土地取引をするときには、法務局などへ出向いて、土地の所有者の確認を最初にするのでは?ないだろうか?
いくら廃業をした旅館と言えども、駅前の一等地のような場所の土地だ。
戦後直後のように、誰の土地なのか?境界線はどこなのか?全く分からない土地ではないだろうし、最近問題になりつつある「相続者が多すぎて、交渉がなかなか進まない」というような、土地でもないのでは?
実際の所有者は、当然登記もしていたはずだ。
登記簿などを、しかるべき役所で確認をしてから、土地取得の為の交渉を始めるのでは?

この廃業をした旅館の土地を、大手ディベロッパーである積水ハウスが、仲介業者を通して土地購入をするにしても、仲介業者の言いなりで紹介され、契約を結ぶというのも、いくら狡猾相手だとしても解せないのだ。
大手ディベロッパーであればこそ、そのようなチェックは厳しくしているのが、当たり前だと思っていたのだが、どうやら違っていたようだ。

では、何故そのようなビジネスの基本中の基本である「裏どり」をせずに、土地の売買契約を結んでしまったのだろう?
売却価格が、想像していた金額よりも少なく、契約を急がされたのだろうか?
それとも「このチャンスを逃したら、二度とこのような優良物件は見つからない」と、思い込んでしまったからだろうか?
当たり前のようにいくつもの疑問を感じてしまうのだが、詐欺グループのほうが相当上手で、そのような疑問を一つひとつに信頼が置けるような嘘をつき続けることができた、ということだろうか?

なんとなくだが、積水ハウス側が何等かの理由で「思い込んでいた」という、気がするのだ。
よく「嘘」は「100%嘘だと、白々しさを感じてばれるが、嘘の中に本当のことを少し入れると、人は信じやすくなる」と言われているが、まさにそのような「嘘話」だったということだろうか?

大きな物件を建てる時には、様々な嫌がらせのようなものがあるとは聞くが、企業そのものが土地取得に対して「他人事」のような仕事をしていたことが、「嘘」を見抜けなかった理由のような気がしている。



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