日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

習慣を変えるのは、難しい

2018-03-31 20:57:00 | ライフスタイル

讀賣新聞を読んでいたら、「食習慣を変える」難しさを感じた記事があった。
讀賣新聞:タニタ減塩食道、「塩分多めが習慣」秋田で閉店

タニタ食堂と言えば、「食事で健康になる」と東京の丸の内に1号店を出店して、話題になった。
ご存じの通り、元々はタニタの社員食堂で提供されていたお昼ご飯で、ダイエットができ健康になった、と話題になり、レシピ本が出版され、食堂のオープンとなった。
1号店となった丸の内の食堂が人気となり、秋田を含む10店舗を全国で展開するようになったのだが、今回、秋田店が閉店になるようだ。
この記事で書いてある通り「秋田の人たちに受け入れられなかった理由」が、塩分量をはじめとする「味付け」だとすると、「美味しいと感じる味覚を変える」ということは、どうやらとても難しいようだ。

「おふくろの味」という言葉があるように、育った家庭の味付けというのは、その人の「味覚の基準」なのかもしれない。
「子どもの頃から慣れ親しんだ味」が、基準になるのはおかしな話ではないだろう。
実際「おふくろの味」が、夫婦喧嘩の種になる、というのは昔から言われてきたことだ。
言い換えれば「家庭内における異文化の衝突」要因の一つが、「おふくろの味」ということになるのかもしれない。

冷蔵庫や物流が今のように整備されていない頃は、冬など新鮮な食材がなかなか手に入らない時代であれば、「塩蔵」という方法で、食品を保管せざる得なかっただろう。
その食習慣が今でも続いている、ということなのだと思うのだが、もしタニタ食堂が「和食」ではなく、健康的な食事として注目されている「地中海料理」であれば、このようなコトは無かったかもしれない。
何故なら、「地中海料理」という料理そのものに対するイメージが無いからだ。
味覚そのものの問題ではなく、まったく別ものの料理として、若い世代を中心に受け入れられたかもしれない。

既に自分の中に固定化された味覚や習慣を変えることは、抵抗感が強い。
それを真正面から打ち破ろうとすると、相当強引な手段に訴えるしか方法はない。
場合によっては、拒絶反応から反発が起きてしまうだろう。
であれば、ルートを変えることで、受け入れられるようになる可能性を探るほうが、懸命かもしれない。
これはタニタ食堂のような「味覚」のような場合だけではないと思う。

明日から4月。
色々なところで、新しいことが始まる。
自分の固定観念や習慣にとらわれることなく、柔軟な発想が求められる4月かもしれない。



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フレグランスもまた、時代を映すものなのだろうか?

2018-03-29 19:54:58 | ライフスタイル

朝日新聞のWEBサイトを見ていたら、懐かしい写真が目にとまった。
朝日新聞:(あのとき・それから)1987年 香水プアゾン、日本でブーム 濃厚な香り、バブルの記憶

今もディオールの「プアゾン」は、販売されているはずだが、記事にある「プアゾン」の香よりも随分軽やかな感じの香だったような気がする。
「プアゾン」が日本でブームになった頃、(あくまでも個人的な感覚だが)「プアゾン」を付けている人は5m離れていてもすぐわかる、という感じだった。
付ける量ではなく、香りそのものが強烈というか濃厚で、鼻腔を刺すような刺激的な香りだった。
今なら「香害」と言われそうなくらい、強烈な香りだと考えていただければ、よいかもしれない。
余談だが、「プアゾン」の流行で、私の鼻炎が「香水に反応する」という事実を知ったフレグランスでもある。

そして「プアゾン」の流行が、女性だけではなく男性もフレグランスを付ける、という習慣を定着させたような気がする。
というのも「プアゾン」の大ヒットで、海外の有名ファッションブランドが、こぞってフレグランスを発表するようになったからだ。
男性向けというのであれば、シャネルの「エゴイスト」やディオールの「ファーレンハイト」などが、思い浮かぶ。
いずれも香りとしては重厚なタイプで、若い男性向けというよりも、それなりの人生経験のある男性向けという香りだったように思う。
それは、フランスのブランドだけではなくニューヨークのブランドにも飛び火し、カルバン・クラインの「ONE」など次々と発表された。
もっともカルバン・クラインの香りは、とても軽やかで高校生や大学生がカジュアルな感覚で付ける、というタイプだったように思う。

このように、一大旋風を起こした(?)「プアゾン」だが、やはり香りが濃厚すぎるということもあり、バブル崩壊後は、百貨店の売り場などでも見かけなくなってしまった。
熱にうなされたようなバブルの頃だからこそ、似合っていた香りなのかもしれない。

シャネルの「No.5」やディオールの「ミス・ディオール」、ゲランの「ミツコ」など、発売から半世紀以上たった「名香」と呼ばれる、普遍的な人気のフレグランスも数多くある。
ただ、「プアゾン」の登場は、それらの香を吹き飛ばすほどの話題性と香りの濃厚さがあった。
それが上述したように、バブルが崩壊すると姿を消し、代わりに登場するのが「柔軟剤の香」だったように思う。
もちろん、時間的な差はあるが「香りを身にまとう」という意味では、バブル崩壊後は強いフレグランスが敬遠される時代が長く続き、代わりに登場したのが「柔軟剤の香」だった、という意味だ。

そして今もこの「柔軟剤の香」ブームは続いている。
一時期(?)「香害」と問題を指摘された「柔軟剤の香」だが、香水などのフレグランスではなく、柔軟剤の香を身にまとう、という傾向が続いていることを考えると、日本の景気そのものは良くなっていないのかもしれない。
何故なら、香水などは単価そのものが高く、経済的にも余裕が無いと楽しめないからだ。
そう考えると、「香り」もまた時代を映しだしているのかもしれない。



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本質を見極める時代

2018-03-28 14:24:29 | ビジネス

「WWD」というファッション誌がある。
拙ブログでも、時折紹介させていただいていると思うのだが、「WWD」というファッション誌そのものはファッション関係者向けの専門誌だ。
その「WWD」に、興味深いインタビューが掲載されていた。
WWD Japan:干場義正が考える”ファッションの次代”知識を積み重ねモノの本質を見極める

干場さんについては、略歴となる記載があるのでそちらを読んでいただきたいのだが、インタビューの中心となっているのは、あくまでもメンズファッションの潮流についてだ。
日本の男性も以前に比べ、随分おしゃれになってきたように思う。
30年以上前のサラリーマンのファッションは、「ドブネズミ(ファッション)」と、呼ばれていた。
着ているスーツの色が、暗い色ばかりで「ドブネズミ」のようだ、というところから言われていた。
そして休日は、「ゴルフウェアを着ている」とも言われていた。
当時のサラリーマンが、休日になると「接待ゴルフ」に駆り出されていた、ということもあるが、それだけではなく働き盛りの男性の休日のファッションがゴルフウェアのような感じだったからだ。
だからと言って、プロゴルファーの方が着られている服装を揶揄しているわけではない。
ただ何故か、ほとんどのオジサンたちの休日ファッションというのが、ゴルフウェアのようなものを着て、似ていたからだ。

バブル経済で、海外の有名ファッションブランドが身近になると、ブランド買いのようなファッションが老若男女問わず見れるようになった。
ブランド品を着ることで、自分のステータスが上がったような気がした人も多かったように思う。
その頃「WWD」のようなファッション誌で言われた言葉の一つが、「ファッション・ヴィクティム(=流行の犠牲者)」だった。
流行に敏感になればなるほど、表層的な部分だけを追いかけ「今のトレンドはコレ!」とばかりに、ファッションに振り回される人たちのことだ。
当時は、自分に似合う・似合わないということよりも、トレンド優先だったという気がしている。

そのようなことを経て、これからは「本質を見極める時代」ということのようだ。
この「本質を見極める」ということは、ファッションに限らず今の時代には必要なモノではないだろうか?
例えば先日、「フェイクニュースは本当のニュースよりも早く拡散される」というニュースがあった。
MIT Tech Review:デマを拡散するのはボットではなく「人間」、MITメディアラボ
「虚偽の情報なのか。違うのか」という本質を知るには、干場さんが言われている「知識の積み重ね」が必要になってくるはずだ。
それは、ファッションに限ったコトではないと思う。




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社会文化を知ることの大切さ

2018-03-27 23:07:30 | ビジネス

Yahoo!のトピックスに「JKT48AKB世界選抜総選挙に参加できない」という、見出しの記事が取り上げられていた。
デイリースポーツ:JKT48 AKB世界選抜総選挙に参加できない!ラマダン期間明けの祭日にあたる

AKBとその姉妹グループそのものに興味がないので、まさかインドネシアにまで姉妹グループがあるとは、知らなかった。
インドネシアでも「総選挙」をするというこは、インドネシアでもそれなりの人気があるアイドルグループなのだろう。

今更AKBとその姉妹グループによる「総選挙」については、云々する必要はないと思う。
昨年だと思うのだが、沖縄で開催予定だったが台風直撃で半ば中止になってしまい、多くのファンがガッカリした、というニュースもあった。
3,4年前はテレビで大々的に中継までし、社会現象的なニュースのような取り上げられ方をしていたような記憶がある。
個人的には、人気アイドルグールプの人気投票に、何故それほど大騒ぎをするのか、とても不思議な気がしていた。
ファンの方々が騒ぐ気持ちはわかるのだが、マスコミがこぞって社会的一大イベントのような騒ぎ方をすることに、不思議さを感じていたのだった。

それが昨年の台風直撃で半ばイベントが中止になったことで、なんとなく社会的一大イベントではなくなったような気がしていたのだが、アジアへの進出を果たしていたようだ。
このイベントに合わせて、日本からも多くのファンがインドネシアへと、出かける予定だったのではないだろうか?

イベントそのものに関しては、お好きにどうぞ!という思いがあるのだが、このような大規模なイベントをするのであれば、開催する国の文化を何故理解していなかったのだろう?という、疑問がわいてくる。

多くの日本人にとって、インドネシアという国は、バリ島をはじめとするリゾート地のような印象があるかもしれない。
確かにエキゾチックなリゾート地だが、実は世界でも有数のイスラム教徒が多い国の一つでもある。
イスラム教というと、中東の国々を思い浮かべることが多いと思うのだが、実は東南アジアでもイスラム教徒は多い。
そのため、海外からの観光客誘致を考えるとき、様々な制約があるイスラム教徒の国からの観光客に対応する、ということが重要になってきているのが現状だ。
それは、中近東のアラブ諸国からの観光客誘致という意味ではなく、東南アジアからの観光客誘致の為の対策なのだ。
そのような情報が既に一般的になってきていると思っていたのだが、どうやらそうでもなかったようで、このAKB「総選挙」を企画した企業は、インドネシアをイスラム教徒の国だと思っていなかったようだ。

日本の企業が海外に進出するとき、真っ先に考える必要があるのが「進出する国の文化」だと言われている。
相手の国の文化を理解しなくては、リクルーティングはもちろん、実際のビジネスにまで影響を及ぼすからだ。
「相手の国(の文化を)尊重する」というのは、何ごとにおいても最重要課題であり、企業がその国で受け入れられるためには必要最低限のことでもあるのだ。

そのようなことを理解せず、このような企画をしてしまったということは、残念というよりもビジネスの基本を十分理解していなかったのでは?という気がしている。
AKB48の生みの親である、秋元康氏がこのようなコトを知らなかった、ということも解せない。
何故なら、秋元氏はJKTというアイドルグループの仕掛け人だからだ。
仕掛けるだけで、運営などは他人任せというのでは、それはそれで問題のような気がするのだが・・・。

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ワンセグ受信料裁判で考える、テレビの見方

2018-03-26 15:22:27 | アラカルト

今日、携帯電話のワンセグ機能でNHKの番組を視聴するためには、受信料を支払は無くてはならない、という判決が出た。
毎日新聞:ワンセグ付き携帯電話 NHK逆転勝訴 契約「義務ある」3件目東京高裁

世間的には、この判決に対して「現実を分かっていない」、「放送法そのものが時代錯誤」あるいは「NHKはスクランブルをかけ、未契約に対抗すべきだ」などの意見が、ネット上で交わされている。
「現実が分かっていない」という方の意見の多くは「テレビを見るために携帯電話(現在はスマートフォンだろう)を利用しているわけではない」ということのようだ。
確かに今の時代、携帯電話を持っていないという人のほうが少なく、スマホを含む多くの機種はワンセグ機能が付いている。
だからと言って、携帯電話やスマホでテレビを見ているわけではない。
何故なら、利用目的が違うからだ。
「ワンセグ機能が付いている」という理由で、携帯電話やスマホの機種を決めているのではなく、そのほかの例えばバッテリーのもちが良いとか、デザインが気に入っている、あるいはブランドが好き、という理由で選んでいるのだと思う。
お盆に実家に帰省する時など、確かに電車の中でワンセグテレビを受信し見ている人はいるが、それはごく一部の人であって、利用者の中でも超が付くほどの少数派だと思う。

このような判決が下されるて考えてしまうのは「NHKが考えるテレビ事業とは、何なのか?」ということだ。
なんとなくだが、これまで「放送としてのテレビ事業とは何か?」ということが、余り考えられてこなかったように思う。
なにより、NHKが「受信料徴収」の根拠としている放送環境そのものが、ここ10年くらいの間で、大きく変わってきている。
それは「ネットフリックス」などのインターネット回線による、ドラマなどの配信サービスを行う企業が登場してきた、という点だ。
以前は、既存のテレビ番組などの放送が中心だったが、契約者が増えるにつれオリジナル作品などを手掛けるようになってきた。
海外の話題になっているドラマなども、自由に見ることができる、というのは魅力だろう。
民放各社が共同で、1週間の見逃し放送「Tver」をインターネットで配信するようになったのも「見たい番組を、視たい時間で」という生活者のニーズに応えるためだろう。
もちろん、NHKでもオンデマンドサービスは提供しているが、登録をし視聴料を支払うことを前提としているため、「そこまでして、見る気はない」という、生活者の欲求をくみ取っているとは言い難い。

「放送法」という法律に守られているNHKだからこそ、「公共性のあるテレビ事業とは何か?」ということを考える必要があるのではないだろうか?
「ワンセグ機能付き携帯電話の受信料徴収」という、枝葉末節のようなことばかり問題にしていると、本来の事業「何をなすべきか?」ということを忘れているようにも思えるのだ。


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身近な「景気指標」?ー立ち食い蕎麦屋から見る経済ー

2018-03-25 19:33:49 | アラカルト

「節約される平成の昼食代」という記事が、Yahoo!のトピックスに取り上げられていた。
With News:ランチ悲哀の平成30年史 節約された昼食代、2割も減って今は・・・

「平成」という年号が始まったのが、バブル経済が崩壊してからということを考えると、この30年間の身近な経済の動きだとも思える内容のような気がする。
例えば、バブルの頃はてんぷらを2枚3枚と追加するお客さんがいた、という。
健康志向の今となっては「胃もたれしそう・・・」と言われそうだが、「胃もたれしそう」なくらいのエネルギーを消費するだけの元気が社会全体にあったのかもしれない。

また、立ち食い蕎麦屋の店主さんの「おつり」に対する観察力からも、生活者の暮らしぶりを見ることができる。
「千円札を出して、おつりをもらう」人が多かったバブルの頃と、バブル崩壊後の「小銭を数えて出す」人が多くなったという「お金」に対する生活者の意識の変化とも読み取れる。
それは「おつり」に対する意識変化ではなく、「財布のお金を気にするようになった=お金に対してシビアになった」ということだ。
バブル崩壊後は、名の通った企業でも「リストラ」という名の「人員整理」が堂々と行われ、必要以上に使うお金に対してシビアになった。
例え立ち食い蕎麦代であっても、「財布と相談」という意識が強まった、ということだろう。

このデータで2014年ごろからサラリーパーソンの「昼食代」が上がっているのは、おそらく「安い・うまい・早い」が売り物の食事処(某牛丼店とは限らない)の値上げによるところが大きいのではないだろうか?
そして、2010年ごろからオフィス街で増えたのは「ワンコイン弁当」の販売ではないだろうか?
このオフィス街の「ワンコイン弁当」というのは、旧来からあるお弁当屋さんではなく、「お弁当販売」とは似つかわしくない(と言っては失礼だが)ような飲食店が、お店の前でお弁当を販売するようになったという印象を持っている。
視点を変えれば、それだけ様々な飲食店が「ランチ」を提供することで、本来の営業時間の売り上げをカバーしようとしている、とも考えられる。
おそらくサラリーマンのお昼ご飯代が「ワンコイン」と言われるようになったのも、この頃からだったような気がしている。

それだけではなく、直近データでは「昼食を食べない」という人が増えている、という点だ。
サラリーマンのお小遣いが減ったことで、昼食代を削っているのか?それとも忙しく食べる時間がないのか?は、分からないが、あれほど「忙しい」が口癖のようだったバブルの頃でも「昼食を食べない」という傾向はほとんど見られなかった。
もちろん、ここ数年「1日1食で〇〇」とか「糖質カットダイエット」などの健康ブームがあるとはいえ、それだけが理由とは思えない。
サラリーマンの厳しいお財布事情というモノを感じてしまうのだ。

もう一つ使われている写真で気づくことがある。
それは「立ち食い蕎麦屋」に女性がいる、ということだ。
バブルの頃であれば、女性が立ち食い蕎麦屋で蕎麦を食べるという光景は、まず見られなかったように思う。
「立ち食い蕎麦屋」であっても、チョッとした席がある店舗であれば、女性の姿を見かけることはあったが、「女性が立ってものを食べる」というのは「行儀が悪い」と言われてきたし、社会の意識も「いかがなもの?」というやや冷たい視線があったように思う。
それが、極当たり前の風景として女性が立ち食いそばを食べている、ということもまた、社会の変化という気がする。

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ユニバーサルデザインは、使いやすい?

2018-03-24 22:15:06 | アラカルト

10年以上前に「ユニバーサルデザイン」という言葉が、ブームのように使われていた。
様々な商品に「ユニバーサルデザイン」という言葉が付けられ、そのような商品を随分見たような気がするのだが、最近はほとんど見なくなったような気がする。
「ユニバーサルデザイン」という言葉が不要になるほど、一般的になってきたのか?というと、どうなのだろう?という疑問もある。

確かに、地下鉄などを含め公共施設の場では、身障者の方も使いやすいようになってきていると思う。
3年ほど前にリニューアルオープンした近所のマクドナルドのトイレなども、身障者向けのトイレが設置され、そのトイレにはストマ(人工肛門)などを使っている人たちにも使えるようになっていた(実は、大変申し訳ないと思いつつ、利用したことがある)。
公共施設の場では、身障者にも使いやすい工夫が当たり前になりつつあると思うのだが、個人が使うものはどうなのだろう?と、フッと思ったのだ。
その理由は、ホンダが4月に発売する予定の「N-BOXスロープ仕様」を見たからだ。
ホンダ:N-BOX スロープ仕様

これまでスロープ仕様=福祉車両という、一般車とは違う位置づけをされてきたように思う。
今回のスロープ仕様は、福祉車両という位置づけではなく、一般車としての位置づけのようだ。
そして、久しぶりに思い出した言葉が「ユニバーサルデザイン」と言う言葉だったのだ。

以前から指摘されていることだが「ユニバーサルデザイン」の基本は、「誰もが使いやすいデザイン」ということだ。
それが日本では「身障者が使いやすいデザイン」と認識されている部分があるように思う。
本来の意味である「誰もが使いやすいデザイン」という視点で、「N-BOX スロープ仕様」を見てみると、案外軽自動車のメインユーザーである子育て世代の女性などにとっては、使いやすいのでは?という気がするのだ。

例えば、ベビーカーを利用している子育て世代にとって、子どもをチャイルドシートに座らせるということの他に、ベビーカーをクルマに積むという動作が必要になる。
最近は、コンパクトにたためるベビーカーだけではなく、見るからに重そうなつくりのベビーカーもある。
そのようなベビーカーを使っている親御さんにとって、クルマにベビーカーを積むのは大変なことだろう。
その時、スロープでクルマに積むコトができたら便利なのでは?と、感じていたのではないだろうか?

また、力のない女性にとって買い物をしたものをクルマの荷台に持ち上げる、という動作も大変なことになる。
特にコストコのような1パッケージの量が多く、様々な商品を買ってしまうようなところで買い物をするような場合は、一旦カートごとクルマに乗せ、クルマの中で荷物を降ろすことができれば、その労力は軽減されるのでは?
組み立て家具をバックヤードのようなところで買うIKEAなども、同じことが言えるかもしれない。

残念ながら10年以上前の「ユニバーサルデザイン」は、ブームで終わってしまった感があり、ここ数年発売される様々なデザインやサービスは様々なハンディキャップを持った人たちが使いやすいのか?というデザインのモノが多かったような気がする。
そんなプロダクトデザインの中で、ホンダの「N-BOX スロープ仕様」は、久しぶりに本来の意味の「ユニバーサルデザイン」を見たような気がしたのだった。

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事業の領域を考える

2018-03-22 23:18:00 | マーケティング

先週末の暖かさから一転、真冬のような寒さに戻ってしまった。
この時期は、このような気温変化が激しいのは毎年のこととは言え、やはり体調を崩してしまったようで、一昨日から昨日にかけ、寝込んでしまった。

先日、私のFacebookにある広告が表示された。
日本酒の広告だった。
驚いたのは、その広告主が日本酒のメーカーではなかったコトだ。
広告主は、農機具などを製造している「ヤンマー」だ。
ヤンマー:酒米プロジェクト 唎酒師がテイスティング!ヤンマーが米から造った日本酒とは!?

実際にお酒を造ったのは、酒造メーカー「沢の鶴」さんだが、その日本酒の原材料となる酒米の生産を増やすというのが、このヤンマーのプロジェクトのようだ。

確かに、ヤンマーは耕運機などをはじめとする農機具を製造・販売している。
そう考えると、農協などを通して農機具を販売しているとしても、ヤンマーの顧客は農家ということになる。
その農家の抱える問題は何か?と考えた時、「収益性の高い農作物の生産と安定した販売ルート」ということになったのだと思う。
リンクを貼った「酒米プロジェクト」とは別に「農業を、食農産業へ。」というサイトもある。

日本の農家の多くは、家内産業と同じような事業形態になっている。
国の政策として「大規模農業」ということも打ち出してはいるが、「大規模農業」そのものができる地域は限られている。それだけではなく今の生活者の「食に対する嗜好」も「大規模農業」で対応できない部分もある。
その顕著な農作物が「米」かもしれない。

美味しいお米の代名詞「魚沼産コシヒカリ」は、いわゆる「棚田」と呼ばれる1枚の田んぼの面積が狭い山地でつくられている。
「魚沼産コシヒカリ」に対して「西の仁多米」と呼ばれる島根の仁多地区も、同じような山を切り開いたような田んぼでつくられている。
「美味しいお米の産地」と呼ばれる地域は、大体このような「棚田米」が多い。
当然、このようなお米は収益性も高いはずだが、このような収益性の高いお米をつくれる地域は限られており、そのような地域でも後継者不足に悩んでいるのが現状だろう。

そう考えると、農機具のヤンマーが農業支援をしたり酒米をつくるというのは、一見「異業種への参入」のように思えるが、「農業」と「後継者不足」というキーワードで考えた時、ヤンマーが支援をすることが「異業種参入」ではなく、事業領域の一つである、と考えることができる。

おそらくこれから先、このような一見場違いな事業領域への参入をする企業が、出てくる可能性はあるだろう。
その時、その企業にとってどのような顧客を持っているのか?その顧客の問題は何か?ということを、サポートすることができる企業が出てくるのでは?と、考えている。

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高アルコール酎ハイが売れている背景を考える

2018-03-19 21:14:16 | アラカルト

讀賣新聞のWEBサイトを見ていたら、「安く酔える」高アルコールのチューハイ人気という見出しがあった。
讀賣新聞:「安く酔える」高アルコールチューハイ人気

この見出しを見た時、戦後の復興期の頃、やたらとアルコール度数の高い合成酒が、出回っていた時代があった、という話を思い出した。
事実なのかどうなのかは、分からないが、社会的雰囲気からすれば「さもありなん」という気がしてくる。
戦後の焼け野原のような状態で、これから先のことをわからず、不安ばかりが社会を包んでいたような時代だ。
だからと言って、今のような「純米吟醸酒」のような良質なお酒は、なかなか手に入らない。
そのような社会の雰囲気であれば、庶民にとって「手っ取り早く酔える」というのが、重要だったのだろう。
この頃の「合成酒」が、長い間「日本酒は悪酔いする」と言われる要因になったのでは?とまで、言われているようだ。

そして今回の「安く酔える」という見出しを見た時、質の悪い合成酒で「手っ取り早く酔う」という気持ちを持っていた頃の日本経済を思い浮かべたのだった。
もちろん、今の「高アルコール酎ハイ」は戦後の質の悪い合成酒とは違い、おいしさも品質も申し分のないものだと思っている。
ただ、「安く酔える」という部分が、とても引っかかるのだ。

アベノミクスとか、日銀のなりふり構わない金融政策とか、様々な経済回復策がとられ、一部では株価が3万円を突破するのでは?という期待もあるようだが、その実生活者の「好景気実感」はほとんど感じられないままなのでは?
だからこそ、日ごろの憂さを晴らす時に飲みたいお酒の一つとして「安く酔える」高アルコール酎ハイが、人気となっているのでは?という、気がするのだ。

これまで「酎ハイが人気」と言われた頃の景気が良かった、という印象があまりない。
もちろん「酎ハイは酔いが残りにくい」という都市伝説などもあり、大ブームになったコトはあったが、今回の「高アルコールチューハイ」は、これまでの「酎ハイブーム」とは違うような印象を「安くて酔える」という見出しからも感じ取れる。
酎ハイそのものが、ビールやワインなどに比べ安価だということも含め、この春各メーカーがこぞって発売する(予定)傾向を見ると、日本の景気は思ったほどよくなってはいないのでは?という気がしてくる。
少なくとも、庶民の多くは「景気実感を感じておらず、むしろ様々な将来的不安を抱えているのでは?」とも感じ取れる一つが、今回の「高アルコールチューハイ」の相次ぐ発売という気がするのだ。

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内閣人事局って、どんな人事をするところ?

2018-03-18 19:36:39 | 徒然

「森友問題」が、いつの間にか安倍さんなどの政治家か関わった問題から、財務省理財局の「公文書改ざん」という問題へと注目点が変わりつつある。
「改ざん」の指示をしたのは誰なのか?という点においては、政治家が関わっていたのでは?という疑念は変わっていないので、問題の本質そのものが変わった訳ではないとは思う。

この「公文書改ざん」という問題が、クローズアップされるようになってから頻繁に聞かれるようになった言葉の一つが「内閣人事局」だ。
Wikipediaを見てみると、2014年に発足した内閣官房の中にある部局のようだが、そもそも内閣が各省庁や省庁内の部局人事を行う、というのはどこか変な気がするのだ。

確かに、国会答弁などでは大臣の答弁原稿を関係省庁の官僚が作っている。
そのため、国会では常に答弁が予定されている議員さんたちの後ろに、官僚席があり担当部局の責任者が座っている。
その理由は、大臣では専門的な内容の答弁ができない為、予定原稿以外の質問の対応策だという認識を持っている。
このような光景から、大臣となれば自分が責任を負う省庁の問題は、自分で勉強する必要があるのでは?ということが再三言われてきたような気がする。
ただ、現実的には内閣改造があるたびに大臣は変わり、一人の大臣がじっくり自分が関わる省庁についての知識も理解もできぬままである、という問題はあると思う。
そのため、実務的なことになると官僚任せになってしまっている、ということだと思う。

だからと言って、内閣という政治を行うところが省庁内の人事を行ってよいのだろうか?
各省庁の仕事は、国民のために行われるものであって、内閣という政治とは分離される必要があると思う。
何故なら、内閣が各省庁の仕事に口を出すことになれば、それは政治家に都合の良い仕事だけをすることになり、国民に向けた仕事とはならない危険性があるからだ。
それだけではなく、国民に対する制度や政策は継続的に行われる必要があり、内閣が変わるたびにその制度や政策が変わってしまっては、国民には何のメリットがないどころか、デメリットばかりになってしまう。
最悪なコトを考えれば、内閣の顔色をうかがうような制度や政策ばかりになり、言葉として適切ではないかもしれ煮が「独裁政権」の素地を作ってしまう可能性もある。

この内閣人事局ができた頃は、たぶん安倍さんが総理になっていたと思うのだが、安倍さん自身が「内閣人事局」という部局の仕事をこのような考えを基に作ったのだろうか?
以前から感じていることなのだが、安倍さんは時折間違った日本語の使い方をする。
最近問題になっている「忖度」という言葉も、昨年「忖度をして欲しい」という使い方をしている。
毎日新聞:安倍首相:「忖度ジョーク」余裕の表れ?

昨年一気に使われるようになった「忖度」と言う言葉だが、言葉の意味は「相手の気持ちや考えを思い計り、配慮をすること」だ。
自ら「忖度をしてください」というのは、ジョークだとしても笑えるジョークではない(と思う)。
「言葉の解釈は、時代とともに変化する」とは言われるが、首相という立場の方がこのような使い方をすれば、当然周囲の人、特に官僚は「積極的に忖度」しなくてはならなくなる。
ある意味、相当なプレッシャーを与えている、ということになると思う。
ご本人は、気づいていないのかもしれないが、気づかないのは本来の意味を理解していないからだろう。

少なくとも、各省庁の部局人事に内閣が口を出す、というのはいかがなものだろう。
極論かもしれないが、各省庁の公正中立な立場が無ければ、民主主義の基本である「三権分立」も機能しなくなってしまうのでは?

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