日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「大手だから、良い」というわけではないらしい。

2019-07-31 12:25:14 | ビジネス

「クーリエジャポン」という雑誌が、以前あった。
今は、WEBのみとなってしまったのが残念だが、これも時代の流れということか?
そのクーリエジャポンに、ブルームバーグの記事があった。
日本の「クールジャパン」構想も、外から見ると随分的外れなところがあるようだ。

クーリエジャポン:日本はいま最高にクールなのに自国文化の売り方を知らない

副題に「電通や博報堂に任せた『クールジャパン』の失敗に学べ」とある。
この指摘の元となっているのは、「クールジャパン機構」の投資を含めた失敗のことを指しているのだと思う。
拙ブログでも指摘させていただいているのだが、クールジャパン機構の累積赤字は、2018年11月時点で97億円に膨れ上がっている。
そして再建の目途が立っていない事業もいくつかあるようだ。

電通や博報堂のマーケティングや事業戦略が、現実的なものではなかった、という指摘についてはなんとも言えない部分があるが、クールジャパンと言っても、様々なモノ・コトが「クールジャパン」だとすれば、個々の事業にあったマーケティングや事業戦略を立てる必要はあっただろう。
記事にある資生堂の戦略と飲食の戦略は、同じではないし、アニメなどとも違うはずだ。
何故なら、ユーザーとなる生活者が違うからだ。

日本のアニメファンが多いからと言って、そのマーケットと日本食のマーケットは違うはずだ。
大手広告代理店では、そのような「小回りの利いた」マーケティングや戦略が立てられず、「クールジャパン」のマーケティングとなっていたのでは?という指摘のようだ。

確かに指摘されているように「クールジャパン」の大枠のマーケティングは、電通や博報堂のような世界各国に支社を持っているような大手広告代理店は有利だと思うし、現地での市場調査などもお金をかけて実施することができる。
企業の持つスケールメリットが、このような場合有効になると思う。
にもかかわらず「失敗」してしまった理由は、上述した通り「クールジャパン」に含まれる様々なモノ・コトの市場が一つではないからだ。
総花的なマーケティングではなく、より細やかな視点と「何を伝えたいのか?」という強い考えを持つことが大切、ということなのだ。
何故なら「クールジャパン」は、商品を売るのではなく「カッコ良い日本文化を売る」のが、目的だからだ。

「文化を売る」ということと「商品を売る」ということは、単なる市場調査では難しいはずだ。
何故なら「文化を売る」ということは、売りたい文化の社会的背景や発展、今と未来という「設計図」のようなモノを描く必要があるからだ。
このような「設計図」を描くことができるのは、それぞの業界の人たちでなくてはできない。
逆にスケールメリットがある大手では、描ききれないということになる、というのがこの記事の指摘だ。

一番の問題は、日本では「大手広告代理店」の力が強すぎる、ということなのかもしれない。





「スポ根」は、「感動ポルノ」かも知れない

2019-07-30 12:07:41 | スポーツ

夏の選抜高校野球の地方予選が、全国で行われ続々と出場校が決まっている。
その中で注目を浴びた高校がある。
ご存じの方も多い、岩手県の大船渡高校だ。
岩手県の決勝戦で、エース投手を登板させなかったことで、試合に負けてしまった。
そのことで「何故、エース投手を登板させなかったのか?」と、高校へ批判抗議をした方が多く、学校側がその対応に追われた、というニュースもあった。

確かに高校野球ファンでなくても、エース投手の活躍が見たかった、ということもわかる。
わかるのだが、抗議をするほどなのだろうか?
日曜日の朝のワイドショー番組の名物コーナー(?)でも、コメンテーターが「喝!」と、言ったようだ。
日刊スポーツ:張本氏、佐々木の回避一番残念「絶対投げさせるべき」

今回の大船渡のエース投手は、プロ野球でも活躍できると期待されている逸材だという。
選手本人もプロ野球で活躍をしたい!という、希望があるとすれば、連投連投で選手人生を潰すことは、プロ野球への道を閉ざすことにもなる。
そう考えれば、怪我をする前、疲労で彼らしい投球ができない、と監督が判断をすれば、その判断は正しかったのではないだろうか?

昭和の頃、テレビドラマで人気があった番組の一つに、「スポ根」と呼ばれる分野があった。
ストーリーそのものは、やる気のない部員に熱血指導者、厳しい練習に耐え、苦難を乗り越え最期は大団円、感動の嵐という内容だった。
何故感動するのか?と言えば、それは視聴者が感情移入ができるからだが、視聴者はあくまでも第三者であり当事者ではない。
ドラマでは役者さんが演じていられることだが、これが本当の高校生だとしたらどうなのだろう?
まして、昭和の頃定番だった「うさぎ跳び」は、膝を痛める為やらせない。
練習中の水分補給も、ダメと言われていたが、今では熱中症予防の為にも上手な水分補給を指導しなくてはならない、と言われている。
それほど、昭和の頃の「スポ根」時代とは全く違うのが、今の指導法になってきているのだ。
「ベストパフォーマンスができる状況ではない」と、監督が判断せず、決勝戦で思うような結果とならなかったら、それはそれで監督は批判を浴び、投げた投手には同情が集まるという「感動ドラマ+α」の話が出来上がるだけだと思う。

高校球児の多くは、一生懸命練習をし甲子園を目指しているだろう。
だからと言って、彼らの人生は高校で終了するわけではない。
選手の中には、プロを目指す生徒もいるだろう。
あるいは、指導者を目指す生徒もいるかもしれないし、まったく違う選択をする生徒もいるはずだ。
とすれば、高校生たちの今後の人生を切り開く道を決めるのは、生徒たち自身だ。
彼らは、高校野球を見て感動する人達の為に、野球をしているのではない。
今回のような批判は、昭和の頃のような「スポ根ドラマで、感動したい」という、一種の「感動ポルノ」のような気がしている。




吉本興業とクールジャパン機構

2019-07-29 09:04:41 | ビジネス

「闇営業」の発覚に始まり、今では「若手所属タレントVS ベテラン所属芸人VS吉本興業VS政府関係」という、混迷の状況になりつつある吉本興業の事件。
吉本だけではなく、昔から興行と反社会勢力とは近しい関係にあった。
興行主がその町の顔役に挨拶に行き、無事公演が終わるように取り計らってもらう、ということが必要だったからだろう。
ただそれは、高度成長期の頃の話だと思っていた。
時代が変わり、興行主の多くが企業組織化・株式化するようになり、興行そのものも大規模化、興行主によるチケット販売からチケットぴあのような興行チケットを幅広く扱う企業などが登場することで、町の顔役のような一面を持っていた反社会勢力との付き合いが必要ではなくなったからだ。
一般企業と変わらなくなったのだ。
企業そのものは、組織化・株式化しても時代変化に合わせた本当の組織化・株式化できていなかったのが、吉本興業の実態であったということだと思うのだ。

そこに、いきなりクールジャパン機構(とNTT)が、吉本興業に相当額の投資をしていた、というニュースがYahoo!のトピックスなどに取り上げられていた。
現代ビジネス:渦中の吉本興業に「クールジャパン」で巨額の税金が注ぎ込まれていた。

 現在起きている吉本興業の問題で、クールジャパン機構との関係も明らかになった訳だが、この問題は吉本興業ではなくクールジャパン機構側にあるのではないだろうか?
NTTなども参入しての事業だったようだが、何故、宝塚を運営している東宝や松竹(松竹芸能を含む)ではなく、吉本興業を選んだのか?という「選択理由」が問題なのだと思う。
例えば松竹の場合、歌舞伎などの日本芸能を抱えているし、松竹の関連会社である松竹芸能は、吉本興業と並ぶ関西の芸人さんを抱えている。
漫才だけではなく、落語家さんが所属している(笑福亭鶴瓶さんは、松竹芸能所属)する関西の芸能プロダクションだ。
クールジャパンとして日本の芸能を紹介するのであれば、松竹という選択もあったのではないだろうか?

クールジャパン機構に限らず、官民の投資事業にはこのような「投資選択理由が分からない(説明されていない)」というケースが、とても多いような気がするのだ。
そして「後出しじゃんけん」のように、赤字とか膨大な負債額を示されても、原資を提供している国民としては納得がいかない。
逆に、このような記事が出ることによって、「政府と吉本興業の癒着?」というものを、どこか感じてしまうのだ。

吉本興業の問題の原因は、決して一つではない。
「口頭による契約」、「所属芸人の多さ」、「支払われるギャラ」、「昭和の頃からの反社会勢力との付き合い」など、いくつもの要素を含んでの問題だ。
だからと言って、クールジャパン機構が吉本興業に投資をしていた、ということとは別問題だ。
今回の問題発覚で一部の政治家が騒いだようだが、騒いだためにクールジャパン機構の投資先選考の問題が露わになった、ということだと思う。




後継者という問題

2019-07-26 23:00:08 | ビジネス

拙ブログでファッション関係の話題で取り上げることが多いWWD Japan。
WWD JapanのWEBニュースに「後継者」という問題は、ファッションの世界でも無関係ではない、と思わせる記事があった。

WWD Japan:「ソニアリキエル」、身売り先なく清算へ 店舗も即日閉店

ソニアリキエルが亡くなったのが、2016年の夏だった。
「ニットの女王」と呼ばれるだけではなく、日本では「黒」を基調としたデザインでも人気が高かった。
人気ブランドとは言え、デザイナーであるソニアリキエルが亡くなったことで、事業そのものも縮小し最終的には清算ということになってしまったようだ。

この見出しにある「身売り」という言葉そのものは、とてもセンセーショナルなイメージを与えるが、ファッションブランドにおいては珍しいことではないという気がする。
一時期、LVMH(モエ ヘネシー ルイヴィトン)は、短期間の間に経営不振に陥っていたかつての名門ファッションブランドをいくつも買収をした時期があった。
名前を見てお分かりだと思うが、LVMH社はシャンパンのモエ、ヘネシーコニャック、そしてルイヴィトンが一緒になった企業グループだ。
このLVMH社の傘下には、クリスチャン・ディオール、セリーヌなどラグジュアリーなデザインを得意とするファッションブランドがある。
特にセリーヌなどはLVMH社が買収をした頃は、ラグジュアリーブランドではあったが、ブランドそのものが時代に乗り遅れた感が否めない、という状況だったような記憶がある。
「身売り」と言う言葉のイメージは決して良いものではないが、LVMH社の買収というのは既存のブランドイメージを一新し、新しい顧客を獲得することに長けた戦略のものに行われていた、というものだったように思う。

そう考えると、LVMH社にとってソニアリキエルというデザイナー亡き後、ブランドの魅力そのものが無くなったというだけではなく、ソニアリキエルブランドのイメージを継承できるデザイナーもいない、という判断をしたのでは?という気がする。
言い換えれば、ソニアリキエルに変わる後継者がいなかった、ということだ。

シャネルやクリスチャン・ディオールなど、創業者となったデザイナーは既に亡くなっていても、ブランドそのものは生き残っている場合がある。
生き残った大きな理由は、創業者の創り上げたブランドイメージを継承できるデザイナーがいた、という点だろう。
クリスチャン・ディオールの場合は、故イブ・サンローランだった。
シャネルの場合は、ココ・シャネルが亡くなってしばらくは低迷した時期もあったようだが、今年亡くなったカール・ラガーフェルドを迎え入れたことで、顧客層を一気に若返らせることに成功した。

このような「ブランドイメージを引き継ぐことができる後継者の有無」が、ファッションブランドにおいては企業の存続の要になってくるのだ。

しかし、このような「後継者問題」は、ファッションブランドに限ったコトではない。
ただ、ファッションブランドと同じように、後継者となる人物は継承する企業の事業だけを継続させるのではない。
それまで創り上げてきたブランドイメージや社会的信用なども引き継ぐのだ。
その覚悟を持てる人材を育てることもまた、企業として必要なことなのだ。

残念ながら、ソニアリキエルの場合後継者となるデザイナーがいなかったことや、ブランド展開をする企業が、ソニアリキエルのブランドイメージなどを十分理解していなかったのでは?という気がしている。


謝罪の難しさ

2019-07-25 21:31:39 | ビジネス

Yahoo!のトピックスに「ファストリが韓国での不買運動を受け謝罪」という、記事があった。
元となった記事は、WWDJapanに掲載されていたものだ。
WWDJapan:ファストリが韓国での不買運動を受け謝罪

今やユニクロとGUを世界規模で展開するファーストリテイリングとしては、韓国での不買運動についての感想としては、問題となった発言の通りのような気がする。
ファーストリテイリングとして、考えなくてはならないのは展開をしている事業全体のことだからだ。
欧州なのでの好調さを考えると、このコメントは決して的外れではないと思う。
確かに、韓国での不買運動による影響はあると思うのだが、韓国で起きている日本製品に対する不買運動の背景にあるモノは、「まさか、日本がこのような厳しい経済措置をするとは思ってもいなかった」というような、自分たちの思惑が外れたことに対する不満によるもののような印象がある。
それは1970代~1980年代に起きた日米貿易摩擦で象徴的に扱われた「日本製品」をハンマーでたたき壊す、というパフォーマンスに似ているような気がするからだ。

米国で起きた貿易摩擦でのパフォーマンスと大きく違うのは、経済問題に端を発した訳ではない、という点だろう。
ファーストリテイリング(正しくは「ユニクロ」)に対する、不買運動は感情的な要素が高いため、ビジネス的な問題解決をすることが難しい、という点にあるのでは?と、考えている。
今の韓国市民にとっては、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」というような、心理的状況なのだと思う。
そのために、重箱の隅をつつくような「言葉のニュアンス」を取り上げ、問題視し、謝罪を求めているように思えるのだ。

「謝罪をする」というのは、企業として市場の信頼を失うような行為をした時に行うべきものであって、感情的に動く群衆に向かって言うべきものではないと思うのだ。
「ビジネスとして韓国の市場が重要である」ということであれば、謝罪ではなく「ファーストリテイリングにおける、韓国市場の見解」というものを示しながら、「感情ではなく多くの人の感性にフィットする製品を提供する」という趣旨の言葉のほうが、良かったのではないだろうか?

ファーストリテイリングが謝罪したことで、一時期的には「溜飲を下げた」ように見える韓国市民だが、謝罪の対象がハッキリしていないため、同じようなことが次から次へと起き、そのたびに「謝罪をする」ということにもなりかねない。
その場の騒ぎを納めるための謝罪は、謝罪のスパイラルをつくるような気がするのだ。


吉本興業「闇営業問題」の本質は、どこにあるのだろう?

2019-07-24 12:36:49 | ビジネス

一昨日、吉本興業の社長さんが、「闇営業」に関する記者会見を行った。
社長さんが登場する前に、社員の方が何やら説明をしていたのをネットのライブニュースで見ていたのだが、「何が言いたいのか分からない」という印象ばかりで、見るのを止めてしまった。

「そろそろ終わったかな?」と思ってネットのライブニュースをチェックしたら、今度は社長さんの記者会見中だった。
その時も「何が言いたいのか分からない」という印象ばかりで、私の理解力が悪いのか?と思う場面もあり、早々に止めてしまった。
後で知ったのだが、5時間を超える記者会見だったようだ。
これほど長い記者会見は珍しいと思うのだが、テレビで活躍されているタレントさんたちから、批判的なコメントが続いたのを知り、「記者会見としては、失敗だった」という印象付けをしてしまったようだ。

今回の「闇営業」について高学歴芸人・ロザンの菅さんが、会社に対する批判ではなく、ある提案をしている。
デーリースポーツ:高学歴芸人ロザン 吉本芸人のスリム化提案「絞るべき」・・・吉本問題に

現在所属している芸人さんが、6000人いらっしゃるらしい。
6000人の従業員を抱えている企業と言えば、大企業の中でも相当規模の大きな企業ということになる。
吉本興業という芸能プロダクション1社で、6000人もの芸人さんが所属している、ということ自体驚きなのだが、そのうちテレビや劇場などでコンスタントに活躍をしている方などは、一握りだろう。

吉本興業の所属芸人さんが、これだけ多い理由の一つは「養成スクール」の存在が大きいとは思うのだが、養成所を持っている、という点では「宝塚歌劇団」がある。
ご存じのように宝塚歌劇団の舞台に上がるためには、音楽学校に入学する必要がある。
入学できる生徒も少なく、上級生・下級生との間には厳しい上下関係があり、レッスンも厳しいと言われている。
厳しい寮生活を経ても、宝塚の舞台に上がれるとは限らない。
選抜された生徒のみが、次の宝塚歌劇団のトップと呼ばれる人材へと、成長していくのだ。

吉本興行が、6000人という芸人さんを養っていかなくてはならないとすれば、当然それに似合うだけのスタッフが必要になり、それがギャラに反映しているとすれば、本末転倒な経営ということになるのでは?
確かに、会社を通さずに芸人さんが勝手に仕事をすることは、企業として問題だ。
しかも相手が、反社会勢力だったとすれば、芸人さんだけではなく企業としての信用も無くなってしまう。
もちろん「闇営業」ができるような企業文化があり、契約書などはなく口約束であった、という今時の企業としてはあり得ないことだ。

これを機会に、吉本興業だけではなく所属タレントと企業という関係を見直し、近代化する必要があると思う。
その意味でも、ロザンの菅さんの「スリム化」という提案は問題の本質を指摘しているのでは?と感じるのだ。


参院選で見えてきた、新しい流れ

2019-07-22 20:11:15 | アラカルト

昨日の参院議員選挙では、現与党が過半数を獲得した、という結果に終わった。
結果はそうだが、今回の参院選で感じたことは、いわゆる既存政党とは違う政党の存在感を感じた、ということだった。
一つは「NHKから国民を守る党(N国党)」と「れいわ新選組」の選挙資金の調達方法だった。

既存政党の場合、必ずと言ってよいほど「支持母体」と呼ばれる支援団体がある。
その中でも公明党の場合、支持母体である創価学会とは「一心同体」とまでいわれ、「政教分離の原則」という指摘までされている。
当然、党の選挙資金の多くは、創価学会の信者さんたちから提供されているはずだ。
他にも、自民党と農協とか、立憲民主党や国民民主党などは労働組合が支持母体となっている。
ところが、N国党やれいわには主だった支持母体が無い。
それだけ、選挙資金や選挙の為の党員集めなど難しい政党であった、ということになる。
もちろん、故市川房江さんのように市民運動から議員さんになられた方も少なくはないのだが、政党として立ち上げ選挙に臨むという点では、これまでとはずいぶん違う「政党」という気がしている。

N国党の場合、選挙資金はyoutubeだったが、れいわ維選組の場合はクラウドファンディングと寄付だった。
BuzzFeed Japan:゛NHKから国民を守る党”が1議席獲得「お金と候補者は全部youtubeで集めた」選挙戦略を明かす

毎日新聞:れいわへの寄付4億円超える 山本氏「おかず減らしてくれたおかげ」

「N国党」の場合、政見放送そのものがNHKの独占ということもあり、NHKの存在意義を問うためにNHKに出演している、というシュールなこともあった。
それが逆に若い世代では話題となる、ということもあったようだ。
そのため、年齢が高い有権者からは「政党としてどうなのか?」と思われた方もいらっしゃったのでは?と、想像している。
しかし選挙で1議席獲得したということは、一定数の有権者は現在のNHKに対して、不満や不信を持っている人がいる、ということになるはずだ。
NHKの場合、国会で予算などが決まることを考えると、裁判では勝てないが国会の場でNHKに対してモノ申したい!という生活者の意識の表れだろう。
何より、選挙資金(と候補者)をyoutubeで調達という、これまでとは全く違う手法で、選挙資金と候補者を集めている。
既成政党からすれば、泡沫候補と笑われた存在であったと思うのだが、youtubeで一口300万、二口で立候補しませんか?などと呼びかけ、資金と候補者を集める、という荒業ではあるがそれだけ今のNHKに対して、不満を持っていた人がいた、ということにもなる。

一方の「れいわ新選組」のクラウドファンディングという方法もまた、今という時代の資金調達だといえよう。
タレントとして活躍をしていた山本さんからは想像もつかないほどの熱弁する姿は、既成政党の党首たちの姿よりも遥かに印象的なものだったように思う。
その理由は、平易な言葉・有権者目線での語りだったということだと思う。
だからこそ、「れいわ新選組」というよりも山本太郎という政治家の言葉に賛同し、クラウドファンディングで資金を集めることに成功したのだと思うのだ。

今後「N国党」については、どうなっていくのだろう?という泡沫政党の感がぬぐえないが、「れいわ新選組」に関しては既成政党よりも大きな発言力を持つのでは?という、気がしている。
というのも、当選をされた候補者のお二人が難病患者さんや重度の障害を持った方々だったからだ。
当選された方々をサポートするために、山本氏が議場に入ることもあるだろうし、代弁をする時もあるだろう。
弱者の声を届ける、という点では、今回の「れいわ新選組」の候補者戦略もまた、既成政党とはずいぶん違う発想と行動力と感じるのだ。
そして社会的弱者と言われる方々を応援する政党としてのイメージ付けができれば、弱小化してしまった旧社会党系などよりも遥かに発言力のある政党に成長する可能性は高いと思う。
既成政党の党首の皆さんは「れいわ新選組」の勝因を、きちんと分析をする必要がある。


当たり前にあるデザインを、見直した方がいいのかもしれない

2019-07-21 08:30:15 | アラカルト

朝日新聞のウェッブマガジン、&Ⓦにロイヤルコペンハーゲンの新しいシリーズ食器の記事があった。
朝日新聞 &Ⓦ:シンプルこそエレガント。ミラノ・デザインウィークに登場、ロイヤルコペンハーゲンの新シリーズ

ご存じの通り、ロイヤルコペンハーゲンは、陶磁器食器の有名ブランドだ。
特に、毎年クリスマス前に発表されるイヤープレートは、数多くのコレクターがいることでも知られている。
そしてロイヤルコペンハーゲンと言えば、独特のコバルトブルーだろう。
中でも「ブルーフルーテッド」と呼ばれる絵柄は、日本の古伊万里の唐草模様に影響されたものと言われている。
元々日本の陶磁器に影響を受けたロイヤルコペンハーゲンだが、今回ミラノ・デザインウィークで発表された新しいシリーズを見ると、フォルムデザインなどは、日本の急須や湯呑、あるいは蕎麦猪口、お銚子などに似ているような気がするのだ。
もちろん、新シリーズのデザインをされたデザイナーさんたちは、インタビューを読む限りそのような発想はなく、まったくのオリジナルとして発表されている。
ただ、日本で見ている私からは、デザインフォルムを見るとどうしても急須やお銚子、湯呑や蕎麦猪口を思い浮かべてしまうのだ。
特に、今でも人気の高い柳宗理のデザインを思い浮かべてしまうのだ。

柳宗理の父である柳宗悦は、「民芸運動」を展開した中心的存在だった。
「日常使いの道具の中にこそ「美」がある」という考えから、普段使いの道具そのもの機能美や手仕事によってつくられる造形美を、評価しそのような道具のあるシンプルな暮らし、ということを運動を通して提唱していた。
その父の影響を受けたかのように、柳宗理がデザインをした生活の道具、特にキッチン用品や食器などはシンプルでありながら使い勝手が良く、時代が変わってもそのデザインに対する高い評価は変わることが無い。

そしてもう一つ思い出したのが、柳宗悦が「民芸運動」を始める前、イギリスで起こった「Art and Craft」という、「生活の中にある美」という考えだ。
「Art  and Craft」は、ウィリアム・モリスが提唱した、「生活と芸術を一致させよう」という考えだが、モリスの考えとは逆にモリス自身がデザインをしたインテリアや壁紙デザインなどばかりが有名になり、本来の活動とは違ってしまったかもしれない。
モリスの影響力は今でも強く、モダンデザインの源流と言われている。
柳宗悦も「Art and Craft」から、影響を受けた部分もあったようだ(その後、批判をするようになるのだが・・・)。

モリスが提唱した「Art and Craft」、柳宗悦の「民芸運動」とご子息の柳宗理のキッチン用品や食器などのデザインは、「人の暮らしの中にある美」ということになるのだと思う。
そして今私たちが目にする「素敵なデザイン」と感じるシンプルで機能美に溢れた急須やお銚子、蕎麦猪口などは、カタチを変えロイヤルコペンハーゲンで新しいデザインとして誕生しているとすれば、「日常生活の中にある美」もまた、クールジャパンではないだろうか?
「ロイヤルコペンハーゲンだから素晴らしい」のではなく、もっと身近なところに「美」があり、注目する必要があると思う。


今更ながらに実感した、日本アニメの力

2019-07-19 20:47:13 | 徒然

昨日起きた、京都アニメーションの放火事件。
時間を追うごとに、亡くなられた方が増えていくのをニュースで見ながら、何故これほどまでに凄惨な事件をおこしたのか?という、疑問が常にあった。
犯人の男は、「(自分の書いた)小説を盗まれた」と事件直後話していたようだが、果たして小説を書いていたのだろうか?という、疑問を感じている。
自分が書いた小説を、無許可で京都アニメーションが映像化した、ということだろうか?
小説というのは、作家本人のの手を離れ作品として文芸誌などに掲載されることで、初めて多くの人が読むコトができる。
最近は、ブログなどの形態でネット上に発表する人もいるが、いずれにしても何らかのカタチで、作家本人以外の人の眼に触れてこそ小説となるのでは?
自分の思いの中にあるだけでは、小説でも書き物でもない、ただの想像物だ。
想像物を、京都アニメーションにより作品化した、という論は「逆恨み」にもならない。
犯人の被害者妄想の果てに企てた、身勝手な犯罪だ。

この事件により、数多くのアニメーターさんが亡くなられてしまった。
映画やテレビなどで、アニメを見ない私にとって「京都アニメーション」という企業は、まったく知らなかった。
今回の事件で、日本国内のアニメファンだけではなく、世界各国のアニメファン、在日大使館までもが様々なSNSなどを通して弔意を表している。
それだけではなく、京都アニメーションを助けようとクラウドファンディングまで立ち上がった。
犯人の残虐非道な行為とは別に、京都アニメーションが世界に向け発表し続けてきた作品の素晴らしさを、世界が再評価したという印象すら受ける。

何より、京都アニメーションという企業の沿革が、いわゆる下請けからスタートし、今では元請けとして作品をつくっていたという点は、これからのアニメーション制作において、影響力のあるビジネスモデルとなっていたのでは?という気がしている。
逆に言えば、元請けとなったからこそ、多くの優秀なアニメーターを抱え、右に出る者はいないのでは?と言われるほどの質の高い作品をつくり続けることができたのではないだろうか?
これまでも、アニメーションの制作現場は、過酷で労働賃金が安いと言われてきた。
その理由の一つが、アニメーション制作の下請け、孫請けのような構造的な問題がある、という指摘だった。
そのような構造的問題を無くすことで、質の高い作品をつくり続けてくることができた、とすれば下請けや孫請けではないアニメーション業界全体が、一つの大きなチームとなった分担と協業による作品づくりを目指す必要があるのでは?と、思うのだ。

作品の評価のうちアニメーターさんたちの力が大きいとも考えらるので、アニメーターさんたちの経済的安定をまず目指す必要があると思うのだ。
これはアニメーションの世界だけに限ったコトではないと思うのだが、日本では長い間「現場の頑張り」を頼ってきた部分が大きいと感じている。
しかし、その「現場の頑張り」にも限度があり、疲弊した環境の中では成長することも実力を発揮することもできない。
「現場の頑張り」に対して、世界的評価にふさわしい職場環境と経済的安定を提供することこそが、日本のソフトパワーを維持する方法だと思う。
上述したように、京都アニメーションはその一つのモデルケースだったのでは?という気がしたのだ。

犯人に対しての怒りや憤りよりも、今はだたこの事件に巻き込まれ志半ばで命を失ってしまったアニメーターさん一人ひとり、重篤な状況が続いている方々に、祈りを捧げ復帰されることを願うばかりだ。





今度は大丈夫?クールジャパン機構のスタートアップ支援策

2019-07-17 12:30:26 | ビジネス

定期的にチェックをしているファッション誌がある。
一つはVOUGE JAPAN、もう一つがWWD(ウーマンズ・ウェア・ディリー)だ。
VOUGEは、ご存じの通りファッション誌の中でも社会的影響力が強く、そのため掲載される広告一つを取ってみても、勉強になることが多い。
20代、30代、40代とVOUGEを読みながら、広告表現のビジュアルについて勉強もさせてもらった。

もう一つのWWDは、いわゆる業界紙と呼ばれるもので、年に2回あるパリ、ミラノ、ロンドン・ニューヨークなどのコレクションの特集は、毎号読ませていただいていた(この特集だけ、一般書店に本が並ぶ)。

そのWWDに、クールジャパン機構が新たな投資先として、アパレルテックの「シタテル」へ10億円出資という記事があった。
WWD:クールジャパン機構がアパレルテックのシタテルに10億円出資、海外進出を支援

シタテルという企業については、同じWWDに紹介記事があったので、企業としての考えやビジョンなどは面白いと試みではないか?と感じる部分も多い。
WWD:縫製工場を無料でIoT、「シタテル」のアパレル4.0構想

問題なのは、シタテルを支援しようとしているクールジャパン機構だ。
一部で報道されたように、この官民の投資機構は巨額赤字を出している。
BusinessJournal:クールジャパン機構、巨額税金投入で成果なし、累積赤字97億円…出資先からも提訴も

元々クールジャパン機構の投資先の多くが、アニメなどのエンターティメントのコンテンツであったり、伊勢丹とのコラボレーション企画での海外出店などで、巨額な赤字を生むことになったと言われているのだが、今度はアパレル事業への支援だ。

実は「シタテル」だけではなく、人工合成の蜘蛛の糸をつくることに成功したベンチャー企業「スパイバー」への50億円の資金提供をしている。
WWD:スパイパーがクールジャパン機構などから50億円を調達 タイに原料プラント

スパイパーへの投資というのも、分からない訳ではないのだが一つ考えてほしいのは、何故日本の大手繊維メーカーが支援をしていないのか?という点だ。
繊維の中でも「軽さと強度、しなやかさを併せ持つ」と言われる「蜘蛛の糸」。
人工的に作ることは不可能と言われていた繊維をつくることに成功させたことは、大きな話題となった。
大手繊維メーカーの下請けになることなく、ベンチャー企業としての活路を見出したことは、素晴らしいことだと思う。
今や日本の繊維メーカーは、ファッションで使われる布をつくる企業ではなく、自動車や飛行機のボディの一部となるような「素材」をつくるメーカーへと変貌している。
その意味でも、アパレルではなくより汎用性の高い「素材メーカー」のベンチャー企業としての成長に対する期待としての、支援なのだと思うのだが、クールジャパン機構が支援すべき事業なのだろうか?

日本のファッション産業を文化として支援していきたい、という観点からクールジャパン機構が支援をするということなのだと思うのだが、どことなく支援する対象が、違うような気がするのだ。
例えば、日本の伝統的な織物や染め物の産業などは、超が付くほど零細企業の所が多い。
そのような企業団体を支援しながら、日本の「衣装文化」を海外に情報発信する、という考えのほうが、「クールジャパン」という考えに合っているのではないだろうか?

目先の話題性に飛びついて、累積赤字をこれ以上増やすようなことにならなければよいのだが・・・。