日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

当たり前にあるデザインを、見直した方がいいのかもしれない

2019-07-21 08:30:15 | アラカルト

朝日新聞のウェッブマガジン、&Ⓦにロイヤルコペンハーゲンの新しいシリーズ食器の記事があった。
朝日新聞 &Ⓦ:シンプルこそエレガント。ミラノ・デザインウィークに登場、ロイヤルコペンハーゲンの新シリーズ

ご存じの通り、ロイヤルコペンハーゲンは、陶磁器食器の有名ブランドだ。
特に、毎年クリスマス前に発表されるイヤープレートは、数多くのコレクターがいることでも知られている。
そしてロイヤルコペンハーゲンと言えば、独特のコバルトブルーだろう。
中でも「ブルーフルーテッド」と呼ばれる絵柄は、日本の古伊万里の唐草模様に影響されたものと言われている。
元々日本の陶磁器に影響を受けたロイヤルコペンハーゲンだが、今回ミラノ・デザインウィークで発表された新しいシリーズを見ると、フォルムデザインなどは、日本の急須や湯呑、あるいは蕎麦猪口、お銚子などに似ているような気がするのだ。
もちろん、新シリーズのデザインをされたデザイナーさんたちは、インタビューを読む限りそのような発想はなく、まったくのオリジナルとして発表されている。
ただ、日本で見ている私からは、デザインフォルムを見るとどうしても急須やお銚子、湯呑や蕎麦猪口を思い浮かべてしまうのだ。
特に、今でも人気の高い柳宗理のデザインを思い浮かべてしまうのだ。

柳宗理の父である柳宗悦は、「民芸運動」を展開した中心的存在だった。
「日常使いの道具の中にこそ「美」がある」という考えから、普段使いの道具そのもの機能美や手仕事によってつくられる造形美を、評価しそのような道具のあるシンプルな暮らし、ということを運動を通して提唱していた。
その父の影響を受けたかのように、柳宗理がデザインをした生活の道具、特にキッチン用品や食器などはシンプルでありながら使い勝手が良く、時代が変わってもそのデザインに対する高い評価は変わることが無い。

そしてもう一つ思い出したのが、柳宗悦が「民芸運動」を始める前、イギリスで起こった「Art and Craft」という、「生活の中にある美」という考えだ。
「Art  and Craft」は、ウィリアム・モリスが提唱した、「生活と芸術を一致させよう」という考えだが、モリスの考えとは逆にモリス自身がデザインをしたインテリアや壁紙デザインなどばかりが有名になり、本来の活動とは違ってしまったかもしれない。
モリスの影響力は今でも強く、モダンデザインの源流と言われている。
柳宗悦も「Art and Craft」から、影響を受けた部分もあったようだ(その後、批判をするようになるのだが・・・)。

モリスが提唱した「Art and Craft」、柳宗悦の「民芸運動」とご子息の柳宗理のキッチン用品や食器などのデザインは、「人の暮らしの中にある美」ということになるのだと思う。
そして今私たちが目にする「素敵なデザイン」と感じるシンプルで機能美に溢れた急須やお銚子、蕎麦猪口などは、カタチを変えロイヤルコペンハーゲンで新しいデザインとして誕生しているとすれば、「日常生活の中にある美」もまた、クールジャパンではないだろうか?
「ロイヤルコペンハーゲンだから素晴らしい」のではなく、もっと身近なところに「美」があり、注目する必要があると思う。

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「無料」という落とし穴

2019-07-11 19:08:48 | アラカルト

Yahoo!のトピックスに、「Music FM」追放という見出しがあり、ビックリした。
記事を読んだら、日ごろ私が聞いているFM局ではないことがあり、ホッとしたと同時に様々なことが思い浮かんだ。
CNET JAPAN:APP Storeからの「Music FM」追放を・・日本レコード協会やLINEらがアップルに要望書

APP Storeにこのようなアプリがあるとは知らなかったのだが(スマホで音楽を聴かない為)、記事を読むと10代を中心に人気のあるアプリのようだ。
若い人たちに限らず、人は往々にして「無料」という言葉は好きだと思う。
「無料」だからこそ、受けるサービスもあるのではないだろうか?
言い換えれば「有料だったら、買わない商品・受けないサービス」、ということになる。

しかし「商品やサービス」というものは、提供する側にとって何らかの費用が掛かっていて、「無料」で提供できるものなど無い。
もちろん「お試し」と呼ばれるキャンペーンなどはあるが、それは「販売促進の一環」であって、期限が終われば有料となるのは当然のことだ。
その中で問題となるのは、「サービス」と呼ばれる無形の商品だ。
今回問題となっているのも「音楽」も、CDという形状で販売されることはあっても、今の若い人たちはストリーミングという方法で、音楽を聴く傾向があり、一つの形状として手元にあるわけではない。
だからこそ、「お金がかかる」という意識があまり持てなくなっているのかもしれない。

ただ音楽を創作するということは、何もないところからアイディアを出し、一つの曲というカタチにし、スタジオを借りて、ミュージシャンを集め演奏を何度も繰り返し、その音源を録音するエンジニアがいて、ベストな演奏を選びだすプロデューサーがいる。
これらは全て、人の手がかかりそれに似合うだけの費用(=お金)がかかっているのだ。
このような作業をする人達がいるからこそ「音楽」が、成り立っている。
「無料」ということは、これら音楽を創り出すミュージシャンだけではなく、そこに関わる全ての人に対して「ただ働きをさせる」ということでもある。
そもそもそのような聴き方をしている音楽に、愛着が持てるだろうか?

人はおかしなもので、「ただ働き=無料」で提供されたモノ・コトに対して、大切に扱うという意識はなくなる。
何故なら「価値」というものを考えないし、認めないからだ。
これは音楽に限ったコトではない。
と同時に「無料であることが当たり前」であるという意識があると、そのような人には誰もモノ・コトを与えようとはしなくなる。
「ビジネスとして成り立たない」ということもあるが、そのような人は信頼関係を結ぶことができなくなるからだ。

商業的(=ビジネス的)問題はもちろんだが、このような無料アプリの多くは利用者が知らない間に、利用者の様々なデータを収集し、相手が分からない第三者にそれらのデータが渡っていることほとんどだ。
「個人情報管理」などということが言われて久しいが、このような無料アプリを利用することで、自分の個人情報をダダモレさせている、とは思っていない、ということも問題だろう。

「無料」と謳うモノには、利用者が知らないリスクが数多く潜んでいるだけではなく、「無料」に利用された側には多大な経済的損失を与えることで、文化や経済を破壊している。

もう一つ指摘するなら、JASRACは音楽教室ではなくこのようなアプリに関わるサイト運営者から著作権料を徴収するほうが、遥かに効率が良く膨大な金額が得られると思う。
もっともこのようなサイトの多くは、中国経由(ということは、利用者のデータは中国に渡っていると考えるのが自然だろう)なので徴収そのものが難しいかもしれないが・・・。

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「食」と「食卓」で見えてくる、関係性

2019-07-10 18:10:55 | アラカルト

大阪ガスのエネルギー文化研究所の池永さんのコラムを拝読していて、考え込んでしまった。
大阪ガス・エネルギー文化研究所コラム:【交流篇】あなたはだれと食べますか?

実はこのタイトルを見た時、思い出したのが、この春放送されたドラマ「きのう何食べた」だった。
テレビ東京系でしかも金曜日の深夜枠という時間帯にもかかわらず、高い人気を評価を得たドラマだった。
Tverで見ていたのだが、放送当初言われていた「LGBTQ(主人公は、ゲイのカップル)」というよりも、ごくごく普通の生活者の日々のチョッとした喧嘩や行き違いがありながらも、パートナーを大切にする平穏な日々を描いたドラマ、という評価のほうが多くあった。
このドラマの一番象徴的な場面というのが、主役の二人が「一緒に食事をする」という場面だった。
二人顔を合わせ「いただきます」という、場面はどこかホッと安心ができた。

「家族が一緒に食卓を囲むから、ホッとする」というのではない。
ドラマの中(確か10話だったと思う)で「どんなに関係の深い人でも、許せない人と続けていくのは、しんどいよ」という、台詞があった。
主人公の一人である、美容師のケンジとケンジの父親との関係を表す台詞なのだが、「家族が一緒に食事をする」ということが「しあわせな食卓ではない」ということをよく表していると思う。
やはり食卓を囲む相手は、互いに思いやれる大切な関係でなくては「しあわせな食卓」とはならない、と気づかされた台詞でもあった。

池永さんがコラムで書かれたことは、おそらく「関係性のある食卓」ということなのだと思う。
家族であっても、「許せない」と感じる相手との食卓は、苦痛でしかない。
ただ、食卓を囲むことで「関係が改善する」可能性もあるのでは?という気がしている。
最近社会的問題となっている「中高年の引きこもり」のニュースなどを読むと、家族で食卓を囲むことなく、親が引きこもった子供の部屋に食事を届けているケースがほとんどのようだ。
引きこもる前に「食卓を囲み」様々な話をし、話しを聞くことが、もしかしたら大切なことなのかもしれない。

そして池永さんがより問題視している、今の社会はそのような「食卓を囲む時間」が無くなっていることも確かだろう。
「食卓を囲む」という時間が特別な時間であり、それは家庭に限る必要もないのかもしれない。
食卓に並ぶ料理は特別なものではなく、家庭料理のような「普段の食」のほうが、相手を思いやれる会話ができるだろう。
料理研究家の土井善晴さんは、「家庭料理は、一汁一菜で十分。毎日食べて食べ飽きないことが重要」と言っている。
日々食卓に登場する料理は、インスタ映えなどする必要はない。
大雑把な料理でも、一緒に食べる人と人が笑顔になれることが、重要なのだ。
「食」と「食卓」は、人の関係性を構築する始まりの場所かもしれない。

(と、言いながら私の食卓は、独りなだが・・・一応言い訳がましいのだが、独りでも「いただきます」と「ごちそうさまでした」は、言うようにしている。)

 

 

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JASRACの姑息さ

2019-07-08 14:15:18 | アラカルト

「JASRAC対音楽教室」という話題は、2年ほど前世間を騒がした話題だったと思う。
もちろん、世論の多くは「NO! JASRAC」だったように記憶している。
世論が「NO! JASRAC」と言っていたのには、理由がある。
「音楽教室で習う楽曲まで、著作権を必要とするのか?」ただ、一点だ。
そもそも音楽教室に通う理由は、音楽を学びたい、楽器を演奏したい、という動機だからだ。
場合によっては「認知症予防」という目的の方も、いらっしゃるかもしれないが、いずれにせよ素人の趣味と考えても良い範疇の「お稽古事」にまで、著作権を徴収するというのは、いかがなものか?という意見が多数だったように記憶している。

これらの意見に対し、JASRACは一つの策を練っていたようだ。
Huffpost:JASRAC職員、音楽教室に2年間の「潜入調査」 主婦を名乗り・・・訴訟に証人として出廷も

身分を偽って「潜入調査」とは、穏やかな話ではない。
しかも「潜入調査先」は、ヤマハ音楽教室の中でも「おとなの音楽教室」を選んでいる、というのも周到な気がする。
というのもヤマハ音楽教室の中でも「おとなの音楽教室」は、中高年を対象とした音楽教室で、初心者にとっても親しみのあるポピュラー音楽などを練習楽曲としているからだ。
職員の方が入られたクラスが「上級者コース」ということであれば、音大で学ばれた経験のあり、講師の指導や演奏レベル(と言うと失礼だが)も分かる、職員を「潜入調査」させたのだろう。

このJASRACの「潜入調査」について、姑息な手段を取ってでも著作権料を徴収したいのだな~と、感じた方のほうが多いのではないだろうか?
その理由は
1.身分を偽って「潜入調査」をさせている
2.調査をするのであれば、第三者機関のような「中立的立場」の人物にさせるべきである
3.身内の調査(=公平性に欠ける調査)を「公平性のある調査」と考え、公の場で証言させる考えを持っている
などがあげられると思う。

実際、「おとなの音楽教室」でレッスンを受けていた職員の発言には、疑問な点が多い。
上級クラスの講師であれば、プロとして活躍できるレベルの技術と指導力が無くては、教室運営などできないはずだ。
当然、講師が手本として演奏する内容は、「公衆が聞き惚れる」くらいでないと問題だろう。
そして、生徒が「全身を耳にして、講師の演奏を聴いている」というのは、レッスンを受ける側として当たり前なのでは?
個別の技術的指導だけではなく、演奏の間など技術的指導だけでは分からない部分を身に着ける為には、レッスンを受ける側の姿勢としてはそのような聴き方をするだろうし、熱心な生徒さんほどそのようになるのではないだろうか?

このような「(音楽教室などでのレッスンを含めた)演奏には、著作権料が発生する」というJASRACの考えは、日本の音楽産業だけではなく音楽という文化を豊かにするのだろうか?
youtubeでは、ショッピングセンターや街の広場に置かれたピアノで、ピアノ演奏をされる方の動画がアップされることがある。
このような動画を見るたびに「音楽が身近にあり、楽しめる社会の豊かさ」を感じる。
そのような「社会の豊かさ」を育てるのではなく、芽を摘むような行為をJASRACはしているような気がするのだ。

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文化かビジネスか・・・「KIMONO」をめぐる問題

2019-06-30 07:51:08 | アラカルト

2,3日前から話題となっている、キム・カーダシアンが立ち上げた「補正下着」ブランド「KIMONO」。
話題というか、炎上状態になっているようだ。
東スポ:キム・カーダシアン補正下着ブランド「KIMONO」に猛批判「キム・オー・ノー」!? 

キム・カーダシアンというハリウッドセレブをほとんど知らないので、彼女がどのような活動をし、影響力があるのかは知らないのだがWikipediaで見ると、米国のテレビなどで活躍をされ、社交界の名士のようで、米国内での影響力があるタレントさんというところだろうか?
もっとも、彼女が有名になったのは、いわゆる「炎上」がきっかけだったようだが・・・。
その後、レッドカーペットでのグラマラスなファッションスタイルが、ファッション誌などに取り上げられるようになり、SNSを通して一気に名前が知れ渡ったようだ。

今回彼女がプロデュースをした「KIMONO」という補正下着だが、製品そのものの評価は高いらしい。
確かに、サイズ展開が豊富なので、これまで補正下着の対象外だと市場が思っていた女性たちからの支持を集めるのは、当然だろう。
彼女自身、身長が160cm未満なのに体重は60㎏を超える(Wikipediaより)、いわゆる「ミニグラマー体形」だ。
だからこそ、15年もかけて補正下着を開発したのもわかる気がするのだ。

しかし、製品とネーミングのセンスは全く別ものだ。
まして「KIMONO」というネーミングは、日本の着物から着想した、というのであれば「日本文化の冒涜」とも受け止められても仕方ないだろう。
既に京都市が、抗議を行っているようだ。
Huffpost:京都市、キム・カーダシアンの「KIMONO」に抗議。「着物はすべての人の共有財産。私的に独占すべきものではない」

京都市の抗議は当然のことだが、日本全体で考えれば着物業界をはじめ、いわゆる伝統工芸品となっている機織り業界、文化庁なども積極的に「(日本の)文化に対する冒涜」として、抗議や商標の差し止めなどを訴える必要があるのでは?
何故なら、一時であってもあのような「補正下着」が「KIMONO」などという名前がつくようなことがあれば、着物に対して間違った印象を持たれてしまうからだ。

日本以外の国の人たちにとって、着物の帯はコルセットのように見えるのかもしれないが、コルセットとは全く違う目的のものだ。
むしろ、上手に着付けをすれば帯をシッカリ締めていても、コルセットのような窮屈さは感じられない。
残念なことに「帯=窮屈で苦しい」という思い込みが一般的になってしまっている為、「帯=コルセット=補正下着」などというイメージを持たれてしまったとすれば、とても残念な気がする。

ただ、これほど「炎上状態」になってしまうと、商標申請を取り下げるのでは?という気もしている。
今は強気に「変える気はない」と言っているようだが、後日「(炎上しているし)やはり日本の文化のリスペクトをしているので、ネーミングを変えます」と言っても、発売前に自分がプロデュースした補正下着を宣伝することができた、と考えるかもしれないからだ。
というのも、彼女は過去にも何度も「炎上」することで、自分がプロデュースした商品の話題を作ってきたからだ。

そしてこれを機会に、京都の街中をレンタル着物で歩く観光客に対しても、安っぽいレンタル着物ではなくもう少し品のある着物を提供してはどうだろう?
もちろんレンタル料の値上げは当然だろうし、逆に値上げることでそれなりの客層を相手にして欲しいと思っている。
季節を無視したようなペラペラな安っぽい着物を着て、観光地を闊歩する観光客(主に中国人観光客だが)を見るたびに、「間違った着物文化を伝えているのでは?」と、心配をしているからだ。

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タピオカドリンクとコーヒー

2019-06-21 18:58:16 | アラカルト

今年に入ってから、女子高校生から人気が出た(と思われる)タピオカドリンク。
ここ名古屋・栄の地下街にも専門店ができ、大行列ができている。
そしてこの「タピオカドリンク」が、今社会の迷惑となりつつある。

中京テレビニュース:タピオカドリンクの放置ゴミに困った 飲む人のマナー向上を 名古屋・大須商店街

「タピオカ」そのものが、流行したのは今回が初めてではない。
地下鉄の隣の駅近くには、随分前からタピオカのデザートを出すお店がある。
おそらく「タピオカ第一次ブーム」の頃にできたような記憶があるので、10数年前からあると思う。
もちろん、タピオカだけではなく「アジアンスィーツのお店」のような感じなので、第一次ブーム終了後も継続できたのは、その間に起きた様々な「アジアンスィーツ」を提供してきたからだろう。
このお店の前には、「タピオカドリンクの放置ゴミ」などは,散乱していることは無い。
おそらく「テイクアウト」ではなく、店内での飲食だからだろう。

ここで思い出したのは、最近人気のコンビニのコーヒーだ。
コンビニのコーヒーは「テイクアウト」が基本だ。
もちろん、店内で飲むこともできるが、多くのお客さんはテイクアウトをし、車や自宅、あるいはオフィスなどでコーヒーを飲む。
店外であっても、店外にあるチョッとしたベンチでコーヒーを飲み、すぐにゴミ箱に捨てる人は多いだろう。
実際、近所のコンビニの前にあるベンチでコーヒーを飲み、飲み終わるとそそくさとゴミ箱にコーヒーカップを捨てる人の姿を、当たり前のように見る。
同じ「テイクアウト」なのに、タピオカドリンクは飲み歩き、コーヒーはベンチで座って飲むのだろうか?

今年のお正月頃、東京の韓国料理店や韓国料理の食材店が数多くある新宿の新大久保で人気になった「韓国式ホッとドック(ハットグ)」も、同様のトラブルが起きた。
店内での飲食ではなく、いわゆる「テイクアウト」ができ、食べ歩きができると人気になったのだ。
「ハットグ」と「タピオカドリンク」を一緒にすることはできないにしても、「食べ歩きができる」という点では同じだろう。

そして「食べ歩く姿」が、若い人たちにとっては「カッコイイ」と思っているのかもしれない。
タピオカドリンクとコンビニなどで販売されているコーヒーとでは、量が違うためにベンチで飲み切ることができない、ということがあるとは思うが、やはり「食べ歩きができる」というのが、最近の「インスタ映え」と並んで大きな理由になっているように思うのだ。

大人になると「食べ歩き」をするにしても、そのシチュエーションにこだわる、ということもあるかもしれない。
少なくとも「食べ歩き」が似合う場所は、映画「ローマの休日」の一場面スペイン階段のような所だと思っている(ように感じている)。
まして「インスタ映え」ということを考えると、タピオカドリンクと自分だけでは面白味も何もなく、背景だけでも素敵な場所でなくては、本当のインスタ映えにはならない(と思い込んでいると思われる)。

Instagramに「タピオカドリンクと私」的な写真が数多くアップされるようになっているとすれば、タピオカドリンクブームもそろそろ終焉かもしれない。
何故ならInstagramに投稿される自撮りの多くは「私を見て!」という、気持ちの反映に思え、数多くの似たような写真に埋没してしまったら、投稿する意味がなくなってしまうからだ。

ただ、飲み物の飲み残しを放置したり、飲食物のゴミを放置するのは、世代に関係なく「恥ずかしいこと」であるという認識は持つ必要があるだろう(し、そのような教育が必要だと思われる)。

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日本の医療政策に一石を投げる「クラウドファンディングによる治験」

2019-06-13 19:18:19 | アラカルト

毎日新聞に2日前「関西医科大学が治験の費用をクラウドファンディングで集める」という、記事があった。
毎日新聞:膵臓がん治験費用をクラウドファンディング 関西医科大学 国の補助金申請認められず決断

全国紙で報道されたこともあり、2日間で目標としていた一千万を超す資金を集めることに成功したようだ。
朝日新聞:膵臓がん治験の費用 ネット募金、2日で1千万円超す

この治験に関して、補助金がなぜ認められなかったのか?と言えば、記事にある通り「新薬を使った治験ではない」ということのようだ。

膵臓がんは、5年生存率がとても低いがんの一つで、膵臓がんと診断された時には既に相当進行している場合が多い。
膵臓がんの患者さんを助けるには、「早期で発見し、治療すること」なのだが、それ自体が難しい臓器でもある。
だからこそ、ある程度進行している患者さんであっても、治療ができるようになるよう、日々研究を重ねている医療者も多いはずだ。

政府のがん医療政策が「がんゲノム医療」へと転換している今、新薬の研究の中心は膵臓がんに限らず「ゲノム(遺伝子情報)を使ったもの」ということになる。
先月承認された急性白血病の治療薬「キムリア」は、まさに「CAR-T細胞療法」というゲノムを活用した治療薬だ。
その「キムリア」の薬価は約3400万円と、高額だ。

だからこそ、新薬とは別に現在一般的に使われている「抗がん剤」での活用、ということが望まれるはずなのだが、国としては「がんゲノム医療」に対して集中的に補助金を出す、という考えのようで、結果今回のようなことが起きてしまったようだ。

現在の「抗がん剤」の考え方は、がん種に対して〇〇という抗がん剤を使う、ということになっている。
しかし、ここ数年の間で特定のがん種に効果があるとされてきた「抗がん剤」が、他のがん種にも効果がある、ということが分かってきた。
判明した大きな理由は「がんゲノム解析」による、がん種ではなくゲノムレベルでの効果が、徐々に判明してきたからだ。
だからこそ、今回の関西医科大学が実施した「治験」ができるようになってきているのだ。

その一例は、昨年ノーベル賞を受賞された本庶佑先生が見つけられ、小野薬品工業が開発した「オプジーボ」だろう。
当初は皮膚がんの一種「黒色メラノーマ」に対する治療薬として承認されたが、その後「非小細胞肺がん」や難治がんの一種である「腎細胞がん」などにも適用されるようになった。

今後ますます医療費が膨れ上がることを考えると、関西医科大学が行った既存の医薬品での「治験」も積極的に行う必要があるのでは?
その期待値のあらわれが、わずか2日間でクラウドファンディングの目標額が集まった理由だろうし、新薬による医薬品市場の獲得だけが日本の開発力を示すわけではなく、逆に様々な国の医療に多大なメリットと日本がリードしていく力がある、というアピールにもなると思う。

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AIの進歩は凄いけど・・・メイク顔からスッピン顔が本当にわかるのかな?

2019-06-11 22:45:04 | アラカルト

日経新聞のコラムCOMEMOに、興味深い内容があった。
COMEMO:引き算のAIでメイクを取る

おそらくこのようなAI技術が進歩していく理由の一つは、「生体認証」の普及への期待があるからだろう。
それは空港などでの入管手続きなどの簡便化などだけではなく、犯罪者や犯罪予備軍としてリストアップされている人物の入国チェックをしやすくする、という「国家安全策」という意味も含まれていると思う。
確かに、画期的な技術だと思う。

思うのだが、一時youtubeで話題になった「整形メイク」と呼ばれるほどの、別人に変身してしまうほどのメイクをしている人にも、有効なのだろうか?と、疑問に感じてしまったのだ。
コラムの元となっているサイトを見てみると、メイク顔そのものが突飛すぎるからだ。
AI-SCHOLAR:スッピンがバレる?GANによるメイクの取り外しと置き換えが可能に

パンクファッションが好きな若い女性であれば、このようなメイクをして街中を歩くかもしれないが、多くの女性(最近は男性もか?)はこれほど突飛なメイクはしていない。
むしろ、「整形メイク」と呼ばれるような、普通にどこにでもいそうな「可愛らしい(あるいは素敵な?)女の子」に盛ったメイクを外すことの方が、実用に向け必要なのでは?と思ったからだ。

「整形メイク」をすることが悪いわけではないし、それだけの技術を持ってメイクができる、ということは凄いことだと思う。
何より、そのようなメイクをすることで、「自信が持てる」とか「積極的になれる」などの効果があるのであれば、とても良いことだ。
その「整形メイク」も、「メイクしました」候ではなく「ナチュラルメイク」になっているようだ。
となると、先のサイトにあるような突飛なメイクではなく、ごくごく普通の女性が普通にしている「メイク顔」から「スッピン顔」へ、どこまで取り外すことができるのだろう?

AIの進歩は目覚ましい。
ただ「整形メイク」に代表されるような、「ナチュラルメイクの別人化」のような文化を持っているのは、欧米ではなく日本をはじめとするアジアだろう。
韓国のように「整形大国」と呼ばれる国になれば、「スッピン顔」そのもの定義(というべきか?)が変わってしまうかもしれない。
とすれば、日本をはじめとするアジアで実用化できるだけの精度が、必要な気がするのだ。

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ファストファッションと対極のもの

2019-06-02 20:32:57 | アラカルト

Yahoo!のトピックスに取り上げられていたある記事を読んで、「もしかしたら生活者の意識が、変わりつつあるのかもしれない・・・」という気がした。
気になった記事というのは、日経スタイルに掲載されていた「お受験服」の記事だ。
日経スタイル:人気「お受験服」誕生秘話 工場主が切った最終カード 

縫製工場が百貨店に直談判をして?企画となった「お受験服」ということのようだが、この記事にはファッションだけではなく様々な分野でも参考になる点がいくつもある。
その一つが、「生活者(この場合は、お受験ママ)が、どのようなものを求めているのか?」売り場で調査をした、という点だ。
データではなく、実際の売り場で生活者の反応を見ながら、商品の企画・製作をしたという点は、今時の「データ中心調査」とはずいぶん違う。
現場での調査というのは、実は時間と労力がかかり、調査をする人物の技量によって左右される。
合理的な方法ではないのだ。
にもかかわらず、売り場での調査をする大きなメリットは、計り知れない。
何故なら、生活者の姿を直接見ることができるからだ。
今回の「お受験服」に関していうなら、購入年齢層や日ごろの服装や持ち物、購入者一人での来店なのか、付き添い者がいるのか?などなど、単なる数字では分からない、購入者となる生活者の多角的な情報を一気に知ることができる。
「お受験服」を必要とする背景までも知ることで、より購入者となる生活者の「今」を知る材料が増え、的確な企画ができる、ということになるのだ。

この「お受験服」と対極にあるのが、ファストファッションだろう。
シーズンごとに発表される国内外のファッションコレクションの中から「トレンド」と呼べそうなものをピックアップし、一気に大量生産をする。
売れ残りなどのリスクも当然考えたうえでの、商品展開であり生産量ということになる。
大量に生産され、購入されず在庫となってしまった商品だけではなく、そのような大量消費によって購入された商品は短期間の間で着られなくなり、処分されていく。
それが今、社会的問題にもなりつつある。

ファストファッションが悪い!という気はない。
ただ、「お受験服」のように着心地を追求し、長い間着られる服がこれから見直されていくのでは?ということなのだ。
令和になり、皇后となられた雅子妃は「着回し上手」として、同世代~若い世代の女性たちから注目されるようになってきた。
ワンシーズンではなく、10年以上前に着られていた服を手直しされながら着ることができる、ということは最初から着心地の良さや仕立ての良さがあってのことだ。
そして、雅子妃をお手本としたい女性が増えれば、「お受験服」をつくる縫製工場が復活する機会となるように思うのだ。
それは「ライフスタイル」にも、影響を与えるのでは?と、考えている。




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「書を捨て、町に出よう」ー大学の新しいあり方ー

2019-05-31 20:48:31 | アラカルト

時折「ほとんど0円大学」という、サイトをチェックしている。
公式:ほとんど0円大学 おとなも大学を使っちゃおう

このサイトをチェックする理由は、単なる(知的?)好奇心からなのだが、大学が行う公開講座の充実度から考えると京大を中心とした関西の大学がとても積極的である、ということを感じる。
もちろん、東京の大学もあるのだが、講座数やその内容のバラエティさという点では、関西の大学が圧倒的に多い。
そして、講座内容を見るたびに思うことは、「なぜ名古屋をはじめ、他の地域の大学ではこのような市民に開放された講座が少ないのだろう?」ということだ。

名古屋で言うなら名古屋大学が中心となって、毎年10月~11月にかけ「街なかサイエンス」という市民向け公開講座を開くことはあるのだが、その内容はタイトル通り「サイエンス」が中心だ。
元々名古屋大学の始まりが、医学部と理工学部であったということを考えると、サイエンス=科学が中心になるのは仕方ないのかもしれないのだが、多くの市民が興味・関心が持てる内容とは限らない。
だからこそ、幅広い分野での公開講座であってほしい、と思うのだ。

国立大学が「独立行政法人」という名がつくようになり、大学であっても研究成果などが求められるようになった。
と同時に、研究費用なども大学独自で、ある程度調達する必要も出てきた。
そこで注目されるようになったのが「産学連携」だった。
大学は基礎研究などを主に行い、その研究を応用、実用化する為に企業のサポートを得る、という連携体制だ。
ただこの「連携体制」は、ある特定の企業との連携を深めるばかりではないか?という、気がする時がある。
それは、大学などが行う公開講座でのサポートとして、特定の企業名が登場することが多いからだ。
名大について言えば、トヨタ自動車とその関連企業が多い、ということになる。
それで良いのだろうか?
むしろ、京都大学をはじめとするより多くの市民に大学の研究を知ってもらうことで、地域全体の文化的なメリットが高いだろうし、そのような中から、特定の企業以外からの研究のアイディアをもらうことになるのではないだろうか?
その結果として、思わぬ地元の企業から「産学連携」の話も出てくると思うのだ。

それだけではなく、大学が積極的に町に出ることで、それまで「大学」そのものに興味関心が無かった人達や小中高校生たちの「知的好奇心」を刺激し、地元の大学への進学を希望する生徒も増えてくると思うのだ。
東京の大学や関西の大学には「名物教授」と呼ばれる教授も多く、その先生の授業を受けたいがために、進学を希望するという生徒もいるだろう。
逆にそのような「(ローカル)名物教授」を育て、魅力ある大学にする為にも、このような幅広いジャンルの市民向けの公開講座は、有効だと思う。

タイトルの「書を捨て、町に出よう」と言ったのは、劇作家で演出家であった唐十郎だった。
唐十郎のような型破りな発想が、大学にも求められているような気がするのだ。

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