日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

エネルギー政策も転換の時期?

2014-09-30 18:23:26 | ビジネス

昨日、住友商事が米国で行っていたシェールオイルの開発事業で、2400億円以上の損失、と言うニュースがネットのニュースで流れた。
今朝になり、新聞各社がそれを報じている。
中日新聞:シェールオイル、開発など失敗 住商損失2400億円

損失額の多さにも驚くのだが、「地下を掘って探す、エネルギー産業」のリスクというものを感じるニュースでもあった。
この様なニュースが報じられると、「やはり再生エネルギー」というコトになりがちだ。
もちろん「再生エネルギー」と言えば、「風力・ソーラー」を中心に考えると思うのだが、その「再生エネルギー」にも、危うい状況になりつつある様だ。

と言っても、この「危うい状況」というのは、「再生エネルギー」そのものではない。
いわゆる「電力の買い取り」だ。
今月に入ってから、九州電力が「自然エネルギーの買い取りの中断」を発表している。
朝日新聞:九電、再生エネ買い取り事実上中断へ 太陽光発電急増で
それに続く様に、四国や東北、北海道の各電力会社でも「再生エネルギー買い取り中断」の検討のニュースが報じらレている。
時事通信社:北海道電、東北、四国も中断=再生エネ買い取り-経産省委で表明

いずれも、中断理由は「再生エネルギーでは安定的供給が難しい」というコトのようだが、理由がそれだけではない様な気がする。
本当は、様々な企業が自治体と組んで「再生エネルギー事業」に乗り出したコトが、原因なのではないだろうか?
個人を対象とした「再生エネルギー買い取り」という程度であれば、買い取る電力もさほど大きくはないだろう。
小さな買い取りが急速に増えたと言っても、昼間の使用電力と夜の使用電力による「差」というのは、極端に大きいとは思えない。
まして今年の夏は、7月の一時猛暑となったが8月は梅雨の様な長雨が続き、買い取る電力は余り多くはなかったのではないだろうか?
それに対して、自治体と企業が組んで取り組んでいる「再生エネルギー事業」というのは、作られた再生エネルギーのほとんどを買い取る様になっているはずだ。
その部分で「不安定」だと言うコトであれば、電力会社の説明にも納得がいく。
それだけではなく、「不安定」という理由を挙げるコトで「原発推進」の理由付けをしている、と言う穿った見方もできるかも知れない。

納得はできるのだが、むしろ今以上に様々な企業が自治体と組んで「再生エネルギー事業」に参入されるコトへの懸念。その結果起きてくるであろう、電力会社の収益の減少の心配があるのでは?と、考えるのだ。
「原発推進」よりももっと穿った見方をするなら、「地域独占事業」による様々な「利益を手放したくない」というコトだ。

住友商事のシェールオイルやエネルギー事業の損失は「化石エネルギー」に対する投資の失敗、だと考えるのなら、
極論ではあるが、今の状況は「電力、エネルギー事業」を一旦壊して、つくりかえる時期のような気がするのだ。


日本企業の後押しで誕生したスーパースターの引退

2014-09-28 19:37:28 | ビジネス

WEBの新聞チェックをしていたら、ファッションデザイナーの引退という記事があった。
朝日新聞:ゴルチエ、既製服から引退 パリで最後のショー

ジャンポール・ゴルチエと言えば、パリファッション界でも「カリスマ」と呼ばれるような存在。
シャネルやディオール、サンローランの様なエレガントさではなく、先進的、実験的なデザインで多くのファンをつかんできたデザイナーだ。
ファンの多くは、マドンナなどのトップアーティストが多く「ファッションの表現者」として、世界的に人気の高いデザイナー。
あくまでも個人的な考えだが、ゴルチエがいたからこそドルチエ&ガッバーナなどの「アバンギャルドなデザイン」も抵抗感なく市場に受け入れられたのでは?と思っている。

とは言うものの、最初からゴルチエの人気が高かった訳ではない。
そこには、強力なスポンサーの存在があったからこそ、世界に羽ばたくコトができたと考えている。
その「強力なスポンサー」というのが、日本の「オンワード樫山」だ。

デザイナーとしてまだまだ独り立ちとは言い難い時、オンワード樫山が立ち上げた新しいブランドの専属デザイナーとして契約。その後「ジャンポール・ゴルチエ」という自分のブランドでライセンス契約を結び、デザイナーとして本格的に活動を始めている。
その意味で、「ファッションデザイナー ジャンポール・ゴルチエ」を世に出し、育ててきたのは日本のオンワード樫山だと言っても良いと思う。
そして長い間、ゴルチエのプレタポルテ(既製服)はオンワード樫山が作っていた(と記憶している)。

戦後、日本のファッションを牽引してきたのは実はこの様なアパレルメーカーだった。
その中でも特にオンワード樫山は、若いデザイナーを積極的に起用していた。
今では誰もが知っている(であろう)「カルバン・クライン」なども、ニューヨークコレクションでデビュー間もない頃に、ライセンス契約をし、日本で販売していた。
トップデザイナーと言えども一時期低迷するコトがあり、その様な時でも日本のアパレル企業は、契約解除をせずデザイナーを後押ししてきた様に感じる。

その意味で、昔の(と言うと変だが)日本のアパレル企業は「デザイナーも財産」として、育てる力があったように思う。
最近ではその様なアパレル企業の話が聞けないのが、残念に感じる。
ゴルチエのプレタポルテからの引退は、日本のアパレル企業の体質変化と重なる様にも感じる。


登山ブームを実感した、御嶽山の噴火

2014-09-27 19:31:01 | 徒然

今日のお昼頃、御嶽山が噴火した。
噴火のニュースにも驚いたが、それ以上に驚いたのは噴火した時登山していた人が、150名以上いたことだ。

毎年、夏登山のシーズンになると登山客の多さが話題になる。
昨年は、富士山が「世界遺産」に登録されたコトもあり、過去にない程の登山客が押し寄せ、ご来光を見る為の登山客のライトが、光の筋となっているという様な記事を読んだ記憶がある。
今年は、通常の登山道から外れたトコロに汚物が沢山捨ててあり、「これでは、世界遺産の登録が取り消されるのでは」ということが、ニュースになった。

おそらく、この「登山ブーム」というのは、ここ10数年のコトだと思う。
確かに「富士山の夏登山。ご来光を拝む為の登山」というのは、以前からあった。
しかし、登山客で登山道が大渋滞となる様な事態となったのは、ここ10年ほどのコト様な気がする。
その背景には、登山道の整備がされある程度のトコロまでクルマで上れる様になったからだろう。
もし、1合目からの登山であれば、大渋滞が起きる程の登山客は押し寄せないと思う。

そして今回の御嶽山の噴火。
考えて見れば、日本は「火山大国」だ。
私が高校生の頃は「死火山・休火山・活火山」という分類があり、「死火山」は既に噴火するコトが無い山、と習った記憶がある。
しかし今はその様な分類はなく、「火山」であればいつかは噴火する、と言う研究がされているようだ。
そう考えると、「登山の帰りに、疲れを癒やす温泉で!」という登山は、噴火の可能性のある山への登山というコトになるし、その様な山々は日本全国至る所にある。

難を逃れた登山客の方は「何の前触れもなく、突然噴火した。アッという間に膝下まで灰が積もり命からがら下山するコトが出来た」と、テレビのニュースのインタビューで答えていた。
7年前、御嶽が噴火したコトなどすっかり忘れ、最近の登山ブームで出掛けた登山客が多かったのかも知れない。
御嶽だけではなく、今年に入り日本各地で火山の活動が活発になってきている様に感じる。

昔の人は、火山を恐れ「神の怒り」と捉えた。
今は、科学的な見地から様々なコトが言われる様になってきたが、それでも人知の及ぶモノでは無いと感じさせる御嶽山の噴火だ。


マイルド・ヤンキーとLINEに繋がれる若者、どちらが自由なのか?

2014-09-25 12:08:28 | 徒然

年ほど前だったと思うのだが、「マイルドヤンキー」についてエントリをした。
切っ掛けとなったのは、「ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体」という本だった。
この本を読んである種の違和感があり、モヤモヤしていたのだが、最近その「正体」が判ったような気がした。

その「モヤモヤ」というのが、LINEだったのだ。
おそらくスマートホンを使っている若者で、LINEをしていない若者はいないだろう。
わずか2年で3億人が使う様になった、アプリだ。
通信会社を問わずに「無料で使える通信ツール」として、人気を得るようになったことはご存じの通りだ。
それが最近、「LINEいじめ」などの、ネガティブな面がクローズアップされる様になってきた。
顕著な例としてあげられるのが「LINEの返事が遅い」という理由で、友達から仲間はずれにされる、と言う「いじめ」だ。

しかし考えて見れば、「四六時中誰かと繋がっている生活」と言うのは、しんどい。
自分1人になる時間も大切だし、LINEとつながる必要のない家族と過ごす時間も楽しいはずだ。
その時間を犠牲(!)にしてまで、LINEでつながる必要があるのだろうか?
もう一つが、SNSと言うつながりだ。
これは、様々なトコロで問題視されているが、一旦個人の情報が拡散されるとネット上に永久にその足跡が残ってしまう。

LINEは、現実に顔を合わせている知人かも知れないが、果たして「友人・仲間」なのだろうか?
少なくとも「仲間」というのは、自分の都合を押しつけ、気に入った反応が無ければ機嫌を悪くし仲間はずれの様なコトをする、と言う関係ではないと思う。
まして、SNSでつながっている相手(=フォロワー)というのは、「仲間」とか「友人」と言い切れないのでは?
「フォロワーが多い=友人が多い」という訳ではないはずだ。
見も知らぬ相手がフォロワーとしているコトは「(ネット上の)人気者」というコトは言えるかも知れないが、それが現実の人間関係に及ぼす影響というのは、どれほどあるのだろう?
むしろネットの強みというのは「拡散性」であって、個人同士のつながりではないと思う。

そう考えると、LINEやSNSを「使いこなせていない」と言われる「マイルド・ヤンキー」は、「使いこなす必要がない」のかも知れない。
それだけではなく、「マイルド・ヤンキー」と呼ばれる若者達のほうが、遙かに現実の世界で友人たちと楽しく過ごしているのではないだろうか?

決して「マイルド・ヤンキー」を褒めている訳ではない。
ただLINEやSNSを使いこなしている若者達のほうが、LINEやSNSに縛られ「奴隷」となってしまっているのでは?
もう一つ指摘をさせてもらうなら、「プライバシーの保護・個人情報の管理」など厳し規制がされる一方で、LINEやSNSを利用するコトで、自ら個人情報を開示し、それを勝手に利用されている、と言う現実も理解する必要があると思う。


一体何を競わせたかったのだろう?AKBのペナントレース

2014-09-24 06:58:17 | トレンド

Yahoo!のトピックスに、AKB48のペナントレースを運営会社が中止した、と言うニュースがピックアップされていた。
Yahoo!トピックス(オリコン):AKB、ペナントレース中止で謝罪「解決の見通し立たず」

AKBとその姉妹グループで、この様なイベント?を開催していたのは知らなかったが、このニュースの記事を読んだとき「一体誰を競わせているのだろう?」と、疑問に思ったのだった。

普通「ペナントレース」というと、プロ野球などのスポーツの開催シーズンの勝敗順位を思い浮かべる。
AKB48とその姉妹グループのファン以外の方の多くは、おそらく同じなのではないだろうか?
「ペナントレース」そのものは、勝敗順位を決める=各チームを競わせ、話題を作り盛り上げる、と言うのが目的だと思う。
そこには、参加している(?)スポーツチームを競わせるだけで、チームのファンはその結果に「一喜一憂」するだけだ。
チームを競わせるだけではなく、チーム内の選手同士を競わせると言うこともあるかも知れない。
だが、チームのファンはやはり参加している訳ではない。

ところが、予定されていたAKBのペナントレースは一見グループごとに、(何を競わせるのかはわからないが)ファンを巻き込んで競わせると言う趣旨のようだ(と言っても、イベントが中止になったので、過去の話だが)。
考えて見れば、AKB48とその姉妹グループのイベントというのは、グループのメンバー同士を競わせている様に見えて、その実ファンを巻き込み、ファンを競わせているのではないだろうか?
「ファンとしてAKBとその姉妹グループに、『応援」というカタチでお金と労力と時間を使い、競わせている」というのでは?と言う気がしたのだ。

考えて見れば、「AKB商法」はこれまでとは違う方法で、AKBとその姉妹グループを育てていた。
元々は「おにゃんこクラブ」が基だと思うのだが、AKBとその姉妹グループの場合ファンを競わせるコトで、話題を作ってきたのではないだろうか?
同様の方法で、アイドルグループが全国各地に誕生したが、AKBはデビューした時NTTのコマーシャルなどに登場し、話題作りを積極的に行っている。
もちろん、秋葉にあるAKB劇場(だったと思う)があり、そこで地味に活動をしていたコトも知っている。
だが、全国的にメジャーになった切っ掛けは、秋元さんとNTTが一緒になってコマーシャルというカタチで、メディアに登場したコトで、認知度が上がったはずだ。
その意味で、AKBを真似た「アイドルグループ作り」とは、全く違うように思う。

何となくだが、今回中止になった「ペナントレース」のイベントのニュースを読んで、「ペナントレース」と言ってもAKBのペナントレースは、メンバーやチームを競わせるのが目的のように装った、ファンを競わせるイベントの様な気がし、それがAKBとその姉妹グループの話題作りの基本の様な気がする。
「アイドルをファンが応援する」と言うのは、以前からあった。
そしてファン同士が、競い合う様なコトもあったと思う。
ただ大きく違うのは、以前は自然発生的な競い合いだったのに対して、AKBとその姉妹グループは「仕掛け」である、といことだ。
個人的な感覚として、「AKB商法」の「仕掛けのずるさ」というものを感じたのだった。


「創薬」と患者

2014-09-22 21:18:04 | 徒然

先日「iPS細胞を活用した、創薬」について、各新聞に掲載されていた。
この記事を読んだとき思い浮かんだことが、「治験」についてだった。
多くの人にとって「治験」と言うのは、「実験材料になる」というイメージがあると思う。
その理由は「まだ安全性が確認出来ていない薬を使う」という、リスクがあるからだ。
「安全性」だけではなく「効果」という点でも、不確定な薬を使うコトへのある種の抵抗感があるのは、当然かも知れない。

反面、がんなどの病気を経験した患者さんにとって「治験」というのは、「命を繋ぐチャンス」だと捉えるケースも少なくない。
と言うのも、抗がん剤による治療には「耐性」といって、ある時期からそれまで使ってきた抗がん剤の効果が薄れる、と言うことが起きるからだ。
すべての患者さんに「耐性」が起きるわけでは無いが、患者さんの中には「耐性が起きる不安」を抱えて治療をしている方も少なく無い。
「耐性」が起きた患者さんにとって、「治験」というのは新しい治療薬を試すコトができる大きなチャンスとなるのだ。

そして、私の様に早期の患者であっても「治験参加」に抵抗感が無いケースがある。
実際、私の様な早期の患者では「参加できる治験」そのものが無く、主治医に話しをしても「該当する治験は無いから」で、終わってしまう。
それが判っていても何故「治験参加」と言うことを話すのか?というと、おそらく「自分の経験を社会に活かしたい」という気持ちがあるからだと思う。
これは私だけなのかも知れないのだが、私の周囲のがん治療体験をしてきた方の中でも「がんと向き合い、受け入れルことができた患者」さんの多くが、「治験に抵抗感がない」という傾向がある様に思う。
話を聞くとやはり「自分ががんという病気になった意味や治療の経験を社会に還元したい」という、ある種の「自己実現」的な気持ちがあるのだ。マーケティングなどで言われる「マズローの欲求の5段階」の中の「自己実現」の欲求に近いかも知れない。

そんな患者にとって、実際の「治験」に参加出来なくても、「自分のiPS細胞」を使って「創薬研究のためになる」となれば、参加される患者さんも多いと思う。
何故なら、今のがん治療は「遺伝子タイプ別の治療」が主流になってきており、「遺伝子タイプを知る」為には多くのサンプルが必要となるからだ。
実際の患者から得られた「遺伝子サンプル」を基に、創薬研究が進めば「治験」に進むときには今よりも患者リスクの少ない治験が行われる可能性が高くなる。
「リスクの少ない治験」の実施は、新薬の承認のスピードアップにもつながる。

この様な傾向は、「がん」と言う病気だけに限らないだろう。
むしろ「難病」と言われる病気の創薬には、大きな力になると思う。
拙ブログに医療者の方が来て下さるとは余り思えないが、「治験」に対して積極的な患者も多くいて、早い段階で患者と一緒になって創薬を作る体制作りが、重要なのでは?と言う気がしている。


新たな「地方交付税」の新設ではなく・・・

2014-09-21 19:47:03 | ビジネス

すったもんだの末(?)石破さんがになった、「地方創成担当」大臣。
一部では「花形」か?「座敷牢」か?と言われている様だが、石破さんの選挙区の状況を考えれば、適任だと思っている。
石破さんの選挙区は、鳥取1区。
日本が今直面している「(超)高齢化社会」を体現している様な選挙区だとも言える。
私の実家がある米子市は、鳥取2区になるのだが、鳥取1区にしても2区にしても置かれている社会状況は変わらない。
言い換えれば、石破さんは自分の選挙区と隣の選挙区+島根県をくまなく歩くコトで、今の日本が直面している「高齢化社会の実態」を知るコトができるのだ。
もしかしたら、霞ヶ関で机の上であれこれ考えている官僚の皆さんよりも、優れたアイディアの素を自分の選挙区の人達からもらえる可能性が高いかも知れないのだ。

もう一つ言うなら、実は鳥取県もお隣島根県も、女性の出産率は決して低い訳ではない。
「高齢化社会」とセットのようにして言われる「少子化問題」は実は別々の問題で、「セットにして考える」必要があるのは、実は地方ではなく都市部の問題だと言われている。

そのように「地方創成」と言う役にピッタリな石破さんが、「自由裁量度の高い地方交付金の新設」というコトをおっしゃっているようだ。
日経新聞:石破地方創成相、地方自治体向け新交付金を検討

確かに、今の地方自治体は税収が上がらず「交付金頼み」という部分はある。
しかし、交付金が増えたからと言って地方が再生する訳では無いと思う。
むしろ今の交付金のあり方を見直して、地方の状況に応じた使いやすい交付金にした方が、ズッと良いのではないだろうか?
例えば「産業振興のための交付金」と言っても、それぞれの自治体の考える「産業振興策」は違っているはずだ。
高度成長期のような「工場誘致」が、産業振興策ではない。
鳥取のような地方では、むしろ地場産業である第一次産業から発展した新しい産業のほうが向いているだろう。
そこには、第一次産業から出た廃棄物を利用した、「エネルギー産業」という発想があっても面白いだろう。
同じ「エネルギー産業」と言っても、都市部であれば利用するモノは違ってくるだろう。
一部で注目されている「CO2を利用した人工光合成施設」などは、「火力発電所併設が有効」と言われており、既に火力発電所があるトコロでしか作れない施設だからだ。
産経BIZ:パナソニックやトヨタグループ 化石燃料節約へ「人工光合成」の実用化目指す

地方それぞれが、自分たちの地域資源を活かした「産業振興」をする為には、国があれこれ口を出すのではなく今の「交付金」の使い道をもっと自由にするだけで随分変わってくると思うのだ。
ただし、地方自治に携わる議員さんや行政職員は、今までとは全く違う働き方が必要にはなるのだが。


「成長」から「成熟」・・・ソニーの最終決算見通しから考えるコト

2014-09-19 21:06:38 | マーケティング

ソニーが上場以来初めて「無配当」というニュースが、一昨日あった。
当然のコトながら、今期の最終見通しは大幅な赤字になるという。
「日本の家電メーカーの苦戦」と言うのは今に始まったコトではないが、随分苦戦していると感じるニュースだった。
日経新聞:ソニー、上場来初の無配に スマホ減損で今期左右赤字2300億円

ソニーが元気だった頃、ソニーそのものは何を売っていたのだろう?と、フッと考えた。
「世界の若者の生活スタイルを変えた」と言われる、「ウォークマン」。
今から30数年前に登場した「ウォークマン」は、その後の「iPod」を生み出すことになる。
「iPod」はAppleの製品だが、「音楽を持ち運ぶ。好きな場所で好きな音楽を好きな時間にひとりで楽しむ」という、スタイルを創ったのは、「iPod」ではなく「ウォークマン」だった。
その後もソニーが創ってきたのは、「製品=モノ」ではなく「スタイル=コト」だったのではないだろうか?

「スタイル=コト」が日本の市場で注目されはじめたのは、おそらく1970年代~1980年代だったと思う。
丁度「ウォークマン」が登場した頃だ。
「ウォークマン」が登場した背景には、「日本の(家電)市場は、旧来の様な商品に関しては成長してしまった。商品ではなく、生活スタイルなどの「コト」を製品づくりに反映させる必要がある」と言う考えがあった様におもうのだ。
ソニーの新人研修では「タウンウォッチング」があり、「街を行き交う人達の姿から何かを見つける」と研修があると言われてきた。
その様な研修が必要だったと言うことは、日本の市場は1980年代頃には既に「成長」ではなく「成熟」という状況になり始めていて、ソニー自身が感じ始めてたからではないだろうか?

1990年代後半に入り全く新しい「モノ」として、インターネットが登場し、携帯電話とインターネットを融合させた「スマートフォン」した
インターネットの登場と普及は、日本の家電メーカーにとって「青天の霹靂」的ショッキングなコトだったと思う。
なぜなら、これまで「モノ」を提供してきたメーカーは、自由気ままな生活者の「コト」作りをする必要がでてきたからだ。
生活者というのは、実に「気ままでわがまま」な存在でもある。
その生活者の自由気ままな発言が、インターネットなどを通じて瞬時に広く共有される様になってきたからだ。
メーカー側が「コト」を作る時代から、生活者が「コト」を作る時代へと変わったのだ。
それに拍車を掛けたのが、「スマートフォン」の登場だったように思う。

そう考えると、今はソニーが元気だった頃の「メーカーが創るコト」時代から、「生活者が創るコト」時代になってきているのではないだろうか?
「メーカーが創るコト時代」を、「第一次成熟期社会」と考えるなら、今は「第二次・第三次成熟期社会」なのだと思う。
ソニーの経営不振の要因となった、スマートフォンの市場での主導権はソニーではなく、通信会社でもなく、生活者だと思う。
「生活者が喜ぶ」のではなく、「生活者が自由になる」そんな発想が必要なのでは?
それが「今の生活者の思考」という気がするのだ。


NHKは、一体どうする?-民放連、見逃し番組のネット無料視聴-

2014-09-18 19:49:05 | アラカルト

Yahooのトピックスでも取り上げられていた「民放連、見逃し番組のネット無料視聴」。
朝日デジタル:<速報>民放連、見逃し番組のネット無料視聴実験へ

配信された記事内容はとてもあっさり(?)しているが、視点を変えると随分冒険的な試みなのでは?と言う気がする。

今までネット配信の「見逃し番組視聴」というと、NHKの「オンデマンド放送」くらいしかなかった。
民放が「見逃し番組視聴」をしてこなかったのには、民放ならではの問題があったからではないだろうか?
すなわち「CM」だ。

私の様に「CM観賞が趣味」という人なら、CMそのものを楽しむことができる。
ただ残念なことに(?)、世間の多くの人は「CMは邪魔」だと思っている。
「邪魔」でなければ「トイレ休憩タイム」かも知れない。
「テレビCM」というだけで、邪魔モノ扱いされているのが現状だと思う。
その「テレビCM」は地上波では当たり前だが、BSになると「CM」そのもの放送がない(はずだと思う)。
その為だろうか?地上波で放送された番組の再放送が目に付く様な気がする。
BSオリジナルの番組というのは、本当に数少ないのではないだろうか?
民放局に関して言うなら、「テレビCM」を放送するコトで多くの収益を上げているのだから、当然と言えば当然だろう。
それをネット放送にまで拡大する、となるとBS以上にスポンサー企業の理解を得るか、スポンサー企業を意識した番組作りをせざる得ないのでは?と言う気がする。

おそらく民放連としては、現在の「youtbue」のような形式で、CMを流すのでは?と考えている。
「youtube」の様な形式であれば、番組と関連する企業がCMを流しやすいだろうし、企業側も番組そのものを選びやすいと思う。
その意味で民放連側とすれば、「youtbue」というビジネスモデルが既にあるので、スポンサーへの理解も得られやすいだろう。
何より、これまでCMとは縁がなかった小さな企業や団体が、積極的にネット広告をしだす可能性もある。

それに対して、NHKの場合「みなさまからの受信料」で番組制作がされている。
ただ一度放送した番組を「オンデマンド」で有料視聴させるのは、如何なもの?と言う疑問はある。
何故なら地上波で放送した番組の制作費は、既に「受信料」というカタチで一度支払われているからだ。
一度制作された番組を「オンデマンド有料送信」というのは、「受信料の二重取り」という気がしない訳ではない。

民放蓮のこの様な動きに対して、果たしてNHKはどうするのだろう?
「オンデマンド放送の有料」という部分だけではなく、今年に入ってから盛んに言い始めた「ネットを通しての放送からも受信料を徴収する」ということにも関係してくるはずだ。
地上波テレビの様に「テレビ受像機がある=NHKを視聴している」という、発想はネットでは通用しない。
何故なら、PCそのものの普及や使われ方が、テレビとは全く違うからだ。
果たしてNHKは、民放蓮の「見逃し番組無料視聴」に対して、どのような対抗策をとるのだろうか?
「みなさまのNHK」だけでは、通用しないと思うのだが・・・。


テレビの視聴スタイルが変わってきた?!

2014-09-16 19:55:59 | ライフスタイル

今朝、FM番組を聴いていたら「エミー賞」などに関する話があった。
ご存じの方も多いと思うのだが「エミー賞」というのは、アメリカの優れたテレビ番組に贈られる賞。
「アカデミー賞」のテレビ版、と考えてもよいと思う。

その「エミー賞」の中でも、最近は「ドラマ部門」に注目が集まっていると言う。
テレビがあった頃から、海外ドラマそのものをほとんど見たことがないので、アメリカにおけるテレビドラマ事情というのは、わからない。
ただ、FMを聞いて「なるほどな~」と、思うトコロがあった。

それは「テレビドラマでも、テレビだけで放送をしない」という点だ。
NHKなどでも「オンデマンド」に興味を持っているようで、「PC視聴者からも受信料を徴収する」という話は、以前から出ている。
現在でもNHKの「オンデマンド」は、有料なので「何を言っているの?」という気がしないでもないのだが、米国の場合「ネットで、まとめて放送」というのが、人気の視聴スタイルだという。
「毎回放送時間に合わせて視聴する」というのではなく、「放送回数分まとめてネットで視聴」という視聴スタイルが一般的(?)になってから、ヒットドラマがいくつも登場する様になった、と言う。

「まとめてネットで視聴」するとなると、放送回数が多いと言うのはそれだけ視聴時間が長くなるので、人気ドラマにはなりにくい。
その為制作側がとった方法は、同じ制作費で放送回数を減らす。代わりに質の高いドラマを作る。という方針へと転換しているという。
アメリカの場合、ドラマの放送回数そのものが日本より多く、多くのドラマが半年~1年位のようだ。
30回前後の放送回数のドラマを毎回テレビの前で視聴する、と言うのは、なかなか大変だと思う。
ただ日本の場合、3ヶ月で11回前後の放送回数なので、これ以上放送回数を減らすと言う訳にはいかないだろうが、「放送回数を減らして、質の高いドラマを制作する」というのは、視聴者側にとっては歓迎すべきことかも知れない。

もう一つは「SNSなどとの連携」だ。
ドラマの進行に合わせて、複数のシナリオを用意しSNSユーザーの声を反映しながらシナリオを差し換え、ドラマを作りあげていく、と言う手法をとる様になってきていると言う。
特に「サスペンスもの」などはその様な傾向が出てきており、SNSとテレビとを連携させるコトで視聴者を引きつけている、と言うコトのようだ。

これはアメリカのドラマ制作のお話なのだが、案外日本でもこの様なSNSなどと連携をしてドラマ制作をする様になるかも知れない。
そのメリット(?)は、なんと言っても「ドラマ制作に視聴者が関わる」という、視聴者側の満足感が高いと言う点だろう。
生活者からすれば、ネットであってもテレビであっても「映像を見る」という点では、使うツールが違うだけで目的は同じだとすれば、この様なネットを意識したドラマ作りが登場するのは当然かも知れない。

「スマートテレビで、ネットとテレビを楽しむ」と言うことは、随分前から日本でも言われている様に思うが、イマイチ現実感がないのは、テレビを制作する側にもネットを運営する側にも、制作をすると言う点で協力し合うと言う発想がないからかも知れない。
テレビドラマを見ていて「主役の女優さんが着ている服が素敵だから購入したい」と言う発想の「スマートテレビ」では、テレビドラマもテレビそのものも「そこそこ」で終わってしまう様な気がする。