日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

不採算事業を切り捨てるだけで良いのだろうか?-パナソニックの事業売却ー

2019-11-29 19:53:40 | ビジネス

昨日、パナソニックが「半導体事業の撤退と売却」を発表した。
NHKNEWS WEB:パナソニック半導体事業から撤退・売却へ

ご存じの方も多いと思うのだが、パナソニックは半導体事業撤退の発表の前に、液晶パネル事業からの撤退も発表している。
ITmedia:パナソニック、液晶パネル事業から撤退 2021年めどに生産終了

相次ぐ事業の撤退の理由は「不採算事業」からの撤退による、利益の確保だ。
企業として、その判断は間違いではないと思う。
思うのだが、それでよいのだろうか?という、疑問もある。
特に半導体事業に関しては、基礎研究となる部分だけでも残す必要があるのでは?と、思っている。
というのも、2年ほど前に、某大学の公開講座で「半導体」についての話を聞くことがあった。
「半導体」の話と言っても、どちらかというと「半導体を取り巻くビジネス環境」という、ニュアンスの講座だった。

その時の話では、半導体ビジネスそのものが大きく変わりつつある、という話があった。
半導体というと、すぐに思い浮かぶのは「Intel社製」だと思う。
多くのPCに使われている半導体は、「Intel社製」だという印象を持っている方も、少なくないと思う。
マイナビニュース:2019年半導体企業ランキング、Intelが首位に返り咲き-成長率トップはソニー

そのIntelを脅かそうとしている企業のいくつかは、GoogleやAppleと言ったIT関連企業ではあるが、半導体とは違う分野の企業である、という話だったのだ。
逆に言えば「半導体」というPCの部品という見方ではなく、AIをより快適に使う為のツールとして「半導体」をとらえている、ということにもなる、という趣旨の話だったのだ。

世界を席巻する「GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)」のうち、GoogleとAppleが既に半導体事業に乗り出している(もしくは乗り出そうとしている)と言われている。
おそらくAmazonなども、IOTを進める為にも半導体事業に興味があるのでは?と、想像している。
これらの企業に共通していることは、「半導体」という物質としての事業ではなく「半導体を使った生活の変革」という視点のような気がするのだ。

とすれば不採算事業だから、と言って撤退・売却をしてしまってよいのか?という、疑問なのだ。
パナソニックがこれから先目指す事業の中にIOTに関連する事業は無いのだろうか?
既に白物家電とIOT化ということが言われるようになってきているのに、IOTを起動させる為の根幹ともいえる「半導体」から撤退することで、事業全体に及ぼす影響はないのだろうか?
などという、疑問があるのだ。
とすれば、現在の生産部門の撤退・売却とし、基礎研究となる部分だけでも残すか産学協同のようなカタチで継続することが、将来的なパナソニックの事業資源となっていくのでは?という、気がするのだ。

不採算部門からの撤退・売却というのは、経営面で見れば十分意味のある決断だと思う。
だが、そこに将来の生活者の姿を見据えたビジョンが無ければ、単なる「赤字改善策」で終わってしまうと思うのだ。




VRでおいしくなるのかな?牛乳。

2019-11-28 19:45:05 | アラカルト

huffpostに「う~~~ん」と考えてしまう記事があった。
huffpost:牛もVRを装着する時代に?「夏の牧草地」の疑似体験で牛乳生産が増加する実験始まる

実験をしているのはロシアなので、今すぐ日本の牧畜産業がVRを乳牛に着けさせ、牛乳を生産するというわけではない。
ただ、この写真を見た時「そこまでする?!」という疑問がわいた。
このような実験をしている背景には、単に数量的増産だけではなく「美味しい牛乳」を増産したい、という思惑があるからだろう。
このVRシステムで、乳牛のストレスが軽減され、良質の搾乳ができるというのであれば、それは素晴らしいことかもしれない。
素晴らしいとは思うのだが、「乳牛にとって、良いことなの?」という疑問がやはり出てきてしまうのだ。

随分前、明治が「(牛の)ご機嫌を取るのも、仕事です」というコピーと共に、乳牛の世話をする社員の姿の広告があった。
この広告の20年ほど前に、日本でのマーケティングという概念を広めた慶應義塾大学商学部教授だった故村田昭二先生のエッセーに「美味しい牛乳」についての話があった。
おそらく、明治の広告が新聞に掲載された時拙ブログでエントリさせていただいたはずだ(随分前過ぎて、探し切れなかった)。

村田先生のエッセイには「美味しいと評判の牛乳を生産されている牧畜農家さんの話」として、「牛が元気で機嫌が良い環境をつくることが、美味しい牛乳をつくることになる」という趣旨の内容だった。
村田先生が感激したのは、「牛に与える飼料のうち、〇〇が××%、△△が××%」という、ハウツーのようなことではなく、「牛が気持ちよく過ごす環境をつくることが、美味しい牛乳をつくる」という、生産者の乳牛への思いやりとその牛乳を飲む人たちに「美味しい牛乳を届けたい」という気持ちに感激した、と書いてあった。
とすれば、ストレス軽減の効果があったという点では「美味しい牛乳」をつくる要素はクリアしているように思う。
思うのだが、やはりVRを装着させられた牛は、どんな気持ちなのだろう?と、想像してしまうのだ。

それだけではなく、時折目にする「放牧育ちの牛乳」の美味しさは、夏と冬とでは味が違い、その違いを楽しむ生活者がいる、という点だ。
このような繊細な味覚を楽しむことができるのは日本くらいなもので、VRの実験をしているロシアでは、求められないようなことなのかもしれない。
ただ、人工的につくられた環境の中で作られる食品は、本来の「美味しさ」をつくる要素が欠けてしまうのでは?
放牧された乳牛からつくられる牛乳の味は、年間を通して均一ではないかもしれない。
その均一ではない「美味しさ」の中に、乳牛の持つ力を頂いているような気がするのだが・・・。


身近になりつつある「ジビエ」

2019-11-26 20:18:36 | トレンド

今日、所用があり繁華街まで出かけてきた。
途中、ロッテリアの前を通った時「え!」と思う新発売のメニューがあった。
「鹿肉バーガー」だ。
ロッテリアプレスリリース:農林水産省制定「国産ジビエ認証」制度基準をクリアした施設で適切に処理した鹿肉バーガー「ジビエ鹿肉バーガー(ラグーソース)」

プレスリリースを読むと、ロッテリアが「鹿肉バーガー」を発売するのは、今回が初めてではないようだ。
北海道の「エゾジカ」を使った「鹿肉バーガー」や、大分・鹿児島の鹿肉を使った「鹿肉バーガー」など、過去の実績から今回の「ジビエ鹿肉バーガー」へと繋がったようだ。

ご存じの方も多いと思うのだが、猪をはじめ鹿などが人の生活圏に出没するようになり、「獣害」と呼ばれる害が増えている。
しかし日本では「野生の肉=ジビエ」を食べる習慣がないこともあり、獣害の駆除がさほど進んでいない、という状態が続いている。
他にも、ロッテリアのプレスリリースのタイトルにある「国産ジビエ認証制度」という制度基準をクリアできる産地も多くはなかった、という記憶がある。
それがロッテリアという、全国規模のファーストフード店で取り扱うという。
ジビエの取扱制度そのものが、全国規模で整っていない(ように思われる)「ジビエ」を全国規模で展開をするということに、驚いたのだった。
と同時に「ジビエ(野生肉)」そのものが、遠い存在ではなくなってきた、と実感もした。

2カ月ほど前、北海道の知人を通して「エゾジカ肉のキーマカレー(レトルト)」を、頂いた。
ジビエ料理が好きな友人と一緒に、試食会を開いたのだが(友人宅で友人夫妻と私の3人という超小規模試食会だった)、「エゾジカ肉」と言われなければ、脂身の無いとても食べやすい牛肉と豚肉の中間のような、美味しさがあった。
ジビエの特徴として「高たんぱく、低脂肪」と言われていることを、実感したのだった。

今回、ロッテリアが期間限定・販売店舗限定とはいえ、全国で展開できるようになったのは、ジビエに対してのイメージが変わってきている、ということなのかもしれない。
そして、ファーストフード店であるロッテリアがジビエバーガーを販売するようになったことが、全国で「獣害対策に悩む地域」にとっても、朗報かもしれない。

というのも、ジビエを販売するためには「農林水産省制定『国産ジビエ認証』制度基準をクリアした施設で処理をしなくてはならないからだ。
現在、「ジビエでまちおこし」を考えている地域があったとしても、この制度基準をクリアできる施設を造ることに二の足を踏んでいるのでは?という気がしているからだ。
施設を造るとなると、それなりの採算利益を考えなくてはならない。
しかも「野生肉」となる鹿や猪などは、年間を通して狩猟できるものではない。
狩猟シーズンは決まっており、毎年同じだけの狩猟数があるとは限らないからだ。
牧畜のような、安定的な生産が見込めないのに、施設を造ることは地域にとって大きなリスクでもあるのだ。

そう考えると、ロッテリアの「鹿肉バーガー」は「ジビエ」という野生肉を身近にしただけではなく、生産者側にとっても「ジビエ」を身近にしようとしているのかもしれない。




政府方針に振り回される「基礎研究」

2019-11-25 12:19:20 | 徒然

先日、iPS細胞の研究をされている京大の山中教授が、日本記者クラブで「政府からの支援の打ち切り」の記者会見を行った。
huffpost:京大のiPS細胞備蓄事業、国が年10億円の支援打ち切りか

確かに、年間10億円という金額は少ない金額ではない。
しかし、これまで官製事業として行ってきた事業の多くは、年間10億円以上の赤字を計上し続け、破綻したケースなどは数々ある。
最近話題になった「クールジャパン機構」の累積赤字などは、これまで国がiPS細胞の為に支援してきた90億円を遥かに上回る、179億円と言われている。
BusinessJournal:クールジャパン機構、累積赤字179億円、成果乏しく存在意義薄く…米国企業にも投資

これほどの赤字を抱えているにもかかわらず、クールジャパン機構への投資はまだまだ続いているようなのだ。
クールジャパン機構が官民組織だからと言って、国から支援を受けていない訳ではない。
むしろ、民間よりも国が支援している額のほうが、多いのでは?と、感じている生活者も多いのではないだろうか?

iPS細胞への支援とクールジャパン機構が米国企業などを含む様々な事業に投資することと、天秤にかけるのはおかしいかもしれないが、やはり「iPS細胞への支援に比重を置くのが、当然なのでは?」と、感じる生活者のほうが多いのではないだろうか?
何故なら、クールジャパン機構が行っている事業そのものが、生活者にとって分かりにくいだけではなく、私たちの生活や暮らしに影響を与える要素が無いからだ。
それに比べ、iPS細胞の研究は「再生医療」という分野だけではなく、「創薬」などへの期待も大きい研究だ。
3年ほど前だろうか?「加齢黄斑変性」の患者さんに、iPS細胞によってつくられた網膜色素の移植が行われ、その後も大阪大学医学部では今年、iPS細胞から作製した角膜移植を実施し、「夢の細胞移植」から「現実的な細胞移植」へと変わろうとしている。

そしてiPS細胞に代表される「再生医療技術」は、世界中でしのぎを削るような「基礎研究」であり「応用研究」でもある。
正に「生き馬の目を抜く」ような、熾烈な研究競争が繰り広げられている、と言っても過言ではないだろう。
そのような中で、山中先生の「iPS細胞」は抜きんでている研究であり、日本の医科大学を中心に連携をしながら「実用化」に向けての研究が進められている、という状況なのだ。
何より重要なことは「iPS細胞による再生医療や創薬」についての世界的標準(=世界のスタンダードとなる特許などを取得)を獲得することによって、もたらされる利益(あまりお金のことは言いたくはないが、この点が今後の研究で一番重要視される点でもある)は、莫大なものになる。
それは、協力をした製薬会社よりも国にもたらされる利益が多い、ということにもなるはずだ。

それを目先のことばかりを追って、「戦略的な事業」としての「再生医療とiPS細胞」という視点がないのが、とても残念で仕方ない。



新しい「音楽ライブ」の楽しみ方になるのか? ライブ配信ビジネス

2019-11-24 09:00:42 | ビジネス

ほぼ毎日チェックをするhuffpostに「いろいろな考え方があるモノだな~」という記事があった。
huffpost:コールドプレイ、”環境配慮”で世界ツアーの代わりにyoutube生配信。「一番の問題は飛行機だ」

確かに、飛行機の移動というのはジェット燃料などを大量に必要とする「移動手段」だ。
コールドプレイは、イギリスで結成されたバンドなので、欧州での移動は列車を使うということができるだろう。
問題は、全米ツアーや日本を含むアジアツアーだろう。
これらの地域でライブをするためには、飛行機での移動は欠かせない。
コールドプレイだけではなく多くのロックバンドの場合、メンバーだけではなくその機材やコンサートスタッフなど、大がかりな移動が必要となるはずだ。
当然、飛行機を利用しなくては移動できないはずだ。
だからと言って「飛行機での移動=環境問題」と捉えるのは、どうなのだろう?と、疑問に感じてしまったのだ。
どことなく、極端すぎる発想のような気がしないでもない。

ただ、10代の気候変動活動家・グレタ・トゥーンベリさんのように海を渡る移動に、ヨットを使うことで「飛行機が自然環境に与える影響力」を具体的に示す人達いる。
BBC:環境活動家の16歳少女、ヨットでニューヨークに到着
環境問題に真剣になればなるほど「飛行機の利用」を減らす必要がある、という考えになるということだろう。
とすれば、日本での音楽ビジネスは?という気がするのだ。

確かに、2000年ごろから来日するミュージシャンが減りつつあるような気がしている。
あくまでも「気がしている」だけのことなのだが、実際洋楽をFMラジオなどでも聞く機会が減り、代わりにJ-POPが中心になってきている、と感じている。
とはいっても、日本の音楽市場は、アジアでも最大でありミュージシャン側としては、魅力のある市場だと思う。
日本での公演となれば、当然飛行機を使った移動が必要になる。
「日本の市場」という音楽ビジネスチャンスを棄ててでも、環境優先という考えということだろうか?

1990年代にはなかったyoutubeの登場により、手軽にある程度のライブ映像を見ることは簡単にはなったが、ライブの醍醐味は「Live映像を見る」ということではないと思う。
その会場で感じる、ミュージシャンとの一体感であったりするのではないだろうか?
もし、「ライブ映像を配信する」というのであれば、先日の「ラグビーW杯」での「パブリックビューイング」のような形態になるのではないだろうか?

そしてそのようなシステムが、既に日本でできている。
JOYSOUND:みるハコ

カラオケの配信企業としておなじみのJOYSOUNDが、新規事業として提案をしている「カラオケルームで見るライブ配信システム」だ。
もしかしたら、この「みるハコ」の登場で、行きたくてもチケットが取れないとか遠くて行けない音楽ファンにとって、「同じ音楽ファンが集まり一緒にライブ配信映像を見ながら盛り上がる」という方法は、新しいライブの楽しみ方になるのかもしれない。
少なくとも、コールドプレイが提案しているyoutubeでのライブ配信よりも「盛り上がる」のでは?と、思っている。




忙しさと生産性の相関関係

2019-11-22 14:06:06 | 徒然

一昨日のエントリ通り、実家のある米子から大阪までの区間を高速バスを利用し、名古屋へ帰ってきた。
途中上月パーキングで、休憩となるのだが買い物そのものは、したことが無かった。
今回、車中でお腹が空いていたこともあり、おやつを買ったのだが、その時レジ対応をしてくれた青年を見て、フッと思ったことがあった。

今まで、レジ対応をしていた方は中高年のハキハキした女性だったのだが、今回はまだ30代と思しき青年だった。
その青年の動きが、ややゆっくりなのだ。
おつりの計算にしても、おつりの金額の確認やおつりを渡してくれる時など、「あれ?」と感じるほど、ゆっくりだったのだ。
あくまでも想像なのだが、この青年は「社会的生き辛さ=何らかの社会的ハンディ」を持っているのかな?という、気がしたのだ。
このレジ対応をしてくれた青年は、おつりを間違えることなく穏やかな笑顔で終始対応をしてくれた。
これまでのレジ対応をしてくれていた女性よりも、少し時間がかかるだけなのだ。
時間がかかると言っても、おそらく1分も違うわけではない。
そして、「私たちは、何をそんなに急いでいるのだろう?」と感じたのだ。

今の社会はスピード勝負のような価値観がある。
そのような社会の中では、この青年のようなゆっくりさは否定的にとらえられることになる。
その結果として、社会から弾き飛ばされる人たちが、増えているような気がするのだ。
確かに「時は金なり」と言う言葉がある通り、ぐずぐずしていてはチャンスを逃すことになる。

だが、その結果社会全体がギスギスしてはいないだろうか?
余裕がない為、自分と意見や考えが違う人を、受け入れられなくなってはいないだろうか?
口癖のように「忙しい」という言葉を使うことで、仕事に対する生産性ではない「仕事をしていますアピール」をしてはいないだろうか?
その「仕事をしていますアピール」が、社会的ハンディのある人を排除しているのでは?という、気がしたのだ。

しかし日本人の生産性は、OECD諸国の中でも決して高いわけではない。
日本生産性本部:労働生産性の国際比較(2017年)
製造業で15位、日本全体では20位と参加31各国の中でも中位からやや下、というのが日本の労働生産性なのだ。
であれば、何故「忙しいのか?」ということになる。

一つは、長時間労働を強いる労働環境ということになるだろう。
結果として、1時間当たりの労働賃金の安さということも、含まれているだろう。
日本の企業には、どこか「労働時間が長い=仕事をしている」という暗黙の了解のようなモノがある。
そのような指摘は、過去様々なところでされてきているが、それが改善されていないどころか改悪されているのでは?と、昨今のパワハラを要因とした自殺者のニュースを見ると感じるのだ。

本来であれば「効率よく仕事をする」ということは、企業にとっても働く側にとってもメリットがあるのに、何故できないのか?
しばらく前に読んだ、大阪大学大学院医学系研究科の教授をされている仲野徹さんの著書「(なるべく)病気をしない暮らし方」に、「生産性を上げるべし」という章があり、大阪大学で一番成果を上げている教授は、17:20に大学を出るバスに乗車している、ということが書かれていた。
実際、仲野さんは「生産性を上げるべく、ポモドーロ・テクニック」という時間管理法を導入し、毎日定時とはいかないまでも早々に仕事を切り上げ、成果を出している、と書かれている。
仕事にかける時間ではなく、仕事を効率よくすることに集中することで、生産性を上げ「忙しい」から解放される、ということなのだ。
当然、時間に余裕ができれば人に対する見方も変わってくるだろう。

今のようなギスギスした時間の過ごし方は、人の心も持てる能力も疲弊させるばかりで、プラスは無いのでは?と、上月パーキングの青年は、教えてくれたような気がしたのだ。


地方に起こりつつあること

2019-11-20 21:33:42 | アラカルト

週末から今日まで、実家に帰省していた。
台風12号直撃で、お盆のお墓参りができなかったことと、父と久しぶりに大山の紅葉を見に行こう・・・と思っての帰省だった。
残念ながら、大山の紅葉を見に出かけることはできずだったが、墓参りだけは何とか行くことができた。

お墓があるのが、松江なので実家のある米子からは路線バスで、往復することとなった。
理由は、父が「バス乗り放題の高齢者パス」を持っている為なのだが、その道すがら「地方ってこんな状態なのか?!」と思う光景をいくつも見ることができた。

一つは、パチンコ店の閉店とドラッグストアーの急増だ。
かつて「不景気になっても、パチンコ店はつぶれない」と言われていた時代があった。
昭和の頃の話ではない。平成でも同様のことが言われていたように思う。
むしろ不景気になると、一時期的でも職を失った人たちがパチンコ店に通う、と言われたこともあったように思う。
色々な意味で、投げやり的気分をパチンコのような手軽なギャンブルで気晴らしをしたい、ということなのだろう(と、想像していた)。
そのパチンコ店が閉店し、代わりにできていたのがドラッグストアーなのだ。
それも1、2店舗というわけではない。
国道沿いにあった、パチンコ店に代わりドラッグストアーが目立つようになっていたのだ。

ここ3,4年、ドラッグストアーの出店が随分多いように感じていた。
感じていた、と言ってもそれは名古屋でのことだ。
人口的に考えても、実家のある米子と名古屋とでは、比べものにはならない。
名古屋でドラッグストアーが増えたとしても「あ~新しいドラッグストアーができたんだ」程度だが、米子のような地方都市だと「ここにも、ドラッグストアーができたの?」というくらい、急増しているという印象になる。

閉店したパチンコ店の後にドラッグストアーというのは、何だか変な気になるが、地方では「駐車場が広い」ことが、集客の第一条件であるということを考えると、相当広い駐車場を確保していたパチンコ店の居抜き店舗というのは、ドラッグストアーにとって魅力なのだろう。
何より、今のドラッグストアーが取り扱っている商品の種類はチョッとしたスーパー並みだ。
時には生鮮野菜などもある。
スーパーマーケットの閉店が相次ぐ地方では、ドラッグストアーがスーパーマーケットの代わりとなっているのかもしれない。

そして、今日高速バスの車窓から見たのは、山を削りソーラーパネルを設置しているところが、いくつもあったことだ。
以前、仕事で太陽光発電について調べたことがあるのだが、今年から太陽光発電の固定価格での買取制度が終了するはずだ。
太陽光発電協会:太陽光発電で売電している皆さまへ (PDFファイル)

これまで、太陽光発電の設置事業者の多くは「売電で儲かります」的な説明をしてきたと思う。
その固定価格での買取制度が、2009年から始まり今年で終了する、という説明をどれだけシッカリしてきたのかは疑問だが、この「固定価格買取制度」があったからこそ、地方自治体は「太陽光発電」に積極的だったはずだ。
それが、今年終了するにもかかわらず、個人か自治体なのかは不明だが、相当な規模の太陽光パネルを設置している場所が、いくつもあったのだ。
上述したように、山を削り太陽光パネルを設置している場所などを見ると、昨今の自然災害による被災原因になるのでは?と、心配したくなるような場所も少なくない。
確かに自然エネルギーへの転換は、急ぐ必要があるとは思うのだが、山を削ってまで太陽光パネルを並べる必要があるのだろうか?と、疑問に感じてしまうのだ。

ドラッグストアーの急増、太陽光パネルの乱立など、地方で起きていることは、日本の経済のゆがみのようなモノがあるのでは?という気がしながら、帰ってきたのだった。


ミュージシャン自身が、所有権を管理する時代が来るのだろうか?

2019-11-16 21:45:49 | ビジネス

既に一部の新聞などに、テイラースィフトが自身の曲が歌えない、というニュースが報じられている。
日経新聞:テイラーさん「自分の曲歌えず」所有権巡る対立で

海外だけではないと思うのだが、ミュージシャンが所属レコード会社を変わるということは、別に珍しいことではない。
人気が低迷しているミュージシャンが、腕利きプロデューサーがいるレコード会社へ移籍することは、普通にある話だ。
デヴィッド・ゲフィンのように名プロデューサーとして名をはせ、アサイラム・レコードというレコード会社をつくりながら、所属ミュージシャンの多くを引き抜くようなカタチでゲフィン・レコードというレコード会社を設立するなど、レコード会社そのものが、その時々で所属ミュージシャンとの関係を変えながら、時には自身が設立したレコード会社を大手のエンターテイメント企業に売却する、ということが行われていたりする。
そのようなことが当たり前だと思っていた米国の音楽ビジネスで、今回のテイラー・スィフトのようなことが起きている、ということには、いささか驚いている。
何故なら、レコード会社の移籍騒動などがあったミュージシャンのコンサートでも、このような自作の楽曲が歌えない、ということが無かったからだ (と言っても、私が足しげく洋楽のコンサートに出かけていたのは、1990年代はじめごろまでだが)。

今回のテイラー・スィフトの問題で思い浮かぶのは「著作権」という問題だ。
テイラー・スィフトの場合、自作の楽曲だという記憶があるので「著作権」そのものは彼女自身にあるはずだ。
にもかかわらず、歌うことができないとするのは「アルバムの所有権を持っている旧所属レコード会社とそのレコード会社を買収した企業が、演奏の拒否をしている」からだ。
著作権とか所有権などの「知的財産権」の問題は、日に日に複雑化しているために起きた「権利の主張」による問題、だという気はするのだが、演奏の拒否をしている側のほうが、大人げないような気がする。

確かに、レコード会社と言っても「レコードを売っている会社」ではなく、「所属しているミュージシャンの音楽を売っている会社」だと考えれば、所属しているミュージシャンの存在は、企業価値だけではなく重要な企業資産だと言える。
だからこその「意地悪」なのかもしれないが、このようなレコード会社だということがわかると、所属ミュージシャンは他のレコード会社に移籍してしまう可能性も大きい。
何より、今回の出来事で「ミュージシャン自身が、アルバムの所有権」を主張する契約を行うようになるかもしれない。
とすると、レコード会社は単に「ミュージシャンから提供された音源を配信したり、CD化して販売するだけ」の企業になってしまう可能性がある。
プロモーションなどは必要だが、テイラー・スィフトのような人気ミュージシャンになれば、自らプロデューサーをさがし、プロモーション用のMVを制作、youtubeなどで発信することも可能だろう。
そうなれば、レコード会社そのものの存在意義が問われるようになるのでは?という、気がする。




ナイキとAmazon、生活者はどちらを選ぶのか?

2019-11-14 19:58:00 | マーケティング

日経新聞のWEBサイトを見ていたら、以前拙ブログで紹介した「Amazonが戦々恐々としているD2C」の記事があった。
日経新聞:ナイキ、アマゾンへの製品供給打ち切り 米紙報道

そしてファッション専門誌・WWDJapnaでも「ナイキ」がアマゾンから撤退と報じている。

 ファッション専門誌・WWDJapanでも、同様の記事が取り上げられていることを考えると、ナイキのアマゾン撤退というニュースは、今後のファッションブランドやスポーツブランドに与える影響力は、強いと考える必要があるだろう。

今回ナイキがアマゾンからの撤退を決めた理由に「偽造品の対策が不十分」という、不満があったという。
「ナイキ」のブランド価値は世界的に見てもとても高い。
HYPEBEAST:Nikiが今世界で最も価値のあるファッションブランドに輝く(2018年上半期)

GIZUMODO:世界で最も価値ある企業、AmazonがApple&Googleを抜く(2019年ランキング)

スポーツブランドでありながら、ファッションブランドとしてもブランド価値が高いと評価されているナイキ。
総合ブランド価値がAppleやGooleよりも高いと評価されているアマゾン。
「ブランド価値」を大きく傷つける「偽造品」の流通は、両者にとって計り知れないダメージを与えるもののはずだ。
当然、アマゾン側は「偽造品対策」をこれまでもやってきただろうし、これからもやるだろう(というよりも、やらざる得ないはずだ)。
そう考えると、日経が報じているナイキ側の「偽造品対策が不十分」というコメントだけでは、撤退理由としてイマイチ弱い感じを受ける。WWDの記事にあるように、ナイキはアマゾンと共同で「アマゾンオリジナル」という商品を、「偽造品対策」として打ち出すこともしていたからだ。

とすると、WWDが報じているようにナイキ側が、より生活者の生活嗜好や直接的な顧客の囲い込みの意思が強くある、と考えたほうが自然だろう。
アマゾンでの「オリジナル商品」の開発と物流について、学んだことをD2Cという「直販」によって、より需要や生活者の嗜好をキャッチアップしやすくし、スポーツショップなどで流通させている商品とは別の「顧客オリジナル(ベースモデルは、ナイキが提案し購入者がアレンジする)」ようなモノもできるだろう。

それだけではなく、障害者スポーツのような「個々の障害に合わせたスポーツ商品」のような開発なども、考えているかもしれない。
というのも、これまで障害者スポーツで注目されてきたのは「パラリンピック」というイベントの時くらいだった。
ただ「パラリンピック」を切っ掛けとして、障害者がスポーツを楽しむ環境づくりが進んできている、ということもある。
これまでの「スポーツ=健常者」という視点ではなく「スポーツ=すべての人が楽しむ」に変わると、障害者の情報というものが極端に無い、という事実があるだろう。
障害者にとって、一般的なスポーツショップで販売されているものでは、難しい場合どうしても高額になると分かっていてもオリジナルでつくる必要があったはずだ。
そのような状況では「障害者がスポーツを楽しむ」という、環境とは言い難い。

ナイキがD2Cを始めるのは、生活者と直接つながることで起きる「囲い込み」による「ブランド価値の固定化」だけではなく、「障害者スポーツ」に対する他社との差別化などもあるような気もするのだ。


唖然とする「女性の眼鏡禁止」、働く女性に何を求めているの?

2019-11-13 10:22:52 | 徒然

Yahoo!のトピックスだけではなく、Huffpostや米国の最大メディアの一つBloombergなどでも取り上げられた、「女性の眼鏡禁止」という話題。
Bloomberg:女性らしさ求める「眼鏡禁止」に広まる反発ーツイッター上で話題騒然

高校生の頃から急激に視力が低下し、社会人になってからは眼鏡をかけて仕事をするのが当たり前になった。
確かに、就職試験などでは「眼鏡って、不利かな?」と感じることは、多かった。
特に続けざまに落ちた金融関係の就職試験では、そんな印象があった。
当時は、女子行員は窓口業務と決まっていたし、窓口業務を担当するにあたっては「見眼麗しい」ということが、優先されるのだろうな~と、漠然と思っていた。
と言っても、それは30数年前の話だ。

その当時の眼鏡は、デザインも素材も機能も今とは雲泥の差があり、「女性向けフレームデザイン」はどこかオバサン風(=老眼鏡?)か、学生向けのようなものしかなかった。
そのような「選択の余地がない」時代を経て、バブルの頃はフランスのアイ・ウェア・デザイナー・アランミクリなどが紹介され、ファッションデザイナーも眼鏡のデザインをするようになった。
素材も、セルフレームやワイヤーなどだけではなく、チタンなど強度がありながらしなやかな素材も使われるようになり、デザイン+素材で選べるようになった。
何よりも「眼鏡市場」のような、レンズとフレームがセット価格になった比較的安価な眼鏡店が登場したことで、眼鏡そのものが「視力矯正」というだけではなく、ファッション・アイティムとして見られるようになってきたように思っていた。

記事中にある「キャビンアテンダントのコンタクト使用は、危険防止の為」とのことだが、コンタクトレンズそのものは直接裸眼に着けることを考えれば、転んだりしたときのリスクは眼鏡よりも高いような気がする。
まして、国際線のように長時間のフライトでは、コンタクトレンズの連続使用によるリスクもある。
「眼鏡だから危険、コンタクトだから安全」と言い切れるものではない、と思うのだ。

がしかし、日本の一部企業ではそのような意識が無かった、ということだろう。
というよりも、日本の男性が見る「女性像」の中に「眼鏡をかけた女性」が、特異な存在としていまだに見られていた、という気がしたのだ。
むしろ「(働く女性に)何を求めているのか?」という、疑問のほうが大きいかもしれない。
なんとなくだが、昭和の「若くて可愛い女の子の事務員で、腰掛で十分」という、思考が残っているのでは?
それが、日本のジェンダーギャップに繋がっているのかもしれない。