日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

今年の花見は「エア花見」がトレンド?

2019-03-21 12:25:44 | トレンド

昨日所用の帰り、名古屋城近辺から繁華街の栄まで歩いた。
かつて「お堀の電車」と呼ばれた電車の路線跡地の桜の蕾は、まだまだ固かった。
それが栄近くの枝垂れ桜は、わずかに開花しており、春の近づきを感じさせてくれた。
そして今日、東京では平年よりも早く桜の開花宣言があったようだ。
開花宣言とともに、「花見」も気になるようになるのは、私だけではないと思う。
その「花見」だが、今年はやや違うようだ。

今や国民病となった(?)「花粉症」に悩む人たちのために、「エア花見」が話題になっているという。
「エア花見」と言っても、2パターンがあるらしい。
大きな窓などから(夜)桜を楽しむ「エア花見」と、飲食店内に桜の木を設置する「エア花見」だ。
室内から夜桜を楽しむ「エア花見」というのは、なんとなくわかる。
花寒でも、雨降りでも室内で快適に「花見」が楽しめる。
ただ残念ながら、どこの飲食店でも楽しめる「エア花見」ではない。

それに対して、飲食店内に桜の木を設置する「エア花見」は、ある程度の広さのある飲食店であれば可能となる「エア花見」だ。
設置する桜の木と言っても生の桜の木を設置するだけではなく、造花を設置するというところもあるようだ。
生の桜の木とは違い、「花見イベント」が終了すれば撤去もしやすいし、桜の花びらがひらひら舞落ち床を汚す心配もない。
風情は欠けるが、それなりの雰囲気を楽しむということはできるだろう。

このニュースを聞いたとき、「窓から桜を楽しんだり、造花で花見をする」というのは「エア花見」というのだろうか?と、思ったのだ。
「エアギター」のように、「無いものをあるように見せる」というのが、「エア〇〇」という意味だと思っていたのだが、違うのだろうか?
壁一面に「全国の桜の名所」を、プロジェクションマッピングのように見せるほうが、「エア花見」なのでは?
建物などに風景などを映し、時には音と同期させるプロジェクションマッピングなら、桜前線に合わせて全国の桜の名所を映し出すこともできるだろうし、場合によってはチョッとした旅気分が演出できるかもしれない。
何より、桜の木を撤収する必要はない(もちろん、プロジェクションマッピング設置の費用は必要だが、紅葉の頃には紅葉の風景を映すということもできるだろう)。

いずれにしても、満開の桜の下で親しい人たちとお弁当を持ち寄り、一緒に楽しむという時間はとても楽しい。
風に揺れ、はらはらと舞い落ちる桜もまた情緒がある光景だ。
それが「エア」であっても、同じなのかもしれない。

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今年は「ルビーチョコレート」が、トレンド

2019-02-11 12:56:23 | トレンド

今週の木曜日は14日、ヴァレンタインデーだ。
昨年はゴディバが「義理チョコはやめよう」という、キャッチフレーズのヴァレンタイン商戦を繰り広げた。
一方「一目で義理とわかるチョコ」を展開しているのは、「ブランクサンダー」を製造・販売しているユーラクだ。
今年も東京駅に「義理チョコショップ」を2月14日までの期間限定でオープンさせている。
アドタイ:ブラックサンダー「義理チョコショップ」東京駅で今年も開催 完売商品も

ただここ数年のヴァレンタインを見ていて感じることは、「義理だ・本命だ」と騒いでいるのは案外メディアなのでは?という気がしている。
というのも、このヴァレンタインで日本一の売り上げを上げると言われているJR名古屋髙島屋の「アムール・デュ・ショコラ」の広告を見ていると、「誰にあげるのか?」というよりも、「世界中の美味しいチョコレートを集めました」という、コンセプトのように思えるのだ。
「世界中から集まった美味しいチョコを、誰にあげるのか?」というよりも、「美味しいチョコを自分で探しませんか?」というメッセージのほうが強く感じられるのだ。

その「アムール・デュ・ショコラ」の広告などを眺めていると、今年のチョコレートのトレンドが分かる部分がある。
それは「ルビーチョコレート」と呼ばれる、「赤いチョコレート」がいくつもあることだ。
Callebaut公式サイト:ルビーチョコレートとは
写真にあるように、真っ赤な色をしたカカオから作られるチョコレートのようだ。

これまでチョコレートのトレンドはいくつもあった。
「(子供の)お菓子」としてのチョコに始まり、ゴディバのような大人向けのチョコ、「白い恋人」に使われているようなホワイトチョコ、フェアートレードのようにカカオの産地に利益還元をしながら、これまでよりもよりカカオの風味を生かすためシンプルな製法の「ビーン・トゥ・バー」などなど、ヴァレンタインのチョコレート商戦は、ハロウィンのようなイベントや「恵方巻」のようなイベント食とは違う、社会の変化を表すような「流行(=トレンド)」を創り出してきた。
一部では「ハロウィンは、経済的な部分(様々なイベント関連売上)では、ヴァレンタインを抜いた」と言われているが、ハロウィンには、ヴァレンタインで話題になるような「チョコレートのトレンド」を、創ってはいない。
言い換えれば、「ヴァレンタイン」というイベントは、社会の変化(あるいは、生活者の意識変化)を表すトレンドを見ることができるほど、日本の生活者に根付いた、といったほうが良いのでは?という、気がしている。


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SNSは、終わりに向かっている?!

2018-12-11 20:09:44 | トレンド

朝のFMを聞いていたら、「え!」と思うような話があった。
TFM:クロノス リポビタンD Trend Eyes(12月11日)

番組の内容は、「今年のビジネストレンドを振り返る」というものだった。
仮想通貨が、事件をきっかけに市場というか生活者から信頼を失い、当初の流行予測とは全く違う結果になってしまったのは、仕方のないことだろう。
「市場や生活者から信頼を失う」ということが、どのような結果になるのか?ということを反面教師のように、教えてくれたと思えばこのランクインも納得ができる。

一つ気になったのは、コメンテーターの方が感じた「誰でも発信できる時代の終焉」という言葉だった。
ここ10年ほどネット上で話題になったモノ・コトといえば「SNS」などの、個人がネットを使って情報発信をする、ということだった。
このような「誰でも情報発信ができる」ようになったのは、Youtuberの登場からかもしれない。
そして今の中高校生間では同じ動画でもTikTokへの投稿が、人気らしい。
Youtuberの多くが大人であるのに対し、TikTokは若い人たちが中心であることも、特徴的なところだろう。

Twitterの登場により面識がない人たち同士がつながるようになり、Instagramが登場したコトで「フォロワー」の数を競うようになってきた。
「インスタ映え」と言う言葉が、流行語大賞に選ばれたのは昨年だったように思う。
そして今年時置ききいたのが「インスタ疲れ」だった。
「インスタ映え」するような写真や動画を掲載しないと、「いいね」が押してもらえず、フォロワーの数も伸びない。
そのために、(様々な意味で)相当の無理をしてInstagramに投稿をしていた、という人も少なくなかったようだ。

それだけではなく、SNSを通していじめを公開するような人たちも現れ、「SNSによる二次的いじめ」が拡散するような事件も起きた。
他にもコンビニの冷蔵庫に入ったりした動画をSNSに上げ、問題となったこともあった。
Instagramを含むSNSそのもののシステムが悪いわけではなく、あくまでもユーザー側のモラルや一般常識の問題ではあったのだが、このような問題が起きた背景の中には、「いいね」などの数を増やしたい、という動画を撮影し公開する行為よりも「いいね」を増やしたい、という承認欲求のようなもののほうが強いというような指摘も多く聞かれた。

逆に言えば、「いいね」を数多く得るためには、それなりの工夫やアイディアが無くては、「いいね」を増やすことができなくなってきた、というのが、今年だったということかもしれない。
それが「誰でも情報発信できる時代の終焉」ということに、なるのだろう。
となると、いま若い世代で人気のTikTkoなども、投稿数は多いが1投稿に対しての視聴者数はとても少ない「内輪の表現ツール」となっていくかもしれない。
ただ忘れてはいけないのは、このような情報は一端拡散してしまえば、削除してもしきれずにネット上に残る、ということだ。




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「ハロウィン」で騒ぐのは、時代遅れ?!

2018-10-30 19:17:52 | トレンド

本来は明日が「ハロウィン」なのだが、季節行事のイベントと化している日本では、先週末が「ハロウィン・イベント」のピークだったようだ。
新聞などでは、渋谷で大騒ぎをし暴徒と化し、中には逮捕者まで出たようだ。
クルマを横転させ、その上で騒ぐのだから当然と言えば当然のことだが、いつから「ハロウィン」にかこつけて、大騒ぎをする日になってしまったのだろう?という、疑問もある。

今朝のFM番組では、渋谷で騒ぐようなハロウィンのスタイルから、家庭や仲間内で楽しむハロウィンへと変わってきている、という話が合った。
それだけではなく、「ハロウィン」市場そのものは、縮小傾向にあるという。
リポビタンD TrendEyes:仮装から食へ?!ハロウィンのトレンドをピックアップ!

「2016年ごろがピークだった」ということは、渋谷で騒ぎが始まった頃が「ハロウィン市場」のピークということになると思う。
とすれば、今年暴徒と化した騒ぎ方をした方々は、「ハロウィンの流行」に乗り遅れた方々、ということになるかもしれない。
今年の「ハロウィンの流行の傾向」は、「地味ハロウィン」だったとも言われている。
オリコン:”渋谷ハロ”の対極”地味ハロウィン”
普段とほとんど変わらない「仮装(=地味な仮装)」で、ハロウィンを楽しむというイベントだったようで、渋谷で大騒ぎをするハロウィンとは違うハロウィンの楽しみ方でむしろこのような「地味なハロウィン」のほうが、今後主流になっていくのかもしれない。

ただ全体的には、友達や家族でハロウィンの気分を味わえるような、食事を楽しむという傾向へと変わりつつあるという。
このようなハロウィンの楽しみ方なら他の人に迷惑は掛からないし、ハロウィンの仮装の為にわざわざ準備する必要もない。気軽にハロウィンを楽しめるということになるだろう。

日本での大騒ぎする「ハロウィン」は、米国などの子どもたちが「お菓子をくれなきゃ、悪戯をするぞ~」と言いながら、カボチャの照明がついている家々を回るものでもなければ、ケルト民の「収穫祭」のような感謝を示すものでもない。
傍から見れば「騒ぎたいだけなのね!」という、日ごろのうっぷん晴らしのようにしか見えない。
だからこそ、季節の行事イベントとして社会から好意的に受け入れられず、「ハロウィン」そのもの市場が縮小してしまう一因になっているのではないだろうか?

ただ、既に市場が縮小傾向にあるということは、ハロウィンという季節のイベントが日本の文化として取り込まれなかった、ということになるだろう。
同様のことが考えられるのは「イースター」ということになりそうだが、商業ベースで海外の季節のイベントを売り込もうとしても、一部の人たちが大騒ぎをすればするほど、多くの生活者は引いてしまい定着しないということだろう。




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「流行」に乗れなくても大丈夫!?

2018-10-06 11:57:35 | トレンド

「マーケティング」の中でも、市場調査はとても重要だ。
市場の動向を分析することで、今の生活者の意識や行動がある程度分かるからだ。
その反面、生活者の多くは企業やメディアが発信する「トレンド(流行)」に、振り回されている部分がある、と感じている。
特に、ファッションの世界では「トレンド(流行)」はとても重要で、「トレンドに乗り遅れる」という不安感を生活者に与えることで、ビジネスが成り立っている部分が無いわけではない。

実際のところ、自分以外の人は「トレンド」に対してどのように思っているのだろう?という、不安がある生活者も多いと思う。
そんなデータがあった。
Huffpost:7割の人は、流行に「ついていけない」。調査で見えた“独自路線派”の主張とは?

まず「7割」という数字を見て、「あぁぁ~自分と同じタイプの人が7割もいるんだ~」と、安心される方も多いのではないだろうか?!
「流行」については、興味・関心があってもその「波に乗れていない」ということで、なんとなく不安に感じている人達にとっては、とても安心ができる数字だと思う。

問題は、その7割の「流行についていけない人たちの考え」だ。
回答は「流行についていけない」と感じているのに、その実「流行についていく必要はない」と感じている人たちが、意外に多いのだ。
「流行についていく必要が無い」と感じている人たちは、「流行についていく」ということ自体を、やや上から目線で見ており、質問である「流行についていけない(情けない?)」という実感を持っていない。
むしろ積極的に「流行を拒絶」している感すらある。

「流行についていけない」という気持ちの中には、「流行についていかなくてはいけない」という気持ちがあり、それがファッションの流行などであればさほど問題はないが、「空気が読めない」ということでれば「仲間外れ」ということにもなりかねない。
今の社会のように「同調」が求められる中では、とても生きづらさを感じることにもつながる問題でもある。
「流行についていけない」と感じ、なんとなく「流行についていこうとしている」人達の多くは、ファッションやメディアやネットが創り出している「流行」に反応をしているのではなく、「社会が求めている“同調”」についていけないということを、重視しているのではないだろうか?

そのような「社会の“同調”」を求められ、自分がついていけないと感じたら「それで(何)?!」と、訊いてみたらどうだろう?
流行についていけないことは、悪いことではないし、流行についていけない自分を否定する必要もないと思う。
なぜなら、市場が注目すべき人達は「流行についていけない7割」の人たちの姿だからだ。





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「土用の丑の日」と鰻

2018-07-20 18:45:03 | トレンド

今日は「土用の丑の日」。
スーパーだけではなく、コンビニでも「土用の丑の日・鰻」と銘打った売り場が、目立つ。
しかし、今年は例年以上に国産ウナギが不漁ということもあり、様々な「土用の丑の日」向けの商品が登場しているようだ。

その中で比較的一般的なのは、精進料理などでおなじみの「豆腐ととろろで作った、鰻の蒲焼もどき」だろう。
他にも、鰯やサンマなどの「蒲焼」なども、スーパーで見かける。
ここ数年は、鶏肉や豚肉などの「蒲焼」なども登場し、「それって、蒲焼っていうの?」という、疑問を持ちながらも、スーパーなどの売り場で見かけることが多くなった。
他にも「鯖の蒲焼」や「牛肉の蒲焼」なども登場している、と今朝のFM番組で話題になっていた。
Huffpost: 「土用の丑の日」に変化?不漁のウナギを避け、牛肉を販売する店も

そして今年の変わり種?は「蒲焼そっくりの練り製品」かもしれない。
どうやら、この「蒲焼そっくりの練り製品」、案外(といっては失礼だが)人気らしく、昨日のYahoo!のトピックスでは売り切れという話もあった。
Yahoo!神戸新聞NEXT:ウナギの”そっくりさん”練り製品「ほぼうなぎ好評 カネテツデリカフーズ

確かに、本物の国産鰻の蒲焼は、安くても一尾2000円前後している。
流石に、家族4人で一尾を食べ分ける、というわけにはいかないので、家計を預かる主婦(主夫)としては、代用できるものがあれば、代用したい、という気持ちになるのは十分わかる。
それでなくても、日本ウナギは絶滅危惧種に指定されている。
「種の保存」という意味でも、代用品で「蒲焼を食べた」という気分になる、という発想も十分アリだと思う。

余りにも「ウナギ不漁」とか「鰻の蒲焼高騰」というニュースがあったせいか?、ここにきて国産ウナギの販売が例年より落ちている、という話もある。
朝日新聞:不漁でも・・・国産ウナギ余っている「買い手つかぬ異常事態」
ならば、価格が下がるのか?といえば、そう簡単に値下がっているわけではない。
価格の維持と需要と供給のバランスの難しさ、というビジネスの問題を直接的に感じられる状況のようだ。

そもそも「土用の丑の日に鰻」という話は、江戸時代、夏に売り上げが落ちる鰻屋さんが平賀源内に相談をし、このような風習が定着した、とも言われている。
確かに、年々暑く、連日の猛暑・酷暑が続くと、少しでも元気になるようなものを食べたくなる。
鰻などは、その代表格のような食べ物として、社会的認知がされている。
ただ、「種の保存」という観点から考えれば、「土用の丑の日」だから「鰻の蒲焼を食べる」ということは、ナンセンス!ということになるかもしれない。
Huffpost:「土用の丑の日」は、もうやめよう。絶滅危機のウナギを考える
それでも「鰻の蒲焼を食べた」という満足感を味わうアイディアとして、「鰻のたれご飯」という方法もあるかもしれないし、「土用の丑の日=鰻の蒲焼」が定着する以前の「土用の丑の日は『う』が付く食べ物を食べて、暑気払い」という食習慣が復活するかもしれない。




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「コメダ」の現実的な判断-新規店舗の全面禁煙-

2018-06-16 18:39:00 | トレンド

名古屋の喫茶店の代表格と言えば、「コメダ珈琲」ではないだろうか?
名古屋発の喫茶チェーン店はコメダ珈琲だけではないが、やはり積極的に全国展開をしている、という点ではやはり名古屋の代表的な喫茶店、ということになると思う。

そのコメダ珈琲が、新規出店(フランチャイズ店)については「全面禁煙」にするという。
朝日新聞:コメダ珈琲、新規店舗は原則禁煙「吸う人減った」

記事には、厚労省VS自民党の愛煙家のバトルの結果、骨抜きになってしまった?「健康増進法」改正案の先取りのようなニュアンスが、書かれているが、フランチャイザー側であるコメダ珈琲側の考えは、見出しにある「吸う人が減った」という理由のほうが大きいように思う。

我が家の近くにもコメダ珈琲があるのだが、店舗の奥まった一角にガラスで仕切られた「喫煙スペース」がある。
そのスペースも決して大きいわけではない。むしろ狭さを感じるくらいだ。
その「喫煙スペース」も、時には空席が目立つこともある。
禁煙スペースの席がコンスタントに埋まっていても、禁煙スペースが空いている、という状況があるということなのだ。

おそらく、マクドナルドのようなファーストフード店でも、同じような傾向がみられるのではないだろうか?
というのも、近所に再オープンしたマクドナルドは、全面禁煙になってしまったからだ。
実際、JTの「最新たばこ情報」によると、「喫煙者」は年々減ってきている。
JT最新たばこ情報:JT全国喫煙者率調査

少なくなりつつある喫煙者の為のスペースを設営すれば、席数を減らす必要があるだけではなく、そのための清掃が必要になる。
喫煙スペースの清掃となれば、禁煙スペースよりも大変だろうし、従業員(主にアルバイト)の健康という点でも問題視されかねない。
そのような作業などの費用面や健康面を考えれば、全面禁煙のほうが様々な面でメリットがある、と考えるのは当然かもしれない。

もう一つ考えられるのは、独特の名古屋の喫茶店文化があるかもしれない。
名古屋のモーニングと言えば、コーヒーを注文すると、半切の厚切りトーストとゆで卵がもれなく付いてくる。
実は名古屋ではなく一宮市や豊橋市のほうが、「豪華なモーニング(セット)」なのだが、このようなモーニングが定番なので週末の午前中は家族で喫茶店で過ごす、という文化がある。
「子どもの一緒に行ける喫茶店」となると、必然的に禁煙スペースが大きくないと集客はしにくい、ということになる。

そう考えるとコメダ珈琲の「全面禁煙」は、「健康増進法改案」の先取りではなく、経営という現実的な判断のような気がする。
そして飲食店の「禁煙」の動きは、このような「現実的判断」によって進んでいくのではないだろうか?



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コムデギャルソンが変わった?時代が変わる?

2018-04-27 20:42:38 | トレンド

時折、新聞に海外のファッションニュースが掲載されることがある。
特に、パリコレクションが開催される「ファッションウィーク」の後には、来シーズンの各メゾン(デザイナー)が発表した中でも、特徴的だったファッションが掲載されることが多い。
今日の朝日新聞を見て、随分色づかいをはじめ変わったな~と感じたのが、コムデギャルソンだ。
朝日新聞:コムデギャルソンの新作が誘う服自分の関係への問い

コムデギャルソンと言えば、デザイナーは川久保玲さんが中心となり、若手デザイナーもいらっしゃったと思うのだが、記事の中では川久保さんの名前しかないということは、記事で紹介されたデザイナーは川久保さんということになるのかもしれない。
その川久保さんの特徴の一つが、墨のような黒の服だ(その後、赤などの色づかいへと変わっては行ったが、単色使いが中心だったような記憶がある)。
川久保さん、Y'sの山本耀司さんなど1970年代後半から1980年代、パリのプレタポルテで活躍した日本人デザイナーの多くは、華やかなヨーロッパのデザイナーが創り出すファッションとは、一線を画すような「非構築的」で「モノクロ」のような色づかいで話題となった。
同時代に活躍していたKENZOのようなフォークロア調や、三宅一生さんの折り紙を基したようなプリーツによる、独特なフォルムなど、それまでのパリコレで見るコトが無かったようなデザインや色調、布使いに世界が驚いた時代でもあったように思う。
そのデザイナーの中で、今でも意欲的にコレクションを発表しているのが、川久保さんということになると思う。

上述したように、川久保さんのデザインの特徴というのが、単調ともとれる色づかい、切りっぱなしのような布の始末、それまでも立体裁断パターン(今の洋服は、この裁断パターンを基に作られている)とは違う、パターン。
まるで、和裁の感覚でパターンを作りなおしたような服作りをされてきている、と感じている。

既にデザイナーとしてのキャリアは40年以上になる川久保さんの今回の秋冬のコレクションを見て、一番驚いたのが、色づかいの変化だ。
ピンク色のドレスや金色に輝くフィラメント素材のドレスは、これまでの「川久保さんらしさ」から大きくかけ離れた印象を持ったのだ。
川久保さんの特徴である、墨のような黒を中心とした色づかいが影を潜め、開放的な色づかいがされているからだ。
年齢的には、喜寿を超えられた年齢になられていると思うのだが、その挑戦的な姿勢には、こちらが勇気をもらえるくらいの力強さが感じられる。

川久保さんだけではないが、ファッションデザイナーと呼ばれる人たちの多くは、その時々の時代の空気を受け止める感覚がとても鋭い。
川久保さんももちろんその一人だと思うのだが、そう考えると人々が求めているモノが変わり始めているのでは?と感じるのだ。
それは「個人を尊重するカラフルな時代」ということのような気がする。

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ファッションで、女性の働く意識の変化が観られる?

2017-05-21 22:50:36 | トレンド

VOUGEのサイトには、なかなかユニークな文化の変遷をまとめたビデオが見られる。
その一つ、オフィスカジュアルのトレンド、100年の歴史を見ると、その時々の社会の雰囲気だけではなく、女性の働く意識の変化も感じられるような気がする。
VOUGE:ライフスタイル オフィスカジュアルのトレンド 100年の歴史

最初に紹介されるオフィスカジュアルのブランドが、シャネルだと知って驚かれる方が多いかもしれない。
今のような高級ファッションブランドとなる前、というよりもココ・シャネル自身が自分のブランドを立ち上げた時は、「働く女性たちの為のファッション」を創りたいと考えていた、と言われている。
そのため、それまで男性のカジュアルウェアの素材であった、ツィードを使ったり、スポーツウェアの素材であるジャージ(「伸縮性のある生地」という意味)を積極的に使うことで、女性たちが働きやすいファッションを提案していた。
もちろん、当時はファストファッションなどはなく、「オーダーメイド」という時代だ。
数多くの服ではなく、少ない服を上手に着まわすことも、オフィスファッションの重要ポイントだったに違いないだろう。
シャネルスーツは着回しがしやすいスーツとして、働く女性たちに受け入れられたと言えるのだと思う。
しかし、第二次世界大戦がはじまる前までの女性の外出着の基本は「帽子・手袋・小振りのハンドバッグ」ということを考えると、このような服装で仕事に行く女性の仕事は、今のような仕事内容ではないだろうな~と、想像ができる。

そのようなファッションが一転するのが、第二次世界大戦中のファッションだ。
それまで、穿かなかったパンツスタイルが登場する。
同じころ日本では、モンペが女性の服装の「基準服」だった。
最も、第二次世界大戦後次にパンツスタイルが登場するのは、1970年代に入ってからなので、戦争という時代は女性からファッションやおしゃれというモノ・コトを奪うことだということもわかる。

戦後になると、再びスカートが復活。
しかし、戦前には一般的であった「帽子・手袋」はCA以外の職業では、着用しなくなる(ジャクリーン・ケネディは別だ)。
戦後、女性がオフィスで働く、ということが一般的になり、帽子や手袋をして出勤するほど優雅な職場ではなくなった、ということだろう。
随分前に「9時から5時まで」という、米国映画があった。
この時、ジェーンフォンダが演じる、長い間専業主婦で離婚をしたため人生で初めて働くことになった女性が初出勤する場面では「帽子・手袋・小振りのバッグ」で登場し、職場の女性から失笑される、という場面があった(と、記憶している)。
映画公開が1980年だったコトを考えれば、それだけ時代遅れ感のあるファッションでの出勤、ということを大袈裟に表現していた、ということだろう。

女性のオフィスファッションが大きく変わるのは、1970年代になってからだろう。
パンツスタイルで仕事をする女性が登場するのと同時に、「ウーマンリブ」という社会の動きとリンクする。
1960年代から始まった、公民権運動やベトナム戦争に対する若者たちの反戦活動などもファッション全体への影響を与えていると思う。
と同時に「女性が働く」という意思と意味の、変革の始まりだったかもしれない。

それがより強く表れるのが1980年代、ということになるだろう。
女性が男性と対等に仕事をするのが、(米国では)当たり前になりつつあり、日本でも「男女雇用機会均等法」が施行されるのが1985年だ。
行き過ぎた平等意識は、女性自身のアイデンティティを揺るがすことになったのか?1990年代になると、揺り戻しのようなファッションになる。
とはいうものの、既に「女性が働く」ことが特別なコトではなくなり、大学進学率なども急激に増えるなど、仕事にファッションが影響を受けるのではなく、自由さを得たのが1990年代以降ということになるのかもしれない。

ファッションの変遷という視点で見るだけでも、女性の働く意識の変化を感じるのは「時代を映す鏡」として当然なのかもしれない。
その変遷を長いスパンで見ることで、「ファッション」という文化の変化と社会的影響も感じられる面白いビデオだと思う。



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「夢」よりも、「現実的」を求め始めた?ファッション界

2017-01-19 22:57:13 | トレンド

VOUGEのサイトを見ていて気付いたコトがある。
来秋・冬のミラノ・メンズコレクションとはいえ、余りにも「普通」だったからだ。
VOUGE:プラダ、より人間らしく、リアルにシンプルを極めたノームコア

最初に紹介されているのは、ライトブルーのボタンダウンのシャツにグレーのVネックのセーター、キャメルカラーのコーディロイのパンツ。
余りにも、普通なコーディネートだ。
目を引くとすれば、大振りなバックルのベルトと色調を合わせた靴だろうか?
2枚目で紹介されているものも、やや赤みのあるダークブラウンのレザージャケット、黒のVネックのシャツ(もしかしたらVネックのニットかもしれない)、ライトグレーのパンツ(素材はわからなかった)。
特徴的なデザインと言えば、レザージャケットの襟がやや大振りであるくらいだろうか?

元々ミラノコレクションは、メンズ、レディース問わず「現実的なファッションの提案が多い」と、言われてきた。
しかし、ここまで「普通」だと、コレクションとして発表する必要があるの?と、疑問に感じてしまうほどだ。
もちろん、素材そのものは、プラダらしくニットであればカシミヤなどの高級素材を使っているのだと思うのだが、それにしても・・・と思うほど「普通」なのだ。

ファッションショーで発表される服のうち、7割程度は実際の商品として店頭に並ぶことはない、と言われてきた。
コレクションを発表する「地域性」のようなモノがあるので、一概には言えないが、「パリコレ」などは、現実的なファッションというよりも「創造性の発表の場・夢を与える場」というような意味合いが強かった。
その「創造の発表や夢」の中から「トレンド」を見つけ、現実的なファッションへと展開するのが、アパレルメーカーなどの力だったように思う。

それが、今回のプラダのようなコレクションになってしまうと、余りにも現実的過ぎて、アパレルメーカー側(特にファストファッションメーカー)などは、どうしたら良いのかわからなくなってしまうのでは?という、気がする。
ただ、このような「現実路線」はミラノだけの傾向ではない。
昨年、オンシーズンにコレクションを発表した米国のデザイナー・ラルフローレンなども、発表したコレクション内容はとても「現実的」なモノだった。

ファッションというものは、その時々の時代の空気感を表すことが多い。
特にレディースなどは、その傾向が強いのだが、世界のファッションの流れが「現実路線」に変わりつつあるとすれば、「ファッションには夢が無くなってしまう」ような気がするのだ。
もしかしたら、世界的に「夢が持てない時代」になりつつあるのだろうか?と、心配をしてしまう。

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