日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

立場によって、とらえ方が全く違う‐アップル社のEV撤退ニュース‐

2024-02-28 19:58:15 | ビジネス

Yahoo!のトピックスでも取り上げられていた、アップル社のEV事業撤退のニュース。
bloomberg:アップルのEV開発計画中止、テスラやビッグスリーに安堵感与える 

アップル社がEV開発を計画していたことは、知られていたことだったのだろうか?
実は、今回の報道でアップル社がEV車の開発に取り組んでいたことを、初めて知った。
以前聞いたことがあったかもしれないのだが、記憶の中には無かったニュースだった。

そしてbloombergの記事にある通り、今回の開発計画撤退は既にEV車を製造・販売しているテスラだけではなく、ビッグスリーと呼ばれる、米国の自動車メーカーにとっても朗報だったようだ。
テスラはともかく、ビッグスリーに関してはこれまでEV車に対してどれだけ積極的であったのか?という、疑問を感じる部分がある。
というのも、米国の自動車メーカーは、EV車は勿論ハイブリッド車に対しても開発に積極的ではない、という印象があったからだ。
その理由として挙げられげるのが、石油資源を米国自身が持っている、ということに関係している。

日本のように、石油そのものを100%(に近い)輸入依存であれば、ガソリン価格が常に変動し続けることで、ガソリン車を持つことそのものが生活のリスクになりつつある。
その為水素エンジン車等を含めた「脱ガソリン車」の研究開発に積極的にならざる得ない、という状況がある。
それに対して、そのような問題が極めて少ないと思われる米国は、自動車メーカーは消極的であってもおかしくはない。

ただ、テスラの登場はビッグスリーにとって、脅威になり始めているのでは?ということは、想像できる。
それは、社会の意識変化という石油とは関係の無い,要因だ。
CO2削減に始まり、「脱炭素社会」という意識変化は、ガソリン車に対する意識を大きく変えるきっかけとなったはずだからだ。

そのような社会意識の変化の流れの中で、アップル社がEV車の開発というのは、IOTと関係するこれまでとは違う市場をつくるのでは?という、脅威になっていたのでは?と、想像できる。
アップル社が、単に「電気自動車をつくる」ということであれば、ビッグスリーもさほど脅威には感じなかったと思う。
脅威に感じた理由IOTと呼ばれる、生活者の利便性を考えたネット化であり、そのような技術を既に持っているアップル社だからだ。

上述したように、単に「電気自動車をつくる」というだけであれば、ビッグスリーは心配することもなかったはずだ。
「安堵する」理由は、「電気自動車」ではなく、「電気自動車を使った生活のシステム化」という技術や研究が遅れているからだ。

では、何故アップル社は撤退を決めたのか?ということも、考えていきたい。
一つは、今年の冬米国を襲った大寒波があったのでは?という、気がしている。
この大寒波により、テスラのEV車用の蓄電池が、一時期使えなくなる、ということがあった。
Gigazine:凍てつく寒さの中死んだテスラ車が並ぶシカゴのスーパーチャージステーション、「ここは死んだが集まっている」 

EV車の開発は、車の開発だけではなく、EV車用の蓄電池まで考える必要がある。
その中で、低気温により充電できなくなる、というのは開発設計そのものを見直す必要が出てくる。
テスラの場合、既に市場に出ている製品なので、改良をし続けるということになるはずだが、一から設計を見直すというのは、双六でいうなら「振りだしに戻る」位の問題になるのでは?
その開発の見直しリスクを考えた時、撤退ということも選択肢の一つとなったのではないだろうか?

ビッグスリーにとっては、アップル社で開発に携わっていた研究者のハンティングを積極的に行うだろうし、アップル社側はAI事業へ振り替えたい、という意思があると報道があるので、やはりアップル社のEV車開発の目的は、電気自動車の開発というよりも「電気自動車をIOT化させ、生活全般にアップルを浸透させることだった」ということもわかる。
事業の最終目的と目標の違いが、ビッグスリーとアップル社との間にある、ということを考えると、ビッグスリーの動きに注目する必要があると思う。



世界最低レベルの日本人の大人たち

2024-02-27 20:52:18 | アラカルト

昨日、ネットでニューストピックスを見ていたら、なかなか衝撃的なタイトルの記事があった。
ビジネス+IT:日本人はなぜ勉強しなくなるのか?「世界最高の子供」が「最低レベルの大人」になるワケ 

タイトルを見るだけでも、辛辣な言葉が並んでいるが、このような内容の話は過去何度も新聞を含むメディアで、取り上げられてきたテーマでもある。
日本では、子供の学習テストの結果にはとても興味を持つ傾向がある。
例えば、「世界を対象とした学力テストの結果」については、様々なメディアがこぞって取り上げるのだが、「大人」に関してはそのような話題がない。
話題がないのは当然で、日本の組織づくりと諸外国の組織づくりとは随分違うからだ。

日本の企業の場合「ゼネラリスト」と呼ばれる「企業について幅広い知識を持つ人材」が、重宝がられる傾向がある。
その為には、大学院等で専門性の高い知識を得た人材よりも、企業の文化を理解し、企業に対して(言葉が悪いが)従順な人材を求める傾向があるからだろう。
一方、海外ではより高度な専門性を求める傾向が強い為、大学院等で学んだ人材の方が社会では有利となるし、専門性が高い人材だからこそ「流動性のある転職(=専門知識を持った転職)」が、可能となっている。
このような日本と諸外国との考えや文化の違いが、前提にあるということは理解しておく必要があるだろう。

この「職業として高い専門性が求められない」からこそ、社会人になってしまえば自分の仕事に関連する勉強そのものをする必要がないのだ。
勿論、企業側は従業員のスキルアップの為の「研修」を積極的に行い、その結果として「能力給加算」等を実施している企業もあるはずだが、この「研修」も企業が用意したモノであって、その多くは資格取得を目的としている。

もう一つ感じることは、「考えることが苦手」という大人が多いということだ。
「自ら問題を見つけ、解決策を探す」ということが、とても苦手な気がすることが多々ある。
最初から「正解」が用意されており、その「正解を目指す為のknow-howを求める」という傾向が強いように感じている。

この「自ら問題を見つけ、解決策を探す」という行為そのものは、とても高度で「人でなくてはできない領域」だと、考えている。
逆に用意された「正解」を求めるためのknow-howであれば、AIの方がよほど早くて正確なモノを導きだせるはずだ。
そのように考えると、これから先のAI時代に向かって、日本の大人たちはますます「最低レベル」を更新していくのでは?と、心配をしてしまうのだ。

そして思い出したことがある。
それは、「諸外国(特に米国)の派遣社員」と「日本の派遣社員」の大きな違いだ。
諸外国における派遣社員とは、高度な専門知識を有したその道のプロを限定的期間雇用する、という内容であることがほとんどだ。
それに対して、日本の派遣社員は「労働力の調整弁」のような役割を持っている。
役割が違うので、そこで求められる能力や技能もほぼ必要ない、ということになる。
その違いを十分理解せずに、導入してしまった結果「非正規雇用者」が極端に増え、日本経済の低迷に一役買ってしまったことに、繋がっているような気がしている。

このような社会・労働環境であれば、大人になってから自分のビジネススキルを上げることや、より高い専門性を学ぶ、という意識がなくなってしまうのも当然だろう。
これからの経済という視点で考えてみても、その損失は大きく、諸外国から置いてきぼりとなるのは当然なのかもしれない。


呆れはててしまうほど、劣化が進む自民党?

2024-02-25 21:26:01 | 徒然

「ほとほと呆れてものが言えない」とは、このことだろうか?
財務大臣が「納税を行うかは、議員の判断」と、国会で説明をしている。
勿論、この発言に対してX(旧ツイッター)等では、「国民も、自分の判断で納税するか・否かを決められる」というポストが、されているようだ。
Huffpost:鈴木財務相「納税行うかは、議員が判断すべき」発言に怒り爆発の人続出。「国民も自己判断でいいってこと?」 

中学生の頃(だったと思うのだが)、「国民の義務」の一つに「納税」があったような気がする。
だからこそ、サラリーマンは、天引きで所得税を支払い、自営業者や不労収入等があった人等は、「確定申告」という方法で、納税をしている。
鈴木財務相の言葉からすると、「議員は国民ではないので、納税の判断は自分で行うべき」という解釈にもとれる。

もう少しツッコみをするなら、「(国会議員は)国民の代表ではあるが、国民ではない」とも読み取れる。
確か国会議員は、「日本国民でなくてはならない」とされていたと思うのだが、鈴木財務相はどうやら日本国民ではないらしい。
そして「パーティー券」の売り上げを懐に入れ、報告をしていなかった国会議員も日本国民ではない、ということになる。
とすれば、日本国民ではない人が立候補をし、有権者がそれを認め、当選させてきた、ということになる。
一体彼ら・彼女たちはどこの国の人達だったのだろう?
単純に、そんな疑問がわいてくるのだ。

「自己保身の為の詭弁」のつもりで、国会で発言してしまったのかもしれないが、あまりにも軽率すぎる発言ではないだろうか?
何故なら、国会の予算委員会での発言は「議事録」として残るからだ。
後で「修正」という訳にはいかないからだ。
勿論、後日「発言を訂正したい」という趣旨の発言を基に、訂正することはできるとは思うのだが、一連の発言内容は記録として残される。

本来であれば、国会での発言というのは、それほどまでに重みがあるはずだし、真剣に考え議論をすべき場所でもあるのだ。
いつしか、そのような場であるはずの国会が、変わってきてしまったようだ。
一部では、安倍元首相があのようなカタチで亡くなってから、自民党がダメになった、と考えられている方もいらっしゃるようだが、個人的には安倍元首相が隠ぺいしていたモノが一気に噴き出してきたのでは?と、考えている。
それほどまでに、安倍元首相を中心に自民党は国会という場を軽々しい場所にしてきた、という印象を持っているからだ。

鈴木財務相の言葉は、その一つの現れだったのではないだろうか?
国会議員だから偉いのではない、国民と同じように納税義務はあり、その単位は1円まで報告すべきなのではないだろうか?
日本国民の代表者としての「責任」があるのであれば、それは当然のコトだと思う。


いつの時代でも「バブル経済」は起きる

2024-02-23 22:02:46 | ビジネス

母の墓参りの為、帰省をしていた。
とはいえ、本当の所は高齢の父のご機嫌伺いという名の介護だ。
その間にも、様々なニュースがあった。
昨日には、34年ぶりに日経平均をバブル期を上回った、という報道もあった。
その割には、34年前とは違い社会全体が落ち着いているように感じている。
34年前のバブル経済の時のような、浮足立った感がほとんどないのだ。
勿論証券市場関係者は、それなりの安堵感はあるのでは?と、想像している。
34年間も、市場が低迷していたのだから、安堵してもおかしくはないだろう。

この日経平均がバブル期を越えた背景には、「半導体バブル」の到来ということも一因している、と言われている。
ZAKZAK(夕刊フジ):株価史上最高値、最大の原動力は「半導体バブル」初の4万円台も“通過点”と市場関係者 関連銘柄軒並み急騰も「継続」に懸念 

相当強気な市場関係者は、4万円台も夢ではないと考えているようだ。
ただ、この見出しで気になるのは「半導体バブル」という言葉だ。
34年前、日本経済が好調で対ドルに対しても100円を切るような状況だった。
その頃の夢を再び!という、思いがあるのかもしれないが、日本のバブル経済が崩壊するのはその2年後くらいだ。
それ以降、日本経済は復活とは程遠い状況に陥り、実質賃金は下がり続けている。
自動車メーカーの春闘での回答が、2万円前後だとしても、それ以上の物価上昇というのが生活者の実感だろう。
まして、新卒者の初任給を上げることは良いことだが、それなりのキャリアを積んだ社員(特に入社数年経過をした女性社員)との逆転現象が起きてしまうのではないのか?という、懸念をしている。

34年前のバブル経済をけん引したのは、「不動産」だった。
不動産というよりも、「土地」と言った方が良いかもしれない。
崖地のような場所であっても「土地」であれば、それなりの高値が付いたからだ。
「地上げ屋」と呼ばれる、反社勢力を使った熾烈な「土地買収」も行われた結果、都市部では「歯抜け」のような場所が至るところに出現し、その多くは現在駐車場となっている。
それが、防災やスマートシティ等の都市計画に影響を与えている、という事実もある。

この「バブル経済」の始まりは、17世紀のオランダが最初だったと言われている。
なぜオランダ?と思われるかもしれないのだが、この時の「バブル経済」の元となったのは、チューリップだ。
チューリップの品種改良が盛んであったオランダで、珍しい花を咲かせるチューリップの球根に高値が付くようになったのが、始まりと言われている。
日経ビジネス:球根1つで豪邸が?チューリップマニアは酒場から生まれた

要は、人の根拠のない「噂の儲け話」が、「チューリップバブル」を生んだという訳だ。
そして「バブル経済」は、対象を替え続けることで今も続いている。
現在の「半導体バブル」についても、数か月前までは「日本半導体一人負け」と言われていたことを思い出してほしい。
ほんの数か月前、日本の半導体は世界でも遅れを取っている、と再三指摘をされてきたのに、突然最先端になるのだろうか?
まして、34年前と今とでは、日本の経済状況は全く違う。
「日経平均がバブル経済絶頂期を越えた」と言っても、けん引している産業の実態を見ると、本当に「バブル経済」を作り出すだけの力があるのか?
そもそも「バブル経済とは何か?」ということを、過去から学び現状を分析する必要があると思う。


食品を扱う企業のトップの発言がこれでは…‐オイシックス会長のPost

2024-02-16 20:03:25 | ビジネス

Huffpostを見ていたら、驚くような記事があった。
Huffpost:オイシックス会長が「放射能汚染水」。会社が過去にも複数回注意。福島第一原発の処理水巡り 

福島第一原子力発電所事故で発生した「汚染水」に関しては、まだまだ原発の内部にとどまっているものもあり、処理そのものが進んでいない、という状況だったように記憶している。
そして現在、海洋放出されているものは「汚染水」ではなく、安全性が担保された「処理水」である。

ご存じのように、この「処理水」の海洋放出については、近隣諸国から「放射能が含まれた汚染水を海洋に放出することは、海洋環境を破壊する」等の抗議が相次いだように思う。
確かに、「処理水」については海外でも様々な意見があるようなのだが、概ね「問題となるトリチュウムは、大量の水で希釈されているので問題はない」という意見が大半のようだ。
BBC:【解説】福島第一原発の処理水放出、その背景の科学は 

BBCの記事は、昨年の8月に掲載されているものになるので、その頃には「処理水」と「汚染水」の区別はハッキリとし始めていたのでは?という、気がしていた。
ところが、今回のオイシックスの会長がX(旧Twitter)で、過去何度も「放射能汚染水」という言葉を使って投稿していた、というのだ。
ご存じの通り、オイシックスは家庭向けの野菜等の宅配サイトを運営している企業だ。
確か、人気テレビドラマ「きのう何食べた?」とのコラボ企画で、ドラマに登場したメニューの食材キット等の販売をSNS等に広告していたような気がする。
オイシックス:きのう何食べた?✕オイシックス 

シロさんのつくるお料理はどれも美味しそうだが、2人分となるとスーパーで食材を買い集めると使いきれないのでは?という不安があるドラマファンにとっては、嬉しい企画だったのでは?と、思いながらSNSの広告を見ていた。
実際、世帯人数が減ってきている今、これまでのようにスーパーで購入する野菜等は使いきれずに、廃棄してしまう、という家庭にとって、少人数向けにカットされた野菜のお料理キットは、便利で廃棄するという罪悪感もない。
そのような生活者の心理もあり、このような「食材宅配便」は、人気になっているとも聞く。

そのような食材を扱う企業のトップが、このような言い間違いを繰り返し、X(旧Twitter)に投稿するということは、企業イメージを大きく損なう行為だ。
だからこそ、投稿した会長に対して何度も注意をしているのだろう。
にもかかわらず、懲りずに何度も同じことをしてしまう、ということに経営者としてどうなのだろう?という、疑問を感じてしまうのだ。

確かにオイシックスが主に扱う食材は、野菜なので海洋放出され被害が懸念される魚介類ではない。
だからこその「福島第一原発の『処理水放出』に対する抗議」なのだとすれば、そのことを正面切って言えば良いのでは?
「食材を扱う企業として、処理水の海洋放出は反対である」と。
そのようなことを政府に対して訴えるのではなく、SNSに投稿するとでオイシックスという企業のトップの発言となってしまっているのだ。
同様の投稿が重なれば、それは企業のイメージダウンに繋がっていく。
だからこそ、企業としてのオイシックスが何度も注意をしているのだ。

もしかしたら、SNSに自分がこのような投稿をすることで、企業イメージが下がってしまう、とか企業の信頼が低下する、ということを考えなかったのかもしれない。
いち早く、企業のトップをお辞め頂くことが、オイシックスの最善の方法かもしれない。


そのお金を公立図書館に振り当てて欲しい ‐突如計上された二階氏の書籍代‐

2024-02-15 19:32:21 | 徒然

昨日から話題になっている、自民党元幹事長の二階俊博氏の「3470万円」の書籍購入費。
突然、この金額が計上されたこと。
何よりも常識的な「書籍購入額」ではなかったこともあり、問題視されている。
東京新聞: 【一覧】二階俊博氏が数千冊も買った本に政治家の名前 3年で3,470万円、高額な書籍代の内訳 

確か昨日の二階氏側の説明では、「最低ロット数の購入を出版社から言われた」という趣旨の話を、されていたように思う。
この時思ったのは、ゴーストライターが二階氏の名前で本を書いたのでは?という、ことだった。
その理由が、出版社側から「最低ロット数の購入」という趣旨の話をされた、ということだったからだ。

いわゆる出版社に持ち込み企画として、本を出版するように働きかけると、出版社側も極力リスクを回避するため、最低ロット数は購入して欲しい、という条件を出してくるだろう。いくら自民党の重鎮と言われる人であっても、ゴーストライターに書いてもらった内容であっても、自分の名前で本を出版するのであれば、さもありなんと考えたからだ。

ところが、一番多く購入した本を書いたのは、二階氏ではなく政治記者と呼ばれる方が書かれている。
他の本も同様だ。
とすれば、最低ロットで出版したが売れ行きが悪いということであれば、在庫を抱えるのは二階氏ではないのでは?
元々取材対象者が二階氏なだけなので、二階氏が積極的に購入する必要が無かった本を大量に購入した、ということになる。

そして、「購入した書籍は、パーティーなどで渡すつもりだったが、コロナ禍で後援者に渡すことができなかった、という話もされている。
この話を聞いた時、随分前に自分の名前のを入れた盆踊り用の団扇を、後援会を通して盆踊り会場で渡した議員さんが、「公職選挙法」で告発された、ということがあった。
盆踊りの団扇に比べれば、今回の本の方が高額であり、購入した部数も遥かに多いのでは?と想像すると、「公職選挙法」等に抵触する可能性もあるのでは?
先の「盆踊りの団扇」に関しては、不起訴処分となり政治家に対するお咎めなし、ということでわわったのだが、今回も同様なのだろうか?

このように疑問点を積み上げていくと、二階氏側の説明に矛盾のようなことが次々と出てくるのだ。
自分の宣伝の為に、政治記者に本を書かせ、それを支援者に配布する、ということは、本の内容が相当脚色され、二階氏を美化下内容である、と考えるべきかもしれない。
現実離れした虚像を政治ライターと呼ばれる人に書かせたうえで、支援者に本を渡すことは「選挙活動の一環」なのではないだろうか?

個人的には、それだけのお金をかけ、もらった人がブックオフなどに売り捌いてしまうことが目に見えるのであれば、それらのお金を図書購入費が減額されている様々な自治体の図書館が購入資金の足しにしてほしい、と思うのだ。



「弱い」ことに共感する -Z世代考‐

2024-02-14 22:09:51 | マーケティング

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、「Z世代」についての記事があった。
朝日新聞:Z世代に響かない既存の報道や運動、個人主義でメディア不信 

まず、「Z世代」となる年齢を確認しておきたい。
一般的には10代後半から20代前半の若者を「Z世代」と呼ぶ傾向がある。
と言っても10年位の年齢幅があるので、それを一括りにしてよいのか?という考えもある。
記事にある通り、Z世代と呼ばれる若者たちは、生まれた時からデジタルツールが自分の周囲に溢れ、抵抗なくそれらのデジタルツールを使いこなす。
その意味では、見出しにある通り「デジタルツールから得られた情報や価値観」によって、成長してきた世代と言えるかもしれない。

「デジタルツール」が身近にあることで、マスメディアと呼ばれる既存メディア以外からの情報を得やすい、という点は見出しにある通りだ。
おそらく彼らの情報の元となるのは、InstagramやTikTokが中心なのでは?と、想像している。
ご存じの通りInstagramやTikTokは、あくまでも個人が情報発信するSNSであって、新聞社やテレビ等の既存メスメディアが発信しているモノではない。
言い換えれば、情報そのものが「個人」のモノであり、既存メディアが発信をするような社会的な問題や動きには、感心が低い、ということになるだろう。

とはいえ、社会人となればそのような「個人」の情報発信だけでは、仕事を含め社会の中にいることは難しいだろう。
その逃げ道(と言っては語弊があるが)として、今後ますます「自分と同じ人」が発する情報に触れたい、という気持ちになっていくのでは?と、想像することができる。
その理由が「自分と同じ=共感性」ということになるのかもしれない。

それは、社会に出ると暗黙の圧の一つになる「強さ」ではなく、「弱い自分に対する肯定」なのではないだろうか?
人は誰しも強いところばかりではない。
TPOに合わせ、時には強い自分を演じ、素に戻れば弱い自分の存在を認めているのではないだろうか?
そのような「弱い自分の存在」を出せる場所が、Z世代にはない、ということなのか?そのような場所を見つけられない、というのが今の状況なのかもしれない。

そう考えると、最近時折見かける「ちいかわ」のようなキャラクターは、彼らにとって「癒し」の存在なのかもしれない。
筋骨隆々の勧善懲悪なストーリーが目立っていた少年ジャンプなどでも、「東京リベンジャーズ」の主人公は、強いというよりもどこか弱さを感じるキャラクターが登場するようになってきている(と言ってもアニメ版をTverで少し見ただけなのだが)。
「不良が主人公のマンガ」と言っても、これまでのような勇ましさを感じないのだ。
それが、Z世代の一つの価値観だとすれば、「弱さ」は決してネガティブなことではなく、時には「自分を守る」ポジティブなことへと変化していく。

彼らの価値観がどのように変化していくのかは分からないが、これまで「強さ」ばかりが強調されてていた価値観から「弱くても自分らしくある」という価値観が主流となっていくかもしれない、と感じるのだ。


34年ぶりの高水準の株価平均。単純に喜べない気がする

2024-02-13 21:07:07 | ビジネス

夕方、速報の知らせがスマホにあった。
何ごとか?と思って見ると、日経平均株価が34年ぶりの高水準で、終値が3万7千円を超えたというニュースだった。
日経新聞:「割安日本」に投資マネー 日経平均、史上最高値視野に  

「コロナ禍」前は、日経平均が2万円前後だったような記憶がある。
その後、政府の方針等でNISAやiDECOと言った、「0金利時代の老後やライフイベント資金の為に」という、個人資産つくりを国が奨励したこともあり、投資信託と呼ばれる比較的リスクの少ない投資をする人達が増えていた。
それは、年金等に対する不安の表れでもあるのでは?と、個人的には感じている。

そんな中、今日の日経平均が3万7千円を超えた、という話題は明るい話題のようにも思えるのだが、日経新聞の見出しにある通り、今の日本は海外の投資家から見ると「お買い得」という状況にある。
「割安」と言われるのは、円安が停まらないからだ。
言い換えると、国際市場の中において、日本は「お値打ちな国」になってしまった、ということなのだ。
お値打ちな理由は、バブル崩壊後も堅実に日本経済を支えてきた様々な産業分野の国際的価値が下がっている、ということでもある。

エントリタイトルにある34年前と、大きく違うところなのだ。
34年前の日本の経済は、どのような状況であったのか?と言うと、自動車産業を筆頭に輸出大国と呼ばれ、円高の状況にあった。
今とは逆で、日本の経済そのものが破竹の勢いが感じられ、それがバブル経済に繋がりはじめた頃だ。
今思えば信じられないかもしれないが、円に対するドルが100円を切り、70円台になった、という頃でもある(と記憶している)。

社会全体がザワザワとし、「お金があることが、最大の価値」のように言われていた時代でもあった。
勿論、そんな時は長く続かず「バブル経済」は、あっという間に崩壊し、都市銀行や証券会社が破綻し、経営統合が当たり前のように行われ、以来日本経済は復活することもなく、34年という時間が過ぎていった、ということになる。

上述したように34年前と現在との大きな違いは、対世界、特に米国に対して日本の経済力が決して強いわけではない、という点だ。
GDPでもドイツに抜かれ4位になってしまったのは、それだけ日本の経済力の低下でもあり、「低賃金で働かせる国」ということにもなってしまった、と考えるべきだろう。
元々日本の工業製品は、性能や品質が高い、ということは知られている。
だからこそ、海外からの投資家からすれば、「安い投資額で、リターンが大きいのでは?」という考えの結果が、今日の平均株価ということになるのでは?と、考えている。

日経平均で史上最高値と、手放しで喜べる状況ではない、ということを理解する必要があると考えている。


政治“家”に関する規範的な法律は、国民が決めるべきかもしれない

2024-02-12 23:16:21 | 徒然

先週末から、バタバタとしブログを書く気力がないまま3連休を過ごした。
その間にも、自民党幹部による「裏金問題」に対する不満のようなモノが、国民の間では燻り続けている。
その大きな理由は、「裏金問題」の渦中の自民党幹部が、「修正報告」という方法によって自身の罪を逃れている、と多くの有権者が感じているからだ。

というのも、有権者にとって「納税」は義務であり、例え修正報告をしたとしても、その後「追徴課税」等の罰則があるからだ。
にもかかわらず、自民党の幹部や大物議員と呼ばれる人たちは「修正報告」のみで、お咎めなしとなっている。
有権者というよりも国民にとって、この処分は納得がいかないはずだ。
だからこそ、「裏金問題」が発覚してから今に至るまで燻り続けているのだ。

これまで、政治“家”に対する様々な優遇的な法整備がされてきた。
それは当然だろう。
国会議員がその法律を決めているのだから。
どうしても身内に甘くなるのは、国会議員でなくてもあることだ。
だからと言って、国民は「法律」という枠の中で、生活をし経済を動かしている。
決して「自分に甘い法律」という枠の中で、日々生活をしているわけではない。

国民に対してそのような枠をはめ込んでいるにも関わらず、政治”家”自身が律するどころか自分たちにとって甘々な枠の中にいる、ということが徐々に判明してきている。
そのことに気づかず(あるいは気づいていても知らない顔をしている)に、「自分は悪くない」と言わんばかりに、「政治と金(正しくは「選挙と金」だろう)」という問題から目をそらし続けている。

このような問題が明らかになってしまったのだから、「政治“家”に関する法的な規則は、国民が決める」という方向へ持っていく必要があるのでは?という、気さえしている。
「自分に甘く、他人に厳しく」では、「国民の為に働く政治家」という期待ができないからだ。
以前から言われている「永田町村社会」で通じることは、世間では通用しないのに、それが通じると思い込んでいる政治”家”が、あまりにも多いということも、期待できない理由として挙げられるかもしれない。

「派閥解消」で幕引きを考えていた、と思われる岸田首相の思惑とは、全く違う方向へと世論が動き始めている。
この世論の動きは、岸田首相にとっては「何故なんだ?」という気持ちかもしれない。
それほど、政治“家”と国民との間には、大きな溝が生まれてしまっているのだ。
何ごとにおいても、原因と結果がある。
長らく言われていた「政治不信」の原因の一つが、今明らかになっているのだ。
その解決策を考え、実行するだけの覚悟を岸田首相は持っているのだろうか。


久々に聞いたフレーズ「記憶にございません」だが・・・。

2024-02-08 19:44:15 | 徒然

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、40数年ぶりに聞いたフレーズの見出しがあった。
朝日新聞:「記憶にございません」10連発 盛山文科相、教団接点巡り答弁迷走 

盛山文科相の言った「記憶にございません」というフレーズをすぐに思い出すことができるのは、50代後半くらい以上の年齢の方たちだろう。
この言葉を国会の場で初めて言ったのは、ロッキード事件で追及された小佐野賢治だった。
小佐野賢治と聞いても、「誰?」と思う方の方が多くなっていると思うのだが、戦後のフィクサーとも呼ばれた政財界に名をとどろかせた実業家だった。

フィクサーと呼ばれるにふさわしく、小佐野賢治の交友関係はとても広く特に金丸信や中曽根康弘と言った当時の自民党幹部とは懇意であった、と言われている。その中でも時の総理であった田中角栄とは親しかった、と言われており、「ロッキード事件」では、小佐野賢治と田中角栄の贈収賄等の疑惑が、獲り沙汰されることになったのだ。

その後「ロッキード事件」については、米国の陰謀説等も言われるようになったが、この事件が発覚した当時は、小佐野賢治だけではなく、日商岩井等の商社の社長等も「証人喚問」として呼ばれ、その宣誓書にサインをするときは、緊張のあまり手(だけではなく腕まで)が振るえ、サインができなかったという人物もいた。
それほど、国会で証人喚問されるということは、緊張感のあるものだったのだ。

最近の「証人喚問」の映像とは全く違う張り詰めたものがあった。
だからこそ、「記憶にございません」という、逃げの言葉に対しても喚問する側はしつこく、言葉を選びながら丁々発止を繰り返していた、と記憶している。

それに比べ、最近の国会での「記憶にございません」という言葉の軽いこと。
今回の盛山文科相の答弁も「記憶にございません」という言葉で、物事をうやむやにしてほとぼりが冷めるのを待っているように感じた。
小佐野賢治の場合は、フィクサーと言えども国会とは関係のない一般人に対して、今回の盛山文科相は通い慣れた場所という違いがあったにせよ、とにかく緊張感がないように感じるのだ。

もしかしたら、この軽さは「本当にこの人大丈夫?」と感じさせる答弁だからかもしれない。
勿論、質問力という技量の問題もあるとは思うのだが、のらりくらりと「埒の開かない」答弁に、イライラしてくる。
そしてもっと驚くことは、このような人物を更迭せずにいる、岸田首相の政治家としての感性だ。
かつての自民党は、このような不祥事が起きると、すぐさま離党させていたような印象がある。
自民党という政党を守るためには、このような手段も辞さない、という首相の意思を感じさせたのだ。
それが、岸田首相に限っていうなら、様々な疑惑が指摘されても、その重大性が理解できないのか?あるいはまったく関心がないのか?「我関せず」という態度なのだ。
それが、内閣支持率低下という状況になっても、続いていることに、岸田首相の政治家としての感性の不思議さを感じる。