日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

本年もありがとうございました。

2018-12-31 10:00:57 | 徒然

大晦日になりました。
本年もありがとうございました。

今年、一緒に仕事をさせていただいた方の訃報が、重なりました。
「そのような年齢になった」といえば確かにそうですが、一緒に仕事をさせていただいた方、仕事のご指導を頂いた方の訃報というのは、やはりショックな出来事でした。
亡くなられた時期が重なったこともあり、思いのほか精神的疲労を伴うものだ、ということを実感した年でもあります。

さて、FM番組に「感じて漢字の世界」という10分足らずの番組がある。
「白川文字学」などから、漢字の成り立ちなどを解説し、解説の内容から「漢字」のイメージを膨らませ一つの物語を作る、という構成の番組なのだが、今回は来年の干支から「猪」という漢字が取り上げられていた。
「猪」から思い浮かぶ「猪突猛進」という言葉とは裏腹に、「猪」という漢字には「肉がたっぷりと充実した動物」という意味が含まれているらしい(以下、番組のスクリプト)

「感じて・・・、漢字の世界」。

今日の漢字は「猪」。
新しい年の干支にあてはめられた動物の漢字をひもときます。

「猪」という漢字はけものへんに「者」と書きます。
けものへんは「犬」という漢字が変形してできた部首で、
おもに、犬に似た動物や野性的な行動などを
意味する漢字に使われます。
一方の「者」という漢字にはいくつかの意味がありますが、
「猪」という字に使う場合は、
多くのものが集まっている様子や
充実している状態を表しているといいます。
つまり、けものへんに「者」と書く「猪」は、
肉がたっぷりと充実した動物、という意味をもつのです。
猪と日本人の関わりは縄文時代にさかのぼります。
いにしえの人々は、クマ、シカなどと並んで、
イノシシを主要な狩猟の対象としていました。

縄文時代から今にいたるまで、食用として親しまれてきた猪の肉。
仏教伝来の折、獣の肉を食べることが禁じられたものの、
人々は隠語を使い、隠れて獣の肉を手に入れて
味わっていたといいます。

イノシシそのものは「山鯨」、その赤身の肉は「ぼたん」。
ぼたん鍋を出す料理店では、
肉を牡丹の花のように飾り付けた大皿が出されます。
ともに煮込むのはダイコン、ニンジン、ゴボウ、セリ。
少し濃いめの味噌仕立ての汁で、ゆっくり煮込んでいただきます。
甘味のある脂身の肉は、冬の味覚にぴったりです。
いにしえの人々もまた、
捕まえてきたイノシシを、煮込んで食べていました。
群馬県の神保植松(じんぼうえまつ)遺跡には、
イノシシの顔が縁に飾られた土器が発掘されています。
男たちが仕留めてさばいたイノシシの肉と、
女たちが摘んできた山菜や野草、子どもたちが運んできた清流の水。
まとめて土器に入れてじっくり煮こんで、家族で囲む寒い夜。
三千年のときを経ても、幸福な日の風景は今と同じです。

「十二支」は古代中国・殷の時代から使われてきた暦のひとつ。
季節の巡りと再生を文字に置き換えて覚えやすくした、
十二の動物です。
「亥年(いどし)」、イノシシの年は一番最後、
十二番目にあたり、万物が再生するための「核」を象徴しています。
それは、生命の力が種子の中に閉じ込められている状態。
中国の暦において亥年とは、
命が芽生えるその手前、準備の時期にあたるのです。
「猪突猛進」もいいけれど、
地に足をつけて学ぼう、誰かとじっくり話をしよう。
充実した心と身体で、新しい自分に生まれ変わるその日まで。

このスプリクトにあるように、来年は充実した心と身体で、地に足をつけ学び、コミュニケーションが必要な年になるかもしれません。
何故なら、AIにできないことは言語化できない人の気持ちを汲み取ることだから。

年末寒波で、全国的に寒い大晦日のようです。
心だけは温かく、新しい年をお迎えください。
本年もありがとうございました。



 

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好きな本を読めばいいじゃない

2018-12-29 20:24:26 | 徒然

昨日が、仕事納めで今日から1月6日までお正月休み、という方も多いのではないだろうか?
随分長い休みのように思えても、過ごしている間はアッという間に終わってしまう。
だからこそ、「年末年始こそ、本を読む」という記事も目立つような気がする。

日経新聞COMEMO:書店員が年末年始におすすめする本。また、ビジネスパーソンについて

実は、このようなリストを見ると「好きな本を読めばいいじゃない」という、気がするのだ。
確かに、ビジネス本のうちベストセラーと呼ばれる本を読まれる方は、とても多い。
多いと思うのだが、それらの本を読んで「どう感じ・考えたのか」という点になると、どうなのだろう???と、疑問に感じることがある。

これはあくまでも私の読書スタイルなのだが、「いろいろ考えながら、本を読む」。
もちろん、読んでいる本の内容から、「私なら」という視点で様々なコトを考えるような癖がある。
特にビジネス本と呼ばれる本を読むときには、そのような傾向が強い。
そして、ビジネス本に限らず、興味を持った「読んでみたい!」という本を、積極的に読むべきでは?と、思っている。
何故なら、そのような本は読んでいても楽しいし、面白いからだ。
間違っても「ビジネスに役立つ」というつもりで読んでいると、読書そのものがつまらなくなる。

昨年の暮れは「遺伝子医療革命」を読み、今年は池田晶子さんの「あたりまえなことばかり」を読み終わり、仲野徹さんの「(あまり)病気をしない暮らし」を読み終えようとしている。
池田さんの本を読みながら「企業にも経営哲学」というものが必要で、経営者であれば「社会にとって自社とは何か?」という、当たり前なコトを常に考え続ける必要があるのでは?それが「企業が社会の公器」となる方法なのでは?などと、思い考えるのだ。
「遺伝子医療革命」にしても「(あまり)病気にならない暮らし」にしても、今の医療の現在地のようなものが分かり、パターナリズム的な医療を受けることは、最善の医療を受けることではない、と実感するのだ。

様々な分野の本を読むコトで、随分と視野が広がり意外なところで「点と点が結びつく」ような発想が生まれることも多い。
逆に言えば「ベストセラー」と呼ばれる本は、誰もが同じ情報ソースを持つ読書となるので、意外性はなかなか生まれてこないのでは?
だからこそ、自分で「これは!」と感じた本を、ただただ読めばよいのでは?という、気がするのだ。
もちろん、読み始めてページが進まないコトもあるはずだ。
その時は、また別の時に読めば良い。
「本を読む」ことは、一種の遊びの延長なのだから。


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インバウンドは、地方へ移りつつある?

2018-12-26 16:01:36 | ビジネス

毎日新聞のWEBサイトを見ていたら、「え!?」と思う記事があった。
毎日新聞:鳥取が一番いいね 国宝に自然「聖地」も充実外国人向けサイト
紹介されたサイトは
ガイジンポット:2019年日本の旅行先トップ10

鳥取県内に実家がある私だけではなく、多くの方が外国人向けの観光サイトで鳥取県が人気ということに、驚かれたのではないだろうか?
東京のような買い物ができる場所は無く、京都のような有名観光地もないからだ。
確かに「鳥取砂丘」はあるが、それ以外に思い浮かぶ観光地を知っている方は、あまり多くないのでは?という、気がしている。


高度成長期からバブル経済の崩壊まで、鳥取県は「経済の波(というべきか?)」に乗ることができなかった。
今でも、最低賃金などは全国レベルでも低く、過疎化が進んでいる、という地域であることには変わりないだろう。
「開発が遅れ、発展が遅れた」ことが、今の豊かな自然が残り、自然が育んだ食がある、という経済優先の頃には分からなかった地域の資産に目を向けることになったのかもしれない。

確かに紹介されたトップ10のうち、東京・代官山を除き自然が豊かで昔懐かしいものを感じさせる所ばかりだ。
東京・代官山であっても、路地裏のような場所の写真が掲載されている。
一般的なガイドブックで紹介されているような風景だけでは、物足りなさを感じ始めている、ということかもしれない。
それは、日本への観光旅行のリピーターが増え始めている、とも考えられる。
そう考えれば、地方の手つかずの自然やその自然を満喫でき、日本の伝統的な文化に触れられるような地域こそ、インバウンドの中心となっていく地域なのではないだろうか?


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平成以前のクリスマスと平成終わりのクリスマス、違いは「クリぼっち」

2018-12-25 20:56:07 | アラカルト

今年は、22日から24日のクリスマスイブまでが連休となったため、さぞ「カップルで過ごすクリスマス」を楽しむ人が多かったのでは?と、思いきや、そうではなかったようだ。
日経新聞:「クリぼっち」でいいじゃない 変わるXマス消費 (会員向け有料記事の為、一部のみ掲載)

Huffpost:クリスマス、焦らなくても大丈夫。過半数が「いつも通り自宅で過ごす」(調査結果) 

これらの記事を読むと、平成前のクリスマスと平成終わりのクリスマスとでは、クリスマスの過ごし方が随分変わってきているな~という、気がする。

平成前というよりも昭和の終わりごろのクリスマスの過ごし方(若い独身者が対象だが)は、カップルでホテルのクリスマス特別ディナーを食べ、そのままホテルで一夜を共に過ごす、というのが半ば定番のように言われていた。
今では信じられないかもしれないが、クリスマスイブ明けのクリスマス当日には翌年の宿泊予約を入れないと、翌年の宿泊が取れないほどだった(といわれている)。
実際、そこまで凄まじいクリスマスを過ごした若者がどれほどいたのかは疑問なところがあるが、バブル真っ盛りの頃、たまたま仕事で出かけた銀座が異様なほどの数の若い男性がいて、宝飾店の前に人だかりができていたのは見たことがある。
このような光景が、ニュースなどでも取り上げられ、全国的に「クリスマスは、カップルで過ごすもの」という、イメージが定着したような気がしている。
考えてみれば、キリスト教徒でもないのにカップルで教会に行ったり、キリスト教の国々では家族で過ごすのが定番にもかかわらず、カップルで過ごす日という決めつけのようなメディアの煽り方は、異常だったと思える。

それに比べ、今や「クリぼっち(クリスマスを一人で過ごす)」ということに、抵抗感が無くなりつつある、というのはメディアに踊らされない若者が増えてきた、ということかもしれない。
もちろん、ホテルでディナーをして宿泊をするようなお金が、もったいない!という、意識の変化もあるとは思うのだが、それだけ堅実な金銭感覚を持った若者が増えてきた、とも考えられる。
「景気が良い」ようなことを言われても、「景気(が良い)実感がない=クリスマスディナーなどを楽しむ経済的余裕が持てない」、という現実的な理由もあると思う。
「クリスマス」そのものが、日本人の中に定着し、それぞれの過ごし方をするようになった、ということのような気がする。

1日遅れですが。映画「ボヘミアンラプソディー」の最後にも登場した、「LiveAID」のファイナル
どのようなクリスマスを過ごされましたか?






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これから必要になるのは「考える力」

2018-12-23 14:56:40 | ビジネス

年の瀬となり、新聞やテレビなどでは「今年を振り返る」という記事が目立つようになってきた。
その中で取り上げられるであろう一つが、「スポーツ界での暴力事件やパワハラ」だろうか?
特に今年の春起きた「日大アメフト部反則タックル」事件は、今年起きたスポーツ事件を象徴するような事件だったかもしれない。
最近は、話題にもならなくなった事件だが、事件が終わったのか?といわれると、まだまだ終わっていないのでは?という気がしている。
何故なら、この事件をきっかけに「スポーツ指導者と選手」という関係が、優秀な選手を育てる為には「暴力を伴う指導もあり」という肯定感がいまだにあるように思えるからだ。

このような「暴力を伴う指導」をされる指導者の多くは、選手時代にトップで活躍された方が多い。
選手時代の実績が、その指導能力のように思われ続けてきた、というのが今までのスポーツ界の常識だったのかもしれない。
そのようなスポーツ界の常識(?)にも変化が出ているようだ。
Huffpost:真の指導者は、教えない。プロ野球・吉井理人コーチが明かす『勝手に成長する人』の育て方

記事の内容の半分くらいは、吉井さんが書かれた本の宣伝を兼ねているような気がするのだが、それでもインタビュー内容は考えさせられるものがある。
何より、タイトルとなっている「真の指導者は、教えない」という言葉は、スポーツ界だけではなく、ビジネス界についても同じことが言えるのでは?という気がしている。
インタビューを読んで感じることは「考える力」ということだ。

ビジネスの世界でも、新人を育てる為には「手取り足取り教える」場合が多い。
確かに、経験もなく知らない世界なのだから、「手取り足取り教える」必要があることも少なくはない。
ただそこで注意したいのは、「思考停止に陥らせない」ということなのではないだろうか?

「ハラスメント」の代名詞となっている「ブラック企業」の場合、働く人たちの多くが「思考停止」に陥っていることが多いように思う。
正しく言うなら「考える力すら無くしている」働く側と「考えさせないようにさせている」指導者、という関係ということかもしれない。
「反論すると、ペナルティー(もしくは懲罰)を与えられる」という恐怖心などが、「思考停止」をさせる原因といわれているが、そのような指導者側もまた「思考停止」をして、自分が与えられたペナルティー(や懲罰)の体験を相手に与えているだけ、ということにも気づかない、という状況なのではないだろうか?
指導する側も「思考停止」に陥り、指導を受ける側に「思考停止」を命じている、という主従関係が「ハラスメント」の遠因になっているのではないだろうか?

とすれば、これからは指導する側も指導される側も「思考する、考える力」を持ち、コミュニケーション力をつけることが「強い人」を育てることになるような気がする。

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マネージメントって、何だろう?

2018-12-21 21:29:37 | ビジネス

日経新聞のCOMEMOを読んでいたら気になるコラムがあった。
大阪ガスのエネルギー・文化研究所の所長をされている池永さんのコラムだ。
COMEMO:神様、王様がいっぱい住む日本、どないなってんねん

池永さんのコラムは、軽妙洒脱な語り口でありながらなかなか鋭い切り口だな~と、思いながら拝読させていただいている。
今回の「神様、王様」というのは、今の生活者のある場面における意識の偏りを揶揄しているように思えたのだ。
それは最近問題となっている「モンスター化したお客様」だけではなく、現場よりも企画のようなカッコ良い仕事のほうが価値があるといった、職種や立場による上下関係というか主従関係を作りたがる、今の生活者の意識の問題だ。

その中でも「マネージメント」って何?という、疑問を呈していらっしゃるコトに興味を持ったのだ。
「マネージメント」といえば、10年ほど前になるだろうか?ドラッカーの「エッセンシャル版・マネージメント」を分かりやすく書いた「もしも、高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネージメント』を読んだら(通称「もしドラ」)」の大ヒットで、ビジネスシーンだけではなく様々なところで「マネージメント」と言う言葉が使われるようになってきた。
そして多くの場合「マネージメント=管理」のようなニュアンスで、使われることが多いように感じている。

「管理」という意味になった途端、「管理される側と管理する側」という主従関係のようなモノが発生する。
「マネージメント」とは、主従関係を作る為のモノなのだろうか?
確かに企業などでは「マネージメント=管理」というニュアンスが強くある。
役職でも「マネージャー」といえば、チームをまとめる役を指すことが多い。
そのような中で唯一(?)チームを下支えする「マネージャー」がいる。
「もしドラ」の高校野球(だけとは限らないが)の女子マネージャーだ。
彼女たちと野球部の部員との関係は、「女子マネージャー>野球部員」という力関係ではない。
むしろ、野球部員のみんなが気持ちよく野球に専念できるように、サポートをするような役回りだ。

ここに「マネージメント」のヒントとなるモノがあるのでは、無いだろうか?
物事を進めるために、どうしたらよいのか?何をすべきなのか?と、考え・行動をする、ということが「マネージメント」であり、「マネージメント」をする人は、誰でもなく自分自身である、ということだ。
「管理する側とされる側」という関係ではなく、マネージャーと呼ばれる人は、過去の様々な経験などから、チームにアドバイスをし、メンバーそれぞれの考えを助けるという役割、なのではないだろうか?
「指導」をするのではなく、「サポート」をするのがマネージャーとしての役割だとしたら、世間一般で言われる「主従関係にあるマネージャー」は、本来の意味ではないのでは?

池永さんは、そのようなコトを十二分に知った上で、このような問題提議をされているような気がする。

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「ジェンダーギャップ」の問題は、政策だけでは解決しないような気がする

2018-12-20 19:56:12 | ビジネス

昨日、新聞などに「日本のジェンダーギャップ指数が、110位」というニュースがあった。
Forbes:「男女平等」達成は、108年後?ジェンダーギャップ指数、日本は110位

前回よりもわずかに順位が上がったとは言え、G7の中では最低だった。
この「ジェンダーギャップ指数」の中で、一番低いのが「政治」などに携わる女性の少なさだけではなく、企業の女性役員の数も圧倒的に少ない、ということが大きく影響していると指摘されている。

確かに、日本の政治の世界というのは、男性(特にオジサン)の世界という気がすることが多い。
女性の国会議員の場合、その政党の「PR的な存在(=女性の政治家もいますよ!)」という印象がある。
もちろん、志高く政治家になられた女性も数多くいらっしゃるとはおもうのだが、市川房江さんのような女性政治家のような印象が持てないのは、何故だろう?
なんとなくだが、男性(というよりも政党のオジサンたちが)イメージする女性議員像という印象を、多くの人たちが感じているからなのでは?という気がしている。

それは企業においても同じなのでは?という印象を持っている。
確かに大企業では、女性の役員が増えてきている。
彼女たちの経歴を見るととても華やかで、夢物語だと感じさせるような女性ばかりのように感じるのだ。
そのようなキャリアを積むコトすら、普通に仕事をしているだけでは無理だと、最初から諦める女性たちのほうが多いのでは?
そう考えると、日本の政治も企業も「女性」を「人寄せパンダ」のように見ている傾向があるように感じるのだ。

そのような問題解消法の一つとして「クォーター制」という、1/4は女性を登用する、ということまで言われるようになってきているようだが、元々企業や政治(あるいは政党)のイメージアップのような思惑であれば、何の効果もないと思うのだ。
となると、社会全体が考えを大きく変える必要があると思うのだ。
いうなれば、社会という名のコンピューターのOSを丸ごと替えるくらいの、変革が必要なのでは?

教育などでは地域差は大きいとはいえ全体的には女性の進学率は高く、社会に出てから女性が「性差ギャップ」を感じる場面が増えてくる、ということはOSを替える場所がハッキリしている、ということにもなると思う。
特に、企業の場合重要ポストに女性が就いている企業のほうが業績が良い、という傾向がみられると言われている。
Huffpost:301人の女性が新たに取締役に。”Fearless Girl"仕掛け人は訴える「くじけそうになったら、足元を見て」
「人寄せパンダ」のような女性の登用ではなく、実力をつけた女性の活用は企業にとってもメリットが高いはずなのだ。

ジェンダーギャップ指数が低いということは、改善の余地が十分にある、ということでもある。
ただし、政策だけでは「ジェンダーギャップ指数」は、改善しないということも十分考える必要があると思う。



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これがプラダのデザイン?

2018-12-18 18:13:44 | アラカルト

企業には「企業文化」と言う言葉があるように、その「企業らしさ」のようなものがある。
例えば、トヨタ自動車でいうなら「ファミリーカーのトヨタ」というキャッチフレーズに始まり、今は「運転をする楽しさを」という意味の「Fun To Drive」を使っている。
最近の何でも「スポーツ」に結びつける戦略は、生活者の気持ちをキャッチしているか・どうかは別にして、このようなキャッチコピーやデザインは、その「企業らしさ」を表しているといっても過言ではないと思う。
もちろん、時代の変化と共にそのイメージやデザインは変わってはいくが、基本的な姿勢は変わらない。
何故なら、それが「ブランド」であり、企業にとっての「見えざる資産」となっているからだ。

それが、ファッションブランドとなれば一番生活者が注目をするのは、「デザイン」ということになる。
時折、奇をてらい過ぎて「何だかな~???」と思うようなデザインが、無いわけではない。
12月のクリスマスシーズンに発表される様々なグッズに関しては、「企業らしさ+遊び心」のあるデザインのギフト向け商品が、多くの生活者の目を楽しませるのが、定番となっている。

今回、プラダが発表したキャラクターデザインが、様々な意味で話題となっている。
Huffpost:「黒人差別」との批判で、プラダが販売を中止したキャラクターとは?

このデザインが発表されるや否や、「黒人差別」として販売中止に追い込まれている。
指摘をされたのは「ブラックフェイス」と呼ばれる、長い間黒人を揶揄したようなキャラクターを彷彿させる、という点だ。
いくら「架空の生物」という設定であったとしても、キャラクターとしてはどうなのだろう?
「黒人差別」というよりも、「これがプラダがデザインしたの?」と感じるほど、これまでのプラダのデザインイメージとは大きくかけ離れているように感じるのだ。

これが白く塗られた木製のキャラクターだったら、「黒人差別」とはならないのか?などの議論の余地はあるとは思うのだが、それよりも気になったのが、「プラダらしさ」とは何だろう?と思わず考えてしまうような、キャラクターデザインという気がするのだ。
ちなみに他のクリスマス向けギフトは以下のサイトで見ることができる。
ファッションプレス:プラダのクリスマス向けギフト「プラダマリア」不思議な生き物たちが登場するレザーグッズなど

遊び心のあるデザインといえば、言えると思うのだが「プラダ」という、イタリアの高級ファッションブランドのデザインと考えると、やはり「どうなのだろう???」という、気がしてしまう。
もしかしたら、このようなデザインは日本人のほうが向いているのでは?と、思ってしまうほど違和感というか「プラダらしさ」が感じられない。
このような感想は、あくまでも個人的主観に影響されていることなので、一概には言えることではないとは思うのだが、拙ブログにこられる方は、どのように感じられるのだろうか?

何より、「プラダ」のパッケージをワクワクとして開けた時、そのワクワク感は残るだろうか?
ギフト商品というのは、貰った時のシチュエーションからパッケージのリボンをほどき、パッケージを開け、贈られたモノを見て、「嬉しい」という笑顔までが、一つのストーリーとなって考えられている(はずだ)。
このキャラクターには、そのようなストーリーが描けるだろうか?

「黒人差別」という、人種差別的デザインというよりもまず、「プラダらしさ」が感じられないデザインという気がするのだ。

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「南青山」のブランドイメージと子育て支援センター

2018-12-16 20:48:40 | アラカルト

昨日から「南青山」という地域の名前が、ニュースなどでにぎわしている。
Huffpost:青山の子育て支援センター建設に住民反発 「ブランドイメージを守って」

港区の南青山に子育て支援センターを建設するにあたって、地域住民への説明会が開かれ、参加された方からは反発の声があった、ということのようだ。
その中で出てきた言葉が、「(南青山という)ブランドイメージに子育て支援センターは似合わない」ということのようだ。
会社員時代、月のうち2~3回は東京に出張することがあり、時折青山にも行くことがあった。
確かに、青山という地域は「おしゃれ」な街、という印象がある。
その理由の多くは、国内外のファッションブランドのショップがあったり、根津美術館のような芸術を感じられるような場所、高級飲食店などもあるからだろう。
銀座とは違う、おしゃれなファッションの街、ということかもしれない。

そしてその地域で暮らしている人たちの中には、そのような「おしゃれでファッショナブルな街」で住居(マンションを含む)を構えたい、という方がいてもおかしくはないだろう。
ここで気になったのは、「南青山」という地域に住んでいる人が創り上げてきた「南青山」という地域のイメージに憧れて(?)住居を構えている人と、そのような地域のイメージとは関係なく住んでいる人とでは「南青山」という地域のイメージは違うのでは?ということだ。

過去、白金のような「セレブな街(?)」といわれるようなところにも行ったことがあるが、「セレブ感」があるのは大通りに面したところで、一歩中に入ると戦後~高度成長期に建てられた建物が所狭しと建っている、という光景を見たことがある。
青山近辺は、1964年の東京オリンピック開催で整備され、1970年代当時の若手デザイナーたちが、銀座などでアトリエを構えることができず、青山近辺にアトリエ兼店舗を持つようになった、という話を随分聞かされた。
もちろん、今は無くなってしまったがかつて表参道にあった「同潤会 青山アパート」には、建設当時は軍人や役人、大学教授のような「名士」と呼ばれるような人たちが住んでいた、というのは有名な話だ。

もしかしたら、今回反対をしている人たちは、このような「同潤会青山アパート」や表参道を中心としたファッションブランドのショップが並び立つ「おしゃれな青山」に価値を感じて、住んでいる方々なのでは?という気がするのだ。
このような人たちが「青山」という地域のイメージを創ってきたのではなく、その創られたイメージに憧れて住居を構えたのでは?
だからこそ、「青山というブランドイメージが下がる」と、声高に言ってしまうのでは?

あくまでも個人的な意見だが、様々な理由で親と離れ離れにならざる得なかった子供たちだからこそ、「一流のモノ・コト」に触れるチャンスが必要なのでは?という気がしている。
何故なら、そのような環境の子どもたちの多くが、「一流のモノ・コト」に触れる機会がほとんどないからだ。
特に感性が豊かで、スポンジのように様々な経験や体験を吸収していけるのは、本当に短い。
親の経済力が、子どもの進学果ては就職などに影響を及ぼす、といわれている時代だからこそ、様々な理由で親と離れ離れにならざる得なかった子供たちには、行政がかかわって文化的なモノなどに自然に触れさせる機会を与えてほしい、と思うのだ。
それが逆に「南青山」という地域の多様性となり、より豊かな文化を創造し「南青山」という「地域ブランドイメージ」を育てていくことになるのでは?

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システムよりも大切なものーがんゲノム検査システムの保険適用ー

2018-12-13 20:35:08 | 徒然

中日新聞のWEBサイトに、がんゲノム検査についての記事があった。
中日新聞:がんゲノム検査システム、初承認 厚労省、保険適用で費用負担減へ

この記事を読んで、「がんのゲノム検査が、誰でも受けられる」と、思われた方はいらっしゃらないだろうか?
「できれば、健康診断で適用されると良いのに」と、考えられた方もいらっしゃるのでは?と、想像している。
現在「がんゲノム検査」の対象となる方というのは、とても限られている。
既にがんの治療を受けたことがあり、再発もしくは転移が見つかった状態で、今後の治療の為にどのような薬を投与することができるのか?というのが、この検査の目的だ。

「ヒトゲノム」が解析され、医療の現場での活用が期待されているのは、ご存じの通りだ。
しかし「ヒトゲノム」そのものの意味と活用の有意性となると、どれだけの人が理解しているのだろう?
おそらく、私自身「がん」という病気と向き合わなければ、情報は知っていても、それが何に役立つのか?とか、誰を対象とした検査なのか?ということの理解はできなかったと思う。
もちろん、「がん患者」さん全てがこのような情報に興味・関心があるわけではなく、日本の患者さん特に高齢者の患者さんは「パターナリズム(父権主義的)なドクター任せ」という考えの方のほうが多い、というのが実感だ。

そのような現実の中で、このような情報がポンと出ると、過度な期待を持たれることが多い(と、感じている)。
現実は、遺伝子カウンセリングを受け、自分の知りたくない情報も知るケースがあること。
特に、「がんゲノム検査」をしたからといって、必ず使える薬があるとは限らない(=「適用される薬が無い」と判明することもある)などなど、場合によっては残酷な結果を受け入れ無ければならない、ということがある。

そのようなコトを想定した、がんに対する教育や一般向けの情報の周知という点では、まだまだ道半ばというのが現状だろう。
だからこそ、「ゲノム」全般についての教育が急がれるべきなのだ。
残念なことに、そのような話はほとんど聞こえない。

今や「二人に一人が、何等かのがんに罹患する」といわれている。
その「がん」について、どれほどの知識を持ち、科学的根拠のある有効な情報にアクセスできる方法を知っている人が、どれほどいるのだろう?
私の実感としてあるのは「がん治療は、情報戦」である、ということだ。
「情報戦」の中には、知識も当然含まれている。
このような明るい話題が取り上げられる度に、がんやゲノムについての教育の重要性を感じるのだ。

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