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日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

スカートとズボンーファッションの変遷からみる社会の変化

2025-05-02 22:14:39 | ライフスタイル

先日、Youtubeに登録している美術評論家の山田五郎さんの「オトナの教養講座」を見ていた時、面白いテーマが取り上げられていた。
それが、西洋絵画における男性と女性のファッションの変遷だった。
Youtube: 【絵画で解き明かすファッションの謎】 

取り上げられていたのは、「革命旗を持つサンキュロット」。
おそらく、高校の世界史の教科書にも掲載されていた絵画だ。
実際の動画でも、山田さんは高校の世界史の教科書を手に、説明をされている。
懐かしさと共に「あ~、フランス革命後については、あまりやらなかった気がするな~」と思いながらも、高校生の頃に読んだ岩波新書の「パリ・コミューン」(当時は、岩波新書で読んだ記憶があるのだが、現在は上下巻の装丁本になっているようだ)を思い出した。
「思い出した」と言っても、随分前に読んだ本の記憶なので、朧気で「結局のところ、フランス革命は革命を起こした人達の中で、仲間割れをし、権力闘争を起こし、時には粛清をする事態にまで発展した」ことと、その「仲間割れ。権力闘争。粛清」が、後にナポレオンの独裁的政治を産む切っ掛けとなった、という程度のザックリとした覚えがなく、教科書に掲載されている絵画については、記憶が無い。

絵画に描かれた男性の長ズボンが、いわゆる「労働者階級」のファッションであり、当時の貴族はブルマと呼ばれる短いパンツにストッキング、あるいはスカートのようなボトムにストッキングをはいていたようだ。
それが、フランス革命による貴族社会の崩壊により、男性が長ズボンを履くことが当たり前になった、という点に山田さんは注目と解説をされていた。

そこで思い出したのが、18世紀後半英国で起きた「産業革命」だ。
この「産業革命」以降、欧州では「貴族社会」が完全に崩れ、資産家が登場するようになる。
領地を基に財を築くのではなく、自ら産業と関わり財を成す、という社会的変化が現れたのだ。
結果として、「動きやすい服装」が求められ、財を成す中心となっていた男性社会では「長ズボン+単色系」のファッションが中心となっていった、という考察もある。

それに対して、当時の資産家にとってのステータスの一つであった「美しく若い女性を着飾らせ、公の場に出向く」為に、女性のファッションは、きらびやかでアクセサリーも派手なモノへと変化していく。
もちろん、産業革命を支えていたのは資産家ではなく、炭鉱や紡績工場で働く人達であり、中には女性も多く含まれていたはずだ。
残念な事に、このような女性たちの姿を描いた絵画などは、ほとんどなく歴史の記録の中の絵画としては、きらびやかに着飾った娼婦(オペラ「椿姫」のような存在の女性たち)が描かれることになる。
それは画家に絵画を依頼する資産家たちとの関係から、おのずとその理由は分かるはずだ。

それに対して、日本では衣装による男女差はほとんどない。
着物そのものもしたて方は同じで、違いがあるとすれば、その素材や動くために袖や裾のたくし上げ方くらいだろう。
日本で、ファッションにおける男女差が明確になるのは、明治政府による「洋装化」だからだ。

そのような視点で、1枚の絵画を観て時代背景を探り、社会の変化やファッションにより精神的に抑圧された人達、という姿を知ることの面白さのようなモノを感じつづ、数年前に話題になった「アート思考」とは、そのようなことなのでは?という気がしたのだ。
せっかくのGW後半戦、このような時間を過ごすのも悪くない気がした。




 

 


国産米を食べたい‐これまでの農政に疑問

2025-04-21 19:31:56 | ライフスタイル

先日、備蓄米が放出されたが、小売店に届いた備蓄米はわずかである、というニュースがあった。
朝日珍聞:備蓄米、小売店に届いたのは0.3%のみ 3月の初回放出分調査 

放出備蓄米14.2万トンのうち、小売り店に届いたのが、426トンというのは、いくら何でも少なすぎるのでは?という、印象を持ってしまう。
では残り99.7%ンの放出米はどこに行ったのか?
この件については、物流の問題などがあり、届けられていない、という説明だが、物流の問題であってもあまりにも少なすぎるのでは?という、気がする。
どこかで何かがおかしい、という違和感しかないのだ。

そもそも農水省は、今年度も「減反」を米農家に押し付けている。
PRESIDENT on-line:水田はあるのに「主食のコメ」を作らせない・・・「コメの値段を下げたくない」農水省がこっそり続ける減反の実態 

まず、記事を読むと「数字のトリック」のようなコトが、見えてくる。
このような事を繰り返した結果、日本のコメ不足が起きてしまっているのでは?というのが、リンク先の記事の指摘だ。
それだけではなく、表向きには、国の減反政策は2018年で終わっており、その後は米農家の判断ということになっているが、考えてみれば農業就労者の平均年齢がどんどん上がって言っている状況を考えると、「コメ農家自然廃業による減反」ということなのでは?
違う言い方をするなら、若い世代のコメ農家が育っていない、農業の継承ができていない為に起きている、ということになるのだと思う。
その理由は何か?と言えば、あまりにも労働に対する対価が低すぎるからだ。


もう一つあるとすれば、「諸外国との輸出‣入」の交渉の下手さだ。
今日のYahoo!のニューストピックスを見て、驚いたのは韓国からコメ20トン輸出する、という記事があったからだ。
YONHAP News:韓国が日本にコメ20トン輸出へ 過去最大量の輸出量 

韓国からの輸入米は、量的には多いとは言えないかもしれない、むしろ先日の赤沢経済再生大臣が米国に行った時のコメ輸出の拡大交渉の方が、輸入総量は大きいだろう。
こちらは、「トランプ関税」の関係と以前から米国から言われていた「(米国側から見た)コメ輸出交渉」があってのことだ。
今のような「コメ不足」の状況がつづけば、当たり前のように「輸入米」がスーパーなどの店頭に並ぶようになるだろう。
それで良いのだろうか?

実は、私自身「お米」が大好きで、おそらく女性としては1ヵ月のお米の消費量は多い方だと思っている(因みに1人で、大体1ヵ月5㎏は消費する)。
しかし、周囲の女性から話を聞くと、「お米そのものを食べない・食べる量が極端に少ない」という気がしている。
そのような社会的傾向があったこともあり、昨年以前のコメの生産について社会的関心が低かった、という気もしている。
それが「コメ不足」と、ニュースで取り上げられるようになってから、「コメが無くなる」という不安感から、お米を買う人が殺到し、それを見た転売ヤーが「商機」とみて訳も分からず高値でも購入した、ということもあったのでは?と想像している。

ここまでくると、日本の農政の失敗なのでは?という気がしてくる。
なぜ失敗するのか?と言えば、農業を知らない官僚が机の上で「交渉材料」として考え、それに農業を知らない政治家が乗っかっているからなのでは?

市場的に考えれば、今や「コメ」は嗜好品となっており、生活者は自分の好みに合ったコメを購入するようになっている。
その中でも特に「ブランド米」と呼ばれるコメの人気は高く、それぞれのコメの個性を知ったうえで、購入するような生活者もいるほどだ。
反面、ブランドにこだわらず、リーズナブルなお米を大量に購入するというご家庭もある。
育ち盛りのお子さんを持っていたりすれば、お米の消費量は多い。
そのような「生活者のライフスタイル、生活指向」すら判断できずに、米栽培には適さない「大規模農業化」を推し進めたり、交渉材料としての輸入米を増やしながら、輸出に力を入れるなど、軸足が生産者と生活者の実態から、大きく外れているように感じるのだ。


「ロマンチックおばさん」と「カワイイ文化」

2025-02-26 18:33:04 | ライフスタイル

先週くらいからSNSで話題になっている言葉がある。
ご存じ
「ロマンチックおばさん」という言葉だ。

元々「ロマンチックおばさん」という言葉は、50代、60代になっても少女趣味のような花柄の服を着るおばさんのことを指していた。
年齢相応なシックなファッションを着るおばさんに対する、対義語のような感じだろうか?
その意味で「ロマンチックおばさん」という言葉は、ネガティブな言葉だった。

ところが、SNS上で「私も60代になった時、花柄の洋服が似合うカワイイおばさんになりたい」という、投稿をきっかけに、ポジティブな言葉として、とらえられるようになったのだ。
この間1週間も満たない期間だったような気がしている。

個人的には、TPOに合わせ、着る人自身に似合っていれば、花柄だろうがアニマルプリントだろうが、良いのでは?と思っている。
ファッションそのものには、規制となるモノがあるわけではない。
年明けの「講書始の儀」で、大阪大学名誉教授の武田佐知子先生のご進講では、古代における祭祀の衣装に性差が無かった、という話があったほどだ。
10年ほど前に話題になった「スカートをはく男性」が登場するような時代なのだ、年相応なシックなファッションと言っても、そのシックなファッションが似合わないのであれば、無理に合わせる必要などない、と考えている。

とはいえ、「ロマンチックおばさん」と言われる女性たちが10代後半~20代前半のファッション傾向を、考えてみる必要があると思う。
というのも、多くの場合10代後半~20代前半の頃のファッションやヘアスタイルは、その後のファッション指向に大きな影響を与えると、言われているからだ。
現在の50代、60代の女性たちが10代後半~20代前半だった頃、日本では「DCブランド」と呼ばれるブランドに人気が集まっていた。
その中でも、ピンクハウスの金子功さんは絶大な人気があり、「カワイイ系」ファッションを好む女性たちは、未婚・既婚問わず着ていた。
その一方「黒を基調とした前衛的ファッション」として海外から注目を集めていたのが、「コムデギャルソン」の川久保玲さんや「Y’s」の山本耀司さんだった。
当時は、シックもカワイイも区別なく、「着たいものを着る」という、感覚の方が強かったのだと思う。

ただ、海外で注目を浴びたのは、上述したように川久保玲さんや山本耀司さんであり、金子功さんの人気は国内にとどまるモノだった。
その背景には、日本の「カワイイ文化」と関係しているのでは?と、想像している。
実は今でもピンクハウス系のファッションは根強い人気があり、DCブランドでおしゃれを楽しんだ世代はもちろん、その孫世代からも人気がある。
だからこそ、SNSで「ロマンチックおばさんに私もなりたい」と、20代位の若い女性が共感するのではないだろうか?

ただ「ロマンチックおばさん」になるためには、その女性自身の生き方も重要になるのでは?と、感じている。
いくら花柄のファッションが好きだとしても、似合わなければ「昭和の炊飯器柄」と言われ、「イタイ・ロマンチックおばさん」となってしまうからだ。
フンワリと優しい雰囲気を感じさせる女性でなくては、「ロマンチックおばさん」にはなれないのだ。
または、花柄に負けないほどの強さを持つような女性でなくては、似合わないのだ。
シックなファッションであろうと、ロマンチックおばさんファッションであろうと、50代以上になればその人の生き方が、顔や表情やしぐさに現れ、いくら自分が好きなファッションであっても、似合わなくなってしまう、という現実もまたあるのだ。


住まいの基準が変わる

2025-02-11 09:38:13 | ライフスタイル

日曜日の朝、FMを聞いていたら2030年に「住宅における省エネ基準が変更」という話があった。
TFM:日曜まなびより「買う前に知ろう!家選びの新しい基準」

しかもこの「省エネ基準」の対象が、戸建て住宅だけではなくマンション等にも適用されるという。
この「省エネ基準」の第一弾が今年4月にスタートするという。
ということは、現在建設中のマンションなどもこの「省エネ水準」に達していなければ、意味がないということになる。
戸建て住宅に比べ、建設期間の長いマンション等は認可が下りてから、完成までに時間がかかることを考えると、今年完成予定のマンション等はこの「省エネ水準」に達しているのだろうか?と、フッと疑問にかんじたのだ。

この「新しい省エネ水準」は、既に2030年に引き上げられる事が決まっている為、現在建設中のマンション等も2030年の水準(=ZEH水準)を満たさなくては意味がない、ということになる。
高気密・高断熱というだけではなく、循環型のエネルギーシステムを組み込むような建築物ということになるようなので、マンション等は建設時点で設備ハードルが随分高くなるのでは?と、想像することができる。

このような行政主導による「住まいの在り方」の変化に、今の住宅は追いついているのだろうか?と、思ったのだ。
特に都市部で見られるような、タワマンと呼ばれる高層マンション等は、このような循環型のエネルギーシステムを組み入れること自体、難しいのでは?という気がしている。
理由の一つは、高層マンションそのものが1棟当たりの戸数が多い、ということが挙げられる。
戸数が多いということは、それだけの世帯数の「省エネ化」を考える必要がある、ということになる。
太陽発電システムを導入するにしても屋上の免責は限られており、全戸数分の発電が賄えるとは思えない。
それをカバーするために、「ペロブスカイト太陽発電」のような、これまで発電場所として疑問視されていたような場所での発電システムの研究が進められているのだろう。
積水科学:国内初、ペロブスカイト太陽電池を建物外壁に設置した実証実験開始

このような行政側の動きに対して、住宅を購入する側はどれほどの情報を得ているのだろうか?
上述したFM番組の冒頭のように、生活者にはそれらの情報が届いていないような気がするのだ。
と同時に、時代の変化とともに住まいの在り方も変わるのであれば、住宅ローン完済後のことまで考える必要がある、ということになる。
戸建てであれば、費用面の問題は別にして、時代に即した住まいを立てることは可能だが、タワマンのような高層マンションでは、簡単な事ではない。
「建ってしまったものは、しょうがない」では済まない時代がやってきている、ということなのだ。

現在問題になっている「空き家問題」だが、戸建て住宅であれば取り壊したりすること自体は、難しいことではない。
だが、高層マンションとなるとどうなのだろう?
そのような事を考えると、都市部を中心に乱立する高層マンションという建物自体が、(特にディベロッパーにとって)リスクのような気がしてくる。



オーストラリア、16歳未満のSNS利用禁止

2024-11-29 19:50:34 | ライフスタイル

今朝のニュースで、オーストラリアが国の法律として「16歳未満のSNS利用禁止」を議会で可決した、と報じられていた。
CNN:オーストラリア、16歳未満のSNS禁止へ 世界初 

これまで米国やEUが、TikTokの利用禁止などを訴えてきた、ことはあったが、SNS全般の利用禁止、ということは度々ニュースなどで取り上げられてきたが、あくまでも法的な規制ではなかった。
その理由として、TikTokなどから個人情報が流失するのでは?という懸念があったからだ。
個人情報の流失というだけでも問題なのだが、流出する先が中国である、ということがより問題視された、ということはご存じの通りだ。

その一方で、10代におけるSNSの利用は精神的な問題となる、という指摘が再三されてきた、ということもまた事実だろう。
日経新聞:SNSの太陽「若者に重大なリスク」米公衆衛生トップ 

この日経新聞の記事は、昨年掲載されたモノなので、今回のオーストラリアにおける「16歳未満のSNS利用禁止」の一つの方向性を決めるモノとなったのではないだろうか?
もちろん、日本でも若者のSNS利用についての問題が、様々に指摘されている。
一つは、「いじめ」という問題だ。
LINE等で、クラスメートの間で自分の知らない間にネガティブなやり取りがされ、それが同じ連絡網の中で噂が大きくなり、最終的にターゲットになってしまった子どもが、自死を選ぶような結果を生み出している、という事件はここ10年ほどで目立つようになってきたように思う。
それ以外にも、いじめの延長にいじめの現場を動画撮影し、拡散させる、あるいは拡散させると脅すという行為も、「いじめ」の一つだろう。
動画撮影され、ネット上に拡散されたモノは、「デジタルタトゥー」として、ネット上の半永久的に残ってしまう。

いくら「ネット情報に踊らされないで」などといったところで、大人であっても裏どりがされていないネット情報を信用している人たちは数多くいる。
そのような社会状況を聞きかじっている程度の若者に、いくら「危険だからやめるように」といったところで、説得力はない。
このようなコトを考えると、オーストラリアの若者の利用禁止は、当然の成り行きだったのかもしれない。

そして注目すべきは、オーストラリアのSNS禁止の対象が、利用者である若者ではなくサービスを提供する事業者に対して、という点が大きく違うところだろう。
おそらくアカウント登録時に、本人確認資料の画像添付を義務付ける、等の方法を取ることで、年齢確認をするのでは?と、想像するのだが、抜け道はいくらでもあるような気がしている。
というのも、携帯電話が普及し始めた頃、派遣社員として一時期携帯電話の利用者登録のデータ入力をしていた事があった。
その時、不思議に思ったのは契約者は親なのに、支払い者は高校生のこども、というケースが少なくなかったからだ。
最初は不思議に思っていたのだが、利用者である高校生が親を契約者としてしているのだ。
だから、支払いは利用者本人である高校生であり、親は名義を貸していたようなモノだったのだ。
今では、スマホの契約自体本人確認資料の提示など、厳しくなったのでそのようなことは無くなったと思うのだが、そう考えるとスマホそのものにSNSアプリをインストールできなくする、ということも必要になってくるのかもしれない。



「106万円の壁」の問題

2024-11-09 11:57:58 | ライフスタイル

衆議院選挙の頃、立候補者の多くは口々に「生活者の収入を増やす」ということを、公約の一つに掲げていたと思う。
選挙後、この動きが具体的になってきているようだ。
と言っても「収入を増やす」と、一概に言えないのでは?という気がしている。
それが「106万円の壁」だ。
朝日新聞: 「106万円の壁」収入条件を撤廃へ 厚労省方針 労使の負担変更も 

ご存じの方も多いと思うのだが、この「106万円の壁」のまえには「103万円の壁」がある。
主婦がパートなどで収入を得る為には、「乗り越えなければならない壁」が、いくつもあるのだ。
「乗り越えなくてはならない壁」と言っても、「乗り越える壁」の中には世帯主の扶養控除という制度と関係してくるので、パート主婦だけの問題ではない、という点も忘れてはいけないだろう。

厚労省が発表している資料を見ると、この「106万円の壁」は手取りに影響する「壁」ということが分かる。



その一方で、正規雇用で結婚・出産後も働き続けている女性からは「社会保障などのただ乗り」という、批判もあることは事実だろう。
給与が少ないのだから、当然という考えもわかるのだが、昨今のようにパートで働くシングルマザーが増えてくると、世帯収入は一般的なパート主婦は多く、社会保障費などは世帯主の負担となり、パートで得られた「個人の可処分所得」は多い、ということになる。
もちろん、「パートで収入を得る」ということは、子どもの習い事代の為であったり、生活費の補填という動機があるはずだが、パートで働くシングルマザーとは、そもそも生活環境が大きく違う。
離婚時に養育費などを請求しても、支払わない場合が多いという現実もあるのだが、パート主婦の税優遇がある、というのは事実だろう。

その理由は、「世帯主である夫が働き、妻は家庭で家事をする」という、長い間使われてきた「モデル世帯」を基本としてきたからだろう。
その「モデル世帯」そのものが、今の社会とはかけ離れたモノとなり、多様な家族形態が一般的になりつつある現在、「パート主婦だけを優遇するような制度」の見直し論が出てくるのは、当然かもしれない。

もう一つ、今回この話題が出るようになった背景には、「社会保障費の増大」の対応策、ということもあるのではないだろうか?
ただし、この106万円という額は勤め先となる企業に対する負担も発生するため、「106万円の壁」を無くすためには、中小企業の理解も必要となる。
もしかしたら、社会保障費の負担増となる中小企業の抵抗の方が、パート主婦よりも強いかもしれない。

「106万円の壁」は、様々な政府の思惑があり、単純な「年収アップ」という訳ではない、ということを理解しつつ、「社会保障費負担の不公平感」や多様な家族形態によって起こっている経済格差、ということにも目を向け政策を考える必要があるのではないだろうか?





「サマーフライデー」もいいけど、「夏季2拠点ワーク」という発想も

2024-07-20 22:21:50 | ライフスタイル

梅雨が明けた東海地方。
梅雨明け直後から、連日の猛暑が続いている。
梅雨の中休みの時の、最高気温40℃に迫るような暑さではないが、それでも37℃近くあれば、何もしたくない!という気持ちが出てくる。
まぁ、私が怠惰なだけなのかもしれないが…。

何とかこの暑さから逃れる方法は?と考えていたら、Huffpostの記事が目に入った。
米国で実施されているという「サマーフライデー」という、働き方だ。
Huffpost:夏の金曜は働かなくてもいい、アメリカで浸透する「サマーフライデー」は、企業にもメリットがある 

この「サマーフライデー」という働き方、米国で1960年代に始まり、現在では55%くらいの企業に浸透しつつある「働き方」のようだ。
記事を読むと、ニューヨークなどのビジネスマンたちが、ニューヨーク近郊にあるリゾート地に行くため、自然発生的に生まれた「働き方」のようだ。
確かにニューヨークの近郊には、リゾート地と呼ばれるところがいくつかある。
随分前に読んだ、物理学者のリチャード・ファインマン博士の自伝「ご冗談でしょ、ファインマンさん」の中に、夏の間子どもと母親は近郊のリゾート地で過ごし、毎週末父親がそのリゾート地にきて、一緒に過ごす、という場面があった。
子ども達は、自然豊かな場所で遊び、週末は父親と自然観察を楽しむ、という中から「既成概念にとらわれるのではなく、物事を観察することでその本質を知る」ということを、父親から教わった、という趣旨のことが書いてあった。
勿論、ファインマン氏が子どもの頃ということは、1930年代の頃のアメリカの中産階級の暮らしぶり、ということになるだろう。
(ご存じの方もいらっしゃると思うのだが、ファインマン氏は「原爆開発計画・マンハッタン計画」に、生来有望な物理学者として、20代前半に参加している)。
そう考えると、米国のニューヨーク州などに住むビジネスパーソンは、元々このような「サマーフライデー」のような生活習慣があったのでは?と、考えることができる。

では、日本で「サマーフライデー」を導入するとなると、どうなのか?ということを考えてみたい。
まず、暑すぎる夏から何とか逃れたい!という気持ちが、あるはずだ。
とすれば、夏の間だけ避暑地で仕事をする、ということを励行してもよいのでは?
「コロナ禍」で、リモートワークも経験しているビジネスパーソンにとって、このような季節限定の2拠点生活は、決してハードルが高い働き方ではないと思う。
特に、バブル期に開発され、現在「限界リゾート地」となってしまった、リゾート地は関東を中心に、いくつもあるはずだ。
特にひどい限界リゾート地となってしまったのは、軽井沢周辺だと聞いたことがある。
とすれば、そのような場所を活用して、家族そろって避暑生活と「サマーフライデー」という働き方を提案してみてるのも、一興のような気がするのだ。

「中学受験」を目指すお子さんがいるご家庭であれば、学習塾丸ごと避暑地移転ということを考えてもよいかもしれない。
とにかく「受験」に向け、暑い都市部から逃げて勉強する環境を整える、という発想も必要かもしれないからだ。

「地球沸騰化」と呼ばれる現在、自然の涼を求めて移動する暮らし方によって、環境に優しい暮らし方にしてみる、ということも必要な時代になってきているような気がする。


今やPCとインターネットは、生活インフラの一つ

2024-07-19 20:01:40 | ライフスタイル

今日、Windowsを搭載したPCが、トラブルを起こす、という事件があった。
既にトラブルの原因は、ある特定のセキュリティーソフトによって引き起こされたもの、ということが判明しているが、問題なのは、その影響を受けたPCが世界規模である、という点だろう。
朝日新聞: 【随時更新】トラブルは世界各地に影響 Windows異常停止 

このようなシステムについて、知識があるわけではないので、理解が違っているかもしれないのだが、このような事態が発生すると、現代社会は全世界で連鎖的に機能不全に陥ってしまう。
今回の場合、ある特定のセキュリティーソフトをインストールしているWindowsに限定されている、ということだが、今のセキュリティーソフトそのものが、ネットワークを通じて個々のPCにインストール、アップデートをされるようになっている。
そのことを考えると、問題となったのは1つのセキュリティーソフトであったかもしれないが、そのセキュリティーソフトをインストールしている・していないに関わらず、ネットワークでつながって、仕事をしている人達にも影響を与えた、と考える必要があるのでは?
事実、朝日新聞の記事にあるように、飛行機の搭乗などに影響が出て、20便が欠航するという事態に発展している。
と考えると、特定のソフトウエアの問題だけとは言えない、というのが現在の「ネットワーク社会」ということになる。

問題となったセキュリティーソフトの名前を聞いても、ピンとこなかったのだが、インストールをしているWindowsユーザーは多いのだろうか?
気になって、問題のセキュリティソフトを提供している企業のサイトを見て見ると、どうやら個人向けのセキュリティーソフトを提供しているのではなく、企業向けに展開をされているようだ。
逆にその為に問題がこれほど大規模になり、深刻な状況を招いてしまったのだろう。
とはいえ、サイバー攻撃のような理由で問題を起こしたのではなく、プログラムの修正で対応ができる問題、ということのようだ。
この点については、一安心といったところなのだが、今回のような「セキュリティーソフト」によって、このような問題が起きてしまうと、セキュリティーソフトそのものの信頼を、考えるようになってしまう。

例えば、先日米国が発表したロシアのPCセキュリティーソフト企業「カスペルスキー」の使用を停止する、という発表をしたからだ。
この背景には、ロシア企業だから信頼がおけない、という米国の判断が大きいのだと思うのだが、中華PCと呼ばれる中国製PC(やスマホ)、SNSの一つであるTikiTokなどから、中国が国ぐるみで利用者の個人情報を吸い上げている、という指摘が再三されてきている。
特に若い世代で人気のあるTikTokなどは、欧州諸国でも米国の判断を支持・追従する動きを見せている。

おそらく20年ほど前であれば、このような事件やセキュリティーの考えはなかったのでは?と、考える。
理由はそこまで個人が情報端末を持ち歩き、気軽にネットワークを通して世界中に繋がる、という社会ではなかったからだ。
今では、PCやスマホなど世界とつながる様々なツールは、生活インフラの一つであり、だからこそ高いセキュリティーが求められるし、その運用についても慎重でなくてはならない、ということだと思う。

現在政府は、マイナンバーカードと健康保険証との紐づけに躍起になっているが、果たして今回の事故のようなコトをデジタル庁は想定しているのだろうか?
何か一つ不具合が起きれば、システムそのものが全面停止してしまい、社会機能が不全に陥る、という現実をしっかり受け止めて欲しい。


東京都のマッチングアプリは、少子化対策に繋がるのか?

2024-06-11 19:27:56 | ライフスタイル

先日、出生率の発表があった。
その数字が、1.20人だった。
第一生命経済研究所:少子化の危機をよく見よ!~コロナ禍後急加速~

ご存じの通り、出生率というのは、一人の女性が生涯を通して出産する子供の人数のことだ。
中でも東京都は0.99人と、1.0人を下回るという数字となった。
1人の女性が、その生涯で出産する子供が1人いない、ということになる(実際は1人と考えるべきだろう)。

このような数字が出ると、「女性がもっと子供が生みやすい環境にすべき」という議論が出てくるのだが、実は既婚女性が出産する子供の人数というのは、大きく変化している訳ではない、と言われている。
国立社会保障・人口問題研究所:夫婦調査の結果概要 2.夫婦の出生力 

このレポートの中から、夫婦の出生力のみを抜き出した表が↓だ。


3人以上のお子さんがいる世帯は少なくなってきているが、2人という世帯は大幅な減少が見られない、ということが分かる。
ということは、非婚者が増えたために、出生率が下がってきていると、考えるのは当然のことかもしれない。

そこで東京都が考えたのが、東京都内の独身者向けの婚活アプリ(=マッチングアプリ)だった、ということだろう。
NHK Web News:東京都が婚活支援 独自のマッチングアプリ 夏頃本格実施

これまでも、若年現役世代の結婚サポートとして、自治体が「婚活パーティー」等を開催したりしていたが、これまでの自治体が主体となる「婚活支援」と、東京都の「婚活支援」とでは、分母となる若者の人数が圧倒的に違うという点と、「出会いの場」となる場所も違う、という点だろう。

これまで地方自治体が主体となる「婚活支援」は、「出会いの場が無い」とか「当事者である若者自身にも結婚の意志がそれなりにあった」等の理由があった(はずだ)。
それに対して、東京は婚活対象となる若者も多く、出会いとなる場所も多い。
ただ「結婚したい」という意志を持つ若者が、多いのか?という点だろう。
東京での生活が、独身者にとって快適で、結婚することでその快適さが感じられない、ということであれば、いくら「婚活支援」のマッチングアプリを開発したところで、利用者が劇的に増えるとは思えない。
特に、経済的に自立をし、キャリアを目指す若い女性にとって、「結婚」そのものがネガティブと感じる要素の方が、高いのでは?と感じている。
例えば、結婚後苗字を替えるのは、多くの場合女性だ。
仕事をする為に旧姓で通すことは、珍しいことではないが、その為に係る労力と時間等の負担は大きい。
それは、企業側にとっても負担の様で、昨日経団連が「選択咳夫婦別姓」導入を、政府に提言している。
NHK Web News:経団連が「選択的夫婦別姓」導入を求める提言 経団連として初 

そう考えると、東京都の「婚活支援マッチングアプリ」は、「東京都という自治体が管理するマッチングアプリ」という信頼等、ある程度有効かもしれないが、だからと言って根本的な「少子化対策」となるわけではない、ということが分かる。
もう一つの懸念が、既に民間企業が展開をしている「婚活支援(マッチングアプリも含む)」に影響を与えないか?という点だ。
「民業圧迫」と、言われる可能性もある。
果たして5億円という税金を投入して実施する「東京都婚活支援マッチングアプリ」、対費用効果のほどは?

 

 

 


健康寿命と断捨離

2024-05-27 20:05:14 | ライフスタイル

ご無沙汰しておりました。
GW前に、母の弟である叔父が急遽入院。大学病院のICUで治療を受けていましたが、先日亡くなり、葬儀やその後の対応の為、帰省をしていました。
と同時に、独居老人状態である父のこともあり、週末やっと名古屋へ帰ってきた次第だ。

亡くなった叔父も高齢であったため、亡くなったことに対する悲しみよりも「叔父の人生を全うできたのではないか?」という、思いが強くある。
そう思えるのも、生涯現役という姿勢で、仕事をし続けることができたからでは?と、感じている。

とはいえ、世間では「生涯現役」として、仕事をし続けることができる人は少ない。
多くの人は、企業や公的機関に勤めながら、人生の多くの時間を過ごし、定年退職という区切りをつけ、新たな生活時間を創っていかなくてはならない。
その「新たな生活時間」の中で、「生涯現役」と思えるようなモノ・コトと出会え、向き合うことができれば、それはまた充実した人生の送り方なのだと思う。
ただ、今の日本の社会でそのような生き方ができる方が、どれほどいらっしゃるのだろう?と、叔父の葬儀中に考えていたからだ。

「人生100年時代」と言われるようになってきたが、それは「寿命」という観点でのコトだ。
「自分らしく過ごせる年齢(=ウェルビーイング)」となると、その時間はおそらく100歳という年齢に達することができる人は、多くないのでは?という気がしている。
2019年の厚労省の調査では、「健康寿命は男性の場合72.68歳、女性の場合75.38歳」というデータとなっている。

平均寿命と健康寿命の推移
「コロナ禍」前の2019年の調査なので、現在はもう少し違う結果となっているのかもしれないが、実際の「平均寿命」と「健康寿命」とは違う、ということが分かるはずだ。
そう考えると、「健康寿命」と言われている間に、自分の「終活」を完了させておく必要があるのでは?という気になってくる。
というのも、今回叔父が亡くなったことで父の「終活」の一環として、実家の片づけを始めたからだ。
親元を離れ40年以上経つと、知らない間に両親が貯めていた様々な物があふれていることに気づかされる。

高齢となった父に、それらを片付けさせるということ自体、体力的にも判断力にも無理があることを、実感したのだ。
結局「断捨離第一弾」として、片づけをしてきたのだが、あとどれくらいすれば良いのか?と、困惑するばかりだ。
一時期流行した「ミニマリスト」だが、子育てが終了した頃から「程よいミニマリスト」を目指す必要があるのかもしれない。