日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

東京都のマッチングアプリは、少子化対策に繋がるのか?

2024-06-11 19:27:56 | ライフスタイル

先日、出生率の発表があった。
その数字が、1.20人だった。
第一生命経済研究所:少子化の危機をよく見よ!~コロナ禍後急加速~

ご存じの通り、出生率というのは、一人の女性が生涯を通して出産する子供の人数のことだ。
中でも東京都は0.99人と、1.0人を下回るという数字となった。
1人の女性が、その生涯で出産する子供が1人いない、ということになる(実際は1人と考えるべきだろう)。

このような数字が出ると、「女性がもっと子供が生みやすい環境にすべき」という議論が出てくるのだが、実は既婚女性が出産する子供の人数というのは、大きく変化している訳ではない、と言われている。
国立社会保障・人口問題研究所:夫婦調査の結果概要 2.夫婦の出生力 

このレポートの中から、夫婦の出生力のみを抜き出した表が↓だ。


3人以上のお子さんがいる世帯は少なくなってきているが、2人という世帯は大幅な減少が見られない、ということが分かる。
ということは、非婚者が増えたために、出生率が下がってきていると、考えるのは当然のことかもしれない。

そこで東京都が考えたのが、東京都内の独身者向けの婚活アプリ(=マッチングアプリ)だった、ということだろう。
NHK Web News:東京都が婚活支援 独自のマッチングアプリ 夏頃本格実施

これまでも、若年現役世代の結婚サポートとして、自治体が「婚活パーティー」等を開催したりしていたが、これまでの自治体が主体となる「婚活支援」と、東京都の「婚活支援」とでは、分母となる若者の人数が圧倒的に違うという点と、「出会いの場」となる場所も違う、という点だろう。

これまで地方自治体が主体となる「婚活支援」は、「出会いの場が無い」とか「当事者である若者自身にも結婚の意志がそれなりにあった」等の理由があった(はずだ)。
それに対して、東京は婚活対象となる若者も多く、出会いとなる場所も多い。
ただ「結婚したい」という意志を持つ若者が、多いのか?という点だろう。
東京での生活が、独身者にとって快適で、結婚することでその快適さが感じられない、ということであれば、いくら「婚活支援」のマッチングアプリを開発したところで、利用者が劇的に増えるとは思えない。
特に、経済的に自立をし、キャリアを目指す若い女性にとって、「結婚」そのものがネガティブと感じる要素の方が、高いのでは?と感じている。
例えば、結婚後苗字を替えるのは、多くの場合女性だ。
仕事をする為に旧姓で通すことは、珍しいことではないが、その為に係る労力と時間等の負担は大きい。
それは、企業側にとっても負担の様で、昨日経団連が「選択咳夫婦別姓」導入を、政府に提言している。
NHK Web News:経団連が「選択的夫婦別姓」導入を求める提言 経団連として初 

そう考えると、東京都の「婚活支援マッチングアプリ」は、「東京都という自治体が管理するマッチングアプリ」という信頼等、ある程度有効かもしれないが、だからと言って根本的な「少子化対策」となるわけではない、ということが分かる。
もう一つの懸念が、既に民間企業が展開をしている「婚活支援(マッチングアプリも含む)」に影響を与えないか?という点だ。
「民業圧迫」と、言われる可能性もある。
果たして5億円という税金を投入して実施する「東京都婚活支援マッチングアプリ」、対費用効果のほどは?

 

 

 


健康寿命と断捨離

2024-05-27 20:05:14 | ライフスタイル

ご無沙汰しておりました。
GW前に、母の弟である叔父が急遽入院。大学病院のICUで治療を受けていましたが、先日亡くなり、葬儀やその後の対応の為、帰省をしていました。
と同時に、独居老人状態である父のこともあり、週末やっと名古屋へ帰ってきた次第だ。

亡くなった叔父も高齢であったため、亡くなったことに対する悲しみよりも「叔父の人生を全うできたのではないか?」という、思いが強くある。
そう思えるのも、生涯現役という姿勢で、仕事をし続けることができたからでは?と、感じている。

とはいえ、世間では「生涯現役」として、仕事をし続けることができる人は少ない。
多くの人は、企業や公的機関に勤めながら、人生の多くの時間を過ごし、定年退職という区切りをつけ、新たな生活時間を創っていかなくてはならない。
その「新たな生活時間」の中で、「生涯現役」と思えるようなモノ・コトと出会え、向き合うことができれば、それはまた充実した人生の送り方なのだと思う。
ただ、今の日本の社会でそのような生き方ができる方が、どれほどいらっしゃるのだろう?と、叔父の葬儀中に考えていたからだ。

「人生100年時代」と言われるようになってきたが、それは「寿命」という観点でのコトだ。
「自分らしく過ごせる年齢(=ウェルビーイング)」となると、その時間はおそらく100歳という年齢に達することができる人は、多くないのでは?という気がしている。
2019年の厚労省の調査では、「健康寿命は男性の場合72.68歳、女性の場合75.38歳」というデータとなっている。

平均寿命と健康寿命の推移
「コロナ禍」前の2019年の調査なので、現在はもう少し違う結果となっているのかもしれないが、実際の「平均寿命」と「健康寿命」とは違う、ということが分かるはずだ。
そう考えると、「健康寿命」と言われている間に、自分の「終活」を完了させておく必要があるのでは?という気になってくる。
というのも、今回叔父が亡くなったことで父の「終活」の一環として、実家の片づけを始めたからだ。
親元を離れ40年以上経つと、知らない間に両親が貯めていた様々な物があふれていることに気づかされる。

高齢となった父に、それらを片付けさせるということ自体、体力的にも判断力にも無理があることを、実感したのだ。
結局「断捨離第一弾」として、片づけをしてきたのだが、あとどれくらいすれば良いのか?と、困惑するばかりだ。
一時期流行した「ミニマリスト」だが、子育てが終了した頃から「程よいミニマリスト」を目指す必要があるのかもしれない。


メガソーラー発電は、時代遅れ?

2024-04-19 20:05:50 | ライフスタイル

日経新聞のWebサイトを見ていたら、「やはり、太陽光発電に対する考えが変わりつつあるのだな~」と、感じる記事があった。
日経新聞:オーストラリア、屋上太陽光発電が拡大、全電源の11%に 

日本では、未だに山を切り開いて太陽光発電パネルを設置する、メガソーラーが話題になっている。
ただ、話題になる内容も、「メガソーラー発電が設置された」という事業的な話題だけではなく、風光明媚な場所や国立公園にほど近い場所に建設され、反対運動が起きている、という相反する話題になっているような印象を持っている。
特に都市部から離れた、北海道や九州といった場所は、都市部の大手メディアで取り上げられるというよりも、SNS等で話題になる傾向があるように感じている。
西日本新聞:阿蘇にメガソーラー次々、狙われる草原、放牧廃れ・・・「景観では1円にもならない」 

このような記事を見る度に感じることなのだが、地域資産の考え方がとても安直なのでは?という気がしている。
今や地方における「自然や景観は、(観光客を含む)人を呼び込む地域資産」という、視点がないような気がするからだ。
確かに、「人を呼び込む為」には、様々なアイディアと仕掛けが必要なのだが、一度失われた自然や景観を回復・復活させるためには、それよりも膨大な時間と費用が掛かる。
メガソーラーを設置し、売電によって収益を上げることは、わかりやすく簡単な方法だが、いつか行き詰ってしまう。
というのも売電価格が、年々下がっているからだ。
「1円にもならない」と言っても、売電価格が下がり続ければ設置にかかった費用回収という点で、さほどメリットがあるとは思えない。
これが、景観の良い場所ではなく1970年代に開発され塩漬け状態になっている工業団地用地等であれば、売電価格が下がってもそれなりのメリットがある。
しかし、地域資産として価値がある場所を目先の儲け話で、失うことは地域経済にとっても大きな損失のような気がする。

そしてオーストラリアで進む「屋上太陽光発電」の方が、遥かにメリットが高いのでは、ないだろうか?
ご存じの方も多いと思うのだが、電力は、送電等によって失われる電力量が失われる。
発電した電力をロスを減らして使う、ということを考えれば「地産地消」が一番効率が良いのだ。
その視点で考えれば「屋上太陽光発電」は、理にかなっているということになる。

それだけではない。
電力料金の価格高騰やSDGsという観点からも、「電力の地産地消」はメリットがある。
現在の各地域にある電力会社側とすれば、経営にも影響する話なので、手放しで推進するということにはならないと思うのだが、電力の管理・メンテナンス専業の関連会社を、行政と協力しあうことで経営をする、ということも可能だろう。
何より、現在注目されている「ペロブスカイト太陽光発電」等の実証実験には、協力する必要があるだう。
この「ペロブスカイト太陽光発電」が実用化されれば、都市部での高層ビルやマンションそのものが「メガソーラー発電」の設置場所となることになる。
何も景観の良い場所を切り開いて、メガソーラー発電をする必要は無くなるのだ。

日経のオーストラリアの記事の話に戻ると、注目すべき点は「全電源の11%」という占有率の高さだ。
自然エネルギーとしては、風力発電のほうが優位だが、それでも全電源11%という数字は、無視できないほどの普及率を示している。
そう考えれば、景観の良い場所(=送電ロスの多い場所)にメガソーラーを設置することの意味を、考え直す切っ掛けとなるのではないだろうか?


テレビ番組が示す、生活の変化

2024-04-06 22:00:25 | ライフスタイル

現在のX(旧ツイッター)のおすすめポストに、変わった投稿が表示されるようになった。
その「変わった投稿」というのは、NHKがかつて夕方6時頃に放映をしていた「人形劇」の動画だ。
先日は、「ひょっこりひょうたん島」のオープニングだった。
その前は「プリンプリン物語」。
これらの番組を知っている方は、50代~60代だろう。
特に「ひょっこりひょうたん島」の放映が始まったのは、1956年。
それから約8年ほど続いた、今でいうなら長寿番組かもしれない。
放映時間も確か15分程度だったような記憶がある。

この「ひょっこりひょうたん島」の放映を切っ掛けに、夕方6時台は子供向け番組が組まれるようになったような記憶がある。
その中でも「ひょっこりひょうたん島」の大ヒットにより、後継番組は「人形劇」だったように思う。
しかも今にして思えば、豪華な制作スタッフだった。
「ひょっこりひょうたん島」の脚本を書いていたのは、井上ひろしさん。
オープニングアニメーションは、イラストレーターの九里洋三さんという、新進気鋭というか次の世代の表現を創りだした人達が、携わっていたのだ。
その後も「新八犬伝」では、人形作家・辻村ジュサブローさんが手がけていた。
この「新八犬伝」のヒットにより、辻村ジュサブローさんは人形作家としての地位を確立したと言っても過言ではないかもしれない。

このような毎日夕方になると、NHK総合では子供向け番組として「人形劇」が放映されていたのだ。
NHKアーカイブによると、「ひょっこりひょうたん島」以前に放映されたモノを含め1985年まで、夕方に放映されていたようだ。
NHKアーカイブ:人形劇リスト

そう考えると、1980年代半ごろまでは夕方6時くらいになると、多くの家庭の夕飯の時間帯であり、家族そろって食卓を囲む時間であった、ということになるだろう。
それが今現在、この夕方の時間帯は民放も含めニュースの時間帯となっている。
「人形劇」を見ていた子供たちは、塾等に通う為に人形劇等を見ることが無くなり、同時にそれは「(都市部を中心に)中学受験」が一般化し始めた、とも考えられるのではないだろうか?

それどころか、今の新聞のテレビ欄を見ると「子ども達が見る番組」そのものが、とても少ない、ということに気づく。
働くお母さんが増えたことで、朝放映されていた幼児向け教育番組は無くなり、代わりに登場したのが「情報番組」だろう。
今や子ども達の多くは「テレビを見ない」というだけではなく「子ども向け番組」そのものが、なくなってきているのだ。
昨今のテレビ(の視聴)離れの背景の一つに、「みたい番組・(親が)見せたい番組」そのものが、激減したことで「テレビを見ない生活」が当たり前になった、ということのようにも思えてくるのだ。

今後「ひょっりひょうたん島」のような、人形劇はもちろん情緒性のある物語を基にした番組がつくられることは、ほとんどないだろう。
何故なら、テレビ番組もまた「生活者の時々のライフスタイル」を反映しているからだ。





「紅麹」問題に隠れる、「健康的数値」について考える

2024-03-28 20:01:43 | ライフスタイル

連日ニュースで報道されている、小林製薬が発売している「紅麹入りサプリ」の健康被害の問題。
このサプリを飲用したことで亡くなられた方が、いらっしゃるということで、「健康被害」を訴える人が今後も増えていきそうだ。
時事通信:株主総会で社長が謝罪 紅麹健康被害、4人死亡でー小林製薬 

そして今回初めて、この「紅麹」を様々な食品会社が提供を受けていた、ということも驚きだったのではないだろうか?
ネット通販で「紅麹」を販売しているショップサイトを見ると紅麹の健康効果だけではなく、食紅のような使い方もされてきたようだ。
この「紅麹」の使い方が、サプリメントと食品添加物としての2つの使い方があったために、今回の問題が食品会社にも大きく影響したことが分かる。

食品添加物として使われるの出れば、その量は微量なはずだが、サプリメントとして使われるのであれば、濃縮したような状態で「紅麹」を飲むことになる。
過度に濃縮されたために、健康被害を起こさせたとも考えられるのでは、ないだろうか?
いくら体に良いと言われるモノでも、一時的に高濃度になったモノを摂取すれば、体にかかる負担は大きくなるだろうし、その為の副反応が出てもおかしくはない。
そう考えると、「紅麹」だけではなく、「サプリメント」そのものの付き合い方も考える必要があるのでは?という、気がしてくる。

「サプリメント大国」と言われる、米国ではどのようになっているのかは分からないが、ドラッグストアーの「サプリメントコーナー」に行くと、数多くの商品が並んでいる。
ビタミン剤等はおなじみだが、馴染みのない名前のサプリメントも数多くある。
その為、メーカー側は効能がわかりやすいようなネーミングをつけ、販売をしている。
今回の小林製薬の「紅麹」も「(悪玉)コレステロールを下げる」という効果を謳っていたのは、効能をわかりやすく伝える為だったのだろう。
マーケティング担当者であれば、よく知っていると思うのだが、小林製薬の商品のネーミングは他社製品に比べ「効果がわかりやすい・生活者に伝わりやすい」ようなネーミングがされていた。
だからこそ、手に取りやすいという特徴があったのだ。

ドラッグストアに並ぶ、数々のサプリメントを見ながら「健康の為」という思いで、様々なサプリメントを生活者が購入する理由を考えてみた。
そこにあるのは「健康診断の数値」が、関係しているのではないだろうか?
特に今回問題になっている「紅麹サプリ」は、上述した通り「コレステロール値」に関係してくるモノだっが。
「コレステロール値」や「腹部周り・血圧」等は、健康診断で指摘されやすい項目でもある。
基準値を外れると、即不健康のようにとらえられ、健康指導がされる場合もあるはずだ。
この「健康診断」で、重要視されるからこそ、何とか数値をコントロールしたい、という思いでサプリメントを利用する人がいても、おかしくはないだろう。
先ごろ、この「健康診断」における「メタボ数値」が一部変更された。
それが「腹囲」だ。
朝日新聞:「女性の腹囲90センチ→77センチ」メタボ基準を新たに提案 

この記事を読んだ時「中年女性の半数はメタボなの?」と思ってしまった。
記事をよく読んでみると、対象年齢は17歳から始まる「全年代」を対象にしている。
この「全年代」というのが、問題なのだ。
ワコールが女性の体形変化を示している図がある。

この図の示す通り、10代の体形はお腹も出ておらず、スッキリとしている。
それが年齢を経るごとに、お腹が出てくるのだ。
これは、男性についても同じだろう。
血圧等についても、同じだ(先日、健康診断で血圧が高いと指摘された時、その血圧基準を保健婦さんに確認したところ「全年代」と確認をしている)。
骨格そのものも一人ひとり違う。
それを、一括りで数値化することに、どれだけの意味があるのだろう?

コロナ感染の時にも感じたことなのだが、人の健康にかかわるデータであれば、きちんとした統計学を基にすべきなのだ。
このような、数値に振り回され、サプリメントで健康被害を受ける、そのようなこと自体、問題のような気がするのだ。


「ふたご自転車」から見えてくるモノ

2023-11-28 20:43:51 | ライフスタイル

朝の支度をしながら、FM番組を聞いていたら「ふたご自転車」という、商品の話が合った。
初めてきく名前の自転車だったので、「どんな自転車?」と、疑問を持ちながら話を聞いていた。
そして、この「ふたご自転車」が誕生した背景には、様々な問題があり、その問題解決の一助なのか?という、気がしてきたのだ。

実はこの「ふたご自転車」が誕生した背景には、日本の出産・育児という問題が隠れている。
今から40年以上前、「多胎児出産」ということが話題になった。
覚えているからもいらっしゃるかもしれないが、双子ではなく五つ子の赤ちゃんが誕生するという時期が、一時的にあったのだ。
勿論、五つ子ともなると母体にも胎児にも危険が伴う為、十月十日を待たずに帝王切開で出産をする、ということになる。
何故五つ子のような、多胎児が誕生したのか?と言えば、「不妊治療」が本格的に始まったからだ。
「不妊治療」が悪いわけではなく、多胎児となりやすい=母体と胎児にリスクが高い、ということもあり、「不妊治療」そのものがネガティブにとらえられていた時期もあったのだ。

その後「不妊治療技術」が進んだことで、五つ子ほどの多胎児が誕生することは無くなったが、双子は増加傾向にある、と言われている。
日経新聞:双子が30年で2倍に 不妊治療が影響 世界でも同じ傾向 

流石に30年で2倍、という数字には驚くのと同時に、「不妊治療」が特別なものではなくなりつつある、という見方もできる。
高額な治療費を負担しても、子供が欲しいというご夫婦は、多いということだろう。

そして授かった子供が双子であった場合、様々な費用が単純に倍かかるということになる。
当然、日本のように母親が「ワンオペ育児」をしている、という社会環境の中での「双子の育児」は倍以上の負担が母親にのしかかる、ということになる。

それだけではなく、多くの「双子用ベビーカー」は、赤ちゃんが横並びとなるため、幅が広くなり歩道やスーパーの売り場では、他所様に迷惑がかかるのでは?ということになる。
そのような経験をされたふたごのお母さんが、自転車メーカーに掛け合ってもなかなか動いてくれず、結局チャイルドシートを製造・販売している企業がつくることになったという。
OGK技研:ふたごじてんしゃ 

この自転車を開発していく中で、現在の「ママチャリ」の問題点も浮かび上がってきたという。
それは一般的に子ども用の座席は、お母さんの前・後ろに設置される。
その結果、自転車を操作する時にふらつき易くなるだけではなく、安全性を高めるため相応の重量が自転車にかかるため、車輛そのものが重たくなり、相当の脚力・腕力を必要とする、と言われている。
これでは、子供を自転車に乗せ走らせるだけでも、一苦労だ。
そして家では「ワンオペ育児」が待っている。
このような「女性から見た育児環境」は、過酷だと言わざる得ないだろう。

「ふたごじてんしゃ」は、今の日本が抱えている「妊娠・出産・育児」というトータル的な問題点のいくつかを示しているようにも思えるのだ。
それは「女性のライフイベント」として、片づけてよいのか?ということでもある。
これからのモノづくりは、様々な暮らし方をしている生活者の問題を解決するという視点が、ますます重要になっていくのではないだろうか?


日々自分をバージョンアップ!

2023-10-28 12:23:19 | ライフスタイル

先日、久しぶりに経営関連の講演会へ出かけた。
「コロナ禍」の頃、様々な講演会が中止になっていたので、4年ぶりくらいだろうか?
特に、経営関連の講演会となると、10年以上ぶりだったような気がする。

登壇されたのは、ユニリーバ日本支社等でマーケティングの責任者を歴任され、現在アース製薬等の社外取締役をされているハロルド・ジョージ・メイ氏。
テーマは「これからの経営戦略とリーダーシップ」だった。
元々マーケティング畑出身の方なので、その話の内容は(私にとって)とても興味深いモノではあった。
その中でも「日々、自分のスキルをアップさせる為に、勉強を欠かさない」という点だ。
この「日々スキルアップ」という考えは、外資系であれば当然かもしれないが、純正日本企業ではなじみがないかもしれない。
というのも、日本の場合は「幹部候補となる社員ほど、ゼネラリスト」として、複数の部門経験を優先されるからだ。
それに対して、米国を中心として外資系企業は「専門職集団」として、企業組織が成り立っている。
「専門集団」のトップが集まりそれぞれの責任者集団が、企業経営に携わるというスタイルをとっている。
その違いが、企業全体文化の違いを生み、育てている。

その違いで優劣を決めることはできないが、今の日本経済の状況を考えると、よりグローバルな市場に居続ける為に、日本型組織を断捨離をして欧州型を受け入れる必要があるのでは?と、感じたのだ。
その第一歩となるのが「日々自分をバージョンアップする」ということのような気がしたのだ。

「日々自分をバージョンアップ」と言っても、仕事に関連したことだけを指しているのではない。
日本でのマーケティングの一人者と言われる、慶応大学商学部名誉教授であった故村田昭治先生は、毎晩奥様と一緒に「今日新しく覚えた言葉」を教えあうということをしてきた、とエッセイに書かれていた。
例え新しい言葉を一つ覚えたとしても、お二人で1日2つ、それを1年繰り返せば365✕2=700以上の知らない言葉を知り・覚える、ということになる。
勿論、忘れてしまう言葉もあると思うが、1年でそれなりの新しい言葉を覚える、ということはなかなかできることではない。

新聞を読んで気になる言葉に出会えば、意味を調べ、ノートに書きとる。
ネットの新しい機能を試してみる。
普段入らないようなお店に、入ってみる。
等々勉強と身構えることなく、新しいことに挑戦してみることも、バージョンアップするということになると思う。
そのような「新しいことに出会う努力」をしているビジネスパーソンであれば、新しい視点を持つこともできるだろうし、普段から様々なモノ・コトに注意し、時代の変化を敏感に感じ取れるようになるのでは?

その蓄積ができている人達が集まって、一つの組織となれば、その組織からは「イノベーション」が生まれる環境ができやすい、と思う。
言葉で「イノベーション」ということは簡単だ。
実際、バブル経済が崩壊し日本経済が低迷し続ける中で、30年余り言われ続けてきた言葉の一つが「イノベーティブ」だった。
その「イノベーティブ」が生まれない社会文化、企業文化の背景には「ビジネスパーソン自身のバージョンアップする努力」が無く、新たなことへ挑戦するような機運そのものが無かったからではないだろうか?

今回の講演では、そのほかにいくつも気づかされたことがあったが、今のビジネスに必要なことは何か?と考えた時、この「日々自分をバージョンアップする努力」のような気がしたのだ。


人はまだ、ネット社会との付き合い方が、分からないのかもしれない

2023-10-25 22:24:31 | ライフスタイル

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、Meta社に対して米国の41州が提訴をする、という記事があった。
朝日新聞:インスタ・FBは「ドーパミン分泌を操り若者誘導」米41州が提訴 

見出しの言葉が、センセーショナルすぎる気がするのだが、そのような研究もあるようなので、間違っているとは言いきれないのかもしれない。
Forbes:インスタグラムが若い女性に良くない「精神科学的」理由 

この記事が書かれているのが2019年なので、4年ほど前の記事ということになる。
確かに、この記事が書かれる数年前から、世間ではやたらと「リア充」という言葉とともにインスタグラムが、若い女性を中心に人気となっていた。
そして「リア充」演出をする為、いろいろな手段をとっている若者がいたことも明らかになっていた。
と同時に、「何故若者たちは、インスタグラムで『リア充』写真を載せるのか?」という考察等も、されるようになっていった。
それらの考察の中で語られたのが、「『承認欲求』と『孤独感』」ということだったように、記憶している。

今のようにネットで様々な人と繋がることができるようになると、現実的な人間関係よりも気軽な関係ではあるのだが、現実的な人間関係よりもネット上での人間関係の方が、気楽さであるが故に「良く見せたい(=承認欲求)」という心理が働くのでは?という、コトだった(ように思う)。
確かに人は「自分を良く見せたい・好感度の高い人物でありたい」という気持ちが、大なり小なりある。
現実での友人関係を構築するためには、時には無様な姿を見せることもあるだろうし、人間関係を構築する過程で様々な葛藤がある。
それは誰しもが、経験するコトだ。

そして、米国の41州で提訴理由となっている「ドーパミン分泌」との関係とは何か?ということになるのだが、おそらく「承認欲求が満たされることで、『満たされた快感』というドーパミンが分泌される」ということなのだと思う。
何故なら、ドーパミンそのものは「脳内報酬系」と言われる脳の部分から発せられるモノだからだ。
いわゆる「依存症」と呼ばれるモノの多くが、この「脳内報酬系」と呼ばれる部分と関係しており、過剰なドーパミンの分泌は「依存症を招く」ということが分かっているからだ。
(参考)りずみんの健康管理コラム:依存症はドーパミンが原因?! 

見出しだけではわからなかったが、提訴した41州が問題としたのは「ドーパミンの分泌」というよりも「インスタグラム依存症(あるいはSNS依存症)」ということを、懸念している、ということのようだ。
その背景にあるのが、上述した「承認欲求」であったり「孤独感」からくる、「人間関係性の構築の難しさ」ということなのだろう。
そのように考えると、私たちはネット社会における「人間関係構築」をつくるのには、まだまだなのかもしれない。
それは「手軽さの中に潜む、架空の人間関係と現実社会の人間関係」、「(手軽さゆえの)ネット上の万能感」のような問題に対する理解や危険性の不足ということのような気がする。



「気合と根性」で、難局を乗り切ろうとするのはなぜか?

2023-08-21 20:37:24 | ライフスタイル

先週末、Yahoo!のトピックスだったと思うのだが、「まだ、こんなことが話題になるのか…」と思うような記事が取り上げられていた。
現代ビジネス:未だに「マスク」と「ワクチン」を崇め奉る日本人は、一体いつまで”コロナ禍プレイ”をやり続けるのか 

今年のGWが終わってから、新型コロナの感染症としての扱いは、2類相当から5類の「季節性インフルエンザ」と同等の扱いになった。
これを機に、マスクの着用は基本「個人の判断にゆだねる」ということになった。
しかし、熱中症アラートが連日のように発令される中、マスクを着用して出歩く人達がまだいる。
マスク着用そのものは個人の判断なので、そのことに云々する気はない。
ただ、「熱中症が怖くないのかな?」と、心配をするだけだ。

この記事が、Yahoo!のトピックスで取り上げられると、ヤフコメとして様々な意見が飛び交うようになった。
「マスク着用は、個人の自由なのだから、着けているからと言ってこのような取り上げられ方をしてほしくない」という意見もあれば、「マスク着用なんて、エアゾル感染のコロナでは意味がない。なのに、何故まだ続けているの?」という、意見。
中には、高齢者福祉施設で働く人が「マスクを着用することが難しい高齢者施設で、クラスタ―が発生すると大変なことになる実態を理解して欲しい」という趣旨のコメントまで、実に様々だ。
コメントを読む限り、それぞれの立場や考えがあって意見を述べ、理解を求めようとすることはとても重要なことだと、改めて実感をした。

ただその中で、気になったことがある。
何故「マスク」にばかり注目をし続けるのか?という点だ。
上述したように、「マスク着用」そのものは個人の判断だし、以前から言われていることだが「マスクによる(コロナ)予防効果は、限定的であり、しかも『正しい着用をした場合』」という注釈が付く内容だった。
感染症2類相当から5類に移行したとき、「マスクをし続ける理由」として、「周囲の目が気になる」とか「マスクを外すことが怖い」いった「感染症予防」目的ではない理由が上位に挙がっていた。
高齢者福祉施設や病院などに勤務する人達に限定すれば、「感染予防」が目的である、ということでもある。
そして今でも「クラスタ―発生施設」として挙げられるのは、高齢者福祉施設がほとんどだろう。

このような話が取り上げられる度に、感じることなのだが「科学の力で解決できるなら、科学の力を借りる」ということを何故しないのか?ということだ。
「新型コロナ」の感染拡大が問題になり始めた2020年には、既に「UVC紫外線照射による新型コロナの不活性化」が認められている。
藤田医科大学:UVC紫外線照射装置による新型コロナウイルスの不活性化を国内初確認 

「マスク着用が難しい人達」が集まりやすいところだからこそ、このような装置を積極的に設置させることで、現在に至るまでのクラスタ―の発生を抑制させることができるはずなのだ。
より有効性を確認するための「大規模実証実験」の募集を政府が行ったような記憶がないし、このようなクラスタ―が発生しやすい施設に設置補助などを実施した記憶もない。

現代ビジネスの記事を読んでいても感じるのは、「気合と根性で、難局を乗り切る」ということなのだ。
「気合と根性で、難局を乗り切る」というのは、決して美談ではないと思う。


「アフターコロナ」のケアを始めよう

2023-07-11 20:47:49 | ライフスタイル

今朝、FMを聞いていたら、「コロナ禍と未就学児の発達」というテーマの話があった。
元となっているのは、朝日新聞の記事のようだ。
朝日新聞:コロナ禍で年長クラスに4カ月の発達の遅れ 専門家「無視できない」 

今年のGW明けに、2類相当から5類・季節性インフルエンザと同等、という新型コロナの感染症対応基準が変わった。
既にマスクなどをしなくても良い、という状況にもかかわらず、今でもマスクを着用して通学する高校生の姿を見かける。
高校生だけではなく、小学生くらいの子ども達の中にもマスク姿を見かける事がある。
連日の猛暑で、熱中症で倒れるのでは?と、心配をするのだが、マスクをすることそのものに疑いを持たなくなってしまったのかな?と、熱中症の心配とは違う心配をしている。

今回発表された内容を読むと、センセーショナルとまでは言わないが、子ども達の将来への不安を感じてしまうのだ。
大人の4カ月と未就学児の4カ月では、その間に蓄積されるモノ・コトの量が違う。
様々な刺激を体全体で受け、経験から得られる情報の蓄積、知識量など驚くほど多いのが、未就学児と呼ばれる時期だからだ。
その貴重な時間を奪ってしまった、というのが「コロナ禍」という時間でもあった、ということになる。

既に、「コロナ禍」による就学児童の学力面などの問題が、指摘されている。
学力面だけではなく、おそらくコミュニケーション力や様々な認識力などについても、「コロナ禍」前の就学児童よりも低下しているのでは?と、考えられる。
であれば、失われた4カ月分をいかに取り戻すのか?ということが、「アフターコロナのケア」ということになる。
いきなり、4か月分の刺激を与えるなどということが、できるはずがない。
とすれば、この夏休みなどは積極的に自然の中へ友達と出かける機会を設けるような工夫が、必要になるのでは?

例えば、「コロナ禍」まで人気の高かった「サマーキャンプ」。
子ども達が参加したい!という希望もあったと思うのだが、「サマーキャンプ」を「学童」替わりに活用していた、という親御さんもいらっしゃったはずだ。
そのような場合、夏休み期間中、夏休みの宿題+サマーキャンプ(+お盆の帰省)という、スケジュールになる。
実は毎年夏休み期間中、自宅近くの幹線道路脇に「サマーキャンプ」バスが停まっていて、何度も参加するお子さんの姿を見かけたことがあるからだ。
それも、一人二人ではなかった。
学校以外の友達ができる、というメリットもあると思うが、何となく「それでいいのかな?」という、印象を持つ子ども達もいた。
だからこそ、「アフターコロナ」の「サマーキャンプ」は、これまでとは違う発想で行う必要があるのでは?と、思うのだ。

親御さんが1ヵ月子ども達と一緒に過ごす、ということはできる事ではないが、企業も協力して「アフターコロナの子どもケア」に取り組むことが、「働き方改革」に繋がるかもしれない。
それこそ、リモートワークを復活させ、仕事をする時間についても企業に合わせるのではなく、子どもの生活時間に合わせるような取り組みをしてみても良いかもしれない。
あるいは、リタイアしたご近所の方々の力を借りて、日常の中の自然を楽しむサポートを地域ぐるみで行う、という新しい地域コミュニティーをを創るチャンスかもしれない。

まず、大人が若い人たちに「マスクを外した、若々しく素敵な素顔が、社会を楽しくする」ことを、社会として訴求しても良いのでは?
それがスタートかもしれない。