日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

情報の地域差が無くなりつつある

2019-08-05 19:44:28 | ライフスタイル

午前中、FM番組を聞きながら過ごすことが多い。
「時間」を測りながら動くことが多い午前は、ラジオが時計代わりになっている。
特にFM番組は、様々な音楽を聴くことができるので、チョッとした息抜きにもなる。
ここ半年くらいだろうか?なかなかオシャレな音作りをしているバンドが、頻繁にオンエアされるようになった。
バンドの名前は「オフィシャル髭男dism」という、男性4人のバンドだ。

気になって公式HPを見てみたら、「山陰No.1ピアノPopバンド」という紹介がされていた。
メンバーが島根大学と松江高専出身ということで「山陰No.1」ということになっているらしい。
山陰という地域は、多くの人にとって「イメージがわかない地味な田舎」だと、山陰出身者の私は感じている。
強いて上げると「鳥取砂丘と出雲大社」だろうか?
間違いは無いのだが、地方の中でも「イメージがわきにくい」ほどの田舎となると、その地域に暮らしている人たちも都会的センスを持っていないのでは?という印象を都会に住む多くの人たちは思っているのではないだろうか?
だからこそ「山陰No.1」というキャッチコピーが、目を引き興味を引くのだ。

実際、私自身「田舎出身なのに、案外都会的なセンスを持っているんだね?!」と、言われたコトが何度かある。
「田舎出身」だけならまだしも「名古屋にいるのに、都会的センス」と言われたことも度々ある。
「情報量の多さ=センスの良さ」という潜在意識、ということだろうか?
確かに、私が高校生だったころ、様々な情報の発信は米国経由東京だった。
特に洋楽の世界について言うなら、米国のヒットチャートが世界のポピュラー音楽の基準だった、と言っても過言ではなかったと思う。
そして、そのような情報を得る「タイムラグ」は、確実にあった。
今でも定期発刊される雑誌などは、東京と地方とでは1~2日の遅れがある。

しかしそれを大きく変えたのは、やはりインターネットの登場だろう。
オフィシャル髭男dimsのメンバーたちは、子どもの頃には既にインターネットがあり、世界と簡単に接することができた。
私が高校生だった40年以上前は、レコードの発売も米国でリリースされてから2カ月以上たってから、日本でリリースされれば早い方だった。
2か月経過しても、田舎のレコード店の店頭に並ぶとは限らず、取り寄せをしてもらったことも何度もあった。
そのような「タイムラグ」が、インターネットを利用した音楽配信やyoutubeでの映像配信により、無くなりつつある。
興味のある情報であれば、2カ月も待たずに手に入れることができるようになったのだ。

このような環境の中であれば、興味ある情報はどんどん集められ、影響を受け、センスそのものも磨かれている機会は増えてくるだろう。
むしろ問題になるのは、興味が無いモノ・コトに対しての「情報を得ない」ことによる思考の停止であったり、偏った物事の見方に凝り固まることなのではないだろうか?

「メディアリテラシー」ではなく、情報の時間差が無くなりつつある今だからこそ、「情報リテラシー」などの力がこれからは必要となってくるような気がする。

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「たかがブラ、されどブラ」・・・女性にとって悩ましい問題

2019-08-02 18:57:54 | ライフスタイル

Yahoo!のトピックスに、面白いデータ記事があった。
元となった記事は、ファッションスナップというファッション情報サイトだ。
FASHIONSNAP:Dカップ以上の割合が30年間で3倍に、トリンプが最新版「下着白書」を発表

拙ブログにこられる男性諸氏にとって、ブラジャーのカップサイズというのはさほど興味が無いことかもしれない。
しかし、多くの女性特に若い女性にとって、ブラジャーのカップサイズはとても重要な問題だ。
ブラジャーのカップサイズを含めサイズそのものが合っていないと、どんなファッションをしても似合わないからだ。

例えば、アニメ「ルパン三世」に登場する峰不二子さんのようなグラマラスなのにウエストがキュ!と締まった体形は、確かに憧れだが現実にはそのような体形は絶望的なほど無理がある。
「グラマラス=ふくよか体形」とも受け止められるし、痩せていれば当然バストサイズは小さくなり「貧乳」と揶揄されることとなる。
グラマラスでも痩せていても、多くの女性にとっては「重大な体形の問題」であり、ファッションという見た目にも大きく影響する問題なのだ。

このデータだけを見ると、女性の体形は大きく変化したように思えるはずだが、実はそれだけではない。
一つは、女性のブラジャーに対する考え方の変化だ。
おそらく平成が始まった頃から「寄せて上げる」という、キャッチコピーのブラジャーが人気になった。
このタイプのブラジャーそのもののサイズ展開が、それまでとは大きく変わってきたような気がするのだ。
昭和の頃のブラジャーのサイズ展開の中心は、Aカップが中心でCカップと聞くと「随分大きな胸」というイメージが強かった。
女性の多くは「自分のカップサイズを知らず」に、「普通のサイズってたぶん、Aだよね」という感覚で、ブラジャーを着けていたような記憶がある。

それが昭和が終わる頃になると、「ボディコン」と呼ばれるファッションが若い女性の間で大ブームになると、体のラインを強調するために「寄せて・あげる」という「補正」を目的としたブラジャーが人気になった。
と同時に、「寄せて上げる為に」正しいブラジャーの着け方も重要になってきた。
その結果、自分のバストサイズがAではなくCだった、とかDカップだった・・・ということがわかるようになってきた。
と同時に「寄せて上げる」ブームの頃から、ブラジャーのカップサイズの展開も増えてきたように思う。
百貨店の専門コーナーではなく、イオンなどのスーパーの下着売り場でも、それまでほとんど見ることが無かったDカップ以上のサイズ展開がされるようになってきたのだ。
それだけではなく、「カップサイズの見方」が広く知れ渡るようになったことも、大きいだろう。
それまでは、「バストトップのサイズ=ブラジャーのサイズ」だという認識しかなかったことが、「バストトップとアンダーバストの差=カップサイズ」というサイズ表が一般的に知られるようになったことで、「間違ったブラ選びをしていたんだ」と気づく女性も多かったのではないだろうか?

そして今は、このようなカップサイズにとらわれるよりも、より着け心地の良いブラジャーを求める女性が増えている。
ユニクロなどが展開をしている「ソフトブラ」と呼ばれる、ワイヤーが無くても綺麗なバストをつくるコトができるブラジャーだ。
女性がよりアクティブに行動するようになると、ブラジャーにつきもののワイヤーなどの窮屈さから解放されたい、と思うようになってきたのでは?と考えている。
自分のカップサイズを知った上で、より着け心地が良くストレスを感じないタイプのブラジャーを選ぶ女性が増えているように感じるのだ。
そのようなブラジャー選びができる女性の多くは、TPOに合わせたファッションを楽しめる女性が多い、という気もしている。

「たかがブラ、されどブラ・・・」、ブラジャー一つにも女性のファッションやライフスタイルなどと大きく関わっているのだ。

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呼び方に時代の意識変化、それに気づかない人たち

2019-07-12 20:39:28 | ライフスタイル

広告代理店の博報堂が、興味深い調査レポートを公開している。
それは、平成という30年にどのような社会変化が起きたのか?という調査から未来を予測する、というレポートだ。
レポートの一つに「家族のユニット化」が進んだ時代が、平成という時代でもあった、という興味深いレポートがある。

博報堂生活総合研究所:家族30年変化 家族は今プロジェクトへ 潮流1「家族のユニット化」

このレポートを読む前に、既婚男性にお伺いしたい。
「あなたは、奥様のことを何と呼んでいますか?」と。
おそらく昭和という時代に結婚をされた方の多くは、「ママ」あるいは「おかあさん」と呼ばれているのではないだろうか?
お子さんに恵まれなかった方は、奥様の名前で呼ばれている方もいらっしゃるとは思うのだが、お子さんがいらっしゃる既婚男性の多くは「ママあるいはおかあさん」と呼んでいらっしゃるのでは?

この傾向は、2000年に入ると大きな変化を見せる。
「ママあるいはお母さん」ではなく、奥様の名前を呼ぶ既婚男性が増えてくるのだ。
この調査が行われた2018年になると、「ママあるいはおかあさん」という呼び方から、名前を呼ぶ既婚男性の方が多くなる。
今の20代、30代の既婚男性は、子供の有無とは関係なく「名前+さん(あるいは、ちゃん)」で呼ぶ人のほうが多くなっているのだ。

このような調査レポートを見て、ある一定年齢の男性からは「家族の絆はどうなっているんだ!」という声が、出てきそうな気がする。
「パパ・ママ」という呼び方は、子供が生まれたことによって「〇〇さん(あるいは〇〇ちゃん)」から「パパ・ママ」へと変わり、それが一つの「家族」というイメージを持たせることになっている、と思い込んでいるのでは?と、感じることがあるからだ。
しかし、夫婦であっても名前で呼び合うことと「家族である」という意識とは全く別である、という考えのほうが今は主流になりつつあるのではないだろうか?

例えば、徳仁天皇陛下は記者会見などの公的な会見の時でも、皇后陛下のことを「雅子」と呼んでいらっしゃる。
最新の著書「水運史から世界の水へ」の中でも、「妻の雅子にも感謝の気持ちを伝えたい」と、謝辞の言葉を書いていらっしゃる。
ご家庭内では「パパ・ママ」なのかもしれないが、公的な会見や著書の中で個人としての名前を書かれている、というのは天皇家という一般的家庭とは違う環境であっても、社会的意識変化のあらわれと、とらえる必要があるのでは?と、思うのだ。

だが、今だに「結婚をしたら、子供ができて一人前」とか「女は出産して、初めて婚家から嫁として認められる」的な、古い意識の方も現役として活躍をされている。
実際、自民党のある議員さんは、女性候補者の応援演説で「一番大きな功績は、子どもを作ったこと」と発言をして、ニュースなどに取り上げられている。
Huffpost:自民党の三ツ矢憲生議員、現職の女性候補者に向かって「6年間の一番の功績は、子どもをつくったこと」

この種の発言を繰りかえす男性をみると、「時代感や社会的変化が分からない人」という印象を持たれるだけだと思うのだが、呼び名一つにも変化が起きている、という事実から「今社会がどのように変化し、生活者の意識を変えているのか?」という、感覚と思考を持たなくては、未来を語ることはできないのでは?
その意味でも、既婚者のパートナーの呼び名の変化は些細なことかもしれないが、生活者の意識変化としてはとても大きな意味を持っていると思うのだ。



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「待ち時間なし」はメリットだが、「暮らしの余白時間」が無くなるような気がする

2019-06-25 21:18:47 | ライフスタイル

日経新聞のWEBサイトを読んでいたら、スタバがアプリ事前決済を始める、という記事があった。
日経新聞:スタバ、アプリで事前決済 待ち時間なし、まず都内で

この記事を読んで、「スタバで、待ち時間から解放される!」と、喜んでいらっしゃる方はとても多いと思う。
この秋からは「飲食品の持ち帰り」は、店内で飲食をするよりも税金が安くなる「軽減税率」が始まる。
時間の無いサラリーパーソンにとっては、このような事前予約・事前決済による「待ち時間なし」というサービスは、願ってもないサービスだと思う。
思うのだが、「待ち時間なし」のサービスが提供されることで、失ってしまうものもあるのでは?という気もするのだ。

最近感じることなのだが、自分の思った通りにモノ・コトが進まないとイライラし、相手を攻撃するような言葉や態度を示す人が、増えているような気がする。
スタバの新サービスと同じにしてはいけないとは思うのだが、「自分の思い通りにモノ・コトが進む」などということは、社会の中ではほとんど無い、と実感している。

このスタバの新サービスにしても、受け取り場所までスムーズに行ける、という確約は無い。
諸般の事情により、遅れることもあるだろう。
場合によっては、気が変わり当初予定していた受け取り場所を変更したい、という人もいるかもしれない。
そのような場合、受け取り場所を気軽に、変更することなどはできないだろう。
このような場合、スタバに非はないのだが、自分のことを棚に上げて「なぜ、対応してくれないのか?お金は既にスタバに払っている」というクレームも起きるのでは?と、思ってしまうのだ。
それくらい、今の社会はどこか余裕が無いような(あるいは自己中心的な)人が、増えているように感じることがあるのだ。

そしてもう一つ感じることは、待ち時間が無くなった分の時間は、何に使うのか?ということだ。
ミュシュランガイドに掲載されるような星3ツの高級レストランなら、お料理がテーブルに運ばれるまでそれなりの時間が必要となるが、スタバやマクドナルドであれば、その時間は2、3分か、長くても5分程度だろう。
その時間を惜しんで、かわりに何をするのだろう?
スマホをいじる時間だろうか?

その待ち時間に、「新商品」の案内を見たり、キビキビを働くスタッフの動きを見ながら「スタバの魅力は何だろう?」と考えてみたりする時間にあてても良いのでは?
むしろそのような「待ち時間=余白時間」があることで、普段とは違う発見ができるかもしれない。

「忙しいの『忙』という漢字は、心を亡くす書きます。心を亡くすような仕事はしないように」というのは、私にマーケティングのご教示をくださった方から言われた言葉だ。
生活に余白となる時間は、自ら見つけなくては見つからない。
「待ち時間無し」というサービスは、確かに便利でメリットも高いサービスだと思う。
ただ「待ち時間」を有効につかう心の余白も失くしてしてしまっては、新しい視点も発想も生まれてこないのでは?と考えるのだ。

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「老後資金問題」は、生き方の問題かもしれない

2019-06-18 20:29:31 | ライフスタイル

「老後資金、2000万円」という言葉が、独り歩きをし国会の焦点となっている(ように感じている)。
この「老後資金、2000万円」という言葉は、金融庁からの報告書で明らかになったものだが、その後金融大臣の麻生さんが「報告書は受け取らない」などの発言があり、報告書そのものが迷走している感がある。
ダイヤモンドon-line: 「老後2000万円」金融庁報告書の正しい読み方

既に作成された「報告書」を受け取る・受け取らないで、この「老後資金2000万円」という問題が片付くわけではないのだが、どうやら麻生さん(というか、自民党?)は、幕引きをしたいのでは?という気がしてくる。

私自身、金融庁の報告書をシッカリ読んでいないので、その内容については云々できる立場ではない、と思っている。
金融庁の回し者ではないが、この「老後資金、2000万円」というのは、老後だけではなく私たちの生活スタイルや生き方などを考えてみる、良い機会なのでは?という気もしている。

まず、日本人の平均寿命と平均健康年齢には、約10歳違う。
平均的健康年齢は70代なのに、日本人の平均寿命は80歳を超えている。
「人生100歳時代」と言われていても、「健康人生100歳時代」ではないのだ。
とすれば、この10年の間というのは、介護を必要としている年数である、とも考えられる。
この10年間にかかる「介護医療」は、一体誰が負担するのだろう?という問題も見えてくる。

もう一つは、現役時代から引退後まで「どのような暮らしをしたいのか?」という点だ。
高齢になっても、40代・50代の頃のような生活を引退後も続ける、というのであれば「現役世代以上の生活費や医療費が必要」となる。
引退後も現役世代並みの収入のある人は、そのような生活を引き続きすればよいが、おそらく多くの人は現役世代よりも収入そのものは、減るはずだ。
とすれば、収入にあった生活をしなくてはならなくなる。

ネット配信で海外の料理番組を見ていて気が付くのは、家庭菜園などを楽しむ人たちがとても多いということだ。
野菜などはスーパーで買うのではなく、自分たちが家庭菜園で育てた野菜で食卓を彩る、というのが当たり前のように紹介されている。
GAYO!:Dlife 「ナイジェルのシンプルレシピ」

このような番組を見ながら、「お金をかけずに暮らしを楽しむ」という方法を見つける、ということが必要な時代になってきている、ということのようにも思えるのだ。
そのためには、都市部にありがちな「隣人が誰なのかも分からない」という暮らしではなく、地域全体で暮らしを支えるような意識や知恵のようなものが重要になってくるだろう。
プライバシーばかりが強調されるのではない、昔ながらの「向こう三軒両隣」のような、近隣との付き合いの中で「生活コストを下げる」というアイディアも必要になってくるのでは?

そして何より「自分に合った死生観を持つ」ということが、重要になってくるのではないだろうか?
「まだまだ元気なのに、死ぬことを考えるなんて!」と思われるかもしれないし、「今はやりの終活のことか?」と思われるかもしれない。
むしろ「終活」ではなく、「死から逆算した、自分らしい生き方」を模索する、という考えだ。

「人はいつか死ぬ」だからこそ、生活コストや医療コストを含めた「自分らしい生き方」というものを、考えろ!と、「老後資金2000万円」という報告書は言っているようにも思えるのだ。

デモに参加している若年層や「就職超氷河期」世代である40代に対しては、「年金」以外の諸問題を解決する為の政策が必要である、というのは言うまでもないことなのだが・・・。

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少子化と地方活性化を考える

2019-06-09 08:19:08 | ライフスタイル

昨日だったと思うのだが、日本の人口統計が発表された。
統計局HP:人口推計 平成30年12月確定、令和元年5月概算値
前年同期に比べると、全体では27万人の減少だが、唯一増えているのが65歳以上だ。
日本の高齢化社会が進んでいる、ということを実感させる統計だ。

この統計とは別に、女性が生涯で出産するお子さんの人数(=出生率)も発表され、1.42人だった。
このままでは、日本の人口が減り続けてしまう、ということが如実にわかるデータだ。
もっと驚いたのは、15歳以下の子どもの全国割合で「10人に1人が東京の子どもたち」というデータだった。
数字だけをと、とても驚くのだが「子どもも東京に集中する」という状況は、決して日本(の経済)にとって、プラスだとは思えない。
この問題に対して、日経スタイルのコラムで一つの対策案が、掲載されている。
日経スタイル:増えたのは東京だけ 14歳以下の子どもが一極集中

このコラムでも指摘されているのが、「女性の働く場所」だ。
ある程度の都市規模を持っているはずの名古屋でも、大卒の若い女性たちの流出が問題になってきている。
若い女性たちが行く先というのは、もちろん東京だ。
大学が名古屋であっても、東京へ転出する女性が多いのだ。
理由として挙げられるのが、「女性が働く場所が無い」というコラムでも指摘されている点だ。

「女性が働く場所」というと、何か特別な「場所」があるような印象があるが、そのような場所があるわけではない。
「性差なく働ける場所」の多くが、「本社」に集中しているため「本社」が集中している東京へと、若い女性が流出しているのでは?と、思っている。

コラムでは指摘をされていないが、「東京っ子」が10人に1人という数字には、「様々な選択肢を増やしたい」という親の考えも含まれているのではないだろうか?
「進学の選択肢」や「お稽古事の選択肢」などから「(整備された)遊びの選択肢」など、幼少期から様々な選択肢がある(であろう)東京は、保育園の待機児童の問題はあっても、問題以上の魅力があると感じる親もまた多いのでは?

そして高度成長期に東京に就職した祖父母世代が、そのまま東京に住み続ければ、当然親世代、孫世代は東京に住むことになる。
元々人口が集中している東京なのだから、少子化が進む他の中規模都市の子どもの数字よりも増えるのは、当然だろう。
「統計数字を読む」には、そのような社会的バックボーンを理解しておく必要もある。

以前から指摘されているが、このような状況が続けば日本の経済力そのものが弱体化していってしまう。
何故なら、東京は「(何かを)生産している都市ではない」からだ。
上述したように、東京に集中している企業の多くは「本社」であり、その「本社」が(グローバル化)により巨大化している。
男女の性差が関係の無い職種が多いのも、本社であることも多い。

とすれば、地方が活性化していくために「本社移転」ということを考える必要があるだろう。
平たく言えば「創業の地」に本社移転をする、ということだ。
今のようにインターネットが(ほぼ)どこでも使えるような環境になれば、今まで「本社でなくてはできない仕事」だと思い込んでいただけではないだろうか?
先日Tverでみた「ポツンと一軒家」では、東京と横浜に写真スタジオを展開している社長さんが、1人愛媛の山の中に移転し、インターネットを使い、東京や横浜の社員と会議をし、本社としての仕事をされていた。
もちろん、企業規模が小さいからできるスタイルだといえるのだが、そもそも高度成長期~バブル崩壊を経てを尚「本社」が巨大ビルの中にある必要があるのだろうか?という、疑問を持つ必要があるのでは?

これまで「地方活性化」というと、UターンやIターンなどで若者を対象に考え、地元の農業や六次産業などの就労を考えられてきたが、これからは企業のクリエイティブ部門丸ごと誘致する、というような発想が重要になっていくのではないだろうか?
また、これからのAI社会で活躍できる若者は、自然の中で十分遊ぶ経験をし、整備されていない環境の中で様々な経験をしてきた子供たちである、という指摘を考えると、地方活性化と少子化対策を一緒に十分考ることがポイントだと思う。

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「選ばれる」のではなく「選ぶ」時代

2019-06-06 22:00:29 | ライフスタイル

日経のコラムCOMEMOを読んでいたら、「適合不全社会」と言う言葉があった。
このコラムを書いていらしたのは、拙ブログでも何度か紹介をさせていただいている、大阪ガスのエネルギー文化研究所の池永さんだ。
COMEMO:あなたは選ばれるかー適合不全社会から峻別社会へ

コラムの内容については、リンク先を読んでいただきたいのだが「適合不全社会」と言う言葉を目にした時、なんとなく「人が社会や企業に合わせている」という印象を持った。
確かに戦後の高度成長期以来、多くの生活者は「社会変化に合わせた暮らし」をしてきたと思う。
特に高度成長期のように「企業が提供する商品やサービス」を、ありがたく受けていたという時代もあった(と感じている)。
結果日本の生活者の多くは、収入を得るために「企業に合わせた暮らし方」を、選択してきたように思うのだ。
それが悪いわけではない。
日本の企業の多くは「終身雇用」を保証し、60歳までほぼ無条件に働く(=収入を得ること)を保証してきた。

それが今年、日本のエクセレントカンパニーの雄ともいえる「トヨタ自動車」の豊田章夫社長が、「終身雇用の保証は今後難しい」という趣旨の話をした。
プレジデントオンライン:トヨタ社長の”終身雇用発言”で透けた本音
他にも、これまで「副業禁止」とされてきたサラリーパーソンの副業を、推奨する企業の動きもある。
バブル経済崩壊後、数多くの企業がリストラという名前の「人員整理」をしてきたが、トヨタ自動車のような企業が「終身雇用」について言及したということは、一つの企業に所属していれば将来安泰、という時代ではなくなった、ということだろう。

とすれば、これからの生活者に必要なことは「選ばれる」ことではなく、「選ぶ」ことなのではないだろうか?
「選ばれる」のではなく、「選ぶ」ことになれば、当然そこには「責任」というものが発生する。
「責任」を取るために、様々なリスクも考えなくてはならない。
何より、他人の評価ではなく自分で評価をし、失敗した時は謙虚にその失敗を受け入れ、責任を負わなくてはならない。
それらのリスクを理解し、承知した上で「選ぶ」ということは、これまでのような「選ばれる」ことよりも、ハードルは高く、大変だ。
ただそれをしなくては、池永さんが書いていらっしゃる「峻別」されていくことになる。

そのような社会の変化に企業はついていけるのか?生活者の意識はどのように変わるのか?
ここ2,3年の社会変化を、敏感にキャッチする必要があると思う。





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ファッションの変遷は、面白い

2019-06-05 21:59:53 | ライフスタイル

夕方のニュースを見て「だったら、男性も1日パンプスを履いて過ごしてみたら?」と、毒気つきそうになった(笑)。
中日新聞:パンプス着用、社会通念で 厚労相、容認とも取れる発言

男性から見たパンプス(というよりもハイヒールだろうか?)を履いた女性の足元が、綺麗に見えると思う。
実際、鏡の前でパンプスを履くとそれなりに足がきれいに見える(錯覚かも知れないが)。
その反面、デザインによりけりだが総じてパンプスを履いて、1日過ごすというのは、案外苦行だ。
女性の足のトラブル「外反母趾」や「ハンマートゥ」は、パンプスを履き続けることによって起きる「足の変形」だ。
それ以外にも、女性の靴の多くが「履きやすさ」よりも「デザイン重視」であるために、多くの女性は「靴に合わせて、足を変形」させている。
もちろん、フルオーダーメイドで1足数万円以上もするパンプスとなれば、違うだろう。

その昔、パンプスそのものは「男性の靴だった」と言われると、驚かれるだろうか?
Googleなどで、検索していただければわかると思うのだが、フランスの「太陽王」と呼ばれたルイ14世は、大のオシャレ好きで「パンプスにタイツ、ブルマーを履いていた」という。
王様がそのようなファッションをするのであれば、当然取り巻きとなる王侯貴族たちは、ルイ14世のファッションをお手本にする。
ルイ14世の時代のメンズファッションの最先端は、「パンプスにタイツ、ブルマーを履き、肩から豪華なマントを羽織る」というものだったのだ。
その名残(?)として、男性用のフォーマルシューズ「オペラシューズ」がある。

それが女性用の靴となるのは、「産業革命」以降だ。
多くの男性が「仕事をし、お金を儲ける」ようになり、その地位や財力を示す一つの方法が、着飾った女性を伴い社交パーティーや観劇、音楽会などに出かける、ということだった。
当然伴う女性は、奥さんなどではない。歌劇「椿姫」のような女性たちだ。
彼女たちは、多くの男性から宝石や衣装、小間使いの少女たちまで与えられ、優雅な生活をしている。
ルイ14世の頃は、上流社会の男性たちが競い合うように着飾っていたのが、「産業革命」という新たな経済が起こることで、社交界は王侯貴族から企業家へと主役が変り、その華やかさの中心となったのが、「椿姫」のような女性たちだったのだ。
それ以降、経済の中心となる男性ではなく男性の地位や財力を示す女性のファッションの一部が定着した、ということになる。

ファッションそのものは、ココ・シャネルのように「働く女性たちのファッション」という考えが生まれ、戦争が起きれば女性たちも労働力として働くことになり、変わっていくのだが「靴」だけはさほど変わることが無かった。
強いて上げれば、1980年代「キャリア・ウーマン」と言う言葉が盛んに言われるようになると、スニーカーを履いて出勤するニューヨークの女性たちが話題になったりはしたが、オフィスに行けば、パンプスに履き替え颯爽と歩く姿が「キャリアウーマン」の姿のように言われた時代もあった。

このような「パンプス」の変遷を見てみると、女性がより活躍し自立する為の一つの象徴が「パンプスを履かない」ということなのかもしれない。

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「男性育休」義務化を考える

2019-05-18 22:25:55 | ライフスタイル

Yahoo!のニューストピックスなどでも「男性育休義務化」と言う言葉を見るようになった。
その義務化に大きく関与している議員さんのインタビューが、Huffpostにあった。
Huffpost:「これじゃ日本の女性は輝けない」男性育休゛義務化”に自民・松川るい氏が込めた思い 

最近「男性育休」に関しては、以前から言われていたが、議員さんたちが語ることはなかったように思う。
とすれば、随分「男性育休」の考えも広がりつつあるのかな?という気がしている。
問題となるのは「育休期間中の生活の保障」と、「育休後の職場復帰」ということになるだろう。
大企業であれば問題の無いことでも、中小企業では大打撃となる可能性が高い。
日本の企業の多くが、大企業ではなく中小・零細企業であるということを考えると、男性が育休を取得すること自体、人的・経費的負担が大きいのでは?ということは、想像がつく。
そのための支援策を政府が打ち出しをするなり、業界団体がするなりしないと、机上の論で終わってしまう可能性もあると思う。

そのような問題とは別に「育休取得期間」についても、もっと幅を持たせる必要があるのでは?という、気がしている。
というのも、しばらく前にお笑いコンビ(と言っても、今は単独で活動をしているという印象を持っている)品川庄司の庄司智春さんが、Yahoo!ニュースのインタビューで興味深い話をされていたからだ。
Yahoo!ニュース:子どもが生まれた父親たちへ「そのうち出番はくる!」ー遊びも性教育も全力、庄司智春の育児論

このインタビューを読んで、確かに乳幼児と呼ばれる期間の子育ての中心は、母親なのでは?という気がした。
授乳などは、お母さんが中心になってしまうのは、ある意味仕方のないことだと思う。
問題は、その時お父さんのサポート力なのではないだろうか?
例えば、パンパースの「赤ちゃんの子守歌 キミにいちばんのこと」というCMにあるように、夜泣きをしている赤ちゃんをあやすのはお母さんだけがすることではなく、時にはお父さんの大きな胸に安心して赤ちゃんが眠ることもあるだろう。
とすれば、子育ての中心となるのはお母さんからお父さんへバトンタッチされる時期もあり、その時期に合わせた「育休取得」ということも検討する必要があると思うのだ。

もちろん、今の議論の中心はお父さんが夜泣きをしている赤ちゃんをそっと胸に抱き、眠らせるようなことができるような「育休取得」である、ということだとはわかるのだが、例えば子育ての3年間のうち、何回かに分けて取得できるような方法も併せて考えたほうが、庄司智春さんの言うような「お父さんの出番が必要な子育て」には、ならないのではないだろうか?



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高齢者ドライバーの免許返上を考える

2019-04-21 07:43:40 | ライフスタイル

一昨日、東京・池袋で起きた高齢の男性が運転するクルマによる自動車事故。
自動車事故としても、規模の大きいものだった。
この事故に巻き込まれ亡くなられた、母娘さんのご冥福を祈りたい。

このような高齢者が運転する自動車事故は、ここ数年で急激に増えている。
実際、高速道路などを逆走する運転者の多くは、高齢者である。
そして、このような悲劇的な事故が起きるたびに言われるのは、「高齢ドライバーの運転免許証の返納」だ。

認知能力が落ち始めた高齢ドライバーが、簡単に免許を返上できない理由も、盛んに言われている。
過疎地のようなところでは「移動手段がクルマ」で、「クルマが無くては、生活に支障をきたす」というのが、免許を返上できない大きな理由になっている。
しかし今回の事故を起こしたドライバーは、東京都23区内に住んでいる。
このドライバーの住んでいる地域での、公共交通機関の利便さが分からないのだが、公共交通機関で移動する、という発想がこの運転手には無かったのだろうか?という、疑問が出てくる。
事実、このドライバーは「運転免許の返上」ということも、周囲に話していたという話もある。
もしかしたら、自身が運転能力の低下を感じていたのかもしれない。
それでも、運転をしたのはなぜか?

実家の父も認知機能については、問題が無いと言われていたのだが、緑内障の発症を切っ掛けに運転免許を返上した。
ところがいざ運転免許を返上するとなると、クルマ以外での移動手段に不安があった。
不安を解消するために、高齢者が利用できるバスのフリーパス(半年間一定の金額を前払いすれば、バスが乗り放題になる)への切り替えや、タクシーの利用など「移動手段のサポート策」をする必要があった。
万全策を整えたと思っていたのだが、思わぬ原因が公共交通を利用するハードルを上げていたことに気づいたのは、半年ほど経過した時だった。

それはJRを利用した時のことだ。
乗車駅から降車駅までの運賃を運賃表で確認し、財布から運賃分の代金を出し、券売機に投入するという、一連の動作が思いの他時間がかかるのだ。
私のように日ごろ地下鉄などを利用していれば、このよう動作はスムーズで周囲に迷惑をかけることなくできる。
しかし、今までクルマでの移動が当たり前だった父にとっては、運賃表で確認→財布からお金を出す→券売機に運賃を入れる→切符を取る→自動改札機に切符を通す、という一連の動きが思ったようにできず、戸惑っていたのだ。
戸惑うだけではなく、周囲に迷惑をかける(あるいは周囲の視線が気になる)という思いがあり、それが自尊心を傷つけているのでは?という気がしたのだ。
「自尊心」というと、自意識過剰のように思えるかもしれないが、かつて当たり前にできたことができない、という自身の老齢化をまざまざと実感することで自尊心が傷つくのでは?と感じている。
当然、父はJRを利用するような場所には行かない、あるいは誰かに連れて行ってもらう、ということになった。
それが3年ほど前からICOCA(JR西日本他関西の鉄道会社の共同電子マネー)が利用できるようになった。
最初は使い方に戸惑いを見せた父だったが、今ではICOCAも使いながら出かけるようになった。

「運転免許の返上策」として様々な交通手段のサポート策が提案をされているが、実は実家の父のように「乗り物に乗る為に必要な動作」が思うようにできず、運転免許を返上できない高齢者もいるのでは?
交通手段のサポートの充実は必要だと思う。
と同時に、利用するための一連の動作を検討し、高齢者の負担が少ない方法を考える必要があるように思うのだ。

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