先日「雪舟寺」のお手水脇の手洗いについてエントリをした。
その後、他の調べ物をしていた時に、あの「手洗い」が「関白一条兼良ごのみ」といわれるほど有名なモノだと知ったのだ。
モノを知らないというのは、こういうコトなのだ・・・と、今ごろになって反省をしている。
いくら売れないマーケターとはいえ、ある程度モノを知っているつもりだったのだが・・・。
エントリ前に調べておくべきであったと・・・。
モノを知らないついでに、もしご存知の方がいらっしゃれば教えていただきたいコトがある。
それは同じく「雪舟寺」にあったモノで、玄関に何気なく飾られていた掛け軸のコトだ。
だいぶ前、テレビの美術番組で見たような気がしたのだが、作者がわからない。
雰囲気的には、そのテレビ番組で見た「仙義梵(せんがいぎぼん)」のような作風なのだ。
受け付けの方が丁度中座をされていたため、お伺いできずに帰ってきたのだ。
しかし、帰ってから時折その軸の絵を思い出すのである。
なんとも肩の力が程よく抜け、ほのぼのとあたたかく、観ている私に安堵感を与えてくれるのである。
それだけではなく「肩肘からず、周囲をよく見て、急がずとも自分の道を見つけなさい」と、問い掛けてくれているような気がしてくるのである。
おそらく、そのような感覚は人それぞれで違うのだと思う。
ただ、気ぜわしく「忙しい」という言葉を一種の免罪符のように言う事で、本質だとか本来あるべき姿というものを、見落としているのではないのですか?と、優しく問いかけているような軸だったのだ。
もしかしたら、季節ごとに軸が変わることがあるのかも知れないのだが、もしご存知の方がいらっしゃれば、是非教えていただきたい。
その後、他の調べ物をしていた時に、あの「手洗い」が「関白一条兼良ごのみ」といわれるほど有名なモノだと知ったのだ。
モノを知らないというのは、こういうコトなのだ・・・と、今ごろになって反省をしている。
いくら売れないマーケターとはいえ、ある程度モノを知っているつもりだったのだが・・・。
エントリ前に調べておくべきであったと・・・。
モノを知らないついでに、もしご存知の方がいらっしゃれば教えていただきたいコトがある。
それは同じく「雪舟寺」にあったモノで、玄関に何気なく飾られていた掛け軸のコトだ。
だいぶ前、テレビの美術番組で見たような気がしたのだが、作者がわからない。
雰囲気的には、そのテレビ番組で見た「仙義梵(せんがいぎぼん)」のような作風なのだ。
受け付けの方が丁度中座をされていたため、お伺いできずに帰ってきたのだ。
しかし、帰ってから時折その軸の絵を思い出すのである。
なんとも肩の力が程よく抜け、ほのぼのとあたたかく、観ている私に安堵感を与えてくれるのである。
それだけではなく「肩肘からず、周囲をよく見て、急がずとも自分の道を見つけなさい」と、問い掛けてくれているような気がしてくるのである。
おそらく、そのような感覚は人それぞれで違うのだと思う。
ただ、気ぜわしく「忙しい」という言葉を一種の免罪符のように言う事で、本質だとか本来あるべき姿というものを、見落としているのではないのですか?と、優しく問いかけているような軸だったのだ。
もしかしたら、季節ごとに軸が変わることがあるのかも知れないのだが、もしご存知の方がいらっしゃれば、是非教えていただきたい。