日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

知らない事の恥ずかしさ・・・(反省)

2008-11-30 23:05:47 | 徒然
先日「雪舟寺」のお手水脇の手洗いについてエントリをした。
その後、他の調べ物をしていた時に、あの「手洗い」が「関白一条兼良ごのみ」といわれるほど有名なモノだと知ったのだ。
モノを知らないというのは、こういうコトなのだ・・・と、今ごろになって反省をしている。

いくら売れないマーケターとはいえ、ある程度モノを知っているつもりだったのだが・・・。
エントリ前に調べておくべきであったと・・・。

モノを知らないついでに、もしご存知の方がいらっしゃれば教えていただきたいコトがある。
それは同じく「雪舟寺」にあったモノで、玄関に何気なく飾られていた掛け軸のコトだ。
だいぶ前、テレビの美術番組で見たような気がしたのだが、作者がわからない。
雰囲気的には、そのテレビ番組で見た「仙義梵(せんがいぎぼん)」のような作風なのだ。
受け付けの方が丁度中座をされていたため、お伺いできずに帰ってきたのだ。
しかし、帰ってから時折その軸の絵を思い出すのである。
なんとも肩の力が程よく抜け、ほのぼのとあたたかく、観ている私に安堵感を与えてくれるのである。
それだけではなく「肩肘からず、周囲をよく見て、急がずとも自分の道を見つけなさい」と、問い掛けてくれているような気がしてくるのである。
おそらく、そのような感覚は人それぞれで違うのだと思う。
ただ、気ぜわしく「忙しい」という言葉を一種の免罪符のように言う事で、本質だとか本来あるべき姿というものを、見落としているのではないのですか?と、優しく問いかけているような軸だったのだ。

もしかしたら、季節ごとに軸が変わることがあるのかも知れないのだが、もしご存知の方がいらっしゃれば、是非教えていただきたい。
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偏差値や学力ではなく・・・「良い子」が豹変する時

2008-11-29 22:15:47 | 徒然
昨日、テレビなどで「天誅、文科省局長ら殺害」と東大卒の男がブログに、逮捕というニュースが取り上げられていた。

先日の旧厚生省の事務次官とその家族が、殺傷された事件があったばかりだ。
逮捕された犯人は、進学高から現役で国立大学へ進学したが、留年を繰り返し退学。
その後は就職した会社を数年で退職をし、長い間何を職業としていたのか?不明という状態だった。
別にそのことを問題視する気はない。
ただ、世間的に「とても良い子」がどこかで歯車が噛み合わなくなった時、突拍子もないコトを平気でするような気がしたのだ。

今年起きた様々な「凄惨な事件」と呼ばれるモノの犯人の多くが、「子供の頃は、良い子だったのに・・・」とか「教育熱心な家庭で、ご両親も立派な方でしたよ」と、近所でも評判の「良い子」で「良い家庭」だ。
ところが、どこかで歯車が噛み合わなくなると、その不満の矛先をまったく関係のない人へと向け、自分の存在の正当性のために人の命を平気で奪ってしまうのだ。

今回の東大卒の男もまた、東大を卒業し社会へと出たとたん何らかの壁にぶつかってしまったように思う。
それを表している言葉が
理想を持って勉強してきたが、教科書で勉強したことと社会の現実が違っていたことを思い知り、文科省にだまされたという感情が高まった
だろう。

教科書で勉強したことが、現実社会と違うのは当たり前で「学んだこと(≠教科書)+α」が社会のはずだし、教科書は世渡りをするためのマニュアルではない。
机で勉強したからといって、それは社会に出るための基礎学力のようなモノ。
まして大学で「専門知識」を得たといっても、それは仕事の一部で使われるモノであって、それが総てではないのだ。
どうやらこの男は、「教科書=社会での処世マニュアル」だと思い、「社会と自分との関り」という(私にとっては)当たり前のコトを、知らなかったという気がするのだ。

都市部などでは、既に「お受験」は終わったことだろう。
子供の頃から「お勉強、お勉強」で追い立てられ、「教科書に書いてあることは知っていても、社会のことは知らない子供たち」が、親の保護下から離れたとたん「分けがわからなくなり」、そこから人生の歯車が噛み合わなくなってしまうのではないだろうか?
そんな「お受験ブーム」に、一石を投じるほどの事件でもあるような気がする。

大学で勉強することは、とても大切なコトだ。
しかし、大学で勉強することが総てではない。
むしろ、大学で学べないコトのほうが人生には遥かに多い。
今の子供たちに必要な教育は、「社会性力」を身に付けさせるコトかも知れない。
「自分で自分の人生を切り開く」のは、親でもなければ、教科書というマニュアルでもないだから。



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日本が世界基準

2008-11-29 13:57:52 | トレンド
産経新聞のWEBサイトを見ていたら、日本の絵文字が“世界進出”へ グーグルが標準化提案と言う記事が掲載されていた。

私自身は、携帯でもPCのメールでも余り「絵文字」を使うことがない。
強いてあげると、携帯の文字数を減らすために「絵文字」を使う程度だ。
しかし、友人たちから来るメールを見ると、本当に上手に「絵文字」を使っている。
言葉では表現できない気持ちの部分や、より感情を強く現したいときなどに使っているようだ。
その「絵文字」が、ユニコードとなって世界中で使うと言うことを、グーグルが提案しているようだ。

以前、女子高校生などの「何でも絵文字のメール文」が、「何がなんだかわからない」と、批判されるコトもあるようだが、それはおそらくそれは仲間内と言うか、理解できることで仲間意識を高めていたのではないだろうか?
私自身は、女子高校生とは縁がないので今でもそのようなメール文を携帯などでやり取りをしているのか知らない。
元々言語そのものは、時代と共に変化していくモノだと考えれば、今問題視されていないと言うコトは、一時のブームで終わったのかも知れない(既に、女子高校生の間では定着し、話題にもならないのかも知れないのだが・・・)。

ただ、今回の「絵文字」の「ユニコード化」というのは、もっと違う意味をもたらすような気がするのだ。
「絵文字」という独特の文化を作り出してきた「日本人の感覚」が、世界基準を創り始めたという感じだろうか?
もし、それでより分かりやすく言語や世代を超えて理解できるツールとなるのであれば、それはそれで素晴らしいことだろう。
なぜなら、そのようなツールが創られるという社会は、平和でないと難しいだろうと考えるからだ。

最初は「仲間内だけの隠語ならぬ隠マーク」だったのかも知れない。
それが徐々に広がり、一種の「ことば」として理解されるようになったのだ。
「この絵文字なら、自分の気持ちがよく現されているな~」と思うだけではなく、「これなら、分かってくれるかな?」という相手を想定した「ことば」だからだ。
相手を想定=思うと言う余裕は、やはり平和な社会でなければ難しいのではないだろうか?
「絵文字」が世界標準となる、と言うコトは日本の社会が平和だというだけではなく「相手を思う」というこころの部分も世界をリードしているのでは?と、思ってしまうのだ。


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麻生さんと経済界

2008-11-28 14:30:15 | ビジネス
日経新聞をはじめ新聞各社のWEBサイトに、非正規労働者、3万人が雇用喪失 採用内定取り消しも高水準と言う記事が掲載されている。
既に、内定取り消しを受けた学生が、300人以上いるようだ。

「不況だから仕方ない」と言ってしまえばそれまでだが、それにしても「人の扱い」がどんどん軽くなってきているように感じる。
車などの製造業の現場で、生産を支えているのは「期間雇用社員」と呼ばれる、いわゆるアルバイトやパート、派遣社員扱いとなっている人たちだ。
企業側からすれば、景気の動向ひとつで人員整理ができる「便利な働き手」だ。

バブル崩壊後、このような労働力で何とか経営をしのいできたと言う現実もある。
その間、生活者の消費マインドは、「冷凍庫で凍結」されたような状態が続いている。
「雇用の不安=モノ・サービスを購入しにくい」という状態が、続いているのである。
それならば・・・と、麻生さんは昨日経団連の御手洗さんを呼んで賃上げ要求をした。
そして、追加策として「雇用対策」の指示を出しているようだ(紹介記事は、いずれも時事通信)。
このどちらもが、「内需拡大」を考えてのコトだろう。
といっても、御手洗さんをはじめ経済界のお偉い皆さんが「ハイ、そうですね」というコトにはならないだろう。

しかし、冷静になって考えてみれば「安易な雇用調整=生活者の現在~将来への生活不安」に直結するコトになる。
それは、バブル崩壊後十二分に味わってきたはずのコトではないか?
それでなくても、日本は今後20年ほどで極端な労働力不足+高齢化社会が待っているのだ。
そのため準備を今から始めないと、現在の「匠」的技能者の後継者はいなくなってしまう。
世界的金融危機だからといって、将来への投資となる人材をいともたやすく切ってしまうと、日本の高度で独自性のある産業技術が途絶えてしまう可能性もあるのだ。

「資源のない日本」が、これまでクルマなどの産業をここまで発展させたのは、優れた産業技術があったからだ。
今、その後継者を作る必要性があるのでは?と、思ってしまうのだ。
そして、そのような後継者はこれまでの固定概念的な「男性だけ」とか「ハンディのある人はダメ」という発想では、立ち行かなくなってきているはずなのだ。
広く、様々な可能性を持った人に、眼を向ける時代になっているのだから。
そのような人材確保が、5年後10年後の企業を支える重要な人材となるはずなのだ。
そんな考えもなしで「不況だから」という理由で、安易に内定を取り消したり、人員調整を図ると言うのは、企業にとってマイナスが多いのではないだろうか?
そもそも、今回の「アメリカ発世界同時金融危機」で、日本の企業は欧米の企業に比べ遥かに痛手は少ないはずだ。
「心理的不況」に陥っている可能性も、あるのではないだろうか?

麻生さんが本気で、内需拡大を考え経済界に「物申す」というのであれば、そこまで踏み込んだ「麻生ヴィジョン」を言う必要があったように思う。
もちろん、もう少し「日本語」の鍛錬をした上で。


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まだ続いていた「一澤帆布」相続問題

2008-11-27 20:37:19 | アラカルト
朝日新聞のWEBサイトを見ていたら「一澤帆布」相続問題、前社長側が逆転勝訴 大阪高裁と言う記事が掲載されていた。
個人的には「まだ、続いていたのか・・・」という気がした。

この「一澤帆布」の相続問題は、3年ほど前から始まっていたように記憶している。
その後、弟の信三郎氏が「一澤信三郎帆布」を、当時相続をした兄の店(=「一澤帆布」)の向かい側に店を開くコトとなった。
本当に「兄弟による骨肉の争い」が巻き起こした相続問題だったのだが、それは単なる「相続問題」では終わらなかった。
と言うのも、工房にいたスタッフのほとんどが弟・信三郎氏の工房へと移ってしまい、「一澤帆布」という名前は残ったものの、「ブランド価値」や「顧客」はそっくりそのまま弟・信三郎氏の店へ移ってしまったからだ。
おそらく、相続の正当性を主張した兄側としては思ってもみないコトだっただろう。
なぜなら「一澤帆布」という名前を引き継ぐ=「ブランド価値と顧客を引き継ぐ」と、考えていたように思えるからだ。

先日京都へ遊びに行ったときでも、「一澤信三郎帆布」のネームの入ったカバンを持っている人は数多く見かけたが、真新しい「一澤帆布」のネームの入ったカバンを持つ人は見かけなかった。
やはり人は、よくモノを見ているのだ。
「一澤帆布」という名前ではなく、その商品の良さに惹かれ買っていたということなのだ。

元銀行マンだったお兄さんは、「ブランド価値」ということについては、本などでよく勉強をしていたのかも知れない。
しかし「ブランドを創る」という意味と、ブランドを創ってきた「顧客との関係」、そのための「スタッフ全員の努力」といったことまで理解していなかったと言うことだろう。

今年「賞味期限の偽装」で、問題となり廃業に追い込まれた大阪の老舗料理店「船場・吉兆」なども、「吉兆」という名前に胡座をかき、「船場・吉兆」というブランドの質を高める努力の意識がなかったために、このような偽装を平気で行い、結果廃業にまで追い込まれた。

不況で「モノが売れない」時期だからこそ、「ブランド」は重要になってきている。
そのためには、確立したブランドを維持するためのたゆまない努力を忘れてはいけないし、「ブランドを創ってきたのは誰なのか?」というコトを忘れてはいけないのだという教訓を「一澤帆布」の相続問題は改めて示しているような気がする。

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制度はできても・・・-働くママと保育-

2008-11-26 21:41:20 | ライフスタイル
産経新聞のWEBサイトに、「保育ママ制度」を法制化 改正児童福祉法が成立と言う記事が、掲載されている。

「少子化対策」として、色々なコトがいわれている。
ひとつは経済支援だろう。
実際、二人目の子供を躊躇する理由として「経済的問題・不安」を上げるご夫婦は、少なくない。
もうひとつが「育児・保育支援」だ。
特に都市部なのでは保育所が足りず、「待機児童」が問題になっている。

同じ問題ではないが、親の都合で健康保険未加入となっている子供たちの存在も、社会的問題となりつつある。
こちらについても、「無保険の子に保険証を」野党4党、法改案提出へと言う動きがあるようだ(紹介記事は朝日新聞)。
身勝手な親の都合で無保険となる子供たちがいると言うコトは、今の社会的意識の低下と言う気がしてならないのだが、そのような身勝手さの被害にあう子供たちがいることもまた、現実と言うコトだろう。

一応「経済大国」といわれる日本で、子供たちを取り巻く環境が年々大人の都合で劣化していっているコトは、本当に豊かな日本なのだろうか?と、考えてしまうのだ。
そのような意味で、制度が整うだけでも大きな進歩だと思うのだが、制度整備だけで終わってしまうような気がしないでもない。
と言うのも、先日東京都が認可していた保育園が突然閉鎖されると言うコトが、あったばかりだからだ。
許認可保育園などでも経営が厳しいのだとすれば、補助金などについても検討される必要があるだろう。
何より、働くお母さん・お父さんが必要としている「保育施設とは」というコトを、自治体だけではなく企業も考えていく必要があるのではないだろうか?

日本の企業は、働くお母さん・お父さんに優しいとは言えない。
働くお母さんたちが、不安に思っているコトのひとつが「育児休暇後の仕事」で、お父さんたちは「育児休暇を取得しにくい(雰囲気)環境にある」というコトがある。
未だに多くの職場では、「育児休暇は、様々な意味でマイナス」だと、受け止められいるようなのだ。
しかし、本当は「それまでの企業目線」だった発想が、「生活者目線・子供の未来発想」へと変わるチャンスでもあると思うのだ。

「制度はできても・・・」では意味がない。
運用できるのか?と言うコトが大切なのではないだろうか?



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日本のおもてなし(感覚)

2008-11-25 15:01:58 | アラカルト
昨日、友人と一緒に京都へ行った。
多くの方は「名古屋から新幹線」と思われるかも知れないが、「イロイロなトコロを節約して、京都を楽しもう!」と言うコトで、在来線を利用したプチ旅行だった。
もちろん、目的は紅葉だったのだが在来線の車窓から見える道中の山々の景色にも秋が感じられ、「ローカル線の旅」もなかなか楽しいモノだった。
それだけではなく「普段着の日本の風景」というモノも感じられたのが、何よりだった。

そして、目的の紅葉だが・・・いわゆる「紅葉スポット」と呼ばれる「東福寺」や「永観堂」などの紅葉は、ガイドブックなどで紹介されている通り(以上)の美しさだった。
しかし、私と友人が「素敵だね」と感じたのは、まったく別の場所。
「東福寺」のすぐ近くにある「芬陀院(通称:雪舟寺)」だった。
いわゆる「雪舟庭園」と呼ばれるお庭も素晴らしかったのだが、お手水脇の設えが心行き届いていて「日本人のおもてなし」というモノを感じ取ることができたからだ。

「雪舟寺・お手水脇の手洗い」
携帯のカメラで撮影したために、余りはっきりと写っていないのだが、柄杓の脇には手折った感じの花がさりげなく生けてある。
隅々にまで心をゆき届かせながら、あくまでもその佇まいは控えめに、庭の邪魔にならないような心遣いがされている。

「東福寺」の素晴らしい紅葉を見ようと詰め掛けた観光客の喧騒から、50mも離れていない場所の静寂さは、一服のひと時だった。

他にお伺いさせて頂いた「安楽寺」や「霊鑑寺」なども、その佇まいの静かさやご案内をしてくださるお坊さんやボランティアの方々の姿が、本当に心なごませ参拝者のこころを豊かにさせてくれるモノだった。
そして、これらの一つ一つがかつて日本人が当たり前に持っていた「おもてなし」だったのでは?と、思ってしまった。

忙しさの中で、人に気遣うこころや相手を思いはかるというコトを忘れつつあった自分に、反省をした1日でもあった。

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これで「女心がわかる?」-男性用ブラ-

2008-11-23 23:16:07 | トレンド
産経新聞のWEBサイトを見ていたら、「エ゛?」という記事があった。
それが、男性用ブラ、ネットショップで人気商品にと言う記事だ。

新聞の掲載カテゴリーも「仰天ニュース」という分類なので、「本当???」と思ってしまうのだが、実際のサイトを探してみると存在しているし、「購入者からの声」も掲載されている。
どうやら、悪い冗談ではなさそうなのだ。
そして、某クルマのテレビCMに感化されたと言うわけでもないようだ。

実は、女性用商品が男性向けに開発され一般化した商品と言うのが、最近ヒットしている。
それは、ワコールの「クロスウォーカー」と言う、メタボ対策の補助的役割をするガードルだ。
このガードルを着けて歩くと、お腹が引っ込むと話題になった商品なので、ご存知の方も多いだろう。

このような商品が、男性の間でヒットするのは分かるのだが、「男性用ブラ」となると、マーケティングに20年近く携わってきた私にも分からない。
私が女だから分からないのかも知れないのだが、女性である私からあえて聞きたいのは「あんなに窮屈感のある下着を積極的に身に着けたいのはなぜ?」ということだ。
写真で見る限り、カップ下にはワイヤーが入っており、いくら伸縮性のある素材だとしても、胸の下にあるワイヤーには違和感があると想像するのだ。
まして、男性と女性では胸の形そのものが違う。
と言うコトは、女性が普段感じる窮屈感よりももっと窮屈に感じるのではないだろうか?
それとも、脱いだときの開放感がたまらないと言うことか?

購入した男性の多くが女装趣味だとは思えないし、本当に何故売れるのか分からないのだ。
そればかりか、購入した方の声を読むと「優しくなれる」というコメントが目立つ。
ムゥゥゥ~、ブラをすると優しくなれるのか?
その感覚も分からない。

もうひとつ気になるのは、取替え用肩紐も販売されているだけではなく、いわゆる「寄せて上げる」必須アイティム・(バストアップ用)パッドも販売されているのだ。
あの「窮屈感+パッド」とは・・・ますます分からなくなってきてしまう。
是非とも男性諸氏のご意見を賜りたい。
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「看板を架け替える」ということ-すかいらーく-

2008-11-23 12:38:51 | マーケティング
今日の新聞各社のWEBサイトには、ファミレス「すかいらーく」全店廃止 低価格店に転換と言う記事が、掲載されている(紹介記事は日経新聞)。

ご存知のようにファミレスの代名詞と言うか、「ロイヤルホスト」「デニーズ」に並ぶ「ファミレス御三家」のような存在であり、日本でファミレスと言う外食形態を創り上げた企業でもある。
「すかいらーく」が登場する前の「家族揃って外食をする場所」といえば、百貨店の「お好み食堂(または、大食堂)」だった。
当時は、日曜日の買い物と言えば、百貨店。
お昼は百貨店の「お好み食堂」が定番と言うか、1週間のお楽しみのような存在だった。
それが「すかいらーく」の登場で、買い物はともかく、お昼はファミレスへと変わっていったように思う。
と言っても、我が家では(父親の仕事の関係もあり)そんな感じではなかったのだが、そのような週末を過ごすクラスメートを羨ましく思っていた。
 
その代表的な「すかいらーく」が、看板を下ろすと言う。
代わりに「ガスト」などの、「すかいらーくグループ」の中でも、低価格帯で人気の店舗名へ替えるという。
普通「看板を架け替える」と言うと、企業にとって大きなダメージを受ける場合が多い。
しかし今回の「すかいらーく」の場合、余りそのダメージがないように思われる。
と言うのも、「ガスト」等が「すかいらーく」の低価格帯店舗だと言うことを、多くの人が知っており、その「ガスト」そのものの「ブランド」が、認知され構築されているからだ。

店舗の改装費用も必要最低限で済み、イメージダウンが少なく、価格の見直し等で差別化することが難しいと判断したのだろう。

ただ気になるのは、今のファミレスは創業当時のようなファミレスなのか?と言う点だ。
と言うのも、休日などは家族連れの客が多いかも知れないのだが、平日などはサラリーマンや学校帰りの学生などが目立つ。
営業時間が長いこともアリ、それぞれの時間帯でファミレスを利用する客層も違うはずなのだ。
今やファミレスは、ファミリーレストランではないように感じるのだ。

もちろん、家族構成の変化を敏感に察知し、メニューそのものも「幼児向けメニュー」や「乳幼児向けサービス」を積極的に提供するだけではなく、「(一般メニューよりも減量されている)高齢者向けメニュー」などの取り組みもしている。
そんな視点でのメニューの充実と価格バランスが、今後のポイントになり、「毎日、いつも安心・安全な食事が、リーズナブルで楽しめる場所」というのが、今後のファミレスなっていくのではないか?と考えるのだ。

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ローカルな逸品探し

2008-11-22 20:23:15 | ライフスタイル
先日冷蔵庫内の在庫チェックをしていたら、ポン酢がなくなっているコトに気が付いた。
「これからの鍋シーズンに向け、買い足しておく必要があるな~」と思いながら、近所のスーパーへと向かった。

実は、我が家の近くにはスーパーが3軒あるので、時折スーパーめぐりをするのだ。
と言うのも、個々のスーパーに特徴があり、その違いをチェックしながらお値打ち品や珍しいモノを探してて歩くのである。

そして今日、気になっていたポン酢を探しに、スーパーめぐりをしてきた。
一口でポン酢と言っても、大手メーカー(それもお醤油屋さん系とお酢屋さん系がある)のもの、プライベートブランド、地元産ではないがローカルなものと、バラエティーに富んでいる。
お醤油やお酢は、ある程度大手メーカーの商品が商品棚に並んでいることが多いのだが、なぜかポン酢は「こんな地域のものも?」と思うほど、ローカルなモノが並んでいることが多いのに気づいた。
当然、使われている柑橘類もゆず、すだちなど変わってくるのだが、そのどれもがおいしそうなのだ。
大手メーカーのモノよりもローカルブランドは、素朴でおいしそうなラベルで棚に並んでいる。
価格は大手メーカーよりもやや高めなのだが、折角なのでプチ贅沢をした。
早速、お鍋をして食べてみたのだが・・・これがおいしい!!
ラベルを見ると、高知県の山村で作られたポン酢だった。

昨今の「お取り寄せブーム」の背景が、少し分かったような気がした。
そうなのだ!
「ローカルな逸品」を見つけるという、楽しみがあるのだ。
自分が見つけた「ローカルな逸品」は、「私御用達の逸品」になり、プチ贅沢気分を味あわせてくれる一種の生活の楽しみを与えてくれる・・・そんな「ローカルな逸品」探しが、地方を元気付けてくれるかも知れない。


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