日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

復権に意欲があっても・・・

2012-04-29 06:56:47 | 徒然
小沢さんの無罪が決まって、ご本人は復権に意欲満々の様だ。
まず手始めに、野田さんの「消費税増税案」に対して「反対」の発言をしている。
「消費税増税」に関しては、もっと国会の場で論議すべき内容だと思っている。
実際、財政が厳しい状況であるコトには変わらない訳だし、民主党が政権を取って始めた「事業仕分け」も、結果が伴っていない。
「事業仕分け」そのものは意味があったと思うのだが、その次のステップに進めていない、と言う問題がある。
何より、公務員の人員削減などが決まるのに国会議員の歳費などを含めた論議となると、与党野党ともに歯切れが悪い。
自分たちのこととなると、やはり抵抗感があると言うコトなのだろう。
本当は、そこで思い切った決断ができるか・できないかで、将来的評価は大きく変わると思うのだが・・・。

ただ、復権に意欲満々の小沢さんのウィークポイントそのものが、お金にまつわるコトだという点に、ご本人は気づいているのだろうか?と言う疑問がある。
ご本人は「国家の大事を考えるのが、国会議員の仕事」と言っていらっしゃるのだが、「『国家の大事』をするために、その4億円をどうして集め、使おうとしたのか?その具体的目的は何だったのか?」と言う点が、明らかにならないままだったからだ。
それも終始一貫、小沢さんは「公の場で話す」と言っていた様な、記憶がある。
「公の場」というのは、国会や裁判という場所では無かったのか?
それを「国家の大事」という言葉で、片付けてしまったと言う印象しかない。

それだけでは無く、生活者の多くが「お金がかかる政治」に飽き飽きしている、と言う点を小沢さんは見逃している。
「本当は、政治にお金がかかるのでは無く、選挙にお金がかかる」と言うコトも何となく感じているのが、今の生活者だと思う。
なぜなら、ここ数年まともな国会論議がされ、政治家が仕事をしたという、印象が全く無いからだ。
もし小沢さんの言う「国家の大事」が、政治では無く選挙だとしたら、その4億円というお金は、選挙のためのお金であって、「国家の大事」では無く「国会議員になるための大事」なのでは?
そんなコトを感じている生活者も、数多くいるのでは?

小沢さんが、再び政治の世界に戻ってくる気があるのは、構わない。
でもそれを決めるのは、小沢さんでは無く選挙民だというコトも知る必要があるのでは?
何よりも今の政治不信の一つである「政治家とお金の問題」のきっかけを作ったのは、小沢さんご本人だと言うコトに気づいているのだろうか?


「ぼんやりしていた」という・・・

2012-04-27 21:36:48 | 徒然
今週に入ってから、集団登校の児童の列にクルマが突っ込むと言う事件が、起きている。
今日に限って言えば、2件同じような時間帯にあったようだ。
その前には、無免許運転の少年が居眠り運転をしていて、事故を起こしている。
無免許運転で居眠り運転をしていた少年については、あれこれ言う必要も無いと思う。

そして今日起きた事件は、いずれも20代前半の若者が起こした事故で、その原因もほぼ同じ。
「ボーっとしていた」というもの。
実はこの「ボーっとしていた」ということに、ある種に気味悪さを感じるのだ。

と言うのも、最近街中で「ぼんやりしている」と言う、感じを受ける若者が多いからだ。
印象的には「ぼんやりと空(くう)を見ている」という表情、と言った方がわかりやすいかも知れない。
決して「何かを考えている」のでは無く、だからと言って虚脱感と言う雰囲気でも無く、「頭も心も空っぽ」と言う雰囲気。
だからと言って「無表情」というのでも無い。
「覇気が無い」と言えばその様な感じもするのだが、一番当てはまる印象は「頭も心も空っぽ」なのだ。

人は多くの場合、相手の表情などを見ながらコミュニケーションを図ろうとする。
「喜怒哀楽」の様なハッキリした表情でなくても、全体の印象や雰囲気からある種の空気感を得ようとし、言葉や態度に示すことで、半ば無意識に相手の気持ちや考えを引きだそうとしている、と考えている。
街中で佇んでいる「頭も心も空っぽ」の若者に声をかける、と言うことは決してしないが、それでもその様な若者を見ると気持ち悪さを感じてしまい、避けて通る私がいるのも確かだ。

そして今回の様な事故が立て続けに起こり、その加害者が「ボーっとしていた」というコトを話しているコトを考えると、この「ボーっと」しているコトが普通になりつつあるのでは?と言う気もしてくるのだ。
それは「思考停止時間」というコトかも知れない。

もしそれが「思考停止時間」というコトであれば、若年層を中心に「思考停止時間」が多くなりつつあるのでは?と言うコトも考えられる。
その様に考えると、今の日本は「考えるコトをさせない社会」というコトにもなる。
「考える」と言っても、難しい問題を考えると言うコトでは無く、コミュニケーションを取るために「相手のコトを考える」という、「注意力」と言う部分のコトだ。
言い換えれば、「コミュニケーション力不全の社会」になりつつあるのかも知れない。

一時期「KY(その場の空気感が読めない)」と言う言葉が流行したが、それは「自分のコト(を察してよ)」という部分だけで、「周囲のコト」ではなかったのでは。
周囲に対する注意力が無くなれば、社会の中での自分の存在はぼんやりとした、不安定な存在となってしまうのではないだろうか?
何となくだが、そんなコトを考えた事件だ。





時々右脳で考えてみよう

2012-04-26 17:52:09 | アラカルト
話題としては、小沢さんの無罪判決だと思うのだが、検察側の「小沢有罪ありき」と言うことが問題だったとは思うが、庶民の感覚からすれば「どうやって4億と言うお金が、簡単に動くのだろう?」という疑問ばかりが残った。
そんな事件だった様に感じている。
結局肝心の「4億円の出所」が明らかにならないまま、この事件が終わってしまうのは残念な気がする。
と言うのも、このお金の出所が分かれば、「政治家のお金の使い方」というモノも分かる様な気がしたからだ。

さて、そんな政治の話では無く先日読んだ新聞に、ソニーの新しい社長に就任した平井さんの記事が掲載されていた。
平井さんを批判する様な内容では無く、社長の就任会見を通して「HOW TO」的な内容ばかりで、「就任」と言う心意気というか「何をするのだろう?」という、ワクワク感の様なモノが感じられなかった、と言う内容だったと思う。

丁度この記事を読んだ頃、「脳の奇跡」と言う、米国ハーバード大学医学部の新進気鋭の脳科学者として活躍をしている最中、自身が脳卒中になり、その発症時からリハビリ、回復をし現場に復帰するまでの8年間を、患者であり脳科学者としての視点で書かれたジル・テイラー博士の本を読んでいた。

その中で平井さんの就任記者会見がとても「左脳的内容」だったのでは?と言う気がしたのだ。
その「左脳的記者会見」と対局的な会見が得意だった人物は誰か?と考えると、アップルの創業者で昨年亡くなられたジョブス氏が思い浮かんだのだった。

企業に限らず、日本の偉い方の記者会見というと、公平性や中立性を出す為に数字を並べることが多い。
それだけでは無く、最近では「成果主義」的な要素も求められる為「○○を××%達成したい」的な内容が盛り込まれることも多い。
テイラー博士によると、この様な発想は左脳によるところが大きいと言う。
左脳が得意とする分野には、ワクワク・ドキドキ感が無いのだ。

そしてワクワク・ドキドキ感があるのは「右脳」で、喜びや楽しさを求めているのも「右脳」だという。
それだけでは無く「左脳」が論理的であるのに対して、「右脳」は直感的だという。
ジョブス氏は、iPhoneやiPadの発表会見の時「直感的操作」ということを繰り返し言っている(と、記憶している)。
とすれば、iPhoneやiPadは「右脳」に向かって、何かを起こさせるモノと言うことになる。
だからこそ「ワクワク・ドキドキ感」がとても重要になってくるのでは?と、思ったのだ。

そうやって日本の企業が最近作り出してきているモノを見ると、「右脳的」というよりも「左脳的」な気がする。
だからこそ、時々右脳で考えるトレーニングが必要かも知れない・・・と、感じたのだ。
ちなみに「左脳」は別名「男性脳」とも呼ばれ、「右脳」は「女性脳」とも言われているらしい。
その様に考えると、女性と男性がバランスよく仕事ができる企業は、柔軟性もありワクワク・ドキドキ感がある企業ということになるのかも知れない。

コピーは時代を映す?

2012-04-25 20:30:04 | CMウォッチ
書店で見かけた「傑作!広告コピー516」と言うタイトルの文庫本。
仕事の関係もあるが、元々広告表現そのものが好きなトコロもあり購入。

この本のタイトルには、「人生を教えてくれた」と言うサブタイトルが付いている。
「人生を教えてくれた」というのは、やや大袈裟な気もしないわけでは無いが、「傑作!」と謳っている通り掲載された広告コピーはどれも印象深いモノが多い。
それだけでは無く、広告そのものが「時代を映す鏡」と言う要素があるコトを考えれば、自ずと使われているコピーもその時代時代をよく表現しているな~、と感じるモノが多い。

掲載されているコピーは80年~01年のモノ。
20年という時間の中には、バブル景気がありその後の崩壊、低迷する日本経済・・・と、日本経済の大きな波の中で生まれたコピーだ。
作者を見ても、糸井重里さんや仲畑貴志さんの様な著名なコピーライターもいれば、代理店に所属しているのでは?と思われる方もいらっしゃる。
ただ共通しているのは、傑作コピーと言われるモノにはユーモアと普遍性がある、と言うコト。
もちろん、ユーモアのあるコピーだけでは無い。
アムネスティ・インターナショナルの広告で使われたコピーは、今でも十分通用する程の強いメッセージ性を持っている。
また、バブル経済が実質的には破綻し始めていた頃の銀行のコピーは、「銀行がそれを言う?!」と言う感じの驚きがある。
当時は、相当強きな姿勢を営業面だけでは無く、社会に対してもアピールしていましたから、当然なのでしょうけど、その後のバブル崩壊で都市銀行が生き残りをかけ次々と合併・統合されていったコトを考えると、「やはり時代だったのかな~」、と言う気がしてくる。

一方普遍的な内容というのは、その企業が発信したある種の人生観の様な内容が、多い気がする。
例えば、サントリーの広告は一貫して「時の流れ」を言っている。
それはウィスキーという洋酒メーカーだからこそ、「長い時間をかけてつくられるモノへの価値」を言う必要がある為だろう。
でも、それをウィスキーと言った商品の枠を超えるだけの力のあるコピーだと、「(企業の)生き方」のようにも読み取れる。
旅行会社や鉄道会社のコピーとなると、「旅=人生の旅」の様なとらえ方に読み取れる。

今年のGWは、比較的長期の休みとなる企業が多い様だ。
海外へ旅行に行かれる方も多い様だ。
だからこそこんなコピーを・・・
「バカンスとは、大してお金を使わなくても楽しかった1日のことです。」(95年良品計画「無印商品」)
お金を使って使わなくても、十分楽しいGWをお過ごしください。

視聴率を気にするのは、誰?

2012-04-24 19:03:33 | 徒然
確か昨日だったと思うのだが、NHKの大河ドラマ「平清盛」の視聴率が悪い、とYahooのトピックスにあった。
今日、オダギリジョーさん主演のドラマも視聴率が悪いとYhaooで取り上げられている。
実は、このような話題を知るたびに思うことがある。
それは「視聴率を気にする人は誰?」というコト。

テレビ番組を録画できなかった頃は、その視聴率が本当の視聴を計る目安となっていたと思う。
しかし、一般家庭にビデオデッキが普及し、「テレビを見る」から「テレビ番組を録画する」という視聴スタイルになってから、30年近く経つと思う。
その間に録画する機器は、ビデオデッキから、DVDへと移り、ここ2,3年はブルーレイになった。
最近ではブルーレイの代わりに、HDDも登場している。

そもそもテレビそのもを見ないという人も、地デジ化で増えたようだ。
NHKの受信契約者が、地デジ化を機に契約を解除したという世帯数が数万ある、という話題が昨年の秋ごろあったと思う。
とすれば、「視聴率」そのもので一体何を計りたいのか?というコトが分からなくなってくる。
NHKの大河ドラマについて言えば、視聴率に左右されない番組作りを基本としているNHKなのだから、視聴率そのもの云々する意味は無いと思う。
相当額の製作費用=その多くの原資は受信料なのだから、受信契約者としては「どのような番組を作っているのかチェックをしなくてはならない」、という気持ちで大河ドラマを見ている人はほとんどいないと思う。

さすがに民放となると、視聴率の良し悪しでスポンサー企業との関係に問題が生じる、というコトはあると思うが、契約そのものは曜日と時間帯で長期契約しているはずなので、一つのドラマの視聴率が悪いからといって、スポンサーを降りるということは無いと思う。
「打ち切り」という方法で、スポンサーを納得させることだって出来るはずだ。
とすれば、シナリオライターさんや主役を演じた俳優さんたちにとっては、大きな問題かも知れない。でもそれは、製作者側の問題だろう。

そのように考えると、毎シーズン新しいテレビドラマの視聴率の良し悪しが話題になる理由がイマイチ分からないのだ。
視聴率を気にしているのは、その実メディア側だけであって、メディア側の心配をニュースとして取り上げているのでは?
実際、テレビの視聴率がパッとしなかったのにDVD化されたら、人気になったというドラマもあると聞く。

今のように視聴するスタイルが様々で、放映後DVD化するのが当たり前のようになってきていることを考えると、視聴率そのものは、受け手である視聴者には余り関係の無いことのように感じるのだ。
むしろ、自分たちの事情を話題にしているような日本のメディアのあり方は、それで良いの?と、考えてしまうのだ。

興味がそそられる広告

2012-04-23 20:30:36 | CMウォッチ
今日の朝刊に比較的大きなサイズで、チョッと興味のそそられる広告が掲載されていた。
その広告は、「リポビタンD」(注意:音声あり)の発売50周年のイベント告知の広告。

と言っても、サラッと見た限りでは余り興味がわく内容ではないかも知れない。
なぜなら、広告の中心は発売50周年の広告だからだ。
ただその下を見ると、チョッとしたイベントの告知がある。
リンクをしたサイトを見ていただいても分かるのだが、どうやら長い間使われてきた「リポビタンD」のキャッチコピー「ファイト一発」にかけたイベントのようだ。

HPでは、そのイベントの詳細が書かれていないようだが、新聞の広告にはその内容の一部が記載されている。
その内容に、興味があったのだ。
その内容とは・・・。
「5月10日、午後1時8分、日本中に向けて『ファイトイッパツ』と叫ぶ」というもの。
叫ぶという行為そのものよりも「日本中に向けて、(製造・販売元の)大正製薬さんがどのようなカタチで叫ぶのだろう?」と、その手法に興味がわくのだ。
ネットで叫ぶ?
社員一同、本支店・営業所含め各地で叫ぶ?
テレビやラジオなどのメディアを使って叫ぶ?
日本中で叫ぶ方法を考えるだけでも、いろいろな方法が思い浮かぶ。

「広告」としては、この興味を引いた時点である程度成功していると思う。
「イベントを広く知らせる」というコトだけではなく、その内容について興味を持ってもらうという点が重要なのだから。
そのように考えると、このイベントはともかく最近の広告には「広く知らせる」だけで終わっている広告が多いような気がする。

「広告」という文字を見れば、確かに「広く知らせる」コトが目的なのだが、「広く知らせる」だけでは、広告ではないと思う。
少なくとも「興味を持ってもらう」コトで、その商品・サービスに対する認知度も上がり、それが最終的には購買へと結びつかなくては、意味が無いからだ。
購買へと結びつかなくても、「何だろう?」と考えてもらうというコトがとても大切な役目を持っているはずなのだ。
だからといって、きわどい言葉や表現で気を引くというのは決してよいことではない。
大切なことは「ユーモア」なのだと思う。

この「リポビタンD」のイベントにしても、何も日本中に向けて「ファイトイッパツ」と叫ぶ必要は無い。
50周年の記念というのであれば、プレゼントキャンペーンなどのほうが生活者の気を引くことは出来ると思う。
にもかかわらず、発売以来変わらずに使っているキャッチコピーを日本中に向けて叫ぶ、というイベントを企画したのは、大正製薬さんのユーモアなのだと思う。
なんとなく、行き詰まり感のある今だからこそ、ユーモアが大切なのでは?
そんなことも考えさせられる広告だった。





イクメン、カジダンの次は介護メン?

2012-04-22 20:09:54 | Weblog
休日の夕方のスーパーマーケットには、平日では見られない人たちに出会うことが多い。
「出会う」といっても、知り合いに出会う訳ではない。
普段買い物に来ない人たちの姿を多く見かける、というコトだ。
それと平日でも夕方よりも少し前の時間帯でも、普段余り見かけない人たちと出会うことも多くなってきた。
この「普段見かけない人たち」の共通点は、メモか携帯電話を持ちながら買い物をしているという点だ。

どのような方たちかお分かりだろうか?
それは、男性の買い物客。
この中でも若い男性は、どうやら「イクメン(=育児に積極的な男性)」らしい。
「イクメン」ではないにしても、奥様から渡されたメモを見ながら買い物をしている。
時折職場の同僚男性同士なのだろうか?
「オヤ!お宅もですか?」
「ウチは、まだ○ヶ月なんで・・・」
「ウチは、もう××ヶ月ですよ、お互い大変ですな~」
という会話が聞こえてくることもある。
そんな姿を見ると、微笑ましいだけではなく「育児に参加」というほどではないにしても、奥様をサポートする男性は増えつつあるのかな?という気がしてくる。

そしてもう一つのパターンが、熟年世代の男性だ。
こちらはどうやら奥様が買い物に出掛けられない事情があるらしく、携帯電話で「○○は要るの?××はいくつ買えばいいの?」と、指示を仰いでいる。
時々「そんなに要らないでしょ!」と、逆ギレしかかっている方を見かけるときもある。
こちらは「家事に積極的」というよりも、「仕方なく」という場合もあるようだが、最近では「カジダン(=家事に積極的に参加する男性)」という言葉も、定着し始めてきた。
二昔前のように、病気で寝込んでいても女性が家事をする、という時代では無くなりつつあるようだ。

「イクメン」にしても「カジダン」にしても、その背景にある一つの理由として「働く女性」の存在が大きい。
女性が働きやすい環境を作ることになれば、それまで女性が受け持っていた家事や育児の一部を男性もする必要がある。
今の「イクメン」世代の親世代が、共働きが定着し始めた世代だと考えれば、比較的受け入れられやすいのかも知れない。

ただ早急に増えてもらわなくてはならない「○○男子」がいる。
それが「介護ダンシ」もしくは「介護メン」だ。
高齢化社会になりつつある日本では、介護はとても重要な問題でもある。
これまでのように、女性が中心の介護では対応しきれない部分も多い。
特に体力が必要とされる部分では、やはり男性の力が必要だろう。
今現在、男性で介護をしている場合というのは、いわゆる「老老介護」という状況の場合が中心。
社会的にも、男性が積極的に介護に参加できるようなシステムになっていない、という問題も大きい。
とすれば、企業も行政も含めて社会全体が「介護ダンシ」、「介護メン」を支援できるシステム作りが必要だと思う。
そして「介護ダンシ」は、社会の中でも重要な存在である、という意識を社会全体が持つ必要があるかも知れない。

そんなことを考えさせてくれた、夕方のスーパーマーケットだった。

「おじさん」に注目

2012-04-21 21:07:11 | トレンド
男性と女性とでは、どちらが注目されやすいか?といえば、おそらく「女性」というコトになると思う。
それはどの世代でも同じ傾向にあると思う。
最近の例で言えば「女子会」は当然だが、「アラフォー」や「アラサー」、時々聞いたりする「アラフィフ」などという年齢相当を表す言葉の対照は、おそらく女性だと思う。
男性の場合、「アラフォー男性」というような使われ方をされているような印象がある。
それだけではなく「オバサン」は、話題になりやすいが「おじさん」が話題の中心になるコトは殆どない。

ところが最近その傾向が、変わりつつあるようなのだ。
それは書店に行くと分かる。
最近話題になっている本の中に「おじさん」をテーマにしたものがチョッとしたベストセラーになっているからだ。
もしかしたらご存知の方もいらっしゃるかも知れない。
その本とは・・・
「おじさん図鑑」

「おやじがき」
2冊とも読んだわけではないが、「おじさん図鑑」のように「おじさん」を観察し、分類している本はこれまでになかったような気がする。

新しい商品やサービスを仕掛ける時その対象となるのは、若年層であったり、世代を問わず女性が中心となっていたように思う。
実はこの「おじさん」と呼ばれる世代の男性は、仕掛けの対象になってこなかった。
なぜなら、積極的な生活活動というモノが見えにくい存在だったからだ。
日常生活での行動(=「生活活動」)が仕事中心で、社会との結びつきが希薄な存在が「おじさん」だったということだ。
だからといって「仕事熱心なおじさん」に問題があるわけではない。
「仕事熱心なおじさん」には、日常生活をしっかりサポートしてくれる奥様(=「おばさん」)がいて、その奥様たちがご主人のために生活全般を看てくれている。
「おじさん」が積極的に何か行動を起こさなくても、日常生活ではさほど不自由をしないようなサポート体制が、社会の仕組みとして出来上がっている、というコトなのだ。

しかし、団塊の世代が「おじさん」世代になり始めてから、この傾向が少しづつ変化し始めているようだ。
「団塊の世代」という一括りでみてはいけないと思うのだが、これまで「画一的」だったおじさんのイメージの幅を広げたのが「団塊の世代」という気がする。
だからこそ、文庫本「おやじがき」のサブタイトルが、「絶滅危惧種中年男性図鑑」となっているのだろう。
一昔前の「正しい(何を持って「正しい」のかは分からないが)おじさん=中年男性」は、今や絶滅危惧種になりつつあるという考え方からすれば、やはり「団塊の世代のおじさん」と、「それ以前のおじさん」では、いろいろな面で大きな違いがあるのだと思う。

だからこそ、今「おじさん」がチョッとした注目されているのだと思う。

高速道路にて

2012-04-20 20:36:25 | ビジネス
実家に帰省するとき利用するのが、高速バス。
そのことについては、以前も拙ブログに書いたと思う。
JRで帰省するときと違う風景を見ながら、いろいろなコトを考える時間というものも、一つの楽しみになっている。

今回は、今年は春の訪れがゆっくりだったのだろ、到る所で満開の桜を眺めながらの帰省となった。
そこで気が付いたのは、川沿いに桜並木が多いということ。
もちろん、地域の旧街道と思われる道にも、桜が植えられとてもきれいだった。
そんなのんびりとした風景だけを車窓から眺めているわけではない。
高速の出口表示が見え始めると、町の姿も見えてくる。
その町で暮す人たちの風景を一瞬ではあるが、見ることが出来るような気がする瞬間でもある。
他にも、意外な企業の工場やデータセンターがあったりすると、「どうしてココに造ったのだろう?」と、考えたりしながら時間を過ごしたりしている。
風景を見ながら、いろいろなコトを想像したり考えたりすることは、いつもと違う発想の素になるコトが多い。

今回思ったことは、「運送会社とSAやPAの屋根」だった。
高速道路のインター近くには、大手運送会社の集配センターなどが集中してある。
小学校の運動場並み?と思われるほど、大きな所も少なくない。
そしてSAやPAで休憩のために駐車しているクルマを見てみると、いわゆる「ハイブリッド車」と呼ばれるクルマが増えてきていることもわかる。
EV車はさすがに見ることはほとんどないが、昨年あたりからHV車が随分増えたような印象がある。
そんな光景を見て思ったことは「EV車」が、クルマの主流になるためにはSAやPAなどに積極的に「高速充電システム」を作る必要がある、というコトだった。
そのためにポイントとなるのが、施設の屋根。
もちろんSAやPAに、ソーラーパネルの屋根の駐車スペースを設ける、コトも大切だと思うが、今ある施設を利用するとなると、やはりSAやPAの屋根は、とても重要だと思う。

それだけではなく、大手運送会社の集配センターの巨大な屋根などはソーラーパネル設置にとても向いている場所なのでは?と、思ったのだ。
長距離の運送にはEV車はまだまだ難しいと思うが、市内配送であれば屋根の太陽光発電には向くのでは?と思ったのだ。
天候に左右されることを考えると、安定供給のための方策が必要だと思うが、HV車や本格的EV車の普及のためには、ガソリンスタンドのように「高速充電システム」を作り上げる必要があると思う。
その意味で、SAやPAといった場所は、とても重要ポイントだと考えるのだ。

なぜなら、「ガソリンスタンドで給油をする」ように、電池に蓄電しなくてはならないからだ。

EV車の普及には、市中での「高速充電システム」が必要不可欠だといわれているようだが、今の状況では、厳しいと思う。
だからこそ、今あるスペースで効率よく充電できるシステムを作るためにも、SAやPA、運送会社の屋根などは重要ポイントのような気がしたのだ。

地産地消から地産地商へ

2012-04-19 20:09:09 | ビジネス
数日間のお休みを頂きました。

漫画・ビックコミックスピリッツに長く掲載されている「美味しんぼ」に、島根県の食材が取り上げられている。
私にとっては本籍地である島根県というコトもあり、久しぶりに読んだ。
その内容云々については、実際読んでいただくことして、ここで取り上げられているテーマの一つがとても興味深い。
というのも、島根県に限らず日本には「その地域限定食材」といわれる食材が、数多くあるからだ。

島根県の食材として取り上げられていたのは、「横田小蕎麦」と呼ばれる奥出雲の在来種の蕎麦、旧平田市周辺で栽培されている「出西生姜(しゅっさいしょうが)と生姜糖」(リンク先は、生姜糖を作っている「來間屋生姜糖本舗」)隠岐のあらめ(昆布の一種)などが紹介されていた。
いずれも生産量が少なく、全国的に有名な食材とは言いがたい(ただし「來間屋生姜糖本舗」の生姜糖は、最近では様々な雑誌の「お取り寄せ品」として取り上げられるようになってきた)。
そのため多くの食材は、地元で消費されることがほとんどだった。
いわゆる「地産地消」だ。

それが、高度成長期を経て地元の特産物を東京や大阪などで販売する、という動きが生まれてきた。
もちろん、都市部に提供されることによって全国区的に知れ渡り、人気商品となる農・海産物も数多く生まれた。
ただ残念なことに、今回「美味しんぼ」が取り上げた島根の食材は、他の地域での栽培などが難しいこともあり全国区になることもなく、地元でひっそり(?)と作られ続けてきたものばかり。
おそらく、全国にはこのような全国区になるコト無く地元で限定的に作られ、消費されている農・海産物が数多くあるのではないだろうか?

上述したとおり、20年ほど前であれば積極的に都市部を中心に全国に出荷する、という考えが主流だったと思う。
そのためにも高速道路や空港の整備が重要だ、という考え方もあったことは事実なのだ。
それは島根県に限ったことではないと思う。

しかし考えてみれば、確かに特産品ではあるかも知れないが、都市部に提供された時、その特産品の価値をどれだけの人が理解出来ただろうか?
高速代やガソリン代が加味された価格となる特産品だが、都市部の人から見れば単なる蕎麦や生姜にしか見えない可能性のほうが高かったはずなのだ。
むしろ、そのような特産品でその地域に人を誘導したほうが、同じ高速道路や空港を使うにしても、地域の産業としてはプラスになったように思う。

ここ10年近く「地元で取れた農水産物を地元で消費」という考えが、定着しつつある。
これからは「地元で取れた農水産物は地元で売る(=商売をする)」という考えに、変わっていくのではないだろうか?
そのためには、むしろ生産量が限られ、他の地域へ出荷することが出来ない特産品のほうが優位だと思う。
なぜなら「その場所に行かなくては味わえない食材」だからだ。